【長編SS】千歌「ねえねえっ!今夜みんなで、百物語しよーよ!」【ラブライブ!サンシャイン!!】

ラブライブ

【長編SS】千歌「ねえねえっ!今夜みんなで、百物語しよーよ!」【ラブライブ!サンシャイン!!】

1:ID:QWtWKpxQの代理(SB-iPhone)@\(^o^)/(4級) (ササクッテロラ Spbf-W/tD) 2016/12/28(水) 22:57:58.43 ID:EcbIESBTp.net

百物語って、いいわよね。

その虚実がどうであれ、普段あんなに楽しそうに日々を送っている私たちが。
実は各々心の内で”とあること”を恐れながら、眠れぬ夜を過ごしていると思うと……。

あの笑顔が。途端に仮面に見えてきて────私たちの結びつきすら、まやかしに思えてきてしまう。

だけど。
それに替えて私たちは、互いが各々胸の奥に抱える闇を垣間見ることができるの……。だから。

だから────ふふ、これはある意味、ペルソナの裏の明かし合い……。

さっきはああ言ったけど、この夜遊びは私たちがより真に繋がりを強くするための、通過儀礼なのかも知れないわ。

大好きよ、みんな。
だから、私の闇を。

ミンナモ、キイテクレナイ……?

 


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2:音の話(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa5f-lvdU) 2016/12/28(水) 23:01:59.98 ID:QWtWKpxQa.net

 

梨子「千歌ちゃんと、曜ちゃんと……果南ちゃん以外の人は知らなかったかもしれないけど……

 

 

3:音の話(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa5f-lvdU) 2016/12/28(水) 23:03:49.25 ID:QWtWKpxQa.net

大好きなピアノを弾く中で、どうしようもない壁にぶつかってしまった私は。”海の音”を聞くために、お父さんに無理を言って。
お仕事のつてを頼って、ここ……内浦に越してきたんだ。

そして、色々あった結果。私は3人のお陰で”海の音”を聞くことができた……。

でも、その話には続きがあってね。

 

5:音の話(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa5f-lvdU) 2016/12/28(水) 23:04:25.37 ID:QWtWKpxQa.net

ふふっ……ううん。
私がAqoursに入って、これからずうっと続いていく私とみんなの物語……っていうのは、確かにとってもきれいなお話だけど。
今から話したいこととはちょっと違うかな、千歌ちゃん。

これから話すことは、その、”海の音”について。

もっと言えば、普通だったら聞こえないような……そんな”音”たちについてのこと……。

 

7:音の話(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa5f-lvdU) 2016/12/28(水) 23:05:12.99 ID:QWtWKpxQa.net

”海の音”を聞いてからしばらくして、私はあることに気付いたの。

”音”が、聞こえる……って。

 

8:音の話(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa5f-lvdU) 2016/12/28(水) 23:06:13.32 ID:QWtWKpxQa.net

あの、海で聞いたみたいな。
旋律の生まれようのない場所で、確かに私の耳に届く……どんな楽器でも奏でられないような、幻想的で不思議な音楽が。

”音”は、私以外には聞こえないみたいだった。

例えば、家族で行った発端丈山でのハイキング中。
私が”音”に出会って足を止めたのに、お父さんとお母さんは、そのときただきょとんとしてるだけだった。

”海の音”は、千歌ちゃんと曜ちゃん。それから私の、3人で聞いたよね。
だけど、私の家族には聞こえなかった。
そのとき、こっそり携帯の録音機能を使ってもみたけど。当然のように何も記録されてなかったわ。

 

10:音の話(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa5f-lvdU) 2016/12/28(水) 23:06:43.28 ID:QWtWKpxQa.net

どういう人が、どういう条件で”音”を聞けるのかは、わからない。
どういう原理で奏でられているのかもわからない。

そして、それは唐突で。法則性すら掴めないまま突然聞こえてくるの。

でもその”音”たちは、とっても綺麗で離れがたい魅力があって……気が付くと私は、時間のあるときには、”音”を探すのが趣味みたいになってた。

それに、その”音”を聞ければ。Aqoursの曲を作るのに、とても参考になるような気がしていたから。

 

11:音の話(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa5f-lvdU) 2016/12/28(水) 23:07:37.48 ID:QWtWKpxQa.net

だから私は、色んなところに行って、色んな”音”を聞きたくて。

……それは、”音”を聞けそうだって思い当たる様々なところに足を運んでは、耳を澄まして過ごしていた週末。

思った以上にたくさんの”音”に出会えて。新しい遊びを知った子供みたいに市内のあちこちを駆け回り、少し疲れた私が。帰ってきた沼津の駅前で休んでいたときのこと。

行き交う人たちの足音に、知らない誰かが口々に言葉を交わし合って生まれたざわめきと、アスファルトを踏み鳴らす黒くて堅いゴムが身を軋ませる音。

大きな音。小さな音。関係のない音。無駄な音。汚れた音……。

 

12:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa5f-lvdU) 2016/12/28(水) 23:08:22.74 ID:QWtWKpxQa.net

駅から出てすぐの木陰のベンチに腰掛けながら。私は今日、たくさんの”音”たちを聞く度に研ぎ澄まされていった鋭い感覚を、持て余していた。

東京にいたころは日常ですらあったはずの人ごみの音が、だからかその日はとても耳に障ったのを覚えてる。

だけど。
今まで”音”が聞こえた場所はどこも自然豊かで、人があまり寄りつかないようなところだったはずなのに。
そのときふと、もしかしたらこういう雑踏の中にも……かき消されてしまっているだけで、”音”はあったんじゃないかって思い付いて。

私はもう何度もやってきたように目を閉じると、静かに自分の感覚を拡張させていった。

 

13:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa5f-lvdU) 2016/12/28(水) 23:10:02.20 ID:QWtWKpxQa.net

 

ザワ…ザワ…

ミーーーンミーンミーンミー…

プップー!!

どこでお茶しよっかー?

ジジジッ…ジワジワジワジワ…

カッカッカッ…

モデルルームやってまーす!

あっつ……

ブロロロ…

ガラガラガラ…

ザワ…

 

14:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa5f-lvdU) 2016/12/28(水) 23:11:46.15 ID:QWtWKpxQa.net

”音”は聞こえない。でも。

(まだだ。まだ深まれる……

そのときの私は、まるで確信があるみたいに集中をやめなかった。

きっと自分の感覚と、それに裏打ちされていると感じていた思い付きに。変なプライドのようなものが芽生え初めていたのかも知れないわ。

だから、最初にそれに気付いたとき。
本来の目的を忘れて、ついつい追わなくていいものを追ってしまったのね。

 

15:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa5f-lvdU) 2016/12/28(水) 23:13:12.18 ID:QWtWKpxQa.net

 
 

ぼそっ…

 

17:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa5f-lvdU) 2016/12/28(水) 23:14:47.91 ID:QWtWKpxQa.net

それは、小さな囁き声だった。

まるで、今までずっと雑踏のざわめきに混じっていて。
私の集中が高まったことで聞き分けられるようになったみたいに、急に……でも違和感なく耳に届いてきた、声。

ぼそ…ぼそぼそっ…

どうやらお目当ての”音”では無かったようだけど。
私は自分の感覚を正しく高められていることに気を良くして、その声を意味あるものとして受け入れるための調整を始めた。

 

18:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa5f-lvdU) 2016/12/28(水) 23:15:49.63 ID:QWtWKpxQa.net

あんなにうるさかったざわめきが、遠く、小さなものになっていく。

ぼそ…ぼそ…ぼそ…

反対に、囁きはより鮮明に、確かなものへと変わっていった。

もしかしたらこれは、あの”海の音”たちとはまた違う。自然から溢れるモノの、新たな形を私がとらえられるようになったのかもしれないって……。
そのときの私は、そう思ってた。

ぼそ…はっ…ぼそ…

囁きに混じる、僅かな息遣いまでもが感じられてくる。
どうやらそれは、思ったよりずっと近くから聞こえているみたいだった。

はあ…ちゃ…ぼそ…

吐息の合間には、舌が唾液に絡まり口の中で立てた水音も聞こえる。

 

19:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa5f-lvdU) 2016/12/28(水) 23:16:46.39 ID:QWtWKpxQa.net

もうすぐだ。もうすぐ声の奏でる、その意味にたどり着ける。

…ん…った…

合う……チャンネルが。

(ああ、でも

チューニングが。

(聞こえないはずの声が聞こえるって

あるいは、波長が。
いま、完全に────

(なんか。オバケみたいで、気持ち悪いかも────

 

21:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa5f-lvdU) 2016/12/28(水) 23:17:41.72 ID:QWtWKpxQa.net

「なんでわかったの

 
 

 

22:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa5f-lvdU) 2016/12/28(水) 23:19:26.85 ID:QWtWKpxQa.net

氷水が頭から浴びせられたのかと思った。
その声は、私の腰掛けるベンチの、すぐ隣から聞こえたから。

それは、人間の喉がまったく水分を失ってしまった状態で無理やり絞り出されたような、ありえない響きを湛えた声だったわ。

これからどれだけ恐ろしい時間が始まるのか検討も付かなくて。首を折り肩にうずめてそのときに備えた。

体は、動かないわけじゃない。
これ以上の反応を示して、”それ”に興味を持たれることが恐ろしくて……ただ、心から動きたくなかったの。

いつの間にか、囁き声は聞こえなくなっていた。

でも、確かに”いる”。

さっきまで私以外座る人なんていなかったはずの木製のベンチ。
その、私の横に。

息遣い、気配、存在感────視線。
目を閉じていても、他の五感がそれを補い。さらには想像の力を借りて。勝手に、私の横に心の冷える像を結び出す。

 

23:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa5f-lvdU) 2016/12/28(水) 23:20:08.68 ID:QWtWKpxQa.net

女。

掠(かす)れ、潰れていたけど。
確かにそれは女の声だった。

だからきっと、黒くて長い髪。
ノースリーブのワンピースから覗く肌は、夏の日の下でもなお青白く。
枯れ枝のような病的に細い手足。
でも、何もかも弱々しい容姿の中で。目だけは爬虫類を思わせるようにまるまると大きく、しかし焦点を結ばず虚ろなまま……。

だけど、今。
その虚ろな瞳は、久しく関心を抱くことのなかった外の世界を────つまり、私を。
じっ……と、しゃぶりつくようにのぞき込んでいるの。

 

24:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa5f-lvdU) 2016/12/28(水) 23:22:02.02 ID:QWtWKpxQa.net

妄想だ。
ただの妄想のはず。

でも、目は開けられない。開けたくない。

私は何も口に出さなかった。
でも、それは私の考えを読むように言葉を紡いだ。

考えが読まれた。
心が、筒抜けになった────

どうして……?

わかってる。

それは。

チャンネルが合ってしまったから。
チューニングが整ってしまったから。
波長が、重なってしまったから。

だから。

目を開ければ、間違いなくいま私の横にいる声の主を。生気のない虚ろな瞳を。見つめ返してしまう。

そう、思っちゃったの。

 

25:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa5f-lvdU) 2016/12/28(水) 23:22:39.99 ID:QWtWKpxQa.net

恐怖に押しつぶされそうになった私は。伸びてくる蜘蛛の脚ような指先が、私のまぶたをこじ開けようとする想像を消し去りたくて。
力を込めて目をきつく……更にきつく、つむる。

(ずっと、いたの……?

私がここで耳を澄ます、その前から。
このベンチに腰掛ける、ずっと前から。
今朝沼津の駅から市中へ散策に向かう、遥か前から。

……いいえ。私は知ってる。

だって、”それ”が私と繋がったように……。
”それ”の心に浮かんだある情景が、私にもまるで思い出したかのように。僅かだけど流れ込んでいたから。

深夜。人々が寝静まり、闇に沈む駅前。
電車も止まり、タクシーも活動を終える、僅かな時間。

この町の、真の夜の時間。

それは、その間もずうっとここに居て。
そして、聞くものの居ない囁きを、寒々と呟き続けて────

 

26:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa5f-lvdU) 2016/12/28(水) 23:23:24.42 ID:QWtWKpxQa.net

そのとき、唐突に気配が薄れていった。

でも、消えた訳ではなかったみたい。

だって、私の耳には。座っていた人が立ち上がるときに立てる衣擦れの音と。
その後に続く鋭いヒールの音が、ゆっくりと遠ざかっていくのが聞こえていたから。

こつん…こつん…

こつん…こつん…

って……。

 

27:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa5f-lvdU) 2016/12/28(水) 23:25:14.22 ID:QWtWKpxQa.net

やがて、雑踏の喧騒が音の津波みたいに一気に戻ってきたのに驚いて。
私はようやくきつく結んでいた目を見開くことができた。

身体中がじっとりと汗ばんでいて、あごの先を伝って落ちたのか。足元のコンクリートには、私の汗でできた水玉模様がいくつも浮かんでた。

勇気を振り絞って、ベンチの隣に目を向ける。

そこには、やっぱり誰もいなかった。

でも、木洩れ日が揺れる木製のベンチの、座る部分に。
滲んだ黒い染みみたいなものがあるのを見つけたの。

そんな染み、ここに座るときには全く気付かなかった。
でもそれは、気付かなくても仕方のないくらい、うっそりとした影のような滲みで。

その染みは、よく見ると。
まるで長い間、何かがずっとそこにあったみたいな。

ううん……。
歪んだ丸と、そこから伸びる潰れた楕円が、線対象に二つ並んだ……。

見れば見るほど、ちょうどそこに腰掛けていた誰かの……お尻と、太ももの跡に似て。
誰かがずっと……ずうっと、座っていたせいでできたもののように見えてしまった。

そしてそれは、手で触れて確かめたり。ましてその上に座るようなことは、絶対にしたくない。
そんな、鳥肌が収まらなくなる嫌な予感を感じたのも……良く、覚えてる。

 

28:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa5f-lvdU) 2016/12/28(水) 23:27:26.55 ID:QWtWKpxQa.net

梨子「それからは場所を選ばずに耳を澄ますのはやめたし。不用意に”音”以外のものを追うこともしないようになったわ

曜「う、うう……

曜「私たちのきれいな思い出の地続きのところで、そんな気味の悪い話が待ってたなんて……

千歌「でも、あれから私。あの不思議な音、ぜんぜん聞こえないよ?

曜「あれ……?千歌ちゃんも?

果南「……きっと、梨子には元々そういう力があって。”海の音”は、梨子の影響でそばにいた2人にも聞くことができたのかもしれないね

ダイヤ「その不気味な”声”について……私生活に支障はありませんの?

梨子「う~ん……追わなきゃ、大丈夫……なのかな……

ダイヤ「追う?

梨子「うん。話の中でチャンネルとか、チューニングとかって表現したけど……なんて言えばいいのかしら、耳ありきっていうか……

花丸「うんと……耳で波長を合わせてしまうと、他の器官でも音の正体をとらえられるようになっちゃう……とか……

梨子「そうそう、そんな感じ。さすが花丸ちゃん

ルビィ「え……?じゃあ、実際に声の正体を見ちゃったこと、あるの?

梨子「ううん。そんな気がしてるだけ。それからも何度か、これは……っていう嫌な気配がしたことはあるけど……

梨子「確かめる勇気もないから、そんな予感がしたときは一目散に逃げちゃうし。それが無理だったら別のことに意識を向けて無理やりやりすごすことにしてるの

梨子「”音”をクリアに聞くのって、結構集中が必要だからね

 

29:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa5f-lvdU) 2016/12/28(水) 23:28:13.22 ID:QWtWKpxQa.net

鞠莉「でも、梨子のその力には本当にアプリシエートしないとね!

梨子「あ……あぷ……?

鞠莉「感謝よ!か・ん・しゃ!向こうのビジネスじゃ常套句よ?

一同「「ああ……

善子「でも、なんで感謝なのよ。そんな怖いことに繋がる力が……

鞠莉「だって、その力があったから千歌たちは結ばれたんだし

曜・梨子「「む、結ばれたって////

善子「それは……そう、かもしれないけど……

鞠莉「それに、Aqoursの音楽制作にもきちんと役立ってるんでしょ?ミス・コンポーザー(作曲担当さん)……?

梨子「……くすっ……まあ、企業秘密かしら

千歌「なにそれー、最後に感じわるーい、ぶーぶー

曜「っていうか絶対参考にしてるよね……それが目的って最初に言ってたし

梨子「じゃあ、聞きたい……?

千歌・曜「「え?

梨子「いいよ……話してあげる。私が”音”を────

曜「やめ!やめー!

梨子「えー、どうしてー?あんなに聞きたそうなにしてたのに~

曜「聞きたくない聞きたくない!ね?千歌ちゃん!!

千歌「う、うん……

花丸「り……梨子ちゃん……

ルビィ「うう、こわいよう……

 

・桜内梨子
『音の話』 おしまい

 

 

44:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2016/12/29(木) 23:31:24.67 ID:wqdQp5Dpa.net

話の中で、家族で発端丈山に遊びにいったとき、”音”を聞いたって言ったけど。

でも、その”音”は、何か変で。他の”音”には、ないものがあった。

それは────歌……。

鼻歌?ハミング?口ずさんだメロディー……?

とにかく、その”音”は正確には”音だけ”じゃなくて。

純粋な旋律ではない、誰かの口や喉から奏でられた。
そう……さっき私が語ったような、”声”が混ざっていた。

あの日、沼津の駅前で怖い思いをしてから、まだそれほど時間が経っていない休日。
私は、発端丈山にいた。

 

45:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2016/12/29(木) 23:31:59.14 ID:wqdQp5Dpa.net

駅前のことから、しばらく”音”を探すことは控えてたけど。
”音”に混じる”声”……その存在がどうしても気になって。

後悔するのを承知で、再び山を登った。

果たして、山の中腹辺りで歌声が聞こえてきた。

つい先日の恐怖が蘇り、思わず体に緊張が走ってしまう。

乱れそうになる息と、既に早鐘を打ち出した心臓の鼓動を鎮めるように深呼吸を重ねながら。
私は目を閉じて、感覚の深化を図った。

そして包まれる。
優しく。でもどこか力強く。綺麗で、心惹かれる旋律に。

”海の音”と同じ。

”音”は、出所がわからない。
海や山の、どこでも聞こえるわけでもなく、ある一定の場所じゃないと聞こえないのに。
それは遠くもあり、近くもあり。
まるで、山や海そのものが奏でているような。
そんな感覚を受けるものだった。

でも、違う。

”音”に混じる”声”。

美しくて、うっとりと聴き惚れてしまいそうな、梁塵を動かすような歌声。
それは見事に調和して、”音”と一つのものと錯覚してしまいそうだけど。
私の感覚は、”音”と”声”が別のものだと訴えていた。

 

46:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2016/12/29(木) 23:32:33.24 ID:wqdQp5Dpa.net

声は、あるひとつの方角から響いてきていた。

広がった感覚が閉じてしまわないよう、ゆっくりと目を開ける。

深い緑に覆われた登山道には、休日の午前中だと言うのに、私以外の人影はまったくない。

その、登山道の曲がり角。
ちょうど良い大きさの岩に腰掛ければ休憩のできそうな少し開けた空間に、薄く延びる獣道のような草木の割れ目が見えた。

その奥から、歌声は聞こえるようだった。

不思議な感覚だった。
いつの間にか恐怖は薄れている。
気が付くと風景が揺れていた。
私は、その獣道を踏みしめているようだった。

ふらふらと、覚束ない足取りで。
ゆらゆらと、────”声”を目指す。

そう、頭で考える前に、体が勝手に動いてしまっていた。
ふらふらと。ゆらゆらと。
何も考えずに。
恐れるでもなく、拒むでもなく。
ただ、焦がれていた。
”声”をもっと聴きたかった。

それはまるで、闇夜に光へ魅せられ引き寄せられる、蛾か蝶にでもなった気分だった。

 

47:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2016/12/29(木) 23:33:07.35 ID:wqdQp5Dpa.net

獣道が途切れる。

道なき道は、夏にしては草の背が著しく低く茂っているため、そこだけ円形に縁取られた広場のような場所に繋がっていた。

広場の中央には樹齢の深そうな大木が一本。ぽっかりとひらけた空に向けて、どれも太い幾本もの枝を伸ばし、その偉容をいからせている。

歌声は、この木から聞こえるようだった。

(この”歌”は、あなたの……

人間には重ねられない年月を経て。物言わぬ無生物が、未だその域にない数多のそれらを束ね統べたような旋律へ乗せ、無上の歌を歌い上げている。

恍惚とした表情を浮かべたまま、私は更にその木へと歩を進めていた。

私の持つ常識を遥かに超越した計り知れない自然の姿を目の当たりにし。
その木と”音”と”歌声”が備える荘厳な雰囲気に呑まれ、自然と涙が溢れてきた。

聖霊。

そんな言葉が頭をよぎる。

”音”の正体は、こういった聖霊のような力を得たものたちによって率い、奏でられた、文字通りの幻想曲なのかもしれない。

 

48:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2016/12/29(木) 23:33:54.70 ID:wqdQp5Dpa.net

いまだ朦朧とした意識を抱えたまま、私は大樹を中心にすえてぐるりとその周りを歩き出した。

耳でだけでなんてもったいない。
この偉大な聖霊を、余すことなく、五感の全てで感じたいと思った。

少しずつ歩みを進める。
視線を大樹に預け、この風景を生涯忘れることのないよう、網膜へと焼き付けるために。

少しずつ、少しずつ。

と。
そのとき気が付いた。
私が木の周囲を歩き出してからも、更に歌声が大きくなっている。

”音”に乗せて私の耳へ届くそれは確かに歌でありながら、相変わらず意味のある言語などは掴めずにいた。
しかし、この開けた場所にあっても。歌声は僅かずつだが鮮明に、そして大きくなっているのだ。

小さな、胸騒ぎがした。

なんだろう。
うまく働かない頭でゆるゆると思考が巡る。

なにか、見落としているような。

思考は全くまとまらない。
だけど、そんな予感がした。

やがて、獣道を正面とした木の裏側がよく見えるようになるころ。

「あ

掛かっていたまじないが解けるように、一瞬で意識が覚醒する。

大木の裏側。そこから伸びる、一際太い枝に。

 

49:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2016/12/29(木) 23:34:50.85 ID:wqdQp5Dpa.net


 

縄に吊られた、肉の塊がぶら下がっていた。

 

 

50:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2016/12/29(木) 23:35:56.16 ID:wqdQp5Dpa.net

瞬時に口を抑える。
それは、漏れ出しそうな悲鳴をかみ殺すためのものだと後から気が付いた。

声をあげてはいけない。
この歌声を、邪魔してはいけない。

自分の内で弾けそうな恐怖の発散という本能的な衝動よりも、そのことへの忌避感が勝ったのだ。

声だけでなく、音すら立ててはいけないような気がしていた。
だから私は、その枝の下から視線すら充分にそらせずにいた。

否が応にも視界に入る、日常では目にすることのないおぞましい色彩に血の気が引く。

寒気に続いて、吐き気がやってきた。

望まない観察は、それでも少しずつ進む。

肉の塊だと感じたものは、赤黒くただれた人間”だった”もののようだ。

毛髪もまばらに、もはや内外の要因で変色し果てたロングスカートがなければ、性別すらわからなかったであろう有り様だ。
死後相当な時間が経過しているのだろう。

不思議と、異臭やたかる虫の姿はない。
赤黒い体の所々から白いものが覗いている。
その理由は、そうして白骨化が始まっていたからなのかもしれない。

 

51:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2016/12/29(木) 23:36:51.76 ID:wqdQp5Dpa.net

私は息も整わないまま、あるひとつのことを考えていた。

さっきまでこの木が歌い上げていると思っていた”声”は、今やその肉塊以外にはない座標から響いている。

聖霊によるものなどと祭り上げて、あまつさえ感動に涙をこぼしたあの歌声は、腐乱死体が紡いでいたのだ。

異様な光景に、一旦取り戻した現実感が再び薄れていく。

だけど、それでもおかしいと思った。

────”死体”が、歌を歌っている。

今、私は完全に”音”に波長が合っている。
それは、”音”に混じる”声”に対しても同じだ。
私の耳は、歌声が長音のあとにこぼす息継ぎの気配すらとらえていた。

なのに、である。

(オバケが、いない……?

これほど”声”を受け入れている状態で目を開けたことは、一度としてない。

でも、それは”声”を聞いてしまったとき。いつも目の前に濃密なこの世ならざる者たちの気配を感じていたからだ。

今、それはない。
ただ”声”だけが私の耳に届いている。
美しく、いまではどこか物悲しく聞こえる歌声だけが。

 

52:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2016/12/29(木) 23:38:05.14 ID:wqdQp5Dpa.net

…………。

だけど……。
実は私は、途中から気付いていたのかもしれない。

大木の枝に首を吊り、生前を全く偲ばせないほどに傷んでしまったその体では。
首に紐で括られた一冊の五線紙ノートの、あるページが風に揺れていた。

風が止み、ノートのページがこちらへと向く。

そこには、五線譜の並んだ紙いっぱいの大きな文字で。短く、こうとだけ書かれていた。

『音がきれいなので』


”音”は止まない。
そして、”歌”もまた、止め処なかった。

 

53:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2016/12/29(木) 23:39:37.44 ID:wqdQp5Dpa.net

歌うことに夢中なのか。
こんなにも彼女の歌が聞こえているのに、だけど私の心には僅かもその思いの断片が流れ込んでこない。

それでも私には、分かってしまった。

彼女も、私と同じように”音”を聞くことのできる人間だったのだろう。

何があって彼女がそれを踏み切るに至ったかは、想像も及ばない。

でも、彼女は歌いたかった。
この美しい”音”に合わせて。

だからこの場所を選び。生合っては決して交わることのないその”音”へ”歌”を乗せるため。
彼女は首を吊ったのだ。

そして、彼女は歌った。

知らず、二度目の涙が溢れてくる。
恐怖、憐憫、陶酔、そして憧憬。

理解も感情も定まらないまま、次から次に胸に痛みが押し寄せ、それが疼く度に瞳から涙がこぼれ落ちた。

彼女は、”音”とひとつになろうとしている。
だから、腐れ落ちゆくかつての体から僅かでも離れることなく。まるで魂がとらわれてしまったかのように、その内から歌うのだ。

彼女にとって、首から伸び、枝に交わるその縄こそが、”音”と彼女を繋ぐ絆だった。

何故なら。

歌声とは、喉で奏でるものなのだから。

 

54:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2016/12/29(木) 23:41:14.05 ID:wqdQp5Dpa.net

それから、私は時間を見つけて山を登るようになった。

彼女に会いに。
そして、その”歌”を聞きに行くために。

最近、彼女の歌声を真似て曲を作り、専門ではないがそれに合う歌詞を付けた。
それだけその調和はすばらしかったし、そして聞く者が私だけで途絶えるのは惜しいと思ったのだ。
なにより、彼女の存在を誰かに知って欲しかった。

Aqoursのみんなは絶賛してくれたし、聞いてくれた人々の反応も上々だった。
でも。出所を知れば怖がられてしまいそうなので、曲以外の彼女にまつわる事柄はメンバーにも内緒にしておくつもりだ。

彼女と出会ってからそう時は経っていなかったが。
”歌”を聞きに行く度、少しずつではあるが確実に彼女の歌声は”音”へと重なりつつあった。

だが、歌声が彼女の肉体から離れ、”音”に完全に溶けこむには、まだ長い年つきが必要だと感じる。

私は、彼女の歌声が”音”そのものになる、そのときまで。

見届けたいと、思っている。

 

・桜内梨子
「音の話(異聞)」 おしまい

 

56:本気の話(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2016/12/30(金) 00:33:53.01 ID:oAD/uXUJa.net

曜「それに気が付いたのは、小学校低学年のころだったかな

 

 

57:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2016/12/30(金) 00:34:56.65 ID:oAD/uXUJa.net

私の泳ぐ後ろから、ときどき何かが追いかけてくることがある……って。

 

今じゃ高飛び込み一筋だけど、昔の私は平行して競泳もやってたんだ。

自分で言っちゃうのは面映ゆいけど、地元のスイミングスクールの同年代じゃ私より速い子を探すのは苦労するくらい、競泳も得意だったんだよ。

だけど、気付いちゃったんだ。
泳ぐ楽しさだけじゃなくて、私の意識にタイムが絡むようになったころから。

水を掻いて進む私を追いかけてくるようになった、その影の存在を。

 

58:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2016/12/30(金) 00:37:46.02 ID:oAD/uXUJa.net

スイミングスクールって、けっこうな人数が一度に泳ぐんだけど……。

普段の練習中とか、アップするようなときは、一つのコースに3、4人くらいがあてがわれて。
みんなで一定のペースでコースを往復するから……誰かが泳いでる自分を追いかける感覚なんて、私たちにとっては日常的なものだったのかも知れない。

でも、それは違うの。

だって、あれが私を追いかけてくるのは。
決まってコースをひとりきりで泳いでいるはずのときだったから。

 

59:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2016/12/30(金) 00:38:38.07 ID:oAD/uXUJa.net

初めて追いかけられたのは、スクールで行われる進級審査の日。

私の通ってたスクールは、沼津市内じゃ一番大きなところで……ああ、うん。そこそこ、果南ちゃん。
やっぱり沼津でスイミングスクールっていったらまずここ、ってくらい有名だよね。

未来の競泳選手育成を名目にしたクラスなんかもあって、コースも50mが基本。
そんな、体育館なんか目じゃないくらいおっきな屋内温水プールだけじゃなくて。すぐ近くの別棟には、いつも私が使ってる立派な高飛び込みとシンクロ用の深めのプールまであって……。

そのとき私はまだ競泳者用のクラスに入れる年齢じゃなかったけど、そのための審査みたいなのには予め参加できた。

それを兼ねていたのが、当時私が通ってた泳法クラスの進級審査。

毎週日曜日に定例で開催される審査で。
決められた泳ぎをして、その型がしっかりできてるか。距離をこなせるか。規定タイムには届いてるか。
……って感じで、結構カッチリ審査されちゃう。
クリアできれば、次の段階の泳ぎや技術を教わっていいことになってて……。

私もその審査を受けるんだけど、審査自体は何の心配もいらない。言ってしまえばおまけみたいなもので。
小学校高学年からの競泳者用のクラスを目指してた私は、その日の審査は規定タイムよりずっと速い別のタイムを狙ってたんだ。

 

60:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2016/12/30(金) 00:39:03.38 ID:oAD/uXUJa.net

距離は50m。課題泳法は背泳ぎ。

入念な準備体操と注意事項の確認が終わって。順番待ちもそこそこに、すぐに私たちの番がやってきた。

『……続いて第3のコース、渡辺曜さん

コースの前に用意された椅子に腰掛けて、儀式めいた競泳お決まりの呼び出しに応えてから、一斉に水に入る。

私はスタート台の足にあるバーを掴んで体をかがめて、スタート姿勢を取った。

『ちょっと早いけど、渡辺さんなら競泳クラスから声の掛かる規定タイム、出せちゃうかもね。どうかしら……目指してみない?

コーチの言葉が頭をよぎる。
最初は乗り気じゃなかったけど……チャレンジするからには、達成したかった。

それは、泳ぐことがただ楽しかった私の中で。速いタイムを求める欲望が、初めて形になった瞬間だったのかもしれない。

 

61:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2016/12/30(金) 00:39:59.59 ID:oAD/uXUJa.net

号砲一発。

壁を蹴って一目散にコースへ躍り出る。
潜水で十分な加速を得て、他のコースのみんなをグングン引き離しながら。私は水上を滑るイメージを大切に腕を掻き続けた。

(はやく、すばやく、きれいに────だけどはやく!

本来は高学年用の目標タイムを出すのはやっぱり難しくて。練習中でもそう何度も出せたことはなかったけど。
その日のコンディションはいつもよりずっと良くて。
どんなにむちゃをしても型が崩れないような。そんな頼もしい確信に従って、私は更にギアを上げることにした。

屋内プールの天井の目印が、早くもコースの半分を泳ぎ切ったことを知らせたとき。

(すごい!いつもよりぜんぜん……

心がちょっと緩んだのか。
頭の位置が少しずれて、鼻に水が入りそうになった私は。
しまったって思いながら水を避けて首を下に向けたの。

そのときだった。

(え……?

引き離された他のコースの子の横に、黒い影が見えたんだ。

(なに……?

他のコースの子の横。
私しかいないはずの第3コース。

そこで泳ぐ、黒い影を。

 

62:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2016/12/30(金) 00:41:51.72 ID:oAD/uXUJa.net

そう、影は黒かった。

スクールでは、みんな帽子を被る。
私たちは低学年だから、溺れたときに目立つ赤い帽子。高学年は黄色の帽子。競泳クラスは、白いゴム製の帽子……。

黒い影は、長い髪の毛の黒だった。

バシャ…バシャ…

自分の水を掻く音に混じって、聞こえるはずのない水音が聞こえてくる。

泳法は、わからない。

クロールじゃない。
だって、腕を回していないから。

背泳ぎじゃない。
だって黒い髪は、その殆どが水中に隠れていたから。

平泳ぎでもない。
だって、その影は息継ぎをしていなかったから。

バタフライでもない。
だって、それがばた足キックをしているのが見えたから。

(いやだ。あれに、おい付かれたくない……

影を観察していたのは、一秒にも満たなかったかもしれない。

でも、私は一瞬でそれがいやなものだってわかった。
そして、なぜだかそれに追いつかれてはいけないということも。

 

63:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2016/12/30(金) 00:43:55.93 ID:oAD/uXUJa.net

バシャ…バシャ…

黒い影から視線を切っても。
足元から聞こえるはずのないあの音が、ずっと聞こえてくる。

(はやい……

顔を水に浸けて。手は使わずに身体の横にだらりと添えて。ばた足するだけの泳ぎ方のはずなのに。

さっきの光景が頭にちらつく。

それは、他のコースの子たちよりも手前に。つまり、普通の背泳ぎより速く。
私に追いつきそうな勢いで。影が、少しずつ近づいてくるイメージ。

(いや……こわい……!もっとはやく泳がなきゃ!!

パニックになりかけながら、それでも日頃の練習の賜物なのか。
手足を千切れんばかりに働かせつつも、どうにか型を保ったまま私は泳ぎ続けた。

ばしゃ…ばしゃ…

(近い……さっきよりぜったい……

呼吸が荒い。
全力を越えた運動をしているんだから、当たり前だよね。

でも。
こんなに私は苦しいのに、あの影はきっと。
一度も息継ぎをしないまま。少しずつ、確実に私との距離を詰めている。

そんな想像だけで、暖水のはずのプールが氷水になったような鳥肌が全身に浮かんだ。

さっき半分過ぎたはずのコースを、それの数倍は時間がかかった気がしながら。
ついに私が天井に印された残り5メートルを示す赤いラインの下を越えたとき。

ぐちゅ…

足先に。

絡みつく湿った髪の毛の感覚が伝わった。

(いる!すぐわたしのあとに!足もとに!!!!

遂に恐慌状態に陥った瞬間。

 

今度は、手の甲に激痛が走った。

 

64:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2016/12/30(金) 00:44:27.60 ID:oAD/uXUJa.net

プーーーー……ン

プール内に鳴り響く電子音。
私が圧倒的なタイムでゴールしたことを知らせる音だった。

ゴールのへりに腕をかけ、破けそうな勢いで弾けている心臓の音を聞きながら。プールサイドに強く打ち付けて鋭く痛む左手の甲を押さえる。

でも、私の視線は痛めた手にではなく。
未だみんなが泳いでいる、コースの後方をさまよっていた。

すぐ足元にあったはずの影は、嘘みたいに消えていた。

ただ、私の足の指に。
数本の濁った黒い髪の毛を残して。

私の両隣で泳いだ子たちは、そんなもの見なかった、って言ってたし。
館内で流されていた記録用の映像を何度確認しても、私のすぐ後ろを追いかける影なんかは映ってなかった。

だけど。
すごいタイムが出たから、海に出てて来れなかったお父さんにも見てもらおうって。喜んで家族向けに販売されてるその映像データを買おうとしたお母さんを。
その腰に抱き付いて、必死に止めたのを覚えてる。

だって、家で繰り返し映像を見ている内に。何かの間違いで、いつか写り込んでしまいそうな気がしたから。
あの影が、私の足元で息継ぎもせずに。
ずっと追いかけてくるその姿が。

 

65:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2016/12/30(金) 00:45:40.46 ID:oAD/uXUJa.net

それからもときどき、影は私を追いかけた。

それも決まって、私がひとりでコースを泳ぐときに。

どうやら背泳ぎだけじゃなくて。クロールや平泳ぎ、バタフライのときにも、その影は現れるみたいだった。

今まで気付かなかっただけで、もしかしたらずっとそうだったのかも知れない。

黒くて目が見えないほどの長さの髪に、背格好は同じくらい。
なのに、私より必ず少し速く泳いで、追いかけてくる影。

怖くて、気持ち悪かった。
イヤでイヤでたまらなかった。

だけど、泳ぐことは好きだったから、競泳をやめることはなかった。

いつしか私は、あんなのに負けてたまるかって思えるようにもなっていた。

でも。

飛び級で競泳者クラスに抜擢され、技術も定まり、私も体力がついてきて。
選考会や大会で泳ぐ距離が長くなって、コースをターンする必要が出てきたころ。

私は、競泳を辞めた。

ターンをするのが、苦手だったんだ……。

 

66:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2016/12/30(金) 00:46:44.06 ID:oAD/uXUJa.net

……別に、ターンがへたくそだったわけじゃない。

タイムだって、どんどん速くなってたよ。

でも、あんなに好きだった競泳を辞めてしまいたくなるくらい。
ただただ、ターンのことが苦手だったの。

だって、今まで気配を感じているだけだったそれが、まざまざと見えちゃうようになったんだよ?

それに追いかけられてる予感を感じながら、ターンを決める。
すると、やっぱりすぐ横を通り抜けるあの水中の影が。
長い髪を水に振り乱して。
私の方を向いて、そこだけ妙に真っ赤な口を開いて。

にぃい……って笑う、その姿を。

 

67:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2016/12/30(金) 00:47:37.95 ID:oAD/uXUJa.net

なんだったんだろね、あれは。

でも、最近思い返してみたとき。
あの影が現れるのは、私がひとりでコースを泳ぐとき以外に、もうひとつ。
決まりがあったのに気が付いたんだ。

あの影が現れるタイミング。
進級審査、選考会に記録会。そして、競泳大会。

それは、私が本気で泳ぐとき。

追いかけられるから、速くなる。
それに影は、なぜか”私より少し速い”だけで。
ゴールまでに私に追いついたことは、一度もなかった。

だから、思うんだ。
もしかしたら、あの影は私が自分の限界を越えるようなタイムを求めたときに産み出してしまった……。
それこそ、私の影みたいなものだったのかも知れない……って。

ほら、よく子どもにはそのときにしかない不思議な力があるって言わない?

ちょっと不気味で変な形で現れてしまったけど。
あの影が、その話で言うところの私の不思議な力だったんじゃないかな。

それが原因で力の使い道を辞めちゃったんじゃ、本末転倒だけど。

ふふっ……。

それもまた、力の上手な使い方がわからない”子どもっぽい”感じがして。

ちょっと、可笑しくない?

 

68:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2016/12/30(金) 00:52:54.46 ID:oAD/uXUJa.net

ダイヤ「不思議な、話ですわね……

鞠莉「ホラーじゃなくて、ミステリアスパワーの話だったのね!ソーエキサイティン!!

果南「いやいや、かなり不気味な話だったと思うんだけど……

花丸「確かに……マル、とっても怖かったずら……

ルビィ「ルビィも……これから泳いでるとき、思い出しちゃいそう……

梨子「ああ。ルビィちゃんって確か、曜ちゃんに泳ぎを教わってた(※)こと……

(※)

ルビィ「うゅっ……その節はいろいろお世話になりました

善子「確か学校のプールを借りて練習してたときに、溺れかけたって聞いたけど

ルビィ「違う!あれは……その、ルビィが泳ぐのへたっぴで、体力もなかっただけで……

曜「あはは、安心してよみんな。話の中でも言ったけど、あれってどうも私にしか見えないみたいだから

 

69:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2016/12/30(金) 00:56:31.03 ID:oAD/uXUJa.net

千歌「曜ちゃん急に競泳やめちゃったからどうしたんだろうって思ってたけど、そんなことがあったんだ……相談してよ、もう……

曜「相談……かあ……

曜「……相談して、千歌ちゃんはどうにかしてくれたのかなあ……?

千歌「でもでも!何かアドバイスとかさぁ……

曜「ごめんごめん、いじわる言っちゃった。あのころの私は結構本気で怖くなっちゃっててさ。
 いくら他の人には姿が見えないからって、何もしない保証はない……って思ってて

曜「……つまり、誰かを巻き込みたくなかったんだよ

千歌「曜ちゃん……

曜「一度は負けるかこんちきしょう!みたいに思えてたのが、一転してもう無理!って辞めちゃうくらいだもん

曜「いやぁ、実際ターンしたあと。あれの横を泳ぐのは本当にキツかったなあ……

ダイヤ「今……影の正体に気付いて……競泳を辞めたこと、後悔はしてませんの?

曜「……、うん……

曜「高飛び込みも面白いし……何より珍しいし♪

曜「それに、なんかそんなことして泳ぐの速くなっても、ズルしてるみたいで……続けてたにせよ、今くらいなってみたら、きっと後味悪かったんじゃないかなぁって思うよ?

果南「あはは。それって、2つの意味で?

曜「ふふっ……うん!

 

・渡辺曜
『本気の話』 おしまい

 

 

72:(茸)@\(^o^)/ (スップ Sdaa-XCM5) 2016/12/30(金) 01:02:04.55 ID:8Q63SMdJd.net

最近思い返してみたとき、気が付いた。
あの影が、自分の生み出したものなんじゃないかって。

でも、結局それも間違ってたことに。間もなく気付くことになる。

 

73:(茸)@\(^o^)/ (スップ Sdaa-XCM5) 2016/12/30(金) 01:03:35.47 ID:8Q63SMdJd.net

あれは、学校のプールでルビィちゃんに泳ぎを教えていたとき。

ちょっと気合いを入れてしごき過ぎて、ルビィちゃんが溺れかかってしまったのだ。

(ヤバい!

そう思った私は、本当に久し振りに本気で泳いだ。

プールサイドからルビィちゃんまでは15mくらい。
私がクロールで本気で泳げば、数秒にも満たない距離。

でも。

バシャ…バシャ…

水中を掻き進む私の耳に、懐かしくもおぞましい、あの音が響いてきた。

いる。
私のすぐ後ろ。
プールには、間違いなく私とルビィちゃんしかいなかったはずなのに。
それが。
泳いでる。
追いかけてきてる。

私は、頭の片隅で暴力的に広がろうとしている耐え難い恐怖を。ルビィちゃんを助けるという一念で何とか抑えつけながら。

(待っててルビィちゃん!!

時間を引き延ばされていつまでも目標にたどり着けそうもない感覚に負けそうになる自分を、必死に奮い立たせていた。

 

75:(茸)@\(^o^)/ (スップ Sdaa-XCM5) 2016/12/30(金) 01:05:57.55 ID:8Q63SMdJd.net

そう言えば、この影があらわれるといつもこうだった。

絶対にこんなにないはずのルビィちゃんまでの距離が、果てしなく遠く感じる。

影が出れば、タイムは確かに速くなった。
でも、そのあとの私の疲労具合は……?

今になって確信する。

これは、私が泳ぐのを速くするために自らが産み出した影などではないということを。

ばしゃ…ばしゃ…

近づいてくる。
髪を振り乱し。
息継ぎもせず。
手も使わずに。
ばた足だけで。

足先に、ずるりと、影の髪が。

「ルビィちゃん!!

同時に、指先に命の暖かさが触れていた。
どうやら私は、ルビィちゃんまでたどり着けたようだ。

影は消えている。

”ゴールに付けば影は消える”

それが、決まりだから。

たったこれっぽっちの距離で、数百メートルを本気で泳いだような疲労に襲われながら。
プールの底に足を付き、ルビィちゃんを抱える。

「げっ!げぼっ!ごっほ!!

「良かった!少し水を飲んだだけだ。早くプールサイドに────

とぽ…

 

咳き込むルビィちゃんを抱える私の背後で、プールのものとは思えない粘度を湛(たた)えた水音がした。

 

77:(茸)@\(^o^)/ (スップ Sdaa-XCM5) 2016/12/30(金) 01:08:32.08 ID:8Q63SMdJd.net

もうひとつ。思い出した。

影に追いかけられたとき。私は必ず完永していた。
追いつかれるのが怖かったから。
”ゴール”に付けば、影は消えるはずだから。

でも、今は……?

学校の25mプールの中で、もう10mほど先に。
私が飛び込んだプールサイドと反対の壁が、揺らめく水面にきらめいていた。

『ゴールしてなかった

何故か、そう思ってしまった。

早くルビィちゃんをプールサイドまで運んで、応急手当てをしなければならない。
でも。

『追いつかれてしまった

再び思考が勝手に巡る。

足が動かない。

プールの底のザラザラした感触が、いつのまにかぬるりと湿った大量の髪の毛を踏み締めるものへと変わっていた。

振り返ることもできない。

だって、すぐうしろには。

私に追いついたあの影が────

 

78:(茸)@\(^o^)/ (スップ Sdaa-XCM5) 2016/12/30(金) 01:09:25.76 ID:8Q63SMdJd.net

視線の右から。音もなく。
夏の日差しすら吸い込む澱んだ黒い髪に包まれた、丸い頭が回り込んでくる。

さっきまであれほど打ち乱れていた心臓が。冷たい手に握りしめられたかのように熱と勢いを失っていく。

ぽちゃ…

私の正面で動きを止めると、影が沈めていた顔を上げる。
私の顔を、水面から覗き込もうとするように。

目元は、濡れた髪が張り付いてよく見えなかった。

────あのときと同じではない。

影は、今の私と変わらない背丈になっていた。

だけど、今ならわかる。
やはりこの影は、決して私を模したものではないということが。

そして、今までゴールするまで追いつかれることがなかったのは。
ただ私が必死になり、限界を越えて泳げただけで。
そうやっていつも、どうにか追いつかれずに済んでいただけだということが。

髪の毛と水面の隙間から、いびつに盛り上がった鼻と、あの日々と変わらず妙にそこだけ赤々と色を持つ口が覗く。

その、赤い口から。

「ごがガ……ゴぼ……ボガベ……こポ……

遠い水底から沸き上がるような。
身体を芯から冷やす水音が、聞こえてきた。

 

79:(茸)@\(^o^)/ (スップ Sdaa-XCM5) 2016/12/30(金) 01:11:04.65 ID:8Q63SMdJd.net

気が付くと私は、プールサイドでルビィちゃんの手当てを終えていた。

「ごめんなさい……曜ちゃん……

バスタオルの上で、力なくルビィちゃんが囁く。

「ううん。私こそ無茶させてたのに、気付かないでごめんね……?

