せつ菜「スカーレットの衝動」
吸血鬼と言っても、ちょっと力が強いのと、傷の治りが速いくらいで、これといって特殊な能力はない。
身体を蝙蝠に変化させたり、空を飛んだり、魔法でも使えたりすれば、アニメやラノベのキャラみたいでかっこいいのだけれど。
自分が吸血鬼ってわかったのは、ちょうど三か月前くらい。同好会の練習中、外でランニングをしている時のことだった。
歩夢「いったた……」
かすみ「わっ! 歩夢先輩!? 大丈夫ですか!?」
歩夢「転んじゃったみたい……」
愛「うわー、結構すりむいちゃってるね。誰か絆創膏持ってない?」
彼方「彼方ちゃん持ってるよ~」
愛「カナちゃんナイス! じゃあどっかで洗おっか」
美味しそうだと思ってしまった。
もちろん、血は好きでもなかったし、あまつさえそれを飲みたいなんて趣味はなかったので、おかしいことだとは思いつつ、その時の話をお母さんにした。
菜々母「ああ、あなた、吸血鬼なのよ」
菜々「え、ええ!?」
お母さんの話によると、遠い祖先が吸血鬼だったらしくて、たまにその形質を持った子どもが生まれてくるらしい。私の場合は、それが後天的に発現してしまったようだ。
吸血鬼としての血が薄いためか、強力な能力こそないが、太陽の光もにんにくもへっちゃらだ。
気掛かりなのが、月に一度だけ、吸血衝動が高まる時がくるようになってしまったこと。他の人の首を見ると、美味しそうだなって思ってしまう。
人を傷つけてまで血を吸いたくはないから、そうした時にはトマトジュースを飲んで誤魔化すことにしている。古典的だな、とは思うが、意外と気が紛れるのだ。
侑「あ、また歩夢のこと見てるの? せつ菜ちゃんも好きだね~」
放課後になって、練習時間。今日はいつものレッスン室で歩夢さんと一緒にダンス練習だ。
せつ菜「も、もう! からかわないでください!」
侑「そんなに好きなら、デートにでも誘ってみたら?」
せつ菜「で、デートって、まだ付き合ってもないんですよ!?」
侑「まだってことは、いずれはそうなる予定なんだよね?」
せつ菜「もおもお!」
侑「ふふっ、ごめんごめん」
侑「でも、ガンガンアタックしてもいいと思うよ。歩夢もまんざらじゃなさそうだし」
せつ菜「……考えておきます」
けれども、今日みたいに吸血衝動が高まっている時は、たぶんその気持ちだけじゃない。
歩夢さんのいい匂いをより感じるようになるし、歩夢さんがひときわ美味しそうだと思う。
……美味しそうって、なんだ。そんな風に考えてしまう自分が嫌になる。
歩夢さんは大切な友達で仲間なのに、これではまるで、食べ物として見ているみたいで。
せつ菜「え、い、いや、今日は……」
歩夢「あっ……ごめんね。毎日一緒だと、嫌だよね?」
せつ菜「嫌じゃないです! や、やらせてください!」
歩夢さんがあまりにも悲しそうな顔をするものだから、断れなかった。
……ううん。それもあるけど、一番は、私が歩夢さんと少しでも一緒に居たかったから。
大丈夫。歩夢さんは大切な友達で仲間で、私の大好きな人だから、絶対に、絶対に吸わない。
歩夢「んしょ……はぁ……」
歩夢「私、身体柔らかくなったと思わない?」
せつ菜「そうですね。以前よりだいぶいい感じです」
歩夢「せつ菜ちゃんが教えてくれたおかげだよ。ありがとう」
せつ菜「歩夢さんががんばったからですよ」
最近の歩夢さんは本当に熱心だ。私の練習メニューを聞いて実践してみたり、残れる時には積極的に残って練習していたり。
せつ菜「……」
歩夢「せつ菜ちゃん? どうしたの?」
せつ菜「やっぱり、歩夢さんのその髪形、すごく似合っていてかわいいなって思って……」
せつ菜「正直、見とれちゃいました」
歩夢「へぅ!? ……あ、ありがとう」
歩夢「そうなんだ。ポニーテールにすると、なんだかやる気が湧いてくるんだよね」
歩夢「ほら、ちょっとかっこよくない?」
そう言うと歩夢さんは首を左右にふりふり。なるほど。歩夢さんの熱心さはこんなところにも表れているのか。
せつ菜「……ふふっ」
歩夢「え、なんで笑うの!」
