善子「――九つ墓村?」第3話【大長編SS】
よしみ「あの、玄関で善子様に会いたいという方が……」
誰かと尋ねれば、海未と絵里だった。
善子「わかった。広間に通してちょうだい」
もしかして昨日のことを見られたのか。気が気でない心持ちのまま広間へ向かう。
障子を開けて、座敷に入ると海未と絵里が正座して待っていた。
ふたりの顔を見たとき、何か異様な雰囲気を感じた。
海未はこちらの様子を観察するような目つきで、一方の絵里は険しい顔をますます険しくして善子をにらみつけている。
その目はまるで犯人と対峙するかのようであった。
やはり、昨日のことを……。そう思った善子は追い詰められた心境になる。
ふたりと対面するように座敷に座った。上座から一対二という構図で。
善子「あの、何か……?」
絵里「朝早くからどうもすみません。ちょっと聞きたいことがあって、ね」
善子「はぁ」
心臓のドキドキをおさえ、なんとか平静を装う。そして、次に来る質問に備えて身構える。
絵里「……昨日の夜、何をしてましたか?」
善子の背筋に緊張が走った。
昨日のことは無かった。ルビィと口裏を合わせている以上、貫くことにする。
すると、絵里は眉根を寄せてしわをつくる。その次に、こう冷たく言い放った。
絵里「そう。実は昨日の夜――」
絵里「――大食いの尼が殺されたのよ」
善子「えっ……!」
その言葉にギョッと目を見開き、口も大きく開けてしまう。
障子に映った戦闘帽子を被った男のような人物と、明かりの消えた尼寺の景色が脳裏にしっかりと浮かびあがった。
――昨夜見た尼寺では、まさに殺人が行われていた最中だったのだ。
どうしてルビィが抱いた違和感を正直に受け止めて尼寺へ向かい、その帽子を被った犯人を見にいかなかったのか。
こいつこそ、この村で起きた一連の連続殺人犯なのだ。
善子はとても後悔した。そして、声を絞り出して絵里に尋ねる。
善子「また、毒……?」
絵里「いいえ、絞殺よ。手ぬぐいで思いっきり力を込めて、首を締めたみたいだわ」
善子「そう……」
どうしたらいいか言葉に詰まっていると、絵里がこう言ってきた。
絵里「それこそ、指先の爪がはがれて血が出るくらい。相手を掴んで強く抵抗した形跡があったわ」
淡々とした様子で切り出す絵里は、懐からハンカチに包まれた何かを取り出した。
絵里「これは、その死体が握りしめていたものよ――」
絵里「――見覚え、あるかしら?」
ゆっくりと善子の前に置き、包んでいたハンカチを指でつまんでめくりあげる。
善子「あッ……!」
中身を見て思わず叫ぶ。眼前に広げられたハンカチの真ん中に、ブレスレットがあった。
これは下屋で花丸ともめたときに落とした物で間違いない。落とした本人が言うのだから。
善子「これ……私のブレスレット……」
そうつぶやいて、しまったと思った。
絵里と海未の疑惑に満ちた視線を浴びていることに、今さら気づいた。
善子「し、知らないわよ!おととい、それを落としたから……」
絵里「……ずいぶん都合がいいわね。こうも考えられないかしら?」
絵里「犯人は腕にそれをつけていて、首を絞めた。大食いの尼は、必死でもがいた末に腕のブレスレットを掴んでとった、と」
獲物を捕らえた狼のごとく、青い瞳をきらりと光らせた。
絵里「何度も絡まれ、ついカッとなって首を絞めた。動機は十分にあるわ」
善子「んなっ、違う……!」
絵里「さっさと自供しなさい!犯人はあなたね!」
強い口調でいう。この状態になってしまったら、いくら否定しても聞く耳を持っていない。
善子「私は何もやってない……!」
このままでは逮捕されてしまう……。完全に追い詰められた善子はうろたえた。
ならば昨日の、あの尼寺で見た人物のことを正直に話すべきか――そうなると、自分は離れから洞窟をつかって村のあちこちに出没できる存在として、疑惑の目がさらに深まってしまう。
しかも、一緒にいたルビィも疑いをかけられ、蓮華座の遺体も見つかってしまう。
事件はより複雑になって解決はおろか、村は大混乱に陥るだろう。
隠すか、話すか――どっちに転んでも最悪の展開だ。
何も反論できずただうつむいていたとき、善子の窮状を打開する一言が発せられた。
海未「……待ってください、絵里。善子に確認したいことがあるのです」
海未「それなら、犯人の腕にひっかいた傷跡があるはず……」
腕を見せてください、と促された善子は左腕のシャツの袖をまくって、ふたりの目の前にかざす。
海未「……傷やあざがひとつもない、白いままですね」
絵里「確かに……」
絵里「でも、犯人がそれを想定して長袖だとしたら……あっ!」
ハッと気づいて海未の顔をみる。ゆっくりうなずく海未。
海未「シャツの袖の上からブレスレットを着ける人間は、そういないはずですよ」
絵里「……そうね」
絵里「だけど、犯人を指し示すために花丸が握ったということも考えられるじゃない」
海未「……首を絞められている状況で、ですか?意識がもうろうとしてる中で、難しいのでは」
絵里「たしかに……じゃあ、犯人が善子になすりつけるためにブレスレットを握らせたのね?」
海未「でしょう。これでようやく疑問が解決しましたよ」
あなたはではなさそうです、と海未がいったので善子はやっと平静を保つことができた。
善子「ええ」
海未「どこで落としたのですか?」
善子は一部始終を語った。
絵里「じゃあ、花丸と村人に絡まれて、下屋の近くで落としたことに間違いないのね」
善子「……間違いないわよ」
海未「ちなみに、このブレスレットはいつも着けているんですか?」
善子「着けるのは出かけるときと、人に会うときくらいだけよ。とても大事なものだから」
善子「――この村では、ダイヤと親戚に対面したときと、校長の家に行くときに着けたわ」
そうですか、そうですか、と海未が納得したようにうなずく。何か手がかりになったのか。
絵里「ハァ……また捜査は振り出しね。これでは犯人の思うつぼじゃない」
海未「いえ、そうでもないですよ」
えっ、と驚いて海未の顔を見る絵里。つられて善子も注目した。
海未「この花丸の事件……これは犯人にとって想定外の殺人なんです。なぜなら、鞠莉が書いたあの紙片に花丸の名前はありませんからね」
海未「きっと、むつの事件の直後に花丸を殺害しなければいけなかった理由があったはずです。それがわかれば――」
絵里「――ようし!わかったわ!」
唐突に叫んだ絵里にふたりは驚いた。
絵里「そこで口封じのためにやった、動機も十分ね。それが紙片とは別の、想定外の殺人になった!」
海未「そうでしょうか……?」
絵里「そうに決まってるわ!失踪したというのがその答えじゃない。しかも、あの紙片を書いたのも鞠莉本人なのよ」
海未「……」
その主張に対して、海未は沈黙したままだった。
未だに鞠莉があの紙片を書いた謎が解けず、本人の行方もつかめてないからだ。
絵里「花丸の件で中止した山狩り、明日、決行するわ!県警本部からの応援をさらに呼んで徹底的にやるわよ」
そうと決まれば、と座敷を立ち上がる。
海未「では、私は少し別の調査をします」
絵里と共に立ち上がると、挨拶もそこそこにふたりは足早に屋敷を去っていった。
善子「いったいなんだったのよ……」
朝から警部と探偵によって気持ちをかき乱され、すっかり疲れ切った善子は誰もいなくなった座敷でペタリと座り込むのだった。
双子のキャラがAqours、サンシャインにいないため改変しています。
>>364
脱字がありました、訂正します。
それは犯人を特定できないままついに五人目の犠牲者出し、ひとりの失踪者を見つけられない警察への抗議の目であることは明らかだった。
です。校正できてなくて、すみません
絵里「よかったら、乗っていく?」
海未「ええ、お願いします」
警察のジープに同乗し、海沿いまで送ってもらうことにした。
車中、無言の海未に絵里が話しかける。
絵里「……海未」
海未「なんでしょう?」
絵里「なんだか、村の雰囲気が良くないわね」
海未「気づきましたか」
走るジープの車窓から村の様子を見ていた絵里がいう。
先日まで道端で遊んでいた子供たちはパタリといなくなり、畑にいる大人たちはジープを怪訝な顔で見つめていた。
それは犯人を特定でないままついに五人目の犠牲者出し、ひとりの失踪者を見つけられない警察への抗議の目であることは明らかだった。
死んだ花丸が村中に触れ回っていた、九つの死人が出るミュウズの祟りが妄言から予言になりつつある今、村には不穏な空気と緊張が漂い始めていた。
海未「――花丸の事件でボロを出した犯人は焦っています。この数日で一気に計画を遂行してくるでしょう」
絵里「また殺人が起きるっていうの!」
後部座席に顔を向けた絵里にうなずく。
海未「例の紙片とあの洞窟、そして逃げた人影。それを解明しなければ……」
帽子を目深にかぶった海未を見た後、絵里が正面を向いたとき。
絵里「あ、あれは何なのよ……!」
目の前に広がる異様な光景に驚きの声をあげた。
その数は十人ほどの村人の集団で、ときおり怒号があたりに響いていた。
「もうすぐ千歌の初七日だってのに!警察はなにやってんだよ!」
その中で、男より迫力ある大声を張り上げる女がいた。その怒号を浴びつつ、駐在警官と刑事たちが懸命に彼女をなだめていた。
その集団の中心にいるその人物の正体を確かめに、絵里と海未は駐在所のまえにたかる村人をかき分けて中に入る。
