【SS】梢「花帆さんの逢瀬」【ラブライブ!蓮ノ空】

ラブライブ

【SS】梢「花帆さんの逢瀬」【ラブライブ!蓮ノ空】

1: (ブーイモ 854a-f841) 2024/01/07(日) 18:09:28 ID:iRUyyadgMM

秋から冬にかけてのお話

 

2: (ブーイモ 854a-f841) 2024/01/07(日) 18:11:05 ID:iRUyyadgMM

彼女と出会ったのは蓮ノ湖のほとりを散歩している時のことだった。

まだ朝早く、湖に陽光が十分に差し込んでいないような時間だった。あたりには霧と、ほの暗さと、寂しさが満ちていた。

初めて出会った時の彼女は、小さく、弱く、傷ついていた。それは全く比喩ではなく、彼女は実際ケガをしていた。

湖のそばの、太い木の根元で、小さな身体を震わせていた。

毛並みは泥と血で汚れてしまっていて、その上、乾いて固まっていたから、最初は、野ざらしにされたヌイグルミのように見えた。

小刻みに震えていなければ、その子が生き物であることにも気付かなかっただろう。

 

3: (ブーイモ 854a-f841) 2024/01/07(日) 18:12:11 ID:iRUyyadgMM

なにか野生動物に襲われて、逃げ回り、跳ね回り、傷つきながら、なんとか夜を越したという様子だった。

震えているのは、秋の寒さからだけではなく、怯えもあったかも知れない。

私は不測の出会いに驚きつつも、刺激を与えないようにと、ゆっくりしゃがみ、その固くなった毛並みに触れた。

毛先はどこも冷えて固く、ごわごわとしていた。

震えはあっても、拒絶はないように思われた。

その子の大きさは触れるまで不定だったけれど、手のひらの下で不思議にするすると形が定まり、私の両手に収まる毬のようなサイズになっていた。

私は受け入れられたのだろう、と判断して、両手と胸でそっと抱きかかえ、誰にも見つからないように部屋へ連れていくことにした。

 

4: (ブーイモ 854a-f841) 2024/01/07(日) 18:13:50 ID:iRUyyadgMM

部屋に連れ帰ってみると、外で見るよりもケガがひどく痛々しく見えた。元は白かったであろう毛並みも、黒い血と泥とでべとべとに固まっていて、心が痛む。

暖房で十分温まっている部屋にいても、小刻みな震えはまだ収まってくれなかった。

私は少し考えてから、衣服ののり付けに使っている桶を取り出し、そこにポットのお湯とペットボトルの水でぬるま湯を張ることにした。

指先をお湯につけ、それから彼女の体温に触れて、温度差を確認する。

お湯と水を少しずつ入れるのを繰り返して、温度を微調整してから、彼女を両手で抱いた。

桶の上に持っていくと、彼女はちょんちょんと足をお湯のほうへ伸ばす動きをした。

その動きを見て、私は初めて彼女の足がウサギのような形をしていることに気付いた。

 

5: (ブーイモ 854a-f841) 2024/01/07(日) 18:14:59 ID:iRUyyadgMM

両手を少しずつ下ろして、足先からお湯につけていく。お湯に入った箇所から泥が溶けて、白い毛がふわりと広がった。

嫌がっている様子はなく、むしろできるだけお湯に近づく方向に身を捩っているようだった。

私はそれに安心して、けれどもゆっくり、彼女を桶に下ろしていく。

頭を残して全身がお湯につかるころには、彼女の震えは止まっていた。

桶の中には白い毛がふわふわと広がっている。

手ですくったお湯を頭のほうにかけてやると、ピンと白い耳が現れた。これまでは泥で身体に固まってしまっていたらしい。

こうして見るとやはりウサギに似ているが、ウサギにしては全体的に小柄に感じるし、それに、ウサギはお風呂が好きな動物だっただろうか?

 

6: (ブーイモ 854a-f841) 2024/01/07(日) 18:16:05 ID:iRUyyadgMM

「妖精さんの類かしら」

話しかけながら、また頭にお湯をかけてあげる。

すると、器用に耳をたたんで、ぷるぷると頭を振った。

毛に含まれた水が部屋に飛んだ。それから彼女は生まれて初めてそうするかのように、ぱっちりと目を開いた。

澄んだブルーグリーンの瞳をしていた。

「きれいな瞳……」

「ありがとうございます、センパイ」

私は彼女に”カホ”という名前をつけた。

 

7: (ブーイモ 854a-f841) 2024/01/07(日) 18:17:51 ID:iRUyyadgMM

蓮ノ空の寮は動物を飼うことはできない。

カワウソという例外があるものの、あの子は生徒会が面倒を見ていて、特定の誰かが飼っているというわけではない。

【カホのことは秘密にしなければならない。】

【秘密は誰にも打ち明けることはできない。私一人で世話をしなければならない。】

白くサラサラとした毛をドライヤーで念入りに乾かす。

毛をかき分けてみると、ケガをしていた箇所は血がもう止まっていて、柔らかいカサブタになっていた。念のため消毒液を塗ると、ぴくりと反応するものの、暴れるようなことはなかった。

暴れるほどの元気がないだけか、痛覚が鈍い生き物なのか。

あるいは、消毒液の作用を理解しているのかも……私はなんとなく、そんな気がしていた。

 

8: (ブーイモ 854a-f841) 2024/01/07(日) 18:18:56 ID:iRUyyadgMM

クッションの上においてやると、すぐにカホはウトウトと頭を揺らし始めた。

きっと夜を徹して過ごしてきたのだ。あんなに泥とキズにまみれたままで、秋の夜はひどく凍えただろう。

「いろいろと必要なものを買い出しにいくから、おとなしくしてるのよ」

頭から耳、背中にかけてなでてやりながら、声をかける。

瞼を閉じ、耳をたたんだ彼女は、丸くくるんだ白いタオルのように見えた。

カーテンがちゃんと閉まっていること確認する。眠りについた彼女を起こさないように、私はそっと部屋を出た。

 

10: (ブーイモ 854a-f841) 2024/01/07(日) 18:20:47 ID:iRUyyadgMM

金沢駅に向かうバス停で偶然、花帆さんと一緒になった。

お互い驚いて、妙な反応をしてしまったけれど、私にやましいことはないのだと思い切って、堂々と声をかけることにした。

「こんにちは、花帆さん、偶然ね」

「梢センパイこんにちは! ですね、びっくりしちゃいました」

花帆さんのほうも、いつも通りの笑顔をぱっと花咲かせてくれる。

けれど、その笑顔の下で、花帆さんが手元に持っていたスマートフォンを素早くコートのポケットに滑り込ませる様子を、私は捉えていた。

表面的なごまかしはむしろ目立ってしまう。おろしたてのシャツについたシミが目立つように。

誰と連絡をとっていたのか、私は知っている。

 

11: (ブーイモ 854a-f841) 2024/01/07(日) 18:21:51 ID:iRUyyadgMM

「あら、新しい靴、素敵ね」

「ほんとですか!」

「ええ、いつもより、視線が高いのね」

「そうなんです。ちょ~っとだけ、厚底っぽいものに挑戦してみたくなって」

えへへ、と花帆さんははにかむ。

その口元を彩るリップは、部活では見たことがないものだった。

慎ましく、それでいて艶やかに、薄ピンクが映えている。

コートでほとんど隠れてしまっているけれど、首元には控えめにネックレスがちらと光っていた。

「ひとりでおでかけ?」

私は少し、いじわるをしたくなった。

 

12: (ブーイモ 854a-f841) 2024/01/07(日) 18:23:08 ID:iRUyyadgMM

「そうですよ」と花帆さんは微笑みながら言った。そのにっこりとした目元は私をじっと捉えていた。

「梢センパイも駅までお出かけですか?」

なんでもない風に訊ねる花帆さんが可愛らしくて、私はつい微笑んでしまう。

「いいえ、私は途中で降りるの」

「そうなんですね!」と花帆さんは言った。それから付け足した。「う~ん残念です! 途中でお別れなんですね」

その声には安堵の色が混じっていた。そのことに花帆さんは気付いていなかったし、私も気付いていない振りをした。

 

13: (ブーイモ 854a-f841) 2024/01/07(日) 18:24:45 ID:iRUyyadgMM

しばらくしてバスが到着した。花帆さんが先に乗り込んで、私がその隣に腰かけた。

バスの中でも他愛のない談笑はつづく。

なにかお買い物でもするのかしら?

そうですね。それからカフェを巡ったりとか。

まあ、素敵ね。

そうだ! 今度は梢センパイも、みんなも一緒に行きましょうよ!

いいのかしら? 嬉しいわ。とっても楽しみ。

えへへ。梢センパイは今日はどこに行かれるんですか?

ホームセンターよ。

「ホームセンター?」と花帆さんが訝しげに繰り返した。

 

14: (ブーイモ 854a-f841) 2024/01/07(日) 18:26:00 ID:iRUyyadgMM

「あ! もしかして、新しい衣装用の道具を買いに、とかでしょうか?」

「ふふ、まあそのようなものね」

「えっと、だったらホントはあたしも一緒のほうが良かったり……」

「いいのよ。今日は大したことない予定だから」

「それなら良いんですけど……」

バツの悪そうに眉を下げる花帆さんに、瞬間、本当のことを話すとどうなるだろうかと空想した。

──本当はね、可愛い子を見つけたの、それでペット用のごはんとか、トイレとか、寝床とか、必要なものが色々とあるのね、だから買いに行くというわけなの

──でもね、ダメよ花帆さん、あの子はね、きっとね

 

15: (ブーイモ 854a-f841) 2024/01/07(日) 18:27:13 ID:iRUyyadgMM

そのうち、目的のバス停に着いたので、私はバスを降りた。

降りた後、バスを振り返ると、手元に視線を落としている花帆さんがちらと見えた。

手元にはスマートフォンがあるのだろう。隣に座っているときも、花帆さんの手のひらはずっとコートのポケットに重ねられていた。

バスはすぐに走り去っていき、そして見えなくなった。

 

16: (ブーイモ 854a-f841) 2024/01/07(日) 18:29:16 ID:iRUyyadgMM

・トイレ
・トイレ用の消臭シート
・トイレ用の消臭砂
・小ぶりな柵
・食器
・牧草入れ
・給水器
・ブラシ
・かじり木
・すのこ
・牧草
・うさぎ用の離乳食
・うさぎ用のペットフード
・にんじんのおもちゃ
・消臭スプレー
・保温用のマット
・飼育本

ホームセンターで買い揃えたそれらを、これまたホームセンターで買った大きな風呂敷一枚に包み、まとめて背負うような恰好で部屋に帰った。

目立つ格好だったから色んな生徒の目には入っただろう。

けれど、目立ってはいても珍しいとは思われていないようで、詮索されるようなことはなかった。

実際、新しい衣装を作るときに、似たような恰好になることはよくあるのだった。

 

17: (ブーイモ 854a-f841) 2024/01/07(日) 18:30:26 ID:iRUyyadgMM

出かけてから二時間ほど経過していた。カホはクッションから離れて、私のベッドで眠っていた。

白い毛並みのふわふわが、その重みを示すようにベッドに柔らかな窪みを作っていた。

毛に包まれた頬はもっちりと膨らんでいて、その先端には小ぶりな鼻と口がちょんとついている。

背中には耳がきれいにたたまれていて、それが全体的なフォルムを円のように見せている。

何もしらない人が今のカホをぱっとみると、鏡餅の一番下の段がなぜかベッドに置いてあるように見えるかもしれない。

荷物をほどいて、中からウサギの飼育本を取り出す。その最初のたった2ページ分、ウサギの種類について写真付きで書かれていた。

ひと言でまとめると次のようになる。

 

18: (ブーイモ 854a-f841) 2024/01/07(日) 18:31:30 ID:iRUyyadgMM

ミニウサギ……雑種。日本で最も流通している。

ネザーランドドワーフ……小さな耳と大きな丸い顔が特徴。

ホーランドロップ……小さな垂れ耳と大きな丸い顔が特徴。

ミニレッキス……毛が短く艶のある毛並みが特徴。

アンゴラ……長毛種。毛が長くふわふわしている。

ノウサギ……日本の野生種。全身褐色の体毛が特徴。

他に、名前だけ書かれている種類がいくつかあったが、ひとまずこの中でカホが該当するか見比べてみた。

カホの体格がいまいち分かりづらいのは、毛が多いためかと私は思っていた。

だから、その点ではアンゴラが近いように思えたが、しかし写真のアンゴラを見ると毛並みがあまりに爆発している。

ベッドに眠っているカホを振り返ると、毛並みはふわふわと柔らかそうではあるものの、爆発しているわけではなく、アンゴラほど長くもないように見えた。

 

