【SS】花帆「かぐや姫に憧れて」【ラブライブ!蓮ノ空】

ラブライブ

【SS】花帆「かぐや姫に憧れて」【ラブライブ!蓮ノ空】

1:(ささかまぼこ) 2023/09/01(金) 21:17:16.89 ID:TDHnTpDO

花帆「あ~あ……。FESライブも終わっちゃったなぁ……」

 夏休み最終日。部室にて何度呟かれたか分からない台詞が吐かれる。わたしは文庫本を開いたまま、若干呆れつつも口を開いた。

さやか「その台詞、今日何度目ですか?」

花帆「何度目だろう……」

さやか「まあ、最近はようやく慣れてきましたけどね。何かの節目が終わった後、壊れた人形のように同じ言葉を繰り返す花帆さんは」

花帆「えぇ、その表現はちょっと酷いよぉ」

さやか「……とはいえ、その気持ちも分からなくはないですが」

 ぱたん。文庫本をやや雑に閉じる。そのまま瞼を閉じると、明瞭にFESライブを思い出せる。

さやか「今のスクールアイドルクラブが出せる最高のライブでした。わたし達は夏の間の努力の成果を出せて、瑠璃乃さんや慈先輩は圧巻のパフォーマンスだったと思います」

 未だ興奮冷めやらぬとはこのことだろう。きっと花帆さんも、頬を紅潮させて全力で肯定してくるに違いない、そう想定していたのだが。

花帆「……うん。そうだね」

さやか「……花帆さん?」

 実際は真逆。どこか遠くに視線をやった、アンニュイな表情をしていた。

 

2:(ささかまぼこ) 2023/09/01(金) 21:18:27.73 ID:TDHnTpDO

 そう言えば、と思い出す。

 花帆さんは最近、こうした表情をよく見せるようになった。それも、難しい振り付けがこなせるようになった時や、リハーサルが完璧だった時など。いつもなら喜んで然るべき場面で度々、こんな顔をしていた。

 何か、あったんですか。その疑問を差し込む前に、

花帆「ねね、さやかちゃん。最近話題になってる寮の噂のことって知ってる?」

 そんな世間話に封〇された。頭を切り替え、寮の噂とやらを考えてみる。だが、脳内にヒットする文字は無かった。

さやか「寮の噂、ですか。いえ、寡聞にして聞かないですね」

花帆「そっか。まあ、あたしも聞いたのはついさっきだし、さやかちゃんが知らないのも無理ないよね」

さやか「……それで、噂って何なんですか」

 そう問いかけると、先ほどまでのアンニュイな表情はどこへやら。花帆さんは得意げに鼻を膨らませた。

花帆「むふーっ。そっかそっか。そんなに聞きたいならっ、言ってあげましょうっ」

さやか「……よろしくお願いします」

 ぐっと固く握った拳をどうにか抑える。

 

3:(ささかまぼこ) 2023/09/01(金) 21:19:39.16 ID:TDHnTpDO

花帆「えぇと……深夜の寮ってさ、消灯時間は過ぎてて普通誰もいないでしょ?」

さやか「そうですね。見つかったら寮母さんから大目玉ですから」

花帆「うん。だから誰も深夜はうろつかないんだけど……最近夜な夜なね、寮の廊下をガサゴソと移動する影が目撃されてるんだってさ……」

さやか「へぇ……」

 寮の廊下をガサゴソと。すぐに思い当たるのは野の獣の類。蛇や猫であれば、狭い隙間からでも侵入が可能だろう。

花帆「でね、正体は動物だって誰もが思うでしょ? でもね、猫を〇すような好奇心を持った寮の娘が、つい玄関扉を開けて見ちゃったんだってさ……」

さやか「……見たって、何を」

 生唾をごくりと飲み込んだ後、花帆さんは芝居がかった動きで答えを返した。

花帆「そこにいたのはね……深夜にいるはずのない、制服をかっちり着込んだ女子生徒の幽霊だったんだってさ……」

さやか「……」

花帆「キャーッ!!」

さやか「うわっ、何ですか! 驚かせないでくださいよっ!」

花帆「ご、ごめん……お約束だと思ってつい……」

さやか「……はぁ」

 