海未「おや、あなたは……」
そこには海未の見慣れた顔の人物がいた。
宿にしている十千万旅館を営む高海家の次女、高海美渡だった。彼女は女将の妹であり、第三の殺人の犠牲者の姉である。
高海家三姉妹で最も勝気な性格で短気。この辺の男で彼女に勝てるものはいないとの噂であった。
絵里「一体、この騒ぎは何なのよ?」
村人たちの冷たい視線を浴びながら現れた絵里に、ツカツカと美渡が近づいてきた。
険しい顔つきで尋ねる。
美渡「いつになったらあの善子を逮捕するんだよ!」
美渡「うちの千歌も殺されて、校長先生と大食いの尼も殺された!もう五人目じゃないか!」
美渡「あと何人殺されるまでこっちは我慢しなきゃいけねぇんだ!」
大声を浴びた絵里は怪訝な顔で受け流す。村人たちから美渡に賛同の声がワッと沸き上がった。
おぞましい事の連続で不安と恐怖に駆り立てられた一部の村人たちは、漠然とした怒りを抱えていきり立っていた。
そこで溜まった不満をぶつける先として、警察とくに捜査を指揮する絵里たちがやり玉にあげられ、こうして駐在所に集団で押しかけてきたのだ。
そのリーダーとして先頭に立つのは、妹を亡くした千歌の姉である美渡だった。
絵里「これは警察の仕事よ。もうすぐ逮捕できるから――」
美渡「もうすぐもうすぐ、っていつなんだよ」
絵里「だから……もうすぐ、よ」
いまにも掴みかかろうとする勢いである。さすがの絵里もその剣幕を前にタジタジであった。
美渡「女将……志満姉は千歌が亡くなって、夜な夜な泣いてるんだ。早く善子を縛り上げろ!ミュウズ様の御神木に吊るせ!」
絵里「落ち着きなさい!なんで善子が犯人だなんて……」
声を絞りだすと、決まってるだろ、と吐き捨てるようにこういった。
美渡「二十四年前みたいに、あいつが千歌を惨い方法で殺したんだよ!」
そうだそうだ、俺の妻はあのとき殺された、娘は息子はまだ子供だったのに。などと村人たちの恨み言が美渡の背後から、石つぶてのごとく絵里たちに降り注いだ。
さらに美渡はいう。
美渡「曜――下屋のお嬢様だって、あの善子を疑ってるんだ!」
海未「それ、詳しく聞かせてください」
美渡は詳細を話す。
むつの事件以降、曜は屋敷に引きこもって唯一外出するのは毎日、線香をあげに十千万へ行くのみらしい。
昨日、美渡が善子のことについて話をすると。
曜「……ッ!千歌ちゃんの前であのひとの話はしないでほしい」
と、大変怯えた様子で拒絶したらしい。
むつのとき同行した曜が恐れるのは、きっと何か見たに違いないと美渡はにらんだのだった。
美渡「大食いの尼だって前からあの女が災いの元だって。いま、ここで断ち切らないと祟りが本当に起こってしまうじゃないか!」
絵里「そんな迷信……」
その言葉に対し、村人たちから一気に怒号や抗議の声が飛んできた。
押しかけて村の若者たちは、殺気立った目を向ける。
美渡「……警察がやらないなら、私たちがやるぞ」
美渡「みんなでミュウズ様の怒りを鎮めるんだ!」
その掛け声に、おう、という気勢が一斉にあがった。あわてて絵里が収拾する。
絵里「ま、待ちなさい!明日、県警からの応援も来て大規模な山狩りをするつもりよ!そこで犯人が見つかるわ。目撃情報もあるの」
必死に美渡たち村人へ説明した。鞠莉が犯人であること、その影と思われるものを昨日の夜、山で発見したことを全て話す。
絵里「……だから、今日のところは解散しなさい。じきに、事件は解決するから!」
その言葉でようやく美渡ら村の者たちは、不満げながらもバラバラと散っていった。
海未「どうなるかと思いましたよ……」
絵里「……まずいわね。このままだと暴動に発展しかねないわ」
もはや若い村人たちは暴発寸前である。深刻な顔で腕組みしたあと、刑事を呼びつけて指示した。
絵里「県警本部に応援の増員を要請してちょうだい、なるべく早くと言いなさい」
絵里「……昔のよしみで警視庁予備隊を動員できるか、掛け合ってみるわ」
そういうと、電話機のダイヤルを回した。
絵里「もしもし私よ。ええ、本部長につないでちょうだい」
海未「――絵里、私は下屋と村はずれの寺の住職に行きます!」
ふと思い出したかのように、海未は急いで駐在所を飛び出していった。
絵里「あっ、海未!まったく……」
こうして九つ墓村に、どす黒い不穏な空気が徐々に漂ってきたのだった。
昨晩、遅くまで洞窟探検をしていたこともあって、絵里と海未が帰ったあと離れにすぐ戻り、横になってただただ時間を潰していると。
昼前にルビィがやってきたので、起き上がった。
ルビィ「善子ちゃん。朝、警察の人が来てたよね?」
善子「ええ。昨日の夜、大食いの尼が――」
海未たちから聞いたことを全て話すと、ルビィは驚いてガタガタ震えていた。
ルビィ「じゃあ……あの影が花丸ちゃんを……?」
善子「そうみたいね。でも、私たちのことは内緒にしたわ」
善子「……変な疑いをかけられたくないし」
ルビィ「うん……」
善子「ねえルビィ、あの影の人間に見覚えは?復員軍人が被るような帽子を村でいつも被っている人は誰かいる?」
ルビィ「被ってるとしたら……あ、嘘、信じられないよぉ……」
善子「教えて、誰なの?」
ルビィ「――聖良さんだよ。外で会うときいつも被ってるから」
すっかり怯えた様子でいう。善子の脳裏に、あの鬼の口で出会った聖良の恰好がくっきりと浮かび上がってきた。
あの場面を思い出しつつ、一連の出来事を善子は推理してみる。
聖良はいつも人目を避けて夜の村をうろついていた――彼女なら村の洞窟を知っていてもおかしくない。昨日、海未と絵里が洞窟で見た人物は聖良ではないか。
なにか犯人と分かる証拠を尼に目撃され、首に巻いていた手ぬぐいで絞殺。復員服は布が丈夫だから、爪で引っかかれても腕に傷はつかないはず。
聖良はちょうど下屋の近くに落ちていた、自分のブレスレットを拾っていて、罪をなすりつけるために握らせた――
善子「……明かりを消したのは発見を遅らせるため。だけど、大食いの尼は電気をつけっぱなしで寝る生活だから、ルビィに怪しまれたのね……」
ルビィ「善子ちゃん、どうしたの……?」
善子「あ、いや……なんでもないわ!」
独り言をつぶやく姿に困惑していたルビィに気づき、ごまかした。
ルビィ「でも、聖良さんが犯人だなんて考えられないよぉ……」
ルビィ「あのひとは真面目で負けず嫌いな性格なんだぁ。今の立場に落ちても、お姉ちゃんや果南様に頭を下げず、なんとか生活を立て直そうとしていたの」
ルビィ「いつか、函館の親戚に預けている妹の理亞ちゃんを引き取って、一緒に過ごすんだって頑張っているんだぁ」
ルビィ「犯人は聖良さんじゃないとルビィは思うな」
そんな純粋な姉に、善子は少し意地悪なことをいった。
善子「でも、この家の財産は魅力的よ。そんな人間でも魔が差す、なんてこともありえるわ」
ルビィ「……もうっ、善子ちゃんの意地悪!」
ルビィ「犯人は行方不明の鞠莉さんかもしれないじゃない……」
善子「どうしてそう思うの?」
姉の推理に興味が湧いてきて、身を乗り出す。ルビィは、これは内緒だよぉ、と断りを入れてから語りだした。
ルビィ「あとね、選挙協力を頼んだ校長先生と十千万の女将さんにも断られたの。もちろん、お姉ちゃぁが手を回したんだけどね……」
善子「なるほどね」
鞠莉が手帳にあの奇妙なことを書いた理由がなんとなく理解できた。拒絶した黒澤家と周囲に対する当てつけだったのだ。
――その紙に書いた通りに殺人を行ったとしたら、つじつまが合うわね。
善子は納得した。
善子「動機は逆恨み。ミュウズの祟りに見せかけて私を犯人に仕立て上げる気だったのね……」
あごに手をやって思案にくれていると、ルビィがパンと手を叩いた。
ルビィ「はい、探偵ごっこはおしまい。そういうのは警察に任せて。鞠莉さんが見つかればわかることだし」
善子「でも――」
ルビィ「――そろそろお昼ご飯だよ、食べに行こう」
時刻はもう正午。何をしていなくても腹は減るものだ。
善子「そうね」
立ち上がったふたりは母屋へ向かった。
活発な性格なら、こういう状態は退屈で仕方ないだろう。だが、もともと家で過ごすことが多い善子にとって何の苦にもならなかった。
そもそも、外に出たところで村人に何されるかわかったもんじゃないし……。
畳の上で寝そべり、本のページをめくる善子はそう思った。
善子「今日はなんかだるいし、洞窟に入るのは明日にしよう……」
夕食から離れに戻ってそうつぶやいた善子は、座卓で天使大辞典を開いたとき。
よしみ「……善子様、果南様がお呼びです」
障子越しに声をかけられた。きっと、あれだ――
善子「わかった。いまいくわ」
返事して立ち上がる。一度経験したとはいえ、あの異様な威圧感を放つ果南の前に座るのは神経をつかう。
相手は黒澤家のために毒殺もいとわない、光と影を使いこなす老獪さを持つ女傑。
高鳴る心臓の鼓動を抑えつつ、よしみの案内で母屋の奥、果南の部屋へ。
よしみ「……果南様、善子様をお連れしました」
果南「んっ、入っていいよ」
果南「おっ、善子、ここに座って」
善子「はい……」
ピンと背を伸ばして正座する。
果南「……最近、悪い事ばかり続いて眠れてないのかなん?」
善子「えっ……?」
その問いかけにどきりとする。まさか、昨日の夜のことを知っているのか。
そのすべてを見通しているかのような紫の瞳を向けられ、思わず目線をそらした。
