【長編SS】侑「……【さよなら──」【ラブライブ!虹ヶ咲】

【長編SS】侑「……【さよなら──」【ラブライブ!虹ヶ咲】

1:(新日本) 2023/04/29(土) 21:34:20.49 ID:+27btjnp

ちょっと長いので何日かに分けて投稿します
若干ホラーです

 

2:(新日本) 2023/04/29(土) 21:35:27.52 ID:+27btjnp

 薄暗い自室にて、私、高咲侑は座禅を組んでいた。これから行うのは精神統一が重要な作業だ。

 失敗は許されない。なぜなら、失敗すれば私の魂が世界を繋ぐ狭間に落ちてしまい、二度と戻れなくなるからだ。

侑「──ふっ」

 短く息を吐く。その後、ゆっくりと開眼する。自室の様子が視界に入った。

 私謹製のお札の数々が壁のいたるところに貼られていた。雑然としているように見えてそこには精密な規則性がある。

 場は整い、機は熟した。

 とりあえず、前段階。私に接続する少し手前の段階。だが、これを成功させないと全てが上手くいかない。

侑「行くよ。……もうすぐ、会えるからね」

 決意を言霊に込め、意識を飛ばす。

──あなたにさよならを言う為に、私は渡る。

 

4:(新日本) 2023/04/29(土) 21:36:27.01 ID:+27btjnp

──

かすみ「ぬぬぬ……」

 ガラガラと抽選機を真剣な面持ちでかすみちゃんが回す。近くの商店街で一万円分のお買い物をすると、五回分のチャンスが貰えるのだ。

 そして、これがラスト一回目。傍らで璃奈ちゃんがポケットティッシュ四回分を抱えていた。

 抽選機はガラゴロと音を鳴らし、遂にその穴から玉が飛び出した。

璃奈「あ……、か?」

 飛び出たのは赤色の玉だった。今までのポケットティッシュとは違う深紅の玉。結果は如何に……?

 かすみちゃんが店員さんの目を見つめ、喉をごくりと鳴らした。

「……おめでとうございま~すっ!■■島、二泊三日の旅行券の大当たりで~す!」

 店員さんは事前に準備しておいたであろうベルをけたたましく鳴らした。

かすみ「……や、やったあああああああ!よく分かんないけど、やったよりな子!侑先輩!歩夢先輩!」

 きゃ~、と叫びながらかすみちゃんは私たちの両手を握りに来た。

歩夢「まさか最後に当たるなんて、かすみちゃん、持ってるね」

かすみ「ふっふ~ん。日頃の行いが報われたんですねぇ~。神様は見てますよ!」

侑「かすみちゃんいい娘にしてたもんね。よしよし」

かすみ「でゅへへへ……」

璃奈「これが、スクールアイドルのしていい顔?」

 

5:(新日本) 2023/04/29(土) 21:37:28.02 ID:+27btjnp

 かすみちゃんをなでなでしていると、歩夢が抽選の景品を貰っていた。

 そう言えば、大当たりに驚いちゃったけど、実際は何を貰ったんだっけ。

歩夢「■■島……。確か、果林さんの実家だよね」

侑「あぁ、聞き覚えのある島だと思ったらあそこかぁ……」

かすみ「……ふぅ。落ち着いて考えると、抽選で島への旅行券ってどうなんですか?」

璃奈「確かに。普通はハワイとかグアムとか、海外だよね」

 う~ん。厳しい意見。きっと自治体の財政に関係しているのだろう。たぶん、■■島からの好意で貰った券を横流しにしたんだと思う。

侑「まあとりあえず、買った備品を部室に置いてからゆっくり考えようよ。今のままじゃ手が……」

璃奈「うん。早くしないと私の腕が千切れる。ポケットティッシュが鉛に思えるなんて思ってもみなかった。璃奈ちゃんボードも使えないし……うごご」

 私たち四人はじゃんけんに負け、同好会で使う備品を買いに出かけていた。四者四様、両手に決して軽くない荷物を持っている。

 正直、人選的には最悪の部類に入ると思う。

歩夢「わわ。早く行こう!璃奈ちゃん、ちょっと持つよ?」

璃奈「いい。これも体力づくりの一環……。璃奈ちゃんボード『むんっ!』」

かすみ「ボード無いじゃん……」

 

6:(新日本) 2023/04/29(土) 21:38:29.42 ID:+27btjnp

──

愛「えぇーっ!■■島への旅行券!?しかも旅館まで無料なの!?こりゃあ行くしかないっしょ!!」

せつ菜「うおおおおお!これはテンション上がります!皆さん、さすがです!」

かすみ「ふっふ~ん。もっと褒めてくれていいんですよ~?」

 部室に着き抽選の報告をすると、喝采に包まれた。主に二人の。

侑「まあでも、五人だけしか行けないんだけど……。どうする?」

しずく「え、五人だけですか?あ、本当だ。五人分だけ……」

 やや豪奢な装飾の施された封筒の中を見て、しずくちゃんが小さく息を漏らした。

彼方「これは、血の雨が降る予感……ふふふ」

エマ「か、彼方ちゃん、怖いこと言わないでよ~」

彼方「ごめんごめん」

 五人しか行けない。でも、十人で残りの五人分の料金を出すという考えもある。そうすればみんなで行けるはずだ。

歩夢「どうしようか。みんなで五人分のお金を出すって考えもあるけど……」

 同じ考えを持っていた歩夢が発言する。しかし、そんな歩夢に璃奈ちゃんがスマホの画面を見せた。

璃奈「見て、歩夢さん。これ、旅行券があれば無料で泊まれる旅館の宿泊プランの料金」

歩夢「えぇと……え?」

 画面を見るや否や、歩夢は蒼白となった。どうやら、五人で行くしか無いらしい。

侑「ここは公平に、じゃんけんで勝ち負けを決めるしかないみたいだね……っ!」

 うぅむ。なんでだろう。ここは是が非でも勝ちたい。闘争本能が内から燃えるように溢れる。

 絶対に負けたくない。たとえ歩夢だろうが同好会の誰であろうが、絶対に……。

 負けたとしても、誰かの券を強引に奪って……。

果林「──侑?どうしたの?凄い顔してるわよ?」

侑「ぇあ?……あ、なんか、ちょっと変なスイッチ入っちゃってました……。あははは……」

 

7:(新日本) 2023/04/29(土) 21:39:09.03 ID:+27btjnp

果林「そう?ならいいけれど……。ちょっと見たこと無い顔してたものだから」

侑「そうですか……。力み過ぎちゃってたみたいですね」

 一体どうしたんだろう。誰かを押しのけてでも行きたいだなんて。私は■■島に思い入れがある訳でもないのに……。

 そう言えば、果林さんはどうなのだろう?実家だし、久々にいい機会だろう。

侑「果林さ──」

かすみ「さぁ!泣いても笑っても一発勝負!!運命のじゃんけん対決の始まりですよぉ!!」

 と。まあいいか。今はじゃんけんに集中だ……!!

かすみ「じゃん!」

しずく「けん!」

璃奈「ぽん!!!!」

 銘々、思い思いの択を繰り出した。

 結果はなんと、十人もいるのに最初の一回でついた。

 まるで、始めから誰が行くのか決まっていたかのような。そんな運命めいたものを感じた。

 

9:(新日本) 2023/04/29(土) 21:40:16.09 ID:+27btjnp

──

 船の手すりに肘を乗せ、大海原を見る。秋らしく温かな天気だが、船上は少し肌寒く感じた。だが、そんな寒さなど気にならないほど目の前の景色に胸が躍った。

 そんな感想を抱いているのは私だけではないようで。

彼方「海だーっ!」

エマ「うみーっ!」

 三年生のお二方も手を広げながらぴょんぴょんと飛び跳ねており、かなり気分が上がっているらしい。

しずく「おぉ……手すりをきち と掴んでいないと落ちそうですね」

 対照的に、しずくちゃんは恐る恐ると言った風に船の下を覗いていた。とはいえ、不安よりも楽しさの方が勝っているようで、口の端が上がっていた。

 しかし、そんなしずくちゃんに毒牙が迫っていた。

彼方「……ちょいっ」

 彼方さんが悪戯っぽい笑みを浮かべながら、しずくちゃんの脇腹をツンツンしていた。

しずく「うひゃあっ!?ちょ、彼方さん!悪ふざけはやめてください!」

彼方「あはは~。ごめんね~?」

エマ「ねね!しずくちゃん!船頭でタイタニックごっこやろうよ!」

彼方「あ、それ私もやる!というか~、スイスでも定番なんですなぁ~」

 浮かれた三人は船頭へと走り去った。うぅむ。すごいはしゃぎようだ。

侑「あれが、若さか……」

果林「なぁに言ってるの。彼方とエマより若いでしょう?」

侑「あ、果林さん」

 ソロでボケていると果林さんがやってきた。海風を受けてなびく髪、それが何とも絵になる。

 なんてことは無い日常の一幕を切り取っただけなのに決まっている。果林さんって、存在が凄いよね。

 そのまま、私の隣で同じように手すりに肘を突いた。一つため息を吐き、何やら物憂げな顔をしていた。視線の先には、カモメが空を飛んでいた。

 

10:(新日本) 2023/04/29(土) 21:41:17.61 ID:+27btjnp

侑「浮かない顔ですね。みんなあんなに楽しそうなのに……」

果林「少し、考え事をね……。でも、それを言うならあなたもそうでしょう?」

侑「うっ……。い、いやでも、内心はかなり浮かれてるんですよ?それを出してないだけで」

 そう。確かに浮かれはしているが、それを表面には出していない。いや、なぜだか出せないのだ。

 浮かれちゃいけないと、心のどこかで囁かれている感覚があるのだ。でも、心当たりはまるで思い当たらない。それならば、この言い知れない不安は杞憂であり、虫の知らせなんてものでもない。

 でも、果林さんは私とは違って物憂げな顔の原因を分かってる気がする。

侑「果林さんはなぜなんですか?実家の人に顔を合わせ辛いとか……?」

 何となく、それっぽいことを言ってみる。

果林「いいえ。全く違うわ」

 でも、きっぱりと切り捨てられる。果林さんはそう呟いた後、少し空を仰ぎ見た。雲一つ無い快晴だ。

 そんな空を見た後、果林さんは俯きながら口を開いた。

果林「……夢を、しきりに見るのよ」

侑「夢……?」

 夢……。それが浮かない顔の原因なのだろうか。

侑「どんな夢なんですか?」

果林「……酷い夢よ。聞いても気分が悪くなるだけだと思うわよ?」

 

11:(新日本) 2023/04/29(土) 21:42:19.79 ID:+27btjnp

侑「えぇ……。でも、ここまで言われてお預けなんて、それこそ酷ってものですよ」

果林「……そうね。夢の内容は……一人の女性が酷い暴力に晒される夢よ」

侑「……」

果林「致命傷を避けて、的確に〇さない位置に古い包丁を突きさすの。女性は泣き叫ぶのだけど、それは逆に加害者の嗜虐心を煽るの。殴って、刺して、抉って……。死ぬまでの断末魔を楽しむ……。そんな夢よ」

侑「それは……悪夢、ですね」

 聞かなければよかったと後悔した。聞くだけで腹の底あたりに嫌な気分が溜まる。

 空はこんなにも綺麗なのに、私たちの内面は鬱屈としていた。

果林「そんな夢を、■■島に行くと決まってから頻りに見るようになったわ。虫の知らせって奴なのかしらね……」

 虫の知らせ。その言葉に肩が跳ねる。

 私の■■島への言い知れない執着心。それもまた、虫の知らせに近い物なのだろうか。でも、私の出生に関係する場所でも無いし、何より一度も行ったことが無い縁もゆかりもない場所だ。

侑「……きっと、考えすぎですよ。このところ同好会の練習もハードでしたし、ちょっと疲れが出たんです」

果林「……そうね。この機会に、高級旅館で湯治と行きましょう」

侑「はい」

 自分に言い聞かせるように、そう言った。

 そう言えば、先ほどの夢で一つ気になったことがあった。酷い暴力に晒された女性についてだ。

侑「ちなみに、夢に出てきた被害を受けた女性って……知っている方ですか?」

 その言葉に、果林さんは思い悩む様子を見せた。顎に手をやり必死に思い出しているように見える。

果林「……いえ、知らない、というか。知りようが無いわ」

侑「え?それはどういう……」

果林「顔は……念入りに潰されていたからよ」

侑「……そうですか」

 顔を、潰される。

 そのフレーズは、■■島に着くまでこびりついたように離れなかった。

 

12:(新日本) 2023/04/29(土) 21:43:21.73 ID:+27btjnp

──

 ■■島に無事に到着した私たちは、一先ず旅館にチェックインする……予定だった。だが、事前に体験しようと思っていたダイビングの場所が港の近くにあったのだ。当然と言えば当然なのだが。

 重い荷物を旅館に運ぶより、ダイビング体験する方に食指が動いてしまった。特に、エマさんがうずうずと体を動かしたそうにしていたため、まずは遊ぶことにした。

 本来は予約が必須の大人気のアクティビティだったが、幸い予約が急に取り消しになったため、私たちはその穴に入ることになった。

エマ「うんしょ、うんしょ……ひえ~、ウェットスーツって着辛いんだね~」

彼方「日頃節制しているのに……き、キツイねぇ……」

果林「トイレは事前に済ませておかないと、酷いことになる、わよ……っ」

 三年生の三人は、ウェットスーツを着るのに苦労していた。とある部分が邪魔をしているように見える。

しずく「ふぅ。ようやく着れました。髪が長いとちょっと面倒ですね」

侑「……うぅむ。しずくちゃんだって、別に無いわけじゃないのに。いやむしろ、ある方なのになぁ。やっぱり三年生は規格外、ってことなのかな」

 真剣な眼差しでしずくちゃんのウェットスーツ姿を見る。暗雲を吸ったような色で肌に張り付くスーツは、しずくちゃんの体の曲線を少し 靡に作り出す。

侑「……ぴちぴちだね」

しずく「えぇ。みんなそうですよ。水が入らないようにしないといけませんからね」

侑「あ、うん。そうだね」

しずく「……?」

 微妙に会話が食い違っているが、私はそれを誤魔化した。それを悟られないよう、急いでロッカーに荷物を詰めることにした。

 