4:(ささかまぼこ) 2023/09/01(金) 21:20:50.54 ID:TDHnTpDO

 心臓が激しく鼓動している。花帆さんの怪談話に若干怯えてしまったのは癪だが、少し身震いしたのも事実。

 なぜなら、自分のプライベート空間である寮の話なのだ。当事者意識を持たないわけがない。

さやか「……それなら」

花帆「ん?」

 わたしは一つの決意を固める。拳を握り、静かに闘志を全身へと巡らせた。

さやか「わたしがその女子生徒の幽霊を成敗致しましょう」

花帆「え、えぇ~……」

 わたしの解答は想定外だったのか、花帆さんはちょっと引いていた。だが、自らのパーソナルスペースも守れなくて、一体何が守れると言うんだ。

 その後、『嘘だよね! 嘘だよねさやかちゃん!』と縋りつく花帆さんを引っぺがし、来る深夜の戦場に備えるため、英気を養った。

 

5:(ささかまぼこ) 2023/09/01(金) 21:22:02.81 ID:TDHnTpDO

──

 常在戦場、という言葉がある。いつ如何なる時であれ、常に戦場を意識して物事に励め、という教えだ。

 わたしは兵士ではない、が、今だけはその気持ちを携えて行こうと思う。

 時刻は深夜。草木さえも寝静まり、魍魎が跋扈跋扈する時間帯となった。

 わたしの服装は夏服の制服。セーラー服とは、水兵の服装が源流と言われる。ならば、今から赴くのが戦地なら相応しいはずだ。

 携える武器はたった一つ、常香炉の煙を吸わせた清めの塩だ。入手経路は梢先輩。スピリチュアルな趣味を持っていたため、除霊グッズを聞くとこれを持たせてくれた。尤も、わたしは盛り塩用と嘘を吐いたが。

さやか「ふぅ……。それにしても、本当にいるのでしょうか」

 玄関扉の前でそう独り言ちる。結局のところ、噂は噂でしかない可能性がある。街談巷説、道聴塗説。女子寮では特に、こうした噂が独り歩きしやすいという。

 だがまあ、それならそれでいい。今日何もなければ、明け方の始業式は気持ちよく迎えられる。とはいえ、こうして夜更かしをしている以上、寝不足は確定しているが。

 と、ここで、噂は噂と高を括っていた時、その音が耳朶を打つ。玄関扉の向こうから僅かに聞こえるこの音は……。足音だ。

 

6:(ささかまぼこ) 2023/09/01(金) 21:23:13.59 ID:TDHnTpDO

 深夜という静けさが支配する今だからこそ僅かに聞こえる異音。

 噂は、本当だったんだ。

さやか「……よし。覚悟を決めますよ」

 ふぅ、と一息。真空パックに入った清めの塩を摘み、数秒後に訪れる戦闘に備える。

 ふと思えば、奇妙な巡り合わせだと感じた。

 わたしは蓮ノ空に入学する前、友人など作らなくてもいいと思っていた。自分に必要なのはスケートの技術を向上させるための何か。ただそれだけを獲得しようと勇み込んでいた。

 だがどうだろう。わたしが噂の心霊に立ち向かう理由は、入学前の自分とは真逆の心情。

 わたしの大切な居場所を、大切な人がいる居場所を、誰にも侵させない。そうした動機だった。

さやか「……来たっ!」

 微かな跫音が扉の前を通り過ぎた。機会はここしかない。千載一遇、乾坤一擲。後はもう、扉を開いて塩をぶつけるだけ──

 

8:(ささかまぼこ) 2023/09/01(金) 21:24:24.99 ID:TDHnTpDO

さやか「……えいやっ!!」

 勢いよく扉を開き、手に持った清めの塩を対象にぶつける──

「わっ、わぁ~っ!? な、なにぃ!?」

 なんとっ! この心霊は喋るらしい。だが、清めの塩をぶつけられて動揺している。

 効いている。そう確信したわたしは、さらに追撃を加えるために塩を撒く。

「びえっ、な、なにこれっ! や、やめてっ。てかっ、しょっぱっ!!」

 なかなか手強い。清めの塩だけでは不足していたんだろうか。というか、夜目に慣れてくると確かに対象は制服を着込んでいるようだった。わたしと同じ夏服の……。

 ……しかもよく見れば、なんだか顔も見知っているような。兎の髪飾り、大きなくりくりとした瞳、明るい髪色……。

さやか「……え。花帆さん?」

花帆「ぷぇっ、ぷぇっ! ……え、さやかちゃん……?」

 塩をぺっぺと吐き出す噂の心霊は、何を隠そう同じスクールアイドル部の同級生、日野下花帆だった。

 