19: (ブーイモ 854a-f841) 2024/01/07(日) 18:32:33 ID:iRUyyadgMM

「やれやれね」

真面目に悩んでみたものの、あまり意味がないようなような気がしていた。

書籍に書かれているのはペットショップで購入できるような品種か、あるいはよく知られている品種ばかり。

このウサギたちは、身体の大きさが変わったりしないし、言葉をしゃべったりもしない。当然だった。

もしそんなウサギが書かれているとするなら、オカルト本のようなジャンルになるかもしれない。

とにかくウサギに似ていることは似ているのだから、ウサギの飼育方法に合わせるほかないのだった。

 

20: (ブーイモ 854a-f841) 2024/01/07(日) 18:35:19 ID:iRUyyadgMM

品種鑑定は早々に諦めてしまって、私はカホの居場所をつくることにした。

ベッドと壁の間に、まず消臭シートを敷き、その上にすのこを並べた。それらを棚とはさむようにして柵を置いた。ここが、ひとまずカホのテリトリーということになる。

いったん部屋の入口からの見え方を確認する。期待した通り、ベッドの影になって何も見えない。部屋の中まで入られると手が打てないが、部屋の入口で少し立ち話をする程度なら大丈夫そうだった。

柵には給水器、かじり木、牧草入れを結び付ける。牧草入れは中に入れた牧草を、ウサギが自分の口で引っ張り出すことでストレス解消にもなるとの説明だった。

すのこの半分には保温マットを折りたたんで置いた。ウサギの体温維持は重要とのことだ。

もう半分の端にはトイレに消臭シート、消臭砂を入れて設置した。ペットを飼っていることが何でバレてしまうかを考えると、匂いの問題は無視できないように思えた。ここは注意深く対策しなければならない。

と、ふと思い出す。

カホを見つけたとき、あるいは桶で洗っていたとき、あるいは2時間空けて部屋に戻ってきたとき、何かしらの匂いはしただろうか?

なかなか思い出せなかった。

 

21: (ブーイモ 854a-f841) 2024/01/07(日) 18:38:17 ID:iRUyyadgMM

カホが眠っている間に匂いを確認してみようかしら、と軽い気持ちで振り向いたものだから、心の準備が出来ていなかった。

いや、どのタイミングであっても驚かずにはいられなかっただろう。

ベッドの上に、丸く柔らかな窪みをつくっていたカホはいなくなっていた。

【代わりにそこには人が眠っていた。】

まず頭が見えた。肩まである少し長めの髪が、軽やかにふわりとベッドに広がっていた。

服装は蓮ノ空の制服だった。学年を示すタイの色はシルクのように光沢のある純白だった。

閉じられたままに曲線を描くまつ毛や、ほんのり開かれた潤った唇、そこから覗く玉のような白い歯に、耳たぶの形、眉の形、部屋の照明を受けて陰影をつくる鼻の形、頬の滑らかさ。

頭の先から、足先まで、何度見返しても明らかだった。

その姿は見間違うはずもなく、花帆さんだった。

 

22: (ブーイモ 854a-f841) 2024/01/07(日) 18:39:30 ID:iRUyyadgMM

この花帆さんが本物ではないことは明らかだった。本物の花帆さんは今ごろ駅にいるはずなのだから。

【一般的には信じがたいことではあるけれど、状況的に、この花帆さんはカホに違いなかった。】

いや、状況的に思考するまでもなく、ましてやタイの色という些細なメタファーに囚われるまでもなく、私はこの花帆さんがカホであることを直感的に理解していたし、脳によく馴染む解釈でもあった。

とはいえ、衝撃は私を強く貫いていたから、正気に戻るまでには時間がかかった。

ベッドの脇に膝をつき、いつまでもその宝石のような顔に見入ってしまう。

とにかく、私にはそれが許されていた。

ついに許されたのだ。

 

23: (ブーイモ 854a-f841) 2024/01/07(日) 18:40:46 ID:iRUyyadgMM

「梢センパイ」

ふわっと、あくびのような吐息があって、それからカホは目を覚ました。

澄んだブルーグリーンの瞳をしていた。

「ごめんなさい、起こしちゃったわね」

「ううん、すっごく安心して寝ちゃってました」

「だといいのだけれど」

「本当ですよ。このベッド、梢センパイのいい匂いがいっぱいで、リラックスできるんです」

「それはちょっと、恥ずかしいかしら」

「恥ずかしいことなんてないです。素敵です」

私たちは二人で、クスクスと笑った。

 

24: (ブーイモ 854a-f841) 2024/01/07(日) 18:41:52 ID:iRUyyadgMM

「そうだわ」

匂いの話で、私はカホのほうを振り向いた理由を思い出した。

「失礼するわね」

「きゃっ、くすぐったいです」

「ふふ、ちょっとだけよ」

私はそっとカホの首筋に鼻を寄せ、その柔らかな空気を吸った。

匂いはあまりしなかった。

強いて言うなら、純粋な清らかさと、ほかの何かが混じったような匂いがした。

 

25: (ブーイモ 854a-f841) 2024/01/07(日) 18:43:44 ID:iRUyyadgMM

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26: (ブーイモ 854a-f841) 2024/01/07(日) 18:45:28 ID:iRUyyadgMM

校庭脇の林を抜けようとすると、学校の敷地の境界で金属製の黒い柵にぶつかるが、それをよじ登って越えると、蓮ノ湖にたどり着く。

さらに蓮ノ湖のまわりに沿って森を進んでいくと、そこに小さな小屋を見つけることができる。

年季の入ったトタン張りの小屋で、基本的には誰も立ち寄ることがないし、ほとんどの人はそもそも存在を知らないような場所だ。

トタンの赤錆や、軒下のクモの巣、引き戸のたてつけの悪さに気後れすることがなければ、開けて中に入ることができる。

採光を考慮されずに建てられた小屋の中はひどく暗く、入口からの光でやっと薄く浮き上がるのみだ。

土ぼこりにまみれたそこには、何も無い。広さにしておおよそ畳三畳分ほどのその空間は、本来の役目を終えて、がらんどうになっている。

もともとは、蓮ノ湖の管理のための道具が置かれていたのかもしれない。あるいは森林を管理するための道具が置かれていたのかもしれない。

とにかく、所有者は小屋の中身を引き上げてしまって、ただ小屋だけが残された。

 

27: (ブーイモ 854a-f841) 2024/01/07(日) 18:46:49 ID:iRUyyadgMM

……いや、正確には、元の所有者のものではない荷物が一つ────年季の入った小屋とは不釣り合いな、まだ新しいレジャーシートがたたまれて置かれている。

そのレジャーシートがどのように使われているか、私は知っていた。

 

28: (ブーイモ 854a-f841) 2024/01/07(日) 18:48:13 ID:iRUyyadgMM

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29: (ブーイモ 854a-f841) 2024/01/07(日) 18:49:23 ID:iRUyyadgMM

「この日って、練習お休みもらえませんか?」

夏の終わりごろだった。

ユニット練習を終えて、クールダウンしている最中のこと、花帆さんはスマートフォンのカレンダーを私に見せながら、そう言った。

「もちろんよ。それじゃあ練習スケジュールをずらしましょうか」

全く何気ない様子だったので、私は花帆さんのお願いをそのまま受け入れた。

なにもおかしな話ではなかった。花帆さんの高校生活はスクールアイドル活動だけで構成されているわけではないし、友人と予定を合わせなければならないこともあるだろう、と。

だから私も何気なく、続けてこう言った。

「さやかさんや瑠璃乃さんとお出かけかしら?」

「そんな感じです!」と、花帆さんは答えた。

曇りひとつないきれいな笑顔をしていた。

 

40: (ブーイモ a82c-1cf8) 2024/01/08(月) 17:59:29 ID:c0HURx0YMM

休み当日、私は寮の廊下でばったりさやかさんに出会った。

「あら? さやかさん」

「梢先輩、こんにちは」

「ええと、今日は花帆さんとお出かけしていると思っていたのだけれど」

「花帆さん、ですか? いえ、今日はそんな予定はないのですが……」

「そうなのね。じゃあ、瑠璃乃さんとかしら。花帆さん、今日はお出かけするから、練習は休みが良いって言っていたものだから」

「そうなんですか? でも、瑠璃乃さんは慈先輩と練習しているのを見ましたよ」

「あら、おかしいわね……いえ、そういえば誰とは言っていなかったかしら」

 

41: (ブーイモ a82c-1cf8) 2024/01/08(月) 18:01:48 ID:c0HURx0YMM

花帆さんは交友関係が広いですからねぇ、というさやかさんの言葉には、なるほど説得力があった。

たしかに花帆さんの交友関係は広い。さやかさんや瑠璃乃さんでなくても、クラスの子たちと遊んでいるということはあるだろう。

あるいは、地元の長野の友人が遊びに来ている、ということもあるかも知れない。

どちらにしたって十分可能性があるし、なにもおかしな話ではない。……のだけれど。

得体の知れない違和感が喉に引っ掛かっていて、どうしても飲み込むことができなかった。

『そんな感じです!』

私の脳裏には、花帆さんの笑顔が浮かんでいた。

どうして花帆さんはそんな曖昧な表現を使ったのだろう?

 

42: (ブーイモ a82c-1cf8) 2024/01/08(月) 18:02:32 ID:c0HURx0YMM

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43: (ブーイモ a82c-1cf8) 2024/01/08(月) 18:05:18 ID:c0HURx0YMM

カホは花帆さんの姿でいることもあれば、見つけたときのようなウサギの姿でいることもあった。

彼女にとって二つの姿にあまり差異はないらしい。ただ、私と一緒にいるときは花帆さんの姿でいることが多かった。

そのほうが、私の反応が良いと感じているのかも知れない。私としては、ウサギのカホもふわふわで愛らしく、同じように可愛がっているつもりなのだけれど。

「あ、おかえりなさい! 梢センパイ」

授業を終えて、花帆さんとライブの練習をして、疲れ切った身体で部屋へ帰ると、カホが迎えてくれる。

カホの笑顔と声はこの上ない癒しだった。身体の芯まで食い込んだ疲労が一気に剥ぎ取られて吹き飛ぶのを感じた。

メロスの見つけた湧水も、瀬山の見つけた檸檬も、あるいは他のオアシス的象徴のなにもかもが、カホに敵うことはないだろう。

 

44: (ブーイモ a82c-1cf8) 2024/01/08(月) 18:06:10 ID:c0HURx0YMM

「ただいま、カホ」

扉を閉めて、部屋の奥で、ひっそりと抱擁する。カホも抱擁を返してくれて、背中のほうに優しくカホの手のひらの感触がした。

カホの身体は暖かかった。胸の辺りで、私たちはとくとくという鼓動をお互いに交換した。

「おかえりなさい」とカホが繰り返す。

カホが来てから一週間が経っていた。

私は満たされていた。

 

45: (ブーイモ a82c-1cf8) 2024/01/08(月) 18:06:46 ID:c0HURx0YMM

言うまでもなく、カホは普通の生き物ではなかった。

【幻想的とでも言うべき生き物だった。】

(人によっては、『超常的』と表現するかも知れない。しかし私はあまりその表現が好きではない。)

したがって、一緒に生活するにあたって、カホに関する注意点を備忘的にメモする必要があった。

以下はその一例である。

 

46: (ブーイモ a82c-1cf8) 2024/01/08(月) 18:08:01 ID:c0HURx0YMM

*カホに関するメモ書き

1.カホは食事を必要としない。たまに喉を潤す程度に、水を飲むだけである。

2.カホは排泄をしない。

3.カホは汚れない。これは私の主観ではなく、実際その通りで、髪や皮膚に脂汗や垢が溜まっていくようなことがない。

4.3の補足。とはいえ、お風呂が嫌いなわけではない。大浴場には連れていけないので、ウサギの姿で湯浴みをする。

5.3の補足。カホの匂いは変わらない。いつも【純粋な清らかさと、ほかの何かが混じったような匂い】がする。

6.花帆さんの姿とウサギの姿の入れ替わりを見ることはできない。どちらの方向の変身も、目を離した隙に、あるいは意識の隙間に行われる。

7.花帆さんの姿になるといつも制服(冬服)の姿になる。ただ、着替えることは自由に可能である。

8.7の補足。制服から着替えた状態でウサギの姿に戻ると、脱いでいた制服も消えている。着ていた服はウサギの姿になったカホのそばに落ちている。

9.カホは花帆さんの秋ごろまでの記憶を持っている。



 