14:(新日本) 2023/04/29(土) 21:44:23.21 ID:+27btjnp

 一泊二日の荷物が入るか不安だったが、思いのほか大きいロッカーなので助かった。とはいえ、多少は詰めないと全て入らない……。

侑「おっと、ズボンから……え、なにこれ」

 詰め込む為に力を入れ過ぎたのか、先に入れておいたズボンのポケットから一枚の紙きれが落ちてきた。

 紙切れには何か特殊な紋様が描かれており、少し不気味な鬼のような絵が描かれている。見た目だけで判断してしまえば、何かのお札のように見える。

 だが、全く覚えが無い。お札を収集する趣味も無いし、お土産屋で記念に買った物でも無い。

 荷物を何とか入れ終わった後、そのお札めいたものを手に取ってよく観察してみる。矯めつ眇めつ、上下左右色々な方向から見て見るがやはり知らない。

 そんな行動が不審に映ったのか、しずくちゃんから話しかけられた。

しずく「先ほどから何をしてるんですか?」

侑「いや……なんか、ズボンのポケットから知らないお札っぽいのが出てきて……」

しずく「えぇ?知らないお札が出てくるなんて、危険じゃないですか」

侑「だよね……」

 その通りだ。知らないお札、それも不気味な鬼が描かれているお札。知らない間に入れられていたなんて恐怖でしか無い。

 でも、なんだか上手く感情が働かない。昨晩は少し夜更かしして若干寝不足だからだろうか。

 うん?なんで私は昨晩夜更かしなんてしたんだ?確か……何かを書いていたような……。

エマ「──しずくちゃ~ん!侑ちゃ~ん!ほら早く早く!お魚さんたち逃げちゃうよ~!!」

しずく「あ、はい!侑先輩、今はそれよりダイビングです!早く行きましょう!」

侑「……うん。そうだね」

 手に持ったお札をロッカーの中に静かに戻した。

 確かに、あのお札には不気味な鬼と不思議な紋様が描かれていた。でも、紋様と共に書かれていた文字に覚えがあった。

 文字の意味ではなく、その筆跡に。

侑「私、夜更かししてあれを書いてたの……?」

 あれは、私の筆跡と酷似していた。

 疑問がとめどなく溢れるが、それ以上考えるのをやめた。折角のアクティビティに水を差すのが嫌だったから。

 それに何より、不安なことをこれ以上考えたくなかったから。

 いわば、逃避したのだ。考えたくない現実から。

 

16:(新日本) 2023/04/29(土) 21:45:25.79 ID:+27btjnp

──

果林「……う。ダイビングの後の移動は……なかなか応えるわね」

 果林さんはキャリーバッグやリュックの重さに辟易としているようだった。そう思うのも無理はない。

 慣れないウェットスーツに心躍るお魚さん達との触れ合い、そして全身運動である泳ぎ……疲労困憊にならない方が珍しい。

しずく「でも、私感動しちゃいました!水の中ってもっと濁っていて暗いと思っていたのに、透き通っていて明るかったです!」

 しずくちゃんは■■島の海ような透き通る瞳を輝かせていた。

彼方「そうだねぇ。あんな経験、そう何度もできるもんじゃないよね~。帰ったら遥ちゃんにたっぷりお話したいよ~」

エマ「私はウミガメのことをお話したいなぁ~。あんなに近くで見られるなんて、私たちってついてるよね!」

彼方「そうですなぁ~。あれには流石の彼方ちゃんも興奮しちまったぜい」

しずく「ふふ。流石の、ってどういうことですか?」

 どうやら、みんなダイビングでの疲労よりも体験した興奮の方が勝っているらしい。アドレナリンが出ているのだろう。

 それならこのまま、旅館まで一直線に着きたいところだ。

エマ「そう言えば、ダイビングに行く前、果林ちゃん島の人と話してたよね?あれって誰だったの?」

彼方「なんだか偉くビックリされてたよね~」

 話題が切り替わり、そんな話になった。私はその時、しずくちゃんからタイタニックの映画論を聞いていたので知らなかった。

 まあ、果林さんはこの島育ちだし、別に珍しいことではない。

侑「それで、知っている人だったんですか?」

 なんとなく、話に乗って質問してみる。

果林「……いえ。知らない人だったわね」

 だが、解答は否定だった。

 

17:(新日本) 2023/04/29(土) 21:46:26.71 ID:+27btjnp

果林「私を誰かと間違えているようだったの。確か……“からんさま”と言われたわ」

 からんさま。聞いたことの無い名前だ。ただ、響きは果林さんと似ている。

しずく「からんさま、ですか。様付けされるなんて、大層な方と間違われたんですね」

彼方「果林とからん……。一文字違いなところに変な偶然を感じるね」

 そんな彼方さんの台詞に、少し反応してしまう。

 偶然。そんなことがあるのだろうか。果林さんが見る悪夢。知らない間に入っていた謎のお札。そして、似ている名前と間違われる果林さん。

 その一つ一つに繋がりという繋がりは考えられないが、偶然と言うには不可解なことが重なっている気がする。

 私は少し、その話に踏み込むことにした。

侑「果林さん、その人ってどんな人だったんですか?」

果林「腰の曲がった年配の方だったわよ。声が低かったからおじいさんだと思うけれど、正直おばあさんでも通用する見た目だったわね」

しずく「あ~、いますよね。性別の見分けがつかない年配の方」

彼方「あるあるだね~」

 呑気な会話はさておき、質問を続ける。

侑「果林さんはからんさま、と言われてどう返事したんですか?」

果林「あぁ……。『違います』と言おうと思ったのだけれど、それだけ言ったらすぐにどこかへ走り去ってしまって」

侑「走り去って……?」

 走り去る……。何か突然急用でも思い出したのだろうか。いや、流石にそれは考えづらいだろう。そんな偶然は、今に相応しい偶然ではない。

 今、ここに起き得る偶然と言えば、『からんさま似の女性を見つけた年配の方が、慌てて何かをしに行った』と考えるべきだろう。

 考え過ぎの妄想なのかもしれない。でも、そう思わずにはいられなかった。

エマ「──あ、やっと旅館が見えたよ~!」

しずく「ようやくですか。終わりが見えると、なんだか疲れがどっと出てきますね……」

彼方「ラストスパートだよぉ!おーっ!」

 と、ここで目的の旅館に着いてしまった。思案に耽るのはここまでらしい。

 だが、考える時間はあるはずだ。露天風呂にでも浸かりながら、ゆっくりと考えることにしよう。

 正直、疲労と寝不足で頭痛を感じていた。これ以上は少し休まないと回復しない。程々で、思考を打ち切ることにした。

 そうして何となく、果林さんの横顔を見た。すると、前へ楽し気に歩く三人とは反対に、どこか切羽詰まった表情をしていた。

侑「……もう少しです。頑張りましょう」

果林「えぇ……」

 その後の旅館までの道程、私と果林さんは口数少なく歩いた。

 

19:(新日本) 2023/04/29(土) 21:47:28.88 ID:+27btjnp

──

侑「えぇ!?チェックインできない!?な、なんでですか!?」

「申し訳ございません……。当方の不手際で他のお客様とご予約が被ってしまいまして……」

 旅館に着いた私たちに待っていたのは、そんな想定外の事態だった。

侑「つまり、ダブルブッキングってことですか?」

「はい。その認識で相違ありません。この度は本当に申し訳ございませんでした」

 旅館の玄関、女将さんらしき人と従業員の方々が一様に膝をついて頭を下げていた。一回りも二回りの大人の方にこういう対応をされると……すごく居心地が悪い。

果林「謝罪は受け入れます。起こってしまったことはどうしようもありませんから。でも、私たちはどこに泊まればいいんですか?」

 果林さんが事後対応を求めた。その通りだ。大人なら責任を取って次のプランを提供すべきだろう。

「はい。それにつきましては、梔子集落の方に泊まっていただければ、と……。明日は当旅館でできる最高のおもてなしをさせていただきますのでどうか今晩は……」

エマ「くちなし、集落?お口がないの?」

 聞いたことが無い単語だったのか。エマさんが頭に疑問符を浮かべていた。あまり聞かない単語だとは思う。

しずく「いえ、梔子は植物のことです。果実は漢方になりますし、花の香りは三大香木と評されるくらいかぐわしいんですよ」

エマ「へぇ~。そうなんだ~。流石しずくちゃんだね~」

彼方「場所が無いんじゃ、そこに泊まるしかないよね~」

 梔子集落……。■■島のパンフレットには載っていなかった場所だ。観光スポットでは無い、ということか。

 

21:(新日本) 2023/04/29(土) 21:48:30.62 ID:+27btjnp

「梔子集落から人が来ますので、その人の車に乗って移動ということになっていますが……。如何でしょう?」

 女将さんが窺うような視線を向ける。

果林「……ダメ元で聞くけれど、東京に戻る船はありますか?」

「すみません。明日にならなければありません」

果林「そう、ですか……。どうやら、梔子集落に泊まるしか無さそうよ。どう?」

 その問いに、私と果林さん以外の三人は賛成の意を示した。何とか元気を繕っているが、表情には色濃い疲労が見て取れる。すぐに休みたいのだろう。気持ちは痛いほど分かる。

侑「仕方がない、ですね」

果林「……えぇ。では、梔子集落に泊まるということでお願いします」

「はい!ありがとうございます!明日は当旅館の持てる力全てを出し尽くし、おもてなしさせていただきます!」

 女将さん、従業員の方々は今一度、深く頭を下げた。

 その様子を眺めながら、果林さんは一言声を漏らした。

果林「……なんだか、誘いこまれているようね」

侑「え?」

果林「いえ。何でもないわ。ほら、あの車じゃないかしら」

 果林さんの指差す方向を見る。すると、玄関前に黒いバンが駐車していた。中から浅黒く焼けた肌の青年が降りてきた。

 青年はドアを閉めた後、こちらに歩いてきた。そして、私たちを視界にいれるや否や。

「……っ。本当だ」

 と、意味深な台詞を吐いた。

 

22:(新日本) 2023/04/29(土) 21:49:32.64 ID:+27btjnp

──

 少し前に日は暮れ、山道を黒いバンが走っていた。

 ガタガタと、車内が快適とは言えないほど揺れる。車の通り道であるには変わりないが、道は舗装されておらず地面が剝き出しとなっている。オフロード車では無いのだから文句は言えないが……正直少し気分が悪かった。

 それは何も、車内の揺れだけでなく、何かの手によって状況が推移していくような不気味さもあるのだろう。

エマ「梔子集落ってどんなところなのかなぁ。果林ちゃんは知ってる?」

 そんな車内で、エマさんは変わらない様子だった。体がナチュラルに強いのだろう。

果林「いえ、私も名前しか知らないわ。山の奥まった所にある集落だから、海沿いに住んでいた私にとっては縁が無かったわね」

彼方「てっきり島の人たちは全部知ってるもんだと思ってたよ~」

果林「地元でも、意外と近い範囲のことしか知らない物でしょ?」

彼方「それはそうだねぇ」

 地元住民である果林さんも知らないとなると、これは本気できな臭くなってきたかもしれない。でも、それを運転手である青年に聞くのは少し憚られる。

 できれば、事情を何も知らないエマさん、彼方さん、しずくちゃんを巻き込みたくない。

 それならせめて、情報収集をするのが今できる最善だろう。上手く働かない頭に無理やり熱を入れる。

侑「あの、梔子集落ってどんなところなんですか?」

 助手席に乗っている為、運転手の青年とはコミュニケーションがとりやすい。

「……そうだね。特にこれと言って特徴のあるところでは無いけど、食べ物は美味しいよ。それに災害なんかとも無縁だからね」

侑「それは……お夕飯に期待できますね」

「あぁ、期待してくれて構わないよ」

 少し、引っかかりを感じた。災害とも無縁。なぜだろうか。奥まった山の中だから?いや、寧ろ水害等がありそうな気がする。

 

24:(新日本) 2023/04/29(土) 21:50:34.14 ID:+27btjnp

 だから、聞くことにした。

侑「どうして、災害とは無縁なんですか?」

「……」

 その質問に対する返答は長かった。助手席で聞こえる和やかな会話が嫌に遠くに感じる。あまり経験したくない間だ。

「……梔子集落の住民は、守られているからね」

侑「……?なににですか?」

「守り神に、だよ」

侑「……そう、ですか」

 長い沈黙の後の返答は、実に抽象的な答えだった。

 そして、私は一つの嫌な憶測をしてしまった。

 梔子集落の住民は、守られている。

 では、外の世界から来た私たちはどうなのだろうか。

 考えすぎ。嫌な方向に受け取り過ぎ。体のコンディションが悪いから、そういう方にしか捉えられないのかもしれない。

 でも……私の言い知れぬ不安は蛇のように体に巻き付き、絞める力を強くする。どうか、この不安は杞憂で終わって欲しくて、最後に一つの質問をした。

侑「あの……からんさま、って知ってますか?」

 恐る恐る、語尾が震えながらの発言だった。

 返答を待つ。でも、何も返ってこない。聞こえなかったのだろうか。それとも、選択肢を間違えたのだろうか。

 バンのタイヤが地面を走る音を聞きながら、運転席に視線を向けた。

 

25:(新日本) 2023/04/29(土) 21:51:36.46 ID:+27btjnp

侑「……ひっ」

 思わず、小さく悲鳴が漏れた。

 青年はアクセルを踏む足と、ハンドルを握る手を緩めないまま、私の目をジッと見つめていた。能面を張り付けたように無表情な顔で凝視され、身震いした。

侑「ま、前……」

 なんとか声を絞り出す。車内は温かくも寒くもない快適な温度のはずなのに、背中にびっしょりと汗を掻いていた。

 青年は緩慢な動きで視線を前に戻し、ようやく私はほっと息を吐いた。

 と思った次の瞬間、ブレーキでバンが止まった。慣性で体が前に動き、シートベルトがそれを抑えた。

侑「な、なんで止まって……」

 自然と呼吸が浅くなり始め、止まりかけた汗がまた流れ始める。嫌な予感がぐるぐると頭を回っては潰えていった。

しずく「──ここが梔子集落ですか。暗くてよく分かりませんね」

 後方で、しずくちゃんの声が聞こえた。そうか。集落に着いたのか……。

 張り詰めた緊張の糸が切れ、座席に深く背を預けてしまう。同時に、昼間溜まった疲労がどっと出た気がする。

 もう警戒するのも限界だ。早く今日の寝床に行き、泥のように眠りたかった。

 そして、私たちはバンを降り、今晩の宿へと足を進めた。

 

