可可「遣唐使船に乗せてクダサイ!」 第二部
天平勝宝七歳(西暦755年)
正月 内教坊
かのん「あけましておめでとう!」
可可「あけましておめでとうごさいマス!」
すみれ「謹賀新年ったら新年ね」
かのん「今年も女嬬の仕事が始まっちゃったねー」
可可「ククは待ち遠しかったデス! みんなと活動できるのが嬉しいデス!」
かのん「そういえば年末年始は寄宿舎はしばらく閉鎖してたと思うけど、可可ちゃんとすみれちゃんはどうしてたの?」
すみれ「寂しそうにしてたから一緒に私の実家、山背国の平安名の神社に連れて行ってあげたわよ」
可可「違いマス! 別にすみれの家に行かなくても東大寺の宿坊に泊めてくれる手筈でしたけどすみれがどうしても一緒に帰りたいって言うから行ってあげたデス!」
すみれ「はぁ? あんたが来たがったんでしょうが」
可可「すみれが来て欲しがったデス!」
かのん「ふふ、二人共すっかり仲良しになっちゃって」
恋「皆さん、新年の寿ぎを申し上げます」
千砂都「ういっすー!」
すみれ「あら、舞生様と琴生様の御出座しよ」
可可「お二人はとても忙しかったと聞きましたよ」
恋「ええ、新年は儀式が多く舞や演奏の機会も多くありましたから」
千砂都「私はまだマシな方だよ。恋ちゃんは貴族だから元日から朝賀の儀にも出なきゃいけなくて大変だったでしょ?」
恋「責務ですから仕方ありませんよ」
可可「羨ましいデス。クク達も朝廷の儀式で歌舞したいデス!」
すみれ「正式な伎芸として朝廷に認められるのはさすがに無理ったら無理よ」
かのん「まあ、今年もみんなよろしくね」
恋「ええ、よろしくお願いします。天平勝宝七歳を良い年にしましょう」
かのん「七歳? 七年じゃなくて?」
すみれ「かのん、あなた都にいたのに知らないの?」
千砂都「かのんちゃんも酒肆が忙しかったからねー。しょうがないよ」
すみれ「ああ、確かに正月の都はお酒の需要はすごいことになりそうね」
かのん「まあね、今月はまだまだ節日があるからお母さんと妹はまだ忙しそうにしてるよ。
って、それで話を戻すけど年じゃなくて歳って何でなの?」
恋「天皇(すめらみこと)がお決めになられたのですよ。『思うところがあって』今年から『年』を『歳』と改めると」
すみれ「なんだか意味深よね」
可可「そういえば、唐でも元号を数える時は『年』ではなく『載』デス。ククが唐を出た時は『天宝十二載』デシタ」
千砂都「遣唐使からそれを聞いて唐の真似をしたのかな?」
かのん「ありえるかもね。大納言の仲麻呂様は唐風が好きだって聞くし」
恋「ここだけの話にしてほしいのですが、不穏な噂もあるのです」
かのん「不穏な噂って?」
恋「最近、太上天皇のお体の具合がよろしくないという噂です。それで縁起を担ぐために、年の数え方を唐風に改めたと……」
一気にきな臭くなりそうで怖いな
かのん「そうなんだ……何事もないと良いんだけどね」
恋「どうかこのことは内密にお願いしますよ」
かのん「もちろんだよ」
千砂都「私は今日は市場で働く日だからそろそろ行くね。頑張ってねかのんちゃん。すみれちゃんと可可ちゃんも! ういっすー!」タタッ
かのん「ちぃちゃんも頑張ってね、ありがとう!」
恋「わたくしも上﨟学生の仕事がありますので、これで失礼しますね」
すみれ「ええ、お疲れ様」
可可「うーん。千砂都とレンレンが仲間になってくれたらもっと頼もしいのデスが」
かのん「仕方ないよ。2人とも私たち女嬬より忙しいし、それに空いているときは練習に協力してくれてるし」
すみれ「ええ、2人とも技術が巧みだし、かなり助かってるわ」
可可「だからこそ一緒にもっとやりたいのデスが……」
すみれ「この私がいるんだから安心なさい。それに私たち3人だけでも去年は色々なところで伎芸を披露できたし、今年も色々と公演の仕事を貰ってるじゃない」
かのん「うん。着実に技術が上がってきてると思うよ」
可可「……はいデス! そうデスね、ククも頑張ります!」
すみれ「今年は歌人の多治比国人様の宴にも呼ばれていたわね。それから橘奈良麻呂様の宴も」
かのん「橘奈良麻呂様も最近は反藤原氏的な不穏な言動はしてないみたいだし、安心だね」
すみれ「ええ、太上天皇や光明皇太后が藤原氏や他の氏族との均衡を上手くとりなしてくださっているようだし」
かのん「太上天皇が生きている限りはきっと平和だよね!」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
翌年 天平勝宝八歳(西暦756年)
恋「太上天皇が崩御されました……」
かのん「」
かのん「これから一体どうなっちゃうの?」
すみれ「当面は国忌として喪に服すから宴は中止、伎芸を披露することはしばらくできないでしょうね」
恋「太上天皇には『勝宝感神聖武』と諡号が贈られるとのことです」
かのん「聖武……」
すみれ「それで、聖武帝は仏教を厚く信仰されてたけど、さすがに葬儀は古来の神式で行われるのよね?」
恋「ええ、基本的には古来の神式に則った殯(もがり)の儀や、陵(みささぎ)への埋葬を行いつつ、仏教による法要も行うという葬儀の形になるそうです。
これから葬儀の準備や陵の建設も急がれるでしょう。
しばらく内教坊は休止。学生も、女嬬の皆さんにも臨時で色々と仕事が入るかと思います」
かのん「うん、恋ちゃんも色々と抱え込まないでね。手伝えることがあれば手伝うから」
恋「ありがとうございます。ではわたくしはこれにて」タタタッ
すみれ「私も、実家の神社の方を手伝わなきゃいけなくなるかもしれないわね」
かのん「えっすみれちゃんも?」
すみれ「これから神祇官が全国の神社に人員や物資の調達命令を出すはず。ウチの神社もきっと大変ったら大変よ」
かのん「そっか……市場はどうなるんだろう。私も家に戻った方が良いかな?