9:(ささかまぼこ) 2023/09/01(金) 21:25:36.30 ID:TDHnTpDO

──

 噂の心霊はどうやらあなたのようです。真実を花帆さんに告げるとびっくり仰天していた。どうやら彼女はここ数日、夜な夜な寮を抜け出していたらしく、それが噂となっていたらしい。

 まあ、ここまではいい。少し気の抜けている花帆さんのことだ。自覚のない心霊というのも頷ける話だ。だが、今の状況はどうだろう。

 率直に素直に実直に、今の正直な気持ちを吐露した。

さやか「どうしてわたしも、寮の外にいるんですか」

花帆「どうしてって……あたしが手を引いたからだけど」

さやか「そうではありませんっ。なんでわたしまで巻き込むんですかぁっ!」

 悲痛な叫びが虚しく空に響く。

 そう、今わたしがいるのは寮の中ではない。寮の外……つまり、無断外出をしていたのだ。

 

10:(ささかまぼこ) 2023/09/01(金) 21:26:48.25 ID:TDHnTpDO

 塩をありったけ撒いた後、花帆さんに腕を掴まれそのまま外に連れ出された。どうやら彼女は予め脱出用の窓の鍵を開けていたらしく、そこから二人仲良く寮を脱出した、というわけだった。

花帆「だって……あのままあそこにいたら、さやかちゃんも寮母さんに怒られてたよ?」

さやか「いえっ、わたしは自室に戻ればいいだけの話じゃないですかっ」

花帆「まあまあ。旅は道連れ世は情けって言うでしょ?」

さやか「そんなぁ……」

 がくりと肩を落とす。状況に流されてしまったわたしが悪い。そう、いつだってそうだ。わたしの弱点は振り回しに弱いことだ。

 綴理先輩の衝動的な行動に毎日付き合っていたせいか、突発的な行動に対する付き合いの良さが上がってしまった。内申書や履歴書になど書けない、寧ろ損することが多い能力だろう。

花帆「まあまあ。折角だしさ、夜の蓮ノ空を楽しもうよさやかちゃん」

さやか「うぅ……。仕方がありません。ここまで来てしまったんです。どうせ折檻を受けるなら、思い切り非行を堪能してから罰を受けましょう……」

花帆「まだ脱柵がバレたわけじゃないし、平気だって!」

さやか「脱柵て……。ここは防衛大ですか」

 

11:(ささかまぼこ) 2023/09/01(金) 21:27:59.55 ID:TDHnTpDO

 益体のない話をしながら、深夜の蓮ノ空の敷地を歩く。そう言えば、ここまで夜が更けた時の学園は歩いたことが無かった。

 いつもは詳らかにされている部分が、今は深夜の闇に隠されている。だが、思った以上に視界が利く。そこに疑問を抱いていると、

花帆「あ、見てさやかちゃん」

 不意に、花帆さんの足が止まり空を指差す。つられるように空を仰ぐと、

さやか「あぁ……なるほど。だから深夜なのにこんなに明るい……」

 そこには、夜天に輝く満月があった。月光は優しく地上に降り注ぎ、外の景色を朧に照らしている。

さやか「いい月が出ていますね花帆さん……。花帆さん?」

 つい、満月に見惚れていると、傍らの彼女は空に手を伸ばしていた。月光を反射する彼女の人肌はやや青白く見え、僅かに伏せられた睫毛は儚げな印象を抱かせる。

さやか「どうしたんですか……? 月に手を伸ばして……」

 戸惑いながらそう聞くと、花帆さんは伸ばした手を引っ込め、薄く口元を緩めた。

花帆「うぅん、何でもない」

さやか「何でもないって、そんなこと……」

花帆「……ね、さやかちゃん。今年の夏休みは凄く楽しかったよね」

さやか「え、藪から棒になんですか」

花帆「まあ、いいでしょ。ちょっと付き合ってよ」

 花帆さんは再び歩み始める。背中に月影を背負いながら。

 