何事も無かったように、平然と応答する私。

でも、確かに私の耳には、最後に聞こえたあの水音が残響していて。
それはいくらタオルで拭っても。時間が経っても。
もう、消えてくれそうになかった。

『ごがガ……ゴぼ……ボガベ……こポ……

水音の裏に潜むその声が、高いものか低いものかもよくわからない、支離滅裂な響き。

しかし私には。それは確かにこう言ってるように聞こえたのだ。

『やっと……追いついた……

と。

 

80:(茸)@\(^o^)/ (スップ Sdaa-XCM5) 2016/12/30(金) 01:12:06.24 ID:8Q63SMdJd.net

今のところ、私の身体に何の異常もみられないし、周辺で何か起こる様子もない。

あれの正体がなんなのか。それも結局、全くわからないままだ。

でも、私はあることだけを確信して、静かに胸を撫でる。

 

私は、競泳をやめて正しかったのだ。

・渡辺曜
『本気の話(異聞)』 おしまい

 

 

83:(茸)@\(^o^)/ (スップ Sdaa-XCM5) 2016/12/30(金) 01:26:11.21 ID:8Q63SMdJd.net

普段はwifi使ってるんですが、途中で調子悪くなったので携帯のテザリング回線に切り替えました。びっくりさせてしまいすみません

今夜はとりあえずここまでにします
最後に、これまでの話の元ネタや影響を受けた作品について少し

・『音の話』
「なんでわかったの」はご存知『×××HOLiC』の百物語、百目鬼の(おじいさんの)話
今確認したら、元ネタは「どうして分かったの?」でした
異聞は特にない……と思う

・『本気の話』
特になしかと
異聞は貼ったとおり、G’sの曜ルビピンナップから
話の骨子は、定番の”解決したと見せかけて……”系の後味の悪い話にしたかったんだと思います
関係ないですが、これを書いてるころはちょうどオリンピックでした

明日はもう少し早い時間に投稿できたらと思っています
昨夜からの保守、ご感想、そして今夜もお付き合いいただき、ありがとうございました

 

92:■■の話(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2016/12/30(金) 11:51:20.98 ID:vmaliTVla.net

善子「あれは、中学生のころ

 

 

93:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2016/12/30(金) 11:52:41.26 ID:vmaliTVla.net

ふと目が覚めてしまった早朝。
まだ日が昇るまではたっぷりある、日の出の遅い季節の朝。

寝直そうとしても、どうしてか全然眠れなくって、どうしようもなくなった私は。
早朝の街の散歩をすることにしたの。

そのころ見ていたアニメに、”朝焼けの刑死者たち”みたいなタイトルがあって、それにハマってた私は……。
まあ、朝焼けを見て。
堕天したかったのよ。

 

94:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2016/12/30(金) 11:54:36.27 ID:vmaliTVla.net

早速着替えて。アニメのオープニングを口ずさみながら、この辺で一番見晴らしのいい公園を目指す。

まだ夜の気配を残した冷たい空気を吸い込みながら、徐々に紫から赤らんでいく空を眺めていたら、結構気分が乗ってきて。

「早起きも悪くない、かも……♪

なんて、堕天使らしくもない言葉を呟いてみたりもしたわ。

それは、”早起きは三文の徳”の三文が現代に直すとどれくらいの価値があって。結局早起きが得なのか損なのかどっちだったのかを思い出そうとしながら。
空のよく見える交差点を右に折れて、今度は急に空の狭くなる通りに差し掛かったときのこと。

再び暗くなった視界を慣らすために、ゆっくりと瞬きを繰り返していると。
どこからか、か細い声が聞こえてきた。

~ィ…~…

声って言うか、鳴き声……?

なんだろうって思って、足を止めて耳をそばだてていると。

ミ…~…ィ…

やっぱり聞こえる。
多分、ネコか何かの子どもの声。
親とはぐれてしまったのかしら。

私は、さっきのアニメの導入が、こんな朝。
主人公が寒さに震えるネコみたいなマスコットキャラを助けたことから始ったことを瞬時に思い出して。
もし本当に子猫が助けを求めてたら、拾ってそのマスコットと同じ名前にして飼ってやろうかなんて考えながら。
鳴き声のする方へ足を向けることにした。

せっかくこんなに早起きしちゃったんだもん。
それくらいのお駄賃を拾ったって、バチは当たらないわよね?

それに、飼うにせよ飼えないにせよ。
こんな悲しい声で、きっと助けを求めている生き物のことを知らんぷりできるほど。
私の考える堕天使は、そこまで血も涙もない存在じゃなかったのよ。

 

95:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2016/12/30(金) 11:56:22.89 ID:vmaliTVla.net

ミィ~…ミィ~…

鳴き声がはっきり聞こえてきた。
方向はこっちであってたみたい。先を急ぐ。

ミィイ~…ミニャァア~

次第に声が大きくなる。
それにしても、そんなに衰弱してないようで何よりね。

ミー…ミィイ~…

今や声は完全にクリアに聞こえてて。
そして、どうやらそれはビルに三方を囲まれた有料駐車場の中からのものらしかったわ。

ミニャアー…ミギーィイ…

一番最初の考えを撤回する。
どうもこの声の主は弱っても、ましてや幼く弱々しい子どもでもなさそうだったから。

ミギァアア!ミニュォアオー!!

……。

随分と元気ね……。
近くで聞くと、まるで遠吠えみたいだって思ったわ。
一つしか声が聞こえないから、ケンカではないみたいだけど。

ミャァアアア!マァァオオァア!!

でも一応、ここまで来ちゃったからには。
どんな元気なノラ動物が朝から騒いでいるのか、気になるし……。

私は、声の主のいるであろう駐車車両の下を、そっと覗き込むことにした。

だって、ノラ動物はノラ動物でも。もしかしたら眠っている間に尻尾を車のタイヤに挟まれて今ごろ助けを求めてるような、ドジな野良動物って可能性も、無くはないでしょう?

ミギィィイイイイ!!!ミギャァァァアアアアア!!!!

覗き込んだ先。
この時間にまだ夜の暗さを残す、深いグレーのセダン車の下に居たのは。

 

ナァアアオおオァアああォ!!!むぎャアあああああああああ!!!

 

96:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2016/12/30(金) 11:57:28.72 ID:vmaliTVla.net

仰向けで車にへばり付いた、”ニンゲン”だった。

 

 

97:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2016/12/30(金) 11:58:50.84 ID:vmaliTVla.net

車に引かれてるんじゃないってことは、一瞬でわかる。

何故なら、性別もわからないそれは。地面に触れることなく、本当に車へだけにへばり付いていたから。

マァアあああアアァァァアアアア!!モガァォオオオォォォオおあぁ!!!!

意味不明な叫びを上げながら、それは私に気付いたように顔をこちらに向ける。

その顔は、口以外の器官が福笑いみたいにめちゃくちゃに並べられていた。

ミギャッ!おギャッ!オォォオオオオオオォォオオオぎゃ!!!ァアあァア!!!

髪を振り乱すまま。
口の真横と、本来の鼻の位置にある目が私をとらえて。
何かを訴えるように見開かれた。

耳を塞ぎ、私は駐車場をあとにする。

ゴァアアァアア!!ギャアアアァァアアアアア!!!

声は、まだ聞こえる。

ドゴン!ドゴッ!バゴン!

おまけに、何かが金属に打ちつけられるような音も。

自然と溜め息が漏れてきた。

ァアァアア…バァオォァァア…

朝焼けを待たず、家に帰って寝直そう。

ミャ~…ナァア~…

ああ……やっぱり。

~ィ…ミ…

早起きなんて、するもんじゃなかったわ。

 

98:ホテルの話(家)@\(^o^)/ (ワッチョイ 8aa4-XCM5) 2016/12/30(金) 20:56:45.89 ID:J4Ftnhgv0.net

鞠莉「私のパパがリゾート施設の運営と開発をお仕事にしているのは、みんな知ってるわよね

 

 

99:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2016/12/30(金) 20:59:02.99 ID:84x9OhzYa.net

そんな家の子どもだから、小さい頃からよくニューオープンするホテルの落成式とか、オープニングセレモニーには顔を出しててね。

そういうイベントって、夜に行われることも多くて。
体力のない子どものうちには、結構ハードな部分もあったのよ。

でも。
ちょうど会場はホテルなんですもの。

疲れた私をすぐに休ませるために、パパの計らいでイベントが終わると会場の客室を一つ。必ず用意しておいてくれてるのが、いつからかお決まりになっていたわ。

それも、頑張った私へのご褒美ってことで、飛びっきりのスイートルーム♡

だから、私はそういうイベントも全然嫌いじゃなくて。
次はどんなすごいお部屋に泊まれるのかしら、なんて。むしろ楽しみにしていたくらいだったわ。

私がある程度大きくなってからも、その決まり事がなくなることはなくって。
いつしか私は、ニューオープンするホテルのスイートルームに対する”ゴイケンバン”みたいになっていたわ。

 

100:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2016/12/30(金) 20:59:36.46 ID:84x9OhzYa.net

バッドポイントその1。
照明が明るすぎて今一つゆったりできない。
調光できるようにするか、弱めの光源と間接照明を用意すること。

その2。
部屋はモダンなデザインなのに調度品がテクノに寄り過ぎ!面白いけど、アクセントで留めておかないとちぐはぐな印象をもたれちゃうわ。

その3。
テラスが勿体ない!
せっかく景色がいいのに、机も座るものも無いんだもの。木製だったら安価でもそれなりにこの部屋に合うものが用意できるはず。これは必ず揃えておくこと!

みたいな感じでね。

 

101:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2016/12/30(金) 21:00:51.10 ID:84x9OhzYa.net

最初は何となくパパに小さな不満を漏らすだけだったんだけど、それが言われたとおりにしたらずいぶんと部屋が良くなったって気に入られてね。
今ではすっかりオーニングセレモニーの出席と変わらない、私のお仕事にされちゃったわ。

これは、今年の春。
日本の……どこだったかしら。ゴルフ場と一体で開発された、随分と山の中にオープンするリゾートホテルのイベントに参加した夜のことよ。

いつものようにパーティーを終えて、部屋へと案内される。

複合リゾートとしてはよくある話なのだけど。ゴルフ場との兼ね合いで、ホテルはまだ正式にオープンしたわけじゃなかったから、私以外に客は取ってなかったの。

だからスタッフだって、管理のための必要最低限しかまだ詰めていない。
小さい頃は私の世話係の者が一緒に泊まっていたけど、それだって付けなくなってからは随分と経って久しい。

そして、スイートルームは大概フロントからは遠い位置にある。

つまり、私は広い部屋で、広いフロアで。いえ、それどころか、この広いホテルで。
その夜、一人きりだったのよ。

案内された部屋に入るとき。
振り返った廊下の長さと暗さときたら。それはもう、経験のない人だと心細くってたまらなくなっちゃう光景だったかも知れないわ。

 

102:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2016/12/30(金) 21:01:27.01 ID:84x9OhzYa.net

とは言っても、私にとってはそういうのは慣れっこのこと。

いつものように、セレモニーの夜のもう一つのお仕事に手を付けがてら。まずはパーティーでかいた汗を流すためにバスルームへ向かったわ。

途中、”ゴイケンバン”として気付いたことをまとめるために持ち込んだボイスレコーダーを手に、これまでの内装の評価を手短に吹き込むことも忘れずにね。

とっても広い脱衣所に、2つ並んだ洗面台にはアンティークで上等な鏡が、こちらも2枚並んで設置されてる。

バスルームへ来る前に一通り目を通した幾つかの部屋も、デザインから調度品まで、なかなかのレベルで纏まってた。

デザイナーの意地と誇り。技巧を凝らした意匠とそれらの調和に、自然と賞賛の口笛が漏れる。

パーティーは疲れちゃうけど、だからこそその後のお楽しみはこうでなくっちゃ!

私は楽しい夜を過ごせそうな予感と、ドレスや装飾品の類をすべてとっぱらった開放感。
その2つが混じり合って弾ける胸の軽やかさのままに。バスルームへ続く磨り硝子の引き戸を勢い良く開け放ったわ。

シャイニー!

 

103:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2016/12/30(金) 21:03:11.58 ID:84x9OhzYa.net

…………。

瞬間。私は頂点まで登り詰めたテンションが、底の抜けたみたいに低下していくのを感じたわ。

こう言うの、日本の難しい言葉でなんて言うんだったかしら。
ノーズ……ホワイト……んん!鼻白む、ね。

そう。あんなに楽しい気分に弾んでいたはずの私は、一瞬で鼻白んじゃったの。

だって、バスルームは完全な状態じゃなかったんだもん。

三畳くらいはたっぷりあるバスルームは、部屋と同じく白とブラウンで統一されたシックな雰囲気で。
完成していたら、もう私は本当にハッピーな気持ちで鼻歌交じりにバスタイムを過ごせてたんだろうけど。

でも、その肝心のバスタブが。
ビニールで覆い隠されていたの。

 

104:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2016/12/30(金) 21:04:01.07 ID:84x9OhzYa.net

天井にテープか何かで止められたビニールが、床でもテープで止められていて。バスタブがどんな様子かはうかがえない。

コンクリートでも乾かしてるのかとも思ったんだけど、床全体に敷き詰められた大理石はツルツルピカピカだし。
そのビニールにも何か内側で作業をしたような汚れとかが飛び散っている様子もなかった。

どうやらそこまで大きなものでない、数本ネジを絞めるだけみたいな細かい作業が済んでなかったみたいね。

(それくらい済ませて起きなさいよ!

なんて、なおのこと腹を立てながら。
件の居残り作業には湿度とかは関係無さそうだと勝手に判断して、私はシャワーホースに繋がるバルブを捻った。

一瞬冷水がほとばしったあと、すぐに暖かいお湯が続く。
良かった、水は通っているみたい。

本来ならフロントにいるスタッフに電話で確認して別の部屋を用意させるか。せめてシャワーを使っても問題ないかの確認くらいはするべきだったかもしれないけど。
パーティーで疲れていた上に待たされるのも嫌だったし。

それに。
せっかく盛り上がった気分に水を差された私は、そんな手間すら我慢できないくらい、もうほんとに頭に来ていたの!

いくらデザインが良くっても、完成してなければ何もかも台無し!採点に能(あた)わじ!赤点!零点!即落第!

持ち込んだアロマを焚いて、つま先まで伸ばせる湯船でうっとり夢気分……。
そんな楽しげな計画が音を立てて目の前で崩れていくのを感じながら。
プリプリ湯立つ頭に、少しぬるめに調整したシャワーをしばらく浴びせかけてみたけど。いっこうに冷える気配はなくって。
私はいよいよこのホテルでの”ゴイケンバン”の仕事をボイコットする決意を固め始めた。

そんなときだった。

 

105:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2016/12/30(金) 21:04:39.48 ID:84x9OhzYa.net

「ねえ、どこ?

 

 

106:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2016/12/30(金) 21:06:48.79 ID:84x9OhzYa.net

顔や髪、胸で弾けるシャワーのボタボタいう水音に混じって、そんな声が聞こえてきたのは。

呼ばれたなら、返事をしなくっちゃ。

怒れる頭でもそれくらいの余裕は感じながら、なんの疑問も持たずに応答のために口を開く。

「はぁ~────

 

まず思ったのは、”何の用だろう”だった。

たまの休暇で揃ったパパやママに、リビングから呼びつけられるような気安さで。
部屋に呼んでいた親愛なる友人に、じゃれつかれるような心地よさで。
でもどこか。今すぐ片付けなければならない案件の指示を求めて駆け込んできた、世話役の持つようなひっ迫感で。

そのいずれの響きも、先の声は有してた。
だから私は、とりあえず返事をしようとしたのよ。

だけど。

 

107:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2016/12/30(金) 21:07:33.05 ID:84x9OhzYa.net

「ぁ────

爆発するように張り詰めた緊張の糸が、応答を未だ終えずに震える声帯を締め上げるように。私の声をかすれさせた。

ここは両親の揃ったホームじゃないし。心を分けた友の住まう内浦の土地でもなければ。世話役が抱える火急の案件の残った夜でもない。

私は、いったいなにに返事をしようとしたのかしら。

良くない予感に急かされるように、ぬるま湯につむっていた目をそっと開く。

その瞬間、天井から何かが千切れるような音と共に。バスルームに闇が訪れた。

竣工間もないホテルの照明が、切れたのよ。

脱衣所の照明は、磨り硝子の扉を通して変わらずにバスルームに光を投げかけていた。
でも。その光も、不自然に弱かったわ。

なにが私を呼び。なにに私は返事をしようとしたのか。

答えは、磨り硝子の向こうに”立っていた”。

 

108:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2016/12/30(金) 21:08:09.72 ID:84x9OhzYa.net

まず見えたのは、磨り硝子で滲んだ黒だった。

髪。黒くて長い。ボサボサの。

続いて、薄茶けた白と、肌色と。その影の上の方に二つ並んだ小さな黒。

見てる。
磨り硝子の向こうから。
ぼろ布を纏った、髪の長い女が。

そして。

「ねえ、まり、どこ?

呼んでいた。私を。
私の名前を。

 

109:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2016/12/30(金) 21:10:40.43 ID:84x9OhzYa.net

『知らない誰かに呼ばれたら。決して応えてはいけないよ

しわくちゃの声が頭に蘇る。
大好きだったグランマ。
日本の、こんなどこかの山の奥に住んでいた。
数えるくらいしか会ったことのない。でもどれも優しい思い出の中に縁取られた。もう会うことの叶わない、ママのそのまたママの声。

あれは、警句だった。そしてそれは、まったく正しいものだった。
奪われたんだ。あの不完全な返事から。私の情報が。

「まり、どこ?ここ?

金属でできた小鳥がこわごわとさえずるような不安定な高音を震わせて。半透明の扉の向こうで、それが私を求めてまた一歩前に進んだ。

がしゃん、と扉が小さく軋む。
ほとんど全身が硝子へと密着し、鼻と思しき位置に歪んだ肌色が浮かんだ。

「まり、いる?いる、いる

がしゃん、がしゃん、がしゃん、がしゃん

しゃべるたびに、磨り硝子が揺れる。
私との間にある障壁に気付かないみたいに。それはひたすら呼び、そして歩き続けていた。

「まり、ここ、ここ、ここ、ここ

がしゃん、がしゃん、がしゃん、がしゃん、がしゃん

影は少しずつ横にずれている。
引き戸の開閉箇所に向けて。

ごくり。と、小さく喉が鳴った。

 

110:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2016/12/30(金) 21:12:16.58 ID:84x9OhzYa.net

と、影が扉への衝突を止める。

「ここ、あける

磨り硝子の向こうで、影が横に垂らしていた棒のようなものを。ゆっくりとぎこちない動きで扉の引き手のあたりに移動させていた。
扉の概念を知らなかったそれが、今はもうその構造を理解し。手を使い、開こうとしているみたいに。

今、私は返事をしなかった。
でも、一度繋がってしまったら返事じゃなくても。例えば呼吸ひとつ、物音ひとつからでも、奪われるんだって。
根拠はなかったけど、そう感じて。
次の瞬間には肩を抱いていた両手で素早く口を押さえていた。

がりゃ…がが…がらら…がが…

いったいどうすればあんなに立て付けの良かった引き戸が鳴ることがあるのか。まるで検討のつかない音を響かせながら、少しずつ扉がスライドしていく。

物音を立てないように動きを固めていた体は、今や別の要因で僅かも動かせなくなっていた。

恐怖、困惑、憔悴。そして何よりも夢を見ているような非現実感が、私の体を彫像のように強ばらせていたから。

 

111:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2016/12/30(金) 21:14:16.89 ID:84x9OhzYa.net

が…が…が…

開いた扉の向こうには、やはり薄茶けた白のぼろ布を纏い。土で汚れたくすんだ肌色と、野放図に荒れた黒の長髪を持つ女が立っていた。

密着していた磨り硝子が失われ、影のできていた部分が脱衣所からの逆光で潰れたせいかしら。
女の顔は扉が開くことで、逆に不鮮明になっている。

だけど、抑揚の一定しない妖しい声は。よりクリアに私の耳に届くようになっていた。

「まり、いる?

手で押さえられた口が、何事が応えようとしてしまう。

その声はこれほど薄気味悪い感情を与えながらも。私に抗いがたい返答の衝動を強くもたらすものだったわ。

無防備な状態でこれを聞いてしまえば。条件反射みたいに、返事をしないことはまったく不可能なように思えるほど。
そう、例えば。それこそさっきの私みたいに。

 

112:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2016/12/30(金) 21:15:30.87 ID:84x9OhzYa.net

「まり、どこ?

そして、それがゆったりとした動きで腕を前に突き出した。

その指先では。まるで土の下からついさっき這い出てきたかのように爪が割れ、あるいは剥がれ。例外なくどす黒い汚れがこびり付いていた。

「まり、まり

その手が、歩を進め、やがて私の体へと触れる。

固定されたシャワーヘッドからとめどなく温水を浴びているはずなのに。私はまるで冷水に身を浸しているような感覚の齟齬に襲われて、どうしようもなく鳥肌が立ったものよ。

「まり?まり?

呼吸すら止め、暴れる心臓以外の動きを失った私は。未だ逆光の向こうで潰れるそれの黒い瞳に、まるで映っていないかのように扱われていた。

氷みたいに冷たい手が、シャワーに濡れそぼつ私の体の表面をゆるゆるといったりきたりする。

「まり、ちかい、どこ?ここ?

おぞましさに吐き気すらわいてきたけど。目をぎゅっと結んで、ひたすら耐えがたい接触をやり過ごしたわ。

 

113:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2016/12/30(金) 21:17:41.40 ID:84x9OhzYa.net

「まり、どこ

(うるさいっ!早くいなくなれ!

「まり、いる

(見えてないなら、さっさと諦めてよ!

「まり、まり

(私の名前を呼ばないで!

「まり、まり、まり、まり、まり

(そんなに私を欲しがって、あなたはどうしたいの!?

 

「まりまりまりまりまりまりまりまりまりまりまりまりまりまりまりまりまりまりまりまりまりまりまりまり

目と鼻の先で尋常ではない悪寒が膨張していくのを感じて。
私は思わず目を開けてしまう。

そこでは、下から私の顔を覗き込む白目のない墨のような瞳が、キスするような距離で待っていて。

私は、ついにそれと目が合ってしまった。

ぐいっ

それが歯のほとんど抜け落ちた口を薄く開き、嬉しそうな声を上げながら、私を抱きしめるようにかかえ込もうとして────

 

114:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2016/12/30(金) 21:18:10.03 ID:84x9OhzYa.net

 

「まり、みーつけた

 

 

115:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2016/12/30(金) 21:20:02.90 ID:84x9OhzYa.net

瞬間。私の体は足元から滑るように垂直に倒れ込んでいた。

意図したものかは……わからない。ひょっとしたら、あまりの恐怖に腰が抜けてしまったのかも知れないわ。

実際、シャワーで塗れた足場に尻餅をついた私は、すぐさま動き出すことができなかったから。

目の前でシャワーの水滴を集めて粒を浮かべる死斑の生じた足。
その先の爪が、手と同じように割れ、剥がれ。泥にまみれて所々化膿している様子が見えた。

私は力の入らない体を引きずって、脱衣所を目指してみっともなくも赤ちゃんみたいに膝を突いて女の横へと回り込んだ。

「あれ?まり?どこ?どこ?

まるで大事なものを落として見あたらなくなってしまった子どものような声音で、それが私を求めてバスルーム内をキョロキョロと見回す気配を感じた。

あれが、脱衣所にはある。
どんな効果があるのかはわからないけど。このままあのおぞましい存在に好きにされるよりは、何かをしてあらがいたかった。

 

116:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2016/12/30(金) 21:21:14.66 ID:84x9OhzYa.net

バスルームに反響するはずのシャワーの音が。この出来事への無関係を装うように、ずっと遠い場所から聞こえているような気がした。

「まり、うごいてる?ここ、でる?

背後から塗れたバスルームの床をひたひたと踏みしめて。それが少しずつ私に迫っている。
私の出した音でしかこの存在を知ることのできない、盲目のゴーストが。

もう猶予がないと悟って、バスルームのふちから手を伸ばす。

────ガッタァアアンン

指先の引っかかってしまった足の高い脱衣籠が、すごい音を立ててひっくり返った。

「まり、いたぁあ

ニタリ、なんて。本来聞こるはずのない、口が笑みの形になる粘ついた音が、首のすぐ後ろから聞こえた気がした。

気付いたときには、私はうつ伏せのままバスルームの床を滑っていた。

足首には冷たい輪の感触。

掴まれて、引きずり込まれていたの。

引きずられながら。
私は親指を力いっぱい握り込んだわ。

 

117:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2016/12/30(金) 21:22:19.94 ID:84x9OhzYa.net

『オフホワイトの壁と、木で統一されたブラウンの調度品のバランスがとっても目に優しいの!

興奮気味の私の声で、今や評価なしとなったはずのこの部屋の内装についてを語る様子が、楽しげに聞こえてきた。

「まり?ふたつ?

困惑のような色を声に覗かせて、足を掴むそれの動きが止まる。

『そこに計算尽くで配置された間接照明のもたらす柔らかい色合いが加わって……うぅ~ん!吸う空気まで甘く感じちゃう!

「まり!まり!

愛玩動物がはしゃいでいるのを見て喜ぶような、超越的で残酷な響きが私の名を呼び。

『ベッドだって当然、とうっ!……あっはは!すっごい沈み込むー!キングサイズでふっかふか!それがふたつも!?

「まり────ひとつになろ

 

 

118:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2016/12/30(金) 21:23:17.11 ID:84x9OhzYa.net

突如、私を襲い続けていた途方もない寒気が失われた。

シャワーが大理石を叩き続ける雨だれに似た水の音とその暖かさが、まるでそれに代わるように存在感を取り戻す。

荒れた息が次から次にこぼれていた。
声を出さないようきつく噛みしめた口は、歯がくっついてしまったみたいに開きそうになくて。
鼻だけでその荒い呼吸を捌かなくちゃいけなくって、とっても苦しかったわ。

その私の指先には。

”ゴイケンバン”としての仕事に用いる、ボイスレコーダーが握られていた。

 

119:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2016/12/30(金) 21:23:50.88 ID:84x9OhzYa.net

『うぅ~ん!吸う空気まで甘く感じちゃう!────キングサイズでふっかふか!

でも、どうやらそれも湿気の多いバスルームに持ち込んだせいで壊れてしまったみたいだった。

だって、脱衣所までの道みちに吹き込んだ私の声を順番に再生するはずのそれは。

『あっはは────ベッド────当ぜん────おふほわイト────目に────目に────めに、めニメにめに、めに────あっはは────っはは────っはは────っはは

ファイルをまたいで、めちゃくちゃにデータを再生するようになってしまったんだから。

『────っはは────っはは、はは、ははあはははははははははははははははははははははははははは

そして、ループする私の笑い声は。いつしかあの金属のさえずりへと代わって。

それは最後にこう呟いて、電源が落ちたの。

 

120:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2016/12/30(金) 21:24:42.93 ID:84x9OhzYa.net

『こ……れで、ずっと……いっしょ。だよ────まり

 

121:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2016/12/30(金) 21:30:35.69 ID:84x9OhzYa.net

鞠莉「で、これがそのボイスレコーダーなんだけど────

一同「「きゃーーーー!!!

鞠莉「イッツジョーク♪(ぴーす)

ダイヤ「いったい!どこからが!ですの!この大うそつき!!(ぽかぽか)

鞠莉「ちょっ、ダイヤたたかないでよ、いたいって♡

ダイヤ「さっさと白状なさい!

鞠莉「もーう、オバケより怖いんだから、ダイヤってば……話は全部ほ・ん・と。このボイスレコーダーは新しく買ったやつで、そこだけジョークです♪

果南「じゃあさ……話に出てきたボイスレコーダーはどうしたの?

鞠莉「果南までそんなに怖い顔しちゃって~。んもう、美人が台無しだぞ?

果南「鞠莉!!

鞠莉「Oops!ふふ、さすがにちょっとしつこかったかしら?

鞠莉「オタキアゲよ、オタキアゲ。その筋でユイショあるお寺に、預かって貰ったわ

曜「えっ、それって────

鞠莉「あら……?残念だけど”ここ”じゃあないわ。すぐに手放したかったから、最寄りで見つけた専門のお寺さまに持ち込んで、即エスケープよっ

梨子「エスケープって……

鞠莉「うん。それはもう、ダットのゴトクね

ルビィ「失礼だけど、なんとなく目に浮かびます……

 

122:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2016/12/30(金) 21:31:19.57 ID:84x9OhzYa.net

鞠莉「……と、まあ……。ほんとはそうするつもりだったんだけど。ニコニコ顔の優しそ~なお坊さまが、経緯を聞きたいって仰って

ダイヤ「まあ、供養するんですもの。当然のお話ですわ

鞠莉「あんっ、エスケープのくだりはずっと冗談よ?ここからは真面目な部分ですからね

果南「わかったわかった。話が進まないよー、もう

一同「「……はあ……

鞠莉「ごめんごめん。それで、ね。
 こっちもそのつもりだったし、ある程度整理して詳しく話してたの。そしたらそのホトケの顔が、私の身分を語ってるところでみるみるとんでもない剣幕に変わっていってね。ついには一喝閃いて────

 

『御山を削った首魁の娘かぁっ!!

 

鞠莉「……って……

 

123:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2016/12/30(金) 21:34:04.00 ID:84x9OhzYa.net

鞠莉「ひどい話よね。あんなに怖い目にあって、藁にもすがる思いで頼ってきたいたいけなレディーに向かって、大声で怒鳴るなんて

一同「「…………

鞠莉「結局、声を荒げられたのはその一度きりだったけど。終始ピリピリした雰囲気の中経緯を説明させられたあと。いくつかぶっきらぼうなやりとりを交わして、私への聴取はおしまい

鞠莉「最後にはこっちの包み金を突っぱねて。代わりに二度とこの土地に手を加えるなって、目も合わせずに追い出されたわ

ダイヤ「それではその後、随分とそちらでの運営はやり辛くなったのではなくて……?

鞠莉「その辺は心配ゴムヨウ。ウチの渉外部(ネゴシエーター)は腕利き揃いだから。きっとほとぼりの冷めた今頃は、多方面の懐柔も完了してるでしょうね

鞠莉「今回の教訓は、計画地点に対しては地質学的見地からだけではなく、民族学的な調査も欠かさないようにせよ……ってところね。
 ミスは起こるものよ。でもその代わり、同じミスを二度と繰り返すつもりはないわ

 

124:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2016/12/30(金) 21:35:15.97 ID:84x9OhzYa.net

一同「「…………

鞠莉「……(ニコッ)以上!────Aqoursきっての薄幸美少女(灰被り)こと小原鞠莉ちゃんの、春先のお話をお送りしましたっ

曜「薄幸美少女……

ルビィ「って書いてシンデレラ……

梨子「自分で言っちゃうのね……

善子「……私、実は結構同情してたけど……

花丸「うん、なんか自業自得に思えてきたずら

鞠莉「Oh……相変わらずマルのゼッポウは鋭いわね……

千歌「ま、まあまあ……鞠莉ちゃんもみんなを必要以上に怖がらせないよう、わざとお尻の方でふざけただけで……

鞠莉「ちかっち……わかってくれるのはあなただけよ……

花丸「わかってるけど、やりすぎずら。へたくそずら

鞠莉「オォーゥチッッ!!!!

千歌「花丸ちゃ~ん(汗)

 

・小原鞠莉
『ホテルの話』 おしまい

 

 

125:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2016/12/30(金) 21:42:05.42 ID:84x9OhzYa.net

あの日、私がその部屋に泊まったのは偶然ではなかった。

 

127:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2016/12/30(金) 21:44:18.28 ID:84x9OhzYa.net

バスタブにビニールが張られていた理由を、後日当該ホテル清掃班のチーフから聞き出すと。こんな答えが返ってきた。

バスタブに限らず。あの部屋は誰も出入りしていないはずなのに、気が付くと泥や土の汚れが生じてしまい。
それは何度清掃しても。どんなに注意深く人の出入りを管理しても。決して収まることはなかったそうだ。

もちろん、そんな部屋に私を泊まらせるつもりなどなかった。

施錠の行き届いた場所に原因不明の土塊が生じるなんて。どう考えても瑕疵ありとして、私以前に客を取る部屋としてそこは機能し得ない。
耐久や密閉などをよく洗い、再び一から調査しなおして原因を明らかにした上で改修を施し、ようやく客室としての価値を取り戻すことができるのだから。

しかし、どこでどう歪んだのか。
私は、あの部屋に泊まることになった。

私の就前泊は、慣例としてグループ全体に知られている。
もちろん今回とて、計画案は支配人まで専決で決裁が回っていたはずだ。

それを、改ざんした人間がいる。

当日までの間。まるで計画通りに事が動いていると、業務に携わる全ての人間へ疑問を抱かせることなく動かして。

 

128:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2016/12/30(金) 21:46:35.22 ID:84x9OhzYa.net

油断ならない、恐ろしい手腕だ。

その手腕で。顔の見えない何者かは、あの部屋で私とそれを邂逅せしめた。

何者かは、それの正体を知っていたのだ。
おそらく直接対峙した私すら知り得ない、あれに取り憑かれてしまった者がどうなるのかという、その末路すら。

当然。あの夜、怒りにまかせ部屋を変えずシャワーを浴びた、私のその気性すら知悉の上なのだろう。

思い起こすだに背筋が凍る。

部屋に現れたあのおぞましいゴーストに、ではない。
手足のように悪意なき無数の人間を操り、人知れず私を陥れようとした、この獅子身中の虫に対してだ。

パパが珍しくお酒に酔うとき。決まって口癖のようにこぼしていた言葉が今、私の胸に重くのしかかる。

『人の上に立つ人間は、”更に”を求め上ばかり意識を向けてしまう。だが、それではいけない。
 人の上に立っている、それゆえに。私たちは上にではなく足下へこそ、気を払うべきなのだ

経営者への道は、なんだかんだでとっても険しいものになりそうね。

────ただ、退屈だけはしなさそうだと。

私の内に棲まう黒くて冷たい何かが、顔の見えない誰かを想い。
静かに、そう笑っている気がした。

 

・小原鞠莉
『ホテルの話(異聞)』 おしまい

 

 

132:ナイトダイビングの話(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2016/12/30(金) 22:46:59.56 ID:84x9OhzYa.net

果南「もうずいぶんと昔からウチを利用してくれている常連さんに。ある日こんなことを頼まれたんだ

 

 

133:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2016/12/30(金) 22:49:27.18 ID:84x9OhzYa.net

『果南ちゃん……僕を、ナイトダイビングに連れて行ってくれないか

 

中学三年の、夏を目前に控えたころだった。

どうも、父さんたちには内緒で……装備もポイントへのボートも自分で用意するから、ガイドだけ頼めないか、って言う……そんな話。

……妙な話だと、思ったよ。

それに、夜に誰もいない……誰もこない場所で。男の人とふたりきりになるっていうのも、常識的に考えたらあり得ないよね。

でも、常連さんはよくご家族でもウチを利用していたし、お子さんも大切にしてたから。
そういう……女としての不安は、ひとまずまったくなかったんだよね。

で……ううんと……常連さんじゃ少し言い辛いから、これからはおじさんって言うね。

最初は私もおじさんの話は断ったんだ。

うん……普段私もみんなに何も考えてないみたいに内浦の海を勧めてるけどさ。
ダイビングって、適当にやれば命に関わるレジャーなんだよ。

今だってまだぜんぜんなっちゃいないけど、当時の私なんて父さんたちの手伝いをするのが精いっぱいで。
誰かひとりの人間の命を、責任もって最初から最後まで預かるなんて、考えてもみなかった。

 

134:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2016/12/30(金) 22:50:01.63 ID:84x9OhzYa.net

でも……そう言っておじさんの話を断ってからしばらく経って……。

それからだったかな。
ウチへときどき仲間や家族でダイビングをしに来ていたおじさんの様子が、どんどんおかしくなっていったのは。

ダイビング中に単独行動を取ろうとしたり。酸素残量も尽きかけてるのに、海にいつまでも残ろうとしたり。

そのうち父さんも怒って。ガイドの言うことが聞けないなら、もうウチでは面倒見ないって、直接おじさんに怒鳴っちゃうくらいでさ。

おじさんの顔……ずいぶん疲れてたな。

目が落ちくぼんで、顔はどこか青ざめてて。白髪も増えたみたい。

そしてときどき。私の方をじっと見て、悲しそうな顔をしながら。ふう……って、ため息をつく。

今考えれば、この頃のおじさんは、本当に異常だった……かな。

いくら潜りたいポイントとタイミングがあったって。どんなにダイビング好きの人だろうと、普通ああは落ち込まない。
ましてやダイバーの基本中の基本であるはずの安全第一の大原則を蔑ろにしてしまうほど入れ込むなんて、それこそ常軌を逸してる。

でも、当時の私は。
ただおじさんが海を覗くとき。濁るみたい渦を巻いて明るい色を失っていくその目の様子が頭に焼き付いて……忘れられなかったんだ。

そんなこともあって。おじさんがこうなっちゃった原因……その責任の一端が自分にもあるんじゃないかって思えてきちゃってさ。

ついに我慢できなくなって、お客さんの台帳からこっそりおじさんの番号を調べて。
この前のこと、考えてみるから詳しく話を聞かせて欲しいって……電話しちゃってた。

 

135:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2016/12/30(金) 22:51:17.88 ID:84x9OhzYa.net

その夜は風もなくて、雲も少ない月と星がよく見える静かな夜だった。

約束がなかったら絶好の天体観測日和だったなって思ったから、間違いないよ。

おじさんが注文したポイントは、陸(おか)からも、他のどの定番ポイントからも遠くて。
確かに内浦の海のことを専門に扱う人じゃないと、一人ではたどり着けないような場所だった。

でも、それはつまり。
何の変哲もない海のど真ん中。
浅瀬も岩礁も見当たらない、夜の闇にぽっかりと沈む、ダイビングに全く適さないような────

おじさんがどこかから用意した、小さなエンジンを積んだ人間2人と装備品を載せれば足の踏み場もないようなボートの上で準備を終えた私は。そっと海を覗き込む。

(こんな場所で……おじさんは、なにを見たいの……?

夜の海中を遠く貫くはずの強力なライトの光をあざ笑うように減衰し、その全て飲み込んでなお暗さを深める闇の塊を前に。

私は、初めて潜ったナイトダイビングが遥かに霞むくらいの恐怖を感じていた。

 

136:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2016/12/30(金) 22:51:56.41 ID:84x9OhzYa.net

「本当にありがとう。果南ちゃん

「僕もこのポイントを目指して、ひとりでボートを操縦した夜が、両手じゃ足らないくらいあったよ

「でも、何度やっても潮の流れが掴めなくて……ここにたどり着けたことは、一度としてなかった

「だから。こればっかりは内浦の海を良く知っている人じゃないと、できないことだったんだ

ボートに括り付られたGPSと海を交互に眺めながら、おじさんはそんなことをつぶやいた。

おじさんが用意したボート……こんな舟、私は今まで淡島でも内浦でも、見かけたことがない。
おじさんが、文字通り”用意”したんだろうね。

ダイビングの装備一式だけじゃない。

ボート。エンジン。計器類に、その電源……。

おじさんはこの夜のために、いったいどれだけのお金と。そして時間をつぎ込んだのか……。

 

137:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2016/12/30(金) 22:52:44.10 ID:84x9OhzYa.net

おじさんの準備も終わり、私たちは海に入った。

得体の知れない生が見えない闇で蠢いているかも知れないぶん。
きっと宇宙空間よりもずっと不気味な広がりが、私を包む。

ポイント周辺にはブイも浮いてなくて、繋留索も降ろせる深さじゃ無い。

本来なら絶対ボートには人を残すべきだったけど。
おじさんをひとりで海に潜らせるよりは、帰ってからボートが見当たらないことの方が、いくらか許容できる不安な気がして。
私はおじさんに付いて、立ち昇る気泡がなければどちらが上かもわからない暗闇を掻き分け続けた。

水への感覚も慣れて、落ち着いて周囲の状況が確認できるようになっても。
やっぱりそこは魚も泳がない、海底すら見えないような、暗いだけの海だった。

『海に入ったら、僕に好きにしていい時間をくれないかな

本当に危ないと私が判断するまでが、おじさんに与えられたこの夜の海での時間。

何が目的かもわからない。
おじさんがおかしくなってしまうほどに求めた、ナイトダイビング……。

 

138:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2016/12/30(金) 22:54:00.49 ID:84x9OhzYa.net

おそらく、傾斜方向に30メートルほど潜ったころ。

それは唐突に現れた。

”それ”?

うん……。

”それ”っていうのは……。

女の、ひと……なのかな……。

前触れもなく。気配もなく。気泡もまとわずに。

黒の長髪と白いワンピースを、水の流れに揺らめかせ。

濁った瞳に。ぽかりと開いた口と。酷く黄色掛かった肌。

そして、女のひとは。

 

上下逆さまの姿勢だった。

 

139:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2016/12/30(金) 22:55:14.76 ID:84x9OhzYa.net

悲鳴をあげたつもりだった。

でも、水中ではレギュレーターから気泡が撒き散らされるだけで。
その悲鳴は私をより恐怖させる以外には、誰にも届くことはなかった。

この水中で届くべき相手────おじさんは、女のひとが現れてから身じろぎひとつせずにその場にいた。

女のひとの正面で。
まるで、見とれてでもいるかのように。

いや……。

身じろぎひとつしないっていうのは、間違いだったかも知れない。

おじさんの肩は、確かに小刻みに震えてたから。

私が悲鳴を上げ終える。

でも、それから。
何もできなかった。

そこから逃げることも。動くことすら。

まるで金縛りにあったみたいに。
でも、不思議なことに本来動けなくなれば沈んでいくしかない身体の位置だけは、そのままだった。

 

140:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2016/12/30(金) 22:57:01.10 ID:84x9OhzYa.net

こんな、夜の海の外れ。
なんの水中装備も付けていないのに、女のひとは現れてからずっとそのままの姿勢で。
水の流れに、髪とワンピースをゆらゆらと遊ばせていた。

虚ろな瞳。
開かれた口。
黄ばんだ肌。
よく見ると薄汚れた白いワンピース。
どこからも漏れない気泡。

やっぱり、おかしかった。

女のひとは、ヒトじゃなくて。
生きていなくて。

これじゃ、まるで────

やがて、ようやくおじさんが動いた。

待ち焦がれたように。慈しむように。
ゆっくりと、女のひとに両手を伸ばし近づいていく。

それはきっと、ハグ────抱きしめようとするみたいに。

 

141:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2016/12/30(金) 22:58:01.78 ID:84x9OhzYa.net

ご…ぽ…

急に、気泡が漏れた。
女のひとの口からだったよ。

それを合図に、女のひとが初めて動きを見せた。

小刻みに。
痙攣するように。
手足をばたつかせ。
首を少しだけの角度で。
でもめちゃくちゃに、素早く上下左右に振り乱して。

それはまるで、何かが女のひとに入り込み、動かし方を確認しているみたいな。
生理的に受け入れがたい、胸の悪くなる動きだった。

ごぽ…ごぱっ…

一際大きな気泡が、女のひとの口から足の方へと立ち昇って消えていく。

おじさんは、女のひとの顔を間もなく胸に迎えられるくらいに近付いていた。

ごぼん…ぼ…ごば…

おじさんのレギュレーターから気泡が漏れる。

ごぼん…ぼ…ごば…

何か、同じ言葉を囁いているみたいだった。

ごぼん…ぼ…ごば…

これから抱きしめる、女のひとに向けて。

ごぼん…ぼ…ごば…

それは多分。

ごぼん…ぼ…ごば…

 

”ゆるして、くれ……”、と……。

 

 

142:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2016/12/30(金) 22:58:53.84 ID:84x9OhzYa.net

おじさんの腕に包まれる瞬間。
おじさんの脇から僅かに覗いた女のひとの口が、うっすらと笑ったように見えた。

『絶対……許さない……

声が聞こえた。
それは、潮に錆び付いた弦楽器のような、安定感のない耳障りな高音で。

『お前を……絶対に、許さない……

耳を塞ぎ、声の限りを叫んでかき消したくなるような。心の底から気味の悪い旋律だった。

でも、塞いだところで。叫んだところで。きっと無駄だってわかってた。

何故なら、水中で人の言葉なんて、聞こえるはずがないんだから。

『お前を絶対、許さない……

憎悪で塗りたくられたような、絶望的な言葉の響き。

私は、水中で聞こえるはずのないその声が。
女のひとの薄い笑みに歪んだ口から漏れたものだと気が付いたとき。

おじさんは”これ”に許しを乞いたくてここまできたんだって、ようやく理解したんだ。

そして、どうやらその許しが、得られなかったんだということも……。

 

143:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2016/12/30(金) 23:00:12.64 ID:84x9OhzYa.net

ボートに上がってからも。おじさんは装備も降ろさずに、ずっと似通った言葉をうわごとのように呟き続けていた。

ごめんな……。
すまなかった……。
ゆるしてくれ……。
ぜんぶ僕が、わるかったから……。

水中で、気が付くと女のひとは消えてなくなっていた。

”居なくなっていた”じゃないのは、私がそう感じたからで。
決して言い間違いじゃない。

とにかく、こちらも比喩じゃなくてその場から力なく沈んでいってしまうおじさんを引っ張って。
私はくたくたになりながらもなんとかボートまで戻ってこれた。

おじさんが全然泳いでくれなくて、このままじゃ危なかったから。
ウエイトを外して水中で捨ててきちゃったのは仕方のないことだけど……。
海のことを思うと、少しだけ胸が痛む。

一度は消えた女のひとが、今度は水面に現れてずっと追いかけてくるような、不気味な想像に取り付かれながらも。
何とか私はボートを走らせた。

目の前に見えてきた、夜の闇に小さくいくつか浮かぶ淡島からの光に気が付いたとき。

私は古い例えに聞いたことのある、夜の海っていう死者の世界から。
生ある者の居場所に戻ってこれたような。
そんな気がして。

こっそり、涙ぐんだのを忘れない。

 

144:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2016/12/30(金) 23:01:34.62 ID:84x9OhzYa.net

果南「……って言う話なんだけど

曜「果南ちゃん……これは、ヘビーすぎるんじゃ……

ルビィ「夜の海……ただでさえ怖いのに、もうぜったい泳げないよぅ……

果南「もーう、大袈裟だなぁみんな

梨子「え?おじさんどうなったの……?まさか……それが果南ちゃんが見た最後の姿だった……とか……

果南「ないない!ないよそんなこと!
 それからは憑き物が落ちたみたいに前までのおじさんに戻って、今でもときどきウチのショップを利用してくれてるよっ

善子「そう……(ぼそっ)良かった……

ダイヤ「と言いますか……よくそんな体験しておいて、また海に潜れますわね……

果南「うーん……ダイビング、好きだからなぁ……別にそのポイントで泳ぐわけじゃないんだし

鞠莉「果南はやっぱりダイビングストゥーピッドね。略してダイスピ!

果南「いや、それ意味わかんないよ……鞠莉……

千歌「……ダイスピ、と大好き、を掛けてるってこと……?

鞠莉「オー……チカ!ナイスセンス!ユアービッグコメディアン!!

千歌「えへへ~

梨子「逆にこの辺は気にしなさ過ぎ……

 

・松浦果南
『ナイトダイビングの話』 おしまい

 

 

145:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2016/12/30(金) 23:30:13.59 ID:84x9OhzYa.net

 

果南ちゃんのお話で……みんな、全然気にしてないみたいだけど……。

 

146:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2016/12/30(金) 23:31:22.67 ID:84x9OhzYa.net

”憑き物が落ちたみたいに前までのおじさんに戻って”……って……。
それって、どういうこと……?

だって、おじさんは……女のひとに会いたくておかしくなっちゃって……。
やっと会えたその女のひとに、許してもらえなかったんじゃないの……?

帰りのボートで。壊れちゃったみたいにずっと謝り続けてたのは、どうして……?

どうしたらそんなことがあったあとに、何事もなく日常に戻って……またダイビングを興じれるようになるの?

”海に入ったら、僕に好きにしていい時間をくれないかな”

おじさんが言ったっていうこの言葉が、気になって仕方なかった。

果南ちゃんが思わず止めるようなことを、おじさんはしようとしてたってことじゃないの……?

そして、それは結局。

しなかったのか。
できなかったのか。
する必要がなかったのか。
あるいは気付かれずにしていたのか。

 

147:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2016/12/30(金) 23:33:08.55 ID:84x9OhzYa.net

……。

おじさんは、海からボートまで果南ちゃんに引き上げられた。

でも、それに関して暴れたり拒んだり。果南ちゃんに反発するようなことはなかった。

女のひとの言葉に消沈していたからともとれるけど……。
そうじゃなくて。もうその場にいる必要がなくなったって風には、考えられない?

必要がなくなったのは、したかったことが済んだから。

おじさんがしたこと。

おじさんだけがしたこと。

果南ちゃんは、見てるだけだった。

でも、おじさんは……?

おじさんは……。

女のひとに、許しを乞うた。

……でも。

”許しを乞うた”ことにこだわっては、だめな気がする。

だって、おじさんは”許されなかった”んだから。

許してもらえる可能性が僅かでもあったのか。
それとも最初から許されることは絶対になかったのか。

とにかく。

女のひとは許さなかった。

でも、おじさんは日常に戻れた。

この図式を見ても、因果関係が全然見えてこない。
つまりそれは、このふたつは等号で結べない事柄ってことなんじゃない……?