雅楽寮に出向してるちいちゃんは宮門の中だし大丈夫だよね? あ、東大寺に行ってる可可ちゃんは!?」
すみれ「落ち着きなさいったら落ち着きなさい!」
可可「かのん、すみれー!」タッタッタ
すみれ「ほら、噂をすれば戻ってきたわ」
かのん「って、大勢の兵士に囲まれてきたんだけど!?」
可可「大伴氏の兵士の人たちデス! ククは東大寺で太上天皇の快復を願う祈祷をずっとしていた鑑真さんを手伝っていマシタ」
可可「ですが残念な報せが入って祈祷が中止になって、ククを心配した古麻呂さんが迎えに派遣してくれマシタ」
すみれ「相変わらずあんたの保護者は強力ね」
ザッザッザッザ ザワザワザワ ドタバタ
かのん「でも、宮門の中でもこれだけ物々しい雰囲気になって行き交う人達がピリピリしてるのを感じるよ。衛士も増えてきたし」
ザッザッザ
古麻呂「ん? おい、馬を止めてくれ。そこに居るのは可可ではないか。無事であったか」
可可「古麻呂さん! お気遣いありがとうデス!」
すみれ「あの、都はそんなに護衛が必要なほど危ないんですか?」
古麻呂「そうならぬことを願うが。これから都には戒厳令が敷かれ、三関を封鎖・固守する固関が行われる」
可可「三関とは何デス?」
古麻呂「伊勢の鈴鹿、美濃の不破、越前の愛発。これら東国に通ずる三つの道を守る関のことだ。
都が動揺している間に東国の者たちが攻めて来ぬよう封鎖するのだ」
かのん「せ、攻めてくる!?」ビクッ
古麻呂「あくまで念のためだ。だが、数ヶ月前に橘諸兄様が左大臣を辞し、太上天皇も崩御された今、皇太后様と親しい藤原仲麻呂がますます権力を握ることになるであろう。
大伴氏や橘氏とも対立するかもしれぬ。そうなると我や家持、奈良麻呂などと親しい内教坊に良からぬことをする輩が出ないとも限らん」
すみれ「そんな……」
古麻呂「無論、そうならぬために我は藤原氏とは協調する道を探っていくが、今回の一件で左大弁の政務が多忙になることに加えて山作司にまで任じられることになり、全てには手が回らぬ」
古麻呂「だから平安名の娘に、澁谷の娘よ。どうか可可と共に居てやってほしい。頼む」ペコ
すみれ「そんなの当然ですよ」
かのん「はい、可可ちゃんも内教坊も私達が守りますから!」
可可「すみれ、かのん……! ククだって自分のことくらい自分で守りマス! むしろククがみんなを守るデス!」
古麻呂「そうか。良き友人を持ったな」
可可「古麻呂さんも、何か手伝えることがあったら言ってクダサイ!」
古麻呂「うむ……ならば山作司の務めを少し手伝って貰っても良いか?」
可可「山作司?」
古麻呂「太上天皇を葬り奉る陵を用意する臨時の役職だ」
かのん「そういえば恋ちゃんもこれから陵の建設が始まるって言ってたね」
可可「ミササギとはお墓のことですか?」
古麻呂「うむ。古来と同じように墳墓を作るのだ」
可可「そういえば、都に来る時に通った難波の港から見えた陵墓はすっごく巨大デシタ! あんな大きなお墓をこれから作るのデスか?」
古麻呂「いや、難波から見えた陵は日本でも最大の大きさであろうが、今はそのような巨大なものは作れぬ。
大化の頃に墳墓の大きさが制限されておるしな」
可可「そうデシタか……日本人はみんな巨大なお墓を作るものかと……」
古麻呂「そして陵の場所は平城京の北、佐保山のふもとに決まった」
かのん「確かに平城京の北には陵墓がたくさんありますね」
すみれ「それじゃあ私達に手伝えることはもう無いんじゃないですか……?」
古麻呂「いや、建設に関しては問題ないのだが、陵を管理する『陵戸』の選定が進んでおらぬ」
古麻呂「故に、汝らに会いに行って欲しいのだ……陵戸の『鬼塚の一族』に」
雅楽寮 前庭
千砂都「壱、弐、参、肆!」シュタッシュタッシュタッ
千砂都「ふう……そこに居るのは誰?」
スタスタスタ
仲麻呂「見事な舞だな。嵐の娘よ。伝統に囚われぬ、むしろ伝統を壊す新たな舞」パチパチ
千砂都「崩御の報せで解散になって。時間が余ったから少し自由に鍛錬していただけですよ。それで、あなたは?」
仲麻呂「大納言兼紫微令・藤原朝臣仲麻呂だ」
千砂都「!」
仲麻呂「汝に会いたくて雅楽頭に無理を言ったのだ。突然すまぬな」
千砂都「庶民にとって雲の上の存在の大納言様が私ごときに用ですか?」
仲麻呂「謙遜するな。汝の舞は宮中でも評判だ。内教坊に留めておくのは惜しいと雅楽寮に招聘したが、あくまで内教坊に所属しながらの出向を希望したことも知っておる」
千砂都「はあ」
仲麻呂「回りくどい話は好かぬ。我に協力しろ。嵐の娘よ」
仲麻呂「これから始まる世は伝統を守るだけでは何もなすことは出来ぬ。才能こそが武器になる。我の下でその才能を存分に活かすが良い。汝なら遥か高みを目指すことが出来る」
仲麻呂「我が曽祖父・鎌足が蘇我を討ち、我が祖父・不比等がこの国の礎を作り、我が父・武智麻呂が藤原の力をより強めた。
そしてその血を継ぐ我こそが……」
千砂都「お気持ちは嬉しいですが、お断りします」ペコリ
仲麻呂「ほう? 理由を言ってみろ」
千砂都「あなたをまだ信用できませんから」
仲麻呂「ふっはっは! 正直なのは良いことだ。今日はこのくらいにしておこう。また来るぞ」
千砂都「また来るんですか? 押しが強いと嫌われますよ?」
仲麻呂「押して押して勝つ。それが我のやり方だ。ではさらば」
千砂都「……うぃっす」ペコリ
千砂都「遥か高み、かあ」
平城京 郊外
パカッパカッ
すみれ「そろそろね、鬼塚とかいう陵戸がいるっていう集落」
可可「馬がいると楽ちんデスね! 古麻呂さんが公的な仕事だからと馬を手配してくれて良かったデス」
かのん「内教坊で恋ちゃんが女嬬にも乗馬を教えてくれたおかげだね。それにしても」
ヒヒーン
きな子「はい。よしよし、もうすぐ着くみたいだからいい子で頑張るっすよー」ナデナデ
かのん「左馬寮に馬を借りに行ったらきな子ちゃんと会えるなんてねー」
きな子「固関使やら諸国への報せやらで一気に馬も人手も足りなくなって、きな子も馬部の下に動員されたっす」
きな子「馬を貸した役人に、馬の世話係として同行する仕事を任されて不安だったっすけど、お供するのが知ってるみなさんで良かったっす!」
かのん「ありがとう。でもきな子ちゃんくらい馬の扱いに長けてたらどこでも重宝されるんじゃないの?」
きな子「いえ、所詮は俘囚っすから。どういう扱いを受けるかわかったもんじゃないっす」
かのん「あ、ごめん……」
きな子「う……こちらこそ自虐してすまねえっす」
パカラッ ヒヒーン
可可「わわっ!」
すみれ「ここね、とりあえず下馬しましょう」
ズゴゴゴゴ
かのん「ここが集落? なんか小さい丘があるだけみたいだけど」
存在感を示す擬音のつもりでした……
そうでしたか。作中ですみれが説明してくれたおかげで腑落ちしました。墓場であればそんな擬音というか雰囲気、身分の高い故人のものならなおさらというところですね。
可可「まるっとこんもりしてて可愛い丘デスね! 千砂都がいたら喜びそうデス」
すみれ「いえ、陵戸がいるってことはこの丘はたぶん丘じゃなくて……」
夏美「くぉらー! 何勝手に入ってきてるんですの!? ここは聖域ですのよ!」
夏美「通行したいならゼニーを払うんですの!」
かのん「うわっ!? いきなり出てきて何この子!?」
夏美「私はこの陵墓の守り人! 陵戸の夏美ですの!」
きな子「守り人」
すみれ「やっぱり、この丘は小規模の墳墓だったのね」
夏美「小規模とは失礼な! この陵墓は、近くに住む人々からは鬼が住むと恐れられ『鬼塚』と呼ばれているくらい凄いんですの!」
すみれ「それと大きさは関係ないったらないでしょうよ」
夏美「余計なお世話ですのー! それで一体この私に何の用ですの!?」
かのん「これから造られる聖武帝の陵墓を管理する陵戸が足りなくて、鬼塚の一族に来てほしいんだって」
可可「山作司の大伴古麻呂さんの代わりにクク達が来たのデス!」
夏美「にゃはは〜そんなのお断りですの!」
かのん「ええっ!なんで!? 朝廷の命令だよ!? 断ったらまずいよ!」
夏美「それが、ぬわぁんと、断われるんですの〜♪」
可可「何故デスか!?」
すみれ「……陵戸は古来から神域たる陵墓を守ってきた。つまり歴代の神々や天皇に仕えているとも言えるわ。だから朝廷の人間は祟りを畏れて陵戸が多少わがままを言ったくらいじゃ手を出せない」
