【SSコンペ】『日野下花帆という女は』【ラブライブ!蓮ノ空】

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【SSコンペ】『日野下花帆という女は』【ラブライブ!蓮ノ空】

1:(光) 2023/06/10(土) 21:18:39.61 ID:7Jr8q8vU

SSコンペ参加作品です。
https://nozomi.2ch.sc/test/read.cgi/lovelive/1685782999/

 

2:(しまむら) 2023/06/10(土) 21:21:19.92 ID:Q4J88Hjd

>>1
代行ありがとうございます。
蓮ノ空短編、地の文多め、モブ視点です。

 

3:(しまむら) 2023/06/10(土) 21:22:55.62 ID:Q4J88Hjd

 最初に見た時から、太陽のような女だった。
 ただ、それは夏至の日に昇る、鬱陶しいほどに高らかな太陽に似ていた。

 日野下花帆という名前。突拍子もないポジティヴな脳。スクールアイドルクラブ。彼女について知っていることはそれくらいだ。
 しかしながら、これは仕方のない話なのである。元来人の輪に入るというものが苦手な自分には、和気藹々と喋り続ける少女たちの声を西瓜泥棒のようにこっそりと盗み聴くしかできなかったのだ。

「それで、その時梢センパイが……」

「ふふっ、流石乙宗センパイですね。綴理先輩なんて……」

 鼈のように身体を縮め、無関心の体で真っ黒な黒板をぼうっと眺めていても、耳だけは欹てて音を集めているのが私の常であった。
 昼飯はもう食い終わっている。コッペパンとチョコレートコロネをひとつずつ。それと紙パックのカフェオレだけで、5分もあれば腹に流し込める量だ。元来少食かつ健康に気を遣える人間ではなかったが、親の目がないとどうにも悪食が悪化してしまうものだ。
 今頃クラスメイトの大半は購買部に駆け込んでいるだろうが、あんな人混みに飛び込むなんて思えば食欲も失せてくる。朝のうちに買っておけば、カフェオレが微温くなる以外に問題は無いではないか。

 ちらりと教室の奥……件の日野下花帆の机を見た。無邪気に笑いながら雲雀のように喋る彼女と隣にもう一人、髪を両側で結った少女が笑っている。確か、彼女もスクールアイドルクラブのメンバーだった気がする。良く覚えていなかった。

 

5:(しまむら) 2023/06/10(土) 21:25:23.58 ID:Q4J88Hjd

 別段、そのお下げの相方が嫌いな訳では無い。そもそも日野下花帆以外のスクールアイドルを知らないのだから、嫌うも何もないのだが。
 むしろ嫌いだったのは、日野下花帆の方だった。聞けば特に一芸も無く蓮ノ空に入学したと言うではないか。加えて入学早々転校だなんだと騒いでいた記憶もある。
 かと思えば一週間後にはライブをやっただとか。無茶苦茶な女であることは、無意味に斜に構えた端女が毛嫌いするに十分な根拠であった。

 それからも良く人前で歌っているようで、度々話題に挙がる奴である。四月頃に一度、一人で歌っているところを眺めたことがあるが、まぁ下手糞だった。これは罵倒でもなんでも無く、本当に下手だった。それから今どうなっているかは詳しく知らない。……正確には上達していたら癪なので、見ないようにしていた。

「来週ヒマ~?」

「なに?」

「来週の日曜、駅行かない?新しいパン屋が出たんだってさ。好きでしょ?パン」

「普通でしょ」

「いつも食べてるのに?」

「……米より食べやすいだけ」

 ふぅん、と言って机に腰を掛けたまま、無二の友人は身体を捻らせてスマホの画面を見せてくる。映っているのが件のパン屋だろうか。パステルカラーの外装に、場違い気味な花輪が開店を祝っている。窓に貼られた広告を見るに開店セールを行っているようだ。親の仕送りと鋼のフェンスに守られて生きる山奥の女学生にとって、懐事情と学校を囲む山川草木は悩みの種である。少なくとも値段は断る理由にはなり得なかったので、仕方無しに了承する。

「わかった、来週ね」

 

6:(しまむら) 2023/06/10(土) 21:30:02.36 ID:Q4J88Hjd

 「流石!話早いよね~」

 友人は私の手からスマホを奪い、踊り念仏のようにくるくると回り出す。いかれぽんちのように見えるので止めろと念を籠めて睨み付けると、すぐに落ち着いた。
 しかしどうやら、それは私の影響ではなかったらしい。収まったと思ったのも束の間、彼女のお喋りが衰えることはなかった。

「そういえば、何見てたの?珍しいじゃん。いっつもスマホばっか見てる癖に」

「……別に」

 ここでフイと視線を反対に逸したのが良く無かった。彼女は逆算のように視線を遡り遡り、結局辿り着いてしまった。

「あ~、もしかして花帆ちゃんたち?興味あるんだ!」

「ちゃん?興味?」

 怪訝に思い聞き返せば、友人はニコリと奇怪な笑顔を浮かべる。その様は嫌な予感を脳裏に過らせるには十分だったと言えるだろう。

 

7:(しまむら) 2023/06/10(土) 21:31:58.71 ID:Q4J88Hjd

「スクールアイドルクラブでしょ?私もこの前 ライブ見たんだけど、メッチャ良かったよね~!」

 友人は私と違いミーハーな奴だと理解はしていたが、ついにスクールアイドルにも手を出してしまったのか。それは酷い裏切りだろう。私は思わず頭を抱えてしまった。
 お前は私のような日陰者にも水をやってくれる気のいい女ではなかったのか。いつから太陽に魂を売った亀女になってしまったのか。
 今度こそいてこますぞと言わんばかりに睨むも、既に彼女の目線は日野下花帆に向いていた。