47: (ブーイモ a82c-1cf8) 2024/01/08(月) 18:12:19 ID:c0HURx0YMM

「梢センパイ、ほら、ほら、横になってください」

「もう、カホったら今日もなの?」

帰って早々、カホにそう促され、私はベッドにうつ伏せになる。ベッドの一部は温かかった。きっとカホが座っていたのだろう。

うつ伏せになった私の腰あたりに、カホが「よいしょ」と乗っかって、心地よい重みにベッドが少し軋んだ。

「それではお客様~、マッサージのほう始めさせていただきますね」

「ふふ、お願いします」

お店のようになりきる仕草が、可愛らしくて可笑しい。

私の秘密のマッサージ屋さん。一昨日からカホが始めて、今日で三日目だった。

 

48: (ブーイモ a82c-1cf8) 2024/01/08(月) 18:13:29 ID:c0HURx0YMM

「ふん!」といういささか不安になるかけ声とともに、背中の中ほどに、カホの指が圧し込まれる。

力強いかけ声とは対照的に、柔らかな圧力だった。痛みはほとんどなかった。カホの指先からは、ゆりかごのような心地よさだけが沁み込んでくるようだった。

カホの指先はぐっぐっと圧し込まれるたびに移動して、背中から腰のあたりまで下り、そこからまた上って、肩甲骨のあたりまで続けられた。

次にカホは向きを変えて、今度は太ももを両手にくにくにと揉み始めた。

「ん……それはちょっと、恥ずかしいわね」

「そうですか? でもでも、すっごい凝ってる……気がします!」

 

49: (ブーイモ a82c-1cf8) 2024/01/08(月) 18:14:33 ID:c0HURx0YMM

カホの手は止まらず──私も無理に止めるようなことはせず──なされるがまま、脚のマッサージは続いた。

「んっ……ふぅ」

後ろのほうで漏れているカホの吐息が、どうしても気になる。意識を他にずらそうとしても、背中にかかるカホの重みが、太ももで熱心に動くカホの指先が、私を捉えて離さない。

ベッドに胸が押し込まれているせいで、とくとくと鼓動が高鳴っていることに気付かないわけにはいかなかった。

 

50: (ブーイモ a82c-1cf8) 2024/01/08(月) 18:15:39 ID:c0HURx0YMM

本当は、私が不要だといえば、カホだってマッサージを三日も続けることはないだろう。

私がこれを望んでいるのだった。私がこの胸の高鳴りを望んでいるのだった。

(なんてはしたない……)

そう思ってみても、自分を抑えようという気にはならなかった。

むしろ私は、この背徳的な状況のもっと深みにまで堕ちることを望んでいた。

カホの指先が圧し込まれた場所から、私の身体は熱を持っていく。それは決してマッサージで血流が良くなっただけではなかった。

 

51: (ブーイモ a82c-1cf8) 2024/01/08(月) 18:16:43 ID:c0HURx0YMM

「ふ~~~おしまいです!」

と言って、カホはベッドに倒れ込んだ。自然と、私たちはベッドで隣合わせに寝そべる形になった。

カホはわずかに息が上がっていて、頬も上気していた。そのあまりの艶めかしさに、一際大きく胸が鳴った。

「ねえ、カホ」

胸の高まりをごまかしたくて、口の開くままに、私はしゃべっていた。

「カホは、部屋の外に出たい?」

 

52: (ブーイモ a82c-1cf8) 2024/01/08(月) 18:17:49 ID:c0HURx0YMM

「え……でも、それは」

カホの表情がさっと曇った。

部屋の外に出てはいけないと約束したわけではなかった。

ただ、花帆さんの姿であっても、ウサギの姿であっても、問題が発生しそうなことはお互い感じ取っていた。

でも、どうだろう?

【この胸の高鳴りを前にして、そんなことは些細な問題に思われた。】

「ねえ、カホはどうしたい?」

 

53: (ブーイモ a82c-1cf8) 2024/01/08(月) 18:19:19 ID:c0HURx0YMM

「あたしは、センパイと外でも一緒にいられたら、素敵だなって思います」

とカホは言った。ひと呼吸、黄金のような吐息が漏れて、それからつづけた。

「あたし、寒空の下で、好きな人のコートのポケットに手を入れて、一緒に暖まるのが夢なんです。

「灰色の寂しい世界で、二人っきりになって……寒くて、辛くて、苦しいのに、でも胸は熱く満たされるような。

「えへへ、自分でもよくわかんないこと言ってますね。……でも、梢センパイとなら、あたしは、そんな世界に行けるような気がするんです。

「───いえ、梢センパイと、あたしはそうなりたいんです」

カホのブルーグリーンの瞳がひときわ輝いて見えた。

私たちはベッドで横になったまま、お互いの手を探って、重ねて、そして握り合った。

親指で撫ぜるカホの爪の感触が、するするとして気持ちよかった。カホも同じことをして、それが私にはくすぐったかった。

私とカホはずっと見詰め合っていった。

その視線で言葉よりも大事なものを交換出来ていると私は信じていた。

 

54: (ブーイモ a82c-1cf8) 2024/01/08(月) 18:20:24 ID:c0HURx0YMM

「私も、カホといろんなところに行きたい」

二人の間に渦巻く想いが、器からぽたぽたと溢れ始めたのを感じ取って、私はそう切り出した。

「実際、大した問題でもないと思うわ。あなたは花帆さんそのものだし、私は花帆さんの予定をほとんど把握しているから、おかしな矛盾を避けることも容易だもの」

一瞬、カホの手がきゅっと強く握りしめられた気がした。

私はつづけた。

「人が周りにいるときは、花帆さんって呼べば、あとは誰にもわかりはしないわ」

「───イヤです。」

ぎゅっと、今度は間違いなくカホの力が強くなった。

 

55: (ブーイモ a82c-1cf8) 2024/01/08(月) 18:21:27 ID:c0HURx0YMM

「あたしは、カホなんです。梢センパイがそう呼んでくれたんです。あたしがカホなんです……違う人の名前で呼ばないで」

あたしだけを見て、と、カホが搾り出すように言った。

握りしめた手のひらや、心臓のあたりが熱く燃えるような感じがした。

脳のどこかが痺れるような、溶けるような快感に震えた。

「ごめんなさい、カホ───」

カホ、カホ、カホ……私は何度も名前を呼んだ。

口にするたび、信じがたいほどの快感に私は貫かれていた。

いつしか私の瞳は熱くうるんでいた。カホの瞳も同じだった。

 

56: (ブーイモ a82c-1cf8) 2024/01/08(月) 18:22:01 ID:c0HURx0YMM

私たちはお互いの身体をぎゅっと抱きしめ合っていた。

こんなにも熱く、繋がりあっているのに、もっともっと溶け合って、ひとつになりたくて仕方なかった。

思いが募るほどに、力は強くなった。

どうにかしてひとつになりたくて、腕をかいては抱き寄せることを繰り返した。

服が邪魔だった。皮膚が邪魔だった。

体液と体液が混じり合うことを欲していた。

 

57: (ブーイモ a82c-1cf8) 2024/01/08(月) 18:23:05 ID:c0HURx0YMM

その日、私たちはキスをした。

ファーストキスだった。

 

58: (ブーイモ a82c-1cf8) 2024/01/08(月) 18:25:28 ID:c0HURx0YMM

2↑↓3

 

59: (ブーイモ a82c-1cf8) 2024/01/08(月) 18:38:18 ID:c0HURx0YMM

練習終わりに花帆さんに声をかけられた。

どこか意を決してという様子で、手にはルーズリーフが注意深く握られていた。

「歌詞を、書いてきたんです」と花帆さんはゆっくり言った。

まるで今にも暴走する列車をなんとか抑えているようなしゃべり方だった。

その花帆さんの様子には覚えがあった。私自身、力を込めて作った曲を誰かに初めて聞いてもらうときは、同じようなしゃべり方になることがある。

つまり、それだけ花帆さんは歌詞に気持ちを込めているのだと思う。

私は少し考えて、慎重にルーズリーフを受け取った。

受け取った瞬間、中身がパッと目に入って、どっと疲れる思いがした。

(やれやれね)

それはラブソングだった。

 

60: (ブーイモ a82c-1cf8) 2024/01/08(月) 18:39:23 ID:c0HURx0YMM

「確認なのだけれど」と私は慎重に口を開いた。

「これはスリーズブーケとしての歌ということで良いのかしら」

「え? あ、と、そのつもりです」

「わかったわ」

なんにせよ、歌詞を読み込むことにする。

最初に抱いた印象そのまま、ラブソングであることには違いなかった。

恋愛におけるネガティブな要素はほとんど無く、甘酸っぱい恥じらいや恋慕の感情がつらねられていた。

ストーリー的な要素もほとんどなかったから、あるいはラブレターのようにも読めるかも知れない。

「素敵なラブソングね」

「あ、ありがとうございます……」

頬を染める花帆さんの意識は、どこか遠くへ向けられていた。

 

61: (ブーイモ a82c-1cf8) 2024/01/08(月) 18:40:38 ID:c0HURx0YMM

単純なてにをはや、歌詞の雰囲気に寄与していない枝葉の部分、それから無駄に重複してしまっている表現にチェックをつけて、花帆さんへ返す。

「ひとまず気になったところに印をつけてみたから、確認してもらえるかしら。ただね、印をつけたところは書き直しても良いし、書き直さなくても良いの。

「花帆さんが歌詞を書いたときの気持ちと照らし合わせて、ズレがなければ、それで良いのよ。

「簡単なようだけれど、気持ちをそのまま書くのって、すっごく難しいから。知ったような慣用句をつい使っちゃって、本来の気持ちから離れちゃったり、とかね」

私の言葉に花帆さんは納得したような、納得してないような、難しい顔をしていた。

ただ少なくとも、印のつけられた歌詞を真剣ににらんでいた。

これで花帆さんのラブソングはより良いものになるかも知れない。私はその手伝いをしたわけである。

そうしていつか、スリーズブーケとしてこの歌詞を歌うことになるのかも知れない。

花帆さんの愛を奏でるために。

想像すると可笑しくて、少し、疲れた。

 

62: (ブーイモ a82c-1cf8) 2024/01/08(月) 18:41:53 ID:c0HURx0YMM

「あと、明日は……」

「ええ、前聞いたとおり、お休みの日ね」

「はい。また明後日! よろしくお願いしますね」

「よろしくね、花帆さん」

それから、私はふと思いついて付け加えた。

「せっかくのお休みだもの、自分の気持ちに向き合うのにちょうど良いかも知れないわね」

「自分の気持ち……」

そう呟いて、花帆さんの視線はルーズリーフに落ちた。あるいは、ルーズリーフを通して誰かに向けられていた。

ちょっとしたからかいのつもりだったのだけれど、真剣に受け取られてしまったらしい。

このようにして疲労は溜まる。

 

63: (ブーイモ a82c-1cf8) 2024/01/08(月) 18:44:11 ID:c0HURx0YMM

花帆さんの逢瀬は秘密裏に行われている。少なくとも、花帆さんはそう思っている。

寮を出るのは別々の時間、バスも別々の時間だった。先に出たどちらか一人が待機して、あとからもう一人が合流するのだ。

そうしてデートを満喫して、帰りのバスも別々にして、まるで一人で出かけてきたように見せかけている。

蓮ノ空で話題になると困るからだ。

初めて知ったときは愕然とした。

文字通り膝から崩れ落ちて、息がうまく出来なくなった。

苦しくて、泣いてしまった。

『そんな感じです!』と言った花帆さんの愛らしい笑顔に、どんな感情を抱けばいいのかわからなくなった。

 

64: (ブーイモ a82c-1cf8) 2024/01/08(月) 18:47:34 ID:c0HURx0YMM

二人は金沢駅周辺で遊ぶこともあるけれど、そうでないことのほうが多い。

ひがし茶屋街のカフェに行くこともあるし、香林坊でショッピングをすることもある。

あるいは理由もなく海岸まで行くこともある。

遠出になるが、小矢部のアウトレットパークにまで行くこともあった。

それから、映画館や美術館、図書館に行くことも多いが、これはおそらく花帆さんのリクエストだろうと思う。

とにかく二人はよくデートした。出先で合流するという慎重さと矛盾しているかのような頻度で、二人は逢瀬を重ねていた。

そんな中で、『お出かけじゃなくても二人きりになれる場所が欲しい』と思うのは、おそらく自然なことなのだろう。

 