せつ菜「ああ、ごめんなさい。今のは子どもっぽくってかわいいなって思いました」
歩夢「もうっ! せつ菜ちゃん、かわいいって言い過ぎ!」
せつ菜「すみません。かっこいいですよ、ポニテ」
歩夢「むぅ……あんまりそんなこと言ってると勘違いしちゃうよ」
せつ菜「え! そ、その……!」
せつ菜「そ、そうですね……」
私の気持ちがバレているのかと思ってドキッとした。……そのまま勘違いしてくれたら、私のこと好きになってくれたのかな。
せつ菜「それにしても……歩夢さんがかっこいい、ですか」
歩夢「そんなにおかしかった?」
せつ菜「いえ、そういうわけではないんです。ただ、歩夢さんはかわいい方が好きだと思っていたので」
歩夢「そうだね」
せつ菜「だから、私みたいだなって思ったんです」
せつ菜「私もかっこいい衣装とかを着ると、『やるぞー!』ってスイッチが入る気がしますし」
せつ菜「……っ! そ、そうですね!」
にこりと笑った歩夢さんに、不意打ちをくらった。
歩夢さんといるときは、心臓がいくつあっても足りないぐらいだ。
歩夢「一緒ついでに、せつ菜ちゃんもポニテにしてみない?」
せつ菜「いいですね」
歩夢「私がやってあげるよ。ヘアゴム貸して」
せつ菜「はい」
結んでいた髪をほどいて、そのままゴムを手渡す。
歩夢「髪ほどいたら、せつ菜ちゃんと菜々ちゃんの間って感じだね」
せつ菜「変身する前の中間形態ですね」
歩夢「名前は……なななちゃんかな」
せつ菜「ええー。あんまりかっこよくないです」
歩夢「そう? かわいくて好きだよ。なななちゃん」
せつ菜「! ……歩夢さんが好きなら、悪くはないかもしれません」
歩夢さんだって大概だ。……私の方は、勘違いじゃないのだけど。
鼻歌まじりに私の髪をいじり始める。ちょっぴりくすぐったいけど、とっても心地よい。
歩夢「やっぱりきれいだね。せつ菜ちゃんの髪」
せつ菜「ありがとうございます」
歩夢「ふふっ、こうすると侑ちゃんだ」
両手で持ち上げながらそう言った。その口ぶりは、なんだか私まで楽しくなってくるみたいで。
せつ菜「あはは。ときめいちゃいます!」
歩夢「うふふ。侑ちゃんの真似かな? 上手だね!」
せつ菜「えへへ。そうですか?」
歩夢「うんうん。かなり似てるよ!」
幼馴染にお墨付きをもらってしまった。嬉しくて、つい調子に乗ってしまう。
歩夢「……! あ、ありがとう!」
そう言うと、歩夢さんは何も喋らなくなってしまった。……ちょっとやりすぎちゃったかな。
歩夢「……はい、ポニテせつ菜ちゃんの完成!」
せつ菜「わあ! ありがとうございます!」
鏡に映った自分を見て、心が躍る。歩夢さんとおそろい。
せつ菜「ふふっ、かっこいいですか? 私」
歩夢「うん! すっごくかっこいいよ!」
せつ菜「えへへ~。じゃあ、今日の練習も張り切っていきましょう!」
……張り切って、いくはずだったのだけれど。
今日の練習はお互いのダンスを見て、改善点などを話し合うもの。私がダンスを踊るところまでは良かったのだが、問題は、歩夢さんのダンスを見る時だった。
その時間は、かわいらしい振り付けも、揺れるポニーテールも、素敵な笑顔も、全部見ていないといけないわけで。
普段だったら至福のひと時なのだろう。しかし、今日はまずかった。
歩夢さんの綺麗なうなじから血を吸いたくてたまらない。吸血鬼としての私が目を覚ましてしまった。
歩夢「せつ菜ちゃん、大丈夫?」
床にへたりこんだ私の顔を覗き込むようにして聞いてきた。吸血の欲求をかき立てるような甘い匂いが漂ってくる。
せつ菜「だ、大丈夫です……」
せつ菜「すみませんが、そうさせてもらいます……」
歩夢「歩けるかな? ダメそうだったら、私がおんぶするよ」
せつ菜「大丈夫です。一人で行けますから……」
これ以上、歩夢さんと一緒に行動することは出来ない。重たい身体を何とか持ち上げ、少しずつ保健室へ向かう。
歩夢「わっ! 危ない!」
倒れそうになったところを抱きとめられた。衝動と理性がめちゃくちゃにケンカし合っている。
そんなところに、零距離の歩夢さん。臨界点を越えるほどの渇望を感じた私は——