「あの子、頑張ってるよね~。応援したくなるっていうか、元気貰えるっていうか……わかるでしょ?」

 わかるものか、日和見野郎。
 そう叫んでやろうかとも思ったが、友人もあれで好い女なのは知っている。入学式の直後、教師先生の話を流して窓を見ていたかたつむりのような奴に話し掛けるとは、中々勇気のいることだ。もし友人が友人でなければ、今頃私は教室で飯も食えなかっただろう。

 ただ、それはそれとして腹が立つものは仕方が無い。当然友人に喚いても意味が無いのは理解しているので、私は話題を捻じ曲げるのに執着することにした。

 

8:(しまむら) 2023/06/10(土) 21:34:20.38 ID:Q4J88Hjd

「それで、態々遊びの誘いだけで来たの?」

「え~、良いじゃん。アンタ口下手なんだから、話し相手に位なってよ」

「私が口下手なのを知ってるなら、聞き下手なのも知ってるでしょ」

「そんなこと無いと思うけど……しょうがないなぁ」

 そう言うと、彼女は若干の逡巡を見せた。やけに勿体ぶるではないかと苦言を呈そうと思った瞬間、被せるように口が開かれた。

「部活の先輩から、そろそろ今度の演奏会のメンバー決めるってさ」

「…………そう」

 その話題は、遊びの誘いやスクールアイドルの話題よりも嫌な内容だった。
 友人と同じ管弦楽チームに入ってるとはいえ、部活の話題は放課後まで持っていて欲しかったのだが仕方ない。真面目な彼女と不良な私とでは放課後に話す機会も無いのだから、今言わなければならないのは私の自業自得だった。

 私は努めて無意識調に返答した。嫌な日には嫌な話題が続くものである。窓の向こうを眺めると、西の方に雲が現れ始めていた。

 

9:(しまむら) 2023/06/10(土) 21:37:14.11 ID:Q4J88Hjd

 蓮ノ空は芸術の側面が強いだけあり、入学者の多くは何かしらの芸を昔から会得している。業界において今でも学校の地位は高いらしく、見世物で食っていこうとするには良い足掛かりになるらしい。
 因みに残りは全寮制だの伝統だのに惹かれた輩で、極稀に理解できない動機だったり、何も考えていなかったりする奴もいるらしい。

 さておき、芸術の中にも分野は無限にあると思うが、一番割合を占めるのはやはり音楽の類だろう。縦笛を産声代わりに産まれてきた才女や、小中で下手にピアノができるものだから調子に乗って夢を見続けている餓鬼もいる。私はどうやら後者の類らしく、弾こうが弾こうが周りとの差に溺れるだけで、ついにはたった二ヶ月で部活をサボり始めた悪童になってしまっていた。

 しかしながら、蓮ノ空の生徒は練習やら趣味やらで皆楽器を弾きたがるので、学内ではそこかしこから音色が聴こえてくるのが日常だった。
 先輩が部活に来なかった日、最終下校時刻に寮に帰ろうとしたら校舎裏で延々と楽器を弾いていた、というのはどの部活でも定番の語り草になっているらしい。

 そんな人間ばかりなので、芸術に関してはある程度不良でいても目くじらを立てないという風潮があり、それに助けられているのが現状だった。
 ただ、私に関してはどう取り繕おうがサボりである。最近の私には、真面目にやる気力は毛ほども残っていなかった。

 

10:(しまむら) 2023/06/10(土) 21:40:01.40 ID:Q4J88Hjd

 今日も私は敷地を歩き回り、ピアノの音が漏れる音楽室や、サックスの主張が激しい校舎前なんかをすり抜けて、ようやくアオゲラの囀りが聴こえる校舎裏を見つけ、適当な縁石に胡座を構えることにした。
 
 周りには誰もいない。自然のざわめきが逆説的に静寂を響かせ、それが私の心を落ち着かせた。無様を誰かに晒す心配が無いのが良かった。それでも物音を出せば誰かが寄ってきてしまいそうで、あくまでひっそりと、ジッパーの音でさえ神経質にケースを開ける。中にあるのは使い古されたアコースティック・ギターだ。劣化のあるダークブラウンのボディは古井戸のようにも見えた。
 
「んんっ…」

 チューニングに合わせて咳払い。喉奥にぬちゃと張り付く唾液をなんとかしておきたかった。

「すぅー……ふぅ……」

 一つ大きく深呼吸までしてから、何を弾くか決めていなかったのを思い出した。どうせ何をやってもロクな演奏にはならないのである。そう思うと、この深呼吸に過剰な正当性があるような気がして、小さな笑いが漏れた。

 

11:(しまむら) 2023/06/10(土) 21:41:55.98 ID:Q4J88Hjd

 ここでひとつ、私はこう思ったのである。

 そうだ。日野下花帆がいつの日か歌っていた歌をひとつ、手慰みに弾いてやろうではないか。

 そんな企みが思いついた瞬間、指先の骨に油が差されたような感じがして、弦とピックとが全く一体になった。その感覚は、これから驚くほどの爽快感が待っていることを示唆していた。
 曲を聴いたのはしばらく前のことだが、これでも記憶力は良いのだ。タイトルこそ思い出せないが、なんとかなるだろう。

「えーっと……確か、あー……ララ、ララ~」

 一人とはやはり心地が良いものだ。他人の声やら視線やらを意識しなくて良い分、気が楽になる。目を閉じても鳥の囀りや、木陰を通る風がはっきり認識できる。
 そしてこころが軽くなれば、それだけ手取り足取りも軽くなるのだ。そうすれば、私の前で常に転び続けるだるまから逃れることができるに違いない。座ったままだが、私のこころは野兎のように動き回っていた。