12:(ささかまぼこ) 2023/09/01(金) 21:29:10.75 ID:TDHnTpDO

さやか「……えぇ。楽しかったです。FESライブだけじゃなくて、縁日に行ったり、海辺の別荘で合宿をしたり……」

さやか「とても、充実した夏だったと思います」

花帆「……そっか。充実した夏、だった、かぁ」

 花帆さんの返答は、どこか含みのある感じだった。それを問い質そうとする前に、彼女が先に口火を切った。

花帆「あたしも同じ気持ちだよ。ライブは勿論楽しかったし、梢センパイと花火大会に行ったり、慈センパイとと~っても仲良くなれたり、本当に……色々あったね」

 花帆さんはそう言って兎の髪飾りに触れた。その髪飾りは、縁日に由来する物らしい。

 そう言えば、梢先輩は今夏、河童を探しに川へ出かけに行ったらしい。蓮ノ空の支柱的存在であるのと同時に、やや突飛な性格の人だと思う。

花帆「だから、さ……。この夏がもうすぐ終わっちゃうって考えたら、ちょっと寂しくて……」

花帆「ベッドの上で眠って、そして目覚めたら、これが全て夢なんじゃないかって。そう思ったら……寝られなくなっちゃったんだ」

さやか「花帆さん……。だからここ数日、寮を抜け出していたんですね」

花帆「うん。ごめんねさやかちゃん。あたし一人で過ごすには、ちょっとこの夜は長くて……。あはは」

 

13:(ささかまぼこ) 2023/09/01(金) 21:30:21.78 ID:TDHnTpDO

 得心がいった。花帆さんに深夜徘徊の趣味があるとは思えなかったが、そういう動機なら理解できる。煌めく毎日を大切にし、思い入れのある過去に耽る彼女のことだ。過ぎ去る夏に切なさを覚えても不思議じゃない。

 きっと、ここ数日寂し気な表情をしていた理由はそういうことなのだろう。

 理解はできた。だが、納得はできない。花帆さんに暗い顔は似合わない。それならせめて。

さやか「……なら、仕方がないですね。今夜だけは、夏休みの最後だけは、付き合ってあげますよ」

 一晩くらいは、無聊を慰める一助になってもいいだろう。

 わたしの返答は予想外だったのか、花帆さんは目を見張った。だがすぐに口元に笑みを浮かべ始める。

花帆「ありがとっ、さやかちゃんっ」

さやか「ふふっ。いいんですよ。わたしも深夜の散歩は、ちょっとだけ楽しいと思い始めていますから」

花帆「そうなんだ。でも分かるよその気持ち。いつもの歩き慣れた道なのに、昼間とは全然印象が違うもんね」

さやか「はい。それに……」

花帆「それに?」

さやか「こうして人気のない道を二人だけで歩いていると、世界を二人占めしたような気分になれるじゃないですか」

 

14:(ささかまぼこ) 2023/09/01(金) 21:31:33.02 ID:TDHnTpDO

花帆「……あはっ。さやかちゃん、意外と強欲だね」

さやか「そうですか? まあ、そうかもしれませんね」

花帆「うんうんっ。でもね、あたしには敵わないと思うよ」

さやか「へぇ……。花帆さんはもっと特別な欲望があるって言うんですか」

花帆「まあね」

 ふんっと、鼻息を一つ。花帆さんは聞いて欲しそうに何度も目配せを始める。

さやか「……ちなみに、それは何なんですか」

 わたしがそう聞くと、花帆さんは満足げに頬を緩ませ、先ほどの焼き直しのように夜天へと手を伸ばした。

花帆「──月にね、手を届かせたいの」

 

