ルビィ「最近変な夢をみるんだあ」【ホラーSS】
その夏の夜は、いっとう賑やかな様子でした。
お父さんも、お母さんも、近所に住むおじいさんも。
みんながいっぱい笑って、お酒を飲んで、お囃子の音色が一体に響く、その日はどこに行っても提灯が吊るされていて、今が夜だというのが信じられないほどに辺りは明るく照らされてました。
お着物がふわりと跳ねるようになびく度に、とりどりの布がそれは綺麗にゆらめいていて、その舞姿に多くのひとたちが歓声をあげていました。
周りでは色々なひとが、お店のまねごとのような出し物をしていました。
赤黒く日焼けしたおじいさんが、ひんのべ、ひんのべえ、と道行く人に声をかけながら、大きな鍋に入った美味しそうな匂いの汁を振る舞っています、すこし離れたところに近所のともだちがみんなして群がっているから何かと思えば、飴売りが水飴を伸ばしていました。
◼◼◼には話の意味は良く分からなかったけど、近くの大人は酒に酔った赤ら顔でがらがらと笑っているので、きっと面白いものなんだと思います。
普段とは違った様子の笑顔を見ているだけでも◼◼◼は、何だか楽しいような、わくわくするような気分になっていました。
その日は、たのしむための日なのだそうです。
それは、たのしい事をするための催しなのだそうです。
幼い◼◼◼が初めて見るその催しを、大人たちはおまつりと呼んでいました。
『夏本番!思いっきり楽しめるお祭り特集』より
Aqoursの高海千歌です!
なんと◼◼には何百年も前から続いているお祭りがあるんだそうです!
◼◼神社という由緒正しい神社を中心に催される納涼祭は、その地に伝わる神様を称えて、楽しい歌や踊り、食べ物などを奉納するという行事から始まったと言われています!
さらにお祭りの日だけの特設ステージでは、私達Aqoursのライブは勿論!生の巫女さん(ダイヤさんもいるよ!)による華麗な舞の奉納も見れちゃうんです!皆さんも是非、◼◼神社お祭りで、私達と一緒に楽しい夏の思い出を作ってみませんか?!
お神楽がひとしきり終わったあと、先程まできれいな舞を舞っていた、◼◼◼姉が、◼◼◼のもとへ来てくれました。
左手には、なにやら小さな桐の箱を持っています、見てくれてたの、まあ可愛いお着物、そんなことを言いながら◼◼◼姉は空いている手で◼◼◼の頬を撫でました。
◼◼◼はそのすべらかな指で撫でられるのが、それなりに好きだったのです。 すこし、くすぐったくもあったけど。
一ヶ月くらい前から、お母さんが今日は特別だからと言って、白い綺麗なお着物を仕立ててくれていたのです。
そのお着物は、目の前で笑いかける◼◼◼姉が羽織っている千早のように、所々に刺繍がなされていました。
今日の昼に届いたその着物を着た◼◼◼を、お母さんもお父さんも嬉しそうに見ていたのを覚えています。
ここ最近、夜になると何やら二人でぼそぼそと話し合い、時には泣いてさえいた両親が元気になったのを見て、何となく誇らしいような気にもなりました。
滅多にものを買ってくれないお父さんがそんな事を言うので、◼◼◼はすこし可笑しくもありました。
その事を◼◼◼姉に話すと。彼女はいつもの優しい口調で、今日は目一杯楽しむのよと言い、◼◼◼に笑いかけました。
そしてまた◼◼◼を撫でてくれましたが、
さっきよりも随分と、撫でる力が弱いような気がしました。
次まるたちがいく◼◼も昔は似たような信仰があったみたいずら、同村に暮らす女の人の殆どは巫女の資格を持つ者だったらしくて、彼女たちは合同で、共通の神を祀ってたみたい。」
善子「巫女って結局なんなの?住職さんみたいな?」
巫女っていうのはね、神様と人間の仲介を行う職業なの、彼女たちは神憑りによって自分たちが祀る神様の意思を聞き取って、その意思に従っておまつりを行っていたってされてるずら。
当時に彼女たたが何を祀っていたのか、神が◼◼村の人々に何を望んだのかは、その神社の管理者や一部の村民にしか伝わってみたいで、今も判然としてないみたい。