 

12:(しまむら) 2023/06/10(土) 21:44:09.96 ID:Q4J88Hjd

 しかしそうやって気を楽にして、好き勝手やっていたのが駄目だったらしい。歌詞も知らぬ一曲が終わり、閉じていた目を開くと、そこには見知らぬ女が一人。正面からこちらを見据えるように立っていた。

「ひっ」

 思わず悲鳴が漏れる。誰だこの女は。どこから来て、何時からいたのか。
 ぐるぐると加熱する脳を落ち着かせようとするも上手く熱が排出されないようで、しっかり握っていたはずのピックが指から滑り落ち、アスファルトの地面にぶつかり甲高い音を立てた。

「えと、あの…」

「ごめんなさい。驚かせるつもりは無かったのだけれど。貴女の演奏がとても素敵だったから…つい、ね」

「…………どうも」

 辛うじて3字捻り出せたのは褒めてもらいたい。口下手な割に努力した方なのだ。

 

13:(しまむら) 2023/06/10(土) 21:46:52.27 ID:Q4J88Hjd

「そのギター、貴女の?」

「ええ、まぁ、はい」

「良く手入れされてるわね。少しだけ、触っても良いかしら」

「えっと……はい、どうぞ」

 そのままギターを差し出すと、女は慣れた手付きで構えた。どうやら素人ではないらしく、

「あ…ピック」

「あら、ありがとう」

 ピックを渡せば、そのまま流れるように弾き始めたではないか。そうしてしばらくその演奏を聴いていると、流石にオーバーヒートした脳も冷えてきて、彼女の姿が鮮明に認識できた。
 タイの色からして二年生だろうか。姿勢が良いのもあり、やたらと背が高く見える。ピックを持つ指先に飾り気は無いが、きち と手入れされているのが見えた。演奏家なんてものは指先を拷問にかけ続けるような生き物で、大抵の場合は諦めて無頓着になりがちなのだが、そうではないらしい。几帳面な奴だ。

 

14:(しまむら) 2023/06/10(土) 21:49:34.97 ID:Q4J88Hjd

 この女は恐らく、良いところのお嬢様ではないだろうか。私の脳はそう結論付けた。思えばやたらと芯のある口調だとか、白波のようにキラキラと輝く髪だとか、そこらの女学生には似つかわぬ風体である。納得がいった。

 そして何より……上手い。迦陵頻伽の如き歌声も、サラスヴァーティー川の水面のように澱みなく揺れる弦も、そこらの管弦楽部員よりも上等な腕前だ。もちろん私よりもよっぽど上手かった。
 それに基礎から叩き込まれたような、明確にぶれない骨格も感じられる。とにかくただの通行人で済ませて良い女ではないことだけは確かだった。

 女は1分半程だろうか。私の知らない曲を弾き終えると、ずっと持っていたのが恥ずかしくなったのか、わたわたと謝りながらこちらへ返してきた。

「ご、ごめんなさい。いきなり他人の楽器に手を付けるなんて、非常識よね」

「私は気にしませんけど」

「ありがとう。それで、もうひとつ聞きたいのだけれど……どうしてさっきの曲を弾いていたの?」

 

15:(しまむら) 2023/06/10(土) 21:53:21.39 ID:Q4J88Hjd

「いや、適当に……たまたま思い出したので。日野下……さんのファンだったらすみません」

「ファン?ふふ、そういう訳では無いのだけれど。どうして謝るの?」

「適当に弾いた手慰みですから。日野下、さんはきっと、もっと真面目にやってるでしょ」

「……そうかもしれないわね。でも、これは言わせて頂戴。貴女の演奏は、私のこころにちゃんと響いてきたわ。花帆さん……日野下花帆さん本人も、きっと喜んでくれると思うわ」

「……そりゃあ、どうも」

 不思議な女である。その感想に下衆な嫌味や媚、実力をひけらかすような自尊心は感じられない。見てくれが綺麗な女はこころも麗しいと言う眉唾が実在するとは思わなんだ。
 にしても、ここまで褒められるのは流石にこそばゆいものがあった。日野下花帆の熱心なファンか何かだろうか。懐かしむような、羨むような、そんな穏やかな目つきだった。

 

16:(しまむら) 2023/06/10(土) 21:54:43.14 ID:Q4J88Hjd

「……っと、いけないわ。私から声をかけておいてなんだけど、そろそろ戻るわね。貴女も、身体を冷やしては駄目よ」

「…どうも」

 我に返ったようにスカートを翻し、後者の方へ身体を向けたと思えば、またこちらを振り返る。最初に覚えた大人びている様と女学生特有の快活さが混じった笑顔に、不覚にも心臓が大きく跳ねた。

「もし良ければ、また聞かせてくれないかしら。貴女のギター、とても好きよ」

「…………こんな演奏でも良ければ、はい」

 そう答えると、またにこりと微笑んだ。全く、どの瞬間でも絵になる女である。そう思うと何故か腹が立ってきて、同時に面白可笑しく思えてしまう。スナップ写真集でも出したら、さぞ売れることだろう。
 きっと社交辞令に違いないが、彼女が言うとそうではないような、そんな雰囲気がした。

 

17:(しまむら) 2023/06/10(土) 21:58:35.44 ID:Q4J88Hjd

 正体のわからぬ美女と出逢った翌日。あんなことは善くない偶然だと思って忘れることにしたのだが、如何せん久々に初対面の人間と話して、煽てられて、浮ついていたのかもしれない。
 だから、今日の不幸は完全に私の責任である。夜になってまた猛省したものの、その神経衰弱は後の祭りであった。