26:(新日本) 2023/04/29(土) 21:52:37.31 ID:+27btjnp

──

 梔子集落の第一印象は、一言で言えば閉鎖的だった。深い森の中にぽっかりと開いたギャップのような地形であり、忍者の隠れ里と言われても違和感が無かった。

 車を降り、地面が剥き出しの歩道を私たちと青年は歩いていた。

 スマホを開き時刻を確認すると、十九時過ぎだった。また、予想通りスマホの通信のアンテナは圏外を示していた。

しずく「はぁ、はぁ……。流石に、この坂道は……堪えますね」

 歩いていると、しずくちゃんが弱音を吐いた。汗こそ掻いていないものの、私たちは事切れる寸前と言ってもいい。

エマ「大丈夫?私、少し荷物持つよ?」

しずく「いえ、既に少し持って貰っているので……。それに、疲労困憊の演技の参考にもなります、しっ!」

彼方「強いね~、しずくちゃん。彼方ちゃんはちょっと……ヤバいよ」

侑「が、頑張りましょう……。はぁ、はぁ、はぁ……」

果林「侑が一番辛そうね。ほら、その手提げは持ってあげるから頑張りなさい」

侑「あ、ありがとう、ございます……」

 果林さんに手提げのバッグを預ける。これで少しは楽になる。動かないマネージャーだからと言っても、多少は運動した方がいいね……。

 私たちは、そんな調子で会話をしながら歩道を進んでいく。

 でも、そんなに疲れているならば口数少なく歩いた方がまだ体力は温存できる。その選択をせず、会話を続けるのには理由があった。

 歩道横にまばらにある民家。そこから幾つもの視線を感じるのだ。中から物音や話し声などは一切聞こえない。けれど、そこに人間がいるってハッキリ分かる。

 それくらい、容赦の無い視線を多方面から貰っているのだ。無理して会話をしている理由は、その不気味さをできるだけ減じたかったから。

 心と体を騙しながらの移動は、時間をより緩慢に感じさせる。

 でもようやく、目的地に着いたようで、先導していた青年が歩みを止めた。

 

27:(新日本) 2023/04/29(土) 21:53:38.15 ID:+27btjnp

青年「ここが、今晩君たちに泊まって貰う宿……というか、集落で使ってる寄合所だよ」

 疲れ切って下を向いていた顔を上げる。すると、そこには集落の中でも一際大きい建物があった。何十年、もしかすれば百年前に建てられた木造建築かもしれない。そんな歴史と風格を感じる建物だった。

果林「寄合所……。まあ、五人で泊まるなら不足は無いわね」

 果林さんはそう言って一番先に中へ入った。建付けが悪いのか、力を入れて引き戸を開いた。私たちもそれに続く。

 私の番になって中へ入ろうとすると、真横から視線を感じた。嫌な予感がして思わず足を止める。でも、ここは中へ入った方がいい。“それを”、見なくて済むから。

 しかし、私は好奇心に抗えずに横を見てしまう。

侑「……普通の、民家」

 寄合所の隣、一軒家を挟むくらいの距離に、集落に幾つもある普通の民家があった。何の変哲もない、普通の民家だ。

 いや、違う。

 目を凝らしてみると分かった。あの民家の玄関扉に、お札が貼ってあった。夜であること、それが少し先にあったため鮮明には見えないものの、それがお札であることは分かる。

 扉には、びっしりとお札の数々が貼られている。近づくことすら憚れるほど、人を寄せ付けない雰囲気があった。

 くしゃり、ズボンのポケットに入れたお札が音を立てた気がした。

しずく「侑先輩?どうしました?早く行きましょう」

侑「……うん」

 何かある。会いたくない、いや、遭いたくない何かが、あそこに封印されている。そう感じた。

 

28:(新日本) 2023/04/29(土) 21:54:39.66 ID:+27btjnp

──

 その後、私たちは寄合所にあったお風呂に入り、青年から渡された食事にありついた。なんと、お風呂はシャワーが無くかけ湯だった。これほど山奥なら仕方がないのかもしれないが、文明の利器に囲まれた暮らしをしていた私たちにとっては微妙だった。

 その分、不気味なほど静かな山の中で入るお風呂はなかなかに風流だった。とはいえ、寄合所のお風呂なので露天風呂ほどの開放感は無かった。

 お風呂の後の食事は格別だった。全て集落で取れた野菜を使っているのか、瑞々しく素材の味を強く感じた。エマさんが特に舌鼓を打っており、食だけに限って言えば大満足だった。とはいえ、警戒心を持ちながらの食事であったため、心から満足していたかと言えば疑問が残る。

 それに何より、果林さんに渡された食事の中におかしな部分があった。

果林「んっ……。これ、お酒じゃない……。ちょっと飲んじゃったわ」

 果林さんの飲み水にのみ、度数の強い日本酒が混じっていたのだ。私たちの中で一番大人っぽいとはいえ、頼んでも無いのにお酒を出すのはおかしかった。

 食べ終わったお盆を取りに来た青年に言うと、素直に手違いだと謝罪をされた。本当にそうなのだろうか。他に目的があるのではないか、と邪推してしまった。

 でも本当に、たった一人にだけ、飲み水に日本酒を混入させることなんて……あるのだろうか。

 疑惑に次ぐ疑惑は絶えなかったが、食事を終えた後は流石に脳の電池が切れた。大広間らしき場所に敷いた煎餅布団にくるまり、私たちは就寝することにした。

 脳も手足も、全てに限界が来ていた。私は強い睡魔に身を委ねようと、瞼を閉じる。その直前、しずくちゃんが口を開いた。

しずく「あの……ここって、ちょっとおかしくないですか?」

 その一言は、誰もが感じていた。私と果林さんは船に乗っていた頃から。他の三人は集落に入ってから、若しくは旅館の一件の時からだろう。

彼方「……うん。なんだか、変な視線感じちゃうよね……。これ、彼方ちゃんの勘違いだったりするのかなぁ……」

エマ「うぅん。私も彼方ちゃんと同じ……。静かなのに、目だけはこっちにじっと固定してるみたいな……」

しずく「そう、ですか……。侑先輩と果林さんはどうですか?」

 水を向けられる。私はどう答えるべきだろうか。悩む私を他所に、先に口を開いたのは果林さんだった。

果林「みんなと同感よ。でもだからこそ、今は体を休めるべきだわ。いざという時に少しでも体力を持たせるために」

しずく「え……。いざという時、ですか?」

果林「しずくちゃん。今は深く考えない方がいいわ」

しずく「……はい。おやすみなさい」

 それを機に、みんなの声はぱったり止んだ。

 いざという時。それはどういう時なのだろうか。でも、深く考えない方がいい。私は果林さんに従うことにした。

 一度大きく深呼吸をした後、重々しい瞼を閉じた。睡魔は容易に私の意識を刈り取った。

 

29:(新日本) 2023/04/29(土) 21:55:40.89 ID:+27btjnp

──

 ゆさゆさと体を揺さ振られる。眠い。眠い。眠い……。まだまだ寝足りない。今日は色々あって疲れたんだ。もっと寝ていたい。

果林「……侑っ。起きなさいっ」

 果林さんの声だ。押し〇すような声であり、耳元で囁かれてようやく聞こえるほどだった。

侑「なんです……もがっ」

 鉛のように重たい上体を起こすと、口を抑えられた。唐突過ぎて声どころか呼吸すらもままならない。

果林「お願い……っ。静かにしてちょうだい」

 神妙な声色だった。闇に目が慣れてくると、果林さんの容貌が薄っすらと浮かび上がる。切羽詰まった表情であり、眉を顰めていた。

 いざという時。私は眠る前の言葉を思い出す。そのフレーズは脳の靄を一気に晴らしていった。

 こくりと頷き、口から手は離れた。

侑「私は彼方さんを」

果林「それじゃ、私はエマを」

 短く速いやり取りだった。私と果林さんは拙速だったものの、何とか大きい物音を立てずに他の三人を起こすことに成功した。どう見ても普通じゃない私たちの雰囲気に、三人は息をのんでいた。

果林「みんな、着いてきて」

 果林さんの手引きにより、寄合所の廊下へと出た。廊下の壁の一部分はガラス戸となっており、薄っすらと外の様子が伺えた。

 身を寄せ合いながら、体が必要以上にガラスの先に出ないような格好になる。

 すると、人影が一人、また一人と姿を現した。

しずく「こんな深夜に一体何を……」

 確かに。時刻は確認していないが、もう深夜と言っていい頃合いだろう。

果林「……人影の、手元を見なさい」

侑「手元……?」

 果林さんに言われ、元々凝らしていた目をさらに凝らす。すると、懐中電灯を持っていた集落の住人が、他の住人を照らす。

 きらり。よく研がれたであろう包丁が目に入った。

 

30:(新日本) 2023/04/29(土) 21:56:42.75 ID:+27btjnp

エマ「……ひっ」

 予想外の凶器にエマさんの体勢が崩れる。だが、それを何とか彼方さんが受け止めた。大きな物音は立たずに済んだ。

エマ「ご、ごめんね……」

彼方「任せてっ」

 彼方さんは無理やり笑顔を作って拳を握った。今の顔を昼間に見たなら、確実に蒼白になっているんだろうな、と思った。

しずく「……嘘ですよ、こんなの」

 そんな中、暗い声が聞こえた。しずくちゃんは両手で頭を抱え、膝を突いた。

しずく「こんなの……。映画ですか?昔の因習が残る集落で繰り広げられる残酷な悲劇?嘘、嘘ですよ……」

 そのまま、しずくちゃんはブツブツと言葉を矢継ぎ早に呟いていた。

 考えすぎかもしれない。悲観的になりすぎかもしれない。場の雰囲気に吞まれているだけかもしれない。だが、その包丁は余りにも説得力があり過ぎた。

 体よりも先に、心がまいってしまったらしい。私はしずくちゃんに目線を合わせる。

侑「大丈夫。しずくちゃん。私は先輩だから、絶対しずくちゃんを守るよ」

 胸の内に沸く恐怖をねじ伏せる。守る対象がいれば、まだ私は虚勢を張ることができる。虚勢を張っている間なら、元気でいられる。

侑「だから、立って。肩を貸してあげるから、行こう」

しずく「侑先輩……」

 しずくちゃんの力の入らない腕を持ち上げる。いや、僅かに力を感じる。完全に心が折れたわけでは無いらしい。それなら、大丈夫だ。大丈夫……大丈夫なはずだ。

果林「……全員〇す、なんて言っていたこと、とても切り出せないわね」

 ぼそりと呟く声が聞こえる。私の心を容易に砕くような内容だった。私はそれを、敢えて聞かなかったことにした。

 

31:(新日本) 2023/04/29(土) 21:57:44.77 ID:+27btjnp

果林「……とりあえず、寄合所から出るわよ」

 私たちを見て、果林さんが脱出の提案をした。

彼方「でも、出るったって……たぶん玄関は……」

果林「いえ、玄関じゃなく森側にある廊下のガラス戸から行くわよ。恐らく、あそこからなら見つからないはず……」

 私たちに与えられた選択肢は少ない。果林さんの案だって希望的観測に過ぎない。でも、時間は経過すればするほど私たちに不利に働くだろう。

 だから早々に決断するしか無いのだ。

侑「……行きましょう」

果林「えぇ」

 私たちは抜き足差し足で、尚且つ急ぎながら廊下を歩いた。時折床から木が唸り、見つかるんじゃないかって恐怖で頭がどうにかなりそうだった。

 でも、その度にしずくちゃんは私の服を掴んだ。その姿を見て、少しだけ冷静になれる。最低だとは思うが、仕方がない処世術だった。

 何とか反対側の廊下に辿り着き、慎重にガラス戸を開ける。こちらも玄関扉同様に建付けが悪く、少し動かしただけで戸が軋んだ。

果林「くっ……」

 ガラス戸に手を掛ける果林さんの指が震える。焦燥、恐怖で揺れているのだろう。私もじれったい気持ちとイライラが沸くが、何とか抑える。ここで自暴自棄になってしまえば全てが台無し……つまり、死だ。

 その時、集落に一際強い突風が吹いた。ざわざわと森の木々が大きな音を立てて揺れ始める。

果林「……っ」

 一息にガラス戸を開けた。決して小さくない音が鳴ったが、それは全て木々のざわめきによって掻き消されたであろう。私たちは裸足で寄合所から外に出た。

 下の地面は硬く、小さな小石が肌に食い込んだ。せめて、靴だけでも欲しかったが玄関にあるから取りには行けない。

彼方「ど、どうするの?森の中に入るの?それとも、元来た道を……?」

果林「それは……」

 私たちには二つの選択肢があった。森の中か、元来た道か。でも正直に言って、どちらもいい選択肢とは言えなかった。

 

32:(新日本) 2023/04/29(土) 21:58:45.78 ID:+27btjnp

 森の中はさらに整備されていないだろうから、裸足で歩くには最悪だろう。それに、山中で方向感覚を逸してしまえばそのまま遭難して死んでしまう。

 かと言って、元来た道を戻ろうにも人の気配が問題だ。まず確実に見つかるだろう。でも、確実に帰るのならこちらを選ぶべきだ。

 確実を取って人に見つかるか。不確実を取って人の目から逃れるか。極限の状況の今、正常な判断を下せるとは思えなかった。

しずく「……元来た道が見えるくらいの距離で森の中を歩く、というのはどうでしょうか?」

 そんな中、恐怖に顔を蒼白に染めながらしずくちゃんが発言した。

彼方「そっか……。別に二つに絞る必要は無いもんね」

エマ「うんっ。しずくちゃん、名案だよっ」

果林「エマ、声を抑えて」

エマ「あ、ごめんね……」

 エマさんが両手で口を押さえた。確かに、私と彼方さんは両極端に考えすぎていた。その中間を取る選択肢だってあるんだ。近視眼的な見方になっている。もっと頭を使わないと……。

侑「それじゃあ、早速……っ!?」

 心臓が口から飛び出そうになった。私の視線の遠くで、懐中電灯のライトが見えた。恐らく、それを持っている人との距離は遠くない。

 それに……そちらは元来た道の方向だった。森の中に入って、つかず離れずの距離で元来た道なんて目指せない。選択をするにはもう遅かったんだ。

 思わず歯噛みをしてしまう。

彼方「……ね、ねぇ。もしかしてさ、彼方ちゃん達の勘違いかもしれないよ?」

 そんな時、やや楽観的な声が聞こえた。

彼方「あの包丁の切っ先は、彼方ちゃん達じゃなくて、近くに出た熊さんへのかもしれないよ?」

エマ「そ、そうだよっ。きっとそうだよ!寝不足で悪い方に、悪い方に考えちゃってるんだよ!」

 

33:(新日本) 2023/04/29(土) 21:59:47.24 ID:+27btjnp

侑「……」

 そう、かもしれない。全て、私たちの杞憂かもしれない。果林さんが見たという残酷な夢も、いつの間にかあった私手製と思しきお札も、旅館のダブルブッキングも、果林さんに飲まされた日本酒も……。本当に、全て勘違いかもしれない。