夏美「そちらのお姉さんは話がわかるみたいで助かりますの。ではとっとと通行料のゼニーを置いて帰るんですの」
かのん「ま、まって! じゃあ一族の他の人と交渉させてよ!」
夏美「そんな人いませんの。一族の皆は私以外はとっくに死んだか逃散していきましたの!」
夏美「ここを守るのは夏美ひとりですのー!」
きな子「たった、ひとりで……?」
すみれ「確かに墳墓全体に草木が生い茂ってて、まるでお手入れされてないものね」
かのん「うん、言われなければ丘にしか見えないよ」
可可「陵墓というのは手入れがされていないとこんなに緑に飲み込まれてしまうのデスね」
夏美「うるさいんですの! もう付き合ってられませんの!」
ササッ
可可「あ、待ってクダサイ!」
かのん「墳墓の生い茂った木の中に入っていっちゃった」
すみれ「かのん、可可、追ってきて」
かのん「えっ嫌だよ!? 侵入したら祟られるんでしょ!?」
可可「すみれひどいデス! ククたちがどうなっても良いのデスか!?」プンプン
すみれ「落ち着きなさい。あんたらが祟られたら私がお祓いしてあげるから」
かのん「じゃあすみれちゃんが行ってよ!」
すみれ「私が祟られたら誰がお祓いするのよ!?」
可可「いいからすみれも来やがれデス!」
すみれ「無理ったら無理だってば!」
ギャーギャー
きな子「じゃあきな子が追って行くっすよ」スタスタ
かのん「えっ! きな子ちゃん危ないよ!」
すみれ「そうよ、官戸のあなたにそこまでしてもらう訳には行かないわ」
きな子「祟りとかは平気っすよ。きな子はそもそも倭人の神様に守られてないし信じても居ないっすから」
ガサガサ
かのん「い、行っちゃった」
ガサガサガサ
夏美「えっ!? 誰か追ってきましたの!?」
夏美「聖域に入ってくるなんて祟りが怖くないんですのー?」
きな子「こんにちはっす。守り人」
夏美「あなたはさっきの人たちと一緒に馬を連れてた」
きな子「桜小路のきな子っす。都で官戸として働いてる俘囚っす」
夏美「そういうこと……あなたも私と同じ賤民というわけですのね」
夏美「ですが陵戸は賤民の中でも特権が認められている特別な存在! 一緒にしないでほしいんですの」
きな子「別に一緒だとは思ってないっす。日本の身分とか仕組みとかよくわかんないっすし」
夏美「じゃあ何しに来たんですの?」
きな子「あの人達のために何かをしたいって思ったっす。きな子に優しく接してくれて、歌や踊りも見せてくれたこともあるっす」
夏美「ふぅん、まあ私には関係のないことですの」
きな子「なんで守り人はこんなところでひとりっきりなんすか?」
夏美「……夏美でいいですわ」
きな子「特権が認められてる存在なら、なんで守り人以外は居なくなっちゃったんすか?」
夏美「だーかーら夏美でいいって」
きな子「教えてほしいっす!」
夏美「儲からないからですの。こんな大昔の誰のお墓かもわからない陵墓を守っていても……」
夏美「朝廷は祟りを恐れて、陵戸に税を課したりはしませんの。だけど報酬を与えることもない」
夏美「それでも昔は周辺住民がここを聖域と崇めて、支えてくれていましたの」
夏美「だけどここ数十年で、朝廷は大陸から仏教を積極的に取り入れ、大仏開眼だの鎮護国家だのと仏教の力がどんどん強くなって……いつしか住民は陵墓ではなく寺を詣でるようになり……」
夏美「そしてここは鬼が住む塚とただ恐れられるだけの存在に成り下がりましたの」
きな子「それで、生活が苦しくなって?」
夏美「10年ちょっと前に墾田永年私財法が発布されてから、各地で新田開発が盛んになって、耕作民が不足していますの」
夏美「例え元陵戸でも働き手がほしいという荘園はいくらでもありますの。だからみんな耕作民として各地に散っていきましたの」
きな子「なんで守り人……じゃなくて夏美ちゃんは行かなかったんすか?」
夏美「だって、ここから私が離れたらもう永遠にこの陵墓は忘れられてしまいますの……」
夏美「もう誰のお墓かわからなくても、そんなの悲しすぎますの」
ガサガサガサ
可可「あ、キナキナ戻ってきマシタ」
かのん「きな子ちゃん! 無事!? 祟られてない!?」
すみれ「見た感じは大丈夫そうだけど」
きな子「きな子は大丈夫っすよ! 夏美ちゃんも連れてきたっす!」
夏美「……ですの」モジモジ
きな子「夏美ちゃん、条件付きで協力してくれるらしいっす!」
かのん「えーっ!?」
すみれ「なるほどね、仏教の伝播と各地に荘園が増えた影響で……」
可可「ナッツかわいそうデス」ウルウル
かのん「そういえばすみれちゃんの実家も葉月氏の荘園にあったよね」
すみれ「まあ、ウチのあたりは三世一身法の頃に出来た荘園だからもっと古いけどね」
すみれ「それで、条件っていうのは?」
夏美「新たな陵墓の管理を手伝う代わりに、こちらにも定期的に通わせて整備もさせてほしいんですの」
きな子「どうっすかね? きな子としては夏美ちゃんの気持ちを尊重してあげたいっす」
かのん「古麻呂様の許可なく私達で決めちゃって大丈夫なの?」
すみれ「まあ、あの人は可可には甘いしなんとかなるんじゃない」
可可「ククが頼んでおきマス!」グッ
きな子「良かったっすね! 夏美ちゃん!」キラキラ
夏美「あ、ありがとうですの……」テレ
かのん「なんだか仲良しになってよかったね」ニコ
すみれ「じゃ、戻りましょうか」
平城宮内
ザワザワ
かのん「やっと帰ってきたと思ったら、なんかますます騒がしくなってない?」
すみれ「とにかく古麻呂様に報告に行きましょ」
きな子「では、きな子と馬たちは左馬寮に戻るのでここで失礼するっす」
ヒヒーン
かのん「きな子ちゃん、いろいろとありがとね!」
すみれ「ほんと助かったわ」
可可「また遊びに行きマスね!」
きな子「はいっす。夏美ちゃんのことよろしくお伝えくださいっす!」
可可「ククたちも古麻呂さんに会いに行きマショウ」
すみれ「いるとしたら弁官局かしら」
かのん「あれ、あそこにいる人って……」
ザワザワ
家持「本当か、とにかく今は落ち着いて……」
ザワザワ
かのん「大伴家持様だよ。聞いてみようか」
可可「こんにちはー! 古麻呂さんどこにいるか知りマセンか?」ブンブン
家持「君たちは内教坊の……」
すみれ「いきなり失礼しました兵部少輔様。私達、古麻呂様を探していまして」
家持「悪いが今、兄上は君たちに会っている余裕は無いと思う。大変なことが起きたのでね」
かのん「大変なこと?」
家持「我が一族の、大伴古慈斐という者が衛士府に捕縛され勾留された」
かのん「えっー!?」
家持「罪状は『朝廷への誹謗』だそうだが……このような時にいきなりとなると恣意的なものを感じずにはいられない」
家持「とりあえず、兄上が仲麻呂様に事情を問い質しに向かっているところだ」
すみれ「そうでしたか。邪魔にならないように私たちは一旦、内教坊に戻りますね。失礼しました」ペコリ
可可「え、デモ……」
すみれ「ほら行くわよ」グイッ
すみれ「もう、古麻呂様が危惧していた藤原氏と大伴氏の緊張関係ってやつが早速始まってるじゃない……!」
朝堂院
古麻呂「くそっ! 腹立たしい!」
ザッザ
家持「兄上! いかがでしたか、大納言様は何と?」
古麻呂「家持か……勾留された古慈斐は2,3日で解放されるそうだが。仲麻呂め、露骨に大伴氏に圧力をかけて来おったわ」
古麻呂「太上天皇が崩御された混乱に乗じて妙なことをせぬようにとな」
家持「確かに一族には過激な者もおりますが、このようなことをしたらますます刺激するだけですのに……」
古麻呂「それが狙いであろう。過激な連中を暴発させて、大伴氏を制圧する口実を作りたいのだ」
家持「なんと……一族の者たちには私からも冷静になるように伝えましたが、このまま耐えられるかどうか」
古麻呂「耐えねばならんのだ……民を巻き込む戦を起こさぬように」
家持「はい……そういえば、内教坊の娘たちが戻ってきて兄上を探しておりました」
古麻呂「そうか……山作司の仕事を頼んでいたのだったな。会ってやらねば」
内教坊
ザワザワザワ ギャーギャー
恋「み、皆さん落ち着いてください!」
「もう許せないよ!」
「抗議にいきましょう!」
ギャーギャー
かのん「恋ちゃん!?」
可可「一体何の騒ぎデスか?」
すみれ「学生と女嬬の子たちが集まって、なんだか殺気立ってるわね」