15:(ささかまぼこ) 2023/09/01(金) 21:32:44.11 ID:TDHnTpDO

──

さやか「本当に、大丈夫なんですか、これ……」

 金網に手を掛けながらそう呟く。

花帆「へーきへーき。ちょっと錆びてるけど、見た目よりも耐久すごいからっ」

さやか「その自信は一体どこから……」

 花帆さんは慣れた手付きで金網を身軽に登っていく。わたしもアスリートの端くれ。彼女に遅れは取らない、と競争心が煽られつい熱が入る。

 苦労して向こう側へと何とか辿り着く。花帆さん一押しの場所だというここは、

花帆「じゃ~んっ! 満月を映すプールですっ!!」

 彼女はそう言って大きく腕を広げ、歓迎のポーズを取った。

 そこは、蓮ノ空女学院の敷地内にある屋外プール。よく言えば伝統があって趣深い。悪く言えば年季を感じさせる見た目をしていた。

 だが確かに、花帆さんが得意げに披露するように、深夜のプールは魅力的だった。夏風に揺蕩う水面には、綺麗な満月が映っていて、それはまるで、鏡湖池に映る逆さ金閣のようだった。

 

16:(ささかまぼこ) 2023/09/01(金) 21:33:55.41 ID:TDHnTpDO

花帆「さぁて、ちゃぷちゃぷ楽しも~っ!」

さやか「あ、花帆さんっ!」

 快活に笑う彼女は、足早にプールに向かって走り出す。そのままプールの縁に腰掛け、一切の躊躇なく素足を水にさらした。

花帆「ほら。さやかちゃんも来なよ。気持ちいいよ」

さやか「……では、折角なので」

 断る理由もないので、唯々諾々と従う。寮から無断外出した時点で規則を破っているので、今さらプールの無断使用など些末な問題だった。

 深夜のプールは底の見えない暗晦であり、一度身を投じれば戻ってこられない危うさを感じた。だが、恐る恐る足を水面に沈めてしまえば、

さやか「はぁ……。登った後の体に沁みますね……」

 金網登攀で火照った体によく沁みた。足湯の逆を今、体験しているのだろう。

 心地よさに意識を遠くにやっていると、不意に横から手が伸びた。そちらに視線をやると、またしても花帆さんは月へと手を伸ばしていた。睫毛を軽く伏せ、儚げに微笑みながらも手を伸ばす様は、なぜか諦観を覚えた。

 そんな表情を崩さないまま、花帆さんは口を開く。

 

17:(ささかまぼこ) 2023/09/01(金) 21:35:06.94 ID:TDHnTpDO

花帆「……ねえ、さやかちゃんって小さい頃の夢はなんだった?」

さやか「夢、ですか……?」

 夢。随分急な話だった。だが月に手を伸ばすその所作は、何か繋がっている気がした。

さやか「わたしは……そうですね。世界的なスケートの選手になること……いえ、姉のようなスケート選手になること、だったと思います」

花帆「そうなんだ。さやかちゃん、お姉さんのこと大好きだもんね」

さやか「……否定はしませんが」

花帆「あはは。ほっぺ、赤くなってるよ~」

 手を伸ばした指をそのままに、頬を小突かれる。流石に黙っていられず口を尖らせた。

さやか「では、花帆さんは何なんです? さっきからしてるその動きと何か関係あるんですか?」

 そう、迷いなく直截に聞くと、数拍の間があってから返答が来た。

花帆「あたし、かぐや姫に憧れてたの」

さやか「それは……また乙女チックな夢ですね」

 かぐや姫。竹取物語における登場人物。そして、地球由来ではなく月出身という秘密を持つ人物だ。

 

18:(ささかまぼこ) 2023/09/01(金) 21:36:18.61 ID:TDHnTpDO

花帆「小さい頃は体が弱くてね、いっつも熱を出して咳をして、鼻水ばっかり出してたの。特に調子が悪い日なんかは、なかなか眠れなくてね、こんな長い夜を幾つも過ごしてたんだ」

花帆「孤独で不安で寂しくて。でもね、窓から見えるお月様だけは、あたしを優しく見守ってくれてたんだ。だからね、つい手を伸ばしちゃうの」

花帆「きっとあたしは月の住人だから、地球の大気が合わなくて風邪を引いちゃうんだって。そしていつか、お月様の使いがやってきて、かぐや姫みたいにここから連れ去ってくれるんだって。そう思ってた」