 だから、全て諦めてしまっても──

しずく「……っ」

 服を強く掴まれる感覚があった。視線を向けると、そこには涙を流しながら私を見るしずくちゃんがいた。

 瞼から大量に涙を流しながらも、生まれたての小鹿のように足を震わせながらも、まだ立っていた。

 しずくちゃんは……私を支えにしているんだ。私が折れた時、諦めた時、それがしずくちゃんの折れる時なのだろう。

 それならば。格好悪い所は見せられない。頼りにしてくれる人がいる限り、私は虚勢を張れる。

 本来の私でなくても、嘘の私でも、救えるはずだ。

 そんな覚悟を決めた瞬間、一つ閃いたことがあった。

侑「……私に、第三の選択肢があります」

 決意と覚悟を視線と声音に乗せながらも、淡々と静かな口調で発する。有無を言わせない一言だったのか、一瞬で場の雰囲気は私が握った。

侑「お願いします。今は何も言わず、私に着いてきてください」

 詳細は言わず、しずくちゃんの手を引いて元来た道とは逆方向に歩き出す。もう時間は僅かも無い。懐中電灯の光は徐々に光量を増し、遠くの方で足音が聞こえてくるようになった。

 みんなと相談して決めたわけじゃない。私の勘……当て推量で決めた独断だ。着いてきて貰えないかもしれない。

 

34:(新日本) 2023/04/29(土) 22:00:23.18 ID:+27btjnp

 一瞬だけ、後ろを見た。すると、他の三人も着いてきていた。思い思いの顔付きであり、私の双肩が突如重くなった気がした。

 私の独断で、四人の命を預かったんだ。これが最善だなんて考えられる余裕はない。既に私たちは走り出してしまっている。

 でも、これしか今の私には考えられない。裸足に食い込む小石に小粒の涙を浮かべながらも、一歩一歩進んでいく。

 そして、目的地に辿り着いた。そこは、寄合所の隣にある、お札が張ってある民家だった。

 私の考えは至極単純だ。封をするようにお札が貼ってあるのだから、集落の住人は近づかない、入らない家なのでは無いか、と。そんな閃きが頭に浮かんだのだ。

 でも、博打もいいところだった。まずそもそも、人がいるかもしれない。それに、施錠されているかもしれない。四人の命を預けるには、あまりにも低い可能性だった。

侑「……一か八かだ」

 玄関扉の取っ手に手を掛ける。開いてくれ、念じながら力を入れた。

 すると、何の抵抗も無く扉は開いた。まるで、来訪を歓迎しているかのようだった。

 もしかすれば、状況は悪化してしまったのではないか?

 そんな悪い予感が頭を掠めるが今さら考えても仕方がない。

侑「……とりあえず、ここで様子を見ましょう」

 私たちは静かに中へ侵入した。

 

35:(新日本) 2023/04/29(土) 22:01:44.81 ID:+27btjnp

──

彼方「うっ……。なにこの、臭い……」

 中へ入った私たちを襲ったのは、臭いだった。鼻を突く饐えた臭いは口呼吸をしても目に来た。

侑「とりあえず……中へ行きましょう。流石に玄関前じゃ、バレちゃうかもしれないので」

しずく「……はい」

 中は経年劣化が進んでいるのか、気を抜けば床が抜けてしまいそうだった。歩く度に決して小さくない床が軋む音がするので、細心の注意を払う必要がある。

 月明かりだけが頼りだったが、思いの外夜目は利いた。月って……こんなに明るかったんだ。

侑「一番奥の部屋なら、まだ見つかりにくいと思います……」

 息を潜め、最奥の部屋を目指す。そして、私たちは最奥の部屋へと辿り着く。

侑「ここは……」

 最奥の部屋を一目見て、息を吞んだ。この家の玄関扉にはお札がいたるところに貼られてたが、それは中へ入っても同様であり、廊下の壁、入って最初の部屋、そこかしこに貼られていた。

 その中でも、最奥の部屋は別格だった。天井、壁にはお札の一切が貼られていなかった。でも、イ草が跳ねる畳の床を見ると、その中央に隙間無くお札が貼られていた。恐らく……ここがこの家の中で最も危険な場所へと通じる部屋。

 つまり、一番危険なのはこの畳の奥……地下なのだろう。

エマ「な、何なの……この、お札の数……。や、やだよ……。こんなところ……」

 その部屋の様相に、エマさんがまず白旗を上げた。

エマ「ここじゃなくて、もっと手前でもいいよね……?ここ、絶対来ちゃいけないところだよっ」

 そういうエマさんの両手を、果林さんが握った。

果林「大丈夫よ、エマ。お札が貼られている限り、安全だから」

エマ「そ、そんな……っ。分かんないよ、そんなの……」

果林「……大丈夫よ、大丈夫」

エマ「う、うぅ……果林ちゃぁん……」

 エマさんは果林さんの両手を握りながら泣いていた。声を最小限に押し〇した、控えめな泣き声がした。

 その瞬間、空気を切り裂く怒号が聞こえた。

 

36:(新日本) 2023/04/29(土) 22:02:28.24 ID:+27btjnp

『どこだっ!!おいっ!!本当に寄合所に泊まらせたんだろうなぁ!?』

『は、はいっ』

『じゃあなんでいねぇんだよっ!おいっ!!』

『も、申し訳ありません……っ』

『このままじゃ、俺らがからんさまに〇されちまうんだぞ!死んでも探しやがれ!!』

 その声は、梔子集落の住人の声だった。怒鳴り散らす方の声色に覚えは無かったが、謝る方には覚えがあった。恐らく、責められているのは内容的にもあの青年だろう。

 そして、話の文脈を追う限り……。

しずく「『このままじゃ、俺らがからんさまに〇されちまう』ですか……」

 しずくちゃんの呟いた言葉。

 それは暗に、あの場に留まり続けた場合の、集落の住人に投降した未来の結末を物語っているように思えた。

 

37:(新日本) 2023/04/29(土) 22:03:46.26 ID:+27btjnp

──

侑「一先ずここで、様子を見ましょう」

 部屋の中は重苦しい空気だった。私たちに〇意を向けていることが確定したのだ。当然の帰結だろう。

侑「月明かりが眩しいので今でていけば十中八九見つかるでしょう。なので、月が雲に隠れた時……そこを狙いましょう」

 でも、そんな中でも希望は捨ててはいけない。希望は捨ててはいけないが、楽観的な思考から来る希望的観測はしてはいけない。それは偏に、破滅の未来を意味している。

彼方「侑ちゃん……今日も明日も、天気予報は晴れだよ。今日を楽しみにしてたから、明後日の天気だって言えるよ……」

 そんな私に対し、彼方さんは膝に顔を埋めながら力なく言った。

侑「で、でも、山の天気は変わりやすいと言いますし、諦めちゃだめですよ……!」

 少し無理して明るい声を出す。だが、そんな声は届いていない様子だった。

彼方「遥ちゃんに、会いたいなぁ……。今日はね、朝早く出発の予定だったから、おはようを言わずに家を出たんだ」

侑「彼方さん……」

彼方「……言えば、よかったなぁ」

 顔を伏せる彼方さんの顔は窺えない。でも、声音と体が震えていた。畳にはいくつもの雫が落ちているんだろう。

エマ「ねぇ、果林ちゃん……ここって、何なの?」

 そんな中、エマさんが疑問を口にした。でも、その質問に意味は無い。ここへ来る道中、果林さんは梔子集落のことを名前しか知らないと言っていた。

果林「……分からないわ。でも、ずっと引っかかっていたことが一つあるのよ」

しずく「引っかかっていたこと、ですか」

果林「えぇ。ここは梔子集落と言われているけれど、梔子を特別育てている集落があるなんて聞いたこと無いのよ」

 

38:(新日本) 2023/04/29(土) 22:04:49.19 ID:+27btjnp

 梔子集落。そう言われれば梔子に由来する集落なのだろうと推測できる。でもそうでないなら一体なぜ……?

果林「少し話は変わるけれど、■■島の歴史を追っていくと、過去はだいぶ飢饉で苦しんでいたらしいわ」

 唐突に話題が変わる。飢饉。流通が発達した都会ならともかく、天気一つで島の状況が一変するなら当然そうした憂き目もあっただろう。

果林「だから、口減らしにと、山奥へ赤子や歳のいった人たちを捨てにいく風習もあったそうよ」

しずく「口減らし……。え、果林さん、もしかして……」

果林「……いえ、ただの考えすぎ、こじつけよ。くだらないダジャレとでも受け取って頂戴」

エマ「え?え?どういうこと……?」

 果林さんとしずくちゃんは分かっている様子だった。私もエマさん同様理解できていない。飢饉と梔子集落、何の関係があると言うのだろうか。

 飢饉……。食べる物に困って飢えてしまい、その解決法として口減らしの策を取ることがあったそうだ。

 口減らし……?

 まさか。梔子集落って……口無集落の暗喩だとでも言うのだろうか。だが、あり得ない話では無い。

 口減らしの為に山奥へと追放された人たちが集まってできた集落。あり得ない、と一蹴できない推測だった。

 その時、玄関の方で物音が小さく鳴った。

侑「……風?」

 時折吹く突風で起きた物音かもしれない。だが、扉の開閉音らしき音が聞こえた。自然の音では無い、明らかな人工的な音だった。

彼方「うぅ……。死にたく無いなぁ……」

 彼方さんは頭を抱え、余計に体を小さくした。

 

39:(新日本) 2023/04/29(土) 22:05:50.20 ID:+27btjnp

果林「……」

 私は果林さんと目配せし、互いに頷いた。今、精力的に動けるのは私たち二人だけだ。この部屋にいることに気付かれない内に、何とか……処理するしかない。

 足音が鳴り始める。老朽化した家の為、今どこにいるのか正確に把握できた。一つ不審に思えたのは、足音が不規則な点だった。千鳥足で歩いたならば、こんな音がするだろう。

 だが、こんな状況で酒を飲むとは考えにくい。なら、もしかして……怖がってる?

 お札をいくつも貼って封印していたような場所だ。足を進める度に恐怖しているのかもしれない。それならば、私たちにも勝機はある。

 足音は遂に、部屋のすぐ傍にまで来ていた。私と果林さんは障子の影に隠れるようにして相手を待つ。姿が見えたら、力任せに倒す。後頭部を思い切りぶつければ脳震盪を起こして意識を奪えるだろう。

 そして、相手の足が見えた。

侑「……っ」

「ぐぁっ」

 まず、私は相手の足を掴みにかかった。何とか片足を浮かせることに成功した。同時に、果林さんが体当たりをすることで相手は後ろに体勢を崩した。

 だが、相手は壁に手を突くことで倒れなかった。場当たり的な作戦は失敗した。ここで相手に叫ばれでもしたら最悪だ。

 生き残る為だ。生き残る為だ。

 私は抱えた片足を離し、両手で相手の首を掴みにかかった。だが、相手は体勢を完全に直し、空いた手で私の頭を掴んだ。

「待てっ。俺はお前たちと取り引きしに来たんだ……っ!」

 腕を払いのけようとした瞬間、そんな声が聞こえた。ふっ、と私の抵抗が緩みかける。

果林「侑!相手の言葉に耳を貸しちゃだめよ!嘘八百に決まってるわ!!」

 だが、果林さんの声で緩みかけた力を元に戻した。そうだ。そんな上手い話、あるわけが無い。

 

40:(新日本) 2023/04/29(土) 22:06:52.85 ID:+27btjnp

「本当だっ!あまり騒ぐな!他の連中にも気付かれる!静かにしろ!!」

侑「うぁっ」

 だが、私は容易に突き飛ばされてしまう。畳に激しく尻餅を突き、すぐには立ち上がれなかった。私はあまりにも弱々しく、体格的にも、性別的にも不利だった。

「うぐっ……」

果林「ふーっ、ふーっ!」

 そんな中、果林さんは負けていなかった。背丈こそ相手の方が上だったが、力技で相手を壁に押し付けることに成功していた。

 果林さんの目は血走っており、すわ相手を〇さんばかりだった。当然だ。私たちはそういうつもりで襲い掛かったのだから。

 だが、おかしな点が一つ。相手が抵抗していなかった。腕で首を強く押さえられているのに、両手を上にあげて降参のポーズを取っていた。

「ほんと、うだ……。とり、ひきだ……」

果林「……ちっ」

 取引、と頻りに発する相手に対し、果林さんは逡巡していた。

 正直、今の状況は最悪だ。隠れ家らしい場所に入れたものの、こうして見つかってしまっている。それに、月明かりを雲が隠したとしても、懐中電灯等の明かりで見つかる可能性は高い。

 それならば……。

侑「……果林さん、げほっ。話、だけでも、聞いてみましょう」

果林「……」

侑「考えてみれば、他の人を呼ぶ気なら大声を出していてもおかしくありません。それに、よく見ればこの人ってここまで運転してくれた人じゃないですか」

果林「……っ」

 そう、少し落ち着いて見て見ると、相手の正体はあの青年だった。私たちをここまで迎えに来たこと、配膳係をしていたこと等を加味すると、他の人と何か別の目的を持っていてもおかしくない。

 私の説得は功を奏し、果林さんはゆっくりと相手の首から腕を引いた。

「げほっ、げほっ……。ありがとう、話だけでも聞く気になってくれて」

 

41:(新日本) 2023/04/29(土) 22:07:31.05 ID:+27btjnp

果林「……話だけよ。両手を常に上に向けて敵意の無さを示しなさい」

「あぁ、分かった」

 青年は畳に腰を下ろし、両手を天井へと向けた。そしてようやく気付いたのだろう。死んだ動物に群がる蛆のように貼られた、中央のお札に。

「う……」

 顔を真っ青にし、明らかに恐怖していた。やはり、ここは集落の中でも不可侵な場所なのだろう。

 だが、今は関係ない。今重要なのは、ここから脱出できるかもしれない、取引に耳を貸すだけだ。

侑「それで、取引とは一体なんですか……?」

 単刀直入に聞いた。だが、青年はじっと私ではなく果林さんの方を向いて、静かに口を開いた。

「君……果林、と呼ばれていたね」

果林「えぇ。それが何か?」

「果林、君だけが犠牲になるのなら、他の四人は助けられる」

果林「──」

 その取引は、酷く残酷な物だった。私、果林さんだけじゃない、身を寄せるようにしていた後ろの三人までも、雰囲気が変わった気がした。

 