”許しを乞う→許されない→日常に戻る”

では、ない。

どこかで、何かが抜け落ちてる。

でも、わかりかけてる。
喉もとまで出掛かっている。

それはきっと、果南ちゃんの話で。その抜け落ちた部分も、きちんと語られているから。

 

148:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2016/12/30(金) 23:34:19.06 ID:84x9OhzYa.net

他に……他に、海でおじさんがしたこと。

ひとつだけある。

女のひとを、ハグ────抱きしめようとした。

でも、それは果南ちゃんの主観。

おじさんの背中に隠れてしまって。
おじさんが何をしたのかは、結局おじさんにしかわからない。

……。

思考が進まない。

おじさんのことだけを考えていては、たどり着けないのかも知れない。

考える余地があるのかわからない。
でも、”女のひと”のことも、考えてみなくちゃ……。

そんな気がする……。

 

女のひと。

女のひとは、いつの間にか消えていたってことだけど。

女のひとが現れたのは、確かに意識の外からで、急にだったかもしれない。
だから、消えたのも気が付いたらっていう理屈は……通らなくはない。

でも、女のひとを見つけたときと、消えたときとでは。

────そうだ。

違い。違いがある。

ふたつの、決定的な違いが……。

 

149:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2016/12/30(金) 23:35:39.47 ID:84x9OhzYa.net

ひとつは、見つけたときは2人は移動していたのに。
消えたときはその場に留まっていたこと。

突然現れたように見えても、そこは強力な水中ライトの光も減衰してしまう、暗い夜の海の中……。

女のひとは急に現れたんじゃなくて、”ずっとそこにいた”のかもしれない。

だって、おじさんはそのポイントにたどり着きたくて、果南ちゃんにガイドをお願いしたんだから。

果南ちゃんは女のひとを見て、悲鳴を上げた。
突然海の中に、居るはずのない不気味な存在が現れたんだから。しょうがないことだと思うし、それが普通だよね。

でも、おじさんは肩を震わすぐらいで。他に何か大きな反応をすることはなかった。

何故なら……。
おじさんは、女のひとに必ず会えるって、知っていたから。

つまり、おじさんにとって。
そこにいけば女のひとが居るってことは、当たり前のことだったんじゃ……ないかな……。

じゃあ、なんで、消えてしまったの?

なんで、”どこかに行ってしまった”り、”居なくなってしまった”じゃ、だめだったの?

わざわざ果南ちゃんが”居なくなった”じゃなくて、”消えてなくなった”って言葉を使ったのは……果南ちゃんがそう感じたからだけじゃなくて。

本当に、そうだったから……。

もうひとつの決定的な違い。

それは、おじさんが行動したことで、女のひとが消えたこと。

逆に……だけど。
女のひとを見つけたときに、おじさんは何かしたの?

ううん。
果南ちゃんが特別語る必要がないくらい。
ただ2人は……おじさんは、泳いでいただけ。

でも、おじさんが”それ”をしたから、女のひとは消えた……。

 

150:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2016/12/30(金) 23:39:17.24 ID:84x9OhzYa.net

これが、ふたつの決定的な違い。

ひとつは。
見つけたときは移動してたのに、消えたときは止まっていたこと。

もうひとつは。
見つけたときは何もしなかったのに、消えたときは何かをしたこと。

おじさんが何をしたかは、さっき考えた。

”許しを乞う”ことじゃない。

それは”許されない”に繋がるだけで、そこからはどこにもたどり着けないから。

大切なのは、きっともうひとつの方。

女のひとを、抱きしめるような動きをしたこと。

おじさんがそうしようとして。
そのあとは、最後に女のひとが笑ったように見えただけで。
果南ちゃんには死角になって、どうなったかは見えていない。

抱きしめるような動き。

……どこを、抱きしめようとしたの……?

 

151:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2016/12/30(金) 23:39:58.72 ID:84x9OhzYa.net

 

────女のひとの顔を間もなく胸に────

 

 

152:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2016/12/30(金) 23:40:32.54 ID:84x9OhzYa.net

逆さまになった女のひと。
顔のすぐ上には、首がある。

抱きしめるように、胸に顔を迎え入れようとして。

おじさんは、女の人の首を絞めた。

謝りながら。
許さないと罵られながら。
女のひとが消えるまで。

女のひとを……もう一度、■すまで───

 

153:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2016/12/30(金) 23:41:29.90 ID:84x9OhzYa.net

もう、考えたくないずら……。

怖い……。
マルは、怖い。

果南ちゃんの話が怖い。
夜の海中に現れた、逆さまの女のひとじゃなくて。

それよりも、おじさんが一番怖い。

果南ちゃんがその夜、淡島に浮かぶ光を見て涙ぐんだって言う、生ある者の居場所の方が。

オラにとっては……何より怖い……。

 

154:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2016/12/30(金) 23:42:29.26 ID:84x9OhzYa.net

”許しを乞『いながら首を絞める』→許されない(織り込み済み)→女のひとを『消す』→日常に戻る”

これが答え。

抜け落ちていたのはおじさんの■意と。
女のひとの、二度目の■……。

 

155:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2016/12/30(金) 23:46:11.15 ID:84x9OhzYa.net

おじさんと一緒に現れた果南ちゃん。

自分を見て悲鳴を上げた女の子。
自分の存在を知らない人。

力を振り絞って、その場に繋ぎ止めた。

 

────まるで金縛りにあったみたいに────

逃げてしまわないように。
でも、沈んでいなくなってもしまわないように。

伝えたかった。見て欲しかった。

これから自分を害する。あるいは過去にも同様にそうした、人間の悪意を。

暴力で奪われ断たれた、自分の未来と、その無念を。

怨む思いが強すぎて。考えてもみなかった突然の救いの存在に、うまくすがれなかったけど。

叶うなら。女のひとはきっと、こう言いたかったのかもしれない。

”許さない”という、呪いの言葉ではなく。

それは、切なる願いの言葉。

      ”たすけて”

・国木田花丸
『ナイトダイビングの話(異聞)』 おしまい

 

 

165:(茸)@\(^o^)/ (スッップ Sdaa-XCM5) 2016/12/31(土) 20:49:20.81 ID:OBG71OEid.net

wifiが相変わらず調子悪いので、今夜はずっと茸でやらせていただきます
また、昨日のしょっぱなも実家のwifi回線と競合しておかしなことになってしまってました。怪しいスレ主で本当に申し訳ありません

今日の分を始める前に、昨日投下分の語りを少々

・『ホテルの話』
”呼びかけられると応えてしまう”怪異はよくある話ですが、多分直近の影響では『×××HOLiC・戻』の1巻終盤の話っぽい
あとは、言うまでもなくこの画像→

磨り硝子って怖いよね

そしてオチはやっぱりヤマノケでした。はいれたはいれたはいれたはいれた

異聞のダークマネージャーマリーさんは、1stシングルの自己紹介とか初期のピンナップとかで個人的に感じてた、冷たさをまとった将来の敏腕経営者ぶりを思い出して
特にそういうことはないはずなんですが、なぜだかアニメ前はなんとなくそういう印象がありました

・『ナイトダイビングの話』
本編異聞ともに特になし
異聞は謎に誰が語りかごまかしながらのミステリ仕立て。名探偵マルちゃんをやりたかったんや……

それでは、大晦日ですが今晩もお付き合いいただければさいわいです

 

166:隠居所の話(茸)@\(^o^)/ (スッップ Sdaa-XCM5) 2016/12/31(土) 20:51:26.14 ID:OBG71OEid.net

 

ダイヤ「我が黒澤家はご存じの通り、沼津市一帯の漁港を統べる網元ですわ

 

167:(茸)@\(^o^)/ (スッップ Sdaa-XCM5) 2016/12/31(土) 20:52:53.00 ID:OBG71OEid.net

その黒澤家ですが、私(わたくし)たち姉妹からそれとなく知れることかもわかりませんが、代々女系がちで。
近辺の網元の次男坊や、子飼いの有力な網子から婿(むこ)を取ることが習わしとなっているの。

婿たちは女中心の嫁ぎ先で、やはり気苦労が多いのかしら。
揃って短命で、おじいさまも私が物心つく頃には既に他界されていたわ。

お父さまだって。今でこそ当主然と振る舞われ、多くの分野で黒澤の名に相応しい辣腕をふるっていますが。
それは裏に真性の黒澤の血を持つお母さまの取り計らいと、なによりおばあさまからもたらされた威光があったればこそのご活躍なのですわ。

そう、おばあさま……。

 

168:(茸)@\(^o^)/ (スッップ Sdaa-XCM5) 2016/12/31(土) 20:53:26.05 ID:OBG71OEid.net

私は、おばあさまが大好きだった。

お稽古事の合間を縫ってこっそり通った隠居所で。
私やルビィを膝に乗せ、おとぎ話のような在りし日の黒澤家の活躍譚を。まだ幼い私たちにもわかりやすい言葉でゆったりとお話してくれた、麗らかなその縁側が。
今でもありありと瞳の裏に思い起こせる。

戦後の動乱期。
男の少なくなった沼津の海を、僅かな年寄りと若い女性たちだけで守りきったその手腕を指して。網子たちに留まらず、家の者にすら敬して遠ざけられ。
亡き今もなお”黒澤権現(ごんげん)”などと渾名されている、大傑物。

でも、私にとっておばあさまは。
お日さまの匂いのする胸で孫を優しく抱き留め。とびきりおいしいお菓子をひと摘まみ、みんなには内緒だよと手のひらに握らせたあと、いつも楽しいお話を聞かせてくれる……。
そんな、掛け替えのない大切な……家族だったの。

 

169:(茸)@\(^o^)/ (スッップ Sdaa-XCM5) 2016/12/31(土) 20:54:24.17 ID:OBG71OEid.net

そのおばあさまが亡くなられたのは、私が中学に上がってしばらく経った、ある冬の朝のことでしたわ。

物事の分別が身になりだしてから、初めて経験する身内の死。

大変な悲しみだった。
短くない間。何をやってもおばあさまの喪失感へと繋がり、それから先へとまったく手がつかないほどに。

でも、いつまでもそうしている訳にはいきませんわ。
私以上に感情を隠さず涙に暮れるルビィへ対する姉としての体面もありましたが。
それ以外にもうひとつ、大きな理由があったのです。

告別式までは、お母さまが取り仕切って下さった。
だけど、隠居の四十九日の法要は次代の黒澤家当主が、つまり私が。
名代として、顔見せも兼ねた喪主役を受け持つのが、かねてよりの決まりだったの。

当時私はまだ中学二年とは言え、歴史ある黒澤の家の冠婚葬祭。それを言い訳にしてゆるがせにするなど、できるはずもありません。

いいえ、大好きだったおばあさまの大切な法要をそのようにするつもりなど、そも私にはさらさらありませんでした。

必ず、立派に勤めてみせる。

それが、おばあさまに対しての、私からできる精一杯のはなむけになると。そう信じたから。

 

170:(茸)@\(^o^)/ (スッップ Sdaa-XCM5) 2016/12/31(土) 20:55:39.81 ID:OBG71OEid.net

四十九日を間近に控えたある日。

参列者への連絡も既に済み、お母さまから喪主としての作法の手ほどきを概ね受け終え。
あとは式場の拵えを詰めるのみとなっていた私は、隠居所でその週末を過ごしていました。

おばあさまを喪った悲しみの区切りを付けるには、やはり故人との思い出に溢れたこここそが相応しいと思い。私は隠居所を法要の式場とすることにしたのですわ。

黒澤の家から山よりに歩いて10分と経たない位置にあるその屋敷は、隠居所とは言え、本宅とも引けを取らない広大な敷地を有していて。
枯れた古い井戸や小さな築山、果ては四阿(あずまや)といった庭園の要素もそこばく散り。その中心に構えられた平屋も、隠居した老人と数名の家事手伝いが寝食を送るには十分すぎる間取りを抱えていました。

そんな主(あるじ)を失った隠居所で。
私は休みなく手伝いたちへ指示を出し、ときにはこの手も加えながら。日のあるうちに間もなく迫った式のための模様替えを、すべて済ませてしまいました。

丸一日頑張ってくれた手伝いたちをねぎらい、昼過ぎより進捗を確認しにいらしていたお母さまに続けて、その全員を帰すころには。
ちょうど冬の日も暮れようとしていたかしら。

 

171:(茸)@\(^o^)/ (スッップ Sdaa-XCM5) 2016/12/31(土) 20:56:12.94 ID:OBG71OEid.net

そうして、急ぐように法要の準備を推し進めた裏には。こんな心算が私の胸の奥で疼いていたのです。

私はひとり、おばあさまの面影の色濃く残るこの場所で。
誰にも邪魔されず、最後に一晩だけ。もう一度その優しい日々を、静かに偲んで過ごしたかった。

四十九日という悲しみの区切りを前に、やはり私も幼かったのでしょうね。
そんな、子供じみた浅いわがままを、密かに通そうとしていたの。

お母さまも、このような私の企みはすべて見通した上で。
何も言わずに、『隠居所の空気に慣れておきたい』などという苦しい私の申し出を承知し。
ひとりでその夜を明かすことを許してくれたのだと……そう思いましたわ。

 

172:(茸)@\(^o^)/ (スッップ Sdaa-XCM5) 2016/12/31(土) 20:57:28.67 ID:OBG71OEid.net

おばあさまが好んで籠もり、日がな一日書を読み文をしたためたと伝え聞いていた書斎に、そっと足を踏み入れる。

伝え聞いていたというのは、理由があります。

私たちが隠居所を訪れたと知れると。おばあさまはそこですっぱりと読み書きを止め、孫を迎えるため書斎から出てこられてしまい。
私はそのときの様子を、一度として見たことがなかったの。

隠居所における家事手伝いの中の一番の古株が。今日、私の手を取り声を振るわせながらそのことを教えてくれたのを思い出しながら。
私は”黒澤権現”などと隠れて呼んでいたのは、そう言えばおばあさまのことを深く知らない遠い縁者や子飼いの者たちばかりだったことに気が付く。

なんて事はない。

おばあさまの優しさを知っていたのは、私とルビィだけじゃなかった。
その人となりに触れた者のそれぞれの心に、ちゃんと。おばあさまの本当のお姿が、息づいていたのね。

 

173:(茸)@\(^o^)/ (スッップ Sdaa-XCM5) 2016/12/31(土) 20:58:13.33 ID:OBG71OEid.net

書棚に並ぶ書物の背表紙ひとつひとつを撫でてから、そっと文机に腰を下ろす。
文机の隅には、おばあさまが愛用されていたと思しき文房四宝が。寸分の狂いもなく美しく整えられ、まとめられていた。

私の知らない。だけどきっとため息の漏れそうな量の知識と筆の腕を備えたおばあさまの横顔が、目の前に浮かんでくるようでしたわ。

こんなおばあさまとも、共に時間を過ごしてみたかった。

知らず知らずのうちに、うっすらと浮かんだ涙で視界が微かに滲んでいました。

それから、しばらくそうした後。
少し冷えてきた私は、今夜はこの部屋で床を構えるのも悪くないと思いながら。
法要の準備でかいた昼の汗を流しゆったりと暖まるため、予め湯を張っておいた湯殿を目指そうと書斎の扉へ振り向いた。

そのときでしたわ。

冬のそれとは違う寒気を感じ、足が止まってしまったのは。

私の背後で。

 

書斎の扉が、廊下の方へ大きく開け放たれていたから。

 

 

174:(茸)@\(^o^)/ (スッップ Sdaa-XCM5) 2016/12/31(土) 20:59:49.44 ID:OBG71OEid.net

書斎に限らず、隠居所の端にあるような小さな部屋は。あるときを境にすべて障子や襖などの引き戸から、特殊な機能を備えた開き戸に変えられていました。

おばあさまの視力がとても弱くなりだしたのは、亡くなられる一年半ほど前。

目の悪くなってからのおばあさまは、引き戸によく足先をぶつけられ。
そのたびに敷居から引き戸を外してしまったり、あるいはぶつけた足指を痛めるようなことが頻繁にあったようです。

おばあさまはその不便をついぞ口に出すことはありませんでしたが。手伝いたちからそういった報告を多く受けるようになったお母さまが、お父さまへと口利きし。
やがて腕の良い大工が呼ばれると、茶の間や客間といった、襖を取り払い大人数を招くことのできる造りの座敷を除いた、小さな部屋の扉は。あっという間に引き戸から開き戸へと、すべて置き換えられてしまいました。

開き戸は奥と手前、どちらにも開く風変わりな構造になっていて。
取っ手はついているものの、手元で操作しておくことで、それを介さずに戸のどこかを軽く押すだけで開くことのできる設定が可能という。おばあさまの現状に良くかなった代物でした。

そして。
扉は開いたままの状態で放置されると。

自動的に閉まる機能を有していたはずなのです。

 

175:(茸)@\(^o^)/ (スッップ Sdaa-XCM5) 2016/12/31(土) 21:00:35.36 ID:OBG71OEid.net

その扉が。

厳粛な心持ちでこの書斎へと臨んだ私が、振り向いて確実に閉めたはずの扉が。
開いている。

それも。僅かに閉まりきらなかったと言うのなら、まだ機能の不調と考えることができるというのに。
完全に開け放たれる形で。

いつの間にか、震えが起こっていました。
寒い。こんなに扉が開いて。
どうりで冷えるはずですわ。

……いいえ。これは……違う。

足が、前に出ない。

戸を閉めなければ。
あるいは、この部屋から出てしまっても構わない。
とにかく、じっとしている必要はない。
寒いなら、なにか行動すればいい。

でも、できませんでしたわ。

……怖かったの。

開いたままの扉から覗く、廊下のほの暗さが。

壁によって覆い隠された、扉の枠より外の隔たりが。

暗がりから冬の冷気に乗り静かに部屋に流れ込んでくる。
ありもしないはずの、誰かの息遣いが。

 

176:(茸)@\(^o^)/ (スッップ Sdaa-XCM5) 2016/12/31(土) 21:02:40.47 ID:OBG71OEid.net

ぱん!

両手で挟むように頬をはたき、怖じ気た自分に喝を入れる。

いい加減な妄想にとらわれるのは、止めにしなければ。
しっかりするのよ。
私は黒澤ダイヤ。次期黒澤家当主。そして、おばあさまの孫娘。

そうとも。あの、おばあさまの────

この屋敷のかつての主(あるじ)を心に思い浮かべた瞬間。凍り付いたように動かなかった足が自然と前に出ていました。

ここは、おばあさまの城。
時代の荒波をあるいはしのぎ、あるいは捌き、あるいは巧みに乗りこなし。
この地の多くの人間へと幸いをもたらした英傑の最後に授けられた。ささやかでつましい安息の地。

その場所に、心が安らうことはあれど。いったいなにを恐れることがあったというのでしょうか。

 

177:(茸)@\(^o^)/ (スッップ Sdaa-XCM5) 2016/12/31(土) 21:04:22.96 ID:OBG71OEid.net

心が落ち着き、冷静に思考の手綱を握れるようになってくる。

例えば、そう。

扉は、設定により普通の開き戸と遜色ない働きをすることもまたできたはず。

おばあさまが亡くなられてからすでにひと月余り。
その間も手伝いたちを週に一度はここへと寄越し、管理を滞らせることはなかった。

清掃する上で勝手に閉まっては手間となるそれらの扉を、そのままにしておく理由はもうないのです。

彼女たちが効率を優先し扉の設定を弄り、そのまま直すことを忘れていたとして。
私はその程度のことに勘気を振るうほど、心を貧しくしたつもりはありませんでしたわ。

そうして。
特殊な構造ゆえに。きちんと閉めたつもりでも具合が整わず、戸が閉まりきらないこともあるでしょう。
寒暖差から生じた空気の流れに。閉まりきらなかったその扉が、大きく開くこともあるでしょう。

それに、仮にそうではなかったとして……。

私はもう一つ。
可能性と言う名の非現実的な、とある空想に思考を遊ばせながら。
体の芯から静かに寄せる穏やかで優しい波が、得体の知れない寒さに凍えかけた身体を、また少し暖かくするのを感じていたの。

 

178:(茸)@\(^o^)/ (スッップ Sdaa-XCM5) 2016/12/31(土) 21:05:08.98 ID:OBG71OEid.net

私は先ほど。開いた扉の奥に、正体の分からない何者かの漏らした幻の吐息を見出し怯えました。

ですが、怯える必要など。恐れる必要など、なかったのです。

先ほど思考でなぞったように、この屋敷が誰の城だったかを思い出す。
この部屋で誰が多くの書と戯れていたのかを────私は知っている。

「おばあさま……

知らず、その名を呼んでいました。

亡くなられたはずのおばあさま。
その、おばあさまが。隠居所を懐かしみ、あるいは私がきちんとやっているかを気になさり。
”戻って”いらっしゃった……。

そんな温もりに満ちた空想に身を委ねるだけで。私はどんな極寒や恐怖にさらされたとしても、前を見据え歩んでいける気がしていましたわ。

現実がなんであれ、構わない。
今日、この場所で。私にこのような優しい幻をもたらしてくれたという、その事実が。
隠居所で夜を明かそうと考えた、私のすべての祈りを肯定してくれているように思えて。
ただただ、嬉しかったの。

 

179:(茸)@\(^o^)/ (スッップ Sdaa-XCM5) 2016/12/31(土) 21:05:47.84 ID:OBG71OEid.net

扉の前に立ち、取っ手を握る。

大した力をかけずとも、軽い腕の動きに従って戸は閉まっていきました。

すぐに部屋を出ようとしなかったのは、優しい幻へと遭遇したこの部屋で。
無意識にまだもうしばらくここへと残り、余韻を楽しみたいと思ったからなのかも知れません。

ゆっくりと、音もなく閉まる戸。
書斎からの光がだんだんと絞られ、照明の落とされた廊下の闇が徐々に深くなっていく。

闇。
闇が、増えていく。

────『闇が、増えてしまったよ

 

180:(茸)@\(^o^)/ (スッップ Sdaa-XCM5) 2016/12/31(土) 21:07:03.19 ID:OBG71OEid.net

突如、思考が弾けましたわ。

それは、おばあさまの言葉。

改装を終えた隠居所に戻ったその日。
隣で手を引き新しい間取りと扉の仕組みを案内する私の横で、かすかなため息に乗せ誰に宛てるでもなく静かにそう零していたのが耳に蘇る。

目を弱くし、心酔されていた書の手遊びにも支障を来すばかりでなく。
日々の生活にすら看過できない不都合が生じ。
その不都合を、ほとんど頭越しの改装で取り除かれ。
果てには住み慣れた伝統と格式ある屋敷の姿は、大きく変わることになった。

私はこの瞬間まで、その言葉はそんな流れの中で募ったおばあさまの憤懣が、似合わなくも小さな形となって溢れたものだと思っていました。

ですが、それはただ事実を述べた言葉だったと。たった今、気が付いたのです。

 

181:(茸)@\(^o^)/ (スッップ Sdaa-XCM5) 2016/12/31(土) 21:08:30.42 ID:OBG71OEid.net

引き戸から開き戸への改装。

障子や襖は二枚一対が基本でも、開き戸は一枚で事足りる。

必然、扉に必要な面積は減り。代わりに壁の面積が増えた。
壁の面積が増えれば、屋敷の中で見通せない部分が増える。
見通せない部分が増えれば……。

そう、『闇が増えた』のです。

そして。
その『闇』とは。単純に目や光の届き辛い箇所だけを指した言葉だったのでしょうか。

…………。

答えは、否ですわ。

閉まりかかった扉の取っ手に添えられた私の手。

扉と壁に挟まれ、僅かに覗く廊下の『闇』の中から。

 

その手首を掴もうとするしわくちゃの手が伸びてくるのを、私は見たのです。

 

 

182:(茸)@\(^o^)/ (スッップ Sdaa-XCM5) 2016/12/31(土) 21:09:52.11 ID:OBG71OEid.net

全身が一瞬で粟立ち、扉の取っ手から大きく飛び退く。

間一髪、その手に掴まれずに済んだ手首で。微かな空気の層をかすめた産毛が、そよぐこともなく凍り付くように総毛立ち。
遅れて身体の奥より響いてきた激しい動悸が、再び私から整然とした思考を奪っていきました。

(え────なに────こわい────つめたい────さむい────おそろしい────

紛糾する雑多な平行思考に妨害されながらも。私はチカチカと出力の一定しない頭で、なんとかあるひとつのことだけを確認していました。

”おばあさまの手”は、
あんなに大きくも。
痩せていても。
骨が浮いても
────そして、蟲のように細長くもない。

それに何より。

その指は、6本もあるはずはなかったのです。

 

183:(茸)@\(^o^)/ (スッップ Sdaa-XCM5) 2016/12/31(土) 21:11:10.26 ID:OBG71OEid.net

闇は。

闇に潜むものは、おばあさまなどでは決してない。

『くれぐれも、気をつけるのですよ

隠居所を後にする際に呟いた、お母さまの言葉。
そのときは深く考えずに当たり障りない返答で聞き流してしまったそれは、いったい何に対しての警告だったのでしょうか。

『お嬢さま……老婆心ではありますが、ご無理だけはなさらぬよう、ご自愛いただきたく存じます

いやにかしこまった、手伝い頭の辞去の句。
短くない付き合いの中で、ここまで丁寧な挨拶をされたのは今日が初めてでした。

当主見習いとして表舞台に立とうとしている私を気遣ったものともとれますが、私はそのように思い詰めた表情をさらしていたつもりはありませんし。
これより隠居所で過ごす時間を思って、むしろその顔は穏やかですらあった気がしますわ。

手伝い頭は、なにを思いその言葉を辞去の句としたのでしょうか。

『ダイヤは、闇が怖いかい……?

斜陽に濡れる縁側で。私に手を引かれたおばあさまが、間もなく降りてくる夜のとばりを。もう余り見えなくなった瞳で、睨(にら)みながらひとりごとのように囁いた言葉。

あの日の私は、なんと答えたのかしら。

ただ、それに続くおばあさまの穏やかな声と。私の手を握るその指に優しく、だけどしっかりと力が籠もったことだけは。今でも忘れ得ないのです。

『そうだね……おばあちゃんもダイヤといっしょなら、きっと怖くないよ……

 

184:(茸)@\(^o^)/ (スッップ Sdaa-XCM5) 2016/12/31(土) 21:14:00.58 ID:OBG71OEid.net

おばあさまは、闇を恐れていた。
そしてその闇は、常にこの隠居所の隅に、暗がりに。わだかまっていた。

目が弱ったからなのか。それとも体の変調の兆しがまず目だったのか。
とにかく。目を悪くし、隠居所へ改装が施されてから一年と間を置かず。おばあさまはこの世を去った。

大層な宿痾を抱えていたという事実はありません。
ただ老衰と、お医者さまは看られました。

視力が弱まり、趣味のひとつを失われたとて。
あんなに矍鑠(かくしゃく)としたおばあさまが。
あの、強い意志と自己を持たれたおばあさまが。
ただそれだけが原因のように弱り、衰え、そして亡くなられるなど。
私には到底、信じることができませんでした。

おばあさまを害した存在が、目の前にある。

 

気付いたときには、私はそう確信していました。

あの、手が。闇が。
闇に潜むなにかが。
おばあさまを苦しめたのだと。

 

185:(茸)@\(^o^)/ (スッップ Sdaa-XCM5) 2016/12/31(土) 21:16:02.03 ID:OBG71OEid.net

隠居所は、いつから存在したのでしょう。
それこそ黒澤の家が興り、富をなした頃とそう変わらない時期からここに構えられていたと、おばあさまのお話に聞いたことがある。

それでは、あの『闇』は?

今日まで存在すら知らなかったそれの起源に、心得などあるはずもありませんでした。

だけど。

四十九日の準備を進める中で、私はあることが気になって仕方がなかったことを思い出す。

それは、作法の理解の肥やしにしなさいとお母さまから手渡された、黒澤家の慶弔史の中に見つけたものでした。

代々当主から当主へと引き継がれてきた数冊の冊子には、黒澤の名の下に興された催事が日付や主たる参加者といった細やかな内容まで、びっしりと記録されていたのですが。
そんな詳細な記録にあって、本来ならよく耳にするはずの祝い事が全くと言って良いほど抜け落ちていたのです。

黒澤が女系の家であり、迎えた婿が短命であるのは先に話した通りです。
ですがそれにしても、何代にも渡りその祝い事が全く行われていないのは。異質なほどに不可解なものでした。

…………。

慶弔史には、黒澤の家で喜寿の祝いが催されたという過去が。ただの一度として、記録されていなかったのですわ。

 

186:(茸)@\(^o^)/ (スッップ Sdaa-XCM5) 2016/12/31(土) 21:17:11.21 ID:OBG71OEid.net

”喜”という字の草書体が、”七十七”に見えることに由来する長寿の祝いのひとつ。

数えで61をことほぐ還暦の祝いは、当然婿のものですら幾度も行われた記録があり。
70の古稀にあっても、隠居したかつての女当主のものであれば珍しくない祝い事として記されています。

ですが、77の長寿祝いである喜寿が行われたという描写は。慶弔史を一読する中で、まったく見つけることができなかったのです。

私にまだ知らされていないだけで、黒澤家には喜寿だけを行わない特別な事情があるのかとも考え。すぐ次の80の祝いである傘寿が催された記録を求め、更に慶弔史をもう一読してみても。
やはりそれ以降の長寿祝いが行われた記録は、一切認められませんでした。

黒澤家は古稀を最後に長寿祝いをしないのだろうと、そう勝手に結論付けたあの日の私が。
膨大な慶弔史のうちの、かつて執り行われてきた葬儀の記録の中で。その享年をそれぞれ記憶に定着するほどしっかりと確認しなかったのは迂闊だったのか、それとも幸運だったのか……。

ですが、その不可解の正体も、今なら理解できる。
長寿祝いに関して、黒澤家は喜寿以降のものを行わないような特別な事情があるわけでもなんでもない。もっと単純なこと。

それは、黒澤家の人間には誰一人として77歳を迎えた者がいないという。ただそれだけの理由だったのです。

 

187:(茸)@\(^o^)/ (スッップ Sdaa-XCM5) 2016/12/31(土) 21:18:24.09 ID:OBG71OEid.net

連綿と続く黒澤の歴史をひもとけば、折々に多様な試練や苦難があったことは想像にかたくありません。

そして、その中で関わったすべての人間が、黒澤の名に対して良い感情持つということは、残念ながらありえないことですわ。

ときには大小の摩擦が生じ、係争に発展するのもやむを得なかったこともあったでしょう。
ですが黒澤はそのたびに勝利し、敗れた者の上に更なる発展を重ねてきました。

あの闇は。
何十年、何百年。繰り返され、そして堆積したそれらの人々の負の感情が膿み腐り、形となったものなのか。
それとも、その中のたったひとつの敗者が強烈に黒澤を呪った結果なのか。

とにかく。黒澤の人間は、その存在に蝕まれ。喜寿を迎えられない一族となっていたのです。

 

188:(茸)@\(^o^)/ (スッップ Sdaa-XCM5) 2016/12/31(土) 21:19:10.18 ID:OBG71OEid.net

おばあさまはもちろん。
長くここで過ごした手伝い頭も、そして現在の黒澤の家を掌握するお母さまも。その存在に遠からず理解があった。

だから2人は、警告していた。

そして……お母さまは……。

隠居所で夜を明かしたいと申し出たとき、お母さまの瞳に浮かぶ逡巡の色を見ました。

あれは、いつまでも身内の死にとらわれる次期黒澤家当主としての私の心の弱さを認めるかどうか、懊悩していたのではなく。
私が建前で上げた”隠居所の空気に慣れる”という言葉に動揺し、惑い。
それでも。私にも自らのその目で隠居所に潜む闇を見極めるときがきたと考え、試練を与えると決めた。そういう目だったのだと。
そのとき、私は思い至ったのです。

黒澤の家に生まれた女であれば、決して避けて通ることのできない。
あの、闇との邂逅という……長く辛い試練を……。

 

189:(茸)@\(^o^)/ (スッップ Sdaa-XCM5) 2016/12/31(土) 21:20:33.20 ID:OBG71OEid.net

手は扉の奥へと消え、閉まりきった開き戸に今はなんの動きも見られない。

それでも私は再び震えが起こり、止まらなくなっていました。

あれは、あのおばあさますら蝕み害をなした。恐ろしく、そして底の知れない闇。
そんなものに立ち向かえるはずがないと、そう思ってしまったのです。

絶望と怯懦にかられ、涙が溢れてくる。
おばあさまはいったい何年……いや、何十年……これと向き合い続けてきたと言うのでしょう。

足と、腰の力が抜け。書斎の中央で無様に座り込んでしまった。
座り込んだまま。もう私は一歩たりとも”ここ”から動けなくなってしまったことを、頭の片隅で静かに受け入れている自分がいました。

私は遠い未来。だけど、確実に訪れるいつか。
おばあさまややがて隠居するお母さまに続き。”ここ”であれに魅入られ、取り殺される。

状況と記録から敷衍しただけの、根拠のない確信。

でもそれは、どんな高名な占い師から告げられる神託よりも確かな深い絶望と悲しみを、私にもたらしていました。

あの闇を見た私にしか。
黒澤の女にしかわからない、冷たい予感と緩やかな諦観を。それはまとっていたから……。

 

190:(茸)@\(^o^)/ (スッップ Sdaa-XCM5) 2016/12/31(土) 21:21:46.49 ID:OBG71OEid.net

愛すべき肉親へ仇なした存在があり、やがてそれが自分へも牙を剥くことを悟る。

二つの甚大な事実にさらされ、私は隠居所という『闇』の胃袋の底で。
ただ力なくくずおれることしかできませんでした。

そんな、時間の把握すら手離した放心の中。
僅かでも闇と接触した因果か、死人も同然の感覚の空白に見舞われていた私の耳に。
いつから響いていたのか。かすかな……声が聞こえることに気が付きました。

最初は、また私の弱い心が放埒にも仕立て上げた幻なのかとも思いましたわ。
だってそれは、先ほどと寸分違わぬ芸のない像を、私の感覚に結んでいたのですから。

だけどその幻は、空虚に鈍麻した私に根気強く。幾度も形を持って現れては、繰り返し同じ残響を私の耳に与えていきました。

すなわち。おばあさまの声で。

────「ダイヤ

────「ダイヤ

────「ダイヤ……

私の名を呼ぶ声が、聞こえていたのです。

 

191:(茸)@\(^o^)/ (スッップ Sdaa-XCM5) 2016/12/31(土) 21:23:29.99 ID:OBG71OEid.net

丸まっていた背筋に芯が通う。
目が光をとらえ、皮膚は冷え切った体温を噛みしめることを思い出す。

(私は、なにを……

(それに、これはいったい……?

蘇った五感と思考を持て余すように、現状を飲み込むのに時間がかかりました。

そして、おばあさまの声が。
もう聞くことの叶わないと思っていたその声が。
あの扉の向こうから聞こえていることを理解した瞬間。

私は言葉にできない怖気を感じ、扉から一番遠い書斎の奥。
座布団を弾き飛ばし、文机の角に背をぶつけるまで後ずさっていました。

どん!

壁に文机がぶつかる音と打ち付けた背骨の痛みが、どこか自分に無関係のように霞んで頭に伝わってくるのは。
私の全神経が、扉の向こうへと注がれていたせいなのでしょう。

 

192:(茸)@\(^o^)/ (スッップ Sdaa-XCM5) 2016/12/31(土) 21:25:04.83 ID:OBG71OEid.net

あれがおばあさまのはずではないということは、もう知っている。
あれがおばあさまをまね、私の名を呼んでいるのだ。

それはきっと、戯れに。
私がその正体を理解したのを見通した上で。
ただ私が怯える様を見て。闇の中に目を細め、愉(たの)しむために……。

私は、そう思いました。
事実あの『闇』には、単に無機質ではない。そういう屈託のない残酷さを持っているように感じていたからです。

────「ダイヤ……

悔しさに、更に涙が滲むのを止められませんでした。
おばあさまを冒涜するような行いに。不条理な自分の運命を突きつけられた際にも感じることの無かった怒りすら、ふつふつと湧いてくるようでした。

────「ダイ、ヤ……

こんなに悔しいのに、こんなに許せないのに。
そんな感情たちに報いることもできない自分の不甲斐なさが何より情けなくて。いつしか嗚咽が止めどなく私の喉から溢れていました。

 

193:(茸)@\(^o^)/ (スッップ Sdaa-XCM5) 2016/12/31(土) 21:25:48.11 ID:OBG71OEid.net

 

────「ダイヤ……怖い、のかい……?

 

194:(茸)@\(^o^)/ (スッップ Sdaa-XCM5) 2016/12/31(土) 21:26:49.86 ID:OBG71OEid.net

そのとき、声が初めて私の名以外の言葉を紡いだのです。
私はその言葉の意味を理解しながら、更なる恐怖と憤りを感じるものだと思っていました。

ですが、私の胸に去来した感情はそのいずれでもなく。
暗い色ばかりに塗りつぶされたその場所に一筋の光を投げかける、それは暖かな温もりをもたらしたのです。

「おばあ、さま……?

すがるような声が私の口から漏れていました。

────「大……丈夫……

知っている。
これは、この安心は。
まねるだけでは決してなぞることはできない、日溜まりの縁側を想起させる響きは。

「おばあさま!

おばあさまだ。
間違いない。扉の向こうに、本物のおばあさまがいる!

 

195:(茸)@\(^o^)/ (スッップ Sdaa-XCM5) 2016/12/31(土) 21:28:06.74 ID:OBG71OEid.net

……いいえ。

わかっていました。
扉の向こうにいるものは、『闇』なのだということは。

ですが、その声は。
声と、意志だけは。
おばあさまご自身のものであると、確信できたのです。

────「ダイヤ……大丈夫……

ああ、おばあさま……。

死してなお『闇』にとらわれ、安息を与えられず。
それでもこうしてあらがい形をなし、私のために声を届けてくれている。

体を後ろから包み込む柔らかな感触と心地よい体温が。そのとき確かに背中へと蘇り、私を優しく抱きとめているようでした。

でもそれも、きっと長くは続かない。

────「大丈夫だよ……

────「げっげげっ……

強大な力に抑え込まれるように。
困憊した意志が目前でいざなう睡魔に蝕まれるように。
徐々にその声は、おばあさまのものからかけ離れていきました。

────「げ……しょだ……げげげげっ

────「書棚に……げ……見つけげげげっげげっげっ

 

げたげたげたげたげたげたげたげたげたげたげたげたげたげたげたげた

あとには、何の感情も感じさせないような不気味な笑い声だけが残り。
長い間、書斎だけでなく屋敷全体の壁を揺するように、反響し続けるだけでした。

 

196:(茸)@\(^o^)/ (スッップ Sdaa-XCM5) 2016/12/31(土) 21:41:33.00 ID:OBG71OEid.net

おばあさまが自分の名に宛てた最後の言葉に従い、私は震える手で書棚に収められたら書物を端から改めていました。

そのほとんどが今の私には読むことも理解することも難しい、古い和漢の典籍でした。
日を違えていればあるいは読み解き、おばあさまの深遠なる才知を尋ねる道しるべとしたかった。

ですが、今優先されるべきことは別にあったのです。

やがて、表紙に千代紙をあしらった私家版のような装丁の一冊を手に取りました。
それは、おばあさまの万(よろず)覚え帳だったように思われましたわ。

そこには水茎の跡もうるわしい筆致で、あのおぞましい闇に関する冷徹な観察がつづられていたのです。

概ねは、私がこの夜に思い至ったことを裏付けする内容で占められていました。

短命の当主たちが織りなす黒澤の歴史。
その裏で暗がりに口を開け、一族の生き血をすすり続ける闇の存在。

ただ、おばあさまは私の幾層倍もの正確さでそれらの情報を理解し、解釈していらしたのでした。

例えば。黒澤の短命は過去と比すれば、問題にならないほど和らいでいること。

 

197:(茸)@\(^o^)/ (スッップ Sdaa-XCM5) 2016/12/31(土) 21:42:48.38 ID:OBG71OEid.net

あらゆる網元の隆盛期、江戸の後期。

黒澤は頻繁に当主を夭逝させ、ときには末端の分家筋まで動員し体裁のやりくりを迫られていたそうです。

幸いにも当主は子を為すまでは存命であり、本家の血はそのような中でも途絶えることなく脈々と受け継がれてきました。

同時に、それらの子はどれも麒麟児とも言える才覚を有し。
短い生涯を終えるまでの僅かな間、黒澤に存分な益をもたらし、あるいはそれを守り抜いたのでした。

私が幼い縁側におばあさまへとねだった在りし日の黒澤の活躍譚は、ほとんどがこの頃に起こった出来事だったのだと思います。

とにかく、当時の黒澤は恐ろしいまでの短命に脅かされる血族でした。

転機が訪れたのは、嘉永七年の年の瀬。
西暦では1854年。ペリーが再び浦賀に来航し、開国を取り付けた頃と言えば……ふふ、鞠莉さんや千歌さんにも、ぴんときていただけるでしょうか。

……ある災害が、駿河湾を中心とした町々を襲ったのです。

 

198:(茸)@\(^o^)/ (スッップ Sdaa-XCM5) 2016/12/31(土) 21:43:25.49 ID:OBG71OEid.net

それは、現代の日本が抱える最大の憂慮のひとつ。南海トラフ巨大地震が、ここ沼津に最後の爪痕を残したものであり。
名を、安政の大震災といいます。

安政東海地震とも呼ばれるそれは。煙草を四、五本。たっぷりと喫(の)み終えるほどの初期微動を経て。
その揺れを倒れ伏した体が更に振るい上げられるほど大きなものへと変貌させると、この沼津の町並みを瞬く間に飲み込み破壊の限りを尽くしたのでした。

震源からやや距離を置いたとは言え、石高も小さく人のそう多くはない沼津藩においてさえ。2000に届く家屋が潰れ、亡くなられた方は伝わっているだけでも50にも昇ったと記録されています。

幸運なことに人死には出さなかったものの、当然黒澤の屋敷にも被害が及びました。
修繕不可能な箇所も多く、後に折を見て大規模な改築が施されたとありました。
それは、再建と同義のものだったのでしょう。

そして、被害は屋敷だけには収まりません。
陸(おか)と海。二つの社会を両輪とする網元にとって、この震災は非常に大きな痛手が生じる出来事となったのでした。

ですが。
その頃からだったそうです。

黒澤の当主たちが、隠居のことを考えられるようになったのは。

 

199:(茸)@\(^o^)/ (スッップ Sdaa-XCM5) 2016/12/31(土) 21:43:57.49 ID:OBG71OEid.net

短くは30を遥か前に、長くとも50に届くことは決して無かったその血を引いた者が。
ある日加齢による自らの衰えを感じ、家長から身を引くという道に初めて思いを馳せたとき。
いったいどのような感情が押し寄せたのか……。

私が推し量るには余りあるものとだけ、断言できることですわ。

その後も黒澤の者は。少々長ずるようになったとは言え、当時の成人後の平均的な寿命を大きく割りながらも代を重ね。家は途絶えることなく存続を守りました。

短命かつ女系という単純で、それゆえに致命的な欠陥を孕みながらも、これほどまでに隆盛した家の存在は。
まさに奇跡としか言いようのないものに、私には思えました。

そう────”奇跡”。

ですが。おばあさまは書の中でこれを指し、”呪い”と結論付けておられたのです。

 

200:(茸)@\(^o^)/ (スッップ Sdaa-XCM5) 2016/12/31(土) 21:45:28.60 ID:OBG71OEid.net

それは、契約。

家の興りに際し、ある者が古来沼津に伝わった地を這う暗渠(あんきょ)に住まう神に願い。一族の繁栄と継続を手にしたと記された、伝来の絵巻物があったそうです。

ですがそれは、本当に神だったのでしょうか。
そのような人の目も届かぬ土の下に、光から逃れるように身を隠す存在は。神というよりは、もっと……。

果たして彼の家は、この地にあっては五百年の栄華を約束され。

代わりに男の性と、残された女はその半生を奪われたのです。

契約により名を縛られたその家は、願をかけた地下水脈から一族のくびきを得て、こう名乗るようになりました。

────暗く、冷たい川。

 

そう……”黒澤”、と……。

 

201:(茸)@\(^o^)/ (スッップ Sdaa-XCM5) 2016/12/31(土) 21:46:18.30 ID:OBG71OEid.net

私は、ふたつだけ。心得違いをしていたようです。

ひとつは。あの『闇』は、外から来たものではなく。
私たちの根源に、遺伝子に。魂に刻まれた。
内より生じた地に落ちる影のようなものだったということ。

そして、もうひとつは……。

 

202:(茸)@\(^o^)/ (スッップ Sdaa-XCM5) 2016/12/31(土) 21:48:12.27 ID:OBG71OEid.net

黒澤の短命が以降薄れる時期が、他にももう何度かありました。

おばあさまの生まれる四代前。
三軒隣の民家が失火し、周囲の家々を巻き込む大火災に発展したことがありました。
風の強い、乾燥した冬の夜だったそうです。

やがて黒澤の家にも火の手が迫り、塀の一部と敷地のはずれにあった土蔵を焼き尽くしたところで、ようやく鎮火しました。

短命ゆえに趣味にかける時間など皆無であった当時の黒澤の者たちにとって、土蔵はほとんど形だけの存在でした。

古くなった家財を筆頭に。かつての漁の結果や膨大な網子の身元などをまとめた、場所を取る帳簿類。

そんな、あまり金銭的な価値のないものばかりが押し込められた土蔵の奥深く。
値打ち物という観点ではなく、あるいは黒澤家にとって真に価値のあったかもしれない、一族の歴史を綴った書に混じり。
あの契約についてを記した伝来の絵巻物が共に焼失したという記録を。
おばあさまは四代前の当主の覚え書きに見たとありました。
 
その後。
黒澤で当主を務めた者は、ほとんどが隠居を経てから亡くなるようになったのです。

奇しくもその頃は、新政府主導の維新が推し進められ。古くからある人を集め使うような労働体系に変化が求められるようになった時代であり。

それは網元を指しても例外ではなく。
安定期に入り右肩上がりとはいかなくとも常に現状を維持し続けていた黒澤家にあっても、緩やかな衰退の道を歩み始めたときだったのです。

それはまるで、契約が弱まったかのように……。

 

203:(茸)@\(^o^)/ (スッップ Sdaa-XCM5) 2016/12/31(土) 21:50:04.99 ID:OBG71OEid.net

更に時代は移ろい。

老朽化した屋敷が増改築されることになったそうです。
おばあさまが、物心ついたばかりのときでした。

重要な柱の位置を除き、ほとんどその姿を新たにした屋敷を目にし。
まるで新築の家に臨むような心地で自分の屋敷を日々散策したと、おばあさまは綴っています。

そして。
次の隠居は、更に寿命を延ばしたのでした。

おばあさまはここで、概ねのことに気付いていました。
短命の黒澤家。女ばかりが生まれる不可思議。そうしてたどり着いた、いにしえの契約。
そしてそれが、時代を経て弱りつつあること。

おばあさまは更に踏み込みます。
契約の薄れは、気の遠くなるような時間によって均等に生じているのではなく。
屋敷に重なる事件により、ひとつずつ大きく変化しているのだと────

大震災による再建。土蔵の焼失。そして、経年劣化による増改築。

そのいずれの後も、黒澤家の葬儀の間隔は明確に開き。
それとぴたりと符合するように、繁栄にも翳りが生じました。

おばあさまはそのことを理解した上で、最後の手を打っていたのです。

 

204:(茸)@\(^o^)/ (スッップ Sdaa-XCM5) 2016/12/31(土) 21:54:18.51 ID:OBG71OEid.net

いつまでも遠い過去に結ばれた陰惨な呪いに、縛られている必要はない。

私たちは確かに大きな力と富を得たやも知れない。
だが、代わりに大切なものを失いすぎた。

それは本来。家族の間で当然のように交わされる言葉であったり、触れ合いであったり、温もりを分け与えること。

母は子に処世術と算盤(そろばん)の弾き方だけを教えると斃(たお)れ。
その子はまた祖父母の顔もまともに見たことがない孫であるなどという事実が、いったいどれほど悲しいできごとであるか。

”黒澤”の名を最初に戴いた者には、そんなこともわからなかったのだろうか。

私たちは、ただ”普通”に生きたかった。
ただ普通に生きて。親は子に愛情を注ぎ。子はあるいは兄を敬い、あるいは弟の涙を拭ってやり。祖父母がそれを眺め、完爾と頬を緩める。
そんな風に、家族で愛を育みたかった。