んーあんまりいい事はなかったんじゃないかな? 今でも祠の周囲には神社が形成されてるけど、祠は未だ禁足地になってるみたいだし。」
◼◼◼は◼◼◼姉に、その手に持っている箱は何なのかと尋ねました。 ◼◼◼の顔よりひとまわりほど小さいその箱は、黒い紐で重々しく結われていて、見るからに大事なものが入っているのだろうという感じがします。
「ああ、これはね」 ◼◼◼姉は、その黒くて太い紐をしゅるりとほどいていきました。 ほどいた紐を持った右手で、箱の蓋を掴みます。 かし、と木が擦れる音がして。 ◼◼◼は、箱の中を覗きます。
中には、きれいな刀が入っていました。 刀といっても、いつもお母さんが塩魚を切るときの庖丁よりも小さく、刃の切先も鋭くはありません。
これは一体、何を切るためのものなのか。◼◼◼が尋ねると、きれないものをきるんだよ、と。
◼◼◼姉は、そう言いました。
意味は、よく分かりませんでした。
それにしても、きれいなものです。 良く見ると、至る所に細かい装飾がされてあって、鈴も刃も丁寧に磨かれています。 きっと、位の高いものなのでしょう、こんな箱の中に入れて紐で結っているのですから、大事に大事に扱われてきたに違いありません。
あれも、何か不思議な力を持っているものなのかな、と考えましたが箱には入っていなかったので、違うかもしれません。
誰だったでしょうか、詳しい名前は思い出せないのですが、この村には馴染みのない名字だったことは覚えています。
ええっと、あれはたしか────
「おおい」
振り向くと、困ったような顔でお父さんが立っていました。
そういえば、いつの間にかお父さんをおいて一人で行ってしまったようです。
慌てて◼◼◼姉に別れを告げ、お父さんのもとへ小走りで向かいます。
ええ…かまいませんが
えー、この地においては、巫術に長けたものの用いる神具として、神楽鈴ではなく鉾先鈴などと称されるものが用いられることがあったという。
これは悪鬼羅刹の類を征伐するための貴い武具として伝わっており、それを搔き払うことで鳴らされる鈴の音は邪気を退けるので、巫女の祓いに用いられた。
広い長野の地にあって、この◼◼村においては特に鉾先鈴が重用されたとも云われるが、その理由は判然としない。
優れた巫女、神主の多い◼◼村において、その男がいったい何をしに来ていたのかは、村に長く住まう語り爺や語り婆に尋ねても、知らないと答えるのみであったという。
その男は、自らを応神と称した。」
昼みたいに光っている台の周りをきょときょと見回しながら、◼◼◼の手を引くお父さんに、これは一体何なのかと訊きました。
何処を見ても賑やかで、まるでお正月やお盆が何年か分、いっぺんに来たようです。
聞けば、このおまつりは、十年に一度しかやらないらしいのです、最後におまつりをしたのは、十年前。次におまつりをするのは、十年後なのだそうです。
ならば、◼◼◼がこのおまつりを知っている筈がありません。
でも、こんなに賑やかで楽しそうなものなら、もっとたくさんやればいいのに、なんでわざわざ、十年も待たないといけないのだろう。
「あれが、そうしたいと言うから。 それに使わされるもんは、言うことを聞くしか無えんだ。」
◼◼◼には、言っていることの意味は良くわからなかったのですが、その悲しいような、悔しいような気持ちの滲み出たお父さんの口調を聞いて、最近の夜に泣きながら話し合っている両親の声を思い出してしまいそうになったので。 もう、それ以上は聞かない事にしました。
「ほら、飴でも食うか。今日は何でも食わしてやるぞ」 いやに大きな声で、お父さんはそう言いました。
『お祭りを成功させる為に◼◼に行ってどんな場所か知ろう!』
活動メンバー 黒澤ルビィ 渡辺曜 高海千歌 小原鞠莉 国木田花丸
活動期間
5/9~5/14
5/11より抜粋 以下本文
担当 国木田花丸
五月の中旬ごろになると、住民の多くが参加して式年祭の準備が行われていました!