43:(新日本) 2023/04/29(土) 22:08:45.88 ID:+27btjnp

──

「集落の人間、いや、俺も含め狙っているのは君だけなんだ。それ以外は関係ない」

 青年は教科書でも読むように、淡々と会話を続ける。

「俺も……無用な〇生はしたくない。生き残る為だからと言っても、人は……〇したくないんだ」

 だが、最後には悔しそうに歯噛みしていた。それは、とても同情を引くための演技には見えなかった。

果林「……くっ」

 話を聞いた果林さんは、親指の爪を噛んで葛藤していた。この青年の言っていることが本当であることを理解したのだろう。それを一蹴せず、こうして悩んでいるのは偏に……。

 果林さんは一度かぶりを振って青年ともう一度目を合わせ、口を開いた。その表情は達観したような、いや、諦観の顔に見えた。

果林「……私が──」

彼方「果林ちゃん」

 だが、そんな果林さんを遮る声があった。先ほどまで膝を抱えてうずくまっていた彼方さんだった。

 その目には依然、恐怖の色が見えた。だが、表情はそれを塗り替えるように怒気を孕んでいた。

彼方「何を言おうとしてるのかな。まさか、自分だけが犠牲になるなんて言わないよね」

果林「彼方……。でも、きっとこの人の言ってることはほんと──」

彼方「違う。違うよ。その人が言ってることが本当だとか、嘘だとか、そういう話じゃないよ」

 彼方さんは震える足に喝を入れた後、果林さんに歩み寄った。そのまま、両手を肩に置いた。

彼方「私たちの為に犠牲になるなんて、許さない」

果林「……っ」

 強い意志が込められた言葉だった。果林さんはバツが悪いのか、顔を背けた。

 

44:(新日本) 2023/04/29(土) 22:09:47.23 ID:+27btjnp

エマ「そうだよ、果林ちゃん。私は、みんなで助かりたいもん。果林ちゃんだけ残って私たちだけが助かるなんて……ご飯が美味しく無くなっちゃうよ」

果林「エマ……」

しずく「えぇ。それに、そんな事情を知った私たちを無事に帰すなんてリスクのあること、わざわざするなんて思えません」

侑「……うん。私たちの選択は、果林さん一人を犠牲にしない、です」

 取引の話を聞いて、三人の雰囲気は一変した。それは、恐怖を塗り替える怒りを感じたからだ。幸か不幸か、絶望的な状況において最も大事な要素、活力を私たちは手にした。

侑「だから、悪いですが、取引は無しです」

「……そうか」

 そう言うと、青年はゆらりと立ち上がった。交渉決裂。ならば、私たちに待っているのは一つしか無いだろう。

 私たちは身を固くして“その時”に備える。

侑「……?」

 だが、いつまで経っても青年は仕掛けてこなかった。俯いて畳を見ているだけだった。

「……自分の命より、仲間の命を優先するってか」

 ぽつり、そんなことを呟いた。そして、小さくくつくつと笑っていた。

「あぁ、クソ。ますます〇せないじゃないか……ははは」

 青年は片手で瞼を押さえ、しばらく笑っていた。

 これは……敵意が無くなった、というか、戦意を喪失したように見える。そう言えば、元より無用な〇生はしたくないと言っていた。土壇場で、そちらに天秤が傾いたんだろうか。

侑「あの……」

 私が話しかけようとした瞬間、それは起こった。

 

45:(新日本) 2023/04/29(土) 22:10:49.34 ID:+27btjnp

 青年の目玉が突然ひっくり返る。驚きそうになるが、そんな暇さえも与えられなかった。彼の口から、理解不能な声が発せられた。

「あ、あぁああァァアああアアあッ、あ、あああアッ!?」

 腕、足が不規則に蠢き始め、眼球がぐるぐると忙しなく動く。その様相は、一言で言って不気味だった。

しずく「な……突然なんですか!?」

彼方「わ、分かんないよっ。狂っちゃったって言うの!?」

 青年の不気味な動きは下半身から上半身へ徐々に収まり、激しく動いていた頭部もゆっくりと落ち着いた。

 先ほどとは真逆に、水を打ったように静まり返る。

「……」

 そして、青年はゆっくりと目を開ける。

侑「なっ、え……」

 思わず瞠目した。なぜなら、青年の双眸には白目しか無かったからだ。にも関わらず、瞳だけはぎょろぎょろと動いていた。

果林「……何か、憑りついてるみたいね」

 その時、果林さんがそんなことを口にした。

 憑りついた。もしそうなら……一体何が?

 それは恐らく……。

侑「からん、さま……?」

 その一言を皮切れに、青年は勢いよく駆け出した。

果林「……っ!」

 向かう先は果林さんの方向。急な展開の連続のせいか、体が硬直してすぐに動けないらしい。

 私は青年を止める為に手を伸ばす。でも、その手は虚しく空を切る。

 だめだ。止められない。あれだけみんなと思いを合わせたのに。果林さんだけを犠牲にできないって言ったのに。

 映る景色が細かく分割されたようにゆっくりになるのを感じていた。青年は腕を前に出し、果林さんの首元を狙っていた。

 

46:(新日本) 2023/04/29(土) 22:11:51.54 ID:+27btjnp

 男の人の力であれば、節制に節制を重ねた果林さんの細首など簡単に折ることができるだろう。私は……果林さんを助けられる唯一の存在だった。他の三人は、果林さんが守るように後ろにいた。

 スローモーションのように見える世界で、瞼に涙が浮かぶのを感じていた。その涙は、無力の証。誰も救えない、無能の証。

 あぁ、助けられない。

 数秒もすれば、果林さんの首は折れてしまう。

 失ってしまう。大切な、大切な……仲間を。

 私の一番大切な居場所である同好会が、崩れてしまう。

 一人でも欠けたら、意味を失ってしまう。

 そう、欠けてしまえば、元の同好会には戻れなくなってしまうのだ。

 あの時みたいに。

 全て順調に事が運んでいると思っていながらも、実は最悪の道を気づかぬ内に歩んでいたあの日のように。

 私は未だ、あの日に囚われている。

 そこから脱け出すために、探した。あの日に忘れた探し物を。

 そしてどうやら、探し物は遥か遠くにあるらしい。

 だから私は……遠くへ渡ることにした。

 遠くへ行くには、私は私と強く同調する必要があった。

 そして今正に、大切な誰かが失われんとする今、私は私と強く繋がった。

 視界が一転、一変する。一瞬で状況を理解し、ズボンにあるお札を取り出し、前方へと放った。

 

47:(新日本) 2023/04/29(土) 22:12:54.31 ID:+27btjnp

 一拍、短く息を吸い、全てを吐き出すようにして言葉に力を込める。

 力の乗った言葉は言霊と成し、お札の効力と混ぜられる。

侑「【剥がれろ】」

 お札は怪異に憑依された男へと貼りつき、言霊と一緒に効力を発揮した。男の全身から力は抜け、慣性に従って果林さんへ体当たりするだけとなった。同好会で鍛えた体幹で果林さんは倒れずに済んだらしい。

侑「ふぅ……」

 一瞬の出来事だったが、何とか上手く状況に対応できたらしい。私と同調する時、果林さんを助けたいという思いが重なったのが良かったのだろう。

 私は一度ため息を吐き、周囲を確認する。この場にはどうやら、私、果林さん、彼方さん、エマさん、しずくちゃんの五人がいるらしい。

 そして部屋の中央から、禍々しい気を感じた。怨念、憎悪が地下深くから立ち上っているらしい。恐らくここが、私の求めていた場所だ。

果林「侑……?」

 状況確認を一通り終えた後、男を下に降ろした果林さんから話しかけられた。顔色を見る限り、困惑していようだった。

 それも仕方がない話だ。怪異に対して有効な手段を持っていないはずの私が、一時的にでも男から怪異を引っぺがしたのだ。

 だからとりあえず、見慣れたみんなへと初めての挨拶をすることにした。

侑「──はじめまして。私は高咲侑。並行世界から来ましたっ」

 

57:(新日本) 2023/04/30(日) 16:22:10.90 ID:XrJwV8SV

──

しずく「へ、並行世界……?」

 素っ頓狂な声が思わず出てしまう。突然痙攣し出した青年の凶行でさえ驚いたのに、それを祓ったと思しき侑先輩の行動にも開いた口が塞がらない。

 これは、とある集落で起きた凄惨な事件……だけじゃないの?

 私を含め、侑先輩以外の三人は困惑していた。

侑「あはは。ごめんね。いきなりこんなこと言っても困るよね。でも、信じて欲しい。私は高咲侑。心霊・怪異に関してちょっとだけ詳しくて、作曲もできる女子高生だよ」

果林・彼方・エマ・しずく「……」

 状況に、ついていけない。まず何から突っ込んでいいのか分からなかった。

 そんな時、私の足元で呻き声が聞こえた。そうだ、唐突に豹変した青年の手で、果林さんは〇されそうになっていたんだ。

 青年は上体を起こし、片手で頭を押さえていた。

「う、うぅ……な、なにが起こったって──」

 呟く青年に対し、最も早く行動したのは侑先輩だった。素早く後ろに回り、慣れた調子で青年の首を後ろに極めた。

「ぐぁっ……」

侑「ごめんね。申し訳ないけど、私はこの状況を全て理解してないんだ。ねぇ、果林さん、今って何が起こってるのかな?」

 青年の自由を奪いながら、侑先輩はどこまでも冷静に振る舞った。語り口調は同じでも、纏う雰囲気は数分前とは別人のように見えた。

 並行世界……。にわかには信じ難いけど、信憑性を帯び始めた。

 

58:(新日本) 2023/04/30(日) 16:23:27.80 ID:XrJwV8SV

果林「……今の侑は、さっきまでの侑とは別人なのね」

侑「はい。だから、早く状況を教えてください」

果林「えぇ……分かったわ」

 この状況にいち早く順応したのは果林さんだった。思考を捨て、ありのままを受け入れたのだろう。果林さんはくじの抽選の話から始め、今現在の置かれている状況を説明した。

 その間、侑先輩は青年の意識を落とさない境目で首を極めたまま、真剣な目で話を聞いていた。

侑「──なるほど……。村の人たち全員が敵ってことか。これは、ちょっと難儀だね……」

 話を聞いた侑先輩は、そのまま考える素振りを見せた。説明を終えた後、彼方さんがおずおずと口を開く。

彼方「……侑ちゃん、でいいんだよね?」

侑「……あぁ、はい。そうですよ」

彼方「何が起こってるのかぜんぜんわかんないんだけど……別の侑ちゃんがここに来たのって偶然じゃないんだよね?」

 縋るような視線だった。言外に、『ここから逃げられるの?』と聞いているように見えた。私も、同じ気持ちだった。

侑「はい。ここへ来たのは必然です。別の私と同調するタイミングが重要だったんですが、首の皮一枚繋がりました」

彼方「そ、そうなんだ」

侑「はい」

 そうじゃない。そうじゃないです、侑先輩。私たちが聞きたいのはそんなことじゃない。

 私たちを助けに、ここへ来てくれたんですか?その返答が聞きたいんだ。だが、そんな期待とは裏腹に、言葉を続けた。

侑「──ここへ来たのは、歩夢に会う為です。それ以外は枝葉の問題です」

 

59:(新日本) 2023/04/30(日) 16:24:30.18 ID:XrJwV8SV

しずく「……え」

 歩夢さんに、会う為……?じゃあ、私たちは助けてくれないってこと?この狂った集落から脱け出す方法は……。

 私が絶望の沼に全身が埋まったような顔をしていることに気付いたのか、侑先輩は得心が言ったように頷いた。

侑「あぁ、そっか。大丈夫ですよ。■■島から脱出してお台場に戻ってから、全て説明します。だからしずくちゃん、そんな顔しなくてもいいんだよ」

 そう言って、侑先輩はニコリと笑った。その笑顔は、時折見せてくれる頼りになる先輩の顔だった。数分前と何ら変わらない、侑先輩の笑顔だった。

侑「さぁ、五体満足で帰る為に、あなたに質問があります」

「ぐぅっ……」

 元より極めていた首をさらに圧迫していた。月明かりでしか把握できないけれど、青年の顔は真っ赤に見えた。

侑「この集落は、一体何なの?なんでこんなことをするのかな?」

 底冷えのするような声音と共に、拘束を若干緩めた。その言葉は、言われている本人では無いと言うのに鳥肌が立った。

 嗚呼、この人は……別の道を歩んだ侑先輩なんだ。

「……い、言えない。そんなこと言ったら、俺も死んじまうっ」

 対して、青年は強情だった。先ほどまで真っ赤だった顔を真っ青に変化させていた。それほど強い怖れを感じているらしい。

 

60:(新日本) 2023/04/30(日) 16:25:32.00 ID:XrJwV8SV

侑「死んじまう?それって、どっちに〇されるの?」

「……は?」

侑「分からないかなぁ。あなたが口を割らなければ、いずれにしろ辿る道は一つってことだよ。からんさま、ってのに〇されるか、このまま私に〇されるかの二択だよ」

「かっ……は……っ」

果林「侑っ!」

侑「果林さん。これはもう〇すか〇されるかのゼロサムゲームなんです。だから、私たちも死ぬ気でかかるしかないんです」

果林「……っ」

 果林さんを射貫く視線は……仲間に向ける物では無かった。邪魔をするな、と意味が込められていた。

侑「悪いけど、私には余裕も時間も無い。この集落の全貌を語ってくれるなら、私の腕を叩いて。〇さないであげる。このまま死にたいなら……そのまま躯になるといいよ」

 ぎゅうっ、極め技がより固くなる。

 青年は……その一秒後には侑先輩の腕を叩いていた。そして、約束通り拘束を解いた。

「げほ、げほっ、ごほっ……」

侑「殊勝だね。じゃあ、全部話して貰おうか」

 うずくまって咳き込む青年に対し、侑先輩はどこから持ってきたのか包丁を向けた。

侑「危ないから預かっておいたよ。さ、さっさと話して」

「……分かった」

 喉を手で押さえながら、青年は諦めたように畳の上に胡坐をかいた。私たちの間に緊張が走る。

 こんな状況になった仔細が、今語られる。

 

61:(新日本) 2023/04/30(日) 16:26:33.43 ID:XrJwV8SV

──

 この集落は、梔子集落。だが、別に梔子を専門に育てているわけじゃあない。その名前の由来となったのは、■■島の歴史だ。

 ■■島はその特性上、たった一つの大雨が破滅の要素になり得る弱い場所だった。だから飢饉が頻繁に起こり、口減らしも多く出した。

 口減らし、他の住人が口にする量を減らすってことは、その住人は口にする物が皆無になるわけだ。つまり、口無。梔子集落は、そんな口無の生き残りが集まってできた集落なんだ。

 そんな集落にも人が増え、家が建てられ、村、集落という規模にまで大きくなった。そしてそんな時、一人の女が生まれるんだ。

 その女の名は、花に蘭と書いて“からん”。名前に違わず花の蘭のように美しい女だった。だから、当時の梔子集落の男共は全員花蘭様の虜になったそうだ。

 そんな花蘭様にも弱点はあった。それは生まれながら病弱だったってことだ。外を出歩くのはたまにでな、そんな状況を狙って男はアプローチしたそうだ。

 弱点とは言ったが、特別な美貌を持つ花蘭様に対しては有利に働いてな。勤労に励まずとも、気に入られた奴から貢物を貰うようになっていった。だがそれでも、花蘭様は美貌を鼻にかけることも無く、申し訳なさそうな顔で受け取っていたらしい。