 そう言い切った後、花帆さんは再び月へと手を伸ばす。わたしもつられて、空に悠然と佇む梔子色を仰いだ。

 月には、人を惹きつける魔力がある。特に満月の日など、狼に変化してしまうほどホルモンバランスが崩れてしまうらしい。

さやか「……では、」

 わたしは、空に浮かぶ月を睨む。

さやか「ではなぜ今も尚、月に手を伸ばし続けているんですか」

 恨めしい。今の花帆さんを縛り続けるあなたが、狂おしいほど恨めしい。

さやか「自由に外を駆け回れないから、友人とまともに遊べないから、届かない月に憧れた。それは分かります」

 体の弱かった頃の話なら、まだ許容できる。

さやか「でも、今のあなたは十全に体を動かせるじゃないですか。心臓を突き破りそうなくらい走っても、次の日には元気になってる。願いは叶い、月はもう必要無くなったんじゃないですか!?」

 スクールアイドルクラブで邁進するあなたは、とても充実しているように見えた。毎日全力で力を振り絞り、努力で夢を悉く結実させているじゃないか。

 そう、見えるのに。でも、未だ月に手を伸ばすということはつまり、そういうことじゃないか。

 

19:(ささかまぼこ) 2023/09/01(金) 21:37:29.87 ID:TDHnTpDO

さやか「ここではっ、蓮ノ空ではっ、未だ不足だと言うんですかっ。わたし達では、役者不足なんですか!?」

 その言葉を吐いて、呼吸を忘れていることに気付く。荒い息遣いになり、少しだけふらついた。

 わたしの乱暴な物言いに対し、花帆さんはただ、微笑んでいた。

 月光が容貌を青白く浮かび上がらせ、はにかむようにして笑う様は、率直に言って浮世離れしていた。月の魔力のような魅惑さ持つその表情に、地球の物ではない何かを感じた。

花帆「だからだよ、さやかちゃん」

さやか「だから……?」

 分からない。花帆さんの言っている意味が分からなかった。

花帆「毎日、とっても楽しいんだ。そりゃあね、練習は辛くて時には弱音を吐いちゃうけど、その先には絶対楽しいことが待ってるから頑張れるの」

花帆「それに、あたしの周りにはあたしだけじゃない、さやかちゃん達がいる。こんな日々、幼い頃のあたしに言っても、信じないんだろうなぁ……」

花帆「だって、夢としか思えないもん。だから時々、不安になるの。夢なんじゃないかって、嘘なんじゃないかって」

 そう言って、花帆さんはより高く月へと手を掲げ、それを思い切り握った。

 

20:(ささかまぼこ) 2023/09/01(金) 21:38:41.84 ID:TDHnTpDO

花帆「だから、あたしは月に手を伸ばすの」

花帆「だって、届かない物に届いてしまえば、それはもう現実じゃないでしょ?」

花帆「これはね、ここが現実だって思える確認なんだ」

 そして、ぱっと開いた手の平の上には、何も握られていなかった。レゴリスも、デブリも、月の石も何も。そこには、何もない現実のみがあった。

花帆「……今はまだ、この日々が本当だって信じられない。幸せすぎて、それを肯定した瞬間、足元から崩れ落ちる気がして」

花帆「だからいつか、月に手が届いても夢じゃないって思えるくらい、花を咲かせるのが今のあたしの夢」

 そう、花帆さんは言い切る。

 対してわたしは、上手く言葉を紡げなかった。月の魔力がそうさせるのだろうか。彼女が眩しすぎて、真正面から直視することができない。だからわたしは、彼女の放つ閃光に目を焼かれないよう、軽く顔を伏せた。

 もしかして、もしかして本当に花帆さんは……月の住人なのだろうか。

花帆「あはは……。ごめんね、あたしばっかり話しすぎちゃった。明日、って言うか今日は始業式だし、そろそろ戻ろっか」

 苦悩するわたしを尻目に、花帆さんが矢庭に立ち上がる。だが、伏せた視界から彼女がぐらりと体勢を崩すのが分かった。

花帆「わわっ、立ち眩み、なんて……うわあっ!」

 体が立て直し不可能なくらい傾き、プールへと誘われるように落下していく。

 