65: (ブーイモ a82c-1cf8) 2024/01/08(月) 18:48:38 ID:c0HURx0YMM

あの小屋をどちらが見つけたのかは分からない。私も二人の後をつけていて、初めて知った。

でも、たぶん、花帆さんが見つけたのだろうなと思う。

校庭脇の林を抜けようとすると、学校の敷地の境界で金属製の黒い柵にぶつかるが、それをよじ登って越えると、蓮ノ湖にたどり着く。

さらに蓮ノ湖のまわりに沿って森を進んでいくと、そこに小さな小屋を見つけることができる。

年季の入ったトタン張りの小屋で、基本的には誰も立ち寄ることがないし、ほとんどの人はそもそも存在を知らないような場所だ。

二人がそこで身体を重ねていることを、私は知っている。

 

66: (ブーイモ a82c-1cf8) 2024/01/08(月) 18:49:47 ID:c0HURx0YMM

土ぼこりの溜まった床にレジャーシートを敷いて、さらに二人分のコートを敷く。

彼女たちは横になって、くすくす笑いながら、お互いの髪を梳いたり、耳をくすぐったり、キスをする。

額、頬、唇、首すじ……キスを重ねるたびに、二人の身体は火照っていく。いじらしくなって、一枚ずつ、服を脱いでしまう。

次第にお互いの身体をむさぼるように、舌を這わせ、爪を立て、歯型をつけて、涎と汗にまみれていく。

そのうち、声が響いてくる。私は花帆さんの声が、そのように響くのを初めて知る。知ってしまう。

まるで熱い泥の上でのたうち回るように、花帆さんは喘ぎ、身体を震わせる。愛液が溢れて、コートの裾にシミをつくる。

恍惚とした表情で、口の端から涎をこぼしながら痙攣する。

焦点の定まらないまま相手の身体を強く抱いて、愛の言葉をひたすらに紡ぐ。

そしてまたビクビクと身体が跳ねて、声にならない叫びが漏れる。

体質なのか、花帆さんは何度も達してしまうようだった。

何度も何度も身体をくねらせ、狂い、震えて、最後は満足げに熱い吐息を漏らす。

 

67: (ブーイモ a82c-1cf8) 2024/01/08(月) 18:51:10 ID:c0HURx0YMM

すべてはすでに起きたことだった。

そしてこれからも起きていくことだった。

私は彼女たちの情事を知ってから、たびたび小屋を訪れるようになった。蓮ノ湖の周りは樹木が多く、身を隠す場所はいくらでもある。

そうして壁一枚越しに花帆さんの喘ぎ声を聞いて、ひどく苦しむのだ。

それはある種の自傷行為だった。

私は花帆さんを止めるでもなく、ただ傷つくだけに、小屋へ通っていた。

そうしなければならなかったのだ。矛盾しているようだけれど、私は自分の心を守るためにそうしなければならないと感じていた。

私の知らない所で花帆さんが情事にふけっていることのほうが、よほどみじめに思えたのだ。

全て把握した上で苦しみ、何も知らない振りをして、口を閉ざす方がマシだった。

私は知っている、そのことを花帆さんは知らない──このちっぽけな優位性だけが私のよすがだった。

少なくとも、カホに出会うまでは。

 

78: (ブーイモ 4785-27cc) 2024/01/10(水) 20:22:47 ID:lxU2R4ukMM

3↑↓4

 

79: (ブーイモ 4785-27cc) 2024/01/10(水) 20:24:29 ID:lxU2R4ukMM

翌日、花帆さんは朝早くから寮を出ていった。どこへ行くのか、今日の私に知る由はない。

カホが目を覚ますまでに、私は部屋で簡単な朝食をすませることにした。

バターをのせたトーストと、しっかり火の入った固いゆで卵、あとは冷蔵庫で冷えたレタスをちぎってドレッシングをかけただけのサラダ。

それからお湯を沸かして、ニルギリのストレートを正確に淹れる。湯気からどこか甘い香りがただよって、気分が落ちつく。

ぱっと全部食べ終わってしまって、2杯目の紅茶を淹れているあたりで、カホが目を覚ました。

「んん……いい香り」

「おはよう、カホ」

おはようございます、とまだ眠けまなこでカホが微笑む。寝ぐせで乱れた髪が可愛らしい。

 

80: (ブーイモ 4785-27cc) 2024/01/10(水) 20:25:57 ID:lxU2R4ukMM

身なりを整えると、私たちは二人で部屋を出た。

カホを部屋から出すのは初めてだから、少し緊張する。

「……………」

休日の午前、寮の廊下ですれ違う人はいなかった。別に、誰かと出会ってもなにも問題ないとは思っていた。

花帆さんの逢瀬は秘密裏に行われている。つまり、花帆さんがすでに出かけていると知っている人はおらず、カホが寮にいても不思議に思う人はいない。

それでも、だ。

「ね、ね、梢センパイ」

隣のカホがこそっと耳打ちする。

「ええ、ええ、わかるわ」

私もこそっと、それに応える。

それから、二人で見つめ合って、くすくす笑いながら、どちらともなく腕を組んだ。

なんだか、悪いことをしているみたい。

 

81: (ブーイモ 4785-27cc) 2024/01/10(水) 20:27:04 ID:lxU2R4ukMM

「──それで、部屋を出てやることが大倉庫の整理なんてね」

「えー? だめですかー? ん……けほっ」

きらきらと埃が舞って、カホが咳をひとつ。

「ほら、ちゃんとマスクしなさい」

「ん、はーい」

まるで母親のような私のセリフに、子供のようにカホが応える。

せっかく二人きりなのに、どうしてこうなったのかは至極単純。

カホのリクエスト──『梢センパイがこの休日にもともとやろうと思っていたことを、一緒にやりたい』──を叶えると、こうなったというわけである。

大倉庫にあるスクールアイドル部備品の整理と、正直に答えてしまったことが悔やまれる。なにか適当にショッピングとでも答えればよかったのだ。

もちろんその場合、たった今出かけている花帆さんと鉢合わせしないよう注意しなければならないのだけれど。

 

82: (ブーイモ 4785-27cc) 2024/01/10(水) 20:28:24 ID:lxU2R4ukMM

・棚の上から順にほこりを払って、判断できる範囲で不要な書類を処分する。

・衣装ケースの防虫剤を交換する。

・解体されずに残ってしまっているステージ道具がないかチェックする。

・最後に床を掃く。

だいたいそういったことを、部長である私は定期的に行っている。

綴理や慈と一緒にやったことはあった。でも花帆さんとやったことはない。

特に理由はない。ただ、これは基本的に部長である自分の仕事だと思っていた。

これまでの歴史に敬意を払う大切な仕事だから。

花帆さんにとってはあまり面白くないだろうし、同じように、カホにとっても面白くないだろうなと思いながら、私はしぶしぶカホを連れてきていた。

もっと他にあるでしょうにと、機転のきかない自分に呆れながら。

 

83: (ブーイモ 4785-27cc) 2024/01/10(水) 20:32:01 ID:lxU2R4ukMM

ただ、私の考えは間違っていたらしい。

「~~♪ あ、次はこっちですね!」

「ええ……あの、カホ、その、ずいぶん楽しそうね?」

「当然ですよー!」とカホは言って、マスク越しでもわかるくらいニッコリと笑った。

「あたし、嬉しいんです。だってこれ、梢センパイの大切にしてるお仕事じゃないですか。それを一緒にできるんですもん。

「梢センパイのことはなんでも知っておきたいんですけど、中でも梢センパイの”大切”に入り込めた気がして、あたしいま、すっごく幸せなんです!

「ふふーん♪ ピカピカにしちゃうんですからねー! む……けほっ」

カホがはたきを大きく振ったせいで、またぱっと埃がキラキラと舞って、カホは涙を浮かべる。

私はその様子に見入ってしまっていた。正確には、カホの言葉に胸を打たれていた。

この仕事を幸せだと言ってくれる、そのカホの言葉に、私は幸せを感じていた。

 

84: (ブーイモ 4785-27cc) 2024/01/10(水) 20:33:56 ID:lxU2R4ukMM

掃除自体はそれほど時間のかかる作業ではないから、すぐに終わった。

床を掃いて、ごみをまとめる。ぱんぱんと手をはたく音が大倉庫の奥に溶けて、しんと静かになった。

「ふぅ、きれいになりましたね!」

いえい! とカホはピースする。その様子が可愛らしくて、私は微笑んだ。

「ええ、カホのおけげね」

「えへへ。あ、それじゃあ~、ご褒美がほしかったり?」

「まあ、強気なのね」

軽い冗談をかえしつつも、私はカホの頭をなでた。

「ありがとう、カホ」

「ん~~! 梢センパイ大好き!」

「きゃ」

弾けるような勢いで、カホにぎゅっと抱きしめられる。もともとスキンシップの多いカホではあるけれど、あの初めてキスをした日から頻度が多くなっていた。

私としても、当然、嬉しい。

 

85: (ブーイモ 4785-27cc) 2024/01/10(水) 20:35:33 ID:lxU2R4ukMM

「ね、カホ、こっちむいて」

「?」

私の胸の中で、美しい花が咲いているようだった。ブルーグリーンの瞳が、きょとんと、上目づかいにきらめいている。

私はその精緻な顔をもっとよく見たくて、カホのマスクをゆっくり引き下ろした。

途端にあらわになる、人形さんのようなお鼻、玉のような肌、血色の映える唇。

「可愛い」

ため息のように自然と漏れた言葉に、カホが頬を染めた。

「もう、だったら……」

と言って、カホの手がこちらに伸びてきた。私はその意図がわかったので、されるがままにする。

そうして、カホの手によって私のマスクも引き下ろされた。

「やっぱり、きれい」

「カホのほうが、ずっときれいよ」

「ううん、ううん」

私たちはじっと、お互いの顔に見入っていた。

それから触れるだけのキスをした。何度も、何度も。

 

86: (ブーイモ 4785-27cc) 2024/01/10(水) 20:37:08 ID:lxU2R4ukMM

大倉庫には生徒会長がたびたび見回りにくるので、キスに満足すると、私たちはさっさと出ることにした。

外に出たとたん、冷気にさらされたけれど、身体は変に火照っていた。

カホの手は私のコートのポケットに入りこんでいた。その中で、私たちは指を絡めながら、中庭を歩く。

「さむ~い、かと思ってたんですけど、なんだか暖かいですね」

「そうね、もう季節柄、寒いことには寒いのだけれど、不思議ね」

「なんででしょうかね~」

なんてうそぶきながら、カホはポケットの中で私の指を入念になぞった。

それが私は気に入った。

「ふふ、なんでかしらね~」

同じように、カホの指をするりとなぜる。

二人して、またくすくすと笑う。

小さなポケットの中で、私たちはまるで踊るように指を絡めていた。

 

87: (ブーイモ 4785-27cc) 2024/01/10(水) 20:38:50 ID:lxU2R4ukMM

「もう少しすると、また一気に冷えて、雪が降るかもしれないわね」

「雪! 楽しみです」

「カホは、雪が好き?」

「大好きです! ね、ね、梢センパイ、積もったら、一緒に遊びましょうね!」

「そうね、その時には、ちゃんとした手袋を用意しないといけないわね」

「う~~確かに。しもやけは好きじゃないです……!」

「ふふ。それじゃあ今度、一緒に手袋を買いに出かけましょうか」

「! それって、デートのお誘い……!」

「あっと、そうね、そういうことになるのかしら」

カホが目を輝かせているのを見て、自分でも確かにと、意外に思った。

そういえば、私はこういったことが苦手だったはずだ。カホに出会ってから、少し積極的になれてきているのだろうか?