 いつものように部活はサボった。中学の頃から人の半倍くらいは上手いつもりではあったが、所詮半倍。井戸から出た私は蛇に睨まれ、陽の光に干乾びそうになり、おずおずと日陰に戻った敗残兵でしかなかった。最近は専ら校舎裏で一人己を慰める日々。五月病にも劣る、たちの悪い餓鬼の捻くれだ。

 ところが今日はいつも陣取っている木陰を伺うと、まるで待ち伏せていたかのように蚊柱が纏わりついてきた。お陰で泣く泣く退散し、また別の、手頃な人気のない場所を探し歩く羽目になった。
 
 しばらく敷地を巡っていると、ふと何か……聴いたことのないアカペラが耳に入り、足を留めた。声の方向を探してみると、校舎の影にひとつ、見覚えのある姿があった。
雨風に蝕まれ年季を見せる木製ベンチにスマホを立て掛け、動画を真似てだろうか。画面を正面に踊り続ける少女がいる。一心不乱に身体を揺らしながらも高らかに歌う彼女は紛れもなく、“あの”日野下花帆だった。

 

19:(しまむら) 2023/06/10(土) 22:01:14.04 ID:Q4J88Hjd

 ダンスの善し悪しはわからないが、随分様になっているなと思った。パステルカラーの半袖から伸びた白い腕は鋭く伸びて、周囲の暗がりとは隔絶された生命力のある動作をしている。
 それに、聴いていて不快にならない歌声というのは何だか久々であった。
 湿った地面もステージだと言わんばかりに汗を弾けさせ、土を蹴飛ばし、楽しそうに跳ねている様には自然と目を奪われてしまう。
 恐らく一曲分か。彼女が踊り終わり、人気を感じたのかこちらを振り向くまで、私はずっと固まって動けなかった。
 否、きっと動けなかったのだろう。ずっと陽光を浴びていたからか、薄く膜のような汗が貼り付いていた。

 彼女は私と目が合うとこちらに寄ってきて、

「ねぇ、同じクラスの子だよね?見ててくれたの!?」

 と無邪気に聞いてきたので、なんだか拍子抜けであった。「何となく、目に入ったから」と答えると、嬉しそうに跳ね回る。不思議なほど上機嫌らしく、練習を覗き見た女に対する嫌悪等は持ち合わせていないようだった。

 

20:(しまむら) 2023/06/10(土) 22:03:32.38 ID:Q4J88Hjd

「ね、その背負ってるのってギターだよね?楽器できるの?」

「まぁ、十年弱はやってたから。人並みには」

「十年!?すっごい!あのあの!ちょっとお願いがあるんだけど…」

 上目遣いでこちらを見てくる日野下に私は面倒事の気配を感じたが、既に手遅れだった。

「あたしの歌を聴いて、おかしいところがあったら教えてくれないかな?」

「え、いや、無理だけど」

「えぇっ!?って、ふふ…なにそれ!あはははっ」

 驚いたと思ったら一人で笑いだして、滑稽を通り越して不気味ではないか。私はいますぐ踵を返してこの場を立ち去りたかった。
 

 

21:(しまむら) 2023/06/10(土) 22:05:32.41 ID:Q4J88Hjd

 その気持を感じ取ったのか、彼女は可笑しさが収まらないという風なまま謝ってくる。

「ごめんごめん…ふぅ。あたしも前同じようなことをセンパイに頼まれて、同じような返事をしたなぁって」

「はぁ……じゃあそのセンパイに頼めば良いんじゃないの。歌なんて専門外だよ。素人には無理なの、日野下もわかってるでしょ」

「それが、センパイは今日会議でいないんだよね。だから今日だけ!ね?あたしより詳しいと思うから、お願い!このとーり!」

「…………わかった」

 拝み倒す彼女に根負けしたか、小動物的な愛くるしさの色仕掛けに嵌ったか、気づけば仕方無しに了承してしまっていた。どうにも私は押しに弱い質らしい。これでは友人のことも笑えなかった。

 

23:(しまむら) 2023/06/10(土) 22:10:34.47 ID:Q4J88Hjd

 こうした経緯から、私は日野下の練習を見ることになってしまった。どうやら彼女は一本楽器ができる人間は皆、弁財天のように音楽に精通しているに違いないという盛大な勘違いをしているらしい。
 ただ、このままのらりくらりと一人で過ごしていても無意味無価値に時間を溝に捨てることになるのだから、多少は有意義になるのだろうか。私にもそんな気の迷いがあったことは認めざるを得ないだろう。
 さて、私は彼女の隣に座り、先ずスマホの音源を聴かせてもらった。ダンスに関して無知蒙昧の身だ。下手に口を出しても仕方ないので、歌唱の方を指摘するのみに留めることにした。どうやら彼女はその『センパイ』との二人組で歌うらしい。先程のアカペラ――実際にはイヤホンで聴いていたらしいが――で歯抜けだった部分は相方の役回りなのだろう。

 しばらく傾聴していたが、曲自体の完成度め中々ではないか。合唱部やらのそれとタメを張れるかもしれない。曲を自作して振り付けもして、それを披露してというのだから、スクールアイドルも案外道楽でもないのかもしれない。

 

24:(しまむら) 2023/06/10(土) 22:13:33.27 ID:Q4J88Hjd

 音源を聴いていると、ふとこの声の主に妙な既視感を覚えた。澄んだ発声は大分大人びていて、当人の教育の良さが垣間見える。私は最近、この声を聴いたような……

「どう?」

 そこまで思い出そうとして、隣で眉を下げる少女に意識を戻された。
 正直な感想として、正統派なアイドル・ミュージック調は素人が考えたものとは思えなかったので、「良いんじゃない」とだけ返した。友人ならば特に好んで聴くかもしれない。