もう良いだろう。
私たちは、大いに手に入れた。そして、大いに支払った。

この、先祖たちの血であがわれた代償で以て。私たちはこれより、”普通”に生きていく。

短命も、女系もここで捨て。
超常の力に均(なら)された道を歩むことなく。

私たちの道は、私たちで切り拓いていくのだ。

墨で刻まれたおばあさまの言葉は力強く。
そして、どこか悲しみに溢れていました。

 

205:(茸)@\(^o^)/ (スッップ Sdaa-XCM5) 2016/12/31(土) 21:55:44.29 ID:OBG71OEid.net

黒澤の屋敷には、古い井戸があったそうです。
それが枯れたのは、例の大地震の折でした。

井戸とは、地下に流れる水を汲み留め、用いるためのものです。

そう、”地下”に……”流れる水”を……。

黒澤の隆盛に最も歯止めが掛かったのは、いつだったのか。
それは、地震により陸(おか)も。海すらもめちゃくちゃとなった、その後のことではなかったでしょうか。

黒澤の寿命が飛躍的に延びたのは、いつだったか。
それは、地震により断層に異常が生じ、井戸が枯れたころではなかったでしょうか。

願いをかけた地下水脈は。
黒澤を縛った契約の先方は。

とうの昔に、息絶えていたのです。

ならば、未だ黒澤の血を汚し、啜り続けているこれは。
契約ではなく。奇跡でもなく。

おばあさまの唱えたとおり、”呪い”と呼ぶにこそ相応しいものなのでしょう。

おばあさまが打った、”呪い”から解き放たれるための最後の手。

それは、私のもうひとつの心得違いに深く関わる事柄でした。

 

206:(茸)@\(^o^)/ (スッップ Sdaa-XCM5) 2016/12/31(土) 21:57:16.06 ID:OBG71OEid.net

”隠居所は、いつから存在したのでしょう。
それこそ黒澤の家が興り、富をなした頃とそう変わらない時期からここに構えられていたと、おばあさまのお話に聞いたことがある。”

そう、おばあさまは嘘は言っておられない。
隠居所は、確かにずっとこの場所にありました。

土地と、呪われた血に縛られる代わりに繁栄を約束された。
”黒い澤”に井戸の水を引く、この場所に。

私のふたつめの心得違い。

 

『本宅の別に隠居所が造られた』のでは、なく。
『隠居所が、かつての本宅だった』のです。

 

 

207:(茸)@\(^o^)/ (スッップ Sdaa-XCM5) 2016/12/31(土) 21:59:09.00 ID:OBG71OEid.net

おばあさまが当主を継いでまずなされたこと。

それは、新たな本宅を建て。かつての本宅を隠居所と改めることでした。

『闇』は────”呪い”は、そこでしか蠢けない。

”黒い澤”無き今。移動することすら叶わないそれは、一つの場所にしか身を置けず。
かつて吸い尽くした黒澤の血を壁蝨(だに)のように腹へと蓄え、干上がる水が如くただその身が枯れ行くのを待つしかない存在に成り下がっていたのです。

もちろん、おばあさまはあらゆる可能性を考慮され。
かつて沼津の地下を這い回った水脈の跡と、現在生きている新たな水脈を、地質調査により入念に調べ上げた上で。
周囲には『時代は伝統と格式より利便性だ』とうそぶき、交通の便の良い今の敷地へと────つまり、過去にもこれからも地下に水脈の通うことのない場所へ。
黒澤家の本宅を移されたのです。

 

208:(茸)@\(^o^)/ (スッップ Sdaa-XCM5) 2016/12/31(土) 22:00:37.41 ID:OBG71OEid.net

巨大な財を備えた網元でさえ、一時はあえがざるを得ないほどの莫大な費用が掛かったと聞きます。

そこへ、間もなく控えた大戦の余波と、戦後の混乱も加われば。
およそ凡百の舵取りでは沈む以外道がないような未来が待っていたはずでした。

それを驚嘆すべき辣腕で乗り切り。あまつさえ以前にも劣らぬ財をなし、多くの力なき網子たちへと手を差し伸べ。
結果おばあさまが何と渾名されるようになったかは、既にさんざん語った通りです。

おばあさまは決意を貫き。
契約を捨て呪いを超克し。
自らの手で成功を勝ち取ったのでした。

ただ、唯一気がかりだったのは。
それは、いまだ黒澤の家には男児が生まれなかったということです。

 

209:(茸)@\(^o^)/ (スッップ Sdaa-XCM5) 2016/12/31(土) 22:02:33.75 ID:OBG71OEid.net

自分の子は女でも不思議ではなかった。

何故ならおばあさまも、かつてあの屋敷で生まれた身だったから。

しかし、お母さまが生んだ子が女であったことには首を傾げたそうです。
お母さまは仕込みから出産、そして養育までのすべてを、隠居所から避けて為されたはずの子だったからです。

それも、私とルビィ。二人揃っての女児となると、いよいよ以て疑問は深まるばかりでした。

おばあさまはどうしても男児が欲しかったという訳ではなく。
ただ人並みの営みを送れているという、その実感を望んだだけでした。

事実、おばあさまは私とルビィに格別の愛情を注いで下さいました。
そして、その愛に報いれたのか自信はありませんが。私たちもおばあさまを、心よりお慕いしておりました。

話を戻しましょう。

当初私が思い及び、その事実を恐怖と嘆きで以て迎えた黒澤の短命は。
往時を鑑みればほとんど普遍的と言っても差し支えないほどの水準を取り戻しつつあったのです。

しかし、今なお男児を為さないことだけは。それ単独で見ても異様なほど、何らかの執着を感じさせるものでした。

 

210:(茸)@\(^o^)/ (スッップ Sdaa-XCM5) 2016/12/31(土) 22:04:00.52 ID:OBG71OEid.net

おじいさまが長く伏せっていた病が元で、入院先の病院で亡くなられてから一年ほどが経ったときのことです。

私とルビィの養育が一段落したとし、家督をお母さまへと譲ると。
おばあさまは信用の置ける手伝い数名を連れ隠居所に居を移しました。

長きに渡り黒澤の血を食い物としてきた『闇』の現在を見極め。あるいはその最期を見届けるために。

結果として、闇にはもう何の力もなく。せいぜい日々暮らす中で、不気味な干渉の手を黒澤の人間へと伸ばすだけでした。

ある日おばあさまは、湯殿の鏡に苦悶に引きつる女の顔を見ました。
また別の日には、台所で流しの下の棚の中から伸びる手に、足を撫でられたとあります。
縁側に面した掃き出し窓には、夜半張り付いてニタニタと笑う不気味な影が一度ならず浮かび。
閉めた筈の襖がいつの間にか少しだけ開いているようなことなど、日常茶飯事だったそうです。

どれも備えがなければ、確かに背筋の寒くなるようなことばかりです。
ですが、おばあさまにはそれの正体に関する理解がありました。
ため息を噛み殺すことはあれど、そのことに恐怖することはなかったのです。

日々弱っていくそれの悪意に、おばあさまは後は消滅を待つばかりだと。それを見届け、黒澤の盤石を密かに祝うのみだと考えたのでした。

 

211:(茸)@\(^o^)/ (スッップ Sdaa-XCM5) 2016/12/31(土) 22:04:31.36 ID:OBG71OEid.net

と。

ここまで墨痕鮮やかに流れていた麗筆が、突如醜く歪みうねり出しました。
おばあさまが目を患われたのは、この時期からだったのだと知れます。

そして間もなく行われた、隠居所の改装。

屋敷には『闇が増え』、弱っていたはずのそれは俄かに力を取り戻したようでした。

視力の薄れたおばあさまの耳には、絶えず私の声で邪悪な言葉が囁かれ。
そして、黒澤を呪うルビィの笑い声が止むことも、またなかったそうです。

卑俗かつ下劣な手段でしたが……私たちに対する愛が深いだけ、その呪詛はおばあさまの精神に耐え難い負担をもたらしたと……。
もう……かすれてほとんど正確に読むことのできない文字で、その心境が吐露されていました。

 

212:(茸)@\(^o^)/ (スッップ Sdaa-XCM5) 2016/12/31(土) 22:06:20.27 ID:OBG71OEid.net

声が聞こえた。

昨日手伝い頭に紹介されたばかりの新顔が、私を呼んでいるようだ。

強烈な老眼鏡と拡大鏡を二つ通しても、もうほとんどなぞることのできなくなったそれほど小さくないはずの文字が踊る本を閉じ、書斎を出る準備をする。

手伝いは、賓客の来訪を伝えていた。
そうとも、孫が来たのだ。自分の趣味など省みるに値しない。

部屋を出る際に、いつもと同じように覚束ない足元が戸を軽く蹴り上げてしまう。
少し前までなら、また指に怪我を負っていたかもしれない。
だが、扉はぶつかった勢いのままに静かにその身を廊下へと大きく開いていた。
指に痛みは残っていない。

作法として習い性とした摺り足で歩く癖は、この年となっては意識して矯正することも難しい。
そのせいでいらぬ心配を娘夫婦にかけ、決して小さくない苦労と手間もかけさせた。
その配慮には感謝こそすれ、含むところは僅かもない。

視界の大部分を失ったとて、既に体の一部となっているこの屋敷の間取り。
それを歩幅と僅かな色や明かりで補強し、いつしか孫たちとの無言の約束の場所となった縁側を目指す。

 

213:(茸)@\(^o^)/ (スッップ Sdaa-XCM5) 2016/12/31(土) 22:07:12.82 ID:OBG71OEid.net

壁に手を伝ったまま廊下の角を曲がり、縁側に面した屋敷の一隅へとたどり着いたときだった。

「「だーれだ!

突然背後から響く、二つの小気味よい声を聞いた。

「ルビィと、それにダイヤもだね。まったく……2人とももうそんな年でもないのに、こんないたずらをして……

振り向くなり小言をひとつ。

自分でも言葉と表情がまったく一致していないのは自覚している。
それでも、この瞬間を前にして。つり上がる口の端(くちのは)を留める手段というものを、私はついぞ知らなかった。

「ごめんなさい、おばあさま。私は何度も止めたのですが、ルビィが聞かなくって……

「えへへ……ごめんね、おばあちゃん。なかなかお姉ちゃんと2人でおばあちゃんに会いに来れることってないから、つい嬉しくっなっちゃって……その気持ちをおばあちゃんにも分けてあげたかったんだ。びっくりしちゃったかな……

「ありがとう、2人とも。だけど、もうおばあちゃんもこんなにしわしわなんだ。あんまりびっくりさせすぎると、そのままお迎えを寄越すことになってしまうかも知れないよ

冗談めかした口調に乗せ、ありったけの親愛を込めて2人の肩を抱きすくめた。

 

214:(茸)@\(^o^)/ (スッップ Sdaa-XCM5) 2016/12/31(土) 22:07:35.68 ID:OBG71OEid.net

 

はずだった。

 

215:(茸)@\(^o^)/ (スッップ Sdaa-XCM5) 2016/12/31(土) 22:12:49.46 ID:OBG71OEid.net

両手は空を切り。私は頼りを喪失した勢いに踏みとどまれず、無様に廊下の板張りに倒れ込んでいた。

その、耳に。

「じゃあさ、そのまま死ねばよかったのに

「しぶといなぁ、くそババア

二つの孫娘の声のまま、口汚い罵言(ばげん)が囁かれる。

そうか、これは……。

「ほんと、耄碌具合が見るに耐えないからさぁ……

「早く死んでよね、お・ば・あ・ちゃ・ん♪

声が遠ざかっていく。

嘲るだけ嘲り気が済んだのか。あるいは一時的に力を使い果たしただけなのか。────おそらくは前者なのだろう。

さきほどまで確かに存在した二つの気配は、屋敷の壁へと溶けるように消えていった。

この分では昨日この屋敷に入った新顔とそれを紹介する手伝い頭という場面から、遊ばれていたのだと知れる。
なぜなら私は新顔の手伝いなる人物について、その声と僅かな輪郭のみしか認識できていなかったからだ。
初めからそのような人物など、存在しなかったのだろう。

手伝い頭に孫娘姉妹。そして、存在しない新顔の手伝い。

随分と手の込んだ真似をされたものだ。
ここまで周到に愚弄された経験は今までにない。

嘲りの言葉の通り、私も衰えたのだろう。
そして、それに加え急激に進行した弱視も相まり、不徹底にも萎びた心へ隙が生じ────付け込まれた理由も頷ける。

つまり、こうして。

屋敷には日ごと、闇が増えていったのだ。

 

~~~~~

 

216:(茸)@\(^o^)/ (スッップ Sdaa-XCM5) 2016/12/31(土) 22:14:02.27 ID:OBG71OEid.net

~~~~~

 

本来なら、闇の消え去ったこの隠居所を。かつて過ごした美しい思い出のまま、孫たちに残してやりたかった。
だが、どうやらそれも叶わないことのようだ。

詰めが甘かった。
家族との暖かな時間を孫たちには送らせてみせると豪語しておきながら、そんなささやかなことすら守り通すことができないとは。
私も最期に焼きが回ったようだ。

いや、それでは済まされない。
これから死にゆく私の心境より、残された彼女たちの純粋な心をより推し量るべきはずだろうに。

この屋敷は孫たちにとって。ときたま気紛れに訪れては、かつて隠居と戯れた日溜まりの日々を呼び起こす助けとなるものではなく。
彼女たちにもまた、忌むべき過去の呪いが夜闇に蠢く鬱々とした場所として記憶されることとなるだろう。

ああ。だけどもう、私には何もできない。
力関係は、今や完全に逆転してしまった。

ダイヤは、大丈夫だろうか。
あの子は姉という手前、人一倍強がってはいるが。本当はとても臆病で人恋しい甘えたがりの、か弱い女の子なのだ。

私の拙い昔話を喜び、そして皺の深い醜い笑顔を見て美しいと笑い返してくれた。心のきれいな、私の大切な孫娘よ。

 

217:(茸)@\(^o^)/ (スッップ Sdaa-XCM5) 2016/12/31(土) 22:15:58.99 ID:OBG71OEid.net

気高く勇壮な黒澤の祖先たちに乞う。

どうか、私に力を。

あの子が闇に魅入られ、泣き出しそうになったとき。
たったひとこと、こやつの胃袋の底から形を成し。その口を借りて名を呼び、安心させてやりたい。

私がいると。
お前を愛していると。
お前は必ず、この闇を克服できるのだと。

都合の良い願いなのは、わかっている。

だがどうか、祈らせて欲しい。
長きに渡る黒澤の呪いが、私を最後に途絶えることを。
そして、謝らせて欲しい。
私の見通しが甘かったばかりに、お前たちに辛い役回りを課してしまったことを。

実はもう、手がうまくうごかない。
めも、よくみえない。

これだけの文をかたちにするのに、いったい何かげつかかったことか。

ありがとう、ダイヤ。
わたしに、まごをあいするよろこびをおしえてくれて。

ありがとう、ルビィ。
わたしに、かぞくがふえるよろこびにははてがないことをおしえてくれて。

ふたりとも、おかあさんをたいせつに、おとうさんをたいせつに。
あねを、いもうとを、たがいをたいせつに。

そしてやがてであう、あるいはすでにであった、こころをわけるともがきやおもいびとを。
どうか、たいせつにしてほしい。

ふたりのおばあちゃんになれて、わたしはきっとくろさわのれきしでいちばんのしあわせものだったよ。

だいじょうぶ。
やみなんかに、くろさわのちはぜったいにまけないから。

 

218:(茸)@\(^o^)/ (スッップ Sdaa-XCM5) 2016/12/31(土) 22:18:07.61 ID:OBG71OEid.net

それを最後に、覚え帳にはただ白紙の頁が続くのみでした。

読みふけるうちに、時刻はとうに深夜に差し掛かっていたようです。

いつの間にか再び書斎の扉は開け放たれ。
そしてそこから覗く暗がりの廊下や天井、窓の向こうから。
無数の耳を覆いたくなるような声が聞こえていました。

「「こ……で……ここ……ネ……でシね……

声は私に、ひたすらこう訴えていたのです。

「「ここで死ねここで死ねここでシねこコデしネここでしネコこでしねここで死ねココデシネコこでシねここでシネここでしねここデシねここで死ね

おばあさまを喰らい長らえたとて。
消滅までそう時間の残されていない焦りと渇きを満たすため。それは私にどうしてもこの屋敷で死を迎えて欲しいようでした。

ですがその怪異に。私は自らの感情がもう僅かでも動かされるような力もないように感じていたのです。

 

219:(茸)@\(^o^)/ (スッップ Sdaa-XCM5) 2016/12/31(土) 22:19:48.70 ID:OBG71OEid.net

加えて私には、あるひとつの決意が生まれていたのですわ。

おばあさまの願った通り、もう血の一滴。毛の一毫(ごう)。恐怖の感情のひとかけらすら、黒澤の糧をこの闇に与えてやるつもりはない。

お母さまや私はもちろん、それはルビィのものとて。

ルビィ……まだ幼い、愛しい私の妹。

万にひとつ、おばあさまの魂を喰らったことで。日のある隠居所で『闇』が自由に像を結べるほどの力を蓄えていたとき。
純真なその心を与しやすいと見て、手を出さない保証はどこにもありません。

この場所で四十九日の法要を行うのは、辞めにしよう。

そして────

 

220:(茸)@\(^o^)/ (スッップ Sdaa-XCM5) 2016/12/31(土) 22:20:32.54 ID:OBG71OEid.net

「そこまでですわ

私の口から漏れたものとは思えない冷酷な響きが、冷え切った書斎へ針のように突き刺さっていました。

「才知と不屈を備えた黒澤の血は、さぞ甘美だったでしょうね。ですが、それももう喰い納めですわ

「「ここで……死ね……

「いいこと……?あなたの存在は私が。遠くない未来、必ず終わらせて差し上げます

「「ココデシネ……ココデシネ……ココデシネ……

「そして、返して貰いますわ。
 あなたが貪った祖先たちの幸せを。時間を。
 何より、その腹の底に取り籠めた、おばあさまの魂を

「ダイヤや、ここで死んでおくれ……

「そう、私は黒澤ダイヤ。
 私が憎いなら、時も、場所も選ばず。如何様にも掛かってきなさい。
 ですが、私があなたに恐れをなすことは。感情を動かすことは。そしてためらうことは、もうないでしょう

「お姉ちゃん、ここで……死んで?

「答えは、『いいえ』ですわ。
 それでは、ごきげんよう……”黒き澤”の影────

 

221:(茸)@\(^o^)/ (スッップ Sdaa-XCM5) 2016/12/31(土) 22:22:02.30 ID:OBG71OEid.net

声は既に止み、隠居所には静謐が訪れていました。

遅い時間でしたが、私は本宅に電話を入れると、迎えを寄越し屋敷を後にします。

本宅に戻った私を迎えたのは、この時間普段ならお休みなられているはずのお母さまの、熱い抱擁でした。

やはりお母さまは知っておられたのです。
隠居所にまつわる暗い過去と、今もそこに蠢く不気味な闇についてを。

そして、お母さまのその涙に。
母を奪った屋敷への憎しみと、そこにまだ頼りない娘を送る不安のため。今宵眠れぬ夜を過ごされていたことを、私は知ったのです。

そんな母に、私は黒澤家に連なったすべてを悟るに足る濃密な時間を送ったことを。
そして、その果てに打ち立てた自らの決意を。おばあさまへの思いと共に、静かに語ったのでした。

 

222:(茸)@\(^o^)/ (スッップ Sdaa-XCM5) 2016/12/31(土) 22:22:58.99 ID:OBG71OEid.net

後日。
おばあさまの四十九日の法要が黒澤家本邸にてしめやかに執り行われました。

当初の予定から式場を変更した理由について。参列者へはある事実が通知されています。
それはもちろん方便でしたが、終着するところは偽りのないものでした。

先の改装の際、隠居所において老朽によるもはや修繕の及ばない構造的瑕疵が見つかりました。
ただしそれは、ただちに問題の生じるものではなく。隠居が逝命(せいめい)するまでは、その短い畢生(ひっせい)が穏やかなものであることを願い。あえて対応を施さなかったところであります。

さて。先に連絡した式場にありましては、名代として喪主を勤める愚女たっての希望もあり、亡き母の思い出の溢れた隠居所を使用する予定でありました。
しかしそのような理由から、此度の法要に際し事前に人を入れて屋敷を調べましたところ、芳しくない結果を得てしまい、こうして直前と相成ってしまいましたが、式場の変更をご連絡差し上げた次第であります。

御参列いただく皆々様にあられましては、何卒格別のご理解を賜りたく存じ上げます。

 

223:(茸)@\(^o^)/ (スッップ Sdaa-XCM5) 2016/12/31(土) 22:25:32.04 ID:OBG71OEid.net

おばあさまの手記にあった黒澤の寿命が延びた時期について。皆さんは覚えておいででしょうか。

震災。火事。そして屋敷の老朽化。
そのいずれもが、”黒き澤”との契約に関わる事物が失われた際だとも触れましたわね。
震災では、契約の先方。
火事では、契約の記録。

……では、屋敷の老朽化は何を失ったのでしょう。

正確には、それぞれにもう一つ。
すべてに繋がったものが失われていたのですわ。

 

224:(茸)@\(^o^)/ (スッップ Sdaa-XCM5) 2016/12/31(土) 22:26:50.31 ID:OBG71OEid.net

単純なことです。

震災、火事。それらは、屋敷を歪め、あるいは焼き払うもの。

地震で屋敷の柱が傾(かし)いだから、建て直した。
火事で屋敷の一部が消失したから、修繕した。
時間の流れに屋敷の基盤が腐ったから、装いを新たにした。

そう。『闇』は隠居所に、あるいはその敷地に憑いていたのです。

土地や屋敷に憑いているが故に。敷地内の間取りが替わる度、『闇』は自らの一部を失ったかのようにその力を弱めたのです。

おばあさまの目のために施された改装では、見通しを捨てたことで逆に力を与えることになってしまいましたが。
形や材質を変えるほどのそれは、確実に『闇』から多くの力を奪うものなのです。

そんなことは当然承知のはずのおばあさまがそうなさらなかったのは。
ひとえに私たち姉妹に家族の温もりを形として残したいと願ったからにほかなりません。

 

225:(茸)@\(^o^)/ (スッップ Sdaa-XCM5) 2016/12/31(土) 22:28:06.81 ID:OBG71OEid.net

ですが……私は決意したのです。

闇がおばあさまの魂を完全に喰らい尽くしてしまうその前に、解放する。

それは、黒澤の血を与えずに衰弱を待っているのでは遅すぎる。
遅滞なく闇を屠るには、隠居所を棄てなければならない。

それでも。
おばあさまとの思い出の場所を更地に変えてでも。
闇から、すべてを取り戻すと。

私はあの夜。
心に……そう、決めたのですわ。

 

226:(茸)@\(^o^)/ (スッップ Sdaa-XCM5) 2016/12/31(土) 22:32:16.44 ID:OBG71OEid.net

曜「今、隠居所のあった場所には……何も、ないんだね……

ダイヤ「ええ、私がお母さまにお話をして、すべて均(なら)していただきました。
 今は人を寄り付かせないよう周囲を塀で囲まれた、ただの空き地があるだけですわ

果南「私と鞠莉は、ずっと昔……一度だけダイヤに連れられておばあさまにお目通りをいただいたことがあるけど……

果南「噂で聞いたよりずっと、その……普通、でさ……孫が友だちを連れてきたことを喜ぶ、優しいおばあちゃんって感じの眼差し。よく覚えてるよ

鞠莉「うん。私の髪を綺麗だねって優しく撫でてくれ手が、あったかくってね

ダイヤ「……そういえば、そんなこともありましたわね

花丸「マルもじいちゃんに聞いたこと、あるずら。黒澤のご隠居さまは、それはそれは立派な方で……ふふ、若い頃は玉(ぎょく)のような美しさとその手腕をかけて、沼津の網金剛なんて言われてたって……

花丸「金剛は金剛石と、金剛夜叉明王。五大明王に数えられる、悪だけを喰らい善を護る、戦勝の仏様のこと。
 つまり、その名に例えられたダイヤちゃんのおばあちゃんは、勝利の女神さまだったんだね

梨子「金剛石……ダイヤモンドね。くすっ、ダイヤさんといっしょだ

千歌「うん。私たちを見守って……名前をくれて……一つに繋いでくれたダイヤちゃんも、そうだよ……。黒澤の家の女性(ひと)はみんな、きっと勝利の女神さまなんだね

ダイヤ「あの千歌さん、梨子さん、さすがに……少々面映ゆいのですけど……

 

560:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa3f-YkAD) 2017/01/05(木) 00:03:54.46 ID:2bgdJ1YUa.net

再び沸いてきてすみません
細かいですがミスの訂正を……

>>226

× ダイヤさんと
○ ダイヤちゃんと

>>522

× 鞠莉さんが
○ 鞠莉ちゃんが

アニメ時間よりも更に親密になってるイメージなので、無印やG’sよろしくメンバー間は先輩相手でも”ちゃん”(一部呼び捨て)で統一してたら良いなぁとか
しかし直近のクリスマスドラマCDのダイヤさん連呼の影響が強すぎるのか、梨子→ダイヤのラインはちゃん付けがしっくりこなさすぎる……

 

227:(茸)@\(^o^)/ (スッップ Sdaa-XCM5) 2016/12/31(土) 22:36:54.15 ID:OBG71OEid.net

ルビィ「ひっ……ぐずっ……

善子「ルビィ……?ねえ、どうしたのよ……

ダイヤ「……ほら、ルビィもいつまでも泣いていないで。(なでなで…)次はルビィの番でしょう?

ルビィ「だ……ぅっく……だって……やっぱりルビィ……お姉ちゃんだけに全部押し付けて……

ダイヤ「もう……いつも言っているじゃない。私はお姉ちゃんだから……こうしてルビィに怖い思いをさせずに済んで……ルビィを守れて、それだけで嬉しいんだって……

ルビィ「お姉ちゃん……おね、え……

ぎゅっ

ダイヤ「大丈夫、大丈夫よ……。私は何も失ってないし、もう怖いことは何もないから……

ダイヤ「優しい旦那さまを迎えて、男の子を産んで。そして、お母さまのように旦那さまをよく支え、長く連れ添って。
 最後は旦那さまより一足早く冥土に渡り、あちらでその到来が1日でも遅れるよう祈って過ごす

ダイヤ「ルビィの願ってくれたその通りに。私はめいいっぱい、幸せに生きてみせますわ……

 

・黒澤ダイヤ
『隠居所の話』 おしまい

 

 

229:(茸)@\(^o^)/ (スッップ Sdaa-XCM5) 2016/12/31(土) 22:56:35.67 ID:OBG71OEid.net

長い長いダイヤの話が、ようやく結びを見た。

凄まじい話だった。
内容もさることながら、それを理路整然と語りきるダイヤの能力に、ただただため息が募る。

そんな、途方もなく長い話だったけど。
それを最後まで聞き終える前に、私たちには共通して確信を持てることがひとつだけあったはずだった。

 

230:(茸)@\(^o^)/ (スッップ Sdaa-XCM5) 2016/12/31(土) 22:58:24.45 ID:OBG71OEid.net

ダイヤは、妹煩悩だ。

仮にルビィが黒澤の血にまつわる呪いについてを予め知っていたとして。
そのダイヤが、こういう場だからと言って、いたずらにそれを語り。わざわざ妹の恐怖をほじくり返すような真似をするはずはない。

知っていなかった場合については……考えるまでもない。
このような場で到底話せるはずはないし、そもそも篤い手回しもなしに話して良い内容じゃない。

つまりこれは、なんらルビィへと不安をもたらすものではない────”既に終わった”話なんだと。

それだけは私たちの誰もが、ダイヤの話を聞き終わる前に思い至ったはずの、共通の確信だった。

 

231:(茸)@\(^o^)/ (スッップ Sdaa-XCM5) 2016/12/31(土) 23:00:05.50 ID:OBG71OEid.net

そして、私には別の要因でもうひとつ。
ダイヤの話に安心して耳を傾けられた理由がある。

それを説明するためには、まずは私の名と、それから家のことについて話さなければならない。

ダイヤが黒澤の起こりを諳んじた風に習えば、私の祖先は淡島の海辺に生きる人間だったということになる。

私の祖先たちは淡島に根を下ろし、そして内浦の海を統べる黒澤に束ねられ、網子として生活を送っていたのだろう。

そしてそんな中、遠い過去ではあるけど。その働きが網元の目に留まり、時の黒澤当主に一度だけこの家の長子が婿として召し上げられたらことがあったそうだ。

今でこそ網子としての暇を得て別の活計(たずき)を頼っているけど。
往時は淡島で最も腕の良い漁家(ぎょか)として扱われていた頃もあったとか……操舵の片手間におじいが語った昔話に、何度か聞いたことがある。

つまり、直系ではないけど。私の血を辿ればどこかの代で、黒澤と交わっていた時期が確かにあったのだ。

要するに。

私と黒澤姉妹は、遠い遠い親類と言うことができるのだろう。

 

232:(茸)@\(^o^)/ (スッップ Sdaa-XCM5) 2016/12/31(土) 23:01:14.90 ID:OBG71OEid.net

小さい頃から互いの家の人間に聞かされて、私たちは何となくそのことを知っていた。
だけど多分、そんなことは関係なく。私たちはきっと、友だちになれたんだと思う。

それを指して一度だけ、ダイヤのことをふざけて御前(ごぜん)様と呼んだことがあった。

あのときの悲しそうな顔と、私を窘める小さな声の震えは。私とダイヤを互いに深く傷付け────そしてそのことに気付いた私たちへと、より強い結びつきをもたらした。

だからやっぱり”そんなこと”は。
私たちには、まったく関係のないことだったんだ。

 

233:(茸)@\(^o^)/ (スッップ Sdaa-XCM5) 2016/12/31(土) 23:02:09.68 ID:OBG71OEid.net

松は、潮風から村を守る防風林を。
浦はそのまま、静かな入江を。

────松と、浦。

共に海辺を連想する言葉。
それら二つをまとめ、名字にいただいた私、松浦果南は。
黒澤ダイヤの遠い親類である前に。

『私たちは友だちでしょう……違うの?果南……

彼女の、誰より近しい親友でいたかったから。

 

234:(茸)@\(^o^)/ (スッップ Sdaa-XCM5) 2016/12/31(土) 23:03:18.77 ID:OBG71OEid.net

そんな彼女が、祖母の死からしばらく経った雪の降り積もる夜。
私を家に呼び出し、あなたにも無関係ではない話だと切り出し語ったのが、先の黒澤家の呪いに関する話だった。

当時のダイヤは今日とは違い、まだところどころを詰まりながら、途方もない時間を費やしはしたけど。
それでもちゃんと、すべてを話してくれた。

”既に終わった”ものとは言え。薄気味悪さと根の深さを、ただ耳にしただけの者にさえ強烈に印象付けるその話を聞き。
それを実際に経験し、それでも私の前にこうしてなんら変わることなく在ってくれた親友を。私は涙とともにきつく、きつく抱き締めた。

彼女は……。
ダイヤは、今妹へそうしているのと同様に。私にも変わらない慈しみで以て応えてくれたけど。
その瞳が薄く潤んでいたのは、きっと見間違いではなかったはずだ。

 

235:(茸)@\(^o^)/ (スッップ Sdaa-XCM5) 2016/12/31(土) 23:06:12.94 ID:OBG71OEid.net

あれから数年。

出会いからあの日を経て、そして今日に至るまで。
私たちは遠い親類ではなく、誰より近しい親友の立場を選び、共に過ごしてきた。

だけど。
今日ばかりはその立場を違えたとして、誰かが傷付くことはないと思った。

今、私の目の前には互いが互いを想い、呪われた血の終焉を喜び睦まじく分かち合う姉妹がいる。
そして、それを見つめ柔らかく目を細める仲間たちがいる。

それは、長く姉妹の心の底に押し込められた自らの家の暗部をさらけ出し。
そしてそれを受け入れてくれる────そうするに足る誰かと、こんなにもたくさん出会うことができたことを意味していた。

その姉妹へ。
2人の親友として。そして、このときに限っては。遠い時間を遡り、かつて血を分けた家族として。

さきわう彼女たちの血やその行く末を思ってほころぶ頬と、暖かい色を帯びて高鳴る胸の鼓動を。

私には、止めることができなかった。

・松浦果南
『隠居所の話(異聞)』 おしまい

 

238:■■の話(茸)@\(^o^)/ (スッップ Sdaa-XCM5) 2017/01/01(日) 00:24:59.65 ID:CUqj/LlTd.net

 

善子「そういえば、こんなこともあったわね

 

239:(茸)@\(^o^)/ (スッップ Sdaa-XCM5) 2017/01/01(日) 00:26:52.38 ID:CUqj/LlTd.net

中学の修学旅行で泊まった、関西のホテルでの話よ。

修学旅行の初日の夜。

夕食も終わり、就寝までの僅かな間。
生徒たちの待ちに待った自由時間が始まり、微熱にかかったみたいに頭のぼんやりしてしまう雰囲気が、なんとなくホテル全体から感じられた。そんな中。

ホテル内の散策も終え、一人で向かったお風呂上がりに……その……も、催した私は……大浴場の帰りに通りがかったロビーの端にあるお手洗いで……あれよ。えっと……お花を、摘むことにしたの。

そこはかなり立派ホテルで。
各部屋に備え付けのトイレがあるにも関わらず、ロビーに示されたお手洗いの案内の先には、男女障害者で入り口が分けられているのは当然として。
その中にも、まるで大きな駅の構内にあるものと変わらないくらいの個室が用意されてたわ。

私は設計者が一体どういうタイミングでこの数の個室が溢れる想定をしたのか、全く想像のできないまま。
端から端まで、利用している人が誰もいない扉の中から。特に意識もしないで、真ん中らへんの洋式の個室を選んだの。

 

240:(茸)@\(^o^)/ (スッップ Sdaa-XCM5) 2017/01/01(日) 00:27:49.03 ID:CUqj/LlTd.net

それからしばらくして。

うんと……済ませることを済ませて、佇まいを整えていると。

コン…コン…

私の個室のドアを、ノックする音が聞こえた。

コンコン

人を待たせていることを了解した上で、もうすぐこの扉を開ける意志を示すノックを返す。

間もなく降りてきた沈黙の中。
私は立ち上がり、気持ち素早く浴衣の裾を正しながら、個室を出ようとしたわ。

その瞬間。

言葉にできない気味の悪さを覚えて。スライド錠を滑らそうとした姿勢のまま、動きが凍り付くように止まってしまったの。

その怖気の正体は、ついさっき考えていたばかりのはずなのに。人心地付いたせいで頭からすっぽりと抜け落ちてしまっていたことを、ようやく思い出したときにやってきた。

 

241:(茸)@\(^o^)/ (スッップ Sdaa-XCM5) 2017/01/01(日) 00:29:19.44 ID:CUqj/LlTd.net

このトイレにあって。その個室は埋まりようのないくらい空いていた。

そして、それらが埋まるほどの人々が大挙して個室を訪れたような物音も。
そもそも、リノリウム張りのトイレに響く足音の一つすら、私の耳には聞こえた覚えがなかった。

この扉の向こうにいる誰かは、足音もなく女性用のトイレへと入ってくると。
開いている他のドアへは目もくれず、私が使用中の個室の前に立ち。
そして、ノックをした……。

ようやくひとつ。水気を失い固くなった唾を、喉へと絡ませながら飲み込む。

そうだ。
クラスメートが何か用があって、私を探してここまでやってきたのかも。

クラスメート、クラスメート。この扉の前にいる誰かは、きっと私のクラスメート……。

思い付いたばかりのことを。呪文のように繰り返して自分に言い聞かせる。

だけど、すぐに気が付いたわ。

ひとりで大浴場に向かった私が、その帰りにロビー脇のトイレの、この個室を利用しているなんて。
一体誰に把握できると言うの?

 

242:(茸)@\(^o^)/ (スッップ Sdaa-XCM5) 2017/01/01(日) 00:29:53.96 ID:CUqj/LlTd.net

 

コン…  コン…

 

243:(茸)@\(^o^)/ (スッップ Sdaa-XCM5) 2017/01/01(日) 00:30:57.90 ID:CUqj/LlTd.net

扉一枚を僅かに隔てたその向こうで。冷気を思わせる無機質な音を、ゆっくりと二度響かせる得体の知れない誰かの手が、再び小さく動いていた。

今度は、ノックを返せない。
そして、私はもはや個室からも出られなくなっていたことに。今更ながら気付かされる。

コン… コン…

更なる沈黙が降りるのを待つことなく。個室を空けるよう急かすのが目的で立てられたわけではない音の暗号は、その間隔を短くして三度。
私の目の前の扉を震わせていた。

まずい。これは、よくない。

今すぐに何とかしないと、きっとつまらないことに巻き込まれる。
ううん。既に巻き込まれているんだから、もっとつまらないことがこれから起こるって言った方がいいのかもしれない。

 

244:(茸)@\(^o^)/ (スッップ Sdaa-XCM5) 2017/01/01(日) 00:32:20.93 ID:CUqj/LlTd.net

コン…コン…

四度目。

でも、ノックを返してみたところで。勇気を出して扉を開けてみたところで。
それが何の解決にも繋がらないことは、これまでの経験でよくわかってた。

コンコン…

まるで、だんだんと痺れを切らすように。ノックの間隔が詰まり、音の鋭さは増していく。

だけど、私には何の手立ても浮かばなかった。

それどころか、この状況を諦めるように思考にもやがかかり始め。
やがてくるその瞬間へ耐えられるよう。心が感じることを放棄し、鈍くなっていくのがわかる。

 

245:(茸)@\(^o^)/ (スッップ Sdaa-XCM5) 2017/01/01(日) 00:33:12.25 ID:CUqj/LlTd.net

コンコン!

乱暴と言っても差し支えない硬い音と同時に、がちゃんがちゃんと小さく個室の扉全体が揺れていた。

そうやって防衛反応を示し始めた私の心身の中で。
それでも、全身から冷えた血液を集め熱を失った心臓だけは。小刻みに、でも開いた口からとっとっとっとっ、と、小さく音が漏れてしまうほど激しく脈打っているのがわかった。

つまり、心に置いてきぼりにされ。
私の体の肝心なところは、未だに鈍さを手に入れられないでいたの。

 

246:(茸)@\(^o^)/ (スッップ Sdaa-XCM5) 2017/01/01(日) 00:33:46.92 ID:CUqj/LlTd.net

ゴンゴン!

手の甲全体で叩きつけたような、悪意の伴った暴力的な音が。守りを固めたはずの心からも、一瞬で熱と平静さを奪っていく。

清掃。清掃じゃない?
それなら他に空いている扉を無視して、使用中の個室のドアに執着する意味が理解できる────

 

247:(茸)@\(^o^)/ (スッップ Sdaa-XCM5) 2017/01/01(日) 00:34:50.85 ID:CUqj/LlTd.net

ガンッ!ガンッ!

わかってた。何もかも。
扉の外にいる誰かが、常識を解すなら。

手と、心。

こんなにも互いを傷付ける音を出してしまう前に。何でも構わない。
自分の意志と、それの疎通を促す呼び水となる、言葉を……。声を、かけるはずなんだって。

 

248:(茸)@\(^o^)/ (スッップ Sdaa-XCM5) 2017/01/01(日) 00:35:42.18 ID:CUqj/LlTd.net

ドゴッ!ドゴォ!!

 

 

249:(茸)@\(^o^)/ (スッップ Sdaa-XCM5) 2017/01/01(日) 00:36:52.60 ID:CUqj/LlTd.net

拳で殴りつけたような大きな音とその衝撃に、悲鳴を上げて軋む扉。

私は、一人でいる時間が多かったとはいえ。
それでもいつも優しく接してくれるクラスメートたちが楽しそうに笑い合う様子を眺め。それなりに幸せだった今日一日の記憶を思い返しながら。
やっぱり自分は、その輪に入れる人間ではないってことを思い知らされているような気がして。

場違いに、とても悲しくなったのを覚えてる。

 

250:(茸)@\(^o^)/ (スッップ Sdaa-XCM5) 2017/01/01(日) 00:37:59.11 ID:CUqj/LlTd.net

気が付くと、扉へと続いた悪意の音は止んでいた。

まだ乱れたままの心音を感じながら、ため息をひとつ付く。
どうやら胸の悪くなる時間は終わったみたいだった。

私はスライド錠を解放しようとして。いつの間にかきつく閉ざしていた目蓋をそっと開き、視線を手元へと戻した。

そのとき。

違和感があった。

なんだろう。扉の内側が、やけに暗く感じられたから。

それは、癖のように体へと染み付いた反射運動で。
つまり。
私は暗くなった光源の様子を確認するため、視線を個室の扉の上の方へと向けてしまったの。

 

251:(茸)@\(^o^)/ (スッップ Sdaa-XCM5) 2017/01/01(日) 00:39:00.43 ID:CUqj/LlTd.net

腕。白い腕があった。

扉と天井の隙間に、しがみつくようにのせられた肘から先の腕があり。それが、通路から個室へと入るはずの照明を遮っていた。

びくっとして硬直した体に、少し遅れて一瞬で鳥肌が広がる。

 

────何かが、ここに入ろうとしている。

 

そう思ってしまい、悲鳴が漏れそうになった。

ギィィイイイ…

だけど、それはまるで私に代わって叫んだように響いた金属音に、押し留められることになる。

 

252:(茸)@\(^o^)/ (スッップ Sdaa-XCM5) 2017/01/01(日) 00:41:04.62 ID:CUqj/LlTd.net

(そんな。なんで────

血の気が遠くなるのを感じながら。
私は、悲鳴を上げ自分を失えたのならどれだけ楽だったか、ひらすら悔やんでいたわ。

金属音の悲鳴は、荷重のかかった蝶番が苦しみながら身を開く音で。
それは、硬直する私の指先が、引きつる瞬間の腕の動きに従って、個室のスライド錠を開放してしまったことによるものだった。

凍り付いたみたいに動かない冷たい私の体を置き去りにして、ゆっくりと扉は開いていく。

その、隙間から。

縦に並んだ二つの瞳が、感情を感じさせない眼差しで、個室の中の私をじっと見つめていた。

私の目よりもずっと低い位置から。

どうやったのか。その低い位置で、顔を真横に。地面と水平に支えたまま。

 

253:(茸)@\(^o^)/ (スッップ Sdaa-XCM5) 2017/01/01(日) 00:45:39.12 ID:CUqj/LlTd.net

どれくらい経ったかな。
もしかしたら、十秒も無かったのかもしれない。

でも、ふたつの虚ろな眼孔に見すくめられていた私には。その時間が数分はあったように感じられたわ。

とにかく、突然だった。

チッ…

短く、鋭い水音が聞こえてきた。
それは多分、舌打ちだったんだと思う。

それが合図だったみたいに、縦に並ぶ二つの目が数回、ゆっくりとまばたきをすると。
扉の縦辺へと沈むように、私の視界から消えていった。

へたへたと。先ほど立ち上がった便座に、再び座り込む。
さっきまで扉の前に佇んでいた何者かの気配は、今はもう完全に感じられなくなっていた。

 

254:(茸)@\(^o^)/ (スッップ Sdaa-XCM5) 2017/01/01(日) 00:47:30.05 ID:CUqj/LlTd.net

扉を開けると、左右を確認しながら個室を出る。

そのとき。それがまるで悪い冗談だったかのように、あの血の凍るような金属音が再び扉から響くことはなかった。

入るときもそうだったはずよ。
個室の扉は、普通だったらあんな音を立てるはずがないわ。

でも、私は直前に見ていた。
扉の上で、乗り出すようにその縁を掴んだ、白い腕が置かれているのを。

もう一度。
さっきまで使っていた個室の扉では何となく憚られたから、隣の個室の扉を。
今度は縦辺を両手で掴んで、体重を掛けて動かした。

ギィィイイイ…

リピート再生のように、金属の上げる悲鳴が再びトイレ中へと響き。
先ほどの光景を思い出してしまった私は、丸めた背中からまた鳥肌が全身へ広がっていくのを感じていた。

我慢できなくなり、私は入り口の荷物台から入浴道具を引ったくると。
今ではその広さに薄ら寒さすら感じるようになったそのトイレを、振り返ることなく逃げるように後にしたわ。

 

255:(茸)@\(^o^)/ (スッップ Sdaa-XCM5) 2017/01/01(日) 00:48:49.06 ID:CUqj/LlTd.net

顔は、スライド錠より更に低い位置から私を見つめていた。

だけど、その扉の上には。肘から先の腕が、ずっと預けられたらままだった。

想像してしまったのよ。私は。

個室の前で、中の人物が出てくるのをノックで急かす。
関節どころか、体の形すら定まらない。
でも、パーツだけは人間のものが揃った、その不気味な影を。

 

そして私は……トイレで手を、洗い損ねたの。

 

265:電波の話(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/01(日) 21:11:31.19 ID:XLaWpriDa.net

 

ルビィ「えと……これは、去年の……私がまだ中学生のころの話なんだけど……

 

266:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/01(日) 21:13:23.73 ID:XLaWpriDa.net

そのころ私は、お家でおおっぴらなスクールアイドル趣味は自粛してて……。
その……お姉ちゃんのことがあったから……。

だから、私は時間があるときは自分の部屋に閉じこもって、こっそりスクールアイドルの雑誌を読んだり。誰も使わなくなった古いノートパソコンを持ち込んで、インターネットで情報を集めてたりしてた。

特にお気に入りだったのは、”スク生”って呼ばれてるコメント一体型動画配信サービスを利用したコンテンツだったかな、やっぱり。

現役のスクールアイドルの子たちが動画サイトのライブ機能を使ってリアルタイムでファンとコメントを通して交流したり、歌や踊りを披露してくれるから。
まるで毎晩ライブイベントが行われているみたいで。実際にそういうイベントに表立って参加できない私にとっては、夢みたいなコンテンツだったんだ……えへへ。

 

267:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/01(日) 21:14:20.83 ID:XLaWpriDa.net

そんな日々のなかで、私はある女の子と友だちになったの。

その子は私と同じ学年だったけど、高校に行ったら絶対ラブライブ!に出場して優勝を目指すんだって、中学生のうちからスク生を始めて。
まだ有名なグループのコピーだったけど、色んな人に歌やダンスを見てもらって。
アドバイスや、ときには辛らつなコメントを送られても、それでも一生懸命頑張ってた。

私はたまたまその子がやってたスク生を見てて、その中で語ってたスクールアイドルへの思いにすっごく感動して、ファンになっちゃったんだ。

欠かさず放送をチェックして、何回かコメントを送ってるうちに、その子が私のコメントによく反応してくれるようになって。
そのうち、その子が用意してたコミュニティーに、本人からこんな書き込みがあったの。

 

268:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/01(日) 21:15:04.39 ID:XLaWpriDa.net

今日あのコメントをくれた人へ。

すっごくよくわかります!配信中も話したけど、私も家が厳しくて、よく家族には反対されてるんだ。

だけど私はスクールアイドルが大好きだから、絶対に始める前に諦めたりなんかしません!
だからあなたも諦めないで、来年から私と一緒にスクールアイドル始めましょう!!