果南「ま、無理もないか。この村に来てあんなことばかり続くもんだから……」
善子「はぁ……それで、ご用はなんでしょう……?」
果南「今日は善子がぐっすり眠れるように、酒をごちそうしようと思ってね」
果南「……ほら、飲んで」
よしみに用意させた道具をつかい、果南は例のわかめ酒をつくって善子の前に出した。
――なるほど。今夜は離れの抜け穴から、蓮華座にある輝石にお参りするのね。
前回とは違って、意図を察した善子。果南の不気味な意図がわかっていれば、少しは気を確かにもつことができる。
善子「いただきます……」
一気にわかめ酒を飲み干す。相変わらず、この奇妙な味には慣れることができない。
果南「さ、善子。もう休み」
善子「……失礼しました」
こうして、ほろ酔い気味に果南のもとを去った善子は、離れの床についた。
何時間、寝ていたのだろう。わかめ酒の効能により、ぐっすり深い眠りに落ちていた善子は突然、何者かに激しく揺さぶられた。
善子「んあっ……よしみさんか。もう朝なの――」
よしみ「善子様!大変なんです……!」
寝ぼけまなこをこすりながら上体を起こす。
そこには、恐ろしいものを見たかのように顔を青ざめたよしみが枕元にペタリと座っていた。
すっかり唇は真っ青で、肩はガタガタと小刻みに震えている。
善子「……なにか、あったの?」
そのただならぬ様子に、すっかり眠気も吹き飛んでしまった。
一瞬、よしみは目を伏せたが、すぐに善子をまっすぐ見つめ、声を絞りだす。
よしみ「か、果南様が、果南様が……!」
善子「……どうしたの、ねえ!」
いよいよ震えが止まらず、言葉に詰まるよしみ。善子はその両肩に手をやってゆさぶる。
ようやく正気を取り戻したよしみは、大声でこう叫んだ。
よしみ「――甲冑を着た輝石様にさらわれたんですッ!」
善子「ええっ……!」
蓮華座に鎮座する鎧武者と化した黒澤輝石は死んでいるはずだ。それはルビィと一緒にこの目で見たのだから間違いない。
よしみ「ほ、ほ、本当なんです!き、輝石様がうごご……!」
善子「落ち着いて!まず何がどうなっているか説明してよ」
興奮のあまり過呼吸ぎみで途切れ途切れに言葉をつむぐよしみ。
それに対し、布団から出て座敷の明かりつけた善子。目を向けた壁掛け時計の針は午前三時すぎをさしていた。
とにかく冷静に話すよう、よしみに求めた。
よしみ「少し前です、善子様が床についたとき――」
よしみの話はこうだ。
わかめ酒によりぐっすり寝落ちした善子を確認した果南とよしみは、納戸から洞窟に。いつもの蓮華座にある鎧武者への参拝に向かった。
ミュウズの祟りを連想する奇怪な連続殺人が続いているため、災いを鎮めるよう果南が線香をあげて祈りを捧げていると。
いきなり鎧武者が動き出し、蓮華座から下の果南へ飛びかかってきたらしい。突然のことに動けなかった果南は、倒れてきた鎧武者に覆いかぶさられ、頭を強打。
果南がうめき声をあげるなか、よしみは恐ろしさのあまりその場を逃げ出した。
そして離れの善子へ助けを求めようと必死に納戸へ戻って――今に至る、とのこと。
よしみ「本当です!どうか、どうか果南様をお助けください……!」
安心感と恐怖が同時にこみ上げてきているのか、よしみは泣きながら善子に懇願する。
この奇怪な出来事に恐ろしさを感じたが、果南を見過ごすことはできない。謎の勇気が身体の奥底からわいてきた。
善子「わかったわ、蓮華座ね。早くルビィを呼んできてちょうだい」
指示を出すと、すぐに着替えを始めた。
シャツに袖を通して、懐中電灯の確認をしていると、離れの奥からドタドタとあわただしい足音がしたかと思うと。
ルビィ「善子ちゃん!」
寝間着姿のルビィが座敷に飛び込んできた。善子が手短に事情を話すと、同行を申し出た。
ルビィ「ル、ルビィも行く……!」
善子「何言ってるの、危ないわよ!遊びじゃないの!」
ルビィ「ぅゅ……でも、果南様が危ないなら行く!絶対行くよ!」
この小さな体と幼い顔のどこから、こんな勇気と覚悟が出てくるのかしら……。
善子「……わかった。危なくなったら、すぐ逃げるのよ」
善子は感心して根負けせざるを得なかった。
こうして、ルビィと善子は果南捜索のため、納戸の抜け穴から洞窟へ入ったのだった。
ルビィ「大伯母様ー!」
ふたりは声をかけて歩いていく。
途中の白い洞窟でその声が何度も何度も反響して奥へ届いたが、果南の返事はまったくなかった。
善子「とにかく、蓮華座にいかなきゃ」
ルビィ「うん」
懐中電灯を照らしながら足早に進む。
ルビィ「そういえば――」
善子「ん?」
ルビィ「よしみさん、驚いていたね」
善子「まあね」
善子は小さくうなずく。
先ほど、準備を済ませて納戸の抜け穴に向かうとき、よしみが地下道の案内を申し出たが。
善子が、もう知ってるから休んでいて、というと面食らった顔をしていた。
善子「果南様が見つかったら、あとでどう言い訳したらいいのか……」
ルビィ「そのときは善子ちゃんと一緒に怒られるから、安心してね」
しばらく歩いていくと、問題の場所に到着した。
ルビィ「あれ?この匂い……」
善子「線香ね」
前回訪れたときと違うのは、線香の香りで空間が満ちていること。
ここは空気の流れがないため、立ち上った煙や香りは長い間、漂っているみたいだ。
きっと果南がつけた線香に違いない。
善子「あの石の台座から匂ってくるわね」
ルビィ「き、気を付けてね……」
勇気を振り絞って奥の鎧武者が安置されていた場所へ進む。気休めの用心として慎重に身構えて進んでいった。
あのときのように懐中電灯で奥の方を照らし続けるが、鎧武者は蓮華座から姿を消していた。
善子「嘘でしょ……」
ルビィ「ピギギ……」
まさか本当に動き出したのか。よしみの言葉を信用していなかった善子は驚く。
ルビィもすっかりおびえ、善子の背中にまわって隠れていた。
善子「線香の煙がまだ立ち上っている……そんなに時間がたってないってことね」
ルビィ「みて善子ちゃん、あれ……!」
震える指で指し示す方向に目をやると、そこには。
あお向けで倒れている鎧武者がいた。あたりを注意深く見回しても、それに覆いかぶせられたはずの果南の姿はない。
突然起き上がってくるのではないか、と用心しつつ甲冑に近づく善子とルビィ。
中身の正体をつきとめようと顔を覗き込む。
善子「……これ、父よ」
ルビィ「ほんとだ……」
そこには、洞窟の真上を虚ろな目で見つめる黒澤輝石がいた。当然、生きている様子はない。
ルビィ「やっぱり死んでるよぉ……」
善子「中身が何かと入れ替わったというわけじゃないのね」
ルビィ「じゃあ、なんで動き出したんだろう……?」
善子「……いまは考えている暇はないわ。ここにいないなら、果南様は奥の洞窟よ」
善子「さあ、行こう」
ルビィ「……うん」
蓮華座のさらに奥へ進む。
ルビィ「どこにいるんだろう」
善子「この先は針千本ね……」
細長い洞窟を出たふたりは次の空間にたどり着く。
そこは善子の立つ位置より深い谷になっていて、その先にある白玉の池まで谷の縁に沿って歩いていくようになっていた。
善子「足もとに気を付けてね」
ルビィ「うん……」
うっかり足を滑らせて落下すると、谷底から無数に生えている石筍たちに串刺しにされてしまう。
その恐怖と隣り合わせで善子たちは周囲を照らしながら、歩いていく。
善子「なにか落ちてるわね……」
すると、ルビィが声をあげた。
ルビィ「……これ、果南様の下駄だよぉ!」
善子が持つ懐中電灯が照らす先に、果南が履いていたであろう下駄の片方が落ちていた。
そのすぐ横は真っ暗な谷底が口を開けている。
――嫌な予感がする。
善子は背筋がぞくりとした。
善子「ルビィ……この谷底を一緒に照らしてみよう」
ルビィ「えっ、うん……」
下駄が落ちていた谷のふちに立ち、一斉に底へ光を降り注ぐと。
善子「……ヒィッ!か、果南様……!」
ルビィ「ピギャアアアア!」
目の前に果南がいた。
まるで糸が切れて無造作に置かれた操り人形のように、手足があらぬ方角へ向いた、ねじれた無残な姿で。
谷底に身体が張りつき、その太ももや腹、首まわりなど身体のやわらかい部分を鋭利な石筍が貫き、その先端を深紅に濡らしている。
確実に生きていないと、医者でもない善子でさえ分かる状態だった。
善子「果南様をさらって、ここから投げ落としたのね――」
善子「――なんでこんな恐ろしいことを……!」
ルビィ「あ……あぁ……あ……」
大伯母のおぞましい死に様を目の当たりにし、ルビィは身体の震えがとまらなかった。
このまま気を失いそうなほどショックを受けていたが、場所が場所だけに精神力だけでなんとか立ち続けていた。
さすがの善子も言葉を失って、ガクガク膝を震わせていた。
善子「と、とにかく、警察を呼ばないと」
善子「ルビィ、歩ける?離れに戻ろう」
泣きながら震える姉の体を支え、善子は離れに戻る道を進む。
善子「もう私たちでどうにかなる状況じゃないわ……抜け穴のこと、全部教えないと……」
こんな状態のルビィと共に、このまま犯人を追跡するのは危険と判断。もはや絵里と海未の力を借りないといけない事態になっていた。
ルビィ「怖い、怖いよぉ……」
善子「大丈夫、大丈夫だから」
ほんの気休め程度の言葉をかけ続けた。
きっと一連の事件を起こした犯人の仕業に違いない。しかも、この地底世界に潜んでいる。