「ホント!?やった~!」

「日野下が作ったの?」

「え?ううん、梢センパイだよ。あたしは……ちょっと歌詞を考えたりとか?」

 我が事の如く喜んでいたが、ほぼ々々『コズエセンパイ』の成果のようだ。日野下も歌う曲とはいえ、感想ひとつにそれほど一喜一憂できる感性は若干羨ましく、同時に大変そうだと感じた。
 
「じゃあ今度はあたしが歌うから。聴いててね!」

 そう言うとベンチから跳ね跳び、ステップを踏むようにくるりと回転。髪を靡かせながら見せる幼気な動作は逆説的にある種の官能を帯びていて、春風のように見えた。

 

25:(しまむら) 2023/06/10(土) 22:16:42.42 ID:Q4J88Hjd

 スピーカーにした音源が流れると、それに合わせて日野下も踊り出す。先程は背中側から、それに遠目で眺めていたのであまり集中して見ていなかったが、こうして真正面、それもすぐ近くで演技されると、中々圧倒されるものだ。
 日野下の一挙手一投足に澱みはない。昔見た、ステージでひとり、女児の遊びのように下手糞な歌を歌っていた頃の名残は見えなかった。今は入って2ヶ月程だろうか。入学当初には音楽や舞踊の経験は何もないと言っていたはずなので、破竹のような成長速度だ。

 更に、何と言っても惹き込まれたのは彼女の笑顔だった。先程までは表情に不安を浮かべていたはずなのに、いざ曲が始まれば何処吹く風か、心の底から楽しそうに歌うではないか。
 楽しい、という感情は余白である。苦痛や緊張でこころの器を満たしてしまえば、少し揺らしただけでも溢れてしまうだろう。しかしそこに余白があれば、ひとつの完成形として成ることができるのだ。当然言うが易しではあるのだが、目の前の少女は正しくそれを体現していた。

 

26:(しまむら) 2023/06/10(土) 22:22:07.46 ID:Q4J88Hjd

 結論として、私が口出しをする余地はほぼ無かった。恐らくは『コズエセンパイ』の教えが余程上手いのだろう。基礎は固めてあるし、妙な癖もついていない。体力的な面や小手先の技術は未発達とはいえ、それも今日どうこうと突付いたとて解決するものではないだろう。
 慣れてもない脳を必死に回して、結局難癖のような指摘も含めて両手指弱ほどを述べることにした。それも「ダンスに歌唱が引っ張られている」だとか、「相方の声と合わないから直せ」「ここで姿勢が歪んでいるから声が濁るんだ」といった簡単な訂正だ。

 それでも日野下はまるで天啓を受け取ったかのように喜んだ。見ず知らずの女の言葉をそれほど信用できるのは心配になるが、それもまた彼女の美点なのだろう。

 そうしていると流石に踊り疲れたのか、「休憩休憩~」と笑いながら隣に腰を下ろして、スポーツドリンクを喉に流し込み始める。笑顔のままだが、やはり疲労困憊の様子だった。

「……スクールアイドル、楽しい?」

 私は無意識調に、そんな疑問を投げかけていた。ひたすらに夢中になる彼女にこころ動かされたとか、スクールアイドルに興味を持ったとかでは断じてない。ただきっと……彼女の笑顔を、羨ましく思ってしまったのだろう。

 

27:(しまむら) 2023/06/10(土) 22:24:34.60 ID:Q4J88Hjd

「うん!すっごく楽しいよ!」

「好きなの?歌うのとか、踊るの」

「それは……う~ん、どうなんだろ?」

 屈託のない返事から一転、腕を組んで首を傾げる様に驚いた。一も二もなく肯定してくると思ったが、彼女の答えは予想外だった。

「あっ、勿論好きだよ?でも……梢センパイと、スクールアイドルクラブのみんなと一緒にステージに立つから、あたしは楽しいんだと思う」

 そう断言する日野下は、蓮昌寺の釈迦如来のように穏やかな、真理を悟ったような表情だった。あどけない少女の顔立ちから浮き出たそれは何とも形容し難い正気を感じられた。

「コズエセンパイ、ってのが噂の相方?」

「そうだよ!梢センパイはね、すっごくキラキラしてるの。演技も上手だし、堂々としてて自分を表現できてる。欠点なんか見当たらないくらい」

「へぇ……じゃあ、そんな人の隣に立つのって怖くないの?」

「怖くない……わけじゃないかな」

 

28:(しまむら) 2023/06/10(土) 22:26:37.02 ID:Q4J88Hjd

 意地の悪い質問に、日野下は腕を組んだままこう答えた。

「あたしは歌もダンスもまだまだだけど……梢センパイは、あたしが良いって言ってくれたから。大好きなセンパイとユニットでいられることは、あたしにとって一番の誇りなんだ」

 私はしばらく閉口してしまった。まさか、こんな答えが返ってくるとは思っても見なかったのだ。

「……日野下って、随分小っ恥ずかしいこと言うね」

「えっ?そ、そうかな!?」

 わたわたと騒ぎ出す彼女に溜め息が漏れる。遠目から眺めていた時はただの喧しい女だと思っていたが、こう近くで接すると、見ていて飽きないものだ。

「い、今言ったことは秘密ね!梢センパイに会っても言っちゃ駄目だよ!」

「言わないよ。そもそも梢センパイやらと会ったことないし」

「そうなの?え~……あ!そしたらさ、来週の日曜にライブ観に来ない?」

 

29:(しまむら) 2023/06/10(土) 22:29:14.18 ID:Q4J88Hjd

「ライブ…?日野下たちがやるの?」

「うん。金沢駅の方で披露できることになったから。えっとね……」

 スクールアイドルというものは学校内で披露して、撮影する位だと思っていたので、まさか公共の場で演るものだとは。自分が相手をしていた女は思っている以上に人気者らしかった。