ナナミ「あ、かのんちゃんたち。大伴氏の人が言いがかりで捕まった話は聞いた?」
すみれ「ええ、さっき知ったばかりだけど」
ヤエ「ここにいる子たちの親や兄弟も、何人か中衛府の衛士に不当に尋問されたんだって」
ココノ「捕まったわけじゃないけど、藤原氏に逆らわないように暗に圧力をかけられたんだよ」
かのん「それで、みんな怒ってるんだ」
すみれ「元々、聖武帝の親衛隊として作られた中衛府も今では藤原氏の私兵同然ね。衛士府も影響下にあるし」
ナナミ「だけど藤原氏以外の氏族の私兵を集めれば充分に対抗できるって話だよ」
かのん「いやいや、対抗って何を言ってるの? 戦になっちゃうよ」
可可「そんなの駄目デス! 古麻呂さんも協調すべきと言ってマシタ!」
ヤエ「大伴氏からも不満の声はたくさん出てるよ」
恋「皆さん! そのような話はおやめください! 藤原氏に密告でもされたら内教坊は終わりです!」
「だったら藤原氏と戦えば良いよ!」
「そうだそうだ!」
ワーワーギャーギャー
千紗都「ういっすー、ただいまー……って、なんか大変な感じになってるね」
かのん「ちぃちゃん! 良かった、心配だったんだよ」ギュッ
かのん「大丈夫? 雅楽寮では何もなかった?」
千紗都「……うん、何もなかったよ」
ワーワー キャーキャー
可可「あわわわ、今はここが一番何か起きそうデス……!」ブルブル
すみれ「ちょっとこの騒動、さすがに内教坊の外まで聞こえかねない。まずいったらまずいわよ」
内教坊 門前
家持「兄上! 内教坊の学生と女嬬たちが……今すぐ止めましょう」
古麻呂「待て、内教坊は男子禁制。これより先に侵入は出来ぬ」
家持「ですがあの娘らのためにも止めてやらねば!」
古麻呂「いざとなれば我らの兵で取り囲む。だが今は見守るのだ」
ワーワー キャーワー
可可「こうなったらクク達に出来ることはひとつ! 歌いマショウ!」
すみれ「ま、待ちなさい。聖武帝の初七日法要も終わってないのに踏歌なんて披露したら不敬の罪を着せられかねないわ」
かのん「……やろう、すみれちゃん。歌の力を信じたい」
千紗都「じゃあこの前に舞を鍛錬したあれ、やろっか」
恋「でしたらわたくしも! たとえ不敬と言われようとも学生と女嬬の皆さんを守りたいのです!」
すみれ「ったく、仕方ないわね。私がいなきゃ始まらないでしょ。付き合ってあげるわよ」
可可「まったく、素直に一緒にやりたいって言えば良いデス。でもこれで揃いマシタ!」
かのん「うん、私達の歌を響かせよう!」
5人「「「「「まことの ゆめは 止まらざるなり」」」」」♪
5人「「「「「いま心 駆けいだすなり」」」」」♪
~~~~~♪♪♪♪♪♪
ザワザワ…
ヤエ「この曲は!」
ナナミ「みんな、聞こう! 見よう!」
ココノ「かのんちゃん達の踏歌を!」
~~~~♪♪♪♪♪
可可「何時のまにや いと恋し育ちたりき」♪
千砂都「此の想ひ届けてみせむ」♪
可可・千砂都「「定めけり 本気ぞ!」」♪
すみれ「如何なること あたふやなる」♪
恋「まばゆき空 見上げ」♪
すみれ・恋「「大聲にて 歌ひたらむ」」♪
かのん「やりたきことあることは 朝夕ごと」♪
かのん・千砂都・恋「「「楽しけり」」」♪
5人「「「「「汝も さう覚えたりや?」」」」」♪
~~~~~♪♪♪
5人「「「「「嗚呼 屹度 待てるなり 出會ひ我等の始まり」」」」」♪
かのん・可可・すみれ「「「ゆめと ゆめが」」」♪
千砂都・恋「「惹かれあひて」」♪
5人「「「「「始まりはべり」」」」」♪
5人「「「「「まことの願ひに 驚きき いまとまらず」」」」」♪
5人「「「「「いま心 駆けいだすなり」」」」」♪
5人「「「「「いま全力で 駆けいだすなり」」」」」♪
~~~♪
ワアアアアアアア!!!!
「興奮してごめんなさい!」
「ちゃんと落ち着いて考えるよ!」
「みんなの歌と舞を見ていたら心が安らいだ!」
ワアアアア!
かのん「ありがとう!」
恋「ありがとうございます!」
ワアア……
古麻呂「殺気立っていた娘たちも皆、治まった。これが……可可たちの踏歌の力か」
家持「歌の力。これです……歌ならば大伴一族の者たちにもきっと伝わります」
古麻呂「何か思いついたようだな」
家持「ええ、私も一族に対して自制するように諭す歌を作ってみようかと」
家持「そして、私が歌を詠んだという話を広めるのです。内教坊で起きたことの噂が広まるよりも前に。
どのようにすれば朝廷に言い訳が立つでしょうか?」
古麻呂「そうだな。天孫降臨の頃から皇祖に仕えていた大伴氏の誇りを伝え、帝への忠誠を改めて誓う歌ならば、この時期でも咎められることはあるまい」
家持「畏まりました。そのように仕上げて参ります」
古麻呂「頼んだぞ。内教坊の娘たちには我から話しておこう。今日のことは口外せぬようにとな」
翌年
天平勝宝九歳(西暦757年)
6月
東大寺
可可「鑑真さん! 古麻呂さん!」トテテ
鑑真「おお、可可さん。お元気そうな声が聞けて何よりです」
古麻呂「鑑真様。東大寺にこのような場を設けて頂き感謝致します」
古麻呂「……可可もよく来てくれたな」
可可「この3人で久しぶりに会えて嬉しいデス! 唐からの旅を思い出しマス!」キラキラ
鑑真「それで、改まってお話とは何でしょうか?」
古麻呂「新羅から亡命してき僧からの情報で、唐は今大規模な内乱状態にあると分かった」
可可「何デスと!?」
古麻呂「安禄山という者が叛乱を起こし、玄宗皇帝はすでに長安を追われて行方知れずのようだ。古い情報で、どこまで確実かわからぬが……」
鑑真「皇帝が……」
古麻呂「日本は新羅とは断交状態、遣唐使も次がまだ決まっておらぬ有様。お伝えするのが遅くなり申し訳ない」ペコッ
鑑真「古麻呂様が謝ることではありませんよ」
可可「はい……家族が心配デスが……古麻呂さんは悪くないデス」
可可「日本が乱れる? 最近は平和だったと思いマスが……」
古麻呂「そうだな。先月には養老の頃から策定されていた新たな律令も発布されておるし、内政は安定しているように民衆からは見えているかもしれぬ」
鑑真「やはり、あの仲麻呂様に不安が募っているのですか」
古麻呂「仲麻呂は先月、新たな律令を発布した功績によって紫微内相に昇叙されました。大臣としてこの国の頂に立ったのです」
古麻呂「一方で仲麻呂と縁遠い者達は左遷や冷遇を受けております。反仲麻呂派の筆頭・橘奈良麻呂などは我よりも地位の低い右大弁に降格させられまし
鑑真「そうですか……仲麻呂様は仏教を篤く保護し、民の苦労を聞き税を減らすなどの良き政治を行ってくれていると思うのですが」
古麻呂「ですが奴は自分と意見を異にする者には容赦が無い。それが人であっても、国であっても……」
可可「国……? もしかして、日本が乱れると言うのは戦争が起きるのことデスか!?」
古麻呂「すまぬ。喋りすぎた。忘れてくれ」
可可「デスが……」
古麻呂「そこに隠れている者たちも、心配せずとも良い。可可や内教坊には決して手は出させぬ」
「「「「!!??」」」」ビクッ
かのん「ば、バレてました?」アハハ
可可「あぇっー!? なんで皆がここに!?」
千砂都「すみれちゃんが可可ちゃんが心配だから後を付けようって言い出したくせに~」
すみれ「ちょっ!//」
恋「申し訳ございません! わたくしがいながらこのような無礼な行動を……申し訳ございません」ペコ
かのん・千砂都・すみれ「「「すいませんでした」」」ペコリ
可可「付いてきたいなら言ってくれればよかったのデスのに」
鑑真「ふふ、可可さんは皆に愛されているのですね」ニコニコ
古麻呂「唐に帰れぬ今となっては、内教坊が可可の唯一の拠り所かもしれぬ。皆、今後ともよろしく頼むぞ」
恋「はい。勿論です」
千砂都「ういっすー!」
可可「もう古麻呂さん、恥ずかしいデス!」
かのん「ふふ、なんだか親子みたい」
可可「はいデス! 古麻呂さんはお父さん、鑑真さんはおじいちゃんみたいデス」
鑑真「ははは、それは嬉しいですね」
古麻呂「せっかくだ、一緒に帰ると良い。護衛の兵に内教坊まで送らせよう」
すみれ「いつもありがとうございます」
古麻呂「最近の新たな戒厳令で、京内で20騎以上がまとまって行動することを禁じられたゆえ、少数の兵しか付けられぬがな」
東大寺
門前
古麻呂「内教坊の娘たちも無事に出発したようですので、鑑真様、私も失礼します」ペコ