ちょうど、◼◼神社の先代神主が亡くなってからの節目の年だったそうです。
式年祭を指揮していた現在の神主に聞いたところ、あれの要求は今もなお続いているそうでした。そしてその頻度も、もはや抑えきれないほどに増してきているみたい。
(『あれ』について詳しい概要は分からなかったけど多分『怪異』というより信仰されてる神様に近いと思う)
最初期は十年に一度行っていた納涼祭も、今では五年、三年、二年と、その周期を狭めてきているみたいずら、そうでもしないと、あれを抑えることは出来ないってことなのかな。
死の三日後から始まり、三十日祭、百日祭、一年祭みたいに、祀られるものが現世に接触する機会を少しずつ絶っていくことで、つつがなくあちら側の世界に送り出そうとしたのだとも言われているんだけど。
じゃあ。 あれを祀る納涼祭の周期が短くなっていることは、一体何を意味してるのかな?
普段の暮らしでは見たことの無い食べ物や見せ物が、そこら中に並んでいます。
隣町から来たという飴売りの男の人から貰った水飴は、普段食べている芋や米粉の粥などとは比べられないくらいに甘く、夢中になって舐めていました。
その後でお父さんに連れられた屋台では、粉屋のお婆ちゃんが色々なものを振る舞っていて、◼◼◼には醤油の塗られた平たい米菓子と、何か良く分からないお水を呉れたのです。
竹筒に入ったそれは白く濁っていて、鼻を近づけると嗅いだことの無いような匂いがします。残すのも粉屋のお婆ちゃんに悪いと一気に飲み込んだのですが、何だか舌がぴりぴりとする感触が暫く残っていました。
米菓子の最後のひとくちを口に入れ、ぽりぽりと噛んでいた頃。
お父さんは◼◼◼に、なあ、と話しかけました。
「一緒に、きれいなお屋台でも見に行かんか」
おまつりの明るい灯が照らすお父さんの顔色は、いつもより白くなっているように思えました。 村の中を歩き通して、疲れているんだろうと思うと申し訳ないような気もしましたが。きれいなお屋台、という言葉の響きに、惹きつけられていました。
どんなお屋台だろうか。 お姉ちゃん達が美しく舞っていたような、お神楽の出し物か、それとも、とりどりの細工が施された可愛らしい菓子か、歌うたいや劇のようなものだったらと思うと、すこし心配です、◼◼◼にも分かるような、楽しげなものだと良いのですが。
あかりはぽつぽつと減っていき、大人たちの笑い声もとおくに消えていきます。
その道は、何度か通ったことがありました。 この地に住まうこわいものの類を鎮めたりしていて、この村の女は誰もがそこでおつとめをする、◼◼、という神社。 その参道に繋がる、薄黒い山道です。
この林を抜けた先に参道があって、そこを通れば神社が見えます。その裏手には暗い獣道が通っていると聞いた事があるのですが、行った事はありません。
ざくざくと、土と砂利を踏みながら進む。この先に、きれいな屋台があるのでしょうか。
確かに神社の中であれば、何かの催しがなされているかもしれません。
しかし。
その道は、あまりにも静かでした。
お父さん息遣いと、ふたりの跫が響くだけです。
祭囃子はいつの間にか幽かになっていて、さりさりと擦れる草木の音に、とかされているように感じます。
お父さんが言葉を発したので、◼◼◼は話の機を失ったような感じがして、口を噤みました。 「もうちょっとで着くからな」
見ると、いつの間にか道が開けて、参道に出ていました、道の先には、夜更けであるために見慣れないような気はするものの、覚えのある神社が見えています。
見えているのですが。
神社には、何のあかりもついていませんでした。
屋台はおろか、人が居るような気配もしません。
「ああ、もうちょっとな、もうちょっとばかり歩くんだ」
この神社の、裏手を通って。
そこにある獣道の先を、進む。
◼◼◼の手を握るお父さんの声が、随分とか細いものになった気がします。
花丸「………うん、ありがとう。