 もう一つ言うとな、花蘭様は■■島を出て都に行く話もあったそうだ。殿様か大名にでも取り入れるほどの美貌だったんだろう。でも、花蘭様はその話も固辞した。なぜなら、この集落を愛していたからだ。

 まあ、そんな顔も心も綺麗だったのがいけなかったのかもな。花蘭様は、その心と顔の美しさ故に人を狂わせた。

 貢物は増え、その質、量で集落の人間は対立するように変化していった。中には、花蘭様のことを人を惑わす鬼の子、と言う奴もいたそうだ。花蘭様の気持ちとは関係なく、集落は徐々に嫉妬と狂気に包まれていった。

 梔子集落には花蘭様を〇して元の平穏を取り戻す村長派、それに抗う花蘭様派に二分された。その後どうなったかって言うとな、そう、諍いが起きた。

 たった一人の女を巡る為に、集落は血で血を洗った。その戦いの中で、花蘭様は死んだ。

 花蘭様の体は全身におびただしいほどの傷があったそうだが、特に酷かったのは顔だった。巨岩を何度もぶつけなければそうならないほど、原型が分からないほど潰されていたそうだ。

 

62:(新日本) 2023/04/30(日) 16:27:34.98 ID:XrJwV8SV

 梔子集落の住人は、その姿を見て涙に暮れた。村長派も花蘭様派も関係なく、な。狂気に憑りつかれていたとはいえ、花蘭様は男だけじゃなく女にも愛されていた。村長派も健全な集落の運営の為の苦肉の策だったのだろう。

 そして、梔子集落は花蘭様が生まれる前と同じ暮らしに戻ったとさ……とはならなかった。

 花蘭様が死んでから、集落は呪われたんだ。

 集落に美人な娘が生まれれば、成熟しきった頃合いを狙って〇された。行商人、旅人が来れば〇された。

 〇した実行犯は、梔子集落の住人だった。加害者は口々に言った。〇さなければ、自分が〇される、と。そんなことが続けば、集落から逃げ出そうと画策する住人も現れた。でも、ダメだった。

 なぜなら、逃亡を企てた住人は皆おしなべて呪い〇されたからだ。

 そう、集落を呪った張本人、花蘭様は住人を使わなくても呪い〇せたんだ。

 なぜ住人同士を〇させようとするのか……。そんなの、梔子集落に住む住人全員が憎いからだろうな。何も悪いことはしていないのに、勝手な人の妬み嫉みで残酷に〇されたんだから。その始末を住人同士で付けさせようとしたんだろう。

 そして、その呪いは今も尚続いている。

 梔子集落に生まれちまったら、全員この呪いを生まれながらに負う。美人が生まれれば年頃になってから〇し、旅人……観光客に関しては花蘭様から指示があった時は〇した。まあ、大概美人だったな。男は稀だった。

 こんな最悪の集落だがな、美人が生まれなければ、外から人が来なければ普通の場所なんだよ。極度に閉鎖的だが、それは他の人間を〇してまで生きたくないという恐れ故だ。

 でも、美人は生まれてしまうし、俺たちは生きたいし子供が欲しい……。だから、どうしようもないんだよ、ここは……。

 

63:(新日本) 2023/04/30(日) 16:28:37.49 ID:XrJwV8SV

──

 青年からの話が終わった。この集落の故事来歴関することだった。

 話を総合すると、私たちが〇される理由は花蘭様と呼ばれる人たちに由来しているらしい。また、外から来たということ、美人であることが起因してそうだ。

 だが、一つだけ引っかかっている部分がある。侑先輩も同様なのか、包丁を突き付けたまま口を開いた。

侑「じゃあなんで、果林さんだけ犠牲にすれば私たちは助かるなんて言ったの?それとも、それは油断させるための嘘?」

 その言葉に、青年は苦虫を嚙み潰したような顔になる。

「……俺は、もう誰も〇したくないんだ。だから、果林さえ犠牲になってくれれば俺の手から逃がす。逃がした先で他の住人に〇されるかどうかは本人の命運次第ってことだ……」

しずく「……それはっ、つまり……。果林さんだけを犠牲にする選択をしたとしても、結局私たちは〇されていたってことですか……?」

「……十中八九、そうなるだろうな」

 ぽつりと漏らす青年に対し、怒髪天を衝いた。勇み足が出る私に対し、果林さんが制止した。

果林「ねぇ、じゃああれはなんだったの?港で年配の方から花蘭様、と言われたあれは……」

 そうだ。そう言えば、果林さんは港で知らない人から花蘭様と言われたんだ。繋がっていないはずの点が結ばれる感覚があった。

「簡単だよ。君が、花蘭様に似ているからさ」

果林「──」

 

64:(新日本) 2023/04/30(日) 16:29:38.36 ID:XrJwV8SV

「集落に住む人間の家には必ずあるんだ。当時の住人が戒めに残した花蘭様の絵がな。俺たちは毎日それに向かって拝んでる。俺もビックリしたよ。瓜二つで生き写しかと思った」

 私たちは衝撃を受けていた。特に果林さんは、何か思うところがあるのか片腕を抱いて唇を噛んでいた。

「集落に戻ってきたじいさんが言ってたんだ。花蘭様だ、ってね。その瞬間、集落の全員に指令……というか、思念が飛んできた。『奴を〇せ』ってな。これほどまでに強い憎悪を感じる思念は初めてでな、思わず吐いたよ。そして、泊まる予定の旅館に根回しをしてキャンセルさせ、こっちに来るように誘導した。でも、俺たちはすぐには〇せなかった……」

果林「それは……なぜ?」

「君が、本当に花蘭様に似ているからだ。俺たちにとって花蘭様は、神と同じだ。命じられれば人を〇し、注文があるのなら趣向を凝らした〇しをする。そんな存在と生き写しの存在が来たんだ。簡単に手を下せるわけない……」

果林「……そう」

「だが、花蘭様から追加で思念が来た。残酷に、趣向を凝らし、念入りに顔を潰して〇せ、ってな。さもなければ……って奴だ。俺たちは武器を取り、寄合所に慌てて向かったってわけさ。それで、今に至る……」

 私たちが今生きているのは、薄氷の上に立つようなことだったらしい。集落の住人に躊躇が無ければ今頃……。背筋が冷えた。

果林「それで結局のところ、私はなぜ花蘭様とやらに狙われているのかしら。似ていたとしても、それが〇す理由になるとは思えないわ」

「……今の話を聞いても、そう思うか?」

果林「……?」

「君は、どうやら仲間に愛されているらしいな。仲間に愛され、太陽の下を諸手を振って歩ける。花蘭様が、そんな君に嫉妬したとしても、無理は無いだろう」

果林「……はぁ!?それって、単なる逆恨みじゃないの!私はただ生きているだけよ!?」

 果林さんは声を荒げる。でも、すぐに大声を出す危険性に気付いて口を噤んだ。

 同じ顔をした人間が、自分とは真逆に幸せそうに生きている。怪異というと超常的な存在をイメージしたが、実に人間臭い動機だった。

 

65:(新日本) 2023/04/30(日) 16:30:40.12 ID:XrJwV8SV

 少しだけ沈黙の時間が流れた後、侑先輩が口を開く。

侑「……なるほどね。欲しい情報は大体分かったよ。でも、後三つだけ聞かせて。花蘭はこの畳の下にいるの?それと、花蘭があなたのように操れる人間の数は何人?」

「あぁ。花蘭様はこの下……元々座敷牢があった場所にいる。だから、他の住人は怖がってここには来ない。それと、操れる人数は……俺が見た最大は五人だ」

侑「ふむ。なるほど。先を考えると、もっと操れることを想定した方がいいかな。それじゃあ最後の質問。なんであなたはここへ来られたの?怖いんでしょ?」

 最後の質問。それを問いかけられた瞬間、青年は口を三日月に歪めた。

「……他の住人よりも先に見つけ出せば、花蘭様が褒めてくださるからな」

しずく「……っ」

 その顔は、狂気に憑りつかれていた。人を〇したくない、と言っていた人とは到底思えない顔付きだった。

 そうか……。この人にとって花蘭様は神も同然。そんな対象に生〇与奪の権を握られ続けているんだ。

 青年は正常な倫理観を持ちながらも、正常に狂っていた。異常な微笑みを見せる彼に対し、侑先輩は冷徹なまでに無表情を貫いていた。

侑「そっか。ありがとう。おやすみ」

「が、はっ……」

 そのまま、侑先輩は包丁の柄で思い切り首の後ろを殴った。青年は意識を奪われ畳の下に倒れ伏した。そのすぐ後、侑先輩は青年の服を軽く漁った後、立ち上がった。

 呆気に取られた私たちを尻目に、侑先輩は部屋の中央……つまり、座敷牢へ通じる場所へと歩き出す。

 

66:(新日本) 2023/04/30(日) 16:31:41.73 ID:XrJwV8SV

しずく「侑先輩?一体何を……」

侑「ここから脱出する為に、武器を少々拝借しようと思ってね。よっ……と」

 侑先輩は数多のお札が貼られている畳に手を伸ばす。まさか……っ!

しずく「ゆうせんぱ──」

 嫌な予感は的中し、制止は間に合わなかった。

 侑先輩は……次々にお札を剥がしていた。

彼方「なっ……侑ちゃん!?それを取ったら花蘭様が出てきちゃうんじゃないの!?」

エマ「もう、わけわかんないよ……」

 部屋は一時的に恐慌状態に陥った。かくいう私も恐怖がぶり返してきた。青年へと感じる怒りは失神したことでなりを潜め、花蘭様への恐怖が増幅した。

 だが、そんな状況に置いても尚、侑先輩は沈着冷静に振る舞った。

侑「安心してください。封印を完全に崩壊させるほどには取ってません。それに、操った人を使ってお札を剥がすことも縛りがあるので無理ですし」

彼方「そ、そんなこと分かんないじゃんっ!」

侑「分かります。私には分かるんです」

彼方「そ、そんな……」

 尚も食い下がる彼方さんに対し、侑先輩はあの頼もしい笑顔を向けるのだった。

侑「──大丈夫です。私がみんなを守ります。絶対……お台場に帰しますから」

 

67:(新日本) 2023/04/30(日) 16:32:43.34 ID:XrJwV8SV

──

 侑先輩の根拠が無くとも異常に説得力を感じる言葉に、私たちは閉口した。その後、私は侑先輩に言われ持参したボールペンを貸し、畳から剥がしたお札に何か書き込んでいた。

 私はどこに新鮮かつ美味しいネタが無いか常に探している為、メモ用のペンを持っていた。

 お札に何か書き込む作業が終わった後、私たちは民家を出ることになった。青年は失神してしばらく目を覚まさないので放置している。

 その後、これからの脱出手順について話し合った。急拵えの手順でしか無いけれど、今はこれしか考えられないものだった。

侑「先ほどお札を使い、男の人を経由して花蘭の力を抑えたんですが、座敷牢の封印が緩んだことでいつ操られた村人が突入するか分かりません。だから、覚悟を今決めてください」

 そうか。村人が操られる危険があるのなら、今ここへなだれ込んできてもおかしくないんだ……。思わず想像してしまい、身震いして血の気が引いた。

侑「彼方さん、果林さん、エマさん、しずくちゃん。絶対、私の後ろを離れないでついてきてください」

 民家の玄関前、私たち四人は覚悟が決まっていなくても頷くしか無かった。今は、それしか頼る術が無かったから。

侑「……よし。行くよ」

 そして、民家の玄関扉が静かに開けられた。

 私たちは抜き足差し足で外へと出る。民家の下駄箱から靴を拝借したため、歩きやすさは前とは段違いだった。

 寄合所を出てこの民家で過ごした間、時間にして数刻は経過している。だからだろうか、住人の気配は前と比べて薄い。集落の捜索から森の中へとシフトしたのかもしれない。

 

68:(新日本) 2023/04/30(日) 16:33:44.54 ID:XrJwV8SV

 楽観的な思考で心を落ち着けながら、侑先輩の後に着いて行く。すると、手だけで制止の合図が出される。寄合所の物陰に隠れながら、侑先輩は向こうの様子を確認した。

侑「……三人来てる。裏手からいこう」

 努めて冷静で端的な言葉だった。私たちは寄合所の裏に回り、三人の住人の目から逃れる。

 同じようなことを数回繰り返す。移動している間、物陰に隠れて様子を伺っている間、私の呼吸は不規則になっていた。大して走っていないにも関わらず呼吸は荒く、心臓は飛び出んばかりだった。

 そんなことを続けた十三回目。終わらない迷路を進んでいる感覚に陥っていた。だが、前後不覚寸前に陥ってもまだ耐えられるのは、先導する侑先輩がいること、同じように恐怖に押し潰されそうな先輩方がいるからだろう。

 大丈夫。私は、私たちは絶対助かる。また、元通りの日常に戻って賑やかな日々を過ごすんだ。

 帰ったら、まずは買ったばかりで手を付けていない小説を読もう。それから、一年生の皆と一緒に寝落ちするまで通話するんだ。

 そんな楽しい日々に、また戻れる──

 だが、物事には試練がつきものだった。

「──いたぞおおおおおおおおお!!!!」

 その声は、遠吠えのように響いた。

 驚きに思わず足がつんのめる。地面との接地面が迫る中、森の奥から懐中電灯で私たちの姿が照らし出される。

彼方「うぉりゃっ」

 倒れる寸前、後ろにいた彼方さんに腕を掴まれて何とか体勢を立て直した。

しずく「あ、ありがとうござ──」

侑「みんな!走るよ!!」

 感謝を述べる間も無く、侑先輩から指示が出された。私たちは考えるよりも先に足を動かし、一気呵成に走り出した。

 

69:(新日本) 2023/04/30(日) 16:34:46.87 ID:XrJwV8SV

しずく「はっはっ、はぁっ……」

「逃がすなぁっ!!こっちにいるぞおおおおおおお!!」

 叫ぶな。他の住人にバレてしまう。〇されてしまう。

 状況を悪くする住人への怒り、そして数分後には屍になっているかもしれない恐怖が綯い交ぜとなって頭がおかしくなりそうだった。

侑「今はただ、転ばないことだけに気を付けて!!」

 侑先輩の言葉で少しだけ頭が整理される。そうだ、今私たちが考えるべきことは一つだけ、ここから脱出する。その為には、ただひたすら走るしかないんだ。

 と、ここで、侑先輩の眼前に住人が飛び出した。手に持つのは雑草を刈り取る鎌だった。だが、近づくほどにどうも様子がおかしいことに気付く。

「あぁああァぁああァアァアああああああッ!!」

 尋常ではない動きでこちらへと急速に接近する。その住人は……憑りつかれていた。

 思わず、足が止まりそうになってしまう。

侑「【止まれ】」

 だが、侑先輩の不思議な声音と共に放たれたお札が貼られると、住人は凍ったように動きを止めた。

 それを皮切れに、二桁に近い住人が森の奥、道の先から流れ込んできた。

彼方「ひっ……こんな数、どうしようもないよ!!」

侑「大丈夫です!!足を止めずに走ってください!!遥さんにまた会いたくないんですか!?」

彼方「うっ……。うぅ、が、頑張るよぉっ!」

 一瞬だけ後ろを振り返ると、心が折れかけた彼方さんは半ば自棄になりながら走っていた。

 

70:(新日本) 2023/04/30(日) 16:35:47.89 ID:XrJwV8SV

 そして、侑先輩は同じように命令口調の言葉を叫び、先ほど畳から剥がしたお札を放っていた。

 原理は一切不明だが、憑りつかれた人に対して強い効力を発揮するらしい。

 そうか。今の侑先輩にとっては普通の人よりも、花蘭様に意識を操られた人の方が御しやすいんだ。

侑「【止まれ】【止まれ】とま……っ。げほっ、ごほっ!!」

 だが、突然侑先輩は激しく咳き込み始めた。よく見ると、咳き込む中に血が混じっていた。胸を苦しそうに押さえ、横顔しか見えないが、こめかみには脂汗が浮かんでいる。それでも、前へと向けられた視線を外さず、高らかに叫んだ。

侑「【止まれ】ぇぇえええ!!!!」

 その声が最後だった。私たちの眼前に塞がった住人は全て動きを止めていた。後はもう、集落の入り口にまで行ければもう少しだ……!