あるいは、花帆さんにも同じようにできていたら、なにか変わっていたのだろうか──という思考が一瞬沸いたが、即座にかき消した。

それは意味のない思考だ。

 

88: (ブーイモ 4785-27cc) 2024/01/10(水) 20:40:05 ID:lxU2R4ukMM

「ぜひ! ぜひぜひ! 行きましょう!」

わーいと、カホが片手を挙げて喜ぶ。片方の手は、私のポケットで固く握られているままに。

握って離さなかったのは、カホなのか、私なのか。あるいは両方か。

無駄な思考はひたすら切り落として、目に見える可憐な少女と、手に感じる確かな体温に没頭する。

レモンカードのような甘酸っぱい幸せを、私はただ味わっていたかった。

 

89: (ブーイモ 4785-27cc) 2024/01/10(水) 20:42:13 ID:lxU2R4ukMM

「あ、サザンカが咲いてますよ!」

中庭の道は通学路と重なっていた。通学路といっても、寮も敷地内だからたいした距離ではないのだけれど。

道ばたの緑に映える赤い花弁を、カホは指さしていた。

「あら、この花、サザンカだったのね。ずっとツバキだと思っていたわ」

「サザンカもツバキ科ですからね。」とカホはふふんと胸を張る。どうやら自信があるらしい。

「すっごく似てるから、見分けるのは難しいですけど、でも、時期的にサザンカだと思いますよ。ツバキはもっと春先のイメージです」

私は素直に感心していた。

「さすが、お花に詳しいのね」

「えへへ。花の散り方が違うので、そしたらすぐわかるんですけど」

「そうなの?」

「はい! ツバキはお花が丸ごと落ちるんです。時期になると、ぽとぽとぽとって、落ちてるのを見ることができて、可愛いですよ」

梢センパイの髪飾りも、ぽってり可愛いツバキですね。

と笑顔で言うカホに、

いやいやこれは可愛いではなく綺麗とか上品のイメージなのだけれど、と思ったが、恥ずかしいので言わないでおいた。

 

90: (ブーイモ 4785-27cc) 2024/01/10(水) 20:44:03 ID:lxU2R4ukMM

「一方で、サザンカは花びらがひとつひとつ散るんです。これが分かりやすい見分け方ですね」

「へぇ、勉強になるわね」

と正直に言うと、カホはぶんぶんと首を振った。

「い、いやいや勉強だなんて! 柄にもなく梢センパイに講釈垂れちゃいました……」

「いいのに」と私は呟いてから、ふと小悪魔的な思いつきを耳元で囁いた。

「賢そうなカホも、素敵よ」

「~~!」

カホはぽっと照れて、ごまかすように、手がぎゅっと握られる。

その頬はサザンカの花弁とよく似て、可憐に染まっていた。

 

91: (ブーイモ 4785-27cc) 2024/01/10(水) 20:49:05 ID:lxU2R4ukMM

(サザンカがどうなったかは活動記録のとおりです。)

 

93: (ブーイモ 3d5a-27cc) 2024/01/12(金) 19:26:58 ID:MPBCtlNAMM

それから私たちは図書室と、部室を見て回ることにした。

どちらもカホのリクエストだ。

記憶にはあるけれど、カホとしては知らないので、入ってみたかったらしい。

図書室では入ってすぐに、「やっほ」とカホに声がかかった。相手は図書委員の子だった。

カホは驚くことなく、ごく自然な笑顔で「やほ」とだけ返していた。

それでやり取りは終わって、図書委員の子はカウンター業務を再開した。

図書室をよく利用する花帆さんの顔見知りなのだろう。一連の流れはよどみがなく、図書委員の子はカホが花帆さんでないことを疑う隙さえなかった。

新刊図書や、古典、そして児童文学をしばらく満喫してから、私たちは図書室を出た。

 

94: (ブーイモ 3d5a-27cc) 2024/01/12(金) 19:29:50 ID:MPBCtlNAMM

部室には誰もいなかった。ただ、綴理とさやかさんが来ている形跡はあった。

二人のカバンと制服が、おそらくはさやかさんの手によって、几帳面に整頓されていた。今ごろ屋上か校庭で練習しているのだろう。

クラブのメンバーに出会わなかったのは幸運なのかも知れない。ただ、最悪出会ってしまっても問題ないと私たちは思っていた。

カホを花帆さんでないと見抜くことは出来ないだろう。

サザンカをツバキと見間違うように、カホも花帆さんと見間違われるだけだ、という思いが、先ほどの図書室でのやり取りから一層強くなっていた。

そこで気になることが一つ。

「でも、花帆さんだと思われるのは、カホにとっては複雑な心境なのかと思っていたわ」

と、私は疑問をそのままカホに投げかけた。

部室を興味津々に冒険していたカホは、私の言葉にくるっと振り向いた。

「あ~、違いますよ。色んな人に誤解される分には、まあいっか、って思うくらいです」

面倒ごとも減りますしね、とカホは苦笑する。

「でも、梢センパイだけは、カホって呼んでくれなきゃイヤですよ? それは、前に話した通りですからね」

前に話した、というのは、ファーストキスのときの話だった。

私はそのときの熱を想起して、胸がひとつ跳ねた。

 

95: (ブーイモ 3d5a-27cc) 2024/01/12(金) 19:31:49 ID:MPBCtlNAMM

「つまり、私はカホの特別なのね?」

私は聞きながら、カホにある視線を送っていた。カホはそれを理解して──見間違いでなければ──蠱惑的に微笑んだ。

「そうですよ? 梢センパイは、あたしの特別なんです」

カホは答えながら、私のそばに寄って、そっと腰に触れた。

「梢センパイにとって、あたしは特別ですか?」

私は彼女の頬を、すずらんの花を支えるように優しく、手のひらで抱いた。

親指の腹で、カホの柔らかな唇をなぞる。しっとりとしたリップが、花手水に浮かぶ花のように、淡く揺らいだ。

「特別だけれど……」

「だけれど?」

「あなたを特別だと思うこの気持ちが、あまりにも大き過ぎて……どうすれば余すことなく伝えることが出来るのか、悩ましいの」

カホは私の手のひらに、匂いをこすりつけるように、すりすりと頬をなでつけた。

「じゃあ、いっぱい、試してみてください」

「ええ」

 

96: (ブーイモ 3d5a-27cc) 2024/01/12(金) 19:38:34 ID:MPBCtlNAMM

いつもの部室だった。休日の部室棟は閑散とした静けさと、活動している部活のざわめきが、不思議に両立していた。

鍵はかけていなかった。部室の扉は入ったときに当たり前のように閉じただけで、しんと沈黙している。

その扉をガチャリと開けて、いまにもDOLLCHESTRAの二人が帰ってくるかも知れないし、みらくらぱーくの二人がやってくるかも知れない。

もしかすると、デートに出かけているはずの花帆さんが現れるかもしれないし、沙知先輩がひょっこり様子を見に来ることもあるかも知れない。

私たちは扉一枚越しのリスクと接していた。

それでも、一度点いた火を簡単に消すことはできなかったし、正直、このスリリングな状況が追い風になっていることも否定できなかった。

私の胸はいまや、カホを欲して熱く燃えていた。

 

97: (ブーイモ 3d5a-27cc) 2024/01/12(金) 19:41:00 ID:MPBCtlNAMM

「……ん」

触れるだけのキスに、カホが小さく声を漏らす。

目を閉じて、頬を染めるその姿が愛おしすぎて、私は狂いそうになる。

私たちは息継ぎをするように、何度も、何度もキスをした。実際、キスをしなければ、胸に溜まった恋慕の情に溺れてしまいそうだった。

扱いきれない重さの愛を、私からカホへ口移しする。同じように、私はカホからの愛を吸い、嚥下する。

「──もっと」

息継ぎの合間に、短くしぼりだされた愛の催促が、私の脳髄に火をつける。

カホの唇についばむように触れては離し、その柔らかさを堪能する。

口元から漏れた唾液を舌ですくって、またキスをする。二人の体液は口中で混じって、舌と舌でとりわけられ、また二人の身体へコクリと飲み込まれていく。

そうして私たちは愛の味を知る。

「好き、大好き」「好き、愛してる」「もっと、もっと」「まだまだ」「ずっと」「一緒に、どこまでも」

誰が口にした言葉かもうわからなかった。

口中で体液を混ぜるのと同じように、私たちが発した言葉は空中で混ぜこぜになって、帳のように私たちを覆っていた。

【私はカホを愛している。】

【そしてカホも私を愛している。】

その事実は溺れるほど極上だった。

 

98: (ブーイモ 3d5a-27cc) 2024/01/12(金) 19:42:11 ID:MPBCtlNAMM

私たちは寮の部屋へ帰ってきた。

道すがら、色んな人とすれ違った気がするけれど、あまり憶えていない。

部屋につくと、私はカホのリクエストで紅茶を淹れる。

最初の頃こそ、わずかに水を飲むだけだったカホは、私の淹れた紅茶なら飲むようになっていた。

濃いめに淹れたサバラガムワに、牛乳を加えて、ミルクティーにする。カホ用のほうには、さらに多めに砂糖を入れてあげる。

「おいしい」

ほうっと熱い吐息をはいて、私たちは気持ちを落ちつける。

今日という日を終えるにはまだたっぷり時間が残っていたけれど、いったん小休止が必要だった。

でなければ、私たちは燃え尽きてしまいそうだった。

 

99: (ブーイモ 3d5a-27cc) 2024/01/12(金) 19:43:16 ID:MPBCtlNAMM

この後も、同じように過ごすことを私は望んでいたし、そうできるものと思っていた。

私たちは結ばれていて、ほかに障害も無くて、悩むことなく愛を紡いでいけるものだと。

けれど、私の見通しはいつだって肝心な時に甘く、そのうえ、誰も救えないのだ。

 

100: (ブーイモ 3d5a-27cc) 2024/01/12(金) 19:45:18 ID:MPBCtlNAMM

こほっと、咳き込む音がした。

咳はカホからだった。ティーカップをソーサーに置いて、片手は口もとを抑えていた。

大倉庫での掃除と同じように、どこか埃が舞ったのかと一瞬思った。

けれど、違っていた。

「ごほっごほっ──ひゅ─ごほっ──」

「カホ!?」

それは尋常な様子ではなかった。カホは苦しそうに身体をくの字に曲げて、床に向かって何度も咳を吐き出していた。

咳のたびに身体は大きく揺れて、喉が切れるような苦しい音がした。身体中のなにもかもを吐き出すような勢いだった。

「ごほっごほっ──んっ……ふっ……──ごほっ」

発作はしばらくつづいた。私はその間、わけのわからぬまま、カホの背中を撫でることしかできなかった。

 

101: (ブーイモ 3d5a-27cc) 2024/01/12(金) 19:46:49 ID:MPBCtlNAMM

ふうふうと、カホは涙目で息を落ち着けて、それから、喉を潤すようにミルクティーを少し口に含み、飲み込んだ。

それからまた少し待ってから、私は口を開いた。

「……カホ、大丈夫?」

「はい、えへへ……ご心配かけちゃいました」

ふと、私は手の甲に熱を感じた。カホの背中に回していないほうの手を、カホが握っているのだった。

その熱の意味するところが『心配しないで』なのか、『一緒にいて』なのか、私には判断がつかなかった。

「もしかして、紅茶が変なところに入った、とか」

と私は言いながらも、そういう類ではないことを感じていた。

「それか、久しぶりに外に出て、疲れちゃったとか」

 

102: (ブーイモ 3d5a-27cc) 2024/01/12(金) 19:48:38 ID:MPBCtlNAMM

「疲れ……それもあるかもしれません」

とカホは言った。それから諦めるように微笑んだ。

「でも、これは元からなんです。今日はいつもより梢センパイと一緒にいる時間が長いから、それで見つかっちゃっただけ」

私はまだうろたえていた。ただカホの背中に触れ、撫でることしかできなかった。

「あたしは、元からそういう風に生まれたんです」

とカホは続ける。大事にしまっていた柔らかな包みを、ゆっくり紐解くように。

「日野下花帆の【純潔と病】が切り離されて生まれたのが、あたしなんです」

 

103: (ブーイモ 3d5a-27cc) 2024/01/12(金) 19:50:21 ID:MPBCtlNAMM

言っちゃった、とひとりごちるカホを前にしても、私はまだよく理解できていなかった。

ただなんとなく、腑に落ちるところがあった。

私はその感覚がどこからくるのか確かめたくて、綱で引くように意識をたぐり寄せ、そして気付いた。

カホはいつも【純粋な清らかさと、ほかの何かが混じったような匂い】がする。

【ほかの何か】はいったい何の匂いなのだろう、と思っていた。

今ではよくわかる。

私はカホの背中を撫でながら、さりげなく匂いを嗅いだ。

これは【病人の匂い】だ。

 