この洞窟を駆使し、村のあらゆる場所に現れて、あの紙の通りに人を殺していく。
果南をさらい、針千本の谷へ投げ落とす容赦のなさ。
――鞠莉にせよ、聖良にせよ、冷酷非道で尋常じゃない精神の持ち主よ。
介抱しながら善子は恐ろしくなって背筋が凍る思いがした。
離れに戻って、ルビィを寝かせると駐在所に電話をかけて到着を待った。
絵里「海未の言った通りね……」
海未「ええ」
頭に手をやる。想定より早い動きで裏をかいてくる犯人に戸惑いの表情に浮かべていた。
他の警官たちには、絵里の指示で鬼の口とミュウズの祠の穴を固めさせた。
目撃情報もない鞠莉が洞窟にいるとにらみ、本格的に洞窟の捜索をするつもりである。
玄関を上がり、離れへの長い廊下を歩きながら会話する。
絵里「頼んだ警視庁予備隊、三日後の朝に県警の応援と東條隊長以下二十名が到着予定よ」
海未「それはよかった。これでなんとかなるかもしれません……」
安心した海未。そこで絵里が、それにしても、と続けた。
絵里「まさか、この屋敷に抜け穴があったなんて……初耳よ」
海未「……まずは確かめてみましょう」
なぜ教えなかったのだ、という不満顔の絵里と共に離れに入った。
絵里「抜け穴のこと、詳しく説明してもらえるかしら?」
善子「わかったわ。まず、見た方がいいと思うから……」
こっちに来て、と立ち上がると絵里たちと一緒に納戸へ向かう。
全員が見守るなか、善子が収納箱を動かす。
善子「ここから、洞窟へつながっているの」
海未「ほう……これが……」
四角く真っ暗い地底世界への入り口が現れたとき、海未が驚嘆の声をあげた。
そして、憮然とした表情を善子に向けていった。
海未「……私はこういったはずです。重大な情報があったらお伝えください、と」
海未「あなたはいま、疑惑の中心として非常に不利な立場になっていますよ」
善子はなにも言うことができなかった。まさか、ここまで事態が悪化するとは。
絵里「とにかく、入るわよ」
絵里「案内、してくれるわね?」
善子「はい……」
果南の遺体収容と、潜伏しているであろう鞠莉の捜索隊が結成。
ロープや懐中電灯など装備を充実させて、善子たちは洞窟へ入っていった。
善子「ここが蓮華座。この先にある谷で果南様が死んでいたの」
昨晩の出来事を全て話す。
絵里「あれが動いたという噂の甲冑ね……」
光を当てて、海未と共に近寄る。中に入っている人間を見て、思わず声をあげた。
絵里「ヒッ……!」
海未「これは……」
善子「黒澤輝石よ、三十六人殺しの」
父がどうしてこの姿になっているか、いきさつを二人に話す。もう隠す必要はない。
絵里「なんてこと……」
海未「これが屍蝋化ですか」
絵里「死体が動き出すなんで、ありえないわ」
海未「確かに。そう見えるように仕組んだのでしょう」
絵里「一体誰が……?」
その問いに答えず海未は注意深くあたりを観察し、蓮華座と鎧武者を交互に見た。
そのあと海未は蓮華座によじ登り、台座の周囲を調べていた。しばらくして、突然大きな声をあげた。
海未「わかりました!この鎧武者がなぜ動き出したか!」
まるで演説するかのように、真上の蓮華座に立って推理を披露した。
海未「当然、その通り道であるこの場所も知っていた」
海未「昨晩、犯人はここを通りがかかった。そこで偶然にも果南たちがお参りにやってきたんです」
海未「犯人はあわてて、鎧武者の背後に隠れた。それを知らない果南はこの真下で祈り始めた」
海未「それを好機とみて、犯人は標的を果南に変え、この位置から鎧武者を落とした。このように――」
そういうと、勢いよく蓮華座から飛び降りた。
海未「同行者のよしみから見て、飛びかかってきたように見えたのはこのためです。果南は落下してきた鎧武者の下敷きになった」
海未「恐怖でよしみが逃げ出したあと、犯人は降りて負傷した果南を担いで連れ去った。落とした鎧武者が仰向けなのは犯人がひっくり返した証拠――つまり第三者の存在を示しています」
絵里「なるほどね」
鎧武者が動き出した謎を解いた一行は、問題の針千本へ向かった。
海未の推理が正しいとすると、昨日殺される運命だったのは果南ではなく自分だったのだ。
この屋敷が村で唯一安全な場所だと思っていたのに……。
恐ろしさのあまり、血の気が引いた。
幸い、この表情は誰にも見られることなく針千本の谷に到着する。
善子「この谷の下よ。慎重にね……」
一同がライトを向けて果南の変わり果てた姿を目視で確認した。
絵里「あなたたち、頼むわね」
頼もしい男手の刑事たちに指示を出し、遺体収容を任せた。
ロープをつたって降りていく彼らを見送って、善子たちは鞠莉の捜索に移った。この事件で最も犯人の候補としてあげられ、同時に善子の立場を保証する人物である。
地下道をくまなく捜索しながら進み、一行は白玉の池に到着した。
池の周囲を見渡したあと、怪訝な表情で善子を見た。とっさに目を反らす善子。
こうして絵里たちは、湖岸と周囲の探索を始めた。
前回の調査では人影を見て追跡したため、中途半端に終わっていた。
絵里「湖の向こう岸の穴……こんなに探しても痕跡がないなら、あそこが怪しいわ」
海未「池が深い以上、湖岸に沿って行くしかなさそうですね」
奥の洞窟に最も近い湖岸に立って調べると、何かを見つけた。
絵里「ちょっと海未、来て、来て」
海未「どうしました」
絵里「これみて……湖岸の岩に杭が……」
指をさした先に、赤さびた鉄製の杭が均等な間隔で打ち込まれている。これを足場にして湖岸の向こうへ行けるみたいだ。
海未「だいぶ古いようですね。念のためにロープを湖岸の鍾乳石に巻いて、行きましょう」
絵里「そうね……私が先頭で行くわ、ロープを巻いていくからそれをつかみながら渡ってちょうだい」
海未「お気をつけて」
絵里を先頭に湖岸の杭に足をのせ、海未と善子はロープを命綱にしつつ、慎重に渡り始めた。
どうか抜けませんように……。
錆びた杭に足をかけながら、祈るように心の中で何度もそう念じた。
これは、二十年以上前に洞窟の調査をしていた校長がつけたものかもしれない。きっと、白衣観音やウトウヤスタカへ繋がる大事な話のひとつとして伝えたかったのではないか。
複雑な思いをかかえつつ、ようやく善子は向こう岸にたどり着くことができた。
そこは平たい湖岸だった。背後に目をやると、突き出た岬のように洞窟の岩壁がせり出している。三人はその岩壁をつたってきたのだ。
せり出した岩壁のおかげで、向こう岸からこちらを見ることはできない。なるほど、潜伏するにはうってつけの場所である。
周囲を懐中電灯の光で照らして捜索する。海未がここの湖岸を中心に捜していると、透明度の高い池の底に何かを見つけた。
それ、が何かを理解した瞬間。白目をひん剥いて口を大きく開けた。
海未「ああああっー!」
叫ぶと同時に腰を抜かし、その場にへたり込む。取り落とした懐中電灯が地に落ち、あらぬ方向を照らす。
絵里「どうしたの海未!」
善子「ちょっと、ねえ!」
海未「あ、あれを……あの池の、中です……!」
駆け寄ってきたふたりに震える指で示す。すぐにふたりも追うように、懐中電灯を片手に池を覗き込んだ。
水の中に小原鞠莉がいた。生気のない目を見開き、苦悶の表情で。皮膚が水を吸いはじめたのか、白い肌がさらに白くなってきていた。
まるでこちらを見上げているような上目遣いで、水底に足を向けて垂直に沈んでいる。
水面越しにその水死体と、思わず目を合わせた善子は吐き気がこみ上げてきた。
善子「ウウッ……!」
弾かれるようにその岸辺から離れた。
絵里「死因は水死?罪の重さに耐えかねて自殺したのかしら……?」
鞠莉から目を離し、海未へ尋ねた。すでに平静を取り戻していた海未は周囲を探索しつつ、答える。
海未「いいえ。きっと、犯人に殺されたんでしょう……」
ちょっと見てください、とふたりを手招きした。
海未「……飲みかけのコーヒーカップと、食いかけのサンドイッチがありますね」
海未「これはおそらく、犯人が鞠莉に食事を提供していたのでしょう。彼女は料理が苦手だというのは、周囲の証言で明らかです」
海未「失踪時に用意する余裕はなかったでしょうからね」
海未「犯人は、コーヒーに毒物を入れた。コーヒーは彼女の好物らしいですから、何の疑問も抱かずに飲んだのでしょう……」
海未「そして殺害し、ここに沈めた。罪の重さに耐えきれず、水死したように見せかけた」
遺留物を見て推理した。
海未「あとで魔法瓶とカップの中のコーヒーを調べさせれば、わかることでしょう」
善子「ひどい……」
思わずつぶやいた。
犯人として疑われた鞠莉は、ここで隠れている中、きっと心細かったに違いない。
唯一の楽しみは、ある人物が定期的に提供するこの食事だったはず。
まさか毒が入っていて、その人物こそが彼女を追い詰めた存在だったとは知らないまま、苦しみ悶えながら死んだのだ。
犯人は、嬉々として毒入りコーヒーを飲む鞠莉を平気な顔で眺めていられる精神力を持っている。
善子は身震いした。
その物たちを注意深く見つめていた絵里が小さな紙片が落ちていることに気づく。
絵里「ねえ、ちょっと、見てちょうだい」
ふたりの前に見せた。それは破り取った小さな紙で、そこには。
学校長むつ、医師小原鞠莉、と書かれていた。さらに両方とも名前の上に赤い塗料で一本線が引かれていた。
海未「これは……あの紙から破りとられた部分ですね。きっと犯人が置いたのでしょう」