鑑真「ええ、くれぐれも無理はなさらぬようにお願いしますよ。可可さん達を悲しませないでくださいね」
古麻呂「ええ……そうですね」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
パカラッ パカラッ
古麻呂「む……あの豪奢な軍団は」
ヒヒーン
古麻呂「紫微内相様」ペコリ
仲麻呂「おお、これは古麻呂殿。東大寺にご用事かな」
古麻呂「ええ、帰るところですが」
道鏡も出てくるのかな
古麻呂「これは異な事をおっしゃる。いつも朝廷で協力して政をしているではないですか」
仲麻呂「そんなことではない。新羅の征討に力を貸せ」
古麻呂「今の日本に他国に侵攻する力はありませぬ」
仲麻呂「そのために国を豊かにし、力を蓄えているのだ。
そもそも、唐の朝賀で新羅と席次を争ったのは汝ではないか。新羅に対して強硬に出られるのは古麻呂殿のおかげでもあるのだぞ」
古麻呂「席次を争ったのは外交を有利に進めるためで、戦争を起こすためではござらぬ。
100年近く前の白村江での大敗を知らぬのですか?」
仲麻呂「白村江では唐から援軍が来たことが敗因となった。
だが今、唐では内乱が起きている。今度は介入してくることは出来ぬだろう」
古麻呂「だとしても唐との関係が悪化し、いずれ攻められるでしょう」
仲麻呂「ふん、どうも協力するつもりは無いようだな。汝のことは高く評価していたのだが。
まあ良い。汝が助けてくれぬのなら、内教坊の娘たちに頼むとしようか」
古麻呂「なっ!?」
仲麻呂「あの娘らを新羅に渡って貰おう。もちろん戦場に出すつもりはないが」
古麻呂「一体何のつもりだ」
仲麻呂「葉月の恋。奏楽に秀で、下級貴族ながら女官としての実務にも堪能な才女」
仲麻呂「平安名のすみれ。評判の良い神社の娘で、あの若さで内教坊の祭事を1人で執り行うことが出来る優れた巫女」
仲麻呂「嵐の千砂都。都で右に出る者がいない舞の技を持ち、雅楽寮でも指導者として活躍する舞生」
仲麻呂「澁谷のかのん。その伸びやかな歌声は聴いた者をたちまち魅了するという、歌生顔負けの歌唱力を持つ女嬬」
仲麻呂「そして唐の可可。鑑真様と共に遣唐使第二船に乗り込んだ運の強さ、人を引き付ける天性の才気を持つ唐人」
古麻呂「そこまで調べたのか……!」
仲麻呂「皆、戦場の後方で大いに役立つであろうな。それに何より華やかだ。兵たちも喜ぶであろう」
古麻呂「貴様っ!!」ガッ
仲麻呂「落ち着け。まだ決まったわけではない。汝が我に協力してくれるのならばあの娘らの力を借りずに済むかもしれぬがなあ」
古麻呂「……!」ギリッ
仲麻呂「おっと、そろそろ行かねば。ではまた。良い返事を期待しているぞ」
パカラッ パカラッ
平城宮
弁官庁舎
奈良麻呂「おお、古麻呂。戻ってきたか」
古麻呂「奈良麻呂よ。先日、我が断った話だが。計画は残っておるのか」
奈良麻呂「汝……どういうことだ。あれだけ何度誘っても制止してきたではないか」
古麻呂「そうも言ってられん。仲麻呂は内教坊までも新羅との戦に巻き込むと脅してきた」
奈良麻呂「あやつ、そこまで」
古麻呂「我は……藤原仲麻呂を討つ」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
平城宮
薬園(内教坊の北隣)
~~~~♪♪♪
ガサガサ
メイ「お、おほ??!」
♪~~~
メイ「今日は練習してるみたいだな、こっちまで歌が聴こえてくる!」
メイ「ああ、最高だ……また近くで聴きたいな」
四季「おはよう、メイ」
メイ「うわあ!?」ビクッ
メイ「お前、いたのかよ!」
四季「私は典薬寮の薬園生。薬になる若菜を摘みに薬園に来るのは当たり前」
四季「メイこそ、主税寮の仕事はどうしたの?」
メイ「米はもう運び終わったから、ここで時間を潰してたんだよ。べ、べつに内教坊に興味があったわけじゃないからな」
四季「ふーん」
メイ「な、なんだよ!// じっと見つめるな!」
四季「私は典薬寮に戻るけど、一緒に来る? どうせ暇なんでしょ」
メイ「う、おう。じゃあ付き合うよ。先生にも挨拶しときたいしな」
四季「うん。喜ぶと思う」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
典薬寮
メイ「ん? あの門の前に立ってる男は誰だ? 職員か?」
四季「ううん。知らない人」
四季「あの。何か用ですか」
男「医師の答本忠節様を訪ねてきたのですが、どちらにおられるかな」
四季「答本先生ならこの建物です」
メイ「先生の客人か。じゃあ案内しますよ」
男「かたじけない」
ガラガラ
四季「先生。戻りました。あとこちら先生にお客さん」
答本忠節「おお、四季。それにメイも来たのか」
メイ「うん。いつも邪魔させてもらって悪いな先生」
男「私は大伴古麻呂の使いとして参りました。高名な医師である答本忠節様に頼みたいことがございます」
答本忠節「これはこれは。儂は客人と話をするから、すまんが別室に薬草を運んでおいてくれ」
四季「了解」
メイ「手伝うよ」
ドサドサッ
メイ「よっと、こんなもんか」
四季「お疲れ様」
メイ「それにしてもあの客人、何の用なんだろうな」
四季「さあ。先生の医学や薬の知識は凄いから。頼って来る貴族は多い」
メイ「それは知ってるけどさ、大伴古麻呂ってあの左大弁で、最近藤原氏と険悪って噂だろ」
四季「そして内教坊の支援者でもある。やっぱり内教坊のことが気になる?」
メイ「ち、違うって!」
ガラガラ
答本「おおい。客人は帰ったぞ。こっちで甘酒でも飲まんか?」
四季「先生。お客さんは何の話でした?」
答本「ううむ、それがな……」
四季「メイ、声が大きい」
答本「うむ。汝らだから話したが、当然他言無用で頼むぞ」
メイ「ご、ごめん」
四季「それで、協力するんですか」
答本「するわけなかろう。仲麻呂様のことはよく知らぬが、儂は先帝にも帝にも恩があるからのう。内乱を起こすようなことはせんよ」
メイ「良かった。じゃあ断ったんだな」
答本「ああ。だが困ったことになった。断ったとはいえ、誘いを受けた以上は黙っているわけにもいかん」
四季「でも、下手なことを言うと逆に疑われて危険かも」
メイ「かといって黙ってたらバレた時にもっとやばいだろ。言ったほうが良いんじゃないか」
四季「藤原仲麻呂は少しでも疑わしい者には容赦しないと聞く」
メイ「じゃあ、もっと良い人に相談するとか?」
答本「それが良いかもしれぬな。仲麻呂様の兄で左大臣の藤原豊成様とは会ったことが在るが、温和で誠実なお方であった」
答本「もはや実質的な権力は仲麻呂様の方が上だが、形式的にはまだ豊成様が朝廷の首班だ。あの方に報告するのなら筋も通っていよう」
訂正します。藤原豊成はこのとき右大臣でした。
X 答本「それが良いかもしれぬな。仲麻呂様の兄で左大臣の藤原豊成様とは会ったことが在るが、温和で誠実なお方であった」
○ 答本「それが良いかもしれぬな。仲麻呂様の兄で右大臣の藤原豊成様とは会ったことが在るが、温和で誠実なお方であった」
四季「それが良いと思います」
メイ「私らで留守番してるから行ってきなよ」
答本「ああ、そうするとしよう。ちと行ってくる。留守を頼むぞ」
ガラガラ
メイ「なんだか平城宮もきな臭くなってきたな」
四季「うん。メイも気をつけて」
メイ「お前こそ……」
ガタガタッ
四季「誰?」
メイ「!」サッ
メイ「誰も居ないぞ……鼠か犬でもいたのか?」
四季「……」
数日後
内教坊
かのん「恋ちゃんが中衛府に連れて行かれた!?」
すみれ「落ち着きなさい。拘束されたとかじゃなくて事情聴取で呼ばれただけみたいよ」
可可「どうしてレンレンが……」
かのん「ていうかちぃちゃんも見かけないんだけど、知らない?」
すみれ「さあ……見かけてないわね、そういえば」
可可「雅楽寮ではないのデスか?」
かのん「朝は一緒に来たけど、今日は出向は無いって言ってたんだよね」
ザワザワ
恋「……」
かのん「あ! 恋ちゃん!」
すみれ「良かった。早く帰ってきたわね」ホッ
可可「無事で何よりデス!」
かのん「あとちぃちゃんどこに居るか知ってる?」
恋「千砂都さんでしたら、場所はわかりませんが少なくとも無事なことは確かです」
かのん「そ、そうなんだ、とりあえず良かったぁ……!」