21:(ささかまぼこ) 2023/09/01(金) 21:39:53.48 ID:TDHnTpDO

さやか「……っ!」

 落下先は、月。水面に映る満月が、虚像であろうと飲み込まんばかりに輝いていた。

 月が、花帆さんを手招きしている。わたしはその事実に、寒気がするほど鳥肌が立った。

 月があなたを誘っていて、あなたも月に手を伸ばすのなら、繋がれる日はきっと遠くない。

 それはなんだか、とっても怖いように思えた。だからわたしも、全力で手を伸ばす。

 わたしにとっての月へと、千切れんばかりに手を伸ばす。

さやか「……掴んだっ」

 そう叫んだ矢先、わたしもプールの中へと落下した。目の前が急に真っ暗闇に染まり、視力が利かない、ここが上下どちらなのかも分からない。でも、そんな中でも確かだったのは、繋いだ手から伝わる温もりだった。

 ふと、地に足が着いた。それで上下の感覚を取り戻し、一気呵成に水面を目指した。

さやか「ぷはぁっ」

花帆「げほっ、げほっげほっ……」

 水中から顔を出すと、まず目に入ったのは月だった。仰ぎ見るのがそれならば、未だわたし達は地球にいる。それを確認できた。

 

22:(ささかまぼこ) 2023/09/01(金) 21:41:04.79 ID:TDHnTpDO

 次に、花帆さんを見た。彼女は多少肺に水が入ったらしく、少しだけ咳き込んでいた。

さやか「大丈夫ですか、花帆さん」

花帆「げほっ……。う、うん。ちょっと飲み込んじゃっただけだから。あはは……ドジだなぁ、あたし」

 恥ずかしそうに後ろ頭を掻く花帆さんは、もう大丈夫そうに見えた。だから、彼女の両の手を握った。

花帆「さやかちゃん……? どうしたの?」

 彼女は満月のように丸い瞳を、さらに丸くしていた。わたしは今の気持ちを、素直に言葉にすることにした。

 瞼を閉じ、ひと際大きく息を吸って呼吸を整える。大丈夫だ、胸に浮かんだ言葉を、そのままに口にすればいいだけ。

 わたしは真正面から花帆さんを見据え、徐に口を開いた。

さやか「いいですか、花帆さん。あなたを月になんて行かせません。たとえあなたがかぐや姫だろうと、餅を突く兎だろうと関係ありません」

さやか「花帆さん。あなたの居場所はここなんです。蓮ノ空なんです。上で偉そうにふんぞり返ってるだけの月になんて、あなたを絶対に渡しませんっ」

 真剣な声音でそういうと、花帆さんは状況についていけていないようで、きょとんと口を半開きにしていた。

 理解できないのなら、それでもいい。わたしはわたしの気持ちを、あなたにぶつけるだけだ。

 

23:(ささかまぼこ) 2023/09/01(金) 21:42:15.86 ID:TDHnTpDO

さやか「でも、それでも、月への憧れをやめられないと言うのなら。わたしがあなたの月になります」

さやか「あなたの心を鷲掴みにして、一生離さない月になってやります」

 握った両の手を、さらに力強く握る。水中で体温が失われる中、わたし達の手の中にだけは、確かな温もりがあった。

 花帆さんは呆然と状況を見守った後、視線を握られた両の手に移した。それを数秒間凝視した後、再びわたしへと視線を戻した。

花帆「……あはっ。あははははっ」

 すると、なぜか花帆さんは耐え切れないように笑いだした。まさかの反応に、困惑よりも苛立ちが勝った。

さやか「な、何ですか花帆さん。笑うなんて、それは少し酷くないですかっ」

花帆「ごめんっ、ごめんねさやかちゃんっ。でも、嬉しくて、嬉しくてついっ」

 込み上げる笑いを抑えられない花帆さんは、瞼に涙さえ浮かべていた。確かに、少し芝居がかった言動かもしれないが、あれは紛れもない本音の言葉だった。

さやか「もうっ、花帆さんのことなんて知りませんっ」

花帆「ご、ご~め~ん~。許してよさやかちゃ~ん」

さやか「許しません。何度言われても、これだけは譲れませんっ」

 手を離し、そのままそっぽを向いた。花帆さんにお灸を据えるいい機会だ。

花帆「あぁっ、さやかちゃんっ、さやかちゃ~んっ」

 肩を激しく揺さぶられ、じゃぶじゃぶとプールに波が立つ。だが、わたしはその一切に反応を示さない。すると、やがて諦めたのか、抵抗が止んだ。その代わり、後頭部に優しく何かが当たった。