112: (ブーイモ 9643-9714) 2024/01/14(日) 22:34:08 ID:hCDLQCnYMM

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113: (ブーイモ 9643-9714) 2024/01/14(日) 22:36:06 ID:hCDLQCnYMM

「梢あんた、これで良いと思ってんの?」

部活が終わって、一年生が帰った後、慈に声をかけられた。

不躾な声だった。

「いきなり、なんのことかしら。さっぱり分からないわね」

「あんたね……」

慈はイラつきを隠そうとしていなかった。いや、これでもしばらく、我慢していたのかも知れない。

慈の隣には綴理がいて、大きな身体を小さく、縮こまらせていた。ただ、悲しい顔をして。

 

114: (ブーイモ 9643-9714) 2024/01/14(日) 22:37:12 ID:hCDLQCnYMM

「わざわざボカシて言ってあげてんでしょ。それでも、わかんないわけないじゃん」

「分からないわね」と私は繰り返した。

「あなたの話し方はいつだって自由が過ぎて、私には聞き取りにくいの」

それだけ言って帰ろうとしたけれど、扉を妨げるように、綴理が動いていた。

「こず……」

綴理はそれだけ言った。本当はほかにも言いたいことがあるのかも知れない。

けれど綴理はその気持ちを言葉にするのが苦手だったし、なんにせよ私は聞きたくなかった。

 

115: (ブーイモ 9643-9714) 2024/01/14(日) 22:38:58 ID:hCDLQCnYMM

門番のような綴理は、一言で事足りた。

「どきなさい、綴理」

「……っ」

それだけで委縮して、綴理は後ずさる。何も問題はなかった。

「──花帆ちゃんのことだよ」

「…………」

後ろからの慈の声に、無視してしまえばいいのに、反応してしまった。

「花帆ちゃんの最近の、誰かさんとのデートのことだよ」

 

116: (ブーイモ 9643-9714) 2024/01/14(日) 22:40:06 ID:hCDLQCnYMM

「梢だって、気付いてないわけないでしょ?」

と慈は言った。その言葉は存外に穏やかで、慈しみの心が混じっていた。

この子は花帆さんの逢瀬で、乙宗梢が傷ついていると思って、気を使っているのだ。

彼女の優しさが表れた形ではあるけれど、その気の使い方は、むしろ私を苛つかせた。

「それがなにか?」

「え?」

「それがなにか、問題があるのかしら、と言っているのよ」

そう強気に言うと、慈もたじろぐ。その様子を見て、やはり何も問題ない、と私は確信した。

 

117: (ブーイモ 9643-9714) 2024/01/14(日) 22:41:30 ID:hCDLQCnYMM

「問題ってそりゃ……」

「もちろん、私も花帆さんの行動については逐一把握しているから、あなたの言っている件も気付いているわ。

「そのうえで言わせてもらうけれど、花帆さんは実に上手くデートを偽装している。私が気付いたのは当然としても、あなたが気付いていることに驚いたくらいよ」

言いながらも、慈が気付くのもなんとなく得心がいった。

私は花帆さんのマクロな行動から逢瀬に気付いた一方で、慈はミクロな変化を捉えていたのだろう。

つまり、服装や、メイクや、仕草や、話し方といった細かな違和感から、彼女は花帆さんの逢瀬にたどり着いたのだ。

藤島慈は女の子をよく理解している、それは事実。

ただ、それだけだ。

 

118: (ブーイモ 9643-9714) 2024/01/14(日) 22:42:34 ID:hCDLQCnYMM

「スクールアイドルに恋愛がご法度だとしても、花帆さんの逢瀬が表に出ることはないわ」

「そんなの、わかんないじゃん! こんな綱渡り、ずっと上手くいくわけないって梢もわかるでしょ!?」

「あるいはそうかも知れない。もしそうなら、私もフォローしなくてはね」

「んなっ……というか! バレるとかバレないとか、私はそんなことよりも、梢のことが心配なの!」

私はそこでようやく慈の目を見た。真剣な瞳で、なんとか乙宗梢に話を聞いてもらおうとしている……ということを、私は客観的に感じた。

「だって梢、花帆ちゃんのこと大好きじゃん! だから、これで良いのかって聞いてんの!」

「黙りなさい」

と私は辛うじて言った。胃のあたりがねじれるような思いがした。

 

119: (ブーイモ 9643-9714) 2024/01/14(日) 22:44:13 ID:hCDLQCnYMM

それでも慈は止まらなかった。

「相手がどんな人かなんて知らないけどさ、部長なんだから、無理矢理にでも花帆ちゃんに辞めさせなよ。……私、梢が傷つくのなんて見たくないんだよ」

「やめて」

と私は厳重に言った。

それは最もやってはならないことだった。

「慈、もう忘れなさい。そもそもあなたが気にすることではないのよ」

「え……」

「花帆さんが誰とお付き合いしようが、それで私が傷つくことはないし、万一傷ついたとしても、あなたには関係がないことでしょう」

「なんで……」

「忘れることができないのなら、ただ花帆さんの幸せを祈ることね」

それから慈は長いこと私のことを見詰めていたけれど、結局なにも言ってこなかった。

ただ、呟くように、バカ、とだけ聞こえた。

 

120: (ブーイモ 9643-9714) 2024/01/14(日) 22:45:21 ID:hCDLQCnYMM

「綴理も、いいわね?」

扉を守るようにして立つ綴理は、ただ悲しそうな顔をしていた。

いつもなにを考えているのかよく分からない彼女だけれど、今は頭の中で「どうして」という単語が巡っているだろうことはわかった。

結局、綴理は扉の前からどいた。

その代わり、ほとんど泣きそうな顔で綴理は言った。

「こずも、かほと一緒で、どこかに行っちゃうの……?」

彼女の言葉は相変わらず意味不明だった。それでも私は答えることにした。

あるいは、自分の意思を確認するために。

「私はいつまでもカホと一緒よ」

 

121: (ブーイモ 9643-9714) 2024/01/14(日) 22:46:10 ID:hCDLQCnYMM

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122: (ブーイモ 9643-9714) 2024/01/14(日) 22:47:22 ID:hCDLQCnYMM

ある日、珍しい人影が珍しい方向へトコトコと歩いているのを見かけたので、私は後を追ってみることにした。

その小さな人影は校庭脇の林を抜けて、学校の敷地の境界にある金属製の黒い柵を見上げていた。

しばらく睨んで、意を決したらしい。彼女はその柵をつかんで、よじ登り始めた。

そこで私は声をかけた。

「こんにちは、沙知先輩」

「!? こずえ!? あっと」

不意を突かれた沙知先輩はぱっと手を放してしまって、ぽすんと地面に落ちてしまった。

高く登っていたわけではない。沙知先輩はしっかり足で着地した。

それからこちらを向いたときには、抗議するように半眼になっていた。

「こ~ず~え~、急に声をかけられるとビックリするじゃないか」

「ふふ、ちょっとしたイタズラですよ」

 

123: (ブーイモ 9643-9714) 2024/01/14(日) 22:48:41 ID:hCDLQCnYMM

「やれやれ」

と沙知先輩はため息をついて、周りにほかのだれもいないことを確認した。そして、

「ま、梢ならいいか。秘密だからなー」

と言って、また柵を上り始めた。

「やめないんですか? あ、もしかして生徒会の仕事とかでしょうか」

「んっしょ、いんや、これはお遊びなんだぜ。見逃してくれても、ついてきても構わんよ」

四苦八苦しながら柵を越えようとする小さな先輩を見上げながら、私は少し考えた。

沙知先輩は生徒会長である。花帆さんの逢瀬、あるいはその私の追跡が、この柵を越えるルートであることを知って、生徒会長として探りに来た可能性はあるだろうか?

反応を見るかぎりは、その可能性は薄そうである。

ただ、よく分からないので、とにかくついて行くことにした。

 

124: (ブーイモ 9643-9714) 2024/01/14(日) 22:49:57 ID:hCDLQCnYMM

「生徒会長が脱走なんて、大目玉ものですね」

と言って、私は必死に柵を上る沙知先輩のお尻を支えた。

「ちょいちょい、子どもじゃないんだから」

沙知先輩はそう恥ずかしそうに言って、なんとか柵を上りきり、向こう側に降り立った。

私も同じように(時間をかけて慣れてないように見せかけて)、柵を越えた。

「それで、わざわざこんなところから、どこへ行くんですか?」

「すぐそこだよ」と沙知先輩は言った。

「我らが蓮ノ空女学院の名前のもとになっている、蓮の花の咲く湖──蓮ノ湖さ」

 

125: (ブーイモ 9643-9714) 2024/01/14(日) 22:52:07 ID:hCDLQCnYMM

「卒業が近くなってくるとね、今さらながら、学校のことをよく知っておきたいと思うようになってきたんだ」

と、林をさくさく歩きながら沙知先輩は話し始めた。その歩幅は懐かしいほどに短い。

「生徒会長として色々やってきたし、家族からも話は聞いているけれど、それらはあくまで学校というシステムに関することが多かった。

「つまりさ、この土地に関する歴史はオマケ程度にしか知らないんだ。三年もお世話になっておいて、それは淋しいだろう?」

私はそのことを考えてみた。確かに私も蓮ノ空という土地がどのような成り立ちを持つのか、それほど詳しくない。

ただ、淋しいという感覚に至るには、まだ時間がかかりそうだった。

「まあ、淋しいのさ」と沙知先輩は重ねて言った。

「卒業すると簡単に学校に入ることも難しくなる。そうすると、知る機会も失われてしまう。その前にやるだけやっておきたくてね。

「知ってるかい梢。その土地の歴史に関する文献は、この国最大の図書館である国立国会図書館よりも、その土地の図書館のほうが充実してたりするんだぜ」

「なるほど」と私は言った。

ひとまず心配ごとはなさそうだった。

 

126: (ブーイモ 9643-9714) 2024/01/14(日) 22:56:28 ID:hCDLQCnYMM

蓮ノ湖はいつも通りの景色だった。静かな林の中で、暗い湖面がわずかに揺らいでいる。

金沢は本日も曇り空。湖面が明るく照らされることはなく、寒々しさが増すばかりだ。

「やあ、見事な蓮じゃないか」

と、沙知先輩は言った。けれど、そこに蓮らしい蓮はない。

湖面には黒い枯れ枝のようなものが、柳のように細々と刺さっているのみだった。

この季節、蓮の花が散り失せているのは当然のこと、葉も茎もすべて枯れ縮み、湖に伏している。

「”枯蓮(かれはす)”、あるいは”枯蓮(かれはちす)”っていうのは、冬の季語なんだ。風情があるだろう」

はちす、っていうのは、はすの古い読みだね、と沙知先輩は補足する。

「あるいは”蓮の骨”とも言う。実に芯をとらえた表現だと思わないかい」

言われて、私はもう一度湖を見る。確かに、命の気配が薄くなった淋しい湖面に、まるで骨のように突き出ている枯蓮は、そこはかとない情緒があるように思える。

「”蓮枯れて 夕栄うつる 湖水かな”──正岡子規だ。まあ、ここだと違和感があるけどさ」

という沙知先輩の言葉に、私はくすりとした。

「ふふ、夕映えなんて、明日は雨かしらと思っちゃいますね」

「そうだね。私たちならそう思う。詠んだのはきっと上野の不忍池だろうな。あっちのほうは、冬はずっと晴れてるって話だし」

なかなか実感の湧かない話だった。私たちにとって、冬の空といえば、地平とつながったような一面の曇り空だから。

痛々しい蓮の骨が暗い湖面にうなだれている様子は、どこか死の気配を思わせた。

 

127: (ブーイモ 9643-9714) 2024/01/14(日) 22:58:08 ID:hCDLQCnYMM

(つづきます。)
(つぎでおわれるかなとおもいます。)

 