すみれ「待って、場所がわからないのに無事がわかるってどういうこと?」
可可「レンレンはなぜ連れて行かれたのデス!?」
恋「何から話したら良いものか……」
恋「……」チラッ
可可「?」ポカン
恋「可可さん、どうか落ち着いて聞いてくださいね」
恋「今朝、大伴古麻呂様が謀反の罪で中衛府に逮捕・拘禁されたようです」
可可「え……?」
恋「他にも橘奈良麻呂様を含めた数名も同様に拘禁。
一昨日の深夜には医師の答本忠節様も秘密裏に捕らえられていたとのことです」
可可「な、なんで」ブルブル
すみれ「可可……」ギュッ
かのん「ま、待ってよ、ちぃちゃんは? ちぃちゃんもまさか捕まったの!?」
恋「いえ、千砂都さんも中衛府に聴取を受けていますが、捕まったのではなく……」
恋「……密告したのです。千砂都さんが古麻呂様の謀反の兆候を藤原仲麻呂様に報せたと、中衛府の方から聞きました」
かのん「はっ!? 嘘でしょ!? ちぃちゃんがそんなことするわけないよ!」ガバッ
恋「わたくしだって信じたくありません!」
恋「ですが……」
かのん「ですが何?」ギリッ
恋「わたくしが上﨟学生として呼び出されて、軽い聴取を受けただけで解放され、内教坊の誰も拘束されない。あれだけ古麻呂様や奈良麻呂様に支援して頂いたにも関わらずです!」
かのん「……!」
恋「それこそが千砂都さんの密告が認められ、内教坊が謀反の罪を逃れた証拠ではないですか……!」
恋「そこまでは言っていません!」
かのん「言ってるよ! ちぃちゃんを裏切り者扱いしないで!」ザッ
恋「あなたの幼馴染でしょう!? わたくしに迫られてもどうしようもありません!」ギロッ
すみれ「やめなさいったらやめなさい!!」サッ
可可「古麻呂さん……」ブルブル
すみれ「可可は寄宿舎で休んでもらうわ」
すみれ「あんたたちは頭冷やしなさい。怒鳴り合ってもどうしようもないでしょ」
かのん「……ごめん、恋ちゃん。ひどいこと言って」
恋「いえ……わたくしも、申し訳ありませんでした」
すみれ「ほら、行くわよ」
可可「あ……まってクダサイ! 古麻呂さんに会いに行きマス!」
恋「無理です。わたくしも事情を知りたかったのですが、尋問が終わるまで誰も面会できないと言われました」
可可「そう、デスか……」シュン
すみれ「騒ぎを大きくしても仕方ないわ。今は無事を信じて待ちましょう」
可可「古麻呂さんはずっと平和を願っていマシタ。何で……」
恋「それは……」
すみれ「ちょっと待って、かのんはどこに行ったの?」
恋「かのんさんならここに……っていません!?」
すみれ「ま、まさか……」
中衛府
かのん「はあ、はあ」ゼエゼエ
かのん「体が勝手に動いて、来ちゃった」ゼエゼエ
かのん「とにかくちぃちゃんに会わないと!」
衛士「おい、何者だ!?」ザッ
かのん「あ、えーと、嵐の千砂都さんと話がしたくて。居ますか?」
衛士「ならぬ。今は偉いお方と面会中だ」
かのん「やっぱりここに居るんですね! 会わせてください!」
衛士「ならぬと言っておるだろうが! 大きい声を出すな!」
かのん「お願いします!!」
仲麻呂「騒がしいな。何事だ?」
衛士「こ、これは内相様。申し訳ございません、すぐに追い払います」
仲麻呂「汝は澁谷の……」
かのん「藤原仲麻呂!……様」
仲麻呂「あの娘に会いに来たのか。良いだろう。入りなさい。丁度、我との話が終わったところだ」
かのん「あ、ありがとうございます」
ギギィ
千砂都「かのんちゃん……」
かのん「ちぃちゃん!」タタッ
かのん「大丈夫だった? 何もされてない?」
千砂都「平気だよ。話してただけだから」ニコッ
かのん「ちぃちゃん、たぶん恋ちゃんの勘違いだと思うんだけど……変な話を聞いたから心配で」
千砂都「変な話?」
かのん「ちぃちゃんが古麻呂さんが謀反するって密告したって……そんなことないよね?」
千砂都「密告したよ」
かのん「……え?」
かのん「ほ、本当にちぃちゃんが密告したの……!?」
千砂都「うん」
かのん「なんで!?」
千砂都「平城宮の端っこにある内教坊にはあまり噂は流れてこなかったんだろうけど、私が出向してた雅楽寮は中央の貴族がたくさん出入りするから、色んな話が集まってくるの」
千砂都「もう、謀反が起きそうって噂は流れてた。あの仲麻呂様がそれを見逃すはずがないよね」
千砂都「だから、かのんちゃん達が巻き込まれる前に私が古麻呂様達の動きを探って、密告したの。早く密告すればするほど、内教坊は疑われなくて済むでしょ?」
かのん「でも、古麻呂様は可可ちゃんがお父さんみたいに慕ってる人なんだよ!? それに内教坊のことも面倒を見てくれてたのに!」
千砂都「そうだね。可可ちゃんにも、みんなにも嫌われて、何を言われても仕方ないと思ってるよ」
かのん「ちぃちゃん……」
千砂都「可可ちゃんや内教坊が、かのんちゃんがまた歌えるきっかけを作ってくれた」
千砂都「だから、内教坊のみんなが無事ならそれでいいよ」
千砂都「それで内教坊に戻れなくなっても、雅楽寮で働けばいいしね」
かのん「え、待ってよ。内教坊に戻っちゃだめなんて誰も……」
千砂都「じゃあね」
スタスタ
かのん「待って! ちぃちゃん!!」
仲麻呂「おっと、ここまでにしてもらおうか」サッ
かのん「なっ……!」
仲麻呂「こちらのお嬢さんを内教坊まで送ってやれ。手荒な真似はするなよ」
衛士「はっ!」
かのん「待ってください! まだ話は終わってません!」
仲麻呂「そうか?」
千砂都「いえ、もう話はしました。大丈夫です」
衛士「ほら、さっさと来なさい!」
ズルズルズル
かのん「ちぃちゃーん!」
千砂都「……さっきの約束、本当ですよね?」
仲麻呂「無論だ。我としても奴を罪人にするのは惜しいからな。これが最後の機会だと伝えてやれ」
千砂都「わかりました。じゃあ行ってきます」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
中衛府
獄所
ギギィ…
古麻呂「誰だ……」
千砂都「こんにちは」
古麻呂「おお、汝か」ボロッ
千砂都「怪我、してるじゃないですか。大丈夫ですか?」
古麻呂「気にするな。少し拷問されただけだ」
千砂都「こんなところ早く出ましょう。古麻呂様」
千砂都「仲麻呂様が、他に謀反に加わろうとした者の名前を白状し、今後は藤原氏に協力することを誓うのならば解放するって約束してくれました」
古麻呂「それは光栄な話だな。だが出来ぬ。奈良麻呂を裏切るわけにはいかん」
千砂都「奈良麻呂様だってもう捕まってるじゃないですか」
古麻呂「それでもだ。奴は幼馴染なのだ」
千砂都「幼馴染……」
そんなクーデター成功するわけがないんよ
古麻呂「汝ならわかってくれるであろう。我が頼んだ通りに密告してくれたのだからな。友人たちの為に」
千砂都「断ったところで、いつか別の人に密告されて古麻呂さんは捕まるし内教坊も危なくなるだけだったから」
古麻呂「良い冷静さだ。計画が漏れていることがわかった時点で、汝に密告を頼んで正解だった」
千砂都「なんでですか……古麻呂様がご自身で密告すれば良かったのに。そうすれば古麻呂さん自身も、内教坊も守れたのに」
古麻呂「さっきも言ったであろう。奈良麻呂は」
千砂都「幼馴染、ですもんね」
古麻呂「汝には辛い役目を押し付けてすまなかったな」
千砂都「……謝るなら、可可ちゃんに直接謝ってよ!」
古麻呂「……」
千砂都「もういいじゃないですか! 私が奈良麻呂様の立場なら、幼馴染が自分と一緒に終わることなんて望まない!」
千砂都「例え自分と敵対しても、古麻呂さんには日本のために存分に力を発揮してほしいって……私ならそう思います!」
千砂都「仲麻呂様に頭を下げて、ここから出ましょう?」
古麻呂「……可可にはすまなかったと伝えてやってくれ。我のことは忘れて夢を追ってくれ、と」
千砂都「古麻呂様!」
古麻呂「今でも昨日の事の様に思い出す。唐で鑑真様と可可を遣唐使船に乗せた日のことを……」
古麻呂「我の航海はここまでだが、可可ならばもっと先へ進めるであろう」
千砂都「可可ちゃんだってこんなこと望んで……」
衛士「おい、時間だ! 出ろ!」
千砂都「っ!」
古麻呂「さらばだ」
ギギィ バタン……
天平勝宝九歳(西暦757年) 七月四日
大伴古麻呂 獄中で激しい拷問を受け、死亡
.