えっと、本題に入る前にちょっとだけ説明するね。
除霊、って分かる? いわゆる悪霊、人や物、或いは土地などから取り除く、って儀礼として知られてると思うんだけど、実は神社やオマツリといったものを包含する神道において「除霊」って概念はないの。
ひとつが、自らの身に何かの影響が起きないようにと悪いものを締め出し、シャットアウトする方法、悪いものがいなくなる、という訳じゃないの。
もうひとつが、祠や神社を作って祀り上げ、最大限おだてて隔離することで住み分ける方法。
派閥にもよるけど基本的には、このあたりの方法をとることになると思う。
多分、今回のはこういった対処法の裡に生まれる隙を突かれて、生じたものだと思う。
参道と神社の裏を抜けたところに在る、その道の両側には、まるで行燈が並び立っているかのように、ぽつぽつと、赤い花が連なっていました。
森の奥へ、奥へ続く細い道。この花の連なりに従って、ぐねぐねと曲がる坂を上った先に、それは綺麗な屋台があるのだとお父さんは言いました。
祭囃子は、とうに聞こえなくなっています。 あれだけ村中を照らしていたあかりも、大人たちの笑い声も、ここまでは届かないようです。
◼◼◼は。 何かに導かれるように、足を踏み入れました。 先ほどまでとは違い、◼◼◼がお父さんの手を引くようにして、歩みを進める。
この先にとてもたのしいものが待っているんだという、嬉しいようなむず痒いような感情が、ちゃぷちゃぷと、頭の中にしみこんでいく。 からだの奥が、あたたかい。
ああ。
この先に、きれいなものがあるんだ。
この先にあるのはきっと、たのしいものなんだ。
そう思うと、とてもわくわくしました。
だから例えば「うちの子供が狐憑きになった、祓ってくれ」となった場合、基本的にはその子供から狐の霊を追い出して、後はその家系に神の加護がありますようにと祈祷などして終わり、ってなるんだけど。
うん、気付いてると思うけどそこは巫女が住まう村、評判を聞きつけてわざわざ隣村からお祓いを頼まれるようなことも往々にしてあったみたいずら、すると猶更祓った後の霊に対する対処にも手が回らなくなるの。
それじゃあ、結果として行き場のなくなった動物霊や数多くの低級霊たちはどうなるか。 普通なら人里離れた山などに移り住むことによって棲み分けがされるんだけど、如何せん此処は巫女村、他のところから来て、そして祓われた霊たちが近隣一帯にどんどん増えていくずら。
境界、種族など意味を成さず、会うことの無かった筈のものたちが会ってしまう。 まるは、ここで彼らが何らかの形で「交雑」に成功したのではないかって考えたの。
違う動物同士でも、この世のものでなければ子を成せるかな?その辺りはまるも分からないけど、存外なんとかなるみたい。
こういう世界を研究していると、そんな話はそれなりに出てくるんだ。
狐とか、蛇とか、蛙とか、虫とか、人とか。 死霊か生霊かに関わらず、あらゆる種がぐちゃぐちゃに喰らいあい、交わりあう。
そして、巫女たちが気付いたときには。 もはや原型が何だったかもわからないような、悪意の塊のような怪異が生まれちゃったんだろうね。
本当、可哀想ずら。
いつのまにか、坂を上り切って、平坦な道になっていました。
目を凝らすと、道の先には鳥居があって、その向こうでは木か竹で出来た骨組みを、何人かの人が囲んでいます。
あれが屋台なんだ、と思いました。
お婆ちゃんに頼んで蒐集院時代の記録を調べてみたりもしたんだけど、どうも記録が散逸している部分があるように思うんずら。
ここについては、引き続き頑張って探してみる。
これは◼◼村の例に限らず、民俗誌編纂の現場でもよく起こることだから、可能性としては一番高いずら。
言霊信仰は善子ちゃんも知ってるでしょ?地域によっては、ケガレや畏れを内包する言葉が伴ったことは、記録としても残さない場合があるの。
例えば、誰かが怖い目に遭った、とか。 誰かが死んでしまった、とか。
ん?