 だが、私たちの中に一人、限界を迎えた人がいた。

 糸が切れたマリオネット人形のように全身から力が抜け、地面に激突しそうになっていた。

しずく「あ……」

 限界を迎えたのは、侑先輩だった。

 だが、地面に激突するよりも先に、私たちの前へ飛び出したエマさんに抱えられていた。

エマ「ありがとう侑ちゃん……っ!後は任せて!!」

 そういうエマさんの表情は、非常に肝が据わった感じだった。民家を出る前には決まらなかった覚悟が、この土壇場で決まったのかもしれない。

 私も……いい加減怖がってるだけじゃだめだ!!

 勇気が伝播するように、踏み込む足に力が入った。もうすぐ、もうすぐなんだ。

 もうすぐ……っ!

しずく「──あ、見えました!」

 私たちは遂に、目的地へと辿り着いた。

 そこは、梔子集落の入り口。そしてそこには、私たちが乗ってきた黒いバンがあった。私はエマさんの腕の中で意識を無くしている侑先輩のズボンのポケットから車のキーを取り出す。

 

71:(新日本) 2023/04/30(日) 16:36:49.01 ID:XrJwV8SV

 実は民家を出る前に、青年から車のキーを拝借していたのだ。バンのドアを開錠し、私は運転席、果林さんは助手席、他の三人は後部座席に座った。

しずく「え、えと……こ、ここかな」

 勢いよく飛び込んだはいいものの、私は車のエンジンを付ける方法が分からない。元々、この役は侑先輩の予定だったのだ。

 私は映画や漫画で得た記憶を総動員し、ハンドルの脇についているボタンを押した。

 だが、エンジンはかからず中央にあるカーナビにのみ電源がついた。

 なんでエンジンがかからないの!?

 私の頭はパニックに陥っていた。焦れば焦るほど何をしていいのか分からず、逆に頭の中は空白に染まっていく。

侑「ぶ、ブレーキを踏みながら……スイッチ……」

 だが、意識を取り戻した侑先輩から再び指示が出された。考えるよりも先に、左足でブレーキを踏んでスイッチを押した。

 そして、バンのエンジンはかかり、ぶぅんと内部から唸り声が聞こえた。

しずく「よ、よし……これで!」

 と、私がアクセルを踏もうとした瞬間、とある映画のワンシーンが脳内で流れた。車にエンジンをかけた後、彼は確か……隣にあったレバーらしきものを下に倒していた。

 その行為に何の意味があるのか分からない、が、私はブレーキを踏んだまま隣にあったレバーを下ろした。

 車体がぐん、と若干下に下がった感覚を覚えながら、ブレーキを離そうと思った。だがそれより先に、果林さんがそのすぐ上にあったレバーを下に倒した。暗い車内でよく見えなかったが、Dと書かれていた気がする。

しずく「わ、わわわっ!!」

 バンが走り始める。でも、そこで一つの重大な事実に気付く。暗くて車道の道がほとんど見えない。

 

72:(新日本) 2023/04/30(日) 16:37:28.65 ID:XrJwV8SV

果林「確か……ここよね」

 だが、突如果林さん手がハンドル横に伸び、飛び出たバーを捻ると車のヘッドライトが点灯した。

 すると、狭い車道が明確になった。これなら、何とか車を走らせられる!

 私たちは、梔子集落を脱出した。

 

73:(新日本) 2023/04/30(日) 16:38:38.60 ID:XrJwV8SV

──

 後はもう、無我夢中だった。一度でも道の感覚を失えば木に激突してしまう。そうすれば、バックの方法も分からないので一巻の終わりだった。

 私は瞬きをほとんどせず、アドレナリンが大量に放出された頭で必死に運転した。

 果林さんが何か指示を出していた気がするが、聞いていられる余裕は無かった。でも、運転して数十分もすると、この状況にも少しずつ順応していった。

しずく「はぁ……。な、なんとか、慣れてきました……」

果林「ありがとうね、しずくちゃん。初めてなのに運転を任せてしまって」

しずく「い、いえ……。車のキーに一番近かったのは私ですから」

彼方「ふぅ……。でも、何とか人心地付いた、かなぁ……」

 ガタガタと舗装の具合がよくない車道を進みながら、私たちの緊張は緩みつつあった。

 右に道が曲がればハンドルも右へ、左に曲がれば左へ。シンプルなゲームをやっているようであり、徐々に心が落ち着きを取り戻しつつあった。

エマ「侑ちゃん……。ずいぶん無理してたんだね」

 そんな車内で、エマさんがぽつりと声を漏らした。一瞬だけルームミラーを確認すると、エマさんは膝の上で意識を失っている侑先輩の髪を撫でていた。

 どうやら、エンジンのスイッチのことを喋ってから、もう一度失神してしまったらしい。

彼方「何なんだろうねぇ、この侑ちゃん……。憑りつかれたおっかない人たちを止めたり、お札をばびゅんっって投げたり……」

エマ「分かんないけど……でも、この侑ちゃんのおかげで私たちはここにいる。ありがとうね、侑ちゃん」

 慈愛に満ちた声が聞こえる。今軽く思い返してみても、今までの一件は全て夢なんじゃないかって思う。寧ろ、そうであって欲しい。

 でも、これはきっと現実だ。不条理で、理不尽な現実は……小説よりも奇なりだ。

果林「まずは、■■島を出てからの話ね。一旦脅威は去ったとはいえ、未だ私たちは島を出ていないわ。侑の為にも、絶対に助かるわよ」

しずく「……はいっ」

 果林さんの一言に、ハンドルを握る手が一層強くなった。

 

74:(新日本) 2023/04/30(日) 16:39:43.01 ID:XrJwV8SV

──

 それからの話を語ろうと思う。

 あの後、しずくちゃんの運転で港にまで辿り着き、できるだけ人目につかないところにバンを放置した。財布や着替え諸々は梔子集落に置いてしまった為、帰りの船賃をどうするかでまず悩んだ。

 ■■島にある私の実家を頼っても良かったのだが、そこに行くまでには時間を要する。それに、誰が見ているか分からない状況で家族を巻き込むことはできなかった。

 だが、船賃に関してはバンの中にあった誰かの財布で解決した。恐らく青年か、集落の人の誰かの物だろうが、それを盗むことに抵抗は一切無かった。

 そうして船に乗り込み、私たちは無事に■■島を脱出した。私たちを待っているであろう旅館に一報入れるか一瞬考えたが、もしかすればあそこも集落とグルの可能性がある。藪蛇になることを考え放置した。

 そうして帰りの船の中、ようやく私たちは最後の緊張の糸が解け、到着するまで泥のように眠った。

 だが、意識が落ちる直前まで、私の頭はとあることを考え続けていた。

 怪異の正体は、花蘭ではない、と。

 

84:(新日本) 2023/05/01(月) 22:10:47.87 ID:9dlAIEij

──

 おかしい。■■島に行った人たちからの連絡が一切無かった。便りが無いのは元気な印、とは言うが、出発前に侑ちゃんから『写真送るからね~』と言われた。

 船に乗車してからの写真が最後だった。それほど気にすることでは無いのかもしれない。明後日になれば、学園で会うことができる。だから、それほど危惧しても仕方がないんだけど……。

 だが、翌日になっても侑ちゃんからは一切連絡が無かった。昨晩私が送った『そっちはどうかな?』というメッセージに対して既読も付いていない。もうすぐお昼時になろうとしている頃だ。なのに、既読すらつかないなんてこと、あるんだろうか。

 悶々としていると、ドアホンから来訪を告げる音が鳴った。両親は出掛けていたため、私がモニターを確認した。すると、そこにいたのは侑ちゃんだった。

 帰りは今日の夜だったはず。なのに、なんで……?

 疑問はさておき、玄関へと向かった。

侑「……あ」

 玄関扉を開けると、やや緊張した面持ちの侑ちゃんがいた。一体何を緊張することがあるんだろう。

歩夢「おはよう侑ちゃん。帰りは今日の夜じゃなかったの?」

 率直な疑問をぶつけてみる。

侑「あ、あぁ……。うん。そのはずだったんだけどね、ちょっと色々あって……。あはは」

 後ろ頭を掻きながら、訥々と言葉を口にした。何か、上手く歯車が嚙み合っていない気がする。直感だが、侑ちゃんは何かを隠している気がした。

 

85:(新日本) 2023/05/01(月) 22:11:52.90 ID:9dlAIEij

侑「ま、まあ、それに関しては明日部室で説明するよ。私がここに来たのは歩夢に質問したいことがあってね」

歩夢「質問?別にいいけど……。ここにいるのもなんだし、私の部屋で話そうよ」

侑「……いや、この後まだ予定があるからさ。ここでお願い」

 私の提案を固辞した。侑ちゃんはなんだか、緊張というか神妙な顔付きに変わっていた。裁判で有罪か無罪、どちらかを待つ被告人のように見えた。

 その様子に、なんだか私まで緊張してしまう。

歩夢「うん……。それで何なの?」

侑「えぇと……。私と歩夢ってさ、小さい頃から一緒だよね」

歩夢「そうだけど……。なにそれ」

 私と侑ちゃんは小さい頃からの幼馴染だ。今さら確認するまでも無いことだけど……。侑ちゃんへの不信感が少しずつ募っていく。

侑「じゃあ……この時のことって覚えてる?」

 おずおずと、自信なさげに取り出したのは一つの写真立てだった。そこには、幼少期の私たちが二人で映っていた。侑ちゃんの『ぱ』のTシャツが懐かしい。

 だから、私は事も無げに口を開いた。

歩夢「うん。勿論覚えてるよ」

侑「本当に?写真が撮られる前後で何が起きていたとか説明できる?」

歩夢「私たちのお母さんと一緒にちょっと遠くの公園へ遊びに行った時のことでしょ?確か、写真を撮り終わった後、侑ちゃん思い切り転んで泣いてたよね」

 思い出を辿り、そのまま言葉にする。つい昨日のことのように思えるけど、あの頃とは背丈も格好も、ずいぶん変わったなぁ……。

 

87:(新日本) 2023/05/01(月) 22:12:57.28 ID:9dlAIEij

侑「そ、っか……。そうなんだ。こっちの歩夢は……違うんだね」

 私の言葉に、侑ちゃんは酷く複雑そうな顔をしていた。安堵とも取れる顔だったけど、その奥には暗い何かが見え隠れしていた。

 その事実に、私の心はざわついた。

歩夢「ねぇ侑ちゃん。どうしたの?■■島から突然帰ってきたり、当たり前のこと聞いてきたり……。私に協力できることなら、何でも言って?一人で思い悩まないで」

 これも私の直感だが、侑ちゃんと私の心の距離がずいぶん遠くに感じる。このままでは、一人でどこかへ行ってしまいそうな不安定な感覚があった。

侑「……っ」

 でも、私が心配すればするほど、侑ちゃんは辛そうに目を伏せた。

歩夢「ねぇ、本当にどうしたの!?もしかして、■■島で何かあったの!?」

侑「……いや、そっちは気にしなくていいよ。私を含めて、みんな無事だよ」

歩夢「そっち……ってなに。包み隠さないで全部話してよ……。そんなに、私って頼りないかな……?」

侑「ごめん。明日、全部話すから。今は待ってて」

歩夢「あ……」

 それだけ行って、侑ちゃんはその場を後にしようとしていた。逃しちゃいけない、そう思って裸足のまま外に出て腕を掴んだ。

歩夢「だ、だめっ。行っちゃいやだよ。明日じゃなく、全部ここで話してっ」

 必死の抵抗だった。私が、上原歩夢がここまで懇願すれば、侑ちゃんは絶対に……。

 でも、思った通りにはいかなかった。

侑「……ごめん。明日、必ず話すから。今はやることがあるんだ」

 そうして、私の手は侑ちゃんの腕から離れた。そのまま、隣の部屋の開閉音が聞こえた。

歩夢「……ばか」

 思い切り、その言葉を耳元で叫んでやりたかった。

 

88:(新日本) 2023/05/01(月) 22:13:59.24 ID:9dlAIEij

──

 翌日の月曜日、私は一人で学園に登校した。玄関の扉に一枚の紙が貼ってあり、『先に行くね』と書かれていた。なぜこんな原始的な方法を取るのか分からなかったが、恐らくそれも放課後の部室で明らかになるんだろう。

 授業風景は特別変わらず。ただ、放課後が近づくほどに、言い知れない不安が大きくなっていった。単なる気にし過ぎならいいけど……。

 そして放課後、私は部室に向かって歩いていた。結局、昼休みになっても侑ちゃんには会えなかった。寧ろ、私を避けているような気さえした。それは、実際事実なのだろうけど。

 部室の前に着き、ドアの取っ手に手を掛けようとした瞬間、中から賑やかな声が聞こえた。だが、あまり雰囲気のいい賑やかさでは無さそうだった。

 意を決して、私はドアを開ける。

かすみ「──こ、〇されかけたって……なにそれ」

璃奈「しずくちゃん、冗談はやめて欲しい。流石に、ブラックジョークじゃ済まないよ」

しずく「……私も、ジョークだったら本当によかったって思うよ」

 中で繰り広げられていた会話は、実に物騒だった。

歩夢「〇され、かけた……?」

 思わずその言葉を口にしてしまう。

かすみ「あ、歩夢先輩っ。しず子ったら、この土日連絡がつかなかったこと、変な冗談で誤魔化そうとしてるんですよ!」

 土日連絡がつかなかった?私はしずくちゃんに視線を合わせた。

歩夢「しずくちゃんもなの……?」

かすみ「え?も、って何ですか?」

 何か、嫌な点と点が結ばれていく感覚があった。冷や汗が背筋を伝って流れた。

 

89:(新日本) 2023/05/01(月) 22:15:00.88 ID:9dlAIEij

果林「かすみちゃん、悪いけれど、しずくちゃんの言っていることは本当よ」

 その時、入口から果林さん、彼方さん、エマさんが入室してきた。同好会で残るメンバーは、いよいよ侑ちゃんだけになった。

せつ菜「い、いやいや、待ってください。〇されかけたってことが本当なら……」

果林「えぇ。警察沙汰ね」

せつ菜「じゃ、じゃあ、ちゃんと警察には連絡したんですか……?」

果林「いいえ。してないわ」

愛「……ねぇ果林。さっきから聞いてれば何なのさその態度。自分だけが分かってます、ってそれ。早く説明してよ」

 飄々とした果林さんの態度に、愛ちゃんは業を煮やしていた。

果林「申し訳ないけど、侑が来てから全部話すわ。正直、私も全貌は理解していないのよ」

愛「……つまり、ゆうゆが鍵を握ってるってこと?」

果林「その認識で間違いないわ。たぶんね」

歩夢「侑ちゃんが……?」

 どういうこと?