花帆「じゃあ、さ……このままでいいよ。だから、ちゃんと聞いてね、さやかちゃん」

 右耳に囁くようにして言葉が送られる。何となく、むず痒い気持ちになった。

 

24:(ささかまぼこ) 2023/09/01(金) 21:43:27.59 ID:TDHnTpDO

花帆「さやかちゃんが自分の言葉をぶつけてくれたから、あたしも……それに応えなきゃフェアじゃないって思うし……」

花帆「で、でもね、あたしはちょっと……まださやかちゃんほど大胆になれないって言うか、ちょっと臆病だから……」

 いつの間にか両の肩に手が置かれ、訥々と語られる言葉には熱い吐息が混じっていた。

花帆「だから、一回しか言わないから。ちゃんと、その……聞いてね」

 一世一代の決心。そんな覚悟を感じたわたしは、

さやか「……はい」

 短く一言、返答した。すると、両の肩がより引かれ、わたしと花帆さんはさらに密着した。そして、短く吸気の音がした後、

花帆「月が、綺麗だね」

 その一言が耳朶を打った。

 

25:(ささかまぼこ) 2023/09/01(金) 21:44:40.92 ID:TDHnTpDO

 わたしは思わず花帆さんの方に向き直った。彼女の両の頬は月光に照らされて尚紅潮しており、恥ずかしそうにわたしに目線を合わせようとはしなかった。

 そんな彼女の反応が愛おしくてつい、輪郭を撫でるように右頬へと手を当ててしまう。

 花帆さんは肩をややビクつかせ、絶対に合わなかった視線が交差し始める。彼女のつぶらな瞳は、髪と同様に潤んでいるように見えた。

花帆「さやか、ちゃん……」

 花帆さんはそれだけ呟くと、瞼を閉じて少しだけ顔を上げた。プールの中が寒いのだろうか、少しだけ彼女は震えていた。

 そこに、先ほど感じたような浮世離れした印象はない。血色の通った、実に人間らしい表情、そして反応だ。

 それなのになぜ、わたしは吸い寄せられるようにあなたに惹かれてしまうのだろう。

 ……そうか。あなたが月の住人なら、これはきっと万有引力というものだ。

 月の住人が故郷に思いを馳せるように、わたしもあなたに惹かれてしまうのだろう。

 そうして辿る結末は、導かれるように一つだけ。

 先ほどまで聞こえていた、虫の鳴く声や木々のざわめきが一切聞こえなくなる。

 聞こえたのはたった一音。深夜のプールに控えめに鳴った、小さな水音だけだった。

おわり

 

26:(ささかまぼこ) 2023/09/01(金) 21:46:32.88 ID:TDHnTpDO

スペシャルサンクス
あらさん、しうまいさん、もんじゃさん

さやかほSSを書こうと思うのだけれど……
https://fate.5ch.net/test/read.cgi/lovelive/1693218666/l50

 

31:(たまごやき) 2023/09/01(金) 22:08:25.85 ID:Accnb3Ze

めっちゃ良かった。
やっぱさやかほ好きだわ

 

33:(もんじゃ) 2023/09/01(金) 22:44:51.66 ID:A/kJq8mO

すばらしい……

 

34:(もんじゃ) 2023/09/01(金) 23:13:33.76 ID:jePWPS7r

描写がきれいでよかった

 

36:(たこやき) 2023/09/01(金) 23:40:57.38 ID:1jZw6SVY

大事な場面で大胆になれるさやかさんの思い切りの良さが発揮されてて素晴らしいわ
不意を突かれて恥じらう花帆さんも素敵ね

 

39:(たこやき) 2023/09/02(土) 04:06:01.36 ID:KUdzyHJH

素晴らしいさやかほをありがとう……

 

引用元: https://fate.5ch.net/test/read.cgi/lovelive/1693570636/

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