絵里「待って、犯人は誰なの?有力な被疑者は水の中よ」
困惑した顔を向ける絵里に対し、海未は頭に手をやって。
海未「……わかりません」
絵里「ええっ!わからない……?」
海未「はい。ただ犯人は鞠莉が書いたこの紙片を利用し、犯人に仕立て上げ、本人を失踪まで追い込んだことだけは明白になりました」
海未「しかしなぜ、鞠莉はこんなものを書いたのでしょう……?それがわからないんですよ」
再び頭に手をやって悩む海未。そこに善子が声をかけた。
善子「もしかしたら、その理由に心当たりがあるわ」
一斉にふたりの注目を浴びた。
海未「なるほど、なるほど!これで紙片の謎が解けました!」
ありがとうございます、と興奮気味に善子に礼をいった。
絵里「お取込み中、悪いんだけど……とにかく戻りましょう。外の警官を呼ばないとね」
絵里の一声で我に返った海未は、善子と共に杭をつたって再び池の向こう岸に移動した。
その後、絵里が出入り口の穴を固めていた警官に指示を出し、遺体収容に協力してもらった。
木で組んだ即席のイカダをつくらせて洞窟に入れ、池から引きあげた鞠莉を乗せて岸へ。すぐその場で検死を行い、溺死ではなく毒殺だと判明。
そして魔法瓶やカップからも青酸カリの反応が見られた。
絵里「死亡時刻は――」
鑑識官から受け取った報告を読み上げていく。どうやら果南が殺害される数時間前だったらしい。
海未「おそらく鞠莉を始末して、屋敷への侵入を試みたときに果南と遭遇したみたいですね」
絵里「まったく、いつもヤツは上を行くわね……」
恨みがましい声を絞り出し、布をかけられて担架で運び出される鞠莉を見つめた。
海未「絵里、ちょっと外に出ます!」
絵里「えっ……ちょっと待ちなさいよ!」
海未「大至急、東京の花陽に連絡を入れないといけない用事ができましたので」
海未「あと、しばらく村を離れます!明日には帰りますから!」
何かに急かされているように、急ぎ足で池から最も近い出口へ駆けていった。
海未の唐突な行動にあっけにとられたまま、取り残された善子と絵里。
絵里「まったく、いつも通りね……」
善子「こんな調子なの?」
絵里「いつも何考えてるかわからないのが、園田海未なのよ。ココのつくりが違うからね」
苦笑して、おでこを指で指し示す。
こうして捜索を終えた。鎧武者こと、輝石については絵里が秘密にするよう厳命し、蓮華座に倒れたまま放置された。
結局、今日一日で二人の死人が村から出てしまった。
そして最も犯人と目されていた鞠莉の死により善子の立場は、村の中でいよいよ厳しくなっていた。
ほぼ密葬同然で、ダイヤの本葬と比べ、参列者は善子やルビィなど近い親族のみ。
あまりにも寂しく、わびしい葬儀だった。
また喪主の善子にとっても、ショックを受けた出来事があった。
それは、曜の態度がいつもの親しげな様子から一変し、どこかよそよそしく素っ気なくなっていたことだ。
善子「あ、曜」
曜「……ご、ごめんなさい!このあと千歌ちゃんの初七日だから、またの機会に」
善子「あっ……」
東京にいる渡辺家当主の代理として参列した彼女に、善子が話しかけようとしたが、そそくさと逃げるように屋敷を出て行ってしまった。
それを悲しい目で見送っていた善子。ちょうど近くにいた奉公人たちが、逃げる曜を見てヒソヒソとうわさ話をしているのを耳にする。
聞き耳を立てて得た要点を以下にまとめるとこうだ。
どうやら、ミュウズの祟りを恐れているらしかった。善子が村に来てから短期間のうちに、七人も死者が出ていることに怯え、下屋に引きこもっている。
今回の葬儀に渡辺家当主が来なかったのは、祟りを恐れて参列しないように曜が働きかけたのではないか。
そういった噂をしていた。
善子「……」
曜に突き放され、自分はついに村で決定的に孤立していることを表しているようで、なんだか心が辛くなってきた。
いたたまれない思いをしながら、善子はすぐに奥へ引っ込んだ。
善子が葬儀を行っていた広間に戻ると、声をかけてきた人物がいた。振り向くと、復員服を着た鹿角聖良だった。
聖良「この度は、心よりお悔やみ申し上げます」
善子「どうも……」
聖良より頭を小さく下げた。善子の胸中において、最も犯人として疑わしい人物だった。
早く彼女から離れたい、そう思ったものの、聖良は今まで見たことのない饒舌ぶりを見せた。
聖良「今後は大変なことが起きたら、ぜひ相談してください」
聖良「こんな身の上ですが、力になれるよう手助けさせていただきますので」
善子「あっ、ありがとうございます……」
戸惑いを隠しつつ作り笑いで応じた。終始丁寧な彼女の言動に、おごりや嫌味は感じられない。
それがかえって、彼女を不気味な存在に押し上げた。
こんなに話しかけてくるのは、自分を毛嫌いするダイヤや果南が死んで、彼女らの目を気にせず黒澤家の敷居をまたげるようになったからだろう。
もう本家には自分に一定の理解を示すルビィと、東京育ちの余所者の善子しか残っておらず、聖良にとって居心地がよくなったのは事実だ。
ダイヤと果南の死で一番得をしているのは、聖良ね……。
従姉妹と軽く会話を済ませた善子は、心の中でそう思った。
顔色が良くないルビィもすぐに奥へ引っ込んでしまったので、再び一人で東京から持ってきた西洋式占術の本を開いて、日中の時間を座敷で潰していると。
よしみ「善子様……園田様と絢瀬警部が至急、お会いしたいと」
呼び出しを受けた。
まさか、あの警部が再び自分を犯人扱いしてくるのではないか。
そう思って廊下を歩きながら、ため息をついていたが、ふたりを待たせている座敷に入ってみると雰囲気が少し変わっていた。
いつもにらんでくる絵里は、海未と一緒に深刻そうな顔で善子を迎えた。
絵里「……今日は大事な話で来たの」
善子「で、いったいなによ?」
ぶっきらぼうに尋ねる善子の前に、絵里はスーツの胸ポケットから茶封筒を出して、置いた。
絵里「今朝、静岡の県警本部にこれが郵便で届けられたの」
絵里「消印は九つ墓村の郵便局。そして内容は……まず、自分で確認してちょうだい」
促された善子は封筒を手に取り、中の紙を取り出して広げてみる。
――内容を要約すると、こうである。
なぜ黒澤善子を逮捕しないのか!
輝石の血を引くあの者が来てから、殺人が始まったのだ。
ミュウズ様の怒りに触れた村は一気に血で染め上がる。
厄災の根を絶ち、祟りを鎮めよ!
さもなくば二十四年前よりも多くの死が満ちあふれるだろう。
――以上だった。
善子「……これ……本当?」
黙読した善子は、ワナワナと両手を震わせた。それが紙に伝わり、ユサユサと揺れる。
激しい心の動揺が身体に現れていた。
絵里「――何者かの投書よ。どちらかというと、告発状かしら」
しっかり正面を見据えたまま、答えた。
海未「それだけではありません」
続けて海未が話す。
海未「――村では、役場と集会所のいずれも玄関に貼り付けられていたそうです」
善子「村にも……」
絵里「ええ。恐らく昨日の夜中に何者かが貼り付けたと思うわ。」
絵里「こんなもの、本来は下らないイタズラとして扱うけど……状況が状況よ」
こちらをしっかり見すえて、こういった。
絵里「――あなたは数日間、この屋敷に足止めをしてもらうわ。外には一切出ないこと」
善子「もとよりそのつもりよ」
海未「なら安心です」
くれぐれも戸締りなどご用心を、と念を押された。
この怪文書のことと、注意喚起をしただけで海未と絵里は帰っていった。
いつものように犯人扱いしてくる絵里がそういうことをしないってことは、ついに犯人の手がかりをつかんだのね……。
ここ数日、気の休まらない出来事ばかりだった善子は、ようやく安心することができた。
だが、そのあとに起きた大事件が善子を一気に追い詰め、身も凍る恐怖と悲哀に満ちた体験の始まりだとは思いもよらなかった。
突如、寝静まった黒澤家の周囲で雄たけびに似た、大きな気勢が四方から上がってきた。
それは、おーう、という戦国時代の武士がこれから戦をするときに出す、ときの声に似ていた。
善子「にゃぁっ……んなっ、何よ……!」
思わず飛び起きた。離れにいる善子でも十分に聞こえるほど、それは大きかった。
屋敷の外で大声があがった直後、パラパラと屋根瓦を打つ音が聞こえてくる。
それが、何者かの投石だとわかったのは、どこかで窓ガラスが割れる音と、庭石や灯篭にあたってコロコロという固い音を立てたときだった。
一体だれがこんな事を……。
急いで寝間着から動きやすい服装に着替えているときに、急ぎ足でやってきたルビィが障子をあけ放って。
ルビィ「善子ちゃん!逃げて、早く逃げてッ!」
肩で息をしつつ、恐怖に顔を歪めながらルビィが叫んだ。
善子「いったいどうし――」
ルビィ「――村の人達が、善子ちゃんを捕まえに、大勢で家に押しかけてきたの!」
善子「ええっ……!」
驚愕のあまり絶句した。
ルビィ「ミュウズ様の怒りを鎮めるために、善子ちゃんを捕まえて……祠のそばの御神木に吊るすって息巻いているの!」
御神木に吊るす、ということはすでに生きていない状態にして、神への供物として捧げて許しを請う気なのだ。
ルビィ「とにかく逃げて!正門は頑丈だけど長くは持たないの、早く納戸から洞窟へ……」
――常軌を逸している。
一連の殺人事件は冷酷な人間の仕業だ。それをミュウズ様の祟りとして思い込んだ挙句、よそから来た自分を元凶として排除しようとする村人の身勝手さに、善子の身体から怒りの感情がふつふつと湧いてきた。