あー。
なるほど。巫女に関する、ケガレを伴った風習ね。 うーん、数は少ないけど、例が無いわけではないかな。
例えば、海神に仕える巫女って説もあるオトタチバナヒメは、荒れ狂う海を鎮めるために自ら荒波に身を投じたと言われてるの。
まああれは神話の範疇だけど、霊的な力を持つ者を贄とする風習の原初と見ることも出来るかな。
じゃあ次に、当日に用いる予定の櫓の素材について────
くらい夜道のなかで、赤い花がちらちらと光るように咲いています。
◼◼◼は何となく、それをいとおしく思いました。
まだ、咲き切らずに蕾のままになっているものもありましたが。
蛍の光のように点々と灯るそれは、とても可愛らしかったのです。
ふわふわと、あしもとがおぼつかない。
それでも、握っているお父さんの手を支えのようにしながら、すこしずつ参道をすすみます。
足が砂と石を擦る、ふたりぶんの音にまじって、父の声がきこえてきました。
なんも、こわくねえから。
だいじょうぶ、おまえはめかけだからなあ。」
痰が絡まったような、弱弱しいお父さんのだみごえを、◼◼◼はすこし不満に思いました。 今日は、たのしむための日なのに。 これは、たのしい事をするためのおまつりなのに。
お父さんの声も、ぼわんぼわんと響いて、よくきこえなくなっていきます。
あたたかい水の中を、ずぶずぶとかきわけて歩いているみたい。
ぶ厚くて、とうめいな飴を通して、ものを見ているみたい。
数歩しか歩いていない気もするし、何十分も歩き通したような気もします。
いつの間にか、鳥居が、目の前にたっていました。
しかし、それは前に見たものよりも随分とちいさくて、貧相なものでした。◼◼◼のようなこどもでも、横になれば膝が台からはみ出してしまうくらいの広さです。
台を見ると、まんなかにぽつんと、筵が敷かれています。座布団と同じぐらいの大きさで、ひとりが座ればそれだけで一杯になってしまうでしょう。
ああ、◼◼◼が、このうえに乗るのか。 わたしは、お姉ちゃん達みたいに、きれいな踊りはできないのだけれど。 それに、あんなにきれいな千早も────
いや、それはいいや。
◼◼◼は、自分のからだを包んでいる、まっしろな着物を見る。
お父さんとお母さんが◼◼◼のために仕立ててくれた、うつくしい白色の衣。
肩上げもしていないそうです。それくらい、袖も裄もわたしにぴったりと合っていました。
あんなふうに色とりどりの装束でなくても、きっと、負けないぐらいにきれいでしょう。
とろりと下がりそうになるまぶたを、いちどだけ閉じて。
あらためて、目の前の鳥居と、その向こうの景色をながめる。
ああ。
そこでわたしは、気付きました。
おかあさん。
わたしは。
とりいを、くぐって、
行方不明になる前ルビィちゃんは「最近変な夢を見るんだあ」と口癖のように言っていました。
行方不明になる少し前ルビィちゃんは「ルビィは妾なんだあ」と言っていました。
もしかしたら、まるの推察は当たっていたのかもしれません。
まるにはもうどうにもできないのかもしれませんが、精一杯やってみます。
そろそろお盆なので祖先や神様に纏わる形で書いてみました、ここまで読んで頂きありがとうございました。
引用元:https://fate.5ch.net/test/read.cgi/lovelive/1691583440/
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