ぜったいぜったい、楽しいよ♡

とっても嬉しかった。

本当は私、スクールアイドルのこと、ほとんど諦めてたんだけど。
私のことをこんなにわかって、そして応援してくれる人がいるんだ……って。
それだけで、私は幸せな気持ちになれたから……。

 

269:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/01(日) 21:16:31.69 ID:XLaWpriDa.net

それから、私たちはそのコミュニティーを通してお互いに連絡先を交換して、友だちになったんだ。

その子の家は九州の方にあって、全然会いに行けるような距離じゃなかったけど。
そんなことでもふざけて”ラブライブ!の決勝会場で合おう!”なんてメッセージを送って笑い合えるくらい、私たちはあっという間に親友になってた。

私がひどい人見知りだったから、最初のころはちょっとしたLINEのやりとりとかもすごくぎこちなかったけど。
私は、あの日勇気を出して連絡先を交換して、本当に良かったなって思ったよ。

 

270:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/01(日) 21:18:27.75 ID:XLaWpriDa.net

それからしばらくして、秋の終わりころ。

その子から、推薦受験に失敗したっていうLINEが届いた。

その子のお家は裕福だけどとっても厳しくて、将来はお父さんの跡を継いで絶対にお医者さんにならなきゃいけないって言われてたみたい。

高校でスクールアイドルをやれても、成績は落としちゃだめ、必ずこの大学に行け、できなそうな兆しが見えたらすぐに辞めさせる。

そんな脅しみたいな条件を毎日言い聞かされてうんざりしてるって、その子はいつも息苦しそうにしてた。

そういうお家で、推薦だけど受験に失敗しちゃったらどうなるか……。

私は、そのLINEに……すぐに返事を返せなかった。

やっと送った励ましのLINEには、いつもみたいなふざけたスタンプと元気で明るい言葉が返ってきたけど。
それは不自然なくらいポジティブな内容で……無理をしてるんだなって、ひと目でわかったよ……。

 

271:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/01(日) 21:19:54.13 ID:XLaWpriDa.net

それから、その子がスク生を放送することはなくなった。
いつも放送に使ってる防音設備が整った地下室のホームシアターが、使用禁止になったんだって。

コミュニティーへの書き込みもなくなった。
ある日自分の部屋に帰ったら、ノートパソコンが勝手に処分されてたんだって。

LINEも、やりとりをする頻度がどんどん減っていった。
お家に帰ると携帯を取り上げられて、リビングで無理やり勉強させられるんだって。

ひとつずつ、奪われていく。
その子の、大切だったものが。

私にも、その子の苦しさとか、恐ろしさとか……辛い気持ちが、よく理解できるから。

感情がなくなったみたいにその子から淡々と送られてくるLINEのメッセージの、一通一通に目を通すたび。
とっても……とっても苦しくって、悲しくって。泣いちゃうこともあったよ。

だって、あの子が奪われていったそのひとつひとつが、そのときの私たちのすべてだったんだもん。

 

272:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/01(日) 21:21:26.63 ID:XLaWpriDa.net

確かに、学校でとっても良い成績を維持したままラブライブ!決勝に出場できるだなんて。
そんな甘いことはないって、こんな私でもわかってた。

だけど、一生に一度しかない、私たちがスクールアイドルでいられる時間なんだよ……。
それを、始まる前から奪われちゃうなんて、そんなのあんまりだよ……。

”ラブライブ!決勝でワンツーフィニッシュを決めた私たちが、驚愕のドリームユニットを組んで大活躍!”

その子と夏の終わりに交わした楽しげな電話の内容が。頭の中に何度も浮かんでは、そのたびに悲しい現実に引き戻されて。残響しながら消えていった。

 

273:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/01(日) 21:23:14.83 ID:XLaWpriDa.net

寒さも一層厳しさを増してきた、年の瀬の深夜。

お部屋で、あんなに楽しかったはずの有名グループが放送するスク生を、どこか物足りない気持ちでチェックしていると。
携帯電話にLINEの通知が届いたの。

差出人を見ると、あの子からのLINEで。
一月ぶりくらいの連絡だったから、私はスク生放送も放り出して急いでトーク画面を開いたんだ。

トーク画面の最新箇所には、なんの言葉もないまま。動画ファイルだけが送られてきたことを示すアイコンが追加されてた。

暗いところで撮影された動画なのか。サムネイルは黒く潰れてしまっていて、内容は全く予想できない。

 

274:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/01(日) 21:24:16.96 ID:XLaWpriDa.net

なんだろう。

なにか、変な感じがした。
それでも、久しぶりに今あの子が携帯をさわれてるんだって嬉しくなった私は。メッセージを返すために迷わずアイコンにタッチして、動画の読み込みを始めたんだ。

ちょっと重かったけど、しばらく待つと動画が流れ始めた。

音は、特に聞こえない。
画面は暗かったけど、それでも全く見えないほどじゃなかったよ。

動画は、暗い部屋の中で撮影されてるみたいだった。
画面の中に光る四角形が見える。カーテンを閉め切ってるのかな。外はちょっとだけ明るくて、そこから漏れる光だけが、動画の中で唯一の光源だった。

その手前には、画面の下の方いっぱいに横たわる黒い四角い塊。それがベッドだって、なんとなくわかった。
だってその上に、カーテンから漏れる薄い逆光で。はっきりとじゃなかったけど、人影が座っているのが見えたから。

最初は、なんだろう、ここからいきなり画面が明るくなって、ふざけて笑わせてくるのかなって思ってた。

でも、十秒くらい経っても画面はそのままで、ベッドの上の人影は全然動く気配もなかった。

 

275:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/01(日) 21:25:35.71 ID:XLaWpriDa.net

やっぱり、なにかおかしい。

目が暗い動画になれて、人影の細かいところが見えてくる。

髪は、長いようだけどボサボサだった。
服装は暗い色のパジャマで、それもどこかヨレヨレな感じ。
顔……ほとんど見えなかったけど、うっすらと見える目はどこを見ているのかもわからなくて。口は小さく開かれたままだった。

でも、背格好も顔の感じも。確かにその人影はあの子で間違いないと思った。

だけど。
スク生で溌剌と目を輝かせて、きらめくアイドル衣装に着飾り、汗を飛ばしながらサラサラの黒髪をダンスで靡かせてたあの子の面影は、もうどこにもなかったの。

(どう、したの……?

私は彼女のその姿に。かわいそうとか、元気を出して欲しいとか、そんなあの子の状態を気遣う気持ちより先に。

(こわい……

恐怖と、気持ち悪さを感じちゃったんだ。

 

276:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/01(日) 21:26:19.48 ID:XLaWpriDa.net

『ルビィちゃん、久しぶり……

不意に、動画の中のその子がそんなことを言った。

そこにはやっぱり、あんなに綺麗でメリハリのある歌声を持っていた彼女の面影はまったくなくて。
それはぼそぼそと呟くような、ひどく聞き取り辛い抑揚のない声だった。

『夏休みの終わりに、私たち約束したよね。2人でラブライブ!決勝で好成績を収めたあと、無敵のユニットを組んで大活躍しようって

上半身を前後にふらふらと揺らし、彼女がゆっくりとそう口にした。

『少し早いけど、そのとき歌うファーストナンバーに相応しい曲を考えたんだ。まだサビの部分だけしかできてないけど、良い曲なんだよ

動画を撮影してるはずの携帯電話のカメラのレンズをまったく見ないまま、上半身の揺れはだんだん大きくなっていってた。

『でも私、初めて歌を作ったから、変なところとかやっぱりあるかもしれない。
 だから、これを聞いたら感想とか、いっぱい聞かせてね?参考にして、もっと良い曲に仕上げるから

がっくん。がっくん。
揺れは、ベッドが軋むくらい大きくなって。いつの間にか足は乱暴に貧乏ゆすりを始めてた。

(いやだ、聞きたくない……

私はそう思いながらも、携帯電話の画面から目が離せなかった。

 

277:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/01(日) 21:27:02.45 ID:XLaWpriDa.net

 

『ぎャぁああああああアアァァアアああアアアあああ!!!!!!

 

278:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/01(日) 21:29:02.13 ID:XLaWpriDa.net

「ひいっ!!

突然耳をつんざくような悲鳴が聞こえた。
携帯電話からだった。

動画の中で、あの子がいきなり意味不明な叫び声を上げながら、手足をめちゃくちゃに振り回し始めてた。

『きゃぁああァアあアアアァアッッ!!!ぁぁああああぁああ!!っ!!エェアええええええええああああああっ!!!!!

『あっ!!ああっ!ら!!ぅああ゛!!!ああ゛あ゛アァ゛アあ゛あ゛っっ!!

気が狂ったみたいに声を上げ。
あの子は手をばたつかせ、足を踏み鳴らし、ベッドで数回跳ねたかと思うと。

勢いをそのままに、床へと大きな音を立てながら倒れ込んだ。

その衝撃で、撮影のために置いといた場所から携帯電話が落ちちゃったのか。
ガタガタって音がしながら、画面が上下左右に激しくぶれる。

 

279:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/01(日) 21:30:26.92 ID:XLaWpriDa.net

それから、動画は急に静かになった。

しばらく画面は部屋の、天井……なのかな。
明かりの消えた蛍光灯みたいなのが端っこに映ってたから、多分そうだと思う。
そこを映していたけど。

ずり…ずりりっ…

って、なにかが這ってくるような音が聞こえてきて。
急にあの子の顔がアップで現れた。

『どう……だったかな……見てわかって貰えたと思う、けど……結構難しくて、ダンスも……疲れる曲なんだ。
 だから、今のうちからしっかり練習しとかないと、電撃サプライズって感じにはならないから────

息も絶え絶えに彼女は喋ってた。

今のが、スクールアイドルユニットの、楽曲とダンスなんだって。
そう言い張りながら。

『────ルビィちゃんも……ちゃんと練習、しといてね……

動画は、そこで終わったんだ。

 

280:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/01(日) 21:31:41.76 ID:XLaWpriDa.net

部屋が寒かった。

でも、これが冬の寒さのせいじゃないってことはわかってる。

バクバクと体に悪そうな音が喉の奥から聞こえた。
凍り付いた血液を無理やり全身に送るために、心臓が壊れそうになってるみたいだった。

「なに、これ……

意味がわからなくて、気味が悪くて、気持ち悪くて……。
何より、とっても悲しくて。涙が溢れてきた。

嫌がらせじゃないことはわかる。

だって、あの子はよくふざけるけど、スクールアイドルのことで嫌なことを言ったり、したりすることなんか、一度だって無かったから。

(……壊れ……ちゃったんだ……

軽率にそんな言葉は使いたくないけど。
それでも私は送られてきた動画を見て、その送り主の女の子の今を、それ以外に言い表せないと思った。

 

281:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/01(日) 21:34:24.79 ID:XLaWpriDa.net

ピコンッ

電子音が聞こえる。

誰かが私へ、LINEのメッセージを送信したみたい。

誰が送ってきたのかは、なんとなく想像ができちゃってた。

”ねえ、ルビィちゃん、どうだった?”

トーク画面を開いたままだったから、既読が付いてしまう。

私が彼女の動画を見たんだと、伝わってしまう。

ピコンッ

”簡単で良いから、すぐに感想貰えないかな?”

言えるわけないよ。それに、あの動画を見た私に、あなたはなんて言って欲しいの……?

ピコンッ

”どうしたの、ルビィちゃん。もしかして勉強とか、忙しかった?”

ピコンッ

”でも、良いか悪いかくらいならすぐ送れるよね。照れちゃうから早く送ってよぉ~”

ピコンッ

”はやくはやく~”

ピコンッ

”ねえまだ~?”

ピコンッ

”はやく~”

ピコンッ

”はやく”

ピコンッ ピコンッ

”はやく” ”はやく”

ピコンッ ピコンッ ピコンッ

”はやく” ”はやく” ”はやく”

ピコンピコンピコンピコンピコンピコンピコンピコンピコンピコン…

 

282:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/01(日) 21:36:42.73 ID:XLaWpriDa.net

「いやあっ!もうやめてぇえっ!

私は泣きながら、頭を抱えて床にしゃがみ込んだ。

耳をぎゅって塞いでも、鳴り続けるLINEの通知音が途切れることなく聞こえてくるのがわかった。

 

どれくらい時間が立ったのかな。
いつの間にか吹き始めた海からの風に。

ガタ…ガタッ…

って小刻みに窓が揺れてる。

ずいぶん前だったのか、それともついさっきなのか。それすらも良くわからなかったけど。
LINEの通知音は、今はもう止まっていた。

 

283:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/01(日) 21:39:26.34 ID:XLaWpriDa.net

冷たい床の上でぐったりと横たわりながら。
私はあの子と過ごした時間を思い返してたの。

いつもまっすぐに、回り道なんか選ばず、目指すスクールアイドルの姿にわき目もふらず向かっていったあの子。

私は、あの子のことが羨ましかった。

お姉ちゃんがいてくれたから、私の家からの締め付けはあの子に比べたら全然きつくなかった。
一人っ子で、うちよりももっと厳しい親御さんが目を光らせていて。
それでも高校ではスクールアイドルを始めて、ラブライブ!決勝に出場して、優勝してみせるって。
そんなことを一点の疑いもなく信じて走りつづけられるあの子の心の強さが、羨ましかったの。

それなのに、あの子は今、こうしておかしくなってしまった。

今考えれば。
私が憧れたその強さは、もしかしたら弱さの裏返しだったのかもしれないって……そのとき私は思ったよ。

怖くて、不安で、でもどうすることもできないから。がむしゃらに走り続けるしかなかった。

そうすることで、すべてを置き去りにして逃げ続ければ、いつか追いつかれるより先に目標に手が届くかもしれない。
そんな風に考えて。まるで生き急ぐみたいにスクールアイドルの道を駆け抜けていったんだ、って……。

 

284:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/01(日) 21:41:12.81 ID:XLaWpriDa.net

ガタッ…ガタガタガタッ…

風がさっきより強くなって、窓を小刻みに揺らしていた。

一度だけ、あの子と喧嘩したことがある。

電話で、あの子に”ルビィちゃんも一歩踏み出してみなよ”って言われて。
私はたぶん、なにか後ろ向きな理由を立てて否定の言葉を返したんだと思う。

私があの子みたいにスクールアイドルを始めるためには、お父さんやお母さん、何よりお姉ちゃんを納得させなきゃいけないっていう話をしてたときだった。

そうしたらあの子が、突然電話口で。

『やってもないのに、なんで諦めちゃうのよ!!』

って……張り裂けそうな大きな声を上げたから。
私の方も、”私の家のこと、実際に知ってる訳でもないのにそんなこと言うのやめてよ”って、むきになって言い返しちゃって……。

しばらくお互い黙ったあと、どちらともなく謝り合ってから、またいつもの私たちに戻ったんだ。

 

285:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/01(日) 21:44:08.65 ID:XLaWpriDa.net

あの子が怒ったのは。私が口先だけで、スクールアイドルのために勇気を持って行動しようとしない……そのことに気付いて、認めて。行動して欲しかったからだと思ってた。

でも、ほんとはそれだけじゃないのかもって、考えついた。

私があの子のひたむきなところを羨ましいと思ったのと同じように。
あの子ももしかしたら、今は取り合ってくれないけど。勇気を持って気持ちをぶつければ────走り出せば、きっと応援してくれる……。
ずっと聞いてきた話からそんな雰囲気を感じ取った、私の家のことを。なにより、お姉ちゃんのことを。

羨ましく思ってたのかもしれない。

 

286:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/01(日) 21:46:56.49 ID:XLaWpriDa.net

ガタガタッ!ガタッ…

ひときわ大きく窓が揺れる。
今夜は本当に、風が強いみたいだった。

気分の方は、大分落ち着いてきた。

「すう……はあ……

勇気を振り絞るために、深呼吸をひとつ。

そして私は、あの子から大量に送られてきたメッセージをしっかりと受け止めた上で。真剣に返信を送ろうと思い、携帯電話のホームボタンを押して、画面を待機状態から復帰させようとした。
そのとき────

 

287:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/01(日) 21:47:34.43 ID:XLaWpriDa.net

”右手が着いたよ”

 

288:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/01(日) 21:49:02.62 ID:XLaWpriDa.net

待機中に受信したものを表示する携帯のロック画面通知に、そんなLINEメッセージが残されているのを見つけた。

ガタッ…ガタッ…

風に揺すられた窓の音だけが、私の部屋に響いている。

送り主は、あの子の名前だった。

「え?

また、意味がわからなくなって。
頭が空っぽのままトーク履歴を遡った。

”はやく” ”はやく” ”はやく” ”はやく” ”どうしたの” ”どうしたの” ”どうしたの” ”どうしたの”

”ねえ” ”はやく”

”どうしたの”

”どうして何もこたえてくれないの”

”わかった”

 

────”今から、会いに行くよ”

 

おかしくなっちゃったみたいに繰り返された言葉の最後に。
怖くて、不気味なメッセージが残ってた。

 

290:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/01(日) 21:51:03.66 ID:XLaWpriDa.net

ピコンッ

メッセージを受信したことを知らせる電子音が響く。
ずいぶんと長い間聞いてなかった気がしたけど。最後のメッセージの受信時間からは、なぜか五分も開いていなかった。

”今、頭と、それから遅れて、左手が向かってるよ”

ピコンッ

”りゃうてがいっちやわったら、もつらきんはおくれないね”

ピコンッ

”たわから、あとはむこつでちょくせつはなそうね”

ガタッ…ガタガタガタッ!!!!

窓の揺れが一気に激しくなる。

私は、正直もう何がどうなっているのか、理解が追いつかなかった。

ガタガタ!!ガタガタガタッ!!!

それでも私は、そのとき真っ白になりそうな頭で、ぼんやりと二つのことを考えようとしていた。

 

291:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/01(日) 21:52:20.70 ID:XLaWpriDa.net

ひとつは、今気付いた。
こんなに窓が激しく揺れているのに、吹き付ける風の唸るような音は今までまったく聞こえていなかった。

じゃあ……私の部屋の窓を。さっきからこんなに激しく揺さぶっているこれは、いったいなに?

もうひとつは、この前高校受験の模試をやってるときに読んだ、古文の出題文のこと。

それは、想い人への気持ちが強すぎる女の人が。毎晩身体から魂だけで抜け出して、相手の男の人と、一緒にいた女の人を苦しめるっていう話。

それが、なぜか今ふと浮かんで。頭の片隅にこびり付いたみたいにまとわりついて……消えてくれなかった。

 

292:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/01(日) 21:53:03.71 ID:XLaWpriDa.net

ガタガタ!!ガタッ!

二つのことは、なぜか繋がっていると思った。

ぼんやりとした頭は、だけどそれだけ考えが常識にとらわれず飛躍することもある。

遠い私のところへ。九州の、あの街から。
古文のように近くないし、私の家の正確な場所もわからない。
だから、何かを頼りに。

そう、たとえば、携帯電話の電波に乗って。

私も口ずさむ度涙ぐむ。あの子が大好きだった、友だちへの弾けそうな親愛と、早く会いたい待ちきれない思いとを形にした。
彼女たちがアンコールに応えてよく歌った、その詞にあるように。

『嬉しいから■■たいよ』

『寂しいから■■たいよ』

『楽しい悲しいそして』

 

『”会い”たくなるんだ』

 

293:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/01(日) 21:54:45.99 ID:XLaWpriDa.net

ガタ…ガタ…ガタ…ガタ…ガタ…ガタ…ガタ…ガタ…ガタ…

窓の揺れは、もう風じゃぜったいに起こせない。何かの意志を感じさせるような、気味の悪い揺れ方をしてた。

「いやっ……

思わず、短い悲鳴が漏れる。

携帯電話の電波は、きっとそんなにいっぺんに情報を送れない。
だから、魂を分割して。
右手から。次に頭。そして左手を。

ガタガタ…ガタガタ…ガタガタ…ガタガタ…

頭には顔があって。顔には目があるから。それがなくなってしまったら目が見えなくなる。
目が見えなくなったから、打ち込まれる文章はめちゃくちゃになっていく。

ガタ…

そして、両手が無くなれば、もうLINEは送れなくなって。

代わりに、彼女の両手と顔が───

 

294:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/01(日) 21:55:30.27 ID:XLaWpriDa.net

「あ…………け……て……

 

295:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/01(日) 21:58:05.83 ID:XLaWpriDa.net

窓の外から、小さなうめき声が聞こえた気がした。

障子が引いてあって、部屋の中からは外の様子は伺えないんだけど。

でも。

「あけ…………て……

また、窓の外から。気のせいじゃない。
さっきより、その声は存在感を増したみたいだった。

「あけ、て……わた……わた……わた、と……

言葉を思い出すように声は続く。

私は、その場に縫い付けられたみたいに部屋の真ん中から動けないでいた。

「わた……わた……わた?わた……と、かん……かん……

動けない。だから、窓に向けていた視線もそらせずに。
私は悲鳴もあげられないまま、その声が言おうとしていることを、ただ聞き届けるしかなかったの。

「わた……わたし!わたしと……かん……うかん……しろ……しろ!……しろっ!!!

動けない私の中で、呼吸と心臓の鼓動だけが動きを早めていってた。
苦しくて、苦しくて、息が、つまりそうだって思ったよ。

 

296:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/01(日) 21:58:46.22 ID:XLaWpriDa.net

「こうかんしろ!わたと!わたしと!あけて!こうかんしろ!!

ガン!ガンガンガン!!

ついに言葉が繋がる。

窓の外で、声は私と入れ替わることを望んでた。

ああ、やっぱり。彼女は私を────

「こうかんしろ!なんでおまえだけ!!こうかんしてわたっわ!わたしはっ!!!

涙で再び視界が滲んでいった。
もう今から私にできることは何もないって、わかってしまって。

「こうかんして!して!え!ええっ!えっ……えっ、えっえっ

(誰か

「えびっえ……ひっえひっえええっ

(誰か……

「あばあっあはっあばっあはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははっはははははははははははははははははははははははははははははははははははは!!!

(誰か助けて────

 

297:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/01(日) 22:00:12.66 ID:XLaWpriDa.net

 

ガシャァァアアアンン!!!

 

何かが開いて、何かが壊れる音が聞こえた。

窓じゃない。
窓は、私の視線の先。障子の向こうで、閉じたままだった。

 

298:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/01(日) 22:01:24.44 ID:XLaWpriDa.net

「もうっ!うるさいですわよルビィ!!いったい今何時だと思って────

あったかい、声だったな……。
さっきまでずっと凍えたみたいに動かなかった私の体が、一瞬で溶けちゃうくらい。

「────お姉ちゃん!お姉ちゃぁあんん!!

振り向きながら立ち上がって、声の聞こえた方へと飛びついた。

「ル、ルビィ……?どうしたの?それに、扉を開けるときに何か壊れたような……

「窓に……窓が……うぁぁああぁぁあん!あぁぁああああぁ……

「窓……?……っ!!

「ルビィ……ちょっと、ここで待っていなさい。いいこと……?

お姉ちゃんは優しく私にそう言い聞かせると、ゆっくりと窓に近付いていった。

「だめ!お姉ちゃん、やめてぇえ!!

「────何者ですか!!

私の制止にも迷うことなく、お姉ちゃんが素早く障子を開ける。

でも、そこには誰も。何もいなかった。

 

299:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/01(日) 22:03:03.73 ID:XLaWpriDa.net

「お姉ちゃん!お姉ちゃん!

私はまたお姉ちゃんに駆け寄って、力いっぱい抱きついた。

助かったんだって、もうこれで大丈夫なんだって思ったら。涙が次から次に溢れてきて、止まらなくなっちゃったの。

「まったく……怖い夢でも見ましたの?よし……よし……もう大丈夫……大丈夫だから……

お姉ちゃんの胸の中に、優しく、暖かく包まれながら。

私は涙で潰れた視界の端に、壁にぶつかりバッテリーの外れた携帯電話を見た。
取り乱した私が部屋の扉の前へ転がし、お姉ちゃんが扉を開ける拍子にそれを弾き飛ばしたんだ。

開いたのは部屋の扉で。壊れたのは私の携帯電話で。

電波を受ける先が無くなったから、あの子の魂は帰っていったんだ……。

終わりの理屈がわかって気の抜けた私は。
お姉ちゃんに抱かれたまま、気を失うように眠りに落ちていきました。

 

300:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/01(日) 22:05:30.09 ID:XLaWpriDa.net

朝起きて、携帯電話にバッテリーをはめたあとすぐに。
私はあの子のLINEアカウントをブロックして、IDの検索もできなくして。
電話番号も、着信拒否にした。

電源が切れてる間に受信したLINEのメッセージは一通もなかったみたいだけど。
そのままでいるのは……怖かったから……。

それから、まだ不安だった私は、バッテリーが外れてから動作が不安定だってことを口実にして、機種変更をして電話番号も変えた。

その上メールアドレスも変えて、スク生のアカウントも取り直すことにした。

こうして、私はあの子からの接点をすべて断ち切ったの。

……一方的に。

 

301:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/01(日) 22:06:23.56 ID:XLaWpriDa.net

だから今、あの子がどうしているか。私には全くわからない。

怖くて、あの子から逃げ出したくて。自分勝手なことをしたって……。
今は、とっても後悔してる。

でも、あのときの私には、憧れる以外何も無かったから。
知った風に哀れむだけで、あの子と同じ景色を見てあげることは、決してできなかったから。

だけど。
色んな人のおかげで、私もこうしてスクールアイドルを始められた、今なら。

胸を張って、あの子にこう言える気がする。

待ってるよ。
だから一緒に、もう一度。私とスクールアイドルのこといっぱい話して。
一緒に踊って、一緒に歌おう?
辛いことがあったら、一緒に悩んで、一緒に苦しんで、一緒に答えを出したいよ。

いつか、あの子に直接会って。
そうして、二人並んで笑い合えるその日がくることを……信じてる。

 

302:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/01(日) 22:09:41.50 ID:XLaWpriDa.net

鞠莉「ダイヤ!大活躍じゃない!さすがビッグシスターね、ソークール!!

ダイヤ「うるさいですわよ鞠莉さんっ。それに、私は理由も飲み込めずにただルビィを叱ってただけじゃない

果南「おやおや、ダイヤが珍しく照れてるよ?怖くて眠れない妹を優しく寝かしつけてあげといて、それはないんじゃないかなぁ

ダイヤ「もう!バ果南!今は私の話が主題ではないでしょう!

ダイヤ「……それに、ルビィ?
 その話を怪談として語りたいのでしたら、ちゃんと私からの視点も持ち込まないと。話に厚みが生まれませんし、どこか内容が不安定なままですわ

ルビィ「え、と……あ、そうだった

ルビィ「あの夜。お姉ちゃんが私の部屋に来たのは、深夜に私の部屋の窓がガチャガチャうるさかったからで。そして、私が泣いてたのは変態さんが窓でいたずらしてるからだって思って……。
 とにかく、あの子の叫び声や笑い声は、まったく聞こえなかったんだって

果南「そ、そうなんだ……(ゾクッ…)

 

303:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/01(日) 22:11:29.69 ID:XLaWpriDa.net

梨子「生きてる人間が魂を分割して飛ばすなんて。そんなことができるか、俄には信じられないけど……ひとまずできたとして、その子自身に危険は無かったのかな

曜「良くは、ないんじゃないかな……ルビィちゃんの話だと、やってきたその子の様子、なんだかおかしくなっちゃってたみたいだし

花丸「ルビィちゃんの言ってた古文の話は、多分生き霊を扱ったものだと思うけど。その中でもやっぱり、本人にも良くない影響を与えたって話がほとんどずら

善子「まして、自分の意志で帰ったんじゃなくて、事故的に繋がりが途絶えたとなると……ね……

千歌「……色々あったけど……。
 今はその子も元気でいて……いつか、スクールアイドルの私たちを……ルビィちゃんを見て。また楽しかったころの2人に戻れるといいね

ルビィ「うん。だから私、これからもスクールアイドル……もっともっと、頑張るんだ!

 

・黒澤ルビィ
『電波の話』 おしまい

 

304:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/01(日) 22:13:41.72 ID:XLaWpriDa.net

 

あの夜のことがあってから。私はお母さまにそれとなく頼んで、夜の屋敷の警備を少し厳重にして貰った。

&8195;

 

305:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/01(日) 22:16:40.89 ID:XLaWpriDa.net

それからしばらくして、長く屋敷の警備を任されていた子飼いの黒服が数名、ほぼ同時に暇を求めてきた。

なんとかなだめすかし、引き止めることはできたものの。
最後にこればかりは、と。屋敷の夜警任務だけは外して欲しい旨を懇願してきた。

口を揃えて寄る年波には敵わないとうそぶいてはいたが、まだ全員40にも届かない精鋭揃いだ。

何か、隠しているのだろうか。

夜……。屋敷の警備……。

時期はぴたりと符合しているが、おそらくは偶然の産物だろう。
よもや、寝ぼけた可愛い妹の言葉が現実だったなどと、笑い話にもならない。

『窓に……窓……に……あの子の、顔と両手が……きてるよ……

悪夢に苦しむ妹の額を、明け方まで拭ったあの夜。
小さな口がうわごとのようにこぼし続けた言葉が、今になって私の心に冷たい影を落とす。

ありえない。

そう自分に強く言い聞かせるけど、ふと気が付くと。名前もわからない不安が、再びぬるりと心に忍び込んでいるのだ。

それでも。

今日も私は、言い聞かせる────

深夜。窓の向こうから風に混じって聞こえてくる、形容しがたい不気味な笑い声など、存在しないのだ。

────ただひとこと。

ありえない。と。

「えっ……えっえっ……

・黒澤ダイヤ
『電波の話(異聞)』 おしまい

 

 

310:鏡の話(茸)@\(^o^)/ (スフッ Sdaa-XCM5) 2017/01/01(日) 23:35:32.95 ID:0Cm9Ozmld.net

 

花丸「その夜もオラは、こっそりその鏡に自分の姿を映しました

 

311:(茸)@\(^o^)/ (スップ Sd4a-XCM5) 2017/01/01(日) 23:37:14.01 ID:KfoAJQH9d.net

もうすっかりこの鏡に魅せられてしまったマル。

あんなに好きだった本をお家で触らなくなってから、もうどれくらい経つのかな。

本を読んでいる以上に違う世界を教えてくれて。
文字からは想像するしかできない、感覚の伴う経験をさせてくれて。
物語に触れるだけじゃ知ることのできない、新しい感情や思いに心震わすことができて。

そのときのマルには、すべてにおいてこの鏡が本の代わりとなるものでした。

「こんばんわ、鏡さん。今夜はマルに、どんなマルを見せてくれますか?

座卓の引き出しが開かれ、その中に収められた鏡にマルの姿が浮かび上がる。

そして、いつもの目のくらむみたいな感覚に襲われたあと。
気が付けばマルは鏡の中で、見たことのない別のマルになっているのでした。

 

312:(茸)@\(^o^)/ (スップ Sd4a-XCM5) 2017/01/01(日) 23:39:02.68 ID:KfoAJQH9d.net

マルがその鏡と出会ったのは、Aqoursに入れてもらってしばらく経った、ある休日のお昼過ぎのこと。

えっと、みんなも覚えるかな?
その日はまだ梅雨前なのにとっても暑くて。
まだ暑さに慣れてない体のせいもあって、午前中の練習も半ばなのにくたくたになってしまってオラたちは。誰からともなく今日はお昼で練習を打ち切って、これからの暑さに備えようって話に……。

あっ、果南ちゃんたちはまだいなかったころだったね……なんだかもう、ずっといっしょにスクールアイドルやってるような気がしてたずら。

とにかく、一足早い夏の気配が訪れていた、そんな日の昼下がり。

へとへとになってお家……つまり、今みんなといるこのお寺に帰ったマルは、シャワーで汗の始末をしたあと。
物置から引っ張り出した扇風機で今年初の『あ゛~゛っ』をする元気もないまま、縁側でしばらく風に当たって一休みしてたんだ。

 

313:(茸)@\(^o^)/ (スフッ Sdaa-XCM5) 2017/01/01(日) 23:42:55.65 ID:/cs/Szxld.net

だいぶ暑さにも慣れた気がして。
これなら日が暮れてきたら、いつもこっそり聖歌の練習をしてる中庭で、スクールアイドル向けの歌を歌うためのぼいす、とれー……にんぐ?……で、あってたずら?
……ううっ、とにかく、発声練習ができるなって思ったんです。

マル、聖歌はたくさん歌ってきたけど。らいぶで千歌ちゃんたちが歌ってたような曲や、いつもみんなが携帯電話で見せてくれる動画みたいな今風の歌には、そのころはどうしてもまだ馴染みがなくって。
足を引っ張るようなところはひとつでも無くしたかったから。聖歌隊の先生とかに相談して、そういうの、こっそりやってたんだ、えへへ。
結局いっつも新曲のたびに歌い方を理解するのがいちばん遅くて、ほとんど意味がなかったみたいだけど……。

とにかく、そんなことを考えてたら。

玄関の方から「ごめんください」って、遠慮がちな響きで若い女の人の声が聞こえてきたんです。

ちょうどじいちゃんや家の人たちはみんな予定があって、その時間は誰もお寺にいなかったみたい。

そんなときはマルが要件を聞いて、あとでその旨を家の人に伝えるのが小さい頃からの決まりになっててね。
だからそのときもマルは「はーい」って返事をしてから、まだちょっとくたびれた体を起こして。その人の話を聞くために玄関へ向かいました。

 

316:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/01(日) 23:51:41.80 ID:XLaWpriDa.net

お寺の敷地にある建物の総称を伽藍(がらん)って言って、普段マルたちが住んでるのは庫裏(くり)って呼ばれるお家の部分なんだけど。
マルのところはそんなに大きなお寺じゃないから、お寺の事務的なお仕事をする寺務所と、庫裏が兼用になってて。マルがお留守番してるときはこういうことが結構あったんだ。

廊下の途中、電話のところでメモ帳と鉛筆を忘れずに回収してから。

「はい、おまたせしましたっ

って声をかけながら、玄関をガラガラって開けたんだけど。

あれ?

扉の向こうには、誰もいませんでした。

おかしいなって思ってきょろきょろ辺りを見回していると。玄関の脇に、ちょっと大きな紙袋が置いてあったずら。

 

317:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/01(日) 23:52:57.56 ID:XLaWpriDa.net

こんなのマルが帰ってきたときにはなかったよなぁ、って首を傾げながら持ち上げると。思ったよりずっしりとした重さが手に伝わってきます。

いったい何が入ってるんだろうって中をのぞき込むと。
紫の風呂敷みたいな布に包まれた楕円の形をしたものと、封筒が入っていました。
そして、白い封筒には筆じゃなくて多分マジックペンか何かで書かれた文字で。

『お焚き上げ料』

って書かれているみたい。

あっこれは。
ってマルは思いました。

オラがお留守番を任されるようになったころに、じいちゃんに言われたことを思い出したからです。

 

318:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/01(日) 23:53:53.40 ID:XLaWpriDa.net

『うちではお焚き上げ供養はやっていないから、そういうことを求めていらっしゃった方にはそのように説明してお帰り願いなさい

(どうしよう……

『どうしても……という方は直接じいちゃんが話を聞くから。お待ちになっていただくか、時間や日を改めてもらうようお願いするんだよ

(これじゃあ……

『お炊き上げ供養はね、難しいことを言うかも知れないが、少し前に決まった法律で、行うことが難しくなってしまったんだ。だから、うちでは行うことができない

『唯一できる供養は、安置……静かな場所で安らかに眠ってもらうものだけど……花丸だけでそれを行うために必要なお話を聞くことは、とってもとっても難しい

『どれくらい難しいかと言えば、じいちゃんでさえも難しいくらいなんだ。
 だから、ひとりのときに供養のお願いをしてくる人がいたら。きちんとそうお話して、必ずその品を持ち帰ってもらうんだからね

 

319:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/01(日) 23:54:32.90 ID:XLaWpriDa.net

マルは、とっても困ってしまいました。

どうやらお客さまは、マルの返事が聞こえなくて留守だと思い。供養希望の品を包み金といっしょに置いていってしまったみたいだからです。

そのことに気付いたマルは、紙袋を持って急いで石段を駆け下りました。

だけど、玄関に声をかけられてからそんなに経っていないはずなのに。
この紙袋を置いていったと思われる女の人はおろか。誰一人として人と出くわすことはありませんでした。

石段の下で、暑さとは別の汗がオラの頬を伝っていました。

これじゃあ……。

これじゃあまるで。
その女の人は焚き上げ供養の品から少しでも早く逃げ出したかったみたいに、感じられて。

 

320:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/01(日) 23:58:42.82 ID:XLaWpriDa.net

途方に暮れたオラは、とりあえず居間に戻っていました。

留守を任されている間に、行き違いとは言えやってはいけないと言いつけられていたことをやってしまい。
どうにかしたい気持ちが募ったマルは、焦っていたのかもしれない……ずら……。

何か連絡先や身分の分かるものが無いかを探して、机の上に紙袋の中身を広げたんです。

でも、すぐに紙袋の中には封筒と、紫の風呂敷に包まれた固くて少し重い、丸い形のものしか入っていないことがわかります。

マルの微かな期待を裏切るように『お焚き上げ料』とだけ書かれた随分と分厚いその封筒に、なんとなく不安な気持ちがいや増していきました。

流石にじいちゃんたちに勝手で包み金の中身を改める訳にもいかなくて。
紙袋を逆さにして揺すってみたり、封筒に何かが書かれて消されたような跡がないかためつすがめつしてみたり。
持ち主に繋がる僅かな手がかりが無いか、それでもマルは必死になって探し続けたのでした。

 

321:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/02(月) 00:01:15.81 ID:38vHnXNMa.net

それは、風呂敷の皺や結び目の合間に名刺の類いが挟まってやいまいか、確認しているときでした。
結び目の下まで覗こうと指先を差し込んだ拍子に、それが解けてしまったのです。

抑える間もなく、解(ほど)けた結び目は差し込んだ指に引っ張られた勢いでぱさりと広がりました。
手触りの良い上質な風呂敷のために、結び目が滑りやすかったんだと思います。

(しまったずらっ

とっさのことになぜかマルは目をつむったんだけど、しっかりと中身は見えてしまっていました。

一瞬目に入ったそれは、金色の縁に細やかな細工が施された、美しい鏡のようでした。

まぶたの裏に残像みたいに蘇る鏡は、とても趣のあるもののように思われて。
いつまでもこのままでいるわけにはいかない上に、どうせ見てしまったんだからと考えたマルは。観念するみたいにそっと目を開けて、鏡を風呂敷に包み直すことにしたのです。

 

322:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/02(月) 00:02:28.60 ID:38vHnXNMa.net

目を開けたマルが見つけたのは、やっぱり鏡でした。

壁にかけて少し離れれば、ちょうどマルの胸から上が楕円に切り取られて映り込むくらいの、少し大きめなもので。
鈍い金色の縁に施された彫金は植物の蔦をあしらった綺麗な模様を描いていて、無意識に指先でそっと撫でてしまったくらいです。

血にまみれていたり、思わず目を背けたくなりそうな強烈な違和感を感じたり。
警戒してたようなおどろおどろしい見た目からはかけ離れたその鏡の美しさは。
マルにそのとき、それが供養希望となるような身も凍る逸話を持っているものだという警戒を、一瞬忘れさせてしまうほどでした。

だから次の瞬間。無防備に鏡を起こし、正面から自分の顔をその中に映し込むようなことをしてしまったんです。

鏡に映ったのは、マルでした。
だけど、どこか違うんです。

どこが違うんだろう。

そんな小さな疑問を理解し終わる前に、マルは強烈なめまいに襲われていました。

 

323:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/02(月) 00:06:02.49 ID:38vHnXNMa.net

めまいが去ったとき、マルは地面を蹴っていました。
蹴って、蹴って、蹴り続けていました。

最初の違和感は、着心地。
つい数秒前までこの身を包んでいた部屋着は、ぴっちりとして練習着や体操服よりずっと動きやすい……だけど、被服が本来持つ体温調節や皮膚の保護っていう目的をほとんど放棄したような、不思議な服を着ていたんです。

そして、自分が今走っている理由を思い出せないまま。どうしてか走らなきゃいけないってことだけは理解できている、不安定な自己認識。

そんな混乱したマルを無視するように、素早く一定のリズムで地を蹴る音は続きます。

たったったっ……たっ!

小気味いいそのテンポに、徐々に風を切る心地よさが加わるころ。
マルは一瞬の緊張を経て、世界のすべてを飛び越すような浮遊感の中にいました。

 

324:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/02(月) 00:07:46.07 ID:38vHnXNMa.net

(あ……マル、とんでる……

経験したことのない極限まで緊張のそぎ落とされた身体の脱力、しなり。
そして、反転した僅かな緊張に続く、下半身が爆発したんじゃないかって思うようなエネルギーの発散。

まるで、オラの身体ではないみたいでした。

マルは、こんな体の動かし方は知らないし。
それに、こんな動きについてきてくれる体も、たぶん持っていなかったから。

体だけじゃなくて、頭までふわふわした感覚に包まれ始めたころ。

足元に突然つかみ所のない衝撃が走って、マルはでんぐり返しをするみたいに前の方に倒れこんだずら。

倒れたはずなのに、全然痛くなくて。
むしろ勢いをうまく殺して次の瞬間にはすっくってその場に立ち上がっているマル。

そこへ浴びせかけられる甲高い声援を耳にしながら。今自分が立っている場所が、赤と緑と白で色分けされたひろーい空間の端にある、公園の砂場みたいな一隅だって気が付きました。

そして、どこかこの場所には不釣り合いな印象のある砂場に、いつの間にかマルと入れ替わりで同じ格好をした数人のひとたちが入ってきて。きびきびとした動きで砂場の表面を見ながら何か作業をしたかと思うと、そのうちの一人が大声で、こう叫んだんです。

『6メートル32!!

 

325:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/02(月) 00:08:43.41 ID:38vHnXNMa.net

再び沸き立つ歓声。

上がらない赤旗を何度も確認しながら、マルは自分の内にとてつもない喜びの感情が満ちていくのを、ただ、静かに噛みしめている。

体を限界のその先を超えて、意のままにした実感に打ち震える心。

達成感。充足感。そして、万能感。

目の前の出来事の意味は理解できていながら、それでも自分の置かれた状況はまったく整理できないマルの意識を置き去りにして。
目まぐるしく景色と時間は巡っていきました。

……。

えっとね。要するになんだけど……。

 

マルは、陸上の選手になってたの。

 

 

326:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/02(月) 00:09:53.41 ID:38vHnXNMa.net

歪む視界。

再び訪れた強烈な立ちくらみに翻弄されたあと。
オラは鏡を覗いた姿勢のままで、居間にいたことに気が付きました。

せっかく汗を流した体に、水気を吸った部屋着が張り付いて……ちょっとだけ気持ち悪い。

「今のは……

無意識に零れた疑問の言葉。

そのとき。鏡の中のマルの瞳が、まるでそのひとりごとに答えるように。
自信に満ちた力強い煌めきを宿して、オラを貫いていたのです。

 

327:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/02(月) 00:11:41.53 ID:38vHnXNMa.net

『『キャ~ッ!!国木田さぁあんん!!