歩夢「せ、せつ菜ちゃん? せつ菜ちゃん!?」
目が覚めると、心配そうな顔をした歩夢さんがそばにいた。ここは……保健室のベッドだろうか。
歩夢「せつ菜ちゃん、大丈夫?」
せつ菜「多分、大丈夫です」
歩夢「そっか、よかったあ」
歩夢「急に気を失ったから、びっくりしちゃったよ」
せつ菜「あはは……すみません」
歩夢「謝らないで。せつ菜ちゃん、体調悪かったんでしょ」
歩夢「熱は……ないよね。もしかして、かなり寝不足とかだったり?」
顔を近づけてくる。歩夢さんの匂いにまたクラクラしてしまいそうだ。
せつ菜「……えっと、そんなところです」
歩夢「ふふっ、せつ菜ちゃんでも寝不足になっちゃうことあるんだね」
せつ菜「寝る前にいろいろチェックすると、遅くなっちゃうことがあるので……」
そう、今の私は寝不足なのだ。この不調は、血を吸いたいからじゃない。と誤魔化してみる。
せつ菜「あるあるですね」
歩夢「……じゃあ、はい」
せつ菜「!?」
いきなりやわらかい感触に包まれる。いっそう濃くなった匂いに思考が追いつかない。
せつ菜「な、なんですか」
歩夢「一日30秒ぎゅっとすると、安心出来るんだって」
歩夢「いつもがんばってるせつ菜ちゃんに、私からのごほうび……かな」
安心できるわけなんて、ない。
もみくちゃにされかけた理性が、ごほうびという甘言によって完全にとどめを刺された。
押さえつけられていた本能が、歩夢さんに牙を剥く。
歩夢「せつ菜ちゃん!?」
せつ菜「あ、ああ……ごめんなさい!」
押し倒してしまった。全身の血の気がさあっと引いていくのを感じ、歩夢さんからすぐに飛びのく。
歩夢「……どうしてこんなことしたの?」
歩夢「……怒ってないから、教えてほしいな」
……もう誤魔化せそうにはない。歩夢さんを手をかけてしまいそうになった事実に、歩夢さんの悲しそうな顔に、罪悪感を覚えた。
せつ菜「…………実は私、吸血鬼なんです」
歩夢「……え、きゅうけつき?」
せつ菜「血を吸う怪物のやつです。ほら、アニメとかに出てくる」
歩夢「あ、ああ、吸血鬼、ね」
歩夢「そっか……せつ菜ちゃんは吸血鬼の血が流れてて、血を吸いたくなってるんだ」
せつ菜「にわかには信じがたいと思いますが、そうなんです」
歩夢「せつ菜ちゃんがそういうなら、私は信じるよ」
せつ菜「……ありがとうございます」
歩夢「そんなに大変だったなら、私に相談してくれればよかったのに」
歩夢「って、相談できるようなことでもないよね」
空元気だ。こんなことがあって、普段通りの付き合いができるわけがない。
歩夢「せつ菜ちゃんは化け物なんかじゃないよ。化け物だったら、あのとき、血を吸うこと、我慢できないもん」
せつ菜「しかし、襲い掛かろうとしてしまいました」
歩夢「あれはせつ菜ちゃんに近づき過ぎちゃった私のせいだから」
せつ菜「……」
歩夢さんは優しい。友達からいきなり押し倒されて、その理由が吸血鬼だったからって言われて、それでも拒絶しないでいてくれる。
せつ菜「……あ、鞄、持ってきてくれたんですね。ありがとうございます」
歩夢「うん。侑ちゃんが持ってきてくれたの」
せつ菜「鞄の中にトマトジュースがあるので、取ってもらってもいいですか」
歩夢「わかったよ。はい」
せつ菜「ありがとうございます」
飲みかけのジュースを一気に飲み干す。トマトの強い酸味が口の中に広がるが、この渇きは満たされそうにない。
せつ菜「……少しだけ、ですけれど」
歩夢「普段はどれくらいでおさまるの?」
せつ菜「数日あれば大丈夫です。今回のは……あと三日ほどでしょうか」
歩夢「…………私の血でよければ、吸っていいよ」
せつ菜「……な、なんてこと言うんですか!?」
歩夢「だって、倒れちゃうくらい辛いんでしょ!?」
歩夢「今だって、それを飲んでないといけないぐらいなんだよね!?」
歩夢さんの語気が強くなる。心配してくれているのが、痛いぐらいに伝わってくる。
せつ菜「だからといって、歩夢さんを傷つけるようなことは出来ません!」
歩夢「でも、無理やり吸おうとしたじゃん!」
せつ菜「……っ! そ、それは……!」