善子「いやよ、絶対、絶対に逃げないわ!ひとりで来れないからって、集団でくるような意気地なしどもに逃げるなんて嫌よ!」
善子「相手のリーダーは誰なの?そいつと話をつけて――」
ルビィ「――だめっ!だめぇ!みんな二十四年前を思い出して、怒りと恐怖に支配されて興奮しているの!」
ルビィ「いまはどんな正論や理屈だって、長年染みついた祟りへの恐怖には勝てないんだよぉ!」
ルビィ「お願い、おねぇちゃぁの言うことを聞いて……!」
鼻息を荒くした善子を、ルビィは懸命に引きとめた。
姉のことを心配する目を向けると、ルビィは小さく笑って。
ルビィ「大丈夫、村人たちが狙っているのは善子ちゃんだけなの。逃がしたあとは、ルビィがみんなを説得してみるよぉ」
ルビィ「みんなが冷静になって、ほとぼりが冷めたころにお弁当つくって持っていくから……それまでは洞窟の安全な場所で隠れていてね」
ルビィ「ミュウズ様が最初に住んだ場所として、村の人は恐れているから入ってこないはずだよぉ」
そういって、善子に靴と着替えの服、寒さしのぎのコートを手渡していく。懐中電灯ふたつと一緒に御守り袋も持って万全の準備をした。
善子「……ありがとう」
申し訳なさそうにいったそのとき。床から伝わる小さな地響きと、屋根や雨戸に降り注ぐ投石の音が増えてきた。
ルビィ「……もうすぐ門が破られるみたい。できるだけ離れに来ないよう時間を稼ぐから、善子ちゃんは早く洞窟に行って!」
善子「わかったわ。それと……気を付けてね!」
後ろ髪をひかれる思いで、善子は納戸へ駆け込んだ。
納戸へ入った善子を見送ったルビィは小声でそうつぶやくと、長い廊下を進み母屋へ向かう。
姉として、この上屋を預かる者として、果たすべき務めを果たしに。
母屋に入ったルビィに、切羽詰まった表情のよしみが駆け寄る。
よしみ「ルビィ様、間もなく門が破られます……!」
ルビィ「ぅゅ……みんなを連れて長屋に逃げて鍵かけて。無理やりこじ開けてきたときは、抵抗しないで好きなだけ探させて」
よしみ「はい……では、善子様はもう……?」
ルビィ「大丈夫だよぉ」
それを聞いたよしみは安堵の表情を浮かべた。
よしみたち女中を屋敷の別宅へ避難させたあと、ルビィは広間にある書院の板框を外し、中の空洞から布に包まれた棒状の物を取り出す。
ルビィ「やっぱり重い……でも、時間稼ぎにはなるよね……」
布をめくって現れたのは、水平二連式の散弾銃。かつて乱暴な父を恐れて、母がここに隠していたのを覚えていた。当然、弾は無い。
しかし、撃たずに使うだけなら効果はあると踏んだルビィは持ち出した。
ちょうど離れをつなぐ廊下に立ったそのとき。
激しい音と共に門が破られ、怒号や罵声をけたたましく発しながら村人たちが玄関から母屋へなだれ込んできた。
男も女も、老いも若きも、皆一様に祟りへの恐怖を原動力にして団結している。
なかには棍棒や漁網、銛や手斧で武装した村人も確認できた。
時代が時代なら、まさに百姓一揆といってもいいくらいだ。
美渡「善子を探せ!探し出して、ミュウズ様の前に引きずり出すんだ!」
この暴徒たちの中心に高海美渡がいた。鞠莉の死亡後、千歌の初七日ののちに決起すると心に決めていた。
しかも、集会所に貼りだされていた善子を糾弾する怪文書のおかげで決起の参加者は倍に膨れ上がり、ついに今夜、実行したのだった。
美渡「何も盗るなよ……これは災いを取り除くための禊なんだからな!」
棍棒片手に説いて回る。彼女の鉢巻きをした頭には、両端にふたつのL型懐中電灯をはさんで照明灯としていた。
まるで角の生えた鬼のような姿である。実際、彼女は千歌を殺された復讐に燃えていた。
美渡「善子は、善子はまだ見つからねぇのか!えっ、何――」
美渡「――離れが通れないだと?」
ほかの村人から報告を聞き、すぐに母屋と離れをつなぐ廊下へ向かった。
廊下ではルビィが仁王立ちで、銃を腰だめに抱えて村人たちに説得を試みていた。
どこの誰なのか顔を見たらすぐわかる狭い村。ルビィは目の前にいる村人たちを一人ひとり名をあげて冷静になるよう求めていた。
ルビィ「……善子ちゃんは優しいひとだよぉ!こんな恐ろしいことができる人間じゃない!」
暴徒の集団にただひとりで立ち向かうルビィの覚悟に、村人たちは手をこまねいていた。
そこに美渡がやってくる。
美渡「ルビィ様、なら犯人は誰なんですか!」
美渡「うちの千歌は、善子の前で死んだんだ!大好物のミカンを食べて……!」
ルビィ「それは……でも、善子ちゃんは犯人じゃない!警察が犯人を――」
美渡「――警察は信用できない!二十四年前だって、輝石を捕まえられなかった!もうあんなことはたくさんなんだ、志満姉を悲しませたくない!」
美渡「みんなで祟りを終わらせるんだ……」
ルビィ「ぅゅ……」
向こうにも言い分がある。二十四年前の惨劇を今も背負うルビィには、気持ちが痛いほどわかった。
美渡「確か、この屋敷は山の洞窟とつながっているって噂があったよな?」
村人たちに問うと、皆がうなずく。その様子にルビィがハッと顔をあげた。
ルビィ「やめて!」
美渡「……やっぱり善子は洞窟にいるみたいね」
銃を持つ手が大きく震えるルビィの慌てようをみて、確信する。
美渡「洞窟は危険だ……入るより、出口を固めたほうがいいな。よし、兵糧攻めだ!」
美渡「ここに数名残して、村中の洞窟の出口に向かえ!出てきたところで縛り上げてやる!」
村人たちに指示を出した。暴徒たちはきびすを返して一斉に屋敷を出ていく。
ルビィ「だめ、だめ!善子ちゃんに乱暴しないでぇ……!」
ルビィの必死に叫ぶ声だけが屋敷に残された。
ときおり後ろを振り返るが、迫る影や明かりといった人の気配はない。
ルビィの足止めが成功しているのか、納戸の抜け穴を見つけられていないのか。おかげで善子は余裕をもって隠れ場所へ向かう事ができた。
目指すは白玉の池、その向こう岸の鞠莉が潜伏していたあたりである。
そこなら、もしも村人たちが突入してきても発見されにくい、と考えたからだ。
あとは騒動が収まり、ルビィが食事と地上の情報を持ってくるまで待つだけ。ちょっと心細いが、ほんの少しなら耐えられる。
善子「ルビィは本当に大丈夫かなぁ……」
暗闇のなか、案じるのは自分より姉だった。幼い顔をしているが、しっかりした度胸と覚悟を持っている。
無茶なことをしなければいいけど……。
天涯孤独だった自分に初めて出来た姉。ほんの数週間の付き合いなのに、多くの安らぎを彼女から得ていた。
善子「……いつか落ち着いたら、東京に連れていってあげよう。銀座でスイートポテトおごる約束したし」
足もとを懐中電灯で照らしつつ、どんどん先へ進む善子。夜中の草原で語った東京の話に目を輝かせるルビィの顔を思い浮かべていた。
善子「あれ、使えるわね……」
池のほとりに立った善子は、岸のすぐそばに浮いているものを見つける。
それは、池に沈められていた鞠莉を引き上げるときに、警官たちが組み上げたイカダであった。ちょうど、水底に突っ込んで前に押し出せる竹ざおも見つけた。
見つけたもののほかにもう一組あった。
善子「やった。壁の杭より早く渡れるじゃない」
地底世界へ追い詰められた不幸中の幸い、安全に向こう岸へ渡る手段、存分に利用させてもらう。
イカダに乗り、透き通った湖面を進んでいく。水面を覗き見ると、無数の白い玉が敷き詰められていた。
そのまま進み、向こう岸へ渡る。
向こう岸に降り立った善子は、奥を照らす。そこには岩壁をパックリと裂いたような割れ目があった。
御守り袋から地図を取り出し、その先を見てみる。
割れ目に入ったその先には、つる草が絡み合うように幾多の分かれ道があって、目的へ続く道を見つけるには一苦労するようだ。
ふと、あくびが出た。
善子「……あまり寝てなかったっけ。ちょっと休んでから、行ってみよう」
鞠莉が潜伏していた、鍾乳石もなく乾いた平たい場所に座る。腰から下にコートをかけ、岩壁を背にして仮眠をとることにした。
どれくらい寝てたのだろうか。また腕時計を忘れてしまったので、時間の感覚がわからない。
少なくとも、外はもう朝になっているだろう。
自分にとって救いの手となるルビィはまだ来ていないようだった。
善子「警察は何してるのよ……」
小さく悪態をつく。そのあと村人の暴動にあたふたしている絵里の顔を思い浮かべ、ちょっとほくそ笑んだ。
さてと、そう気合を入れてコートをそばにどけて、善子は立ち上がる。
善子「どうせ暇だし、奥の迷路を探検してみますか、っと……」
懐中電灯で照らした割れ目を見つめた。この先に、母が遺した最後の場所と最大の謎がある。
周囲を探すと、絵里たちと探索したときに使ったロープの残りが放置されていたので、それを活用することにした。
割れ目の中に入り、ロープ片手に迷路攻略に乗り出す。
分かれ道があるたび、総当たりで進む。行き止まりや通行不可な道にぶつかるたびに、前に戻って次の道へと――それを繰り返す。
善子はかなりの時間を割いて地道な作業を機械的にこなし、ようやく入り組んだ地下迷路を脱出できた。
善子「はぁ……つかれたぁ……」
岩壁に手をついてぼやく。ひたすら立ちっぱなしの作業で、善子の足はパンパンにふくれていた。
慣れない運動なんてするもんじゃないわね……。
そう思ったとき、腹が鳴った。