『本当によくやったね、国木田

『信じてたよ……センパイ

『……負け、ちゃったか……。
 でも、マルちゃんにだったら……それも悪くないかな

『……全国高等学校総合体育大会、陸上走り幅跳びの部。優勝……

耳に蘇る誰かの言葉の数々。
そして。

「はっ……は……はぁあっ……くっ……

肺を底から搾るような、言葉では言い表せない息苦しさ。

ぎっ…ぎぎぃ…

軋り、硬直し、やがて千切れるまでいじめ抜かれた筋肉の激痛。

一瞬の栄光のために。交わした大切な約束のために。
耐え抜いた艱難辛苦の日々を。

覚えてた。思い出せた。
まるで、自分の記憶のように。

 

328:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/02(月) 00:14:15.45 ID:38vHnXNMa.net

この日、めまいに襲われる直前に感じた違和感の正体は。
それらを経て培われた人格にだけ宿るような自信の火が、鏡の向こう。マルの瞳の奥で、静かに揺れていたせい。

確かに鏡に映ったマルは、マルだった。

だけど。

今も、初めて鏡を覗いたときと変わらないその瞳が。
鏡の向こうにいるオラが、”国木田花丸”じゃないってことを、教えてる。

マルはその鏡がどうしてここにあるのか、ようやく理解できました。

その鏡は、『自分じゃない誰かを映す鏡』だったずら。

 

329:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/02(月) 00:15:43.74 ID:38vHnXNMa.net

理解できた瞬間。体が震えだした。

常識を越えた現象を目の当たりにして、怖かったんだと思います。

自分のありのままを映すはずの道具の向こうで微笑んだ、オラのものじゃない力強い表情が……恐ろしかったの……。

だからマルは、その鏡をそっと風呂敷に包むと。紙袋に戻して……そして。

 

330:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/02(月) 00:16:50.60 ID:38vHnXNMa.net

────誰にも見つからないようにこそこそと。自分の部屋に、持っていったんだ。

 

 

331:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/02(月) 00:17:55.61 ID:38vHnXNMa.net

怖かったはずだった。恐ろしかったはずだった。
そして、悪いことだって……分かってた。

正式な依頼があったわけじゃないけど。供養のために持ち込まれた品物を、じいちゃんたちに秘密でねこばばしちゃうなんて……。
自分がこんなことをするだなんて、考えたこともなかった。

それでも、手元に置いておきたいって、思っちゃったんです。

恐怖と、罪悪感に勝る誘惑。

それは、怖くて恐ろしいはずの、鏡の向こうのマルじゃない誰かの瞳の色が。交錯した記憶が。共有した体験が。
どれも、マルの知らないものばかりで。
なにか……とっても得難い貴重なもののように、感じてしまっていたから。

それは、オラの記憶の一番底。

時間を忘れて読みふけり、最後のページを閉じたあとに感じた、初めて本の世界に────読書に溺れた末の、あの、現実に置いてきぼりにされてしまって泣きたくなるような。
胸でわだかまる寂しさに通じている気がしたんだ。

 

332:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/02(月) 00:19:00.93 ID:38vHnXNMa.net

それからオラは、色んなオラと出会いました。

聞いたこともない言語で喉を枯らし、身振り手振りを交えて雄大に演説するマル。
たぶんそれは、学生たちの集った権威ある外国語スピーチ大会での光景。

万座のステージの上。たくさんの仲間たちと奏で上げた情熱的なシンフォニー。
ヴィオラの弦を抑える指の僅かな硬直が、悔やんでも悔やみきれない結果に繋がり、胸を苛んだ。

親友との未曽有の大ゲンカに枕を濡らすマルにも会ったし。
運命に彩られたスクリーンの中みたいな甘酸っぱい季節を送るマルもいた。

どのマルも今の自分からは想像すらできない、遠い世界に身を置いた姿ばかりでした。

だけど、そんなマルたちだからこそ。
最初はこわごわと。でも次第次第のうち、魅せられるように。

────鏡を覗き込む。

いつしかそれは読書に代わり。夜、お布団に入る前の日課になっていきました。

 

333:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/02(月) 00:19:40.79 ID:38vHnXNMa.net

その中で、マルは出会ったんです。

 

 

334:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/02(月) 00:20:41.48 ID:38vHnXNMa.net

マルはある日、鏡の中で歌を歌っていました。

鏡の中の女の子は、朗らかで、裏表がなくて、人懐っこくて、悲しむ誰かの顔を明るいものに塗り替えることのできる。
そんな、みんなに愛される素敵な魅力を備えていたのです。

だけど女の子は、自信が持てなかったずら。

大好きだけど、自分と違う可憐な親友の隣にいることに。────女の子であるということに。

 

335:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/02(月) 00:21:33.52 ID:38vHnXNMa.net

女の子はスクールアイドルだった。

最初は、引っ込み思案の大切な友だちの手を引っ張っていたら、気が付くと自分もやることになってて。

なんとなく始めたけど、でも、優しくて楽しい仲間たちとの日々と。そして、天井知らずに湧いてくるスクールアイドルの魅力に気付いて、いつしか真剣になっていった。

それでも女の子の心根には、いつもある思いが染み付いて、ずっとずっと……拭い去られることはなかったの。

 

”自分は、グループで一番かわいくないんだ”

 

 

336:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/02(月) 00:23:28.64 ID:38vHnXNMa.net

鏡は……。
マルは、ぜんぶ見てた。

履き慣れないスカートを、毎晩鏡の前で試してはこぼれる苦笑いを。
口元に伸ばしたルージュを引けないまま、やがてうなだれる制服姿を。
思い切って買ったワンピースを着ることもできずに、ただそこに映った自分へとあてがい、ため息を漏らすことしかできなかった女の子を。

……でも。

でもね、女の子は、変わったんだよ。

それは、変身────

遠い過去の戒めを。
必要以上の卑下を。
忘れられない躊躇いを。

全て脱ぎ捨てて。

背中を押してくれたのは、あの日女の子が最後の一歩を踏み出させた親友と。いろんな人との触れ合いの中で成長した、頼れる同級生。

そんな、優しい仲間たちに囲まれて。マルもいっしょに歌ったんだ。

鳴り止まない祝福の鐘に乗せて。

勇気のもてないすべての女の子たちへ宛てた、羽ばたきの賛歌を。
幸せに続く、道しるべの歌を。

『Love wing bell』……

 

337:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/02(月) 00:24:03.78 ID:38vHnXNMa.net

嬉しかった。

マルが憧れた女の子の、思い出に触れられて。
どうして彼女が”変身”することがてぎたのか、理解できて。

そして、マルにとってその鏡は、この夜から宝物になったんです。

 

338:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/02(月) 00:25:21.14 ID:38vHnXNMa.net

それが……。

それがきっかけだったのかはわからないずら。

もしかしたら、もっとずっと前から起こっていたことなのかも知れない。
それこそ、初めて鏡を覗き込んだあの日から。

でも、とにかく。

自分がよく”怖い夢”を見ているんだと自覚するようになったのは、そのころのことでした。

内容は覚えてなくて。
でも目を覚ましたとき、全身がぐっしょり汗だくになっていたり。かと思えば、胃が縮こまるような体の凍り付く感覚に震えていたり。
そのいずれにしても、とび起きたマルの目元には、今こぼれたばかりの涙のあとが、必ず残ってた。

だから、内容はわからなくても。
その夢が怖くて、つらくて、あるいはとっても悲しいものだってことだけは、目が覚めた瞬間に……理解できてたんです。

 

339:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/02(月) 00:28:41.50 ID:38vHnXNMa.net

夢に関係あるのか、これもよくわからない。

だけど、怖い夢をみるようになってから。
ふとした瞬間。身に覚えのない悪寒が体を通り抜けることが、増えたずら。

歩いていたら、急にわけもなく胸が苦しくなって……呼吸がうまくできなくなって、最後には気持ち悪さも襲ってきて。

とにかく、少しでも早くその場からいなくなってしまいたくなるんだ。
なんでそう感じるのか、まったくわからないまま……。

最初にそれを感じたのは、休日に訪れた沼津の駅前だった。
次は、善子ちゃんが案内してくれたとっておきの雑貨屋さんに行く途中の、少し暗い路地裏。
最後は、気分の優れないマルを休ませようと連れて行ってくれた、公園の中でした。

……あの日は、せっかく楽しい日になるはずだったのにごめんね、善子ちゃん……ルビィちゃん……。

はじめはただその日、単に体調がわるいだけなのかと思いました。
でも、日に日に悪寒を感じる頻度も瞬間も、どんどん増えていって……。

内浦の砂浜。学校の坂の下。そして、ついにはお家の前ですら。

よくわからないけど、いやな思いをすることが多くなって。
だから、それを忘れたくて、楽しさやわくわくを求めて。明るい感情を求めて。

いつしかより強く、マルは鏡を求めるようになっていきました。

 

340:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/02(月) 00:30:35.50 ID:38vHnXNMa.net

鏡を覗く。心が晴れる。
怖い夢を見て。嫌な感覚にも襲われる。鏡に頼りたくなる。
だからもっと鏡を覗く。おかげで心が晴れる。
そしてまた怖い夢と、正体の分からない悪寒に悩まされる……。

怖い夢。浸食される現実。そして、カタルシス(解放)。

なにが原因かもわからなくて。どうしたらいいのかもわからなくて。
この頃のマルは、きっととっても参ってたと思います。

だけど。だれかにそのことを相談したり、ましてや病院に掛かろうなんてことは、そのときのマルは露ほども思ってなかったんです。

だってマルには、鏡があったから。

いつか鏡の中のマルたちの夢のような活躍が、心躍る日々が、物語のような感動が。
そんな夢やちょっとした体調不良なんて、必ず追い払ってしまうはずだって。
……おかしいよね……。根拠もなく、そう信じていたんです。

鏡。鏡……。鏡があれば……。

 

341:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/02(月) 00:31:41.78 ID:38vHnXNMa.net

そんな状態が、どれくらい続いたんだろう。

とっても辛かったから、すごく長い時間に感じてたけど。
思い返せばそれは、たった一週間足らずのことだったずら。

マルはやがて、鏡を抱いて眠ることにしたのです。

鏡を見つめながらお布団に入れば。鏡の中のマルのまま眠れるんじゃないかって考えて。

そうすれば、仮に鏡の中のマルへ悪夢が訪れても。
現実のマルなんかよりずっと強い鏡の中のマルたちなら、怖い夢なんて気にも留めないんじゃないかって考えて。

 

342:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/02(月) 00:33:50.83 ID:38vHnXNMa.net

その夜マルは……夢を見ました。

とても……とても悲しい夢。
こんなに辛くて悲しいことがあるなんて、想像もしたことがないような。

それは、生き地獄。

 

女の子は。
駅前で拐(かどわ)かされて。
一番大切なものを奪われた。
それだけじゃ終わらない。
心と体に鎖を施され。
欲望にまみれた”誰か”にそれを引きよせられたら。
その度に同じだけ傷付けられた。
数えたくもないそれが本当に数え切れなくなったころ。
女の子はお母さんになった。
だけどお母さんは。
”誰か”たちに笑いながら女の子に戻された。
女の子は自分が人間ではないかもしれないことに気がついた。
人間はこんなふうには扱われないはずだから。
こんなふうには扱わないはずだから。
女の子が三回目のお母さんになったとき。
女の子はお母さんのまま逃げ出した。
女の子は人間になりたかったから。
こんなかたちであってすら。
女の子はお母さんになりなかったから。
その身から分かたれた人間の命を抱きしめることで。
自分が”人間だったこと”を取り戻したかったから。
でもお母さんの体はぼろぼろで。
…………。
逃げ出した遠いどこかの公園のトイレの中で。
お母さんはやっぱりお母さんになれなかった。
人間と呼ぶにはまだ早すぎる命の抜け殻を抱きながら。
何も感じなくなっていく意識の中で。
ゆっくりと顔を上げた女の子の視線の先には────

 

343:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/02(月) 00:35:54.55 ID:38vHnXNMa.net

鏡があった。

気が付くとマルは、お布団の中。
体を腕で支えながら。
下を向いて。
鏡を覗いていた。

────『■じゃなかった。』

吐き気がします。
涙も溢れています。
でもなによりこれは。
怖い夢は、夢じゃなくて。

────『夢じゃなかった。』

夢じゃなくて。

鏡を。
そこに映ったマルを、マルが見ていただけ。

いまならわかる。

それは多分、今日だけじゃなくて。

毎晩。毎夜。

マルは、こっそり目を覚まして。
人知れず、お布団を抜けだして。

座卓の引き出しにしまったはずの鏡を、暗闇の中に覗き込んで。

何度も。何度も。

ずうっと。

こんなふうに。

 

344:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/02(月) 00:37:37.76 ID:38vHnXNMa.net

「ぉ……ャ……

 

 

345:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/02(月) 00:39:27.25 ID:38vHnXNMa.net

そのとき。

マルの体と、お布団の影に隠れた鏡の下の方から。
何か、聞こえてきたんです。

「……ェ……ぁア……

聞こえるだけじゃない。
何かが、シーツの上を蠢くような感覚も。

「ぎゃ……ぁ……

それは、まるで。

「………………………………ぉぎゃあ…………

姿はまだ見えません。
でも、だんだんと。────這いずるように。
それはマルの視界へと確実に迫っていました。

体の芯から起こる震えのせいで、まったく動かせない視線の先。
鏡の中。世界の全てが透過する、屍のように虚ろなマルの瞳が淀んでいます。

「ホ……ギッ……

その瞳が、ゆっくりと細められ。
薄い笑みの表情をかたどったとき。

紫と緑の体表をぬたつかせ、小さな肉塊が鏡の下に現れ────

 

「んま…………マ……

 

346:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/02(月) 00:40:40.95 ID:38vHnXNMa.net

────ああ、そうだった。

────オラは”この子”の、お母さんだった。

────あの日駅前で声をかけられたのはマルで。

────言葉巧みに心の内に入られて。

────容易く純潔を奪われたのもマルだった。

────記録を残したって脅されて、泣きながら服従したのもマルだし。

────それから大勢の”誰か”たちに、何度も何度も弄ばれたのだってマル。

────駅前の車の中。路地裏の汚いたまり場。公園のトイレ。

────放課後の部室棟。夜の通学路に、ついにはお家の前。

────そうやって、ちょっとずつ日常を削り取らたから。

────だからマルもそれを思い出すみたいに。少しずつ身近な場所が嫌いになっていった。

────そうだ。

────全部、思い出した。

────マルは……ううん。

────マルって誰だろう。

────わたし。そう、私は。

 

347:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/02(月) 00:44:33.19 ID:38vHnXNMa.net

 

『花丸は、本当に本が好きだね

 

声が聞こえた。

 

『うん。本は良い。いろんなことを教えてくれるし、新たな自分の一面も見つけられる

誰かが、花丸っていう人に優しく語りかけているみたいです。

 

『だけど、忘れないで欲しいことが、ひとつだけある。いいかい

 

優しいはずのその声は、なぜだか今はとっても頭に響いて、ひどく痛みます。

『本に……物語にのめり込むあまり。本当の自分を見失うことだけはあってはいけないよ

 

痛い、痛い。うるさい。もうこれ以上は、堪えられない。

『花丸は、

 

あたまが、われて……

 

『花丸なんだからね

 

348:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/02(月) 00:45:37.58 ID:38vHnXNMa.net

「じいちゃん……

気が付くと、やっぱり鏡を覗き込んでいました。

布団の中。覆い被さるように映ったマルの顔は、髪が垂れこめて、なんだか別の人みたいです。

だけど。

「違う……違うんだよ……

悲しそうに歪んだ鏡の中のマルの顔。
それは、そのときにはもう、誰のものでもない。

「マルは……マルだから……

国木田花丸の、そのままの表情だったんだと。

「あなたじゃ、ないから……

……思います。

 

349:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/02(月) 00:48:42.96 ID:38vHnXNMa.net

花丸「それからマルは、じいちゃんのところにいって、ぜんぶ正直に話しました

花丸「留守番のとき、供養希望の鏡を置いて行かれてしまったこと。その鏡を覗き込んだときに起こった、不思議なこと

花丸「それに魅せられて、ねこばばしてしまったこと。やがてそれが、宝物になったこと。そして、実はそれはやっぱり、よくないものだったこと

花丸「じいちゃんは黙って話を聞いたあと……いっかいだけ、マルにげんこつをごちんとやってから……

『お前が取り込まれなくて、本当によかった

花丸「って……ぐすっ……そんなことを言いながら……ずっと、マルの頭を抱きながら、なで続けて、くれたずら……

花丸「それから……。それから、夜明け前に鏡を安置供養のための蔵に持って行って。
 2人で、空が明るくなるまでいろんなことをお祈りして。ありがとうもごめんなさいも、たくさんたくさん思いを込めて

花丸「そして、鏡に、お別れをしました

一同「「……

花丸「途中……気分の悪くなるようなこと、話してごめんね?でも、どうしても……話さなきゃいけないことだったから……

ルビィ「いいんだよ!花丸ちゃん!花丸ちゃんこそ、大丈夫?気分、悪くない?

花丸「ありがとう、ルビィちゃん。平気ずら(にっこり)

善子「あの日……

花丸「ん?

善子「あの日、つらかったはずのあんたに……なにも、できなくて……その……ごめ────

花丸「善子ちゃん、言わないで。頼らなかったのはマルだから。だから善子ちゃんは、謝らないで……

善子「なによぉ……言わせなさいよお……(手にぎっ)

花丸「えへへ……ごめんね。マル……わがままだから……
 ありがとう、善子ちゃん……(握り返して)

 

350:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/02(月) 00:50:47.69 ID:38vHnXNMa.net

梨子「……あの……花丸ちゃん。それから、鏡は?

花丸「わかりません……。あれからはもう見てないし。もしかしたらじいちゃんは、鏡の供養にゆかりのあるお寺に持って行っちゃったかもしれないずら

千歌「なんで最初から鏡は、その……女の子の物語を見せなかったのかな

鞠莉「ジュウショクさんは”取り込まれなくて”良かったって言ったんでしょ?
 いきなりショッキングなものを見せて怖がられちゃったら、まさにモトのモクアミってことなんじゃないかしら。お寺だけに!

曜「なんかそれ、合ってるようで全然意味違くない……?って要点はそこじゃなくて!

花丸「そういえばじいちゃんが、こんなこと言ってたな……

果南「マル?

花丸「本来鏡は窓みたいなものだから、窓がひとつだけ悪い働きをすることはない。鏡に曰わくが付くのは、覗く者の心のせいだ……って

千歌「え?それじゃあ今回のことは、花丸ちゃんが悪いって言うの?

ダイヤ「違いますわ、千歌さん。思い出して?この場合はそうじゃなくて……

千歌「……あ、そうか。このお寺に持ち込んだ女の子……

ダイヤ「おそらく、原因はその方ひとりだけではないのでしょうけど

梨子「ひとりじゃない、って……?

ダイヤ「そうですわね……

 

351:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/02(月) 00:57:16.77 ID:38vHnXNMa.net

ダイヤ「……曜さんにお聞きしますわ。
 もし覗き込めば、気になっている誰かの秘密が垣間見れるとお友だちの間で噂になっている鏡があって。現にそれだとされるものがご自分の手に渡ってきたとしたら。あなたはどうされますか?

曜「うーん……一回くらいは噂を期待して、覗いちゃう……か、な……

一同「「あ……

ダイヤ「気付きましたわね。おそらく鏡は、そうやって多くの人々の想いを映し出した

ダイヤ「最初は誰かの、退屈な日常に少しだけ刺激をもたらすためにでっちあげられた、とるに足らない思い付き

ダイヤ「でもそれは、たくさんの人の間を渡り歩き、次第次第に念を集め。やがてついには、鏡の向こうと”繋がった”

ダイヤ「実態を伴ってからは、加速度的に鏡は噂通りのものとして完成していったのでしょう。
 その過程で、たくさんの物語を蓄えながら

果南「マルが見たっていういろんなマルたちの姿は、そのときの……

ダイヤ「ええ、なぜなら鏡は窓。覗き込んだ向こう側は同じもののはず。鏡は別でも、そこに映るものはすべて繋がっている

ルビィ「そして花丸ちゃんも、見たんだよね。心の底から憧れていた、あの……

花丸「……(こくん)

 

352:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/02(月) 00:58:28.95 ID:38vHnXNMa.net

ダイヤ「ですが、人間の性(さが)というものは、ときにどうしようもない愚を犯すものです

ダイヤ「誰かが願ったのでしょう。最近人々の間でセンセーショナルに語られるようになった、あの凄惨な事件の真相を知りたい……と

曜「まさか、それが

ダイヤ「それは決して、願ってはいけない望み。ですが鏡は、心を持ち合わせない。噂に忠実なまま、鏡は彼女の物語をすくい上げ……反射した

一同「「……

ダイヤ「ところがその実現のためには、あまりに多くのものをすくい上げねばならなかった。
 その出来事を忠実に映すため、鏡は彼女の暗い感情と、そこに蠢く影すらとも根こそぎ繋がらざるを得なかったのです

ダイヤ「鏡が”呪われ”たのは、それからでしょうね。身勝手に哀れな魂を呼び起こした愚か者の口を借りるとするのならば、ですが……

鞠莉「ずいぶん、詳しいね……ダイヤ……何か知ってたの?

ダイヤ「……いいえ。鏡のことはすべて、憶測ですわ

ダイヤ「ですが、花丸さんの語られた陸上選手や、外国語の堪能な女史などには、ここ沼津周辺に出身の著名な方で心当たりがありまして

ダイヤ「……もちろん、”母親になれなかった女の子”のお話も、耳にしたことがあります

 

353:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/02(月) 01:00:18.53 ID:38vHnXNMa.net

曜「……。そう言えば、鏡の中の自分って、実は必ずしも完璧に前に立った自分の姿を見れているわけじゃないって話、聞いたことあるな

曜「それは、単純な光の反射の機構に。理想とか思い込みっていう人間の心理が介入してしまうからってことらしいけど。
 今の花丸ちゃんの話を聞いてて、私……なんでだろう、そのことを思い出したよ

梨子「それ、わかるかも……

梨子「鏡だけに限らないで、写真や、動画……。スクールアイドルを始めてから私、いろんな形でいろんな自分の姿を見てきた

梨子「その中でふと、こんなことを考える自分が生まれたわ

梨子「ときに力強く、ときに鋭く、ときに情感豊かに。そして、とある瞬間には、美しさすら感じさせる……ステージの上の私。
 それを見て、こぼれそうになる笑みをかみ殺しながら、私が私に囁くの

────『これがきっと、本当の自分なんだよ

梨子「……って……

 

354:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/02(月) 01:02:03.68 ID:38vHnXNMa.net

梨子「違う。そんなことは絶対にあり得ない。
 なぜなら、あの私は……みんなに……いろんな人たちに力を分けてもらって、その瞬間にだけ少しだけ指先でかすめることのできた。すべての女の子たちの願う、偶像としての形なんだから

梨子「だけど、ときどき。それを忘れて、その姿を自分だけのものだと錯覚して、独り占めしてしまいそうになる私もいる

梨子「そんな、とってもコントロールすることが難しい、自惚れや驕りっていう、歪んだ自信たち

梨子「花丸ちゃんは、鏡の映すたくさんの新しい自分っていう、それよりもっと身近で抜け出し難い誘惑にさらされて。
 同時に、辛くて悲しい思いもいっぱいして。一時は強い依存に陥るまでになったのに

梨子「最後。普通だったらその流れに身を委ねてしまいそうな瞬間を。
 たくさんの本に触れる中で培った心の芯と、おじいさんとの結び付きで、乗り越えたんだよね

すた…すた…

梨子「すごいよ……。ほんとに、立派だって思った……(握手ぎゅっ)

花丸「誉めすぎだよ梨子ちゃん……マルはそんな……

善子「そう?私はそうは思わないけど

ルビィ「ルビィも!…………ルビィも、そう思ったよ……

花丸「善子ちゃん……ルビィちゃんも……

花丸「ありがとう……マル、みんなのこと、頼らなかったのに……。
 ひょっとしたらそのせいで、Aqoursからいなくなってたかもしれないのに……

花丸「すごくないんだよ。マルはこんなにダメな子なんだよって、知ってもらうためにオラ、このお話をしたはずなんだよ?それなのに……

花丸「……オラのそばに”も”、こんなにあったかい人たちが、いてくれるんだ……

花丸「ほんとにマルって……ふふっ、幸せ者……なんだね……

 

・国木田花丸
『鏡の話』 おしまい

 

 

355:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/02(月) 01:03:20.88 ID:38vHnXNMa.net

花丸ちゃんは。

国木田花丸ちゃんは。
頭が良くて、かわいくって。優しくて、本が大好きで。
私の大切な、大切な、親友の女の子。

 

356:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/02(月) 01:04:15.55 ID:38vHnXNMa.net

花丸ちゃんが話してくれたお話は、奇妙さもあれば。心のあったかくなるようなところもあって。
でも、息ができなくなるくらい辛くて悲しい面も持っていた。

それでも。
思い返してみたら、他のみんなの話と比べると。あんまり”怖いところ”のないお話だったのかも知れない。

だけど私は、そのお話を聞きながら、ひとつだけ。
これとはまったく関係がないと思ってたある疑問に、答えのようなものが見つかった気がしたんだ。

 

357:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/02(月) 01:06:31.65 ID:38vHnXNMa.net

突然だけど、花丸ちゃんはかわいいだけじゃなくて、とっても女性らしいんだよ。

みんなといるときは結構おしゃべりでひょうきんなところもあるけど。
普段の教室とかでは物静かな雰囲気で。
授業中。なんとなく流し目で覗いた真剣に板書を見つめる横顔は、はっとするような可憐さと儚さが同居してて。
こっそり写真にとって飾りたくなるような絵になる一瞬で。

夕陽の差し込む図書室のカウンター。
物憂げに本のページをめくってる様子なんかは、女の子同士なのにため息すら漏れちゃうくらい大人っぽさや艶めきを感じたし。

何気なく歩いてる姿だって、背筋に芯が通ってるみたいにぴしっとしてて、礼儀や作法を知ってる感じが滲み出てるから。
実は私、同い年なのにお姉ちゃんみたいな気品を感じて、よく見とれてるんだ。

そんな、立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は……何だっけ?
とにかく、そのことわざを地でいく佇まいを備えた花丸ちゃんは、誰が見てもきっと女性として魅力的なんだけど。
それ以外にも、すごい武器をまだ持ってるの。

それは……。

 

358:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/02(月) 01:15:13.84 ID:38vHnXNMa.net

それは、スタイルの良さ。

私より小さな身長に、果南ちゃんとほぼ同じ数字の腰回りとお尻。そして、胸囲……。

これって、すごいことだと思うんだ。
果南ちゃんの身長でもあんなに麗しいプロポーションなのに、それを私の背格好で手に入れてるんだよ。

そんなの、もう奇跡みたいなものだよ。

つまり。
花丸ちゃんは、内から静かに溢れる魅力だけじゃなくて。
単純なシルエットだけでも人の目を惹くことのできる、女性の理想型みたいな女の子なんだ。

そんな花丸ちゃんだから、きっと誰よりスクールアイドルに向いてると思ったし。
そしてスクールアイドルを始めたら、間違いなくすごい人気を集めるんだろうなって確信してた。

 

359:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/02(月) 01:15:55.38 ID:38vHnXNMa.net

そして。

いくつかのPVやステージを経て、花丸ちゃんの人気は私の予想を超えて、爆発的なものになった。

私は最初。やっぱり花丸ちゃんは、突出した女の子なんだなって考えて、さらに認識を改めただけだった。

千歌ちゃんや鞠莉ちゃんなんかが、花丸ちゃんは天性のアイドルだったんだって。とっても興奮しながら交わす会話に、私も自分のことみたいに喜びながら参加してたな。

でも、いつからか。
自分でPVやライブを撮影した動画を何度かチェックしてるうちに、気付いたことがあったんだ。

 

360:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/02(月) 01:19:36.79 ID:38vHnXNMa.net

私のためを思って動いてくれるまで、きっと自分がスクールアイドルを本当にやることになるなんて、考えたことのなかった花丸ちゃん。

だけど、動画の中の花丸ちゃんは……なんて言えばいいんだろう。

見つめていると、鼓動が早くなってしまうような、呼吸が少し乱れてしまうような、耳の後ろが熱を帯びていくような。
そして、ついにはじっと見ているのがなんだかちょっとだけ気恥ずかしくなってくるような。

そうだ。

人を興奮させるような仕草や表情を、まるで自然な様子で披露していたの。

この場合の興奮っていうのは。気分が盛り上がるとか、心が弾むとか、そういうことじゃなくて。
つまり。女性としての”性”を潜在意識に訴えかけて呼び起こされる、そういう意味での”興奮”のこと。

何でもないはずのポーズを決めながら組んだ腕にふと寄せ上げられた、大きな胸。
カメラに向かって切った視線から送られる、艶めく秋波。
ダンスの合間に何気なく腰をなで上げた指先の生む、官能的な連想。

 

361:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/02(月) 01:21:28.26 ID:38vHnXNMa.net

それらのことに気付いたとき。
私は、花丸ちゃんは”そんな一面”すら引き出しに備えていた、やっぱり天性のスクールアイドルなんだって強く感心して、納得しかけた。

納得しかけて、それからやっぱり変だって思った。

立てば芍薬座れば牡丹……の、あの言葉を体現したような、様々な奥ゆかしさを備えている花丸ちゃん。

だけど、そんな花丸ちゃんだけど。
同時に、あんなにも悩ましい身体をも持っている花丸ちゃんだけど。

私は一度として、花丸ちゃんがその身体をひけらかしたり。あるいは服装や仕草で少しでもそれを強調するような場面を、目にしたことはなかったから。

私はそろそろ片手で足らなくなってきたAqoursの動画の、花丸ちゃんの映り込むシーンを何度も何度も確認しながら。
いつしか、こんなことを考えるようになってた。

動画の中の花丸ちゃんは。

”この子”は。

────まるで、別人みたいだ。

って……。

 

362:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/02(月) 01:24:46.16 ID:38vHnXNMa.net

今日。
花丸ちゃんは不思議な鏡と、そこに映るたくさんの”自分じゃない誰か”の話をしてた。

 

────自分じゃない誰か────

 

その言葉を花丸ちゃんの口から聞いた瞬間。体の中を冷たい空気の流れが、ゆっくりと時間をかけて吹き抜けていった気がした。

花丸ちゃんの語りが巧みで、話に引き込まれるあまり象徴的なその言葉に、単にぞくりとしてしまっただけだ。

そう結論付けながら。
どうしてかだんだんと続きを聞きたくなくなっていく花丸ちゃんの話から、だけど耳が離せなくなっていく。

話はやがて、ある女の子の話に行きついた。

女の子はたくさんの男たちに、幾度も幾度も弄ばれた。

────弄ばれた数だけ。きっと女の子は望まずとも、やがて性を掌握する術を身に付けることになる。

花丸ちゃんは鏡を通じ、その女の子として何度も悪夢を記憶と経験に刻みつけることになった。

────それは、本当に夢だけとして?

でも花丸ちゃんは、最後のみぎわに自分を認識し、取り戻すことができた。

 

────本当に、取り戻したの?

 

363:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/02(月) 01:26:30.27 ID:38vHnXNMa.net

……。

花丸ちゃんは。

国木田花丸ちゃんは。
頭が良くて、かわいくって。優しくて、本が大好きで。
私の大切な、大切な、親友の女の子。

そう、優しいんだ。

花丸ちゃんは、本当に、とっても優しいんだよ。

お姉ちゃんに自分の思いをぶつけることをしないで。やりもしないで勝手に納得したふりをして、諦めようとしていた私のために。

きっと恥ずかしくて仕方なかったはずの自分のコンプレックスを押し殺して。
私の手を引いて、背中を押してくれた。

善子ちゃんへだって、ひとりぼっちになってしまわないよう、いつも寄り添うことを忘れないで。
学校から遠ざかっていた彼女のために、自分の時間を割いては足繁くその家に通ってた。

そんな、自分の痛みを度外視して誰かのために動けちゃうような。
優しくて、だからちょっとそのことが心配になってしまう女の子。

そうなんだよ。

花丸ちゃんは優しいの。

優し”すぎる”の。

 

364:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/02(月) 01:27:58.52 ID:38vHnXNMa.net

その暗くて、救いのない夜にあっても。
きっと花丸ちゃんは、こう思った。
思ってしまったんだ。

 

365:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/02(月) 01:28:58.36 ID:38vHnXNMa.net

「違う……違うんだよ……

「マルは……マルだから……

「あなたじゃ、ないから……

『……だけど

 

『だけど、マルは、あなたじゃないけど

『あなたの望むとおり、お母さんにもなってあげられないけど

『あなたが感じたかった、”人間であったこと”が。もしマルの体を通して感じられるなら

『いいよ……。マルの体を。心を。環境を

『オラと2人で……共有しませんか────

 

366:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/02(月) 01:30:12.90 ID:38vHnXNMa.net

こんなのは全部、妄想なんだろう。

花丸ちゃんは知り合ってから今まで、ずうっと私の知っている花丸ちゃんのままだし。

スクールアイドルのときに顔を覗かせる扇情的な彼女も、元来備え持っていた単純な才能なのかもしれない。

だけど、思ってしまったから。
私にはもう、否定しきれない。

そして……。
もし仮に、私の妄想が現実だったとしたなら。

私は、『花丸ちゃん』のために。
もしかしたら、もういなくなってしまったかもしれない『純然たる彼女』のために。

これから、いったいなにが……できるんだろう……。

 

・黒澤ルビィ
『鏡の話(異聞)』 おしまい

 

372:■■の話(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/02(月) 02:02:00.74 ID:38vHnXNMa.net

 

善子「この間、駅前まで本を見に行った、その帰り道でのことよ

 

373:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/02(月) 02:04:56.02 ID:38vHnXNMa.net

駅から家に続く道のりに、地元の人しか使わないような、ひときわ寂れた小路があるの。

とは言っても、両側を連なる一軒家に挟まれただけの、何でもない生活道路よ。
閑静な住宅街って言葉がとってもしっくりくるような場所。

とにかく、そこを歩いていたときだったわ。

車が両側から来てしまったら、どちらかがずうっと下がらないと道を譲れないような道を、夕焼けに包まれながら一人進む。

その足元で。

 

こつん…こつん がっ

こつん…こつん がっ

私は、さっきからずっと右足を出そうとするたび。
その靴の踵を、誰かに踏まれ続けていた。

 

374:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/02(月) 02:06:49.25 ID:38vHnXNMa.net

こつん…こつん がっ

学校でいたずらな誰かが、歩幅を合わせて前の人間の上履きの後ろを歩くたびに踏み続けているのを、何度か見たことがある。

歩こうとするその都度、動きの出鼻を抑えられ。軽くつんのめるこの感覚がこんなにも鬱陶しいものだって、私はそのとき初めて知ったわ。

どうりでいたずらされた側の誰もがすぐさま振り返って、わりとキツい文句を言っていたわけね。

でも。

こつん…こつん がっ

私に訪れているこの場合はもちろん、無視するのが一番だってわかってる。

こつん…こつん がっ

だってこれは、”人”の仕業なんかじゃないんだから。

 

こつん…こつん がっ

 

375:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/02(月) 02:08:30.95 ID:38vHnXNMa.net

…………。

まず最初に、背後から響く私のとは別の靴音が聞こえた。

住宅街とは言え、抜け道としては駅までしばらく掛かる上、狭くて、おまけにコンビニやスーパーに繋がるような道じゃないから、人通りは普段からかなり少ない。

極めつけに休日の夕方ともなると。この辺に住んでる人はさっさと家で夕飯を食べているか、それとも遠出からまだ帰っていないかで。
ちょうど人の動きが空白になる時間帯。

街灯もまばらな道行きに、その足音はずいぶん寒々しい響きで私の耳に届いたわ。

古本屋でいい買い物ができた余韻に浸るまま、なんだか独占していたひとりきりの家路を邪魔されたような気分になって。知らず知らずのうちに唇が尖る。

でも、私はすぐにその足音が変だって気が付いた。

 

376:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/02(月) 02:09:35.75 ID:38vHnXNMa.net

ここつつん ここつつん

 

 

377:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/02(月) 02:15:35.89 ID:38vHnXNMa.net

私の足音へ。まるで被せるように、後ろからよく似たリズムが徐々に間を詰めて響いてきた。

(あ。これ────

腰から首筋へ、氷を這わされたような冷感が駆け抜けた。
直感でわかったわ。これは、嫌なものだって。

ここつん ここつん

足音が少しずつ、だけど確かに重なっていく。

こコつん こコつん

合わされるのを嫌って密かにずらした歩幅をもあざ笑うように、音の同期は刻一刻とその精度を高めていった。

細く長い住宅街の隘路はまだ始まったばかりで、枝道もなく。引き返そうにも後ろを抑えられていてそれもできない。

(これに……つき合うしかない……

気の進まない考えに、嫌が応にも表情が堅くなる。

せめてその時間を短くしようと、歩みを早めた。

その瞬間だったわ。

 

378:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/02(月) 02:16:12.54 ID:38vHnXNMa.net

 

────がっ

 

 

380:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/02(月) 02:17:50.79 ID:38vHnXNMa.net

右足の踵に引っかかるものを感じて、姿勢が崩れる。

後ろの気配と音は、まだ数メートルは離れていたはずなのに。

突然の慣性運動の暴走に、なんとか転ばないよう踏みとどまる。

驚愕と危機感と恐怖とで、一瞬にして全身に鳥肌が回った私。

その、首の後ろで。

「くっ……くックフ……

喉の奥でかみ殺したような、不気味な笑い声が聞こえた。

(無────視!!

叫び散らしながら振り返りたくなる意識の反射を、経験と理性でなんとか抑え込んで。
私は何事もなかったかのように、再び帰り道を平然と歩き始めた。

 

381:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/02(月) 02:18:53.59 ID:38vHnXNMa.net

…こつん がっ

当然のように、踏み出そうとした右足の踵を襲う不快な邪魔立て。
だけど、不意打ちじゃなければ、歩みにそう支障のあるものじゃないわ。

こつん…こつん がっ

私にはこの障害感よりもむしろ。

「ヒッ……ひひっ……

いつこの笑い声が変質して、私をさらに嫌な思いへと誘うのか。

それだけが胸に重くのし掛かり、心を冷たく苛んでいた。

 

382:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/02(月) 02:20:22.63 ID:38vHnXNMa.net

こつん…こつん がっ

「うふっ

こつん…こつん がっ

「ひぇ……へへっ

黄昏時。

悲しいことだけど、こういう出来事に遭遇するのは慣れっこだった。

嫌だけど。
怖いけど。
我慢すれば、やがて終わる。
無視していれば、やがていなくなる。

それを知っているから、私は衝動を冷静に抑えつけることができたの。

だけど。

こつん…こつん がっ

「けケ……

こつん…こつん がっ

「くぷっ……ひぃ……ひ

そのときの”これ”は、いつもと違ってずいぶんとしつこかったわ。

こつん…こつん がっ

「ふうっ……フフ……ふっ

こつん…こつん がっ

「……ァ、はあぁあ……

不意に。

このままじゃおろしたてのお気にのパンプスのソールが、こんなことでいきなり壊されてしまうんじゃないかって。

そんなことが、頭をよぎったときだったわ。

「くひひひっひっ────

 

383:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/02(月) 02:21:01.04 ID:38vHnXNMa.net

「もうっ!いい加減にしてよね!!何が面白いって言うのよっっ!!
 

&8195;

 

384:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/02(月) 02:22:11.86 ID:38vHnXNMa.net

ついに我慢できなくなって。
振り返りざまに、大声で怒鳴っちゃったのは。

私のすぐ後ろにいたのは。赤い帽子と赤いジャケットで、赤いスカートに赤いヒールをはいた、黒いボブカットの女だった。

赤いマニキュアを染めた指先で口もとを押さえながら、にたにたと目を細める女と私の目が、ぱちりと合う。

固まっていた気味の悪い笑みの表情が、私の視線の先で少しずつ形を変えていく。

そして私は、再び全身を鳥肌に包まれたのよ。

 

385:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/02(月) 02:22:40.40 ID:38vHnXNMa.net

 

「なんっ────

「でよおおおおおお!!!!!なンで!!!なんっっでっ!!何でなんでナンでなんでぇええ……

「……ぇぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっ!!!!!

 

 

386:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/02(月) 02:23:48.95 ID:38vHnXNMa.net

子供のように感情を隠さず、意味不明に激昂する女の顔。声。

間を置かず。それに背を向け走り出した私の右太ももを、何か強い力が締め付けるような感覚が襲った。

それを無理やりなかったことにして、足を次から次へと前に送りながら。
それでも全く遠ざかることのない絹裂き声に、いつまでも耳を震わせて。

私は猛然と訪れた後悔と、こみ上げてくる胸の悪さを抱えたまま。

ただ家までの道のりを、息の限り駆け続けることしか、できなかったの。

 

387:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/02(月) 02:25:03.25 ID:38vHnXNMa.net

善子「逃げ出したといえば、こんな話もあったわね

曜「────ちょっ……ちょっとちょっと、まだあるの!?

善子「……?そうだけど(きょとん)

一同「「え、ええ~……

梨子「そんなに話どおしで……つ、疲れたんじゃない?一端休憩とか……

善子「……?別に、私は大丈夫だけど……あっ

ルビィ「どうしたの?

善子「……ううん……なんでも、ないわ……

花丸「?

善子「それじゃあ……あと、ひとつだけ……

 

388:■■の話(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/02(月) 02:25:50.51 ID:38vHnXNMa.net

 

善子「これも、やっぱり中学生のころの話よ

 

389:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/02(月) 02:27:51.80 ID:38vHnXNMa.net

学校の廊下に、”手”が見えたわ。

場所は2階の、私の教室の前。開いたままのドアからちょうど見えるくらいの場所。

それはお昼休みで。
昼食を終えてなんとなく自席から廊下を眺めていたら。いつの間にかそこにあるのに気付いたの。

珍しく教卓の前じゃなくて、廊下に一番近い川(※列のこと)の前の席だったときね。

寒くなり始めた季節だから、空気の冷たい廊下に近くて、やっぱりその席もハズレだったけど。

手は、廊下の床から生えていて。
見つけたときからずっと、手のひらを上に向けて佇んでるだけだった。

前衛アートみたいだな、なんて思って眺めていたら。
1人の女子生徒が通りかかるのが見えた。

 

390:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/02(月) 02:29:07.79 ID:38vHnXNMa.net

(あ、ぶつかる────

このままいくと、その子の足先が手にぶつかりそうだって思った瞬間。

手がその子の足にすごい勢いで掴みかかった。

その子は、つんのめるみたいに倒れこんで────

「うわっ!……びっくりしたぁ……ってあれ?なにもないじゃん……おっかしいなぁ……

……つんのめっただけだった。
そして、首を傾げてそこを後にする。

女子生徒が何事もなく立ち去ったことに胸をなで下ろしてから。
私は、その子と同じように首を傾げていた。

手があの子の足を掴んだ瞬間、確かにあの子が倒れたように見えたから。

(見間違えだったのかな……

そう思いながら手を確認すると。さっきと同じ場所に、同じ姿勢のまま佇んでいた。

 

391:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/02(月) 02:30:43.40 ID:38vHnXNMa.net

 

”……ってあれ?なにもないじゃん……”

 

ぞくり、と粘ついた冷気が。ゆっくりと背筋を伝い落ちていった。

手は、あの子には見えていなかった。
そしておそらく、多くの人にとっても同じはず。

そのことは予感していた。

だって、普通は廊下に手なんて生えているはずないんだから。

それとは別に。
何か、胸騒ぎがしたわ。

あの手は良くないものだ、って……。
私の今まで得た知識と、経験が。そう告げている気がしたから。

足音が聞こえる。また誰かが通るみたい。

(だめ……ここを通らせちゃ……

そう思って、席から立ち上がろうとして────

止める間もなく、足が駆け抜けていった。

 

392:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/02(月) 02:32:12.30 ID:38vHnXNMa.net

「こら!廊下を走るんじゃありません!

「あっ、ごめん先生!急ぎでさ!早歩きならいい?じゃね!

「あぁ!もう……。全く、あれで部長会の会長って言うんだから……

近付いていた足音とは別に、その後ろから廊下を駆け抜けてきた女子生徒がいたみたい。
どうりで止める暇も無いわけね。

とすると、これから近付く足音の主は、どうやら先生のものらしいってことがわかった。

そこまで考えてから、どうして私は今席から立ち上がったのかを思い出す。

それは、あの手がきっと良くないもので。
だから、誰かにあそこを通らせてはいけないと思ったから。

そして、確かにそのとき。
駆け抜ける生徒の足を、手が素早く掴んだのが私には見えた。

でも、今度は誰かが倒れる様子も見えず。
実際に人がつんのめることもなく。

手はさっきと同じ姿勢のまま、同じ場所にある。

どういうことだろう。

私は、さっき感じた嫌な予感に、そのとき一瞬疑問を挟んでしまった。

だから、その生徒に続いて歩いてきていた先生を止めることもできずに。
そこを通り過ぎるのを、ぼんやりと眺めていることしか、できなかったのよ。

 

393:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/02(月) 02:33:24.87 ID:38vHnXNMa.net

 

手が、近付く先生の足を目掛けてぬるりと絡まる。

同時に、先生が倒れるのが見えた。

 

394:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/02(月) 02:36:02.17 ID:38vHnXNMa.net

授業の資料を抱えた初老の女の先生が、口を小さく開けたまま廊下の床に引き寄せられていく。

そしてその後を。
全く同じ姿をした女性が────

 

ドサァ!

「え……?

倒れた。今度こそ、間違いなく。

「先生!!

先ほど廊下を走っていった生徒がすごい勢いで戻ってきて、倒れた先生に取り付いていた。
その声で我に帰った私も、その生徒に倣って先生に駆け寄る。

「先生……?大丈夫ですか!?……先生っっ!!?

様子がおかしい。

ただ肩から廊下に倒れただけなのに、先生は白目を剥いて痙攣を始めていた。

「え、なに?

「やだ……どうしたの……

騒ぎを聞きつけて、教室から生徒たちが廊下に溢れ出してくる。

「先生!!しっかりしてよ、先生……ねえっ!!

生徒の声が廊下に響き渡るのを聞きながら、私はさっき見た光景を思い出していた。

 

395:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/02(月) 02:36:46.31 ID:38vHnXNMa.net

”手”に足を掴まれて、先生が倒れるのが見えた。

でも、手が先生の足を掴んだそのときから。おかしなことが起こったの。

まっ先に倒れていく先生と。
それを追いかけるように倒れていく先生。

2人────

私には、倒れる2人の先生が見えていた。

 

396:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/02(月) 02:40:07.16 ID:38vHnXNMa.net

(手……手はどこ!?

私はその瞬間。
急に思い出したように手の存在が気になった。

でも、すぐに見つかった。
手は、先生の足を掴んだままだったから。

もう1人の先生の足を。

もう1人の先生の足って言うか、もう1本の先生の足……って言えばいいの?

とにかく。
手が掴んでいたのは、先生の”2本目の左足”だった。

(先生は2人のまま……

そう直感した。
と、同時に。

手が、少しずつ動いているのが見えた。

動いていると言うより、廊下の床に沈んでいってた。

変わらず、2人目の先生の左足を掴んだまま。

 

397:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/02(月) 02:42:19.96 ID:38vHnXNMa.net

この手が良くないものだっていう予感が、瞬時に確信へと変わる。
それと同時に。私はその手を、サッカーのシュートみたいに、思いっきり蹴り上げていた。

足の甲に伝わる、腐り切った卵を蹴飛ばしたような微かな、でも身の毛のよだつ感触。

得体の知れないものに触れてしまった気持ち悪さが。一瞬早く手への恐怖で生じていた鳥肌を上塗りして、足から全身を通り抜けていったのを覚えてる。

数人の生徒が。

────え? ────なに?

みたいな驚いた顔で、この場に不釣り合いな動きをした私を見つめていたことも……ね。

 

398:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/02(月) 02:44:04.28 ID:38vHnXNMa.net

先生は、次の瞬間には意識を取り戻して。
恥ずかしそうに笑いながら勢いよく立ち上がっていた。

「や……やだわ、何にもないとこで転んじゃうなんて。
 みんな、心配かけたわね。恥ずかしいところを見せたわ

まるで、気を失ったことなんて、なかったみたいに。

「え?保健室?大げさよ。……わかった、わかったから……

先生に付き添って、部長会の会長が歩いていく。

粗雑に見えて気配りのできる、気持ちの良い女の人だな。

そんなことを思いながら、ぞろぞろとめいめいの休み時間に戻っていく生徒たちに横目に。

私は廊下の壁に手を当てて、上履きの中を確認した。

ため息が漏れる。

私のお気に入りだった紺色の靴下。

その足の甲にプリントされた、白の六芒星の部分が。
熟れ落ちたミニトマトでも潰したみたいな気味の悪い汁で、べったりと汚れていたから。

 

399:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/02(月) 02:46:43.34 ID:38vHnXNMa.net

それから、”手”を学校で見ることはなかったわ。

でも、思い返せば。
今まで街中とかマンションの階段とかで。ときどき似たような手を見かけてたことがあった。

そして、手が生えていたところでは。決まってその後事故や人倒れといった、良くないことが起こっていた。

私がその日あの手を見て、良くないものだって思ったのは。きっとそれらの記憶のせいだったのね。

あの手は多分。
魂……じゃ少し観念的過ぎるかな……。この場合はもっと……。
そうだ。生命力みたいなものを、掴むんだと思う。

目的はその生命力だけど。あの手には掴んでそれを手に入れられるだけの力はなくって。
せいぜい生命力を掴んで、それにひっぱられた体をつんのめさせるくらい。

でも、掴んで。
理屈はわからないけど。つんのめさせる勢いで、体と生命力の繋がりを一瞬弱めることはできる。

そしてときどき。
手の近くを、体と生命力……意識って言い換えてもいいかもね。
その2つの結びつきが弱い人が通ってしまうと、転んだ拍子に体と意識が切り離されて。
その間に手に、生命力を持っていかれてしまう……。

 

400:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/02(月) 02:47:35.44 ID:38vHnXNMa.net

最初の生徒は、多分。あんまり運動が得意じゃなかったのかもしれない。
記憶が正しければ、家庭科部の子で。昼休みの活動をしに家庭科室へ向かっていたのか、その日も手には裁縫箱を抱えていたわ。

次の生徒は考えるまでもなくって。
全校集会の表彰式で何度も目にしてた、部長会会長も兼ねる県大会上位常連のスプリンター。

そして最後は。
間もなく定年を迎えられる、高齢の先生……。

先生が倒れたときの痙攣した様子を思い出す。

あれは、今思うと痙攣じゃなくて。
意識を無理やり引き剥がされそうになった身体が。その力に必死に抵抗しているような……。
そんな風にも見えなくなかった。

 

401:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/02(月) 02:50:44.81 ID:38vHnXNMa.net

…………。

えっと……。
間もなく定年って言ったけど、それは今の話で。
私が卒業した今も、先生はまだもう少しそこで勤められる予定だわ。

……、進路に悩む私に。

『環境を変えて、それでも貫きたい────あるいは変えられないことがあったとき。きっとそれを受け入れてくれる場所だよ

って、浦の星女学院(ここ)を薦めてくれたのも、その先生だった……。

だから、あのとき。
”手”を怖がりながらも蹴り飛ばすことができたこと。

それは、私の良くないことだらけの人生の中で。
数少ない、誰かに自慢したくなるようなことのひとつなの。

こんなこと、誰にだって話せるものじゃない。
でも、それが今日。こうして話せて、自慢もできた。

だから、私は今。
……とっても、嬉しいんだと思う。

────ううん……嬉しい!

だからね。やっぱり私は、Aqoursのことが。みんなのことが。

その……だ、だ……。

 

402:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/02(月) 02:51:33.72 ID:38vHnXNMa.net

 

大好き……です……。

 

403:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/02(月) 02:54:55.13 ID:38vHnXNMa.net

花丸・ルビィ「「善子ちゃん!!

がばっ!

善子「ちょっ……いきなりどうしたのよ2人とも!びっくりするじゃない!

ぎゅううう~

花丸「善子ちゃんこそ、ずうっと怖い話しときながら、最後にあんなの……反則ずら!

ルビィ「そうだよ善子ちゃん!私たちだって善子ちゃんのこと、大好きなんだからね……

善子「ずら丸……ルビィ……

鞠莉「私も、正直言ってやられちゃったわ。あんなに素直な言葉、むこうの国でもなかなか聞けないもの

果南「言葉に出して、伝える……今ならわかるよ。善子がどんなに難しくて、そして大切なことを私たちにしてくれたのか……

ダイヤ「それができなくて、私たちがどれだけの時間をすれ違って過ごしたか……本当に大切で、尊いことですわ

曜「うん、そうだね。……そう……だよね……

千歌「わわ、どうして曜ちゃん泣いてるの!?だいじょうぶ?善子ちゃんのお話、そんなに怖かった?

曜「だいじょうぶ、そうじゃなくって……だいじょうぶだから……ふふっ……

梨子「……くすっ

 

404:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/02(月) 02:56:54.89 ID:38vHnXNMa.net

ルビィ「でも……善子ちゃん……ほんとに、その……”見えちゃう”んだね……

善子「……そうよ

善子「その、大変……なんだからね……

花丸「うん……お話、聞いてるだけで伝わってきたよ。きっと、いっぱい……いっぱい苦労してきたずら……(なでなで)

千歌「それでも……

梨子「千歌ちゃん?