 ここでひとつ、私の穢らしい性根が顔を出し、ある企みを考えだした。日野下がスクールアイドルとしてライブをするというのならば、その技芸がどれだけ見れるものになっているのか確認してやろうではないか。
 もし閑古鳥ならばそれも一興だろうし、上手いことやれていればその一端に私の指導も在ると言えるのではないか。こころの端にふと浮かんだ小悪党のような動機に促され、私は快く了承して見せた。

「相分かった。良いよ、観に行くよ」

「ホント!?やった~!」

 そうと決まれば、と彼女は立ち上がり、また音源を流して練習を再開する。既に改善点も揚げ足も指摘し切って案山子になってしまったが、私はしばらく、じっと彼女の練習を眺めることにした。

 

30:(しまむら) 2023/06/10(土) 22:32:32.93 ID:Q4J88Hjd

 ライブの当日、正午を過ぎたあたりで私は金沢駅へ向かった。物欲も娯楽欲も弱い人間で、いつもは友人が服を買ったりサ店を巡ったりするのに付き合うばかりだったので久々の自主的な外出かもしれない。今日も本来ならば友人と新装のパン屋に行く予定が入っていたのだが、謝り倒してなかった事にしてもらっていた。

 ステージは西口のイベント広場らしく、軽い仕切りといくつかの出店が並んでいる。どうやら雑貨イベントの客寄せとしてスクールアイドルを招き入れているようだ。そこそこの賑わいを見せていた。

 さて、もう開演という頃にはステージにも人集りが作られ始めていた。その中に飛び込むのも億劫なもので、少し離れた柱にもたれ、全景が望める位置に陣取ることにした。見物はイベントから流れてきた客が多く、ちらほらと蓮ノ空の女学生も見える。
 スタンドマイクに不慣れな雰囲気のある、妙にカジュアルな衣装を纏った司会らしき女が前口上を終えると、出囃子と共に二人の少女がステージへと上がってくるのが見えた。

 私は驚きを隠せなかった。片方は明るい髪の快活な少女が、一変した可愛らしさを纏っている。そしてもう片方はいつの日が見た、あの品の良い先輩ではないか。二人共揃いのカラフルなペールトーンの衣装で、艶やかに決めていた。
 やんやの声の中でいざ曲が始まるという頃、面をゆっくりと上げる二人のどちらか……あるいは両方が、私と目が合った気がした。

 

31:(しまむら) 2023/06/10(土) 22:37:04.44 ID:Q4J88Hjd

『私と、君の、色を乗せて――』

 彼女等が歌い出した瞬間、私の女衒のような下衆な冷笑しのこころは音を立てて瓦解することになった。はっきりと、鉄筋コンクリート造の重みまでもがのしかかる感覚があった。

 二人の雰囲気はまったくの真逆で、随分とちぐはぐではないかと考えていたがそうではない。歌声はその境界を無くし、重力に反するほどのつり合いご取れているのだと、そこに在る逆説を鼓膜から、眼球から、そしてびりびりと逆立つ肌から感じられた。
 また、更に目を惹くのが二人の笑顔だった。特に日野下は、先日の練習風景が私を揶揄うための嘘だったかと思うほど、輝くような歓喜を表している。上手いとか下手とかの話ではなく、ひとつの作品として完成されているのだ。結局彼女たちは三曲ほど披露したが、数秒程度のことに感じられて仕方なかった。

 私はしばらく、何も考えずに向こう側を眺めていた。歌い終わった後、見物たちが満足気に散りだしても、しばらく動かなかった。
 日野下め、ひどい裏切りではないか。私はこころの中で怨み節を募らせていた。ほんの2ヶ月前は目もあてられぬ次第だったのに、もう立派にアイドルと成っているのだ。あの時の不安気な顔は何だったのか。
 彼女が技芸を披露するならば、ほんの少しだけでも爪痕を残してやろうと画策した私を嘲笑うかのように、あの空間は完璧に、二人だけで完結していた。私のような民衆は、彼女たちを遠目から拝むしかできないほど、高い高い場所に行ってしまったということだ。

 

32:(しまむら) 2023/06/10(土) 22:40:27.77 ID:Q4J88Hjd

 歌がリフレインし続けている。鼓膜から中に入った歌詞が頭蓋に反射し、前奏も二番も三番もなく、無限に繰り返されていた。

「あの……」

 そこで不意にかけられた声で、私はようやく我に返ることができた。まさか自分宛てではないかと思いつつもあたりを見渡すと、真横に髪をお下げにした、同年代らしき少女が居たのでぎょっとした。

「同じクラスの方……ですよね?」

 そう言われると、だんだんと彼女の顔に既視感が湧いてくる。

「アンタは……」

「村野です。村野さやかです」

 あぁ、確か教室でよく日野下とつるんでいる、スクールアイドルクラブの女だ。少女趣味の私服なところを見るに、今回は日野下たちのみの出番だったらしい。
 それにしても自己紹介をされるまで思い出せなかったので、向こうがこちらを認識しているとは意外だった。

 

33:(しまむら) 2023/06/10(土) 22:42:10.41 ID:Q4J88Hjd

「何か用?」

「い、いえ…クラスの皆さんはよくライブに来てくれるんですが、初めての方だなと思ったので。それに……」

「?」

「何か考えているようだったので、つい。さっきのライブ……どうでしたか?」

 そこでようやく合点がいった。私が神妙な顔でずっと突っ立っていたので難癖か何かだと思ったらしい。なんとも友人想いの女ではないか。
 実際難癖に近い、妬み嫉みの感情なのでその推理は間違っていない。しかしながら、それを無関係かつある意味当人の少女にぶつけるのは格好が悪いことこの上ないだろう。流石にそこまで下衆にはなれなかった。私は気持が顔に出るのを誤魔化すようにステージの方に目を戻してから答えることにした。