歩夢「おねがい。私、せつ菜ちゃんが苦しんでるところは、見たくないの」
歩夢「……私だったら、いくらでも吸っていいから」
やっぱり、歩夢さんは優しい。普通だったら、襲われそうになった化け物に対して、その身を差し出すことなどできないだろう。
せつ菜「……もう、どうなっても知りませんよ」
ドアの鍵とカーテンを閉め、ベッドの上にふたりっきり。今だけは、保健室は私の縄張りだ。
せつ菜「……まず、下着だけになってください」
歩夢「うん」
言われるがままに、歩夢さんは練習着を脱ぎ始めた。控え目な衣擦れの音が、私の背徳感めいた感情を掻き立てる。こんな気持ち、抱いていいはずがないのに。
歩夢「……次は、どうすればいい?」
そう言われるまで、私は歩夢さんに釘付けになっていた。乳白色の肌に映える、ふたつの膨らみを包み隠した桃色の下着。決して派手な色ではなかったが、かえってそれが歩夢さんの可憐さを想起させた。
そして、それ以上に私を惹きつけたのが、歩夢さんの首筋だった。どんなご馳走を目の前にした時よりも、気持ちが昂っている。
やっぱり、とても綺麗だ。今すぐにでもかじりつきたいほどに。
そんな私の欲求を抑えるように一つ深呼吸をして、歩夢さんに最後の警告をする。
せつ菜「……今から、歩夢さんの首元を噛みます」
せつ菜「痛かったら、教えてください」
声に出さないまま、歩夢さんはゆっくりうなずいた。震えているように思えたのは、歩夢さんが恐怖しているからなのか。私が興奮しているからなのか。分からなかったが、そんなことはもうどうでもよかった。
やわらかな皮膚に牙を突き立て、ひと思いにかぶりつく。
歩夢「いっ……!」
歩夢さんが身じろぐ。痛がっていることを感じさせないよう、必死で声を押し殺しているみたいだった。
あらゆる果物を濃縮したかのようなとろける甘さ。あまりの甘美さに、脳髄が痺れるような感覚さえ覚えた。
これが、歩夢さんの……血の味。
もっと欲しい。もっと。
歩夢「んっ……! ぁ……!」
歩夢さんの声色が変わったような気がした。嬌声のようなそれは、私の衝動をさらに煽った。
歩夢さんの体温、歩夢さんの献身、歩夢さんの愛情、歩夢さんの全てを私の物にして飲み干してしまいたい。
欲するがままに、私の渇きを歩夢さんで潤していく。優木せつ菜としての恋心も、吸血鬼としての渇望も、喉を鳴らすほどに満たされていった。
歩夢「はぁ……はぁ……」
せつ菜「歩夢さん、大丈夫ですか?」
だんだん落ち着いてはいるものの、荒い息遣い。血液を抜かれているというのに、紅潮している頬。吸血されることは、どれほどの負担になっているのだろうか。
歩夢「大丈夫……」
さっきまで口をつけていた首筋に目を落とすと、虫刺されのような赤い痕があった。鋭利な牙で嚙みついたにしては、傷痕が小さすぎる。吸血鬼の唾液には、傷を治す作用でもあるのかもしれない。
歩夢「……お水、欲しい、かも」
せつ菜「は、はい」
歩夢さんの鞄から水筒を取り出す。それを受け取ると、歩夢さんはごくごくと音を立てながら飲み始めた。
歩夢「んく、んく、ぷはぁ~」
せつ菜「! ええ、とっても美味しかったです」
そう聞く歩夢さんの顔がかわいすぎて、思わず目をそらしてしまう。
歩夢「ふふっ、よかったあ」
せつ菜「あ、練習の方、終わっちゃってますね……」
スマホの時間を確認する。思ったより長い間吸っていたみたいだ。
歩夢「家まで送ってから帰るって連絡しといたから、大丈夫だよ」
歩夢「だから、今日は家まで送らせて」
せつ菜「ダメです! 歩夢さんは血を失ってるんですから!」
せつ菜「むしろ私が送るべきなんです!」
歩夢「……じゃあ、今日はそのまま帰ろ」
歩夢「帰ったら連絡して」
せつ菜「分かりました」
歩夢「約束、だからね?」
家に帰ってから、歩夢さんとメッセージアプリでやり取り。よっぽど心配なのか、歩夢さんのお願いで寝る前に電話まですることになった。
十時ぐらいに電話するって言ってたけど、なかなか連絡がこない。いや、十分程度では、なかなかってレベルじゃないのでは。