善子「うう……何も食べてないんだった……」
エネルギー切れ寸前だった。これ以上進む気力がどうしても湧いてこない。
この先は、なにか食べてから行こう。
そろそろ弁当を持ったルビィが来てくれるだろう、善子は期待して池のほうへ戻ることにした。
地底世界で善子が閉じ込められている間――地上では、大きく事態が動きだしていた。
冷静になるよう呼びかけ、解散や武装解除を命じ続けたものの、数で圧倒され多勢に無勢だった。
しかも若い村人たちは二十四年前の惨劇を連想し、災いを振りまく善子を捕らえるんだと血気盛んで手が付けられない状態である。
朝になって、暴徒は黒澤家を制圧。山の洞窟入り口周辺に集まり、善子捕獲に動いていた。
彼らを強硬的に排除するには、あまりにこちらの数が少なすぎる。
いまの絵里たちは、鬼の口に集まる美渡たちを近くで見守ることしかできなかった。
海未「参りました……ここまで大きく早く起こるとは……」
絵里「排除は無理ね。その代わり……洞窟の入り口すべてに警官を配置させたわ」
絵里「善子が出てきた場合、すぐに身柄確保する。村人に一切、手出しさせるわけにはいかないから」
海未「頼みます……今の状態は犯人にとって、計画遂行の最終段階。きっと犯人は洞窟へ向かうはずですから」
海未「――もしかしたら、もう入っているかも」
ちょっと確認してきます、と唐突に言い出すと絵里の元を飛び出していった。
絵里「ちょっと、ねえ!まったく……」
この手をこまねいていた状況は、ようやく昼頃になってこちらに有利な展開になった。
暴徒鎮圧に特化したこの黒ヘルメットに黒い制服の特殊部隊は、素早く黒澤家に展開して村人の制圧に成功した。
村の安全を確保したのち、山に続々と集まってきた。
絵里「おっ、来た!こっち、こっちよ……!」
ふもとに集まる白いジープから、続々と降りてくる隊員を先導する絵里。形勢逆転に顔がほころんでいた。
絵里と予備隊は鬼の口、県警の増援はミュウズの祠近くと、花丸の尼寺の洞窟を囲む村人たちの排除へ向かう。
しかし、ミュウズ様の祟りによる厄災を鎮めようと団結する村人の抵抗は激しかった。
とくに美渡がいる鬼の口では、絵里や予備隊と激しいにらみ合いが続いた。
絵里「犯人逮捕は警察の仕事よ!ただちに解散しなさい!」
美渡「うるさい!ミュウズ様の祟りを鎮める邪魔をするな、バカエリ!」
絵里「バッ……なんですってぇ……!」
村人は洞窟の入り口を占拠し、人の壁をつくって罵声を浴びせ続けていた。
一触即発のそのとき、ふたつの方角から海未と村人が慌てた様子でやってきた。
海未「大変です、大変ですッ!やはり家にいませんでした!聞けば、昨日の夜から帰ってないそうです……!」
絵里「なんですって……!」
一方、村人から知らせを聞いた美渡は目を見開いて驚く。
美渡「なに……鹿角聖良が囲みを突破して洞窟に入っただって……!」
大声を張り上げた。その声を耳にした海未は頭に手をやる。
海未「しまった……!」
絵里「なんてこと……」
さらに無線機を背負った警官が、黒澤家の動向を絵里に報告。受け取った絵里は、顔が真っ青になっていた。
絵里「……黒澤ルビィがいなくなったわ」
海未「ええっ、まずいですよ!それはまずい――」
海未「――犯人もそこにいるんですよ!」
絵里と海未は強く歯噛みして、うらめしそうに鬼の口の先、洞窟を見つめた。
地上の騒動をよそに、善子は白玉の池のほとりに腰かけ、空腹と戦っていた。
食事どころか水も飲んでいない。思わず目の前の池の水を口にしようとしたが、鞠莉が浸かっていたのを思い出し、やめた。
善子「……心細い」
ボソッといいかけたそのとき、暗闇の奥から聞きなれた声。ルビィだった。
ルビィ「善子ちゃーん!」
耳をそばだてると、洞窟のだいぶ遠い場所からこちらへ呼びかけている。
石灰成分で覆われた地下道で叫んでいるからか、やまびこのように何度も反響していた。
やっと来てくれた。嬉しさを爆発させた表情で、善子はすぐに立ち上がった。
善子「ルビィ……!いまいくから!」
光の届かないこんな場所では、お互いの位置関係を把握するには声を掛け合うしかない。
善子「いま池よ……すぐそっちいくわ!」
ルビィの呼びかけに答えつつ、池に浮かぶイカダに飛び乗り、岸へこいでいった。
善子が向こう岸についたとき、異変が起きた。
善子「ルビィ、ルビィ!どうしたの!」
突如ルビィが悲鳴をあげ、必死に助けを求めてきた。こっちへ反響してくる声の緊迫した状況に、善子も気が気でなくなった。
一気に恐れと不安が身体を支配する。
なにも考えず、善子は懐中電灯を片手に声の方へ走り出していた。
ルビィ「だ、誰かに追われてる……助けて……!」
善子「いまいく!だから逃げて、逃げて……!」
善子「いまどこにいるの!」
ルビィ「れ、蓮華座のとこ……は、早くきてぇ……!」
善子「いまいく!いまいくから!」
足場の悪い洞窟の中を全速力で走る、走る。
断続的に聞こえるルビィの声に応じながら、急いで針千本を走り抜け、蓮華座へ続く地下道を通った。
ルビィ「いやぁっ……!やぁ……!」
聞こえてくる、もがいているような声。きっと捕まったに違いない。
善子「もうすぐよ!もうすぐ……!」
善子は息を切らしながら、先を急いだそのとき。
「あああああ!」
大きな甲高い悲鳴が善子のもとに届いてきた。
地下道を駆け抜け、静寂に包まれる蓮華座に飛び出した善子は、懐中電灯であたりを照らし、ルビィを探す。
善子「どこなの……どこなの……!」
光の環をあわただしく左右に振り、懸命にルビィの姿を求める。
しばらく進んだとき、光の端がピンク色のワンピースを捉えた。すぐに、全体を見ようと照らしたその先には。
善子「ルビィ……!」
目の前に広がる光景に、目を見開いて叫ぶ。そして駆け寄った。
そこには、仰向けに倒れている黒澤ルビィがいた。
善子「ルビィ、ルビィ……!しっかりして!」
懐中電灯を置き、身をかがめてルビィの上体を抱き起こしてやる。
そのとき、脇腹に触れた手が深紅に染まる。よく見ると、脇腹のあたりが出血してワンピースを血染めにしていた。
傷は深いようで、まったく出血が止まらない。ハンカチでおさえても、焼け石に水だった。
誰かに刺されたんだ……。そいつはきっと、この事件の犯人。
そう確信していると、呼びかけに応じたルビィが、青白い顔をあげてゆっくりまぶたを開いた。
ルビィ「あ……善子ちゃん……」
善子「しゃべらないで……すぐに手当てを……」
ルビィ「ううん、もうだめだよぉ……ごめんね、東京に行けないや」
善子「何言ってるのよ……」
善子「ねえ、誰に襲われたの?」
いまにも消えてなくなりそうな姉を強く抱きすくめる。ルビィはゆっくり善子の手を握りしめた。
ルビィ「わからないよぉ……お弁当、届けようと歩いていたら……後ろから追いかけてきたの」
ルビィ「ここまで逃げてきたんだけど、つかまっちゃって……」
もっと自分が足が速ければルビィを助けられたかもしれない。激しく後悔の念が押し寄せてきた。
ルビィ「でもね、仕返し、してやったんだぁ」
善子「仕返し……?」
オウム返しに尋ねると、ルビィは小さくうなずいた。
ルビィ「すごい悲鳴をあげてたでしょ?あれは犯人の声だよぉ……」
顔を見てみると、口元から一筋の血が流れている。これはルビィのではなく、犯人の血だったのか。
ルビィ「だからね……左手の小指に大けがをしている人間が、犯人だよ」
歯を見せて小さく笑う。姉が命と引き換えに、絶対消せない目印を犯人につけてやったのだ。
この信念と強さ、本当に心から尊敬する。
目頭に熱いものがこみ上げてきた。
善子「……わかった、左手の小指ね。ちゃんと警察に知らせるわ」
だからもう無理に話さないで。そう呼びかけたものの、ルビィはうわごとのように話を続けた。
ルビィ「あのね、善子ちゃん……いまだから、恥ずかしいこといっぱい言うね」
ルビィ「だってルビィはもう死んじゃうんだから……」
善子「なにバカなこといってるの!」
ルビィ「いいんだぁ……こうやって最後に会えたんだもん……」
手を握って、最愛の妹の存在を手触りで確認していた。
ルビィ「お願い。ルビィが死ぬまでこうして抱いてほしい……善子ちゃんに抱かれていたいの……」
善子「ルビィ、死ぬとか言わないで……」
懸命に呼びかけるも、ルビィは意識が遠のき始めていた。
さらに一世一代の吐露は続く。
ルビィ「善子ちゃん、あのね。ルビィは善子ちゃんが好きなの……妹じゃなくて、善子ちゃんとして。初めて会ったときから、ずっと……」
善子「ルビィ……」
ルビィ「こんなこと、今まで言えなかったけど……いいよね?」
善子のシャツのそでにしがみつく。その必死さを儚く感じた。
ルビィ「……聞いて、善子ちゃん。いま伝えないといけないことがあるの……」
善子「なに?」
ルビィ「――善子ちゃんはね、本当はお父様の子じゃない、の」
ルビィ「ルビィはすぐ気づいたよぉ……初めて門の前で会ったとき、お父様の面影が全然なかったんだもん……」
ルビィ「善子ちゃんも、気づいていたんでしょう?」
善子「……!」
善子はハッとなった。この数週間、黒澤の者として過ごした中で抱いた、ごく小さな違和感をルビィは察していたのだ。
ダイヤも果南も、二十四年ぶりに顔を合わせたときに言ったのは、母の容姿に似ているということだけ。
父といわれている輝石のことについては一切、触れなかった。