「いや。……良かったよ。見てたら疲れて、少しぼうっとしてただけ」

「そうですか?なら良かったです。花帆さん、今回のライブにすごく張り切ってましたから」

 村野は私と同じように、無人のステージを向く。昼下がりの陽光を反射する黒目は先程のライブを想起しているような、ノスタルジーな雰囲気を纏っていた。

 

34:(しまむら) 2023/06/10(土) 22:46:38.43 ID:Q4J88Hjd

「日野下なら、いつでも張り切ってそうだけど」

「あはは、そうですね。でもいつも以上、という感じでした。なんでも、新しいファンが来るから……だそうで。その方のことは一切教えてくれませんでしたけど、終わった後はご機嫌だったので、きっと来てくれたんだと思います」

 はっと横を向くと、ついに村野と目が合う。私はその浄玻璃のような瞳の奥に、日野下が居るような……そしてこちらの性根を覗き、暴こうとしているような気がした。
 私が彼女たちをどう思おうが、日野下にとって私は既にファンの一人であるらしい。
 先日の彼女の様子に覚えた、この世は清廉と善良でできていると思い込んでいるような無邪気さが一転、彼女の悟りは私のこころの隅まで見透かしているような気さえしてきたのだ。私は閻魔の前に立つ罪人のような気持になり、背骨が凍り付いたかのような恐ろしさを感じた。

 しかし同時に、私のこころには奇妙な誇らしさも在った。私の無価値な嫉妬の対象として、また虚栄心の代理人として相応しいと信じていた日野下は、ついに私という悪徳を見抜き、打ち破ってみせたのだ。彼女が正しく誠実な人間として在ることに、心の底から安心できたのだ。
 それを理解した瞬間、瓦礫となって私のこころに広がっていた奸計の残骸がぼろぼろと、風化して流れ去っていくのを感じた。波が引いた増穂浦のように、まっさらな余裕が生まれていった。

 

35:(しまむら) 2023/06/10(土) 22:48:36.51 ID:Q4J88Hjd

「日野下に、ふたつ伝言しても良いかな」

「花帆さんに…?もちろん構いませんが」

「ライブ良かったってのと……次からは、梢先輩に見てもらった方が良いよって、よろしく」

 皮肉でもなく、本心からの言葉だった。日野下が私を見破っていようがいまいが、私のこころに邪悪が潜んでいたのは間違いない。ならば私がすべきなのは、それを私だけの秘密として留めておくことだろう。そうして清算することなくずっと残しておくことこそが、唯一できる叛逆ではないかと思った。
 しかし、私の小指ほどの名誉のために断言しておかねばならないのは、この行為には一切の自尊心は含まれていないということだ。これは、私が日野下に見破られたという証左である。だからこそ残しておくことで、あのステージの輝きが永遠に失われない保証になるような、そんな気がしたのだ。

 

36:(しまむら) 2023/06/10(土) 22:50:27.15 ID:Q4J88Hjd

 不思議そうに了承する村野に会釈をしてから、逃げるようにその場を立ち去る。村野にはバレてはいないだろうが、内心は心躍り血流が加速していく感覚があった。

 この歓喜は私ひとりだけのものだが、このまま自室に帰るだけではその気持も萎んでいってしまう気がした。そこで私はもう少し己のこころを偽り続けたくなり、友人に電話をかけることにした。
 約束を反故にしてしまったが、あれは一人大人しく休日を過ごせる質ではない。きっとどこか街の方に繰り出しているはずだ。ならば、せいぜい私の詐術に付き合って貰おうではないか。
 そろそろ間食には良い時間だ。コールを待ちながら、私は件の新装のパン屋があるはずの通りへ歩を進めた。

 

37:(しまむら) 2023/06/10(土) 22:51:47.89 ID:Q4J88Hjd

 さて、あれから別段何かが変わったわけではない。私は相変わらず昼行灯を続けているし、日野下や村野と言葉を交わすこともない。相も変わらず日陰者として頬杖をつきながらぼうっと講義を受け、流し込むように昼飯を食い、眠気と同居する日々である。

 今日もまた何の躊躇いも無く構内の隅を陣取りギターを弄んでいたのだが、しばらく経つとふっと、視界に人影が映り込んだ。私は驚かなかった。やおら視線を上げると、いつかと同じように見覚えのある上級生――否、乙宗梢が佇んでいた。

「隣、良いかしら?」

「ええ、まぁ、はい」

 粗雑に置いていた荷物を纏め下に降ろすと、彼女はゆっくりと腰掛ける。姿勢が良いからか、猫背の私と比較すると随分と背が高く見えた。

 

38:(しまむら) 2023/06/10(土) 22:55:22.52 ID:Q4J88Hjd

「ライブ、来てくれてたのね」

「気付いてたんですか」

「もちろん。ステージってね、普通の人が思ってるよりもずっと、お客さんの顔が見えるのよ」

 そう話す先輩に、小学生の頃は机の下に隠しながら本を読んだり、落書きしたりしてもバレないだろうと高を括っていたのを思い出した。
 そして中学の半ばの数学で、黒板に答えを書いて席に戻ろうと振り返った時、少しだけ高い教壇から見えた景色はまるで鳥瞰のようだったのが記憶に焼き付いている。真面目に受けている奴もうたた寝している奴も、その表情の細部、鉛筆の走る具合や垂れる涎までもが目に飛び込んできたのだ。
 ステージの上の景色も、きっとそんな風なのだろう。