待ってる時間をこんなに長く感じてしまうのは、普段電話なんてしないからなのかも。
歩夢「ごめんね! ちょっと遅れちゃった」
せつ菜「いえいえ、大丈夫ですよ」
歩夢「体調はどう?」
せつ菜「すっかり元通りです。歩夢さんのおかげですね」
歩夢「ふふっ、それならよかった」
歩夢「今日は本当にびっくりしちゃったよ。せつ菜ちゃんがいきなり気を失っちゃうんだもん」
せつ菜「あはは……すみません」
歩夢「いいよ。せつ菜ちゃんの秘密、教えてもらっちゃったから」
せつ菜「……くれぐれも、他の人にはバラさないでくださいね」
歩夢「はあい♪」
なぜだか、今の歩夢さんは電話越しでもわかるくらいに機嫌が良いように感じた。
歩夢「……あ、もうこんな時間だね」
時計が十二時を示している。待っていた時間より何倍も話していたのに、名残惜しいと思うくらいにあっという間だった。
せつ菜「そうですね。そろそろお開きにしましょうか」
歩夢「寝る前に一つだけ聞いていい?」
せつ菜「いいですよ」
歩夢「次に吸いたくなる時っていつぐらいかわかる?」
せつ菜「いつもの感じだと、おそらく一か月後かと」
歩夢「じゃあ吸いたくなったら言ってね」
せつ菜「ダメです、血を抜かれるのはきっと負担になってしまうので」
せつ菜「何より、歩夢さんを傷つけたくありません」
もう、絶対に吸いたくない。歩夢さんを傷つけてしまうことも、美味しいって感じてしまう自分も、嫌だから。
前から思っていたけど、歩夢さんはちょっと頑固なところがあるのかもしれない。だったら……
せつ菜「今回初めて血を吸ったんですけど、かなり満足できたので、衝動も弱いものになると思うんです」
せつ菜「だから、歩夢さんからはもうもらわなくても平気ですよ」
嘘も方便。大丈夫、スクールアイドル優木せつ菜の正体だって、しっかり隠せているのだ。吸血鬼の本能だって、これからは絶対に隠し通してみせる。
歩夢「そういうもの、なのかな」
歩夢「でも、具合悪くなったら、すぐに言ってね?」
せつ菜「はい」
続きは明日あげます
おやすみなさい
楽しみに待ってる
歩夢さんから血を頂いてから一週間。私は、今までにないほどの身体の不調を覚えていた。
おかしい、吸血衝動にしては早すぎる。あれだけ血を吸って、満たされていた……はずなのに。
心も体も、歩夢さんを求めてやまない。血の味を覚えてしまったから? それとも、大好きだから?
ぐちゃぐちゃの思考のまま、何とか放課後。今日も練習があるが、このままでは出られないだろう。何より、歩夢さんとは絶対会ってはいけない。
侑さんに連絡だけして、今日は休ませてもらおう。時間が経てば、この渇望も、じきにおさまる。今までだって、そうだった。そうしてきた。
けれども、そんな私の考えは、すぐに吹っ飛んでしまった。
ドクンと心臓が鳴って、私の中の怪物が騒ぎ始める。彼女の血を吸えと捲し立てる。
歩夢さん、どうしてここに……!
いや、クラスが違うとはいえ、歩夢さんは私と同じ普通科の生徒。同好会以外で、今まで顔を合わせることなんて、何度もあったはずだ。
しかし、今はまずい。
歩夢「今から同好会行くんだけど、一緒に行かない?」
菜々「……生徒会の、用事がある、ので」
とっさに目をそらし、嘘をつく。お願いだから、気付かないでいて。
菜々「……では」
歩夢「待って」
菜々「……何ですか?」
歩夢「菜々ちゃん、もしかして」
やめて、それ以上は。
歩夢「体調悪い? まさか、もう吸いたかったりする?」
私の顔を覗き込んでくる。また、あの匂いが。
菜々「い、いえ、だいじょうぶ、でs——」
歩夢「菜々ちゃん!?」
目を覚ますと、心配そうな、でも少し怒ったような顔をした歩夢さんがそばにいた。保健室のベッド。一週間前と同じことになってしまった。
歩夢「あ、起きた? 大丈夫?」
菜々「……大丈夫、じゃなさそうです」
眼鏡をかけながらそう答える。はっきりとした視界で見ても、歩夢さんの心までは読み取れない。
歩夢「そうだよね。よだれ、垂れてるもん」
菜々「えっ!?」
歩夢「嘘。出てないよ」
歩夢「やっぱり、お腹空いてるんだね」