128:>>126一人称ミス!! (ブーイモ 9643-9714) 2024/01/14(日) 23:02:55 ID:hCDLQCnYMM

蓮ノ湖はいつも通りの景色だった。静かな林の中で、暗い湖面がわずかに揺らいでいる。

金沢は本日も曇り空。湖面が明るく照らされることはなく、寒々しさが増すばかりだ。

「やあ、見事な蓮じゃないか」

と、沙知先輩は言った。けれど、そこに蓮らしい蓮はない。

湖面には黒い枯れ枝のようなものが、柳のように細々と刺さっているのみだった。

この季節、蓮の花が散り失せているのは当然のこと、葉も茎もすべて枯れてしまって、湖に伏している。

「”枯蓮(かれはす)”、あるいは”枯蓮(かれはちす)”っていうのは、冬の季語なんだ。風情があるだろう」

はちす、っていうのは、はすの古い読みだね、と沙知先輩は補足する。

「あるいは”蓮の骨”とも言う。実に芯をとらえた表現だと思わないかい」

言われて、私はもう一度湖を見る。確かに、命の気配が薄くなった淋しい湖面に、まるで骨のように突き出ている枯蓮は、そこはかとない情緒があるように思える。

「”蓮枯れて 夕栄うつる 湖水かな”──正岡子規だ。まあ、ここだと違和感があるけどさ」

という沙知先輩の言葉に、私はくすりとした。

「ふふ、夕映えなんて、明日は雨かしらと思っちゃいますね」

「そうだね。あたしたちならそう思う。詠んだのはきっと上野の不忍池だろうな。あっちのほうは、冬はずっと晴れてるって話だし」

なかなか実感の湧かない話だった。私たちにとって、冬の空といえば、地平とつながったような一面の曇り空だから。

痛々しい蓮の骨が暗い湖面にうなだれている様子は、どこか死の気配を思わせた。

 

135: (ブーイモ e8ea-cc51) 2024/01/20(土) 17:08:59 ID:2wNXBT7sMM

「お、あったあった」

蓮ノ湖の周りを歩いた先、沙知先輩が楽しげに見つけたものに、私は内心驚いた。

それは花帆さんが逢瀬に使っている、例の小屋だった。

「これは……?」

と私は言った。言葉は自然と出ていた。

沙知先輩はどこかわくわくした様子で、小屋の汚れた壁に触れていた。

「詳しくは知らん」と沙知先輩は言った。その割には、目が輝いていた。

「ただ、蓮ノ空と蓮ノ湖の歴史を調べていると出てきてね、それで見に来たわけだけど、しかし、実際あったなぁ」

感慨深そうに沙知先輩は言う。私のほうは少し混乱していた。

私や、あるいは花帆さん達にとっても、この小屋はよこしまな存在でしかなかった。

しかし、沙知先輩の目線はむしろ尊いものを見るそれだった。

 

136: (ブーイモ e8ea-cc51) 2024/01/20(土) 17:12:13 ID:2wNXBT7sMM

「大昔から祠があったらしい」

と沙知先輩は言った。

「この小屋じゃあないんだぜ。小屋の中にさ。小屋自体はずっとあとになって、雨風を避けるためにつくられたものらしい」

少なくとも、トタンが普及したあとだねぃと、トタンの赤錆を眺めながら沙知先輩は言う。

「祠って、どういうのですか?」

と私は言った。実物がないので、いまひとつわからなかった。

少なくとも、この小屋の中にはレジャーシートしか置かれていないはずだった。

「さあ、わからない」と沙知先輩はあっけらかんと言った。

「祠自体の行方は知れないんだ。戦前にはふもとの神社に移されたらしいんだけど、どこの神社かはわからない。くわしい記録がなくてね。

「ただ、この小屋のサイズからして、大きさはそこらの道にあるお地蔵さんの祠のイメージじゃないか? たぶん」

 

137: (ブーイモ e8ea-cc51) 2024/01/20(土) 17:14:36 ID:2wNXBT7sMM

沙知先輩は小屋の引き戸に手をかけ、ガタガタと引き開けた。

中にぼんやりと光が差し込んで、土ぼこりが浮かび上がる。何度も見た光景だった。もちろん祠はない。

「うむ、空っぽだ。……いや」

言いながら、沙知先輩は入り口でしゃがみ込んだ。

「板張りの床があるな。地面が見えるもんだと思ってたが……祠を移してからだれかが改造して、物置として使ってた、とかかな」

というか、とつぶやいて、沙知先輩は物色をつづける。

「なんか新しめのレジャーシートもあるし……微妙にほこりが取れてるところもあるし……。つい最近も使われてるみたいだ。やれやれ、罰当たりだねい」

罰当たり、という単語が私は気になった。

 

138: (ブーイモ e8ea-cc51) 2024/01/20(土) 17:17:55 ID:2wNXBT7sMM

「そもそも、なんのために祠があったんでしょう?」

「お、梢も気になってきたか」

沙知先輩は楽しげにうなづいた。

「蓮ノ湖を祀ってたんだよ。この神聖なる我らが湖を、さ。

「ほら、祠に合わせて建てられたこの小屋だって、蓮ノ湖のほうにまっすぐ向かうようになっている。わかるかい?」

言われてから、私もようやく気付いた。たしかに小屋の正面に立つと、まっすぐ蓮ノ湖を臨む形になる。

祠と小屋の向きが同じだったとすると、手を合わせた祈りはまっすぐ蓮ノ湖へと向かうわけである。

「そこで気になるのが蓮ノ湖の成り立ちなんだけど、

「位置的には農業用のため池だし、実際普段はそういった役割を担っている。蓮ノ湖でたくわえられた水は浅野川に合流し、流域の田んぼを潤すわけだ」

ひゃくまん穀、食べてるかい? 寮だと基本コシヒカリだけどね、と沙知先輩は笑った。

「でも、人工湖じゃないんだ。おそらくは、大昔の土砂崩れでできた天然のダム湖、と考えられている。そこに手を加えて、今の形になったわけだ」

「土砂崩れ、ですか」

「そう、自然災害だ。つまり大昔の人にとっては、神様の領分だ」

小屋から出た沙知先輩は、じっと蓮ノ湖を見詰めた。

「祠はきっとその頃に出来たわけさ。人の思いを受けとめるためにね。鎮まり給え、あるいは、豊かな水への感謝……その両方」

 

139: (ブーイモ e8ea-cc51) 2024/01/20(土) 17:26:59 ID:2wNXBT7sMM

「なんてね」

ひととおり話すと、沙知先輩はからっと笑った。

「最後のは空想だよ。ま、こういうのも楽しいだろう。日常と隣り合わせの神秘っていうかさ。なにせここは金沢、幻想文学の大家・泉鏡花の生まれ故郷なわけだしね」

「なかなか興味深いお話です」

と私がいうと、沙知先輩はそうかぃ、と嬉しそうにしていた。

それから私は「でも」といいかけたけれど、結局やめてしまった。わざわざ沙知先輩にいうようなことではないと思ったからだ。

沙知先輩の話は興味深い。けれど、ある視点に欠けていた。

この場所で捧げられた祈りが、湖に関するものだけとは限らない。

もっと【個人的な願い】を捧げた子もいただろうな、と。

 

140: (ブーイモ e8ea-cc51) 2024/01/20(土) 17:28:43 ID:2wNXBT7sMM

帰り道、沙知先輩はほくほく顔だった。文献に書かれていることを実際に確認できた、というのが、それほど嬉しいらしい。

「やあ、梢がいてくれて良かったよ。実のところ、心細くってさ」

「ふふ、偶然見かけて良かったです。どこ行くんだろうって、すっごく怪しかったですよ」

いやーあはは、と沙知先輩はイタズラが見つかったように笑う。

そこが隙だった。

「ところで沙知先輩は、三年の──先輩ってご存知ですか?」

「え? ああ、えーと……よく知ってる仲ってわけではないけど。確か東京進学組の一人だったかな」

「へぇ、東京へ」

 

141: (ブーイモ e8ea-cc51) 2024/01/20(土) 17:31:23 ID:2wNXBT7sMM

「なんだっけ、あ、そうそう、同じことを前に花帆からも聞かれたな」

「花帆さんが?」

「ああ、どんな人かって。なんでも、発作が起きた時にたまたま助けてくれた、とかで」

「発作?」

私は自分の言葉が、まるで岩のように重くなったことを自覚した。

沙知先輩もすぐに気付いて、しまった、という表情になっていた。

「おっと、聞かされてなかったか……というか、うーん、ちゃんと話しなさいって言ったんだけどなぁ」

沙知先輩はどこか遠くに目をそらしながら、ぎこちない苦笑いをつくっていた。

もしかしたら、私は恐ろしい顔になっていたのかもしれない。

ただ、頭のほうは冴えていた。

花帆さんの逢瀬のこと、それから、カホと花帆さんの関係のこと。いまに至るまでの時間軸がようやく腑に落ちた。

それから、感謝した。

あの日、初めてカホと出会った日。

傷付き、泥と血に汚れ、震えていた【あの子】を見つけたのが、私で本当に良かった、と。

 

142: (ブーイモ e8ea-cc51) 2024/01/20(土) 17:35:28 ID:2wNXBT7sMM

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143: (ブーイモ e8ea-cc51) 2024/01/20(土) 17:37:01 ID:2wNXBT7sMM

私に発作のことを知られてから、カホは体調を崩しがちになっていた。

本当は、ずっと無理をしていたのかも知れない。私に心配をかけないように、と。

病はカホの身体をむしばみ続けていた。

あるいは、カホの身体における【病】の割合が増え続けていた、という表現のほうが、この場合正しいのかも知れない。

正確なことはわからない。正解の表現なんてものがあるのかすらわからない。

あるとしても、それはきっと神様にしかわからないのだろう。

蓮の花の咲く湖の神様にしか。

「じゃあ、行きましょうか」と私は言った。

「はい」とカホは応えた。

冬の空、まだ雪は降っていなかった。

 

144: (ブーイモ e8ea-cc51) 2024/01/20(土) 17:44:24 ID:2wNXBT7sMM

蓮ノ湖は今日も寒々しい風景が広がっていた。

天気は悪く、湖面は暗い。取り残されたような蓮の骨だけが痛々しくうなだれていた。

私たちは蓮ノ湖に沿って林を進み、例の小屋を見つける。がたつく引き戸を開いて、中に入り、そして閉めた。

小屋の中は真っ暗にはならなかった。壁や屋根にところどころすき間が出来ていて、お互いの姿が見える程度には薄明かりが入り込んでいるのだ。

その代わり、外で風が吹くと、ひゅうというすり切れた音とともに、冷気がふっと吹き込んでくる。

冷え込みが強くなってからというもの、花帆さんたちはこの小屋を使っていない。それも納得だった。

私たちはレジャーシートを敷いて、そこに二人で横になった。私のコートは脱いで、カホと一緒に被ることにした。

コートの下で、私たちは密着する。それでようやく、暖をとることができる。

 

145: (ブーイモ e8ea-cc51) 2024/01/20(土) 17:47:46 ID:2wNXBT7sMM

「梢センパイ」と胸に抱いたカホの催促に気付き、私は身をよじって、頭の位置をカホと合わせた。

横向きのまま、目の前がカホの可愛らしい顔でいっぱいになる。初めて会ったときと変わらない、ブルーグリーンの瞳が美しい。

「大好き」
「大好き」

どちらかが先に言って、どちらかが返した。順番に意味はなかった。

私たちはもう何度目かわからないキスをした。カホの唇は柔らかく、そして暖かかった。

キスをしながら、私は自分の気持ちに一切の迷いがないことを確信した。

私はカホを愛しているし、これからも愛し続ける。

それが例え今生じゃなかったとしても。

 

146: (ブーイモ e8ea-cc51) 2024/01/20(土) 17:51:10 ID:2wNXBT7sMM

「湖の神様は、きっと優しい神様ですね」

とカホは言った。私たちは額を寄せ合っていた。

「カホは、そう思うの?」

「はい、だって、こうして梢センパイと通じ合えただけで、カホは幸せいっぱいですもん」

その代わり、【病】に苦しむことになったとしても。とまでは、カホは言わなかった。

だから私は代わりに言った。

「そうね、きっと、私の願いも聞き入れてもらえる」

「梢センパイの?」

「ええ」

花帆さんが【純潔と病】を自身から切り分けることができたように、私の【命】をカホに譲り分けることができますように。

カホの【病】を吹き飛ばすくらいの、私自身を捧げることができますように。

カホを優しく撫でながら、私は胸の内でそう願う。口にはせずとも、カホもなにか察しているようだった。

 