「先輩も人が悪いですね。日野下の“先輩”だって言えば良かったのに」

「ふふっ、ごめんなさい。騙すつもりは無かったのだけれど」

 その表情は大人びている印象とはかけ離れた、悪戯に成功した童女のようだ。彼女の微笑みは、何か見てはいけない側面を目撃してしまったようなざわめきを感じさせるものだった。

 

39:(しまむら) 2023/06/10(土) 22:57:01.38 ID:Q4J88Hjd

「貴女には先入観を抜きにして花帆さんを……いえ。私たちを見て欲しかったの」

「それで、私はまんまと嵌められたってことですか」

「そうなるかしら。それで、感想を聞いても?」

「……性格悪いですよ、先輩」

 育ちのせいか、年の功なのか、私では逆立ちしてもこの先輩を言い負かせる気がしなかった。日野下とはまた別の、穏やかな湖畔のような瞳を見るとどうも怯んでしまう。
 結局素直に述べる以外に手段は無いようだった。

「驚きました。音楽と自己表現があんなに合致するとは思いませんでした。日野下も……もうスクールアイドルだったんですね」

「そう言ってくれると、私も誇らしいわね」

 その台詞に、私の耳はひとつのデジャヴュを覚えた。先輩の言葉は蝸牛管に沿って渦を巻き、だんだんと脳の中で肥大化していく。やがて鼻の奥あたりまで侵食した瞬間、ある起死回生の企みが興奮とともに現れたのだ。私はとっさに口を開いていた。

「先輩のこころも、伝わってきましたよ」

 

40:(しまむら) 2023/06/10(土) 22:58:57.65 ID:Q4J88Hjd

「私も?」

 彼女は予想外だというような、半音高い声を出す。それを聞いた時には、私の口角はにやりと持ち上がっていた。企みは数珠のように願望へ、妄想へと姿を変え、最終的に確信に行き着いていた。

「余ッ程…日野下が好きなんですね。あいつの隣にいるのが幸せで堪らないって、そんな顔でした」

「そ、そうなの……?流石に恥ずかしいわね……」

 先輩は口元を隠すが、その雪膚花貌に紅が差した様を私は見逃さなかった。その柔肌に覆われた秘密をひとつ暴いてやったような、清々しい気持が、私のこころにカタルシスを生み出していった。

「あはは、音楽ってのは難儀なものですね。けど、日野下に言ってやれば良いじゃないですか。きっと飛んで喜びますよ」

「そうかもしれないわね……」

 ひとしきり満足して改めて先輩の顔を見ると、その表情は遠望しているかのようだ。恐らくは、その瞳の先に想い人が無邪気にはしゃいでいるのだろう。

 

41:(しまむら) 2023/06/10(土) 22:59:32.47 ID:Q4J88Hjd

「貴女、花帆さんとはお友達なのかしら」

「えー、まぁ、クラスメイトです」

「そう。少しお願いなのだけれど……今の話、花帆さんには内緒にしてね?」

 掌を立てて片目で希う彼女は、どこか官能的な雰囲気を羽織のように纏っていた。その艶やかな袖下が鼻を擽るかのように、くらりと酩酊するような感覚があった。
 それを知ってか知らずか、先輩は私の返答を待たずにはっと時計を見ると、またいつの日かのように慌ててこちらに一言断りを入れ、東風のように去っていく。私を信用しているかのように願望の答えを聞かないまま、ほんの束の間の出来事であった。

 

42:(しまむら) 2023/06/10(土) 23:07:51.98 ID:Q4J88Hjd

 先輩の姿が見えなくなるとどっと疲れが溢れ出て、大きな溜め息が飛び出した。
 そうして気を抜いた時、私は先程までは確かに感じていた達成感がまるで消え去ってしまったことに気がついた。先輩に振り回された疲労だけではない。私のこころには、ぽっかりと大きな空白ができてしまっていた。

 だが、その原因もすぐに理解できてしまった。要するに、私が暴いてやった秘密など、とうに秘密ではなかったのだ。

 間違いなく日野下花帆は、乙宗梢の愛を認識している。
 きっと乙宗梢も、日野下花帆の誇りを理解しているだろう。

 ステージの上で振り撒かれた笑顔には、日野下が想っていた誇りも、先輩が秘めていた愛情も、全てが表れていた。そうやって己の気持を歌に乗せて表現したからこそ、逆説として彼女たちの中に秘密が現れていたのだ。私はそれを、一方向から平面的に見て、映り込む影絵に一喜一憂していたに過ぎない。

 真反対に見えた二人も、実際は逆しまにした磁石のようなもので、予定調和のように襖が外された二人の世界が在っただけだった。
 公然になった秘密など、暴露しようが盗み見ようが何の意味もない。結局彼女たちの……そして私の秘密も、全てが茶番でしかないではないか。

 それに気付いた時、思わず馬鹿らしくなって乾いた笑いが溢れた。引き攣ったように笑いながらも、完全敗北を味わった私のこころは不思議と晴れやかだった。

 

43:(しまむら) 2023/06/10(土) 23:08:41.01 ID:Q4J88Hjd

 今日はなんだか、日陰でギターを弄る空気でもなかった。私はやおら立ち上がると、携帯で時刻を確認する。放課後になって三十分かそこらで、日野下たちもまだまだ盛んに歌って踊っているはずだ。

「部活、行こっかな」

 健全な女学生のふりをして呟いた台詞は誰にも聞かれることはなく、さざ波のような枝葉の揺れる音に掻き消されていった。

 

44:(しまむら) 2023/06/10(土) 23:09:34.50 ID:Q4J88Hjd

『日野下花帆という女は』
おわり

 

引用元: https://nozomi.2ch.sc/test/read.cgi/lovelive/1686399519/

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