菜々「う、噓ついたんですか!?」
歩夢「そうだね。ついたのは、菜々ちゃんもだけど」
菜々「あ……」
菜々「……それは本当です。今までは確かにそうでした」
菜々「たぶん、血の味を覚えてしまったから、吸いたくなるペースが速くなったのでしょう」
歩夢「ふーん。そうなんだ」
普段とは明らかに違う声色。疑われているのは間違いないだろう。
歩夢「じゃあ、生徒会の用事があるって言ったのは?」
菜々「……それは」
歩夢「嘘だよね。侑ちゃんに聞いたよ。今日は休むつもりだったんだよね?」
菜々「……はい」
菜々「そんなことありません!」
歩夢「じゃあどうして侑ちゃんにだけ伝えたの?」
歩夢「やっぱり、私なんか……」
菜々「……これ以上、歩夢さんを傷つけたくないからです」
歩夢「菜々ちゃん、電話のときも言ってたけど、傷つけたくないって、何?」
菜々「その、血を吸うのが、負担になると思って」
歩夢「いつ私がそんなこと言ったの?」
歩夢「私は菜々ちゃんなら、血を吸われてもいいんだよ」
歩夢「欲しいなら、今だって……」
そう告げると歩夢さんは、おもむろに制服を脱ぎ始めた。
歩夢「美味しかったんでしょ。私の血」
歩夢「満足するまで、吸ってよ」
詰め寄ってくる歩夢さん。ベッドの上には、逃げ場なんてもうなくて。
歩夢「菜々ちゃん」
優しく包み込まれた。体温も、鼓動も、吐息も伝わる距離。私の力であれば、簡単に振りほどけるはずなのに、微塵も抵抗できない。
歩夢さんの血が、歩夢さんが、欲しくてたまらない。
噛みついてしまう前に、もはや理性とも呼べないようなもので私の怪物を抑え込み、そう聞く。
ダメって言ってほしい。私を否定して、拒絶してほしい。そうしてくれれば、引き返せそうな気がしたから。
けれども、歩夢さんは——
歩夢「そう言ってるじゃない」
私を倒すのは、聖水でも、太陽の光でも、銀の弾丸でもなかった。
歩夢さんの笑顔。それだけで充分だった。
髪の毛をかきあげて、剝き出しになった首筋に噛みつく。すると、糖分をたっぷり蓄えた桃のような香りが私を包んだ。その香りに誘われるままに、皮膚を貫き、吸血を始める。
菜々「……んく、……ごくっ……ごくっ」
歩夢「……はぁっ! ……んっ! ……あっ!」
以前吸った時より、歩夢さんの声が激しくなっているような気がする。けれども、歩夢さんを気遣っている余裕なんてなかった。
どうして……どうしてこんなに美味しいの。
その味は、重くのしかかる罪悪感も、その裏にひっそりと隠れている背徳感も、全て吹き飛ばしてしまうほどで。
私を掴む手に力が入ってくる。求められているみたいで、私の情欲がますます燃え上がる。
歩夢「……やぁっ! あんっ! ……ああっ!」
歩夢さん。歩夢さん。この時だけは、私の、私だけの物。
歩夢「…………な、なちゃ」
名前を呼ぼうとしたであろう、消え入るようなか細い声を聞くまで、私は歩夢さんを摂取し続けた。
菜々「大丈夫ですか? 歩夢さん」
歩夢「……う、うん」
明らかにぐったりしている。吸い過ぎてしまったのかもしれない。
菜々「……大丈夫そうじゃないですね」
菜々「やっぱり、人間から血を吸うのはやめることにします」
菜々「歩夢さんも、私が吸いたい時には近づかないでください」
歩夢「だ、だめ」
菜々「ダメも何もないでしょう。歩夢さん、ふらふらじゃないですか」
歩夢「菜々ちゃんは、私の血しか……吸っちゃだめ、なの」
縋りつくように、私に抱き着いてくる。
歩夢「私なら、大丈夫だから」
歩夢「心配なら、ご飯もいっぱい食べて、たくさん血を作るから」
歩夢「私の血だけ、吸って」
菜々「どうしてそんなにしてくれるんですか?」
私がそうこぼすと、歩夢さんと目が合った。綺麗な瞳。普段は曇ることのないそれに、今は迷いの色も混じっているような気がして。
その瞳の奥の感情も全部知りたい。見つめていれば、少しは分かるのかな。
炎のような熱い色がかすかに見えた時、歩夢さんが口を開いた。
歩夢「菜々ちゃんのためなら、なんでもしたいの」
歩夢「な、ななちゃ——」
菜々「私も好きです! 大好きです!」