父系の血縁関係を重視するこの家で、この違和感はずっと善子の胸中でモヤモヤとして残っていた。
その違和感をルビィが確信に変えた。
善子「それ、ダイヤは知っていたの……?」
その問いに、ルビィは苦しそうに顔を歪めながらもうなずく。
善子「どうして……?」
ルビィ「……黒澤の財産を親戚の誰にも渡したくないのと、この呪われた家系を終わらせるためなの」
ルビィ「石蔵から続く血を絶ち、新たな血で本家を作り直す――おねぇちゃぁ、よく言ってたんだぁ……」
ああ、どうりで初めてダイヤと対面したとき、あの意味深な微笑を浮かべていたのね。
善子は納得した。自分は、その策に利用されていたのだ。
善子「なら……私の本当の父親は誰なの?いったい、誰なの……?」
すると、小さく首を振る。
ルビィ「……それは、わからない。でも、その手がかりが離れの床の間……そこの杉框の中に、あるはずだよ」
ルビィ「それでルビィもお姉ちゃんも、善子ちゃんがお父様の子ではないってわかったんだぁ……」
ルビィ「たぶん、校長先生が誰か知っていたんだと思う。善子ちゃんのお母さんの知り合いだったから、きっと」
善子「……だから内密の話がしたいから、明日来るようにっていったのね」
善子の言葉にルビィは何度もうなずいた。そして、それを二度と聞き出せないことに後悔した。
善子「ルビィ!寝ちゃだめよ……しっかりして!」
青白い顔で、いよいよ弱っていくルビィを抱きすくめる。すると、ルビィは目を開けて。
ルビィ「善子ちゃん……抱きしめてほしいの。もう感覚がなくなってきちゃったから、もっと感じていたい……」
善子「わかった……これでいい?」
肩に手を回して、優しく包み込むように抱く。すると、ルビィは青白い頬をほんの一瞬だけ赤く染めた。
ルビィ「あったかい……嬉しいなぁ……」
ルビィ「こうしても、いいんだよね?だって、本当の姉妹じゃないんだから……」
善子「……うん」
ルビィ「お願い、死ぬまでどこにも行かないで……ルビィが死んだら、かわいそうだと思ってときどき思い出してほしいなぁ……」
善子「うん、うん……」
涙ぐみながら小さくうなずくと、ルビィは微笑で返した。そして、ゆっくりとひと呼吸すると、徐々に翡翠の瞳から輝きが失われていった。
善子「ルビィ……?ルビィ……!」
こうして、ルビィは善子の胸に抱かれて息を引き取った。
その最期の顔は、少女のように安らかだった。
手でルビィのまぶたを閉じ、彼女の手をへその上に組ませ、その場でゆっくり寝かせてやった。
そのとき、ルビィの手元に風呂敷包みと水筒を見つけた。
包みを広げると。
握り飯と漬物があった。自分のために用意してくれたルビィの姿を思い浮かべ、こみ上げてきた善子は熱い涙を落とす。
善子「うっ……ううぅ……」
小さい身体に大きな慈愛の心をもった姉。善子は何度も涙をぬぐいながら、風呂敷包みを持ち、水筒を肩にかけた。
生きなければ。ルビィのために生きて、犯人の手掛かりを伝えなければ。
いつまでもこうしてはいられない。
ルビィの無念を晴らすためにも。善子の身体の底から気力が湧いてきた。
そのとき。
「そこにいるのは、善子さんですか?」
目の前に光が差し、誰かが声をかけてきた。
片手を顔の前にかざし、指の隙間から相手をうかがう。
「ようやく見つけました……外は大変なことになっています」
目線の先には、復員服を着た聖良が懐中電灯を片手に立っていた。
聖良「村人が洞窟の出口を固めていますが、村はずれの出口なら出られるはずです」
聖良「いきましょう、早い方がいい……」
聖良「どうしました?」
ここから動くことを促すが、沈黙したままの善子を不思議に思い、あたりを照らす聖良。
善子の足もとで仰向けに寝ているルビィを見つけたとき、少し驚いた声をあげた。
聖良「これは……ルビィさん……?」
聖良「善子さん、これは一体……?」
うろたえる聖良に対し、善子は身構えた。疑惑に満ちた目つきで聖良を見すえる。
――なぜ、鹿角聖良がこんなところにいるんだ。
相続の邪魔になる自分が村人に追い詰められた今、自分を助ける筋合いはない。むしろ、本家相続の好機だとして動かないはずだ。
ここにいる行動原理が善子は理解できなかった。
となると、彼女が洞窟にいる理由はただひとつ……。
善子「……ルビィと私を殺しに来たのね」
怒気を含んだ低い声で、聖良をにらみつけた。
聖良「なっ、なにを言い出すのです!私は頼まれてここに来たんですよ……!」
聖良「あなたが大変だから手を貸してほしいと――」
善子「――嘘ね!アンタがそんなことで助けに来るわけない!ルビィの次は私を殺すのね!」
聖良「なんて失礼な……!それより、どうしてルビィさんが倒れているんですか!」
この期に及んで卑怯な。善子は怒りにうち震えた。
とにかく、聖良から逃げないと自分も殺される……!
善子の心臓は高鳴り、冷静さを欠いてすっかり気が動転していた。
聖良「……誰がこんな恐ろしいことを……」
懐中電灯を善子の足もとに向け、ルビィを心配するようなそぶりを見せている聖良の注意がそれていることを見計らい、行動に出た。
その場から弾かれるように、一気に駆け出す。
聖良「あっ……待ってください!」
すぐに気づいて追いかけてきた。善子は池の方へ向かって洞窟に消えた。
聖良「なんで逃げるんですか……!」
あくまでも保護を理由に善子の後を追う。
ときおり背後を振り返ってみると、聖良は声をあげながら追いかけていた。揺れる懐中電灯の明かりで影が岩壁に映り込んでいる。
このままだと追いつかれる。追いつかれれば、殺される……。走りながら善子は必死に考えを巡らせた。
この先の小さな空間に、ふたつに分かれた地下道があった。
一方は池のほうへ、もう一方は長いトンネルで池とは別方向につながっていた。この道はルビィと探検済みで、善子は覚えていた。
聖良がどこへ行くか、見極めよう。
そう思った善子は、周囲を見回す。そこで、この空間の岩壁に人ひとりが隠れられるくぼみを発見した。
善子「……よし」
懐中電灯の明かりを消し、すばやい動作でくぼみに身体をいれて隠れた。わずかな音を立てぬよう、息を殺してジッと身をひそめる。
それからわずか数秒後、入ってきた聖良によって空間が明るくなった。
聖良「どこにいったんでしょう……?」
息をきらしながら、困った様子だった。岩壁に潜んでいる善子は、静かに見守る。
聖良「……右に行きましょう。村人より早く見つけなくては」
聖良「善子さんでなければ、一体、誰がルビィさんを……?」
そうつぶやいて、池とは別方向の道を選んだ。
聖良が入っていった地下道で、明かりがどんどん闇に吸い込まれていくのを確認した善子は、岩壁から出た。
なんとかやりすごして、ひと安心。
善子「――池のほうへ行くしかないわね。あの場所で、救助を待つしかなさそうね」
怒り狂った村人が出口をふさぎ、ルビィを殺した犯人がうろついている今、最も安全な場所は白玉の池の向こう岸だけだった。
あの杭は注意して探さないと見つからない。しかも、岸から見ると岩壁づたいに渡ってくる様子が手に取るようにわかるから安心だ。
聖良を避け、左の地下道に入る。
善子「……うう、空腹でどうにかなりそう」
腹が背中につくほど空腹で力が出なくなった善子は、気力でなんとか池の方へ向かう。
イカダで向こう岸へつくや否や、その場に座り込み、持っていた風呂敷包みを開く。
目の前に三つの握り飯が姿を現す。
善子「……ルビィ……ありがとう」
涙ぐんでつぶやくと、勢いよく手で鷲掴みして、かぶりついた。
誰もいない静寂の池のほとりに腰かける善子はつぶやく。
水筒を満たす清潔な水を一気に飲み干し、風呂敷包みを折りたたんで片づけると、立ち上がる。
――絵里でも海未でもいい、とにかく救助が来るまでこの場所で大人しく待つしかない。
そう決めて冷たい岩壁に移動し、背にもたれるように腰かけた善子は、隣にあったコートを膝にかけて仮眠をとることにした。
きっと、地上では警官たちが村人を排除するために頑張っているはずだ。
善子「もうすぐ、もうすぐよ……」
うわごとのようにつぶやきながら、まどろむ。
光の届かない暗く、冷たい、ジメジメとした空間にいるのがいい加減、嫌になり始めてきた。
これ以上長くいると、気が変になりそうだ。
とにかく、休むことに集中した善子はすぐに寝落ちした。
どれくらい寝ていたのか、わからないまま時間が経ったとき。洞窟のどこかで誰かが自分の名前を呼んでいるのに気づいた。
善子「んあっ……誰?」
寝ぼけまなこをこすり、何度も聞こえてくる声に耳をそばだてる。
善子「その声は……曜?」
聞きなれた、親しみのある元気な声。間違いない、彼女の声だ。
きっと自分を心配して、助けに来たんだ……!
やはり祟りを恐れていたのはただ噂にすぎず、最後はいつもの彼女らしい行動を自分にとってくれたんだ。
そう思った善子は飛び起き、イカダに乗って対岸へ向かう。
ようやく閉ざされた地底世界とおさらばだ、安堵と喜びの表情で竹竿を握りしめ、こいで行く。
善子「――曜!私よ!いまそこに行くから……!」
引用元:https://fate.5ch.net/test/read.cgi/lovelive/1689244300/
最終回へ続く
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