千歌「それでも。こんなに素直で……真っ直ぐなまま、今日まであってくれて────

果南「千歌……

鞠莉「ちかっち……

ダイヤ「……千歌さん

ルビィ「千歌ちゃん

花丸「千歌ちゃん……

曜「千歌ちゃんっ

梨子「────千歌ちゃん

千歌「そして、あのときAqoursに入ってくれて

善子「……千歌……

千歌「本当に、ありがとう……。善子ちゃん

・津島善子
『日常の話』 おしまい

 

406:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/02(月) 02:59:28.38 ID:38vHnXNMa.net

 

ヨハネはね、ほんとは天使だったの。

 

 

407:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/02(月) 03:03:16.42 ID:38vHnXNMa.net

だけど。美しくて力強く、魅力に溢れた私は。
怖がりで嫉妬深い神さまの不興を買ってしまいその資格を奪われ。
今は天界を放逐された堕天使に身をやつしているわ。

そんな過去があるから、当然主はなんの加護もこの身に与えず。
私はことある毎に不運に見舞われてきた。

天気のいい休日に傘を持たずに出掛ければ、目的地と家のちょうど真ん中辺りで通り雨に遭遇するのなんか序の口。
インフルエンザは予防接種をかいくぐる型を誰より早く毎年罹患して。
席替えのくじは必ず教卓の直近を引き当てる。おかげで堕天使のくせに成績は悪くないんだから。

大切な予定のある日に目覚ましは故障して、慌ててバスに乗り込めばそんな日に限って発生した大きな事故の影響で道路は大渋滞。
そこから、目的地で絶対に必要な書類を、忘れないようにって目立つように置いておいた机の上にほったらかしにされてることに気付くまでは、だいたいひとまとめね。

予定は私だけ後日へ延期されたけど、当然予備日は朝から記録的大雪。
家族の協力でなんとか会場にたどり着けたって、昇降口で雪に足を取られて庇った右手を亜脱臼する始末。
痛みはあまりないけど、力のうまくは入らない手首でミミズが這ったみたいな答案を5教科すべて仕上げる頃には、亜脱臼は脱臼へと悪化していたわ。

 

408:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/02(月) 03:07:22.26 ID:38vHnXNMa.net

……これが私の日常と。
それから、そんな中でもとびきりついてなかった、高校受験のときの話。

私の過去を知るずら丸が、実は同じ高校を受けていたってことも。その最後に付け加えて構わない。
少なくとも当時の私には、ずら丸の存在は不運の一要素だったから。

今は……さあ、どうかしら……。

とにかく、私は天使だったの。

元は特別な存在で、今の自分は偶然と不運が重なって本来のものからは立場を遠くしてるけど。
やがてはすべてを取り戻して、地上の何よりもまばゆく輝くはずだわ。

そのときが待っているだけでは訪れないと言うなら。私は今の自分の力を使って、腕尽くで奪い返してみせる。

そう、今の私は堕天使。

天使としての権能を剥奪され、地上に堕ちてなお、鈍くきらめく光を秘めた。神さまさえいまだ怖れる、底知れない力を持った……その背に黒き翼を負う天使なの!

 

409:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/02(月) 03:10:15.64 ID:38vHnXNMa.net

…………。

そんなわけ……。
そんなわけ、ないじゃない……。

 

オッカムの剃刀って知ってる?

ある物事を説明するとき、無視しても問題ない要素は説明から削ぎ落として構わないっていう考え方。

私が不運な理由は神さまがいて……?昔は天使で……?その結果の堕天?

────ありえないわ。

現実は、私のそんな妄想なんかより。もっと、ずっとリアル。

神も、天使も、悪魔もいない。

私が不運な理由。

それは、単純な確率のゆらぎ。

そして────

 

410:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/02(月) 03:12:33.00 ID:38vHnXNMa.net

物心ついたころ、私には他の人とは違う特殊な体質があることを知った。

それは、人ならざるものを見ること……。

お母さんは言っていた。

『あなたは赤ちゃんのころからそうだったけど、幼稚園に入るくらいまでずっと泣き虫でね。夜なんか全然寝かせてくれなくって、大変だったのよ?

さもありなんだ。
きっと私は生まれてからずっと、この体質と付き合ってきたんだと思う。

私にとっての日常は、孤独だった。

誰も。自分以外の人間には見えないものを、共有も発信もできず、たったひとりで四六時中感じ続けた。

それらは存在するだけではなく。
ときには暗がりに腕を掴み、ときには視界の端から怒りの形相を向け、ときには唐突に意味不明なうめき声をあげて。
私と関わりを持とうとした。

そして、往々にしてその干渉は私を不運な状況へといざないもした。

 

411:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/02(月) 03:15:08.06 ID:38vHnXNMa.net

春先。新しいクラスメートたちと楽しんでいた占いを邪魔し、悪い結果ばかり出るようにされた。

眠ろうとする私の足を布団の外から掴んでは泣き叫び、安らかな夜を奪った。

三個セットした目覚ましすべてに細工をされ、大事な予定に寝坊した。

────そう。

私の不運の半分は、彼らが伸ばした手に拠るものだった。

何が目的か分からなかった。

そして何より単純に、虚ろな瞳で私を見つめるそれらの存在が怖かった。嫌いだった。恐ろしかった。

だけどそんなとき。私は自分に言い聞かせる魔法の言葉があったの。

 

412:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/02(月) 03:17:54.74 ID:38vHnXNMa.net

私はヨハネ。

煉獄を司る、天界を追われし漆黒の堕天使。

何者にも触れられず、何者にも汚されず。
すべてを灼き尽くすゲヘナの業火をその身に宿した、神の宿敵……。

肩を抱いて、涙をこらえ。すがるようにそう呟く。

幼稚園の本棚に収まる絵本に見つけた、私にとっての力の象徴。

神さまを欺き、昔の同僚だった天使たちへと仇なし、多くの小悪魔(リトルデーモン)を引き連れ天に弓引く。
本当は天使に戻りたいだけの孤独で幸薄い……それは悲しき堕天使の寓話。

 

413:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/02(月) 03:20:09.60 ID:38vHnXNMa.net

心から信じていたわけじゃない。

だけど、仮にそうだとしたなら────私も堕天使なら、こんな現実には負けないと思ったから。

そして。そうしていると、私はふと自分が虚構の存在になったような気がしてくる。
何かに守られているような、世界から少しだけ浮いてしまったような。

おそるおそる目を開けると。さっきまであんなに怖かったそれの姿が僅かに薄れて、その声はちょっぴり遠くから聞こえるようになる。

なんとか無視できるくらいまでになったから、私は知らんぷりを決め込むことにするのだ。
そうすれば、それはやがて周囲の風景に溶けるように消えていってしまうことを、知っていたから。

 

414:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/02(月) 03:21:07.47 ID:38vHnXNMa.net

だから……。

だから、私にとって堕天使は、偶像だった。

自分を強くしたり、世界から切り離したり。
そして不運を何かのせいにしたくなったとき。

ただ一つすがって頼りにできる、最初で最後の心の拠り所だった。

そんなものは存在しないって、誰より私が一番わかってた。

でもそれを捨ててしまったら。
この身に人一倍降りかかる確率のゆらぎと、なにより恐怖や孤独を生むこの体質……それらの根源として様々な感情を転嫁する先を見出せず、私はきっと壊れてしまっていただろう。

私はヨハネで、ヨハネは私。
────でもそれは、現実ではない。

歪な認識だったけど、それでも多感な時期の間、ひたすらなぞり続けたその思考は。いつしか私とそれを不可分なものとしていった。

 

415:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/02(月) 03:23:20.32 ID:38vHnXNMa.net

『────天界より舞い降りしフォーリンエンジェル……堕天使ヨハネよ。みんな一緒に堕天しましょ?

よくない占いが学校で流行り、校内をどす黒い存在が時を選ばず闊歩したときがあった。

とても校舎にはいられなくて、なんとか逃げ出した屋上で。学校のすべてから自分を切り離すために、そんな儀式を敢行した。

望み通り、私は学校と、それをとりまく悪意から切り離され。代わりに残りの一年とちょっと、私は中学生活を一層孤立して過ごすことになった。

気付いたときには、またひとりぼっちだった。ひとりぼっちのまま、もう高校生だった。

なるべく人の悪意の薄い場所にある高校を選んだ。

先生が導いてくれたとおり、ここは中学よりさらに暖かい人たちで溢れている。
きっと人ならざるものも、穏やかな気性を備えていると思ったのだ。

そして、事実。それらはすべてあてはまった。
ここは私にとって、かつてないほど過ごしやすい場所だった。

ここでなら、堕天使に頼らずに生きていける。
ここでなら堕天使を捨てて、普通の高校生を楽しめる。

そう思った入学式の朝。

 

416:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/02(月) 03:25:31.78 ID:38vHnXNMa.net

『私はヨハネ!ヨハネなんだからねぇええっ!

『堕天使ヨハネと契約して、あなたも私のリトルデーモンに────

だけど結局、私は堕天使ヨハネを捨てることはなかった。

友だちと談笑しながら登校して、朝の時間を利用して苦手な教科のノートを交換し合い。
休み時間には得意の占いでクラスを沸かせる……。

そんな可能性が、一瞬で砕けて消えていったのが分かった。

でも。ここに至ってはいつものように”捨てられなかった”んじゃない。

私が私の意志で、”捨てなかった”んだ……。

私は……。
私は、いつしか堕天使が。堕天使ヨハネでいる自分が。
掛け替えのない大切なものになっていたことに、そのときようやく気が付いた。

 

417:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/02(月) 03:41:15.89 ID:38vHnXNMa.net

私は堕天使として、多くの時間を過ごしてきた。

堕天使にすがり、暗がりの家路を突き進んだ。
堕天使の名を唱え、人ならざるものに立ち向かう勇気を奮い立たせた。
堕天使のまま、涙に暮れた夜もあった。
誰かを占うときには、堕天使としての暗示を組み込む方がより精密な啓示を得られると肌で感じた。
堕天使に扮すれば不特定多数を相手に顔をさらせたし、どんな評価を得ようとも怖くなかった。

私の中には、”堕天使”への────幼い頃より連れ添った偶像への親しみと、力強さと、信頼と。そして感謝の想いが溢れている。
その仮面が。衣(ころも)が。道化が。誇らしくて、大切で、愛しくて、ただただ切なかった。

これとともにあれるなら、ひとりぼっちのままでいることなど、もはやまったくとるに足らないことのように思える。

だけど、それでは前に進めない。
”普通”を、感じられない。

────まだ、ギリギリ間に合う。

 

418:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/02(月) 03:46:48.09 ID:38vHnXNMa.net

ひとりのまま堕天使を抱え続けるか。
堕天使(半身)を捨てあまねく言う”日常”を手に入れるか。

高校生活は、一度しかない。
そしてこの先、ここまで私の体質に好ましい環境で過ごせる時間がくるのだろうか。

さらに言えば。遠くない未来、社会に出た私を守ってくれるのは偶像ではなく、人の繋がりとなっていくはずだ。

それは、望むと望まざるとに関わらず……。

それらを考えたとき。私は断腸の思いで永訣を選んだ。

苦難と呼ぶになお言葉の尽くせない生涯を共に歩んできたもう一人の自分へ、私はながの別れを告げようとして────

 

『入ってください、Aqoursに!堕天使ヨハネとしてっ

私は、スクールアイドルに誘われた。

 

 

419:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/02(月) 03:48:00.48 ID:38vHnXNMa.net

『いいんだよ!堕天使で!自分が好きならそれでいいんだよ!

まるで的外れな勧誘。
私のことなんか何も知りもしないくせに、ただ勝手な肯定だけを重ねて。

『だから喜子ちゃんは捨てちゃだめなんだよ!自分が堕天使を好きなかぎり!!

ああ……でも。

『環境を変えて、それでも貫きたい────あるいは変えられないことがあったとき。きっとそれを受け入れてくれる場所だよ

先生の……言ってた通りだって、私は思った……。

『いいの……?変なこと言うわよ

『いいよっ

このままで良いんだって。

『ときどき、儀式とかするかもよ?

『そのくらい我慢するわ

正しく私を理解してくれているわけではないけど。
私と、堕天使(もうひとりの私)をありのままに受け止めてくれる人たち。

『リトルデーモンになれって言うかも!

『それは……。でも、ヤだったらヤだって言う!
 だから……ふふっ

 

422:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/02(月) 04:06:29.21 ID:38vHnXNMa.net

>>419

× だから喜子ちゃんは
○ だから善子ちゃんは

なにやってんだ…

とりあえずここまでです
先の通り、次回でおしまいの予定です。よろしければもうしばらく、お付き合いください

 

420:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/02(月) 03:50:47.22 ID:38vHnXNMa.net

私の中で。
いつからか……泣いていたのは、堕天使の私の方だった。

『”堕天使(ヨハネ)”がいるから、本当の私はいつまでもひとりぼっちなんだ……

『もう、本当の私は”堕天使”なんかに頼らなくても、確率のゆらぎを笑い飛ばせる。この世ならざるものの恐怖にも負けないで、無視できる……

『”堕天使”が居なくなれば……私は……”善子”は、きっと────

目の前の眩しい先輩から差し出される、堕天使の背から抜け落ちた一枚の羽。
私はそれを、胸に棲まうもうひとりの私とまとめて。大切に、大切に抱きしめた。

 

421:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/02(月) 03:53:07.59 ID:38vHnXNMa.net

ごめんね……。
”善子(わたし)”が勝手で、”善子(わたし)”が間違ってた……。

捨てない────ううん。消さない、消さないよ。

ここでなら、私はあなたと一緒に認めてもらえる。
私たちはきっと、受け入れてもらえる。

だから、消さない。

もう、《善子(わたし)/ヨハネ(あなた)》のことで迷わない!

消したいはずなんて……ない!

いつも隣にいたよね。
ひとりぼっちで泣き虫な私に、ずっと寄り添ってくれたあなただから。
これからも私たちはふたつでひとり。
善子とヨハネで────”私”で、あり続けたい……。

この人たちと一緒に。あなたの存在を生かし、そして共に輝くことのできる”スクールアイドル”を、私はやってみたい!

そして……いつか、機会を得たそのときには。
すべてを話したい……。

あなたたちが何も聞かずに受け入れてくれた、私という人間の正体を。
そのことで救われた女の子がいたことを。
その子が、どんな思いを今、あなたたちに抱いているのかを。

一言だけでいい。
あまのじゃくな私の口は、きっと一瞬だけしか正直に動いてはくれないから。

だからその一言に。
ぜんぶの想いを込めて……。

 

────『大好き……です……。』

 

・津島善子
『日常の話(異聞)』 おしまい

 

430:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 02:51:29.97 ID:lN6sWLLca.net

保守がてらいつものを

・『隠居所の話』
俺設定もりもり、やりたい放題

黒澤家の究極旧家ぶりのモデルは米澤穂信『儚い羊たちの祝宴』内作品群のお歴々から
特にスーパーおばあちゃんの存在は、同作内『玉野五十鈴の誉れ』が強く出てると思います。全然あんなに怖くないですけど
怪異だと師匠シリーズ『連想Ⅰ』。「家族の霊じゃね?ってあったかくなりそうにさせてからの、”全然違うやつ”」という展開にはゾクリとさせられます
あとは黒澤家の闇……ならぬ”黒き澤”は、同じく師匠シリーズの『未』からなのではないかと。先祖が土地に対していろいろやってて、その過去に煽られて現代の子孫が右往左往する図式

ただ単純に、「部屋の扉閉めるとき、暗い廊下とドアの隙間から腕がにょきっと伸びてきて手首を掴まれやしまいか」っていう恐怖を自分が持っていて
それを表現したかっただけだったのですが、舞台設定のせいでこんなに長大になってしまいました

それはそうと、これに取りかかってるとき(初秋辺り)は特に目にした記憶はないんですが、”黒澤家の闇”なる概念がいつの間にか完全にネタとして定着してたのには草

 

431:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 02:52:06.93 ID:lN6sWLLca.net

・『電波の話』
本編は、インターネットが媒体の怪談全般の影響を受けてると思います
最新技術(特に社会的に広く受け入れられているもの)に怪異が結び付くのはわりとポピュラーな話なので。データ通信にまつわる怪談がひとつ欲しくなり
その家庭事情からナチュラルにパソコン関連にはひとかどの理解がありそうなキャラと言うことで、ルビィちゃんに怖い目にあってもらいました
ちなみにド初期の構想はメリーさんよろしく、”ふと見たネット動画で、どんどん自分の家に何者かが近付いてくる様子が放送されてる!”というものでした

最新技術とかいいつつ唐突に古典の生き霊の話とか出してて、非常に苦しい出来上がりになってしまったかもしれません

異聞も他の話に漏れず後味悪い系への志向が強く見られますが……実は『隠居所の話』より先にこちらが形になっていて
せっかく断腸の思いで黒澤にまつわる怪異に折り合いをつけたダイヤさんに、新たに忍び寄る影───みたいな展開になってしまい、我ながら鬼畜だなぁとか『隠居所』を仕上げながら思ってました

 

432:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 02:52:21.15 ID:lN6sWLLca.net

・『鏡の話』
影響はまず間違いなく、村上春樹の『鏡』から
鏡の中に自分だけど自分じゃない誰かが映り込む……っていうところ以外はほとんど共通する部分はないですが、高校の教科書にめちゃ普通にホラーもののこの掌編が乗ってたことに、当時ものすごい衝撃を受け、それ以来ずっと心に残っていた作品です
突然ですが私は花丸ちゃんと言えばAqoursのセ クスシンボルだと思っており、その邪念と上のことが混ざってこんな話になってしまったんだと思います
最初の構想だと、マルちゃん本人に対してもっとエグかった記憶。推しゆえにいじめてしまうんでしょうか

あとは年代がバレますが、アニメ『学校の怪談』の”うつしみ”も鏡の怪異という括りで非常に記憶に残ってて
話の終盤、解決方法として手元にあったコンパクトで合わせ鏡を作り出し霊眠させるっていう考えもありましたが、当然ボツにしました
話の中で一年組が沼津にお出かけにいきましたが。その目的は本来よしルビが「花丸ちゃんもスクールアイドルになったし、特に問題はなくとも常に身嗜みをチェックできるようになった方がいいよね」と結託し、コンパクトをプレゼントしてあげることだった気がします

場面転換のやたら多いこの話が一番手が掛かっており、2ヶ月以上まったく話が進まず、そのせいで本当にエタるかと思いました

以上です。長々と失礼しました

 

439:砂浜の話(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 20:52:24.41 ID:Ow9B1hO6a.net

 

千歌「これは、去年の年度末。高校一年生の、最後の1ヶ月の話

 

440:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 20:53:11.56 ID:Ow9B1hO6a.net

その日私は、とってもへこんでた。

学校で、卒業式があったから。

一年生のみんなは知らないと思うけど。うちは生徒数が少ないからか、他の学校と違って高校でも卒業式に全校生徒が参加して、卒業生を見送ることになってるの。

卒業生の中には確かに親しい先輩もいたけど。卒業しても、うちのお姉ちゃんたちみたいに地元で就職したり、お家を手伝うって人がほとんどで。
進学や就職で都会に行っちゃって会えなくなる……ってことはあんまりなくて。寂しくはあったけど、そのことでへこんでるわけじゃなかったんだ。

問題は、式で流れた卒業生たちの記録映像と、それを見つめる三年生(みんな)の瞳。

 

441:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 20:53:56.58 ID:Ow9B1hO6a.net

人数も少なくて、決して行事も多かったわけじゃないんだけど。

でも、輝いてた。

一人一人がやりたいことをしっかりと見つけて、それに一生懸命打ち込んで。
大会で好成績を収めたり、コンテストで入賞したり、結果が出ている人たちもいた。
でも、そうじゃない人たちも、みんなみんな輝いてた。

汗を飛ばしながら限界を越えようと、そびえ立つ高飛びのバーに立ち向かう先輩の表情。
何度失敗しても諦めずに運指を確認して、困難な譜面を自分のものにしようと不敵に笑う先輩の口もと。
今持てる技術の粋を集めて、目の前の小さなカンバスに自分の全てを表現しようとペインティングナイフで切り込んでいく先輩の眼差し。
映像はそんな先輩方のきらめく青春の一瞬一瞬で、溢れてた。

結果なんて、関係ないんだよ。
そうやって、打ち込んで、輝いてる瞬間が、何よりの宝物なんだって……それを見つめる先輩方の瞳が、そう誇らしげにキラキラしてるのを、私はただ見つめてた。

高校の一年が、もうすぐ終わる。
なのに私は、先輩たちみたいな瞳で打ち込める何かを、してこなかったし。
そして、未だ見つけられないでいた。

 

442:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 20:54:32.12 ID:Ow9B1hO6a.net

そんなことを思い知らされた下校の時間。
学校からバス停へ下る私の歩みは、かつてないくらい重い足取りだったのを覚えてる。

曜ちゃんは、市内のスイミングスクールで高飛び込みの練習の日で。
こんなにへこんでる上に日直っていう、泣きっ面に蜂な気分の私に断りを入れて、一足早く下校してた。

曜ちゃんは二年後の今日、きっと誰より輝いた瞳で卒業式を迎えられるんだろうな……。

幼い頃から打ち込んできた高飛び込み。
競技中に限らず、練習中や、今日みたいにこれから練習でプールに行くんだって私に謝るその目ですら。
いつも楽しそうに、嬉しそうに、誇らしげに。虹みたいにたくさんの色と光を集めて、キラキラしていたのを思い出す。

節目の日。
胸に去来する輝かしい日々と、その日々を感じた心のままに。
曜ちゃんの瞳は、卒業していく人たちの中でも、一際まばゆいきらめきを宿すはずだと思った。

 

443:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 20:55:10.28 ID:Ow9B1hO6a.net

「うらやましいな……

曜ちゃんだけへじゃない。
高校一年生を、何かを見つけ、何かに打ち込んで送ることのできた全ての人たちへ向けた。心からの羨望の声。

ため息がひとつこぼれる。

さらに悪いことに。へこんだ頭のまま、でれでれと当番日誌を仕上げていたら。
提出する際、先生からまだ残ってる実行委員たちに加わって、卒業式の後片付けの手伝いをするよう言いつけられて。

ようやく解放されたころには、学校にはもうほとんど生徒は残っていないような時間になってた。

一緒に卒業式の片付けをした実行委員のみんなは、戸締まりや軽い掃除っていった、日直の仕事がまだ残っていた私を待つって言ってくれたけど。
時間が経つにつれてどんどん気分が重くなっていた私は、なるべくひとりになる時間が欲しくて。
遅くなりそうだから気にしないでってお願いして、先に帰ってもらってた。

特別行事の日だから、部活動もなし。
多分その日、一番遅く校舎を離れた生徒は、私だったんじゃないかと思う。

 

444:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 20:55:59.88 ID:Ow9B1hO6a.net

まだ肌寒さが残る季節。
日の足も早く、とっくに太陽は駿河湾の向こうの富士山の山裾へと沈み。辺りにはもうとっぷりとした夜のとばりが降りてきてた。

ようやくたどり着いたバス停の時刻表を見上げると、次の便まで30分以上ある。
普段なら部活動を終えた生徒だけがぽつぽつと利用するような時間帯だから、本数が少ないのは仕方なかった。

潮の香りに混じって、波の音が聞こえてきた。
まだ冬の終わりきらないこの時期の海は、とても冷たそうな音を立てている。

でも、いろんなことを考えて頭全体がじんわり熱を帯びてきていた今の私には。
その冷たさはどこか心地良さそうなものに思えて。

私は堤防を下って、砂浜に足を向けることにした。

 

445:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 20:56:36.76 ID:Ow9B1hO6a.net

砂浜に降りると、波打ち際の方へさらに歩く。
思ったほど風は強くなくて、そんなに寒さは感じなかった。

えと、なんだっけ。
昼は海から、夜は陸から……日が暮れてそこそこ経っていたこの時間だけど、まだ冷え切る前の陸(おか)へ向かって海から吹く……海陸風……だよね?

砕けた波の飛沫が、勢いの弱まった最後の海風へと乗り、私の火照った顔に当たる。
それが冷たくて、気持ちよかった。

そんな冷たさが期待してたとおりのもので、私はやっぱり砂浜に降りてきて良かったなって思いながら。

ふと、砂浜と言えば……気になる噂を聞いたことがあったのを思い出す。

 

446:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 20:57:14.78 ID:Ow9B1hO6a.net

 

────学校の下の砂浜には、幽霊が出る。

 

 

447:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 20:57:54.26 ID:Ow9B1hO6a.net

駿河湾を望むこの小さな砂浜には、夜な夜な影が立ち、海の方をただじっと見つめてる……らしい。

あ、やっぱり果南ちゃんたちと、曜ちゃんは知ってるんだ。
ルビィちゃんたちと梨子ちゃんは……そっか、知らない……よね。

それだけ?って、初めて聞いたときは思った。
だって怪談っぽいのに、全然恐くないんだもん。

何人かの口からその話を耳にしたことがあったけど。
こっちに気付いた影が手招きして仲間を増やそうとしたり、足を掴んで海に引きずり込んだり、ずっとついてきて悪さをしたり。
結局、誰の話でもそんな風なことには繋がりはしない、不思議な噂だったな。

ただ、その噂をしてた子のほとんどが、先輩から聞いたとか、先輩の先輩から聞いたとか。決まってそんな前置きで話を始めてたのが印象的だった。

それは多分。この噂はここ数年で生まれて広まった、新しいけど少し歴史のある。そんな中堅どころみたいな噂だったんだと思う。

参考だけど、志満ねえは知らなくて、美渡ねえは聞いたことあるって言ってたかな。

 

448:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 20:58:33.79 ID:Ow9B1hO6a.net

そんな中で、実際に影を見たっていう同級生の子がいた。

その子はソフトボール部で、部に入りたてのころ、とんでもないミスをやらかして。
怖い先輩に言いつけられて、居残りでひとり部室の掃除をさせられたことがあったんだって。

部室はとても汚くて。ある程度掃除が終わるころには、有り得ないくらい遅くなってて。
下校時間なんかもとっくに過ぎちゃってたみたい。

先輩への恨み言をひとりあげつらいながら、それでも結局今日のあれこれは全部自分のせいだってしょんぼりして、バス停でバスを待つ。

 

449:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 20:59:29.92 ID:Ow9B1hO6a.net

次の便は数十分も先で、暇を持て余したその子は。LINEで部の友達たちが一足先に始めていた、先輩への不満をぶつけ合うグループトークに参加することにした。

盛り上がるLINEのトーク画面をしばらく面白おかしく眺めていると。
不意に遠い視界の端に、何かが立っているのが見えたんだって。

そこには、バス停に設置された街灯も届かない、夜の砂浜があるだけだった。

でも、何かいる。

誰に聞いても迷わず夜って返ってくるような時間の、周辺にこれといって民家もない、学校の坂を下ってすぐの砂浜。

砂浜……、砂浜……。

────学校の下の砂浜には……

 

450:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 21:00:20.99 ID:Ow9B1hO6a.net

嫌な噂をこれ以上ないタイミングで思い出してしまい。
春も盛りの時分なのに、歯の根の合わない震えがわいてくる。

校舎の明かりは全て消え。先輩からは顧問に話を通しておいたって、部室の戸締まりから校門の閉鎖まで任されてた。

つまり、先生も多分みんな彼女より先に帰ってしまっていて。
正真正銘最後に学校を出たのはその子以外にありえない。

そんな、波の音以外が死んだように静まり返る夜の海辺で。

闇に浮かぶ影を見てしまった。

怖くて、首をめぐらせてその正体を確認することなんて、できそうにない。

携帯の表示時刻では、次のバスが到着するまで10分以上も残ってる。
自然と堅い唾が出て、飲み込むと大きくのどが鳴った。

その影は、じっと佇んでいるだけみたいだった。

しっかりと見えていなくても、部活で火照った身体の決まった方向が、得体の知れない寒気を感じて鳥肌を立てている。

その先で、影が動くこともなくずっと。
ただ海を眺めているのが、伝わってきた。

 

451:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 21:01:31.41 ID:Ow9B1hO6a.net

結局、彼女はバスが来るまでの間。
ひたすら怖さに震えながら、その影のことを直視することもできずに立ち尽くしたって言ってた。

やっと到着したバスに命からがら乗り込んだたあとも、怖くて海の方が見えない席に座ったから。結局影の正体が何だったのか、わからなかったんだってさ。

その子は真面目な子で。
聞こえてきた噂を面白がって、うその体験談をでっち上げるようなことをする子じゃないから。
その話はきっと、本当のことだったんだと思う。

そんな噂の数々を思い出していると。
夜の海の波音に冷やされてだんだんと熱の収まってきた私の頭に、ひとつだけ小さな違和感が浮かんできた。

砂浜の影の噂は、どれも明確な姿を見たわけじゃなくて。
視界の端に映った影を見たり、はたまた気配を感じたりに終始してる。
でも、なんでそれらの噂に出てくる影は。

 

影なのに、海の方を眺めてるってわかったんだろう。

 

 

452:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 21:02:07.42 ID:Ow9B1hO6a.net

そう思った瞬間。

夜の海を眺めていた私の横に、影が立っているのに気が付いた。

音もなく現れたのか。
それともずっといて、私が気付かなかっただけなのか。

とにかく、影がいた。

そしてその、視界の端に佇む影が。
どうやら私と同じように海の方を眺めているんだって感じたとき。

(あ、こういうことだったんだ

そう思った。

なぜか、わかったんだ。
影が、海の方を眺めているのが。

今、私の数メートル横には、噂に聞いた砂浜の影がいる。
そして、その影は。
理由もなく、直視したわけでもなく。
その影の存在を感じた人だけにわかる、うまく言葉にできない理屈で。
それが海の方を向いているってわかるの。

 

453:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 21:02:50.63 ID:Ow9B1hO6a.net

最初はびっくりしたけど、怖くはなかった。

さっき話したとおり、噂で影に何かされたっていう人がいなかったのがそう感じさせたのかはわからない。

だけど、多分。

それに加えて、その日の私はへこんではいたけど、妙に爛々としたところがあって。

なにか見つけようと必死で。
必死すぎて、心が鈍ってしまったみたいで。

だからか知らないけど。
とにかくいつもだったら絶対にできそうもないことが、そのときはすんなりとできたんだ。

つまりね。

私は特に意を決したりすることもなく。
すごく自然に、影の方へ振り向いたの。

 

454:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 21:03:32.06 ID:Ow9B1hO6a.net

そこには、男の子がいた。

んと……男の子だと、響きが幼すぎるかな。
少年……でもまだ幼いかな……青年、は違うか。
彼……ちょっと大人っぽすぎる?まあ、でも、彼……かな。

年の頃は私と同じくらいかも。
でも、落ち着いた雰囲気は、年上だって言われても違和感がないくらいで。

あんなに影、カゲって言ってたのに、信じられないくらい存在感があって。現実感もあって。

(生きてる……

そう、感じた。

 

455:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 21:04:05.38 ID:Ow9B1hO6a.net

噂に現れる幽霊は、暗くて不気味な夜の海辺を怖がる私たちの心が生み出した幻で。
実はただ海を見ていた彼を、勝手に幽霊に仕立て上げてただけだったんだって思った。

噂の真相に納得して、どこか頭がすっきりする。
気分もさらに軽くなって、私は彼に声をかけることにした。

「こんばんわ

「……

あれ?
反応がなかった。

「こんばんわ~

「……

まただ。
そんなに小さな声だったつもりはなかったけど、波の音にかき消されて聞こえなかったのかもしれない。

私は少し彼との距離を詰めたあと、もう一度。今度は絶対に聞こえるように、大きな声で挨拶をした。

「こーんばーんわー!

 

456:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 21:04:59.25 ID:Ow9B1hO6a.net

その瞬間。

ここじゃないどこかで、でもすごく近いどこかで。
何かが弾ける音がした。

ぱちん。

波でできた泡でも弾けたのかな。
そんなことを思ってると、その微かな音に反応したのか……ううん、私のばかでかい声に決まってるよね。
とにかく、彼が急に驚いたって顔で、私の方を目を丸くして振り向いたの。

その顔は、整っていて。一目でカッコいい!って感じじゃないんだけど。
でも、じっくり見つめているとドキッとしちゃいそうで。
通ってる学校じゃきっと、密かに人気なんだろうなって雰囲気が伝わってきた。

「急に大声だしてごめんね?びっくりしちゃったよね

「ううん。僕こそ気がつかなかったみたいで、悪いことをしたかな。こんばんわ

静かにかぶりを振って、彼が私に笑いかけながら挨拶を返す。
少し細いけど、しっかりと地に着いた低さと、きれいな発音で。
聞いていると安心するような、優しい声だった。

 

457:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 21:06:01.02 ID:Ow9B1hO6a.net

「君は……浦の星の生徒?

「うん。一年生で、高海千歌って言うんだ

「高海さんは、どうしたの?ひとりでこんなに遅く

「こんなに遅くって……まだそんな時間じゃないと思うけど

「あれ?だって、毎年この日は卒業式だよね。それなのにこの時間って、結構遅くないかな

「あ、そうなの聞いてよ。うちの担任の先生ひどくってさ。
 卒業式実行委員会の顧問を任されてるからって、日直の私を巻き込んで卒業式の後片付けさせるんだよ~。それでねそれでね……

聞き上手って言うのかな。

うん。うん。って頷く声と、表情が優しくて。
それでいて、反応が欲しいときには、しっかりと欲しかった反応を返してくれて。

そんなつもりはなかったのに。
気が付くと私は今日の先生の横暴と、卒業式の後片付けの大変さについてを結構な時間。彼にひととおりまくし立て続けちゃってたんだ。

 

458:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 21:06:48.52 ID:Ow9B1hO6a.net

「ははは、それは災難だったね

「でしょ~?でも、まだまだあるんだよ。この前なんか……

「うんうん

「この、前……

「……?どうしたの?

「……えっと……なんかごめんね……?初対面なのに、いきなりこんなにぐちぐち言っちゃって……

「ううん。僕も久しぶりに誰かとこんなに話せてるから、すごく楽しいよ。
 だからそんなつまらないことは気にしないで、もっと高海さんの話、いっぱい聞かせてくれると嬉しいな

本当に優しい声と、笑顔と。そしてたたずまいだった。
でも、そんな彼の言葉に、ひっかかりを覚えてしまう。

『久しぶりに誰かとこんなに────

その言葉と、初めて目にしたときからずっと気になっていた彼の容姿に関する疑問のひとつが、繋がった気がした。

彼の服装は、日も暮れてだいぶ冷えてきたこの海辺で。パジャマにカーディガンを羽織っただけだった。

 

459:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 21:07:40.94 ID:Ow9B1hO6a.net

「キミは……学校は……?

何も考えずに口にしてしまってから、しまった!って思ったよ。

だってそんな……わざわざ彼の言いたくないかもしれないようなことを口に出して聞かなくても、ほとんどわかってたはずのことなのに。

「僕は身体が弱くてね。見ての通り、制服じゃなくてこんな服を毎日着て。近くの病院でずっと、療養中なんだ

「そっか……

答えながら私は、とっても後悔してた。

それを聞いちゃったこともだけど。
彼の通えない学校のことを、愚痴まじりだけどあんなに楽しげに話してしまったことにも。
勝手に想像の中で、通ってる学校ではモテるんだろうなって考えちゃったことにも。

「なんか……やっぱりごめんなさい

「なんで高海さんが謝るの?

「だって私……キミのことなんにも知らないのに、無神経に学校のことばっかり話しちゃって……それに、なんにも考えないで、キミのことも聞いちゃって……

「ははっ

突然。彼がらしくない、場の空気にそぐわない笑い声をもらす。

私がびっくりして俯いていた顔を上げると、とびきりの笑顔が視線の先で弾けていた。

 

460:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 21:08:14.11 ID:Ow9B1hO6a.net

「高海さんは、優しいね。さっきも言ったけど、僕はずっと病院にいるから、誰かと話せるだけでとっても楽しいし、嬉しいんだ。
 僕はね、高海さん。今日君とここで会えて、本当に良かったって思ってるんだよ

息が詰まりそうになる。

なんて、優しいんだろう。
そして、なんてきれいな心を持ってるんだろう。

そのとき私はそう思って。
彼の言葉に、何か答えようとしたの。

ブロロロ…

そんな私の口をつぐませたのは、待っていたバスが近付いてくる音だった。

「……あ、私、あれに乗らなくちゃ……

「そっ、か……僕は反対方向だから、もうちょっと海を見ていくよ

すっ……と。
今までずっと優しさに溢れていた彼の瞳が、寂しそうに揺れた気がした。

 

461:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 21:09:06.43 ID:Ow9B1hO6a.net

 

「わたし!

 

 

462:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 21:09:54.72 ID:Ow9B1hO6a.net

大声が聞こえた。

それが自分の口から出たものだと気付いたとき。私は一気にそれに続く言葉を吐き出していた。

「明日もここにくる!だからキミも、ここにいてよ!約束したからね!

それだけ言ってから、私は誰もいない停留所を通り過ぎていってしまいそうなバスに向かって、一目散に駆け出した。

わけもわからず胸が高鳴り。やっと冷えてきた頭に代わって、ほっぺたと耳の辺りが一瞬でカァ……って熱くなるのがわかった。

ギリギリでバス停に駆け上がると、それを見つけた運転手さんがちょっとめんどくさそうにバスを止め、乗車口を開けてくれる。
私はそこで少しだけ立ち止まって振り返ると、砂浜にいるはずの彼に向けてもう一度声を上げた。

「今日と同じ時間!ぜったいだよ!じゃあね!また明日!!

そのままブンブンと手を振りながら、バスに乗り込む。

ちょっと強引すぎたかな。

そう思って、動き出すバスからこっそり見下ろした暗い砂浜で。
彼はしばらくあっけにとられた顔をこっちに向けてたけど。
次の瞬間には、優しく微笑みながら手を振り返してくれたのが、見えた気がした。

 

463:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 21:10:35.38 ID:Ow9B1hO6a.net

それから。私は毎日、日が暮れた少し後。
学校の下の砂浜で、彼と話をするのが日課になった。

彼はやっぱり聞き上手だったけど。
それに輪をかけて、話をするのも上手だった。

学校に行けない代わりに、本をたくさん読んでるって言ってたかな。
とにかく、頭が良くて、いろんなことを知っていて。

私はそんな彼の、宇宙がどうたら~とか、経済がうんたら~とか言う話を聞くたびに、自分の頭の悪さを思い知らされたような気がしてへこんだりするんだけど。
すぐに彼におだてられて気を良くして。学校や家でのなんでもない、とんちんかんな日常を話しては、楽しそうに笑う彼の声に再び自分のばかさ加減を披露したことに気付いて、後から二倍へこむような日々を送ってた。

だけど、そんな日々なのに。
ううん。そんな日々だから。
私は、毎日が。とってもとっても楽しかったんだ。

 

464:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 21:11:28.49 ID:Ow9B1hO6a.net

「僕が、幽霊?

「そう。ひどいんだよみんな~。実際に確かめもしないで、夜の砂浜には影みたいなオバケが立って、ずっと寂しく海を眺めてるらしいよ、こわーい!なんて言って怖がってるの!失礼しちゃうよね~

それは、彼と出会って二週間くらい経った日の放課後。

私が放(ほう)った平らな石が、空で僅かにたなびいた残光を反射する波間に細かく跳ねていくのを。彼の穏やかな瞳が追いかけていた。

私は部活をやってなかったから、まずは図書室で彼に勧められた本を読んで時間を潰して。閉館時間になったあとは、教室で更にその続きを読んで暇を潰して、約束の時間を待ってた。

彼は意外と豪胆なひとで。病院の夕食後、当然外出なんかできない時間の病室をこっそりと抜け出して、夜の砂浜に通ってるんだって言ってた。

わざわざなんでそんな時間に抜け出すんだろうって聞きたそうな私に先んじて、

『本当なら普段から僕は外出禁止だから、時間なんて関係ないんだ。
 それに、夜の方が人が少なくて、案外見回りもぞんざいだから。逆に昼間よりずっと抜け出しやすいんだよ

って、ケ口リと話すもんだから。
論理的なのに、やってることはめちゃくちゃなそのギャップが面白くて。
私は盛大に吹き出してから、お腹を抱えて大笑いしてしちゃったこともあったな。

 

465:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 21:11:54.19 ID:Ow9B1hO6a.net

その日も彼に学校であったことを話してたんだけど。友だちの口から久しぶりに例の噂を耳にしたのを思い出して。
もうすっかり忘れていた、その話の幽霊の正体に。私は間抜けな噂に組み込まれた感想をぜひ聞いてみたくなって、話題を差し向けてみたんだ。

「それは……恐がってる子には、悪いことをしちゃったかな……

意外にも、彼は笑い飛ばすこともなく。
噂を聞いて怖がる子たちや、実際に影を見たって言うソフトボール部の子にあてて、ばつの悪そうに謝意を表してた。
いや……むしろ彼らしかったのかな……?

とにかく。
勝手に幽霊にされて、怒ってもいいような話なのに。
それによって怖い思いをした人たちの気持ちを真面目に汲み取って心を痛める彼の様子がおかして、そしてどこかかわいらしくて。

胸が、また高鳴ってしまったのを覚えてる。

 

466:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 21:12:31.53 ID:Ow9B1hO6a.net

最近、彼と話してるとこうなってしまうことが多かった。

何気ない彼の言葉に。彼の仕草に。彼の心があふれた声に、表情に。
触れるたび、胸が高鳴って。顔がじんわり熱を帯びるのがわかる。

よくわからない現象だったけど。嫌な感じは全くしなかった。
むしろ、ちょっと苦しいけど、何かが満たされていくようで。とっても嬉しい気持ちになれる瞬間だった。

「そう言えばキミは、どうしてここに来るの?

今更ながらそんな理由も知らなかったことに気が付いて、軽い調子で彼に尋ねた。

「なんだろう。落ちつく……のかな。”来る”んじゃなくて、”帰る”みたいな……うまく説明できないけど……とにかく、ここを目指してしまうんだ。
 はっきり答えられなくて、ごめんね?

それは……彼にしては珍しく、歯切れの悪い答えだったな。

打てば響く……で合ってるよね?
今まで1を尋ねれば、必ず3か4くらいは返ってきた彼の言葉が。
どう甘めに見てもぎりぎり1に届かないくらいしか返ってこなくて。

また自分が余計なことを聞いてしまったような気がして。
彼に気取(けど)られないよう何が理由かも理解しないまま、こっそりため息をついたんだ。

 

467:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 21:13:06.61 ID:Ow9B1hO6a.net

「そう言えばそろそろ、修学旅行じゃなかったかな

突然彼が明るい口調で切り出す。
私の浅い秘密なんて、とっくに彼にはバレてしまってるみたいだった。

「うんっ、明後日から!
 楽しみだな~……TO(↑)KYO(↓)!!

彼に甘えて、私も調子を戻す。

知らない人もいるから説明するけど、例年一年生の修学旅行は夏休み明けなんだ。

でも、去年は日本各地で震災や大洪水とかが重なって、予備日を超えてずれにずれ込んで……あわやお取り潰しってことになりそうだったんだけど。
新生徒会長が尽力してくれたって話で。どうにか年度末ギリギリのその時期に、予定されてた場所とは違うものの。東京への一泊二日の修学旅行が行われることが決定してたんだ。

日本中が大変だったから、無くなっても仕方ないって覚悟してたけど。
行けるって聞いたら、やっぱり嬉しかったなぁ……。

ダイヤちゃん、ありがと♡

流石に日程は短縮されてたよ。
それでも、みんなで進学記念旅行みたいだねって話し合って、すごく楽しみにしてたんだ。

だけど、そのときの私は。
ちょっと……違うことを考えてた。

 

468:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 21:14:01.20 ID:Ow9B1hO6a.net

「あっそうそう。当日は朝早い出発で、準備とかもあるし。明日はさすがにここには来れなそうかな……

明日だけじゃない。東京にいる明後日も。
多分、帰ってきたその次の日も……。

彼と出会って、勝手に約束を取り付けたその日から。
私は学校が休みの日以外、毎日彼と話をしていた。

あの日、私が帰りのバスを気にしたときに見せた、彼の寂しそうな瞳が忘れられなかった。

それが最初。

でも、今はそれだけじゃなくって。純粋に彼との時間が、楽しくて仕方がなかった。

彼と会って話をすることが、私の毎日の中の一番大切な、中心にあった。
そのことを中心に、私の全てが回り始めていた。

 

469:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 21:14:38.85 ID:Ow9B1hO6a.net

「僕のことは気にしないで、しっかりと楽しんで来てよ。
 高海さんは僕が寂しがり屋だなんて思ってるみたいだけど……ふふ、僕は君が思ってるよりもう少し強いつもりだから、大丈夫。
 いっぱい楽しい思い出を作ってきて、それを僕に聞かせてくれれば。それがきっとなによりのお土産になるはずだから

いつもより更に優しい声でおどけながら、彼は泣いてる子どもをあやすように私に笑いかけた。

考えを手に取るように読まれた私は、真っ赤になってなにごとか喚き立てたあと。
落ち着くための深呼吸を一回、大きくしてから。

ひとことひとことを大切に、こう言って。
彼と、その日のお別れをしたんだ。

「うん。いっぱいいっぱい、楽しんでくる。
 キミが参ったって降参しちゃうくらい、どっさりお土産話も仕入れてくるよ。
 だからキミも、楽しみに待っててね……

 

470:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 21:15:18.32 ID:Ow9B1hO6a.net

 

そして、私は東京で。秋葉原で出会った。

 

471:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 21:16:04.21 ID:Ow9B1hO6a.net

卒業式の日に、私を鬱々とさせた全ての暗い思いを吹き飛ばして。

代わりにその思いを全部傾けてもまだ足りないような、底の見えない。
だけどきっと捧げたものに見合う、計り知れない大きなものを返してくれる────

そんな、心から目指してみたくなる。憧れの形と。

 

472:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 21:17:02.04 ID:Ow9B1hO6a.net

『僕と出会った日。高海さんは、きっと悩み事があったんだね。そんな目をしてたよ

『でも、大丈夫。君は必ずそれを見つけられる。そして、それは一生懸命に頑張る高海さんに、多くのものを返してくれるはずだよ

『だから、思ったら、迷わないで。
 振り返る暇もないくらい、その日々は今よりずっと、輝いているはずだから────

東京からの帰りのバスの中で、そんな夢を見た。

多分、最後の砂浜での別れ際に彼が言ってくれたことなんだろうけど。

どうしてか、記憶が定かじゃなかった。

 

473:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 21:17:37.18 ID:Ow9B1hO6a.net

家に着いて。東京での興奮がようやく冷めてきた、自分の部屋のベッドの中で。

私は、彼のことを考えていた。

優しい瞳、涼やかな声、心静めるたたずまい。

私の、日々の中心にあるもの。

それは、多分これからもきっと変わらない。

そう思ってた。

だけど、ここ数日。
胸の端の方で、見えないふりをしていた小さなわだかまりが、ときどき僅かに疼き始めることが増えた。

 

474:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 21:18:12.91 ID:Ow9B1hO6a.net

例えば、病院。

浦の星から私の家とは反対方向の路線には、病院の名前のバス停がひとつだけある。

でも、それは”病院跡”だった。

5年くらい前に、もっと都会の方へ移転してしまって。
そこには当時使われていた大きな建物が、取り壊されずに残っているだけだった。

だけど、彼は確かに”反対方向”とは言ってたけど、”バスに乗って”とは言っていない。

だから、うちの旅館の反対方向。
路線から外れた歩いてじゃないといけないようなところとかに、私の知らない病院があったっておかしくない。

 

475:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 21:19:06.82 ID:Ow9B1hO6a.net

例えば、噂の時期。

あの噂は、少なく見積もっても3、4年くらいは昔からあるみたい。

噂の正体は彼だった。
でも、彼はそんなに昔からあそこで、ひとり海を眺め続けていたの?

病院を抜け出して、毎晩、毎晩……。

 

だけど、もしかしたら本当にあの砂浜には影の幽霊が出てて────ううん、そうじゃなくてもいい。

最初は誰かが流木とかを見間違えたことから生まれた噂で。
ここ最近、たまたまそこに彼が話の内容に合う形で。まるで引き継ぐみたいに噂に取り込まれてしまったってことはないかな……?

 

476:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 21:19:53.73 ID:Ow9B1hO6a.net

例えば、病気。

彼の病気がどんなものか。正直私には検討もつかない。

もちろん、そんな配慮のない質問なんか、できるはずもない。

でも、彼は病院に”外出禁止”にされるほど、重い患いを抱えているはずだった。
単に身体が弱いだけで、そこまで厳重に扱われることは、ないと思う。
そんな人が、毎晩病院を抜け出して平気なはずがあるわけない。

だけど、これは簡単なことで。

もしかしたら彼の病気はとっくに完治していて、あとは予後の回復の判断を病院が下すのを待っているってことはないのかな。

そして、元気を持て余した彼は、毎晩病院を抜け出して海を眺めにきている……。

 

477:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 21:20:34.03 ID:Ow9B1hO6a.net

例えば。

例えば……。

 

例えば、最近私と話している彼の姿が。
一瞬だけ、消えてしまいそうに薄くなること。

 

478:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 21:21:25.19 ID:Ow9B1hO6a.net

初めて彼を見たとき。
その存在感に、現実感に。私は確かに彼が生きている人間だって感じた。

でも、会う回数を重ねるたび。
最初は気のせいみたいに。今ではもうその瞬間がはっきり目に見えるくらいに。

彼の体が、気配が。
私と話しているのに。私が、見つめているのに。

その目の前で、消えるみたいに薄くなるの。

最初は点滅するみたいにすぐに戻ったその影が。
今ではもう、そのまま消えていってしまいそうなくらい弱々しくなる瞬間があるの。

 

479:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 21:24:13.90 ID:Ow9B1hO6a.net

────だけど!