次の日
典薬寮
メイ「くそっ! くそっ!!」ドカッ
四季「メイ、騒がない方が良い」
メイ「なんでだよっ! なんで答本先生が殺されなきゃいけないんだよ!」
四季「殺されたのではなく、尋問中に発作で亡くなったと言われた」
メイ「尋問じゃなくて拷問だろ! 殺されたのと同じじゃねえか!」
四季「私だって……辛い」ウルッ
メイ「あ……ごめん、1人で興奮して。お前だって辛いよな」
ギュッ
四季「どうやら薬の処方を訪ねに来た人が、たまたま答本先生の話を盗み聞きして密告したらしい」
メイ「もしかしてあの時の物音か……私が追いかけてれば……」
四季「ううん。メイのせいじゃない。私が報告したら逆に疑われるかもなんて言ったせいで……」
メイ「お前のせいでもないだろ! 先生は右大臣の藤原豊成には報告したじゃねえか!」
メイ「朝廷への筋は通したのに、仲麻呂に直接報告しなかったからって謀反に加担した疑いを持たれるなんて横暴すぎる!」
四季「メイ、これからどうする?」
メイ「どうするって……」
メイ「朝廷に訴えに行くさ……先生を罪人として葬るなんて絶対嫌だ」
四季「……うん」
メイ「あの人は孤児だった私達を拾って、四季の才能を見出して薬園生にも推薦してくれた。何の才能もない私も官戸として取り立ててくれた」
四季「そんなことない。メイは優秀」
メイ「私のことは良いんだよ、とにかく行ってくる」
四季「私も行く」
メイ「お前は来るなよ。捕まるかもしれないんだぞ」
四季「それで私がついて行かないと思う?」
メイ「まあ、それもそうか……じゃあやばそうになったら逃げてくれよ」
千砂都「待って、二人共!」ザッ
四季「!」
メイ「あなたは内教坊の……」
千砂都「ごめんね、大きい声で話してたから聞いちゃった」
千砂都「あ、今は雅楽寮に無期限で出向してるんだけどね」
四季「ご要件は?」
千砂都「とりあえず、抗議に行くのはやめたほうが良いよ。捕まっちゃうから」
メイ「だとしても私は……!」
千砂都「ねえ、メイちゃんに四季ちゃん」
四季「なぜ、私達の名を……」
千砂都「メイちゃんはよく薬園から内教坊の方を覗いてたでしょ」
メイ「なっ!?///」
千砂都「それに四季ちゃんもメイちゃんの後ろから覗いてたし」
四季「///」
メイ「四季お前、まさかいつもいたのかよ!?」
千砂都「で、二人とも歌や舞に興味があるんでしょ? 私と一緒に来ない?」
メイ「わ、私達が!?」
四季「どういうつもりですか」
千砂都「理由は3つくらいあるんだけど」
千砂都「ひとつめ、典薬寮の答本先生が捕まって、右大臣の豊成様も左遷されたことでこれから二人の立場はすごく悪くなる。で
も私と一緒に来れば守ってあげられる」
千砂都「ふたつめ、これから内教坊も大変な時期になる。たぶん、規制が厳しくなるし、しばらく人数が減って活動が難しくなると思う。
再び内教坊にみんなが集まるまで、私が雅楽寮でみんなが奏でた音、歌や舞が廃れないように人を集めて鍛錬を続けたい。
そのためにやる気のある子を探してるの」
千砂都「で、みっつめ。メイちゃんも四季ちゃんも、好きでしょ?歌と舞」
メイ「!」
四季「!」
千砂都「四季ちゃんは薬園で薬草を採取しながら舞をしているのを見たことがあるし」
四季「///」
千砂都「メイちゃんは主税寮の倉庫で古い琴を弾きながらたまに歌ったりしてるでしょ」
メイ「お、お見通しかよ//」
千砂都「じゃ、決まりだね。もちろん典薬寮と主税寮の仕事も続けながらってことになるから、鍛錬は午後からね」
千砂都「新しい仲間を紹介するね。近い将来、次世代を一緒に盛り上げていく仲間を!」
きな子「あ、あのー、きな子たちもど素人っすけど、頑張るっす。よろしくっす!」
夏美「陵戸の誇りにかけてやってみせますの!」
メイ「こいつらが次世代の……」
四季「メイ……」チラッ
メイ「……」コクッ
メイ・四季「よろしくおねがいします」
千砂都「これからどんどん鍛えていくからね!」
内教坊
「今までありがとう。ごめんね」
恋「こちらこそありがとうございました。どうぞお気になさらず」
「じゃあ、さようなら」
恋「……」
すみれ「……また辞める子が出たのね。これで何人目かしら」
恋「謀反の罪に連座しなかったとは言え、内教坊が大伴氏を関わりが深かったのは事実ですから」
恋「自分の娘を通わせられないと判断する家もあるのは仕方ありません。残念ですが」
かのん「そうだね。辞める子を責めても仕方ないよね」
すみれ「かのん! 今日は千砂都に会えたの?」
かのん「ううん。雅楽寮まで行ったけど門前払いされちゃった。でも、1日たって私も落ち着いたよ」
かのん「私はちぃちゃんを信じてるから。絶対ちいちゃんは帰ってきてくれるよ」
恋「ええ、きっと千砂都さんはかのんさんと心の底で通じ合っていますよ」
かのん「すみれちゃん、可可ちゃんの様子はどう?」
すみれ「寄宿舎の部屋に籠もってる。まあ……古麻呂さんが亡くなったんだもの。無理もないわ」
すみれ「しばらくはそっとしておいてあげたいけど、あの子のことだから自分を追い詰めて暴走しないように、食事と休息はちゃんとするように見ておくわ」
かのん「そっか……」
家持「……おーい、君たち!」
かのん「あれ、門前に家持様がいる」
恋「行ってみましょう!」
家持「すまないな、亡くなった兄上にかなり前に頼まれて調べていたことがあったのだが、それについて急ぎ知らせたいことがある」
恋「古麻呂様に?」
すみれ「あの、失礼ながら家持様は謀反の件は大丈夫だったんですか?」
家持「ああ……兄上も奈良麻呂様も、近頃は私とは一切接触していなかったからな。大伴氏と言えど私には処罰は無かったよ。淋しい話だが」
かのん「きっと、家持様を巻き込みたくなかったんですよ」
家持「そうだな……それで、本題だが」
内教坊 寄宿舎
ギシッ
すみれ「可可、来たわよ」
すみれ「いるんでしょ? 勝手に入るわよ」
ギキイッ
可可「また来たのデスか。帰ってクダサイ、食欲は無いデス」
かのん「可可ちゃん!」
恋「可可さん、こんにちは」
可可「かのんとレンレンも来たのデスか……」
かのん「可可ちゃんに大事な話があるの!」
可可「ごめんなさい、もう内教坊を続ける気になれないデス……」
可可「なんで古麻呂さんが殺されるのデスか……」
可可「それに遺体に会ってお別れすることも出来ずに埋められてしまうなんて……酷すぎマス」ジワッ
すみれ「それは穢れが伝染らない為に仕方なくでしょ……7月だし放っておくと遺体はすぐに」
恋「すみれさん」
すみれ「っ! ごめん……かのん、話して」
かのん「可可ちゃん、前に神集島の話したよね?」
可可「……? ハイ、ククが唐で会った2人がそこから来たかもしれないと……」
可可「でも、古麻呂さんに聞いたら都からはあまりにも遠くて調べようがないと言われマシタが」
かのん「古麻呂様は可可ちゃんのために、ずっと調べててくれたんだよ! それで、古麻呂様に頼まれた家持様がさっき、知らせてくれたの」
かのん「これを見て」
スッ
可可「これは、木簡デスか」
かのん「この2枚の木簡には、それぞれ伊豆国の御津(みと)、駿河国の宇良(うら)という地名が書かれてるの」
かのん「調としてそれぞれの地域から堅魚を運んできた時に使われた荷札なんだって」
可可「カツオ……それが何か神集島と関係あるのデスか?」
かのん「あ、カツオは関係なくて、今度はこれを見てよ」
ジャラッ
可可「このたくさんの黒い石は、ククが貰ったものと似ていマス!」
可可「黒曜石デスね? すごく尖っているデスが」
かのん「みんな運ばれてきた堅魚の肉の中に混入していたんだって」
恋「かつて、鉄も青銅も無かった昔の人達は石を道具として使っていました」
すみれ「その文化が東の方ではまだ残っていて、この尖った黒曜石も堅魚の加工に使っているんじゃないかって家持様が言っていたわ」
恋「伊豆国の御津と駿河国の宇良。国を跨いでいますが伊豆と駿河の境目にありますので、ほぼ同じ地域です」
恋「そして、御津と宇良の内側の海にある名も無い小島で採石がされたことはあるようですが、そのあたりの地域で黒曜石が産出されたという記録は一切ありません」