恋しくて、愛しくて、大好きすぎて、抱きしめずにはいられなかった。
歩夢「……私も大好き!」
歩夢「菜々ちゃん。そろそろいい?」
菜々「あ、はい! すみません」
歩夢「ほら、ここ保健室だし、そろそろ出なきゃ」
菜々「そうですね」
歩夢「人が来なくてよかったよ」
菜々「この後はどうしますか? 歩夢さんは……」
歩夢「今日は練習できないかな」
菜々「ですよね……すみません」
歩夢「いちいち謝らないで。私が吸っていいって言ったんだから」
菜々「でも……」
歩夢「そうだなあ……じゃあ、家まで送ってくれる?」
歩夢「私、倒れちゃうかもしれないから」
菜々「分かりました。お供します」
歩夢「ふふっ、お願いね♪」
菜々「それでは、行きましょうか」
歩夢「ねえ」
菜々「なんですか?」
歩夢「……手、繋いで?」
歩夢「……ほら、倒れちゃったときのために」
嘘だ。歩夢さんは繋ぎたいだけなのだろう。欲張りなのに、ちょっぴり恥ずかしがり屋さん。そんなところがとってもいじらしい。
菜々「あはは、そこまで気が回りませんでした。そうしましょう」
でも、恥ずかしがりなのは、たぶん、歩夢さんだけじゃなくて。
菜々「……」
歩夢「……」
……私たち、付き合う前は、どういう風に話していたんだっけ。
分からないけれど、気まずさは感じなかった。
ほころんでいる口元や、温度を伝えてくれる手が、言葉にせずとも、これでいいんだよって肯定してくれているから。
しばらく歩いて、歩夢さんの家がだいぶ近くなった時、ふとあることを思い出した。
菜々「歩夢さん。私の眷属になってくれませんか」
歩夢「……けんぞくって、何?」
菜々「吸血鬼が血を分けた人間のことです」
菜々「眷属を作れば、他の人の血は吸えなくなりますが、その眷属一人の少しの血だけで生きていけるそうです」
吸血鬼についてお母さんから話してもらった時、眷属についても聞いていた。
先祖の中には、大切な人を眷属にして、その人だけから血をもらうって人もいたらしい。
歩夢「じゃあ、私、せつ菜ちゃんの眷属になるよ」
菜々「……提案した私が言うのもなんですが、眷属になったらずっと私に血をあげないといけないんですよ」
菜々「だから、一度しっかり考えてから決めてほしいんです」
歩夢「うーん……」
歩夢「それって、ずっと一緒に居られるってことでしょ?」
歩夢「それなら大丈夫だよ。私、菜々ちゃんのこと大好きだから」
菜々「…………歩夢さんにはかないませんね」
私の両親が出かける予定の日と、同好会の練習のない日が重なった日。
二人で決めたその日に、歩夢さんが私の家に来た。
私の大切な人で、大好きな人。
今日、私は彼女を眷属にする。
歩夢「よろしくね、せつ菜ちゃん」
眷属化といっても私の血を飲むだけでいいから、大仰な準備なんかは必要ない。もし両親がかえってきた時のために、儀式は自分の部屋で行うことにした。
せつ菜「はい。では、さっそく始めますね」
ナイフで左手の掌を切り付ける。鋭い痛みと引き換えに、自分の血がコップに溜まっていった。
歩夢「痛くないの……?」
せつ菜「痛いですけど、すぐ治りますから大丈夫ですよ」
せつ菜「それを言うなら、吸血はどうなんですか?」
歩夢「噛まれるときは痛いけど、吸われてるときは痛くないかな」
せつ菜「そうなんですか……」
歩夢「もう! まだそんなこと言うの?」
歩夢「私のことが好きなら、私の言うこと、信じてよ」
歩夢「それに、せつ菜ちゃんも言ってくれたでしょ」
歩夢「始まったのなら……!」
まっすぐに突き出された右手。自信たっぷりな笑顔。
ああ。本当に、歩夢さんにはかなわない。
せつ菜「貫くのみ、ですね」
歩夢「うん!」
歩夢「いただきます」
ごくり、ごくりと、一息に飲んでいく。
歩夢「ぷはっ……」
歩夢「ごちそうさまでした」
歩夢「私、せつ菜ちゃんの眷属になったんだね」
せつ菜「はい。気分はどうですか? 血を飲んだので、具合が悪くなったりするかもしれません」
歩夢「うーん。むしろ、ぽかぽかしていい気分かも」
そう言うと、歩夢さんは牙を見せて笑ってみせた。
…………え、牙?