147: (ブーイモ e8ea-cc51) 2024/01/20(土) 17:57:14 ID:2wNXBT7sMM

沙知先輩の話を聞いたときから、私はずっと考えていることがあった。

かつて蓮ノ湖を祀る祠があったということ。その祠を守るためにこの小屋ができたということ。そしてそれらは蓮ノ湖を背にしているという点で、同じということ。

それならば、と私は考える。

いまは失せた祠と、この古びた小屋と、どこに差があるのだろう。

どちらも同じ土地で、蓮ノ湖に祈りや感謝を捧げる場所という点で、一致している。

ただの古びた小屋と見るか、神性を帯びた拝殿と見るか。

決めることができるのは、祈りを捧げる者──私自身以外に存在しない。

そしてきっと、彼女たちも無自覚に、この場所で残酷な祈りを捧げたのだ。

 

148: (ブーイモ e8ea-cc51) 2024/01/20(土) 18:00:37 ID:2wNXBT7sMM

「──消えとまる ほどやは経べき たまさかに 蓮の露の かかるばかりを」

私の胸で、カホがひとりごとのようにつぶやいた。

私は偶然にも、その歌を知っている。

記憶を呼び起こして、口を開いた。

「──契りおかむ この世ならでも 蓮葉に 玉ゐる露の 心へだつな」

「わ、梢センパイすごい」

「偶然よ。カホもさすが読書家ね、びっくりしちゃった」

私たちは二人でくすくすと笑い合う。

二首の歌は世界最古の長編小説にして恋愛小説、『源氏物語』からの引用だった。

光源氏最愛の人、紫の上の病床での一幕。

紫の上が蓮の葉にきらめく露を見て、残り少ない命を嘆く。

それに対して、光源氏がこの世だけでなくあの世でも一緒にいることを誓う────文字通り、”一蓮托生”の歌だ。

蓮は古くから極楽浄土、あの世の象徴だという。

蓮ノ湖のふちで、いまこの時、もっとも適している歌だった。

 

149: (ブーイモ e8ea-cc51) 2024/01/20(土) 18:05:57 ID:2wNXBT7sMM

「でもでも、光源氏って浮気者のイメージだなぁ」

「あらあら、私は違いますからね。もちろん、カホ一筋よ?」

「ふっふ~ん? 期待しちゃいますからね?」

「ええ、待っててちょうだいね」

私たちはそれからしばらく、笑い合ったり、互いの熱に触れあったり、キスをしたりしていた。

私の胸に湧き出すカホを愛しく感じる気持ちは、すでに器から溢れてこぼれていたけれど、気にしなかった。きっとそれこそが命だった。

そのうち、カホが「眠くなってきました」とつぶやいた。

私は「そうね、私も」と返した。

カホが目をつむる。ポンポンと、その背中を撫でてあげる。

私も目をつむって、眠りに落ちる直前、もう一度祈りを捧げようとした。

けれど、反射的に出てきた言葉は違っていた。それはシンプルな感謝だった。

ありがとう、と。

 

150: (ブーイモ e8ea-cc51) 2024/01/20(土) 18:07:24 ID:2wNXBT7sMM

7↑↓ED

 

151: (ブーイモ e8ea-cc51) 2024/01/20(土) 18:12:21 ID:2wNXBT7sMM

2023年12月23日土曜日。

日本海側から流れ込んだ強い寒気の影響で、北陸地方は警報級の大雪となった。

金沢でも雪が降り積もり、とりわけ山中の蓮ノ空女学院では一晩にして50cmほどの積雪となっていた。

二年生の乙宗梢は、起きたときの不思議な静けさで、予報通りに雪が積もったことを予感する。

 

152: (ブーイモ e8ea-cc51) 2024/01/20(土) 18:14:22 ID:2wNXBT7sMM

この数日、彼女は長い夢から醒めたような気分でいた。

理由はわからない。

ただ、何かを失ったような喪失感と、心の荷が降りたような安心感を混ぜこぜにした感覚を抱いていた。

この感覚が良いものなのか、悪いものなのかも判断がつかなかったので、彼女は何も考えないことにしていた。

兎にも角にも、本日は土曜日、スクールアイドルクラブの全体練習だ。

 

153: (ブーイモ e8ea-cc51) 2024/01/20(土) 18:19:37 ID:2wNXBT7sMM

「とぉりゃあーー!」

校庭で大きな声が響いて、雪にしんと吸い込まれていく。それは大沢瑠璃乃が雪玉を投げた声だった。雪玉は遠く、明後日の方向へ飛んで行った。

「ええい!」

対抗するように、村野さやかも雪玉を投げる。勢い鋭く、大沢瑠璃乃に直撃した。

「ぐへっ」

「ああ! ごめんなさい!」

投げた本人だというのに、彼女は律儀に謝ってしまう。どこかのんきな光景だった。

この日、雪が降ったのだから、遊ばなければ損だ、という複数人の主張によって、練習は小休止になっていた。

 

154: (ブーイモ e8ea-cc51) 2024/01/20(土) 18:28:00 ID:2wNXBT7sMM

ただ、乙宗梢はこういった遊びに慣れていない。雪が降ればとにかく、雪かきをするのが彼女だった。

少し迷って、藤島慈が雪だるまを作っているのが目に入ったので、そちらに合流することにした。

「えーと、慈、これくらいの大きさで良いかしら?」

「んー? って、でっかいでっかい! そんなの押せないし持ち上げらんないってば」

巨大な雪玉を転がしていくと、藤島慈にそう怒られた。

その反応で、乙宗梢はむしろほっとした。理由はよくわからないが、藤島慈とここ数日、微妙な距離があるように感じていたのだった。

「なーにほっとした顔してんの」

じっと、藤島慈が半眼で睨んでくる。乙宗梢はたじろいだ。

「そ、そういうわけではないのだけれど」

「ふーん。……まあいいや。なーんか憑き物が落ちたみたいな顔してるし。えい!」

「きゃ!」

ばこっと、藤島慈に作りかけの大玉をぶつけられて、乙宗梢は悲鳴を上げた。それを見て、藤島慈はけらけらと笑っていた。

 

155: (ブーイモ e8ea-cc51) 2024/01/20(土) 18:35:36 ID:2wNXBT7sMM

夕霧綴理は村野さやかが投げる雪玉を量産していた。ぼふっと雪を掻いて、ぎゅっと固める。

ぼふっぎゅっ、ぼふっぎゅっ、ぼふっぎゅっ。

彼女はどこか楽しそうに単純作業を続け、雪玉をきれいに並べていた。

「綴理、手伝おうかしら?」と乙宗梢は声をかけた。

藤島慈と同じように、夕霧綴理に対しても、妙な距離があることを乙宗梢は感じ取っていた。やはり理由に心当たりはない。

だから、出来るだけ距離を縮めたいところだったが。

「ん、大丈夫」

「……そう」

いつかの自分のセリフで、やんわり断られてしまう。少なくとも、融和の時は今ではないようだった。

 

156: (ブーイモ e8ea-cc51) 2024/01/20(土) 18:38:48 ID:2wNXBT7sMM

雪玉の飛び交う校庭の隅に、まっすぐ林の方向へ向かう足跡を見つけた。

新雪を苦労してかき分け進まなくてはならない割には迷いがない跡で、奇妙である。

溝のようになった雪道を追って、乙宗梢は林の中に入る。さらに進んで、学校の敷地の境界まで来てしまった。

足跡の主は、日野下花帆だった。

彼女は敷地の境界の黒い柵のすき間から、向こう側を覗いていた。

「花帆さん?」

「あ、梢センパイ、しーっ、しーっ、ですよ」

と、日野下花帆は声を〇して忠告する。それから、柵の向こうを静かに指さした。

乙宗梢は不思議に思いながらも、そっとその方向へ目をやる。すぐにはわからなかったけれど、じっと見ていると、やがて気付いた。

 

157: (ブーイモ e8ea-cc51) 2024/01/20(土) 18:42:27 ID:2wNXBT7sMM

ふわふわとした新雪の上を、ぴょんぴょんと跳ねる影がいた。

真っ白な姿で、それで見つけるのに時間がかかった。

「まぁっ、可愛らしい」と乙宗梢は声を抑えて感激する。

「ね、ね、可愛いですよね」

どうしてこんなところにいるのだろう、と不思議に思った。少なくとも乙宗梢は聞いたことがなかった。

だが、その姿は明らかにウサギだった。ふわふわと、愛らしい白ウサギだ。

「可愛い~~」と日野下花帆が繰り返す。

気持ちは大いに分かった。

 

158: (ブーイモ e8ea-cc51) 2024/01/20(土) 18:46:13 ID:2wNXBT7sMM

「う~ん、抱っこ……いや、なでなでくらい出来たら……」

ぶつぶつと日野下花帆がつぶやく横で、乙宗梢はあることに気付いた。

白ウサギは雪の上をぴょんと跳ねたり、木陰にさっと隠れたりを繰り返している。そのために、気付くのが遅くなった。

ウサギは二匹いた。元気に跳ねる小さな子と、それを見守るような少し大きな子、二匹で遊んでいるのだった。

はっとして、「だめよ、花帆さん」と乙宗梢は釘を刺す。

そして言った。

「彼女たちの逢瀬を邪魔してはいけないわ」

 

159: (ブーイモ e8ea-cc51) 2024/01/20(土) 18:48:24 ID:2wNXBT7sMM

おしまい

 

164: (ワッチョイ 6a4c-2577) 2024/01/20(土) 23:07:00 ID:qdD7hkm200

乙……!!

自分の無い頭が1のストーリーを汲み取れていると信じる

 

165: (ワッチョイ 9c5e-666b) 2024/01/21(日) 00:04:18 ID:RQQsoG9k00

乙でした
二人は幸せになれたのかな

 

168: (ワッチョイ 7d5d-4067) 2024/01/21(日) 21:29:52 ID:IG9w3sDo00

花帆さん:
純潔と病を切り離すことで延命できた。
三年の先輩と密かに関係を持ってる。

カホ:
純潔と病の存在。
病が進行して早晩死にゆく運命。

梢:
生を分け与えることでカホを延命させる。
光源氏の言葉通り、来世でも愛し合えればそれでいい。

コズエ:
梢と何かが分離して生まれた存在。

気になったのは生を捧げたはずの梢は生き残ってるし、カホも延命できてる点。
これは単に寿命を半分捧げたからなのかな、とも思ったけど、

「私の胸に湧き出すカホを愛しく感じる気持ちは、すでに器から溢れてこぼれていたけれど、気にしなかった。きっとそれこそが命だった。」

この一文を読むと花帆さんに感じる愛しい気持ち、恋心自体が梢にとって生そのものなのかな、と考察したり。
乙宗梢にとって生きるとは日野下花帆を愛すること、みたいな意味なら生の代わりに花帆さんへの恋心を喪失するってのも理解できる。
雪だるま作ってる梢先輩が、憑物が落ちたような顔してるってめぐちゃんに言われてるのも、花帆さんへの恋心を代償に失ったから、と考えれば理解できる。
好きな気持ちが消えれば花帆さんに複雑な思いを感じることもないしね。

さらに気になったのは、カホの純潔と病の純潔の部分。病は生を脅かす病魔っていう単純な解釈だけど、じゃあ純潔ってなんだよって。
もしかして花帆さんも、梢先輩同様に恋心(生きる意味)を代償に失ってるんじゃね?とも考えたり。
なぜって、花帆さんは梢先輩では無く三年の先輩と睦み合ってるし、嫌々ではなく心からそうしているように見える(ラブソング書いてるし、発作が起きた時助けてくれたことで恋に落ちるなんてベタだし)
一方、カホは一貫して梢先輩に好意を抱き続けてる。梢じゃなく三年の先輩に。花帆さんとカホは元々同一の存在なのに、恋心と病の有無以外で矛盾が発生してる。
つまりこれって、花帆さんは病が消える代わりに、生きる意味である梢先輩への恋心を同時に喪失したってことなんじゃね?と思ったり。

もしそうなら切り離した純粋な恋心同士が逢瀬してるのってすてきーーーーーー!!って気分になる。

それ以外にも紅茶のシーンとか花の名前とか、一文一文の文章表現がとても好みでした。
長文お目汚し失礼します。作者様の考えと真っ向から乖離していたらごめんなさい。
本当に面白かったです。素敵な読書体験ありがとうございました。
(余談だけど、最後は蓮ノ池に入水っていう蓮ノ空ならぬヨスガノソラエンドかと一瞬思っちゃった)

 

166: (ワッチョイ da70-96d9) 2024/01/21(日) 01:50:24 ID:IjxV3EzE00

カホとコズエ(でいいのかな)は幸せになれたようだから梢先輩のこれからに幸ありますように…

 

引用元: https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/anime/11177/1704618568/

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