かのん「ということは?」
可可「神津島から黒曜石が運ばれてきているのデスか?」
可可「それも、道具として使えるほど大量に!」
× 可可「神津島から黒曜石が運ばれてきているのデスか?」
◯ 可可「神集島から黒曜石が運ばれてきているのデスか?」
かのん「そうなの。神集島とあの辺りの地域が交流してるってことは、可可ちゃんが出会った二人組のことも知ってる人がいるかも」
恋「それに、駿河国と聞いてわたくしもやっと思い出したのです」
恋「わたくしのお父様は若い頃、駿河掾として駿河国府に勤めていた時期がありました」
恋「その時に、お父様に同行していたお母様は現地で聴いたことも見たこともない歌と舞を披露されたと、生前話していました」
可可「! もしかして、その歌と舞って」
恋「詳しくはわかりませんが、母の友人だった頭預様や、家人のサヤさんに色々と聞きました」
恋「どうやら母はその後、内教坊の前身である歌所で有志を集め、長屋王の邸宅で行われた宴で新しい踏歌を披露したことがあるそうです」
恋「長屋王という方は当時の朝廷で最も実力があった皇族です」
可可「そんなすごい場所で……」
恋「ですが長屋王が藤原氏によって死に追いやられ、その後の疫病の流行もあって母の始めた踏歌は完全に廃れてしまったそうです」
可可「レンレンのお母さんは駿河国でククと同じように何かと出会って、新しい踏歌を初めたかもしれないのデスね」
恋「ええ、神集島との繋がり、わたくしの母との繋がり……駿河と伊豆の境界であるあの辺り、御津と宇良から、その新たな踏歌が始まった可能性もあります」
恋「もちろん、そこの人々もさらに別の地域から影響を受けたということも考えられますが」
すみれ「どう? 行ってみたくなったんじゃないの?」
可可「行くデスと!? 遠い駿河国に行けるのデスか!?」
かのん「家持様は全国の国府に知り合いが多いみたいで、駿河に行くなら女官として国府で働く手配をしてくれるって」
恋「官人として任地へ向かうなら駅鈴が貸与されるので、各地で馬を借りることができます。
恋「もちろん、容易ではない旅にはなりますがそれでも歩きよりは安心かと」
かのん「可可ちゃん、行ってみようよ! 手がかりを探しに!」
可可「一緒に来てくれるのデスか?」
かのん「うん、私は可可ちゃんのおかげでまた歌えるようになったんだもん。今度は可可ちゃんの力になりたい!」
可可「かのん……!」ウルウル
可可「あの、すみれとレンレンは……」
恋「申し訳ありませんが、わたくしは今、内教坊を離れるわけにはいきません」
すみれ「私も、内教坊の神事を投げ出せないわ。神事を疎かにして神様にまで見放されたら大変だもの」
可可「そうデス、よね」シュン
すみれ「何? 寂しい?」ニヤニヤ
可可「そんなことないデス! すみれこそククとかのんが居なくなってもレンレンに迷惑かけずしっかりするのデスよ!」
すみれ「まったく。やっといつもの調子になってきたじゃない」
恋「かのんさんと可可さんが帰る場所はわたくしとすみれさんが絶対に守りますから、安心して行ってきてください」ニコッ
可可「千砂都はどうなるのデスか?」
かのん「ちぃちゃんも、今は何か考えがあって雅楽寮に行ったきりだけど、いつか絶対戻ってくる。だから大丈夫だよ」
可可「わかりました。クク、駿河国に行きマス! かのん、よろしくお願いしマス!」
かのん「うん!」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
雅楽寮
かのん「っというわけだから、私と可可ちゃんは駿河国に旅に出るね!」
かのん「帰ってきたら、ちぃちゃんとまた一緒に歌って踊りたい!」
かのん「じゃあ行ってくるね、ちぃちゃん!!」
千砂都「……」
夏美「すごい大きい声ですの」
きな子「門前からこの建物の中まで聞こえてくるっす」
メイ「……会わなくていいのか?」
四季「駿河国に行くとなると、帰ってくるのはどれだけ先になるか」
千砂都「大丈夫だよ。かのんちゃんはかのんちゃんの、私は私のやるべきことをやるだけだから」
千砂都「ほら、みんな! 休憩は終わり! 稽古を再開するよ!」
夏美「は、はいですの!」
夏美(そうですの……私は陵墓を守り続ける。眠っている誰かの為にも……いつか帰ってくるかもしれない家族のためにも!)
夏美「だからどこまでも、力を得るためにのし上がってやるんですの!」
千砂都(内教坊が藤原氏に目をつけられて活動しにくい今は、恋ちゃんとすみれちゃんには内教坊を守って存続させることに集中してもらう)
千砂都(その間に私は雅楽寮で次世代のみんなを育て上げておく。だから安心して行ってきてね。かのんちゃん)
東大寺
鑑真「そうですか。駿河国に」
可可「はい。古麻呂さんの喪中に良くないのはわかってマスが」
鑑真「それが古麻呂様の望んでいたことでしょう。ご安心を。彼の菩提は可可さんの分も私が弔っておりますから」
可可「感謝デス……」
鑑真「実は、朝廷から新たな寺を開く許可を頂いたのです。可可さんが帰ってくる頃には東大寺からそちらに移っているでしょう」
可可「新たなお寺デスか。何という名前デスか?」
鑑真「唐から日本に招かれた私は、可可さんや古麻呂様を初めとした沢山の方々のお陰で旅を乗り越え今、この地に居ます。その感謝の意味を込めて唐招提寺としようかと」
可可「そうデスか! 良い名前デス!」
鑑真「可可さんの新たな旅もきっと良きものになるでしょう。道中、どうぞ気をつけていってらっしゃい」
可可「はいデス!」
平城京
羅城門
パカラッ パカラッ
かのん「可可ちゃん、鑑真様と会えた?」
可可「はいデス。かのんも千砂都とお別れ出来ましたか?」
かのん「……うん。大丈夫だよ」
かのん「じゃあ、出発しようか」
女の子「あの、失礼ですが。あなた方は任地に赴く官人ですよね?」
かのん「は、はい。そうですけど。なんでそれを?」
女の子「立派な馬をお連れして羅城門から出てくるのは富裕な商人か、駅鈴を持った官人だけ」
女の子「そして商人なら大量の荷物を持っていますがあなた方は最低限の旅装のみ。なので明白です」
可可「た、確かに。論理的デス」
女の子「官人でしたらお聞きしたいことがあります」
女の子「平城宮内に、鬼塚の一族の夏美という陵戸がいると聞いたのですが。ご存知ですか?」
かのん「あ、夏美ちゃん? ならちぃちゃん……私の友達と一緒に雅楽寮にいるはずだよ」
女の子「!!そうでしたか……教えていただき感謝します」
タッタッタ
可可「あ、行っちゃいマシタ」
かのん「なんだかあの子、夏美ちゃんに雰囲気似てなかった?」
可可「そうデスか? 背丈も髪も全然違ったと思いマスが……」
かのん「うーん、なんとなくなんだけどね。まあ良いか」
かのん「じゃあそろそろ、出発しようか」
可可「都ともしばらくお別れデスね」
キラッ!
可可「あっ! 流れ星デス!」
かのん「本当だ! 明け方なのに綺麗だね」
可可「ククたちはまだまだ小さな小さな小星星デスが」
可可「いつか、あの流れ星のように……!」
かのん「うん……!」
後に、藤原仲麻呂(恵美押勝)が政争に敗れて都を脱出した際、仲麻呂軍の駐留地に巨大な流星が隕石となって墜ちた。
その数日後、仲麻呂は戦に敗れて斬首されることとなる。
かのん「都からは駿河までは長い道のりだよ。頑張ろうね!」
可可「遣唐使船から始まったククの旅はまだまだ終わりそうにないデスね」
かのん「可可ちゃんの旅が終わるまで……ううん、終わってからだって、私達は内教坊の仲間」
かのん「……行こう!」
可可「はい!」
この2年後の天平宝字三年(759年)、内教坊の名前が歴史上初めて文献に登場する。
『作女楽於舞台。奏内教坊踏歌於庭』 (続日本紀)
完
当初は道鏡の事件やら平安京遷都あたりもやるつもりでしたが、うまくまとまりそうにないのでこのあたりで締めることとしました。
長い話でしたが読んでくれた方、ありがとうございました!
知らない言葉を調べながら見るのが新鮮で楽しかった
奈良時代ってのは新鮮
ちょっと先が気になるが、駿河まで無事にたどり着けるといいな
コメント