だけど……?

”だけど”、なにも浮かばなかったんだよ……。

さっきまで簡単に浮かんできた、疑問に対する反論が。
子ども染みた屁理屈が。
ばかみたいな絵空事が。

ひとつも……浮かばなかった。

見間違いだよね。私の。
最近キミに勧められて本ばかり読んで目が疲れ気味だったし。
しょうがないしょうがない。
いやあ、慣れないことはやっぱりするもんじゃないよね。

そう、いつもみたいにあっけらかんとひねり出せばいいのに……。
いつも、そうしてきたのに……。

もう……できなかった……。

 

480:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 21:24:54.03 ID:Ow9B1hO6a.net

気付いてた。

本当はもう、気付いてた。

彼が、あの噂の中で語られる砂浜の幽霊だってことに、とっくに私は気付いてた!

この小さな街で。いくら私でも、入院できるような設備のある病院の存在を知らなかっただなんて、そんなのありえない。

彼は昔、移転する前のあの病院に入院してた患者だったんだ。

それも、幼いころからずっと苦しんできた、重い重い病気を患った。

 

481:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 21:25:53.17 ID:Ow9B1hO6a.net

砂浜の影の噂を聞いたことがないって言っていた志満ねえが。
代わりに、こんな話をしてくれたのを思い出す。

 

ちょっと前のこと。

まだ成人にも届かない若い息子を、幼い頃からの病気で無くした親が。
病院を抜け出しては、弱った体を無理やり引きずって眺めに赴くほど彼が愛していた、その駿河湾へ。
せめて最後は望むままに眠らせてやりたいって、市を相手に散骨の要望を出したことがあったんだって。

だけど市は、要望が出された場所は仮にも観光地で、内湾で色んな人が日常的に利用する上に漁も盛んっていう結論を出して。
主に風評被害を懸念して、その要望を許可できなかったみたい。

両親は市の判断に表面上は納得したみたいだったけど、その落胆ぶりはとても深く。
一部ではその後、市の判断を無視して無許可で散骨したんじゃないかって噂も流れてたって……。

 

真相はわからない。
でも、そういう話があるっていうだけで、今の私がすべてを悟る材料としては充分だった。

 

482:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 21:26:40.00 ID:Ow9B1hO6a.net

彼と出会い、そして重ねてきた時間が、浮かんではぐるぐると頭の中で混ざり合い。
私はもう今がいつで、どれがどのときの記憶か、自分でもよくわからなくなっていた。

ただ、彼に会いたかった。

会って、東京で刻んだ決意を話したかった。
その優しい眼差しと声に、祝福して欲しかった。
がんばれって、応援して欲しかった。

でも。

私はもう、彼に会いに行くことはできないと思っていた。

何故なら、彼は私に会ってしまうからその存在が希薄になるんだってことを。
そして会うたびにそれが顕著になっていくことを。
私は、認めてしまったから。

 

483:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 21:27:36.72 ID:Ow9B1hO6a.net

小さいころ。お母さんが忙しい女将の仕事をこっそりと抜け出して、布団の中で読み聞かせてくれた昔話に。
幽霊に魅入られて、会うたびに生気を吸われて弱っていく人の話を聞いたことがある。

それの、正反対みたいだなって……私は思った。

今は、会えない。
やりたいことを決めただけの今じゃ、彼に胸を張って会うことはできない。

砂浜での別れ際。
彼が私に言ってくれたはずの大切な言葉が、どうしてこんなにも記憶に定着していないんだろう。

決まってる。

それだけキミの存在が、もう希薄になってしまっているからなんだよね。

次に会ったときには、きっと彼は消えてしまう。

次に会うときが……最後……。

 

484:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 21:28:16.70 ID:Ow9B1hO6a.net

だから、そのときに相応しい私になれるまで、私は彼には会わない。

放課後の約束は果たせなくなるけど。
それでも、私が目指すべき道への入口へ、そっと導いてくれた彼への。
それがせめてもの感謝の姿勢だって……そう思ったから。

途中から上手く働かなくなった頭で。それでもなんとか最後まで考えをまとめることができた私は、意識をベッドの上に戻した。

修学旅行が終わって、明日は修了式。

本当の本当に、高校の一年生が終わってしまう。

でも、もう二週間前の私じゃない。
これからの私には、やることが山積みだった。

始めよう。彼が示してくれたこの道で。
走り出そう。そこで出会った彼女たちの、今は遠く見えない背中を追いかけて。

 

485:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 21:29:06.83 ID:Ow9B1hO6a.net

海から風が吹いてきたのか。
障子の向こう、廊下に面した広い窓が、大げさな音を立てて揺れているのがわかる。

その、風に乗って。

 

『高海さん……

微かな、優しいあの声が。
確かに聞こえた気がした。

ベッドから飛び起きる。

気のせいかもしれない。
でも、それでも確かめずにはいられなかった。

 

486:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 21:30:08.21 ID:Ow9B1hO6a.net

僅かな時間が惜しかった。

だから、最短距離で。
志満ねえたちの言いつけを破って、お客さん用の正面玄関からつっかけを引っ掛けると。
転がるように道路の向こうの砂浜へと走った。

どこを目指せばいいのかは、なぜかよくわかってたんだ。

部屋着のままの私へ、まだ春を遠く思わせる冷たい夜の空気が絡み付く。

それでも走った。

胸を乱すこの思いが嬉しさなのか、それとも不安なのか。
わからないまま堤防から砂浜に飛び降りた。
つっかけがその衝撃で壊れたみたいだけど、構わず裸足で波打ち際を目指した。

 

487:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 21:30:49.56 ID:Ow9B1hO6a.net

「こんばんわ、高海さん。
 ごめんね、びっくりしただろう?……でも、気付いてくれてよかったよ

果たして、波打ち際のすぐ向こう。
浅い海の中で、彼が変わらないあの笑顔で私を迎えてくれた。

でも、その体は。
もう所々が希薄になって、足の末端は海に触れる前に、完全に消えてしまっていた。

「どうして……キミ……

乱れた呼吸もそのままに、何とかそれだけを口にする。

そのとき私は、呼ぶべき彼の名前を知らなかったことに気付いて愕然としていた。
年齢さえも、聞いたことがなかった。

でも、この瞬間まで。聞く必要がないと思い込んでた。

ありえないことだけど、本当に私はそう思ってたの。

そんな不思議な力が今、緩んだみたいに私にそれを思い出させて。
彼の名を言葉にしようとした私の口を、重く閉ざしていた。

 

488:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 21:31:22.61 ID:Ow9B1hO6a.net

「僕は嘘つきだね、高海さん。だってあんなに寂しがり屋なんかじゃないって強がってみせたのに。
 君に会いたくて、こんなところまで来てしまったんだから

いつもの落ち着いた雰囲気に、少しだけ照れくささを滲ませて。
彼は私に初めて向けるような表情ではにかんでみせた。

その言葉と、表情が嬉しくて。
胸が締め付けられそうになった。

でも、胸が痛くなったのは、それだけが理由じゃなくて。

”こんなところまで”っていう何気ない言葉の響きが、彼が無理をしていることを意図せず零してしまったように思えて。
それがまた、聡明な彼が私が気付くようなことにも気付けないような状態にあることを、暗に示しているように思えて。

寒さに鈍った感覚の上からでもわかるくらい、立っていられないような痛みがザクザクと全身を貫いていったのを覚えてる。

 

489:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 21:32:10.16 ID:Ow9B1hO6a.net

「東京は、楽しかった?

「すごく…………すっごく楽しかったよ!2日間が本当にあっという間だった。
 でもでも、キミに話したいことも信じられないくらいいっぱいあるんだ!人間の感覚って不思議だよね~

それでも彼は、いつもと変わらない調子で切り出す。
私にもそうしてくれるよう、望んでいるみたいに。

そうだよね。自分のことなんだもん。
自分が一番わかってるに決まってる。

だから私も、彼の希望を汲んで。

いつもみたいにバカ千歌のテンションを引っ張り出して────

「そう……いっぱい、あるんだ……いっぱい……いっぱい……今夜だけじゃ、語りきれないくらい……

引っ張り……出して……。

「だから……明日も会って、明後日も……いっぱい、たくさんお話するから……どこにもいかないで……きっ────消えたりなんか!

 

490:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 21:32:46.06 ID:Ow9B1hO6a.net

「……消えたりなんか……しちゃ、いやだよお……

鼻がツンときつくなって、視界が大きく滲んでいく。

浅瀬でたゆたう彼の姿が、そのせいでもっと見え辛くなって。それがまた悲しくて、寂しくて。

次から次に涙が溢れて、止まらなくなった。

 

491:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 21:33:25.07 ID:Ow9B1hO6a.net

もう、限界だった。

さっき立てた決意が、足元からガラガラと崩れていってしまったみたいだった。

私は、胸を張って会いたいだとか、せめてもの感謝の姿勢だとか。色々理由をつけたつもりでいた。

でも、それは。全部ぜんぶ、まやかしで。
ただ、彼が消えてしまうのが。もう二度と会えなくなってしまうのが。恐ろしかっただけなんだ。

怖かったから、自分勝手にそれを先延ばしにして。あまつさえ彼にその理由を押し付けて。
私は、彼から逃げてるだけだったんだよ。

「泣かないで、高海さん……

「じゃあ、消えないって……いなくならないって……約束してよぉ……お願い……お願いだからっ……

そしてまた今、めちゃくちゃを言って彼を困らせるんだ。

だけど、そんな私に彼は、一つ一つ諭すみたいに……あの優しくて包み込むような声をかけてくれる。

 

492:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 21:33:53.94 ID:Ow9B1hO6a.net

「……君の考えている通り。僕は、砂浜の幽霊だったみたいだね。
 もう、自分の名前も思い出せない。そして、なんで死んでしまったあとに、こうやって再び形を持って、今ここに存在しているのかも

「なにかやり残したことがあったのかもしれないし。あるいは、誰かに伝えたいことがあったのかもしれない。
 ひょっとしたら、自分が精一杯生きることができなかったこの世界の全てが憎くて、化けて出たのかもしれない

そんなことはない。
キミのことを何も知らない私かもしれないけど。
それだけは絶対にないって。心から、誰が相手でも誓えるよ。

「だけど、いずれにしたって。
 僕は君と会うたび、言葉を交わすたび。そんな、忘れてしまった自分の中の渇いた何かが、満たされていったんだ。
 そして、満たされた僕の心は。少しずつ、だけど確実に。この場所から離れていくのがわかった

「満たされた心がどこを目指しているのかはわからない。
 だけど、僕は日に日に強くなるそれにあらがうことが、もうほとんどできなくなっている

 

493:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 21:34:26.67 ID:Ow9B1hO6a.net

あらがう。

彼は、特に力を込めてそう言った。

それは、彼らしくない強い意志を感じさせる響きで。
だからこそ。彼が今心からの叫びを包み隠さず語っていることを、教えてくれているみたいだった。

「そうだ。僕は、あらがったんだよ。みっともなく。摂理に逆らって。
 本当は、ずっと君と話していたい。君の笑顔を見ていたい。
 浅ましいかもしれないけど、許されないことかもしれないけど。そう……思ってしまったんだ

懺悔するように僅かに声を掠れさせ、彼が言葉を振り絞る。
伝わってくる彼の痛みに、私の心は悲鳴をあげるみたいに大きく震えていた。

「見てわかるかもしれないけど。それも、ほとんど意味のないことだった。
 離れていく心に引きずられて、僕は間もなく存在を維持できなくなるはずだ

「でも、これでいいんだ。
 僕はいなくなってしまうけど。消えてなくなってしまうけど。
 君に会えた。
 それだけでいいんだ。
 それだけで、もう思い出せない、だけどきっと根の深かった僕の未練から。潰えた何かから。こうして、救われることができたんだから

やがて、彼の言葉は徐々に穏やかになっていった。

諦めとは違う。別の何かを感じ、満たされていくように。

 

494:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 21:36:05.36 ID:Ow9B1hO6a.net

「初めて高海さんに出会った夜、僕はこう言ったよね。
 ”今日君とここで会えて、本当に良かったって思ってるんだよ”……って。
 その気持ちは、今もまったく変わらない。いや、もっともっと大きくなって。それは今ではもう僕の一番大切なものになったんだよ

「あの日、君の横でただ海を眺めるしか出来なかった僕に、何度も声をかけ。本来絶対に交わることのなかった、二つの世界を隔てる壁を壊してくれて。
 僕の世界を、君の世界と繋げてくれて。本当に、本当に嬉しかった……

ぱちん。

いつか聞いた。ここじゃないどこかで、でもすごく近いどこかから聞こえた何かが弾ける音。

それが、彼の感情に呼び起こされるように、もう一度。
今、どこかで弾けたような気がした。

 

495:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 21:36:27.71 ID:Ow9B1hO6a.net

「約束できなくてごめんね、高海さん。
 こんなに何もできない僕で。
 勝手に現れて。勝手に消えていくだけの存在で

「だけど、これだけは本当なんだ。
 うそと、まやかしと、忘却にまみれた僕の存在だけど。
 この思いだけは、絶対に本物だから────

 

「”僕は君に会えて。本当に良かったって思ってる”

「叶うなら。僕という存在が消えた後も。そんな、君といた時間の記憶のきらめきだけは。僕という器を離れても。どこかに、どんな形でもいい。残って……欲しいな……

 

496:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 21:37:00.78 ID:Ow9B1hO6a.net

泣いてる。

彼が、泣いていた。

消えてしまうんだ。なくなってしまうんだ。
この海辺から。この世界から。私の、目の前から。

私なんかより、きっと何倍も何倍も悲しいんだ。怖いはずなんだ。

でも、私をずっと励ましてくれた。
笑顔をもたらしてくれた。
道を、示してくれた。

ばかな私は、ようやくそれに気が付いた。

私じゃないんだ。
一番辛いのは、彼だったんだ。

だって、どんなに頭が良くったって。どんなに心が優しくったって。

彼は。彼だって。

私と同じくらいの、男の子なんだから────

 

497:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 21:37:29.15 ID:Ow9B1hO6a.net

 

「わたし!

 

498:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 21:37:54.89 ID:Ow9B1hO6a.net

いつかの夜。

寂しそうに揺れた彼の瞳の色を覆したくて。
何も考えずに叫んだ響きと同じ言葉が、夜の海にこだました。

何を言うべきか、やっぱり考えてもない。

でも、心のままにただ叫べばいいと。
私の中の何かが、再び教えてくれていた。

 

499:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 21:38:27.36 ID:Ow9B1hO6a.net

「私!春になったら、スクールアイドルを始めるんだ!
 そして、たくさん輝いて!あの人たちみたいにいっぱいいっぱい輝いて!
 色んな人に私を見てもらう!知ってもらう!覚えてもらう!!
 遠いところへいっちゃうキミにだって届くくらい、いっぱいいっぱい……輝いてみせる!!!!!

「だから!!!

「だから……

 

500:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 21:39:02.37 ID:Ow9B1hO6a.net

言えた。

彼に伝えたかったことを。
示して貰えた道を見つけたことを。
感謝を。
その先で目指すべきことを。

言うことができた。

言えたけど、でも、最後の最後。

肝心なところで言葉が詰まってしまって。
もうそれ以上、続けることができなかった。

やっぱり私は、彼の前で最後まで……バカ千歌のままだった。

 

501:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 21:39:51.54 ID:Ow9B1hO6a.net

「ありがとう……高海さん。応援しているよ。
 君なら、絶対に輝けるから

彼は、笑っただろうか。あの優しい瞳で。

でも、もう見えなかった。

止めどなく溢れる涙のせいじゃない。

彼の体は、ほとんど消えてしまっていたから。

「だ……から……

悔しくて、最後の力を振り絞って声を出した。

でも、それはやっぱり続かなくて。

夜の砂浜に打ち寄せる小さな波の音に、泡のように呑まれて消えていった。

 

502:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 21:40:41.06 ID:Ow9B1hO6a.net

「がんばれ、高海さん

消えていく。

もう、影すら見えなかった。

ただ、声のようなものが。潮騒に混じって、微かに響いてくるだけだった。

「がんばれ、僕の……

でも、確かに聞いたんだ。

私を励まし、信じて、そして微笑むように寄り添ってくれる。彼の優しい。

「僕の、アイドル────

 

その言葉を。

 

503:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 21:41:46.29 ID:Ow9B1hO6a.net

一同「「…………

千歌「これが、私の話……

ルビィ「ぐすっ……ひぐっ……

千歌「こんな機会を借りなくちゃ気恥ずかしくって……今まで誰にもしたことのなかった。ちょっと不思議な、私の掛け替えのない思いのひとかけらが芽吹いた、大切な話

曜「千歌ちゃん……

果南「千歌……

千歌「みんな、聞いてくれてありがとう……私、みんなに話せて……嬉しかったよ

 

・高海千歌
「砂浜の話」 おしまい

 

 

506:おしまいの話(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 21:59:22.52 ID:Ow9B1hO6a.net

 

そう言って、千歌ちゃんは最後の蝋燭を吹き消した。

 

507:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 22:00:37.43 ID:Ow9B1hO6a.net

百物語が終わった。

その会の名は比喩だけど。
みんながそれぞれ持ち寄った、不思議で、ゾクゾクするような話を交わし合う今夜の集いが。
今、確かにそうして終わったんだ。

ガタッ…

「え……

だけど。

ガタ…ガタガタッ…

「What?

「な、なに……障子がっ……

その名を冠してしまったからには、それが正しく行われたかの如何にかかわらず。

ガン!ガン!

「お、お姉ちゃん!

「誰か知りませんが、流石に悪ふざけがすぎていましてよ……!

「違う!これは……

────”最後の蝋燭が吹き消されたとき。本当の怪異が現れる。”

「ねえ!なんなの!

「いやあああああっ!!

「(ボソッ…)やっぱり、こうなるのね……

 

ガタァァアアンン!!

 

508:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 22:01:09.87 ID:Ow9B1hO6a.net

持ち込まれたランタンが誰かに灯されて、暗黒に包まれたお堂に一瞬で光が戻ってくる。

私たちはそこで、さっきから聞こえていた不気味な音の正体を見つけることになる。

揺り動かされ、振動で少しずつ開いた障子。

その間から、何かが無理やりねじ込まれていた。

 

509:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 22:01:34.49 ID:Ow9B1hO6a.net

 

きゃぁああああぁぁぁああああああああ!!!

 

 

510:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 22:02:28.87 ID:Ow9B1hO6a.net

それは、腕だった。

青白さを通り越し緑ががった指先と肌に貼り付けた袖口から、つい今しがた汚濁から這い上がってきたかのように濁った水を滴らせ。
その腕は何かを求めるように、ゆっくりと正面へ伸ばした掌を開閉させている。

鴨居と敷居から外れてもおかしくないほどの音と衝撃だったけど。
不思議とお堂の縁側へと繋がる障子は、左右に僅かに開いただけだった。

その、障子紙に張り付くように。黒い影が見える。
腕の持ち主なのは明らかだったけど。腕の位置は固定されたままなのにも関わらず、その影は大きくなったり小さくなったり。
まるで近付いては遠ざかるように、一定の距離感でいることはなかった。

 

でも、私にはそれがなんだか、わかってたんだ。

 

 

511:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 22:03:22.45 ID:Ow9B1hO6a.net

今日の集まりをするように、それとなく千歌ちゃんに働きかけた。

海を眺めるときの千歌ちゃんの瞳が、ときどき寂しそうに揺れているのを知っていたから。

そして、その瞳のゆらぎは。もう出会うことのできないような誰かを求めていることを教えていた。

千歌ちゃんは、会いたかった。
どんな形だろうと、叶えたかったんだと思う。

でも、それはきっと千歌ちゃんを悲しませて終わる以外の結果は生まれないんだってことも、私にはわかっていた。

会えない誰かが亡くなっているのか。
別の、もしかしたら超常的な出来事で失われたのかまではわからない。

だけど、私が考えていた手段では────ううん。それを可能だとする古今のあらゆる方法から探したって。
きっと、2人のまともな再会など、叶わないのだから。

でも……。

たとえ、それでも構わないと思った。

私が。私たちが。

千歌ちゃんをちゃんと支えるから。
癒すから。励ますから。

 

512:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 22:04:11.98 ID:Ow9B1hO6a.net

こんな話を聞いたことがある。

現在のスクールアイドル人気の火付け役として、今なお伝説のように語り継がれるグループ、μ’s。
かつて私たちの────誰より千歌ちゃんの目指した、一番星。

そんな彼女たちが、ある時期解散の危機に立たされたことがあるって。

原因は、あるメンバーの留学を巡るすれ違いから生じた不和と、欠員という未来への悲しみ。

結果として彼女たちは誰も欠けることなくそれを乗り越え。
それどころかその事件は、スクールアイドルとして彼女たちが大きく飛躍するきっかけにすらなったという。

信用のおけない品の悪い出版社の発行したスクールアイドル誌の特集記事だったけど。
その記事だけは妙に真に迫っている印象があって、今日まで忘れられなかった。

そして。

それが本当なら、私たちにも試練が必要だと思った。

 

513:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 22:05:25.94 ID:Ow9B1hO6a.net

鞠莉ちゃんは戻ってきて、三年生のみんなは再び一つになれた。

だけどそれは、今の”9人”に訪れた試練じゃない。

そして、元の形へと戻れるような試練では足りないと。
不可逆な苦しみと向き合い、戦い抜いた先の開花にこそ究極の雄飛が訪れるのだと。
そうでもしなければ、『無から有を生むことは(”ゼロ”を”イチ”にすることは)できない』と。

私の胸で、いつからか言葉にできない焦燥に似たそんな予感が、巨大な質量を持ち始めていた。

”そのため”には……。

 

────千歌ちゃんの大切な思い────

きっとそれはとっても尊くて、汚してはいけないもののはず。
だけど、私と。みんなとなら埋められる。乗り越えられる。

そう。
だから私は、千歌ちゃんの、その大切な思い。
それの喪失を糧に。
Aqoursを大きく飛躍させ。星の数ほどのスクールアイドルたちを────あのSaint Snowさえ……ううん。

喪失を経なかったμ’sの輝きすら、越えてみせる。

 

514:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 22:07:00.56 ID:Ow9B1hO6a.net

そんな打算と思惑を飼い慣らしながら。私は今夜の集いを画策したんだ。

だから。この状況は、ぜんぶ想定内のこと。

千歌ちゃんが誰にも話したことのなかった、その大切な思い出をつまびらかにしてくれたのも。

私たちのほの暗く薄気味悪い語らいに引き寄せられ、良くないものたちが集まり形をなすまでになったことも。

今まさに、現れた腕に呼ばれるようにふらふらと障子の方へと進む、その千歌ちゃんの歩みすら。

この”今”は、むしろ望んでさえいたことだった。

密かに集中を深めて。
わざわざ今夜の儀式に惹かれ集まった、耳を捨ててしまいたくなるようなおぞましい声を聞き。
今なお耐え続けているのは、千歌ちゃんのため。

海の音を聞いた時みたいに、私の感覚をメンバーのみんなに伝播し共有させているのは、私のわがままのため。

ひとりで失わせない。ひとりで悲しませない。
その正体を見極めて、理解して。
打ちひしがれる千歌ちゃんと一緒に泣いて。寄り添って。
そして、もう一度立ち上がるために。

みんなには巻き込んだ上に怖い思いをさせてしまって、本当に心苦しく思っている。

だけど。

彼女ひとりへ犠牲を強いる道を選んだ私ができる。これは決意と、せめてもの償いだと思ったから。

 

515:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 22:09:14.35 ID:Ow9B1hO6a.net

「だめっ……それは、それは違うのよ!

善子ちゃんが必死に千歌ちゃんへ呼びかける。

話を聞いていてわかってた。
善子ちゃんだけは、私たちの中でも闇を見ることにかけて、ホンモノの力を持っているって。

だから、これの正体にも。私以外でただ一人、気付いてしまったのね。

これは、千歌ちゃんの話に出てくる彼ではない。

偶然。直近に千歌ちゃんによって語られた話に引きずられ、漂うものたちがそれの中にあった彼の姿を借りて像を結んだだけだ。

だからこれは。彼の形を真似ているだけの、私たちの話に惹かれて集まった、有象無象の悪意の塊だった。

でも、千歌ちゃんは歩みを止めなかった。

おぞましさに気後れし、誰一人動くことのできない私たちの中で。
千歌ちゃんだけが障子戸へと近づいていく。

「また……会えたね……

それが彼だと信じて疑わない優しい声が、千歌ちゃんの口から漏れた。

慈しむように両手を開き、ありのままを受け入れるような後ろ姿が、腕の前で動きを止めていた。

「それから離れてぇえっ!!!

ほとんど悲鳴のような善子ちゃんの声。

それと同時に、障子から覗く手が突然千歌ちゃんの白い腕に掴みかかった。

 

516:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 22:11:11.76 ID:Ow9B1hO6a.net

手が、千歌ちゃんの二の腕をぎりぎりと音がするほど強く握りしめている。

痛みに耐えるように声を小さく震わせて、千歌ちゃんは言葉を続けた。

「わたし、ね……頑張ったんだ……。
 ううん。今も、頑張ってる。
 最初はひとりだったけど、こんなにも素敵なみんなと出会えて。支え合って。みんなで、スクールアイドル……頑張ってるよ……

「目標も、いっぱい増えた。
 学校を守ること。ゼロをイチにすること。そしてもちろん、輝くこと

「そう、輝きたい────精いっぱい、輝きたい!

 

517:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 22:11:44.75 ID:Ow9B1hO6a.net

「私たちが目指す輝きは、あのときキミに導いてもらった場所で出会った輝きとは、少し違うものになってしまったかも知れないけど。
 でも、輝くってことは変わらない。輝いて、輝いて。私でも輝けたんだよって、みんなに見てもらいたい。だからあなたも輝けるんだよって、あの人たちが教えてくれたみたいに、誰かに教えてあげたい。
 そして。遠い遠い、キミのいるところにも輝きを……私の思いを、届けたい

「本当は、わかってる。
 キミは……ううん、”あなた”は。キミじゃないんだよね。
 形を、自分を忘れてしまって。キミの姿を借りないと安定することもできない、”あなた”なんだよね。
 苦しいのに。こうやって苦しいのをわかって欲しくて、私の腕を掴むしかできないあなたに。キミの形をしてるからって、キミのことをたくさん話して。無視するみたいに、”あなた”のことを素通りして、ごめんね……

「でも。
 ここからは、キミだけじゃない。
 あなたにも、話したいことがあるの。聞いて欲しいことがあるの

 

518:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 22:13:44.59 ID:Ow9B1hO6a.net

「私……。私ね。思ったんだ。
 ずっと考えてたことなんだけど、今日みんなの話を聞いてて、やっぱり、って気付いたの

「キミもそうだったように。あなたたちはみんな、忘れてしまってることがあるんだ……って

「確かに、忘れられないこともあって。それを誰かに伝えたくて、霽(は)らしたくて、救われたくて。
 こうやって死んだり、無くなっちゃったあとも形を持って。自分がとらわれてしまっていることを、必死になって訴えてる

「でも、楽しくてこの世界に残ってるあなたたちなんて。きっとひとりも居ないんだよね。
 辛いから、悲しいから、憎いから、もどかしいから。それだけが忘れられなくて、今もこうして残ってしまってるんだよね

 

519:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 22:14:11.71 ID:Ow9B1hO6a.net

「だから。私は、あなたたちに忘れてしまったことを。
 どんなに小さなことでもいい。
楽しかったはずのこと。嬉しかったはずのこと。優しかったはずのこと。気持ちよかったはずのことを。思い出して……

「代わりに、辛くて、悲しくて、憎くて、もどかしいことを。ほんの少しでも忘れてもらいたい

「私たちを見て。私たちに会って。
 私たちの歌を聞いて、私たちの音楽に弾んで、私たちの踊りに微笑んで。
 忘れてしまったことをちょっとだけ思い出す代わりに、忘れられないことをほんの少しだけ忘れてもらいたい

 

520:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 22:14:54.30 ID:Ow9B1hO6a.net

今まで千歌ちゃんの腕をぎゅっと食い込むほど強く握っていた手から、力が緩んだ気がした。

千歌ちゃんが力の緩んだその手を、掴まれたのと反対の手のひらで優しく撫でてから。それをずらして、そっと……両手で包み込んでいく。

「私は、そう思ったの。
 だから、もうひとつ目標が増えたんだ

「私たちは輝きたい。輝くだけじゃなくて、それを見てくれた人たちに、みんなも輝けるんだって知ってもらいたい。
 そして、もう輝けなくなったあなたたちにも、かつて輝けたことを。かつて、輝きに触れて暖かくなったことを。思い出してもらいたい。
 ────苦しさから、解き放たれるための力になりたい

「今はまだあなたたちを、いたずらにただ刺激してしまうだけの存在かもしれない。
 だけど、いつか必ず。その刺激を、忘れていた大切なことを思い出すための、助けにしてみせる

「私たちが目指す輝きは。そういうことだってできちゃうような、きっとすごい力を持ってるはずなんだ

 

521:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 22:15:42.78 ID:Ow9B1hO6a.net

「だから、ねえ、忘れないで。
 私たちの名前を。私たちの輝きを

「私たちは、スクールアイドル。
 スクールアイドル……『Aqours』!

「忘れられないことを忘れられる。忘れてしまったことを思い出せる。
 そして。
 忘れられないことを忘れられた、そのあとに向かう場所からだって見つけられる

「そんな輝きを────届けてみせるから!!

 

522:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 22:17:32.64 ID:Ow9B1hO6a.net

千歌ちゃんの両手に包まれた、どす黒いもやをまとったようなその腕が。
キラキラ輝く光の粒子に乗って消えていく。

「Sunshine……

「え?

「千歌って、太陽の光みたいだね……

鞠莉さんがひとりごとのようにつぶやいて。

「こんな人、いるんだ……

そして、その横で。
善子ちゃんが光の粒を細めた目で追いながら。どうしてか、涙をこらえた瞳で、そう微笑んでいた。

それにならい。私も千歌ちゃんの後ろ姿と、上へ上へと昇っていく光がひとつの絵画みたいに収まったその光景を、再び見つめることにする。

「うん……

サンシャイン……太陽の光……。
そうかも。その通りかも知れない。

千歌ちゃんは、太陽の光みたいな女の子だった。

太陽のように自分で光ることはできないけど。
そこから飛び出して、一直線にどこまでも駆けていく、それはまるで太陽の光。

そして。
木漏れ日に似たその暖かさと、日の出前に水平線から伸びて暗い夜を優しく溶かすまぶしさを備えた……。そんな千歌ちゃんに惹かれて、私たちは集ったんだ。

 

523:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 22:19:19.69 ID:Ow9B1hO6a.net

「そう……なんだ……。だからこれで……これで、いいんだね……

天へと登る光のきざはしが薄れていく。
それを見届けながら、善子ちゃんが最後にそんな言葉を絞り出した。

彼女の言葉は、私と同じ考えを意味したものではないのかも知れない。
だけど、不思議と何の摩擦もなく。自分の口から溢れたかのように、その言葉はするりと私の中へと収まった。

これで、いいんだ。
私たちは、このままで。

試練も、苦難も、不可逆の喪失も。
そんなものは、必要ないんだ。

そんなことを経なくても。もう、彼女はとっくに羽ばたいていたから。
彼女と共にある限り、私たちの雄飛は遠くない未来、必ず訪れるのだろう。

そんなことにも気付かないで。
彼女のことを信じてあげられないで。
私は、なんてばかなことをしようとしていたのだろうか。

「だから……

千歌ちゃんが長い沈黙を破って振り向いた。
ランタンの淡い光に照らされて、その顔にはいつもよりさらにずっと柔らかい、穏やかな表情が浮かんでいた。

「だから、みんな。これからももっともっと、よろしくね

『おしまいの話』 おしまい

 

 

526:未来の話(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 22:36:41.27 ID:Ow9B1hO6a.net

>>黄昏時/幹線道路脇

???「……すんっ……ぐすっ……

女子高生「ねえ、あなた……どうしたの?

女の子「えっ……ひぐっ……

女子高生「……パパか、ママは?

女の子「う……ぇえ……わたし、だけっ……どこっ?おとうさん、おかあさん……

女子高生「そう、はぐれちゃったのね

女の子「うえぇ……うぁああんんっ……

女子高生「怖かったね……寂しかったね……

女の子「えぇぇえっ……ぁぁあぁん

女子高生「…………

 

527:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 22:37:27.49 ID:Ow9B1hO6a.net

女子高生「……ねえねえ、あなたは天使さまって信じる?

女の子「……てんし、さま?

女子高生「そう。空のずっと上に暮らしてる、美しくて慈悲深い、神さまの御遣い

女の子「……うん、しってるよ……だけど……

女子高生「だけど?

女の子「きらい……わたしのこと、たすけてくれないから……だから、しんじてない

女子高生「そう……

女子高生「嫌いなくらいなら、いない方がいい……か……

女子高生「……じゃあ、悪魔は?

女の子「……(ふるふる)

女子高生「神さま

女の子「……(ふるふる)

女子高生「堕天使なんか、どう?

女の子「てんしさまのこと、しんじてないから……みんな、いっしょ……

女子高生「そっか……

女の子「うん……

女の子「……うっ……ひぐっ(じわ…)

女子高生「────でも

 

528:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 22:38:37.31 ID:Ow9B1hO6a.net

女の子「……すんっ……?

女子高生「でもね、堕天使はいるんだよ

女の子「え?

女子高生「私が、そうなの(にこっ)

女の子「…………

女の子「……おねえちゃん、うそはいけないって、ようちえんでせんせいがいってたよ?

女子高生「あら、そう思う?

女の子「うん……だって、おねえちゃんは……その、ふつうだよ?

女子高生「”ふつう”……確かにそうかもしれないわね。でも……これは内緒よ?私はね────変身ができるの

女の子「へん……しん……?

女子高生「ええ。この服は一瞬で漆黒の衣へと姿を変え、背には深い夜の色を形にした翼が……

女の子「……おねえちゃん、やっぱりうそはよくないよ

女子高生「うそじゃないわ

女の子「じゃあ……ここで、へんしんできる?

女子高生「残念だけど、今すぐはムリなの

 

529:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 22:39:42.63 ID:Ow9B1hO6a.net

女の子「……

女子高生「ふふっ……そんな顔しないで?

女子高生「今すぐはムリだけど、もしあなたが私のこれから行く場所についてきてくれるなら、見せてあげられるわ。私が堕天使に、変身するところを

女の子「……

女子高生「もしかしたら、天使さまだって見られるかも知れないわ。どう?

女の子「……

女子高生「知らない人にはついていっちゃだめって、言われてるかな……

女の子「……(ふるふる)

女の子「ううん……わたし、みたい。おねえちゃんが、へんしん……するところ……でも……

女の子「でもわたし、こんなからだで、こわがられちゃう……みんなに、きらわれちゃう……

女子高生「そんなことないわ……

 

────ぱきん

 

 

530:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 22:41:21.17 ID:Ow9B1hO6a.net

女の子「そんなことあるよ!

ず…ずず…

女の子「あしがないんだよ!おなかのかわがないんだよ!ちがあふれてるんだよ!ぐちゃぐちゃなんだよ!

びちゃ…ず、る…ちゃ…

女の子「あああああああああああああああああ゛あああああああああああああああああああああああああああああああ゛あ゛あああああああああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っっ゛っ゛

 

531:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 22:43:03.88 ID:Ow9B1hO6a.net

ぎゅう…

女子高生「大丈夫……大丈夫よ……(なで…なで…)

女の子「あああ、あ……あぁ……

女子高生「怖かったね……寂しかったね……

ぎゅっ

女の子「うぁ、ああぁ……

女子高生「大丈夫……私は、思わない……あなたは”ふつう”の女の子だよ……(ぽん…ぽん…)

女子高生「忘れられないだけ……事故のことが……

女子高生「思い出せないだけ……本当の自分の姿が……

女の子「……っく……んえっ……

女子高生「だから……手伝ってあげる。私が……ううん。私たちが

 

532:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 22:43:28.59 ID:Ow9B1hO6a.net

女の子「ひっ……おとうさん……おかあさん……

女子高生「怖かったんだね、見つけてもらえるか

女の子「なっ、ななちゃ……やっちゃん……

女子高生「自分が、怖がられないか……

女の子「あいたいよ、みんな……

女子高生「会えるわ、だから……

とくん…とくん…

女の子「────あ

女子高生「こんな暗い場所にひとりでいるのはやめにして。私といっしょに、明るいところへ……光の射す場所へ、行きましょう

女の子「……あったかい……

女子高生「……ね?

女の子「……うん……

女の子「────うん

 

533:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 22:44:12.73 ID:Ow9B1hO6a.net

────ねえ……

────ん?

────おねえちゃんは、どこにいくところだったの?

────ライブ会場よ

────ライブ?

────うん。お姉さんはね、堕天使だけど、アイドルなの

────だてんしで、アイドル……

────そう、堕天使スクールアイドル。新しいでしょう

────お姉さんのお友だちがね……そう名付けて……見つけてくれたの

────みつ……けて?

────うん……私のことを。そして、私の居場所を

────いばしょ……

────私だけじゃないわ。きっともっと、たくさんの人たちが……

────あなたもきっと、その人たちに教えて貰えるはずだから

 

534:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 22:46:13.38 ID:Ow9B1hO6a.net

────これからいくところで、あえるの?おねえちゃんのおともだちと

────ええ。とってもまぶしくて。キラキラしてて、楽しくて……

────でも、誰より楽しんでるのは、ステージの上の彼女たち

────そんなのを見ていると、なんだか負けん気が出てきて。自分だってこんなに楽しいことがあるんだぞって……嬉しいことがあったんだぞって、胸にその高鳴りが蘇ってくる

────反対に、辛かったり、悲しかったりすることは薄れていって……

────結局。みんながみんな、それぞれの嬉しさや楽しさを爆発させて。でもそれを競わせることなく、笑顔で帰っていく……

────これから行く場所は、そういうところなのよ

────……すごい……たのしみだな……

────くすっ。堕天使ヨハネが保証するんだから、絶対よ

────うん。おねえちゃんが”へんしん”するところも、とってもたのしみ

────ありがと。その期待は必ず報われるわ

 

535:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 22:46:37.16 ID:Ow9B1hO6a.net

────ふふっ……へんなはなしかた

────堕天使だからね

────でも……

────ちょっと、かっこいいかも

────……光栄よ

────おねえちゃんたちは、みんなだてんしなの?

────……うーん。ときには天使。ときには小悪魔。そしてときには、女神さま……かしら

────わあ……いっぱい”へんしん”できるんだ……

────まあ私はいっつも、堕天使だけどね

 

536:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 22:47:55.41 ID:Ow9B1hO6a.net

────……、なまえ

────ん?

────おねえちゃんたちの、なまえは?

────……”Aqours”よ

────スクールアイドル、『Aqours』

────あくあ?

────水のように境目なく溶け合う、9人のメンバーと、それを応援してくれるたくさんの人たち

────そして……私と、あなたもそう

────”私たち”はみんなで、”Aqours”なの

────スクールアイドル……あくあ……みんなで、ひとつ……

────……なんだか、あんしんするなまえ……

 

537:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 22:49:07.00 ID:Ow9B1hO6a.net

────さあ、会場に着いたわ

────ぅ……ひと、いっぱい……

────……大丈夫。あなたはあなた。さっき教えた通り、自分をしっかり持って

────うんっ……

────いい返事よ

────……おねえちゃん

────なあに?

────ライブ、がんばってね

────……ありがとう。あなたも、心のまま……楽しんでね

────うん。みんなでひとつ……わすれないよ……

────わた……も……あ……りがと……

────…………そして

善子「そして……どうか、安らかに……

 

538:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 22:50:45.43 ID:Ow9B1hO6a.net

千歌「善子ちゃん!

善子「ヨハネよ!……遅れて悪かったわね

千歌「ううん、だいじょぶだいじょぶっ

千歌「それより、誰かと一緒だった?

善子「ええ……迷子が、いたわ……

千歌「えっ?たいへん!係りの人呼ぶ!?

善子「その必要はないわ。きっと、もう迷わないから

千歌「えっと……つまり、善子ちゃんが解決してくれた……ってこと?えらいっ、お姉さんの鏡!

善子「……あなたが、私に教えてくれたことだからね(ぼそっ…)

千歌「ん?どうかした?

善子「なんでもないわ。それよりも準備、待たせたわね

ばっ!

善子「今日のライブも成功させて────(ギラン!)

千歌「……!うんっ!!(ニコッ)

「「みんなで!いっぱいいっぱい……輝こう!!!

 

【千歌「ねえねえっ!今夜みんなで、百物語しよーよ!」】 おしまい

 

544:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 23:03:20.36 ID:Ow9B1hO6a.net

最後の自分語りです

・日常の話
一つ目の話は、『不安の種+ 1巻/♯6 早朝の珍事』の露骨なパク……オマージュです
これに限らず、『日常』の4つの話はどれも『不安の種』シリーズの話から影響を得ていると思います

Aqoursメンバーでホラーをやる上で、善子ちゃんの不運設定は必ず絡めたいという考えがあり。そのためには最低3つは話が欲しいと思っていて
だけど他のメンバーと同じような話をまともにそれだけ用意できる能力がないとも思っていたので、サクッと短めの怖い話を幾つか語らせようということにし
短くてもインパクトのある話がいっぱいある『不安の種』シリーズを読み直して勉強した結果、怪異は剽窃してなくても雰囲気はよく似た話になったんだと思います

 

545:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 23:04:06.31 ID:Ow9B1hO6a.net

異聞は、アニメ前はよく強調されていたような記憶のある『堕天使キャラは自己の不運の理由付けとして生まれた』という設定にホラー要素を足した感じでしょうか
このスレ全体の構想がアニメ最初期のころのものでしたが、アニメの善子ちゃんを取り巻く環境も非常に美しいと思ったので
あとからアニメ内でのやりとりもふんだんに盛り込み、歪みながらもひとまず形にしてみました

『おしまいの話』で気付いて、『未来の話』で実践するようになった見えざるものたちとの付き合い方については、月並みですが映画『シックス・センス』からのものだと思います

 

546:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 23:07:45.43 ID:Ow9B1hO6a.net

・『砂浜の話』
『師匠シリーズ』の『先生』、『不安の種+ 1巻/♯26 窓に佇む少女』などの「ホラー作品なのに暖かい話」に個人的にとても惹かれるものがあって
せっかく百物語スレをやるなら自分もチャレンジしてみることに

上記二作の要素と、千歌ちゃんの力を借りることで、ボロボロかも知れませんが、なんとかそれらしいものを作れたのではないかと思います

 

547:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 23:08:52.43 ID:Ow9B1hO6a.net

・『おしまいの話』
特には思い付きませんが、百物語が終わってしっちゃかめっちゃかになる様子はやはり『×××HOLiC』の百物語回からなのかと
オチを付けるためだけではありせんが、梨子ちゃんには若干腹黒くなってもらいました。愛ゆえに……

ほとんどの話が各異聞のせいで解決を見ませんでしたが。今回の千歌ちゃんの決意を共有し、わき目もふらずにスクールアイドルに打ち込むAqoursのメンバーの姿に触れるうち、そんな怪異たちも”思い出して”あるいは”知って”
遠くない未来。あるべき場所に還っていくんじゃないかなぁとか、後付けながら思っています

 

548:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 23:09:35.23 ID:Ow9B1hO6a.net

・『未来の話』
〆&おまけ。影響は先の通り『シックス・センス』から
百物語スレなのでメインキャラは特に設定しませんでしたが、終わってみればこの2人。どちらかというと善子ちゃんだったのかなぁ、と

>>1
これがどういうスレになるのかと言う雰囲気が出てくれれば良かったので、特にどのメンバーの語りかを決め打ちで書いた訳ではありません
ですが、今見返すとやはりというか、とりわけ善子ちゃんがしっくりくる感じですね

 

549:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 23:12:15.01 ID:Ow9B1hO6a.net

夏どころか年の瀬も過ぎ、新年になってしまいましたが、なんとかひとまず完成させることができました

軽い気持ちで始めたんですが、やりたいことがどんどんふくらんでいった結果、こんな分量になってしましました。そしてやっぱり、9人と言う人数はキツいですね

ホラーは原作群にその要素がまったくない、ねじれの位置にあるようなジャンルのため。ふと気が付くと”これでやる必然性”がなくなってしまうということを手を付けてすぐ肌で感じました
そのため話は”まずAqoursのメンバーありき”ということを大切に考えました
そのためキツくはありましたが、Aqoursのメンバー全員のことをとても深いところまで好きになれたんじゃないかと思います

 

550:(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sa4f-XCM5) 2017/01/03(火) 23:13:22.73 ID:Ow9B1hO6a.net

このSSに取りかかり始めた頃はよく自分で盛り上がってしまい
勝手にひとりで怖くなって、暗い時間の風呂を意識的に避けたり、普段全く気にしない家の廊下の電気を何となく不安で必ずオンにしてしまうようになったりと
私生活にも少なくない影響がありましたが、何だかんだで楽しい日々でした

そんな、長くてやりたいことを詰め込んだだけのひとりよがりなSSですが、ここまでお付き合いいただき本当にありがとうございました

ラブライブ!が。Aqoursが。この先もみんなの輝きであってくれればと思います

 

554:(茸)@\(^o^)/ (スップ Sd4a-pZVt) 2017/01/04(水) 00:05:00.28 ID:fXQdoYf2d.net

非常に完成度が高くてよかった ありがとう

 

556:(家)@\(^o^)/ (ワッチョイ a7a4-qQw5) 2017/01/04(水) 00:12:52.04 ID:a2XKBgXr0.net

ラブライブサンシャインの作品性の解釈に繋げてるところが偉すぎ

 

557:(茸)@\(^o^)/ (スフッ Sdaa-Oyq5) 2017/01/04(水) 01:18:23.65 ID:hM84X1o8d.net

本当にお疲れ様
すごく怖かった

ハルヒ、けいおん、まどマギとかの色んなホラーSS読んだことあるけど、ここまで完成度の高いのは読んだことないな
怖いだけじゃなくてキャラを掴んだ上で話が練られてるし、俺が今まで読んだホラーSSの中で一番面白かった
小説として売ってたら俺なら買う

 

558:(おいしい水)@\(^o^)/ (ワッチョイ faf2-jKD/) 2017/01/04(水) 01:29:36.18 ID:smmBSIPV0.net

どの話もすごい完成度高くて怖い、面白い、引き込まれると同時にAqoursへの愛が伝わる作品だった。
サンシャインでこんな質の良いホラー作品を読めて良かったよ。乙でした

 

562:(聖火リレー)@\(^o^)/ (ワッチョイ df88-SevC) 2017/01/05(木) 03:15:01.73 ID:OGbWxcaK0.net

あんまり難しい感想言えないんだけど
何か言いたいので

ありがとうございました

 

568:(プーアル茶)@\(^o^)/ (ワッチョイ dff3-Z1Bn) 2017/01/05(木) 22:35:43.12 ID:C31VN1cy0.net

グイグイ読み進んで堪能させてもらいました
手間暇掛けた作品をありがとう

 

567:(庭)@\(^o^)/ (アウアウカー Sa3f-8czw) 2017/01/05(木) 20:28:58.01 ID:LTO7Lmkga.net

おどろおどろしさを基盤に、しかしただ怖いだけじゃない。
その雰囲気のまま綺麗に最後まで駆け抜けた超大作でした。
Aquorsの子たちや作品への愛、理解がひしひしと伝わってきた。
最後の解説まで含めて面白かった、本当にありがとう。

 

引用元: undefined

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