歩夢「せつ菜ちゃん。もっともらっていい?」
せつ菜「え、あ、歩夢さ——」
やんわり押し倒された。今の歩夢さんはどこかおかしい。
歩夢「ねえ、せつ菜ちゃん」
歩夢「ちょうだい?」
服に手をかけ、強引に脱がせようとしてくる。私の力でも振りほどけないほどの膂力に驚きを禁じ得ない。
せつ菜「分かりました! あげます、あげますから、落ち着いてください!」
歩夢「はあい」
会話はできるようで、ひとまず安心。おそらく、眷属化した歩夢さんは、吸血鬼になってしまったのだろう。それなら、血をあげれば大丈夫かな。
せつ菜「……どうぞ」
歩夢「うふふ。じゃあ、いただきます」
長い髪を優しくよけてから、私の首元に噛みついてきた。
せつ菜「いっっ……!」
声を上げてしまいそうなほどに痛い。歩夢さん、毎回これに耐えていたんだ。
ぐっと深いところまで刺さった後、ゆっくりと牙が抜かれた。これから吸血されるのだろう。
歩夢さんが言うには、痛いのはここまでらしいけど……
せつ菜「ひぅ!?」
身構えていた身体を襲ったのは、引き裂くような痛みではなく、痺れるような快楽だった。
歩夢「こくっ…………こくっ…………」
せつ菜「……っあ! ……はっ!」
味を確かめるかのように、ちびちびと飲み始める。歩夢さんが私を吸う度に、桃色の刺激が責め立ててくる。
歩夢「ぢゅうう……ごくっ……ごくっ」
せつ菜「あっ♡ あんっ♡ ああっ♡」
気に入られたのか、吸う勢いが強くなった。押し寄せる快楽の波に溺れる。
跳ねる身体を捕まえられる。快感の逃げ場がなくなり、声が抑えられない。
せつ菜「んあっ♡ や、やっ♡」
歩夢「ごきゅっ……ごきゅっ……」
せつ菜「ああっ♡ だ、だめっ♡」
搾り取られる。優木せつ菜を。歩夢さんの物にされてしまう。中川菜々も。
歩夢「せつ菜ちゃん、気持ちいい?」
せつ菜「あ……あゆむ、さん……」
歩夢「ふふっ。吸血って、気持ちいいでしょ?」
歩夢「これからは私も、せつ菜ちゃんを気持ちよくさせてあげられるね♡」
せつ菜「……は、はい♡」
歩夢「ちゅっ」
せつ菜「ひゃうっ!?」
歩夢「んふふ~」
口づけされて、舐められて、溶けてしまいそうで。
歩夢「ちゅ……れろ……んむ……」
せつ菜「あっ♡ ああっ♡」
めちゃくちゃになってしまった思考回路は、一つのことしか考えられなくなっていた。
もう一度、あの強烈な快感が欲しい。あれでトドメを刺して欲しい。
どうすればいいのか、なんて考える前に身体が動いていた。
魅了の魔法は使えないけれど、今の歩夢さんを魅了することならできる。
せつ菜「わたしのち、すってください♡♡♡」
歩夢「もちろん♡」
そう言うと、歩夢さんは、深く、長く、しっとりと私の口にキスをして…………
歩夢「せつ菜ちゃん。大好きだよ♡♡♡」
最後に見たのは、淫靡に、妖艶に、可憐に笑う歩夢さんだった。
あの後、いろいろ確認したら、やっぱり、歩夢さんは眷属になったと同時に、吸血鬼になってしまったらしい。
眷属が吸血鬼になったって事例は、お母さんに聞いても分からなかったけど、歩夢さんの体調も、衝動の高まる頻度も全く問題ないので、心配はないだろう。
眷属にした歩夢さんの方が、もともと吸血鬼だった私より力が強いのは……なんだか複雑だけど。
あれから、私たちは、人に見つからないところで吸い合うようになった。
食事のため以上に、快楽のために血液を交換し合う。なんてちょっとおかしいと思うけれど、これが私たちの愛の形だと思うと、結構悪くないかも。
菜々「ええ!? ここ生徒会室ですよ!?」
歩夢「お腹空いちゃったんだもん」
菜々「嘘つかないでください。昨日もあげたじゃないですか」
歩夢「えへへ、ばれちゃった」
菜々「バレバレです」
菜々「そもそも、お互いに眷属なんですから、こんなにする必要ないんですよ?」
歩夢「でも好きでしょ? 吸うのも、吸われるのも」
菜々「……まあ、そうですけど」
歩夢「……だめ?」
菜々「…………」
菜々「……ちょっとだけなら」
歩夢「やったあ! 菜々ちゃん大好き!」
菜々「すぐ終わらせてくださいね。誰かに見られたらまずいので」
歩夢「菜々ちゃんも声抑えてね。昨日ぐらいだと丸聞こえだから」
菜々「も、もう!」
歩夢「うふふ♡」
こういう時、私たちは、世界で一番幸せな二人だなって思う。だって…………
信頼で、愛情で、恋慕で、そして、緋色の衝動で——繋がっているから。
おわり
アニメ二期が楽しみですね。
過去作です。
せつ菜「私、最近変わったと思いませんか?」歩夢「え?」
せつ菜「歩夢さんへの誕生日プレゼントは私です!」
歩夢「せつ菜ちゃんってさ、ショートケーキみたいだよね」
お互いに快楽の為に血を吸い合うのが溜まりませんね
ありがとうございました!! またせつぽむ書いて
ふたりとも吸血鬼になったのはある意味最高に強固な婚約だ
乙
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