 ■■島に旅行に行った際、みんなは〇されかけたらしい。そんな大事なこと、なんで私に話してくれなかったんだ。それに、助けを求めてくれたら海だろうとマグマだろうと、私が駆けつけに行くのに……。

 そして遂に、話題の中心にいた侑ちゃんが入室してきた。

侑「やっ、みんな集まってるね。それじゃあ、話をしようか」

 

90:(新日本) 2023/05/01(月) 22:16:02.45 ID:9dlAIEij

──

 入室してきた侑ちゃんを見て、まず驚いた。なぜなら、目の下に深い隈ができていたからだ。侑ちゃんは赤ちゃんみたいな笑いの沸点だけど、寝付きも赤ちゃん並みだ。目の隈なんてここしばらく見ていない。

 まさか、昨日は寝てないの?

歩夢「侑ちゃん、昨日は何してたの……?」

侑「あぁ、歩夢。昨日はごめんね。ちょっと私も余裕が無くてね……。それと、昨日はこれを作ってた」

 侑ちゃんは手提げバッグから数枚の紙……いや、お札を取り出した。

侑「角大師とか、色々と力のあるお札を私がアレンジして別の効力を付与させたお札……いや、符だね。これとか、魔を呼び込む魔導符、魔祓符とかを作ってたんだ」

歩夢「つのだい……?ふ……?」

 何を言っているのか理解できなかったが、どうやらその符という物を作成していたらしい。侑ちゃんにそんなスピリチュアルな趣味があるなんて一度も聞いたこと無かったけど……。

侑「まあ、これを説明しても意味はないね。果林さん、■■島で起きた出来事をみんなに説明して欲しい。私は最初からいたわけじゃないからね」

果林「えぇ。分かったわ。私たちは──」

 最初から、いたわけじゃない……?

 私の頭にはいくつもの疑問符が浮かんだ。だが、そんなことは全て吹っ飛んだ。なぜなら、果林さんから語られる話が、あまりに荒唐無稽だったからだ。

 

91:(新日本) 2023/05/01(月) 22:17:03.80 ID:9dlAIEij

 ■■島の梔子集落という場所で〇されかけた?それも、幽霊に操られた村人に?そんなホラー映画みたいな出来事、はいそうですか、とすぐに受け入れられるわけない。

愛「は、はぁ?なにそれ?これってまさかドッキリ?備品を買いに行くところから仕込んでたってわけ?」

せつ菜「あ、あぁ、なるほど。ドッキリですか。こんな質の悪いドッキリ、仕掛けちゃだめですよみなさん。ははは……」

 私同様、渦中の五人以外は信じられずにいた。でもそんな中、璃奈ちゃんだけは多少なりとも信じる方向で行くらしい。

璃奈「もし、その話が本当だとして……どうやって生きて帰ってこられたの?」

エマ「それはね、侑ちゃんに助けて貰ったの」

璃奈「侑さんに……?」

 話が侑ちゃんに向くと、昨晩作成したというお札をぴらぴら振っていた。

 侑ちゃんは私よりも背が小さいし、力だって弱い。簡単に組み伏せられそうなほどフィジカルに不安があるのに、そんなことできるんだろうか。それとも、ここまでやっぱりドッキリ?

侑「まあ、信じて貰えないのも仕方がないよね。でも、一応怪異に関わったって信じられる証拠はあるんだ。果林さん、嫌かもしれないけど……」

果林「……そうね、これを見せるのが一番手っ取り早いわね」

 そう言って、果林さんは制服を上半身だけ脱いだ。肌着が見え、さらに首の部分をさらけ出した。すると、そこには……大きな紋様めいた痣があった。

 

92:(新日本) 2023/05/01(月) 22:18:04.89 ID:9dlAIEij

かすみ「な、なんですか、それ……」

侑「呪い、としか言えない」

かすみ「の、呪いですか!?ひえぇ……」

 呪い。日常生活では常用しない言葉が出てきた。だが、あの紋様は酷く不気味であり、呪いと言われて説得力のあるものだった。

侑「あの紋様は呪いで刻まれたもの……。でもたぶん、果林さんだけに飲まされた日本酒。それが効用を促進させてると思う。まあ、花蘭から言えば……マーキングみたいなものかな」

かすみ「マーキング……。え、じゃあ、今もその、花蘭ってのに見張られているんですか!?」

 キョロキョロと、忙しなく首を横に回していた。

侑「それは大丈夫。痣の上から私が陣を書いたからね。詳細な居場所が悟られることは無いよ」

かすみ「そ、そうですか……」

 ほっ、とかすみちゃんは胸を撫でおろしていた。詳細な居場所は分からない、ってことは、大まかな場所は割れているんだろうか……。

 それに、侑ちゃんは促進と言った。梔子集落で初めてできた呪いではなく、促進という言葉を使ったということは、果林さんに付けられた呪いはまさか……。

侑「でも、今のままじゃ果林さんは痣の呪いで近いうちに衰弱死する。だから、私はもう一度■■島に行かなきゃいけないんだ」

歩夢「……え?」

 もう一度、■■島に行くの?〇されるかもしれなかったんでしょ?それなのに?

 

93:(新日本) 2023/05/01(月) 22:19:06.73 ID:9dlAIEij

侑「果林さんには、梔子集落に行く前から縁ができてるらしくてね。花蘭が生前生きていた時の、凄惨に〇される夢を見ているみたいなんだ。だから恐らく、果林さんは花蘭の血筋だよ」

璃奈「血筋……。なるほど。でも、ちょっと待って。そもそも、どうして侑さんはそんなに心霊に関して詳しいの?そんな素振り、一度も見せたこと無かった」

 ま、待って。今はそんな話をしている場合じゃない。侑ちゃんが、死地に行っちゃうかもしれないんでしょ?そんなの、絶対に止めなきゃだめだよ。

侑「そうだね。■■島と花蘭についての現状説明は済んだんだ。後は、私についてみんなに知っていて貰いたい。まあ、言うのは歩夢だけでもいいんだけど」

歩夢「……え?」

 唐突に、私の名前が出た。思わず肩が跳ねた。

侑「私は高咲侑、ってことはみんな知ってると思う。でも、みんなの知っている高咲侑じゃなく、別の世界……並行世界から来たのが、今の私だよ」

璃奈「パラレルワールド……。なるほど。だから別の能力を有していても……」

愛「ちょ、え?心霊の話かと思ったら今度は並行世界?やっぱり意味が分からないんだけど……」

侑「まあまあ愛ちゃん、話は聞いてよ。ちなみに、私はこっちの世界に魂だけを飛ばした理由は果林さん達を守る為、じゃないよ」

璃奈「え?違うの?」

 璃奈ちゃんはきょとんとした顔をしていた。話の流れに沿って言えば、そうなるだろう。

 でも、先ほど侑ちゃんは言うのは私だけでもいい、と言っていた。つまり、目的は私絡み……?

侑「こっちの世界に来た理由は、歩夢と会うためだよ」

歩夢「わ、私……?」

 推測していたとはいえ、突拍子も無い話で頭がくらくらした。そう言えば、昨日された質問を思い出した。幼少期の思い出についての質問……。

 

94:(新日本) 2023/05/01(月) 22:20:08.63 ID:9dlAIEij

歩夢「昨日の、あの質問ってなんだったの……?」

侑「あれはね、歩夢が本当に歩夢なのかを探るための質問だったんだ」

歩夢「私が、私……?ね、ねぇっ。もったいぶらないで分かりやすいように説明してよ!!」

 もう、何も理解できないのは嫌だ。

侑「あはは。ごめんごめん。こういう風に色んな歩夢の顔を見るのが久々で、ちょっと楽しくて……あはは」

 おどけて言う侑ちゃんの瞼には、いつの間にか涙が浮かんでいた。そんな強い言葉を使った覚えはないのに。

侑「ご、ごめんね、本当……。じゃあ、話すよ。私が会いたい歩夢について。私があの日、さよならも言えずに別れた、歩無魂について──」

 

95:(新日本) 2023/05/01(月) 22:21:11.39 ID:9dlAIEij

 ここから先は前作であるこちらをお読みいただくとよりお楽しみいただけると思います。

侑「大好きな歩夢と、大嫌いな上原歩夢」
https://nozomi.2ch.sc/test/read.cgi/lovelive/1675859895/

 

96:(新日本) 2023/05/01(月) 22:22:11.62 ID:9dlAIEij

──

 私はさっき、並行世界から来たって言ったよね。こっちの世界とは別の世界だけど、大体は同じ世界なんだ。

 私は虹ヶ咲学園のスクールアイドル同好会に所属してるし、SIFの後は音楽科に転科してる。こっちの私もそうなんでしょ?うん、だよね。

 同好会に所属している人も同じでね、かすみちゃん、しずくちゃん、璃奈ちゃん、愛ちゃん、せつ菜ちゃん、歩夢、果林さん、エマさん、彼方さん、みんな同じだったよ。

 そんな殆ど同じ世界だけど、違う点があった。明確な点として、この世界の歩夢は歩無魂っていう怪異に憑依しないで成長したんだ。

 じゃあ次は、歩無魂について話すよ。歩無魂って言うのは、子供の幽霊が生きている人を乗っ取っちゃう怪異に変化したものでね、それが六歳の歩夢に憑りついたんだ。

 当時六歳の歩夢の人格は、それから約十年間歩無魂と入れ替わってしまった。歩無魂は自分が元々歩夢だったと考え振る舞うようになり、自分が歩無魂であるとは思わないまま普通に生活してた。

 でも、ある日転機が訪れる。それは、つい最近の話。私と歩夢は子供の頃からずっと一緒だったけど、スクールアイドルと音楽で追うべき夢が変わったんだ。それで一時期不安定になったりもしたけど、進む夢が違くても、私たちが互いを想う気持ちは変わらないって気付いたんだ。だから、私たちは離れたとしても大丈夫だって思えた。

 さて、歩無魂に関してもうちょっと説明を補足するよ。歩無魂はね、霊媒師とか神社の人から祓われる以外に、成仏させる方法があったんだ。それは、その時築いていた人間関係に何らかのケリがつくことだった。

 恋人同士なら、結婚とか。逆に破局とかね。私と歩夢の関係も、ただの友人、仲のいい幼馴染では無くなったんだ。それが切っ掛けとなって、元々の歩夢の人格が顔を出し始めたんだ。

 でも、私や歩夢以外の同好会のみんなは重大な勘違いをしたんだ。歩無魂である歩夢を元々の人格の歩夢だと思い、元々の歩夢を歩無魂だって思ってしまったんだ。

 私と同好会のみんなは協力して、歩夢に憑りついた怪異を引き剝がそうと頑張った。

 

97:(新日本) 2023/05/01(月) 22:23:15.17 ID:9dlAIEij

 そして、それは見事に達成されたんだ。別々の夢を追ったとしても、互いを想い合う気持ちは変わらないと言い合った歩夢は……消えしまったんだ。

 同好会のみんな、特に一番積極的に協力してくれた璃奈ちゃんは激しく落ち込んだよ。なぜかって、歩夢に憑りついているのが歩無魂だってこと、その歩無魂の祓い方を調べてくれたのが璃奈ちゃんだったから。それに、後になって気付いたんだ。歩無魂は、約十年人格を奪ったままでいると、その人格が完全に定着して、元の人格は消えるって。

『私が、歩無魂だって気づかなければ、祓い方を調べなければ、歩夢さんは歩夢さんのままでいられたのに。あとちょっとで完全に人格は定着したのに、私は余計なことをしてみんなを不幸にしてしまった』

 璃奈ちゃんは……今もずっと苦しんでいる。

 消えて欲しくなかった人が消えて、消えて欲しかった人が残ってしまった。私は深く後悔したよ。でも、その後悔は元々の歩夢に失礼だった。人格を奪われた歩夢は何も悪くないのに、でも、そう簡単に心の整理は付かなかった。

 だから、せめてもう一度……歩無魂に会って、私はさよならを言いたいんだ。

 そのために、私は世界を渡ってここにいる。

 それから私は、心霊・怪異について勉強して、言霊の発し方、符の作り方を学び、歩無魂の歩夢へ会う方法を考えた。

 それで出た結論は、常世と現世の境目が曖昧になる霊場へと行くことだった。でも、私の世界に合致する場所は無かった。だから、範囲を別の世界にまで広げたんだ。

 そうしたら、あったんだ。しかも、果林さんと深い関わりのある場所であり、尚且つ高咲侑本人も関わる霊場だった。霊視で見てすぐ、これしか無いって思った。私はすぐに別の世界の自分と同調する方法を確立して、今、ここにいる。

 私はもう一度、■■島の座敷牢へと出向き、その強い霊場を利用して歩無魂の歩夢に会うんだ。それが、私の目的。

 それと一応、これだけはハッキリ言っておくよ。

 私にとっての最優先事項は歩無魂の歩夢と会うこと。果林さんの解呪と花蘭を祓うことは二の次。

 それだけは、分かって欲しい。

 

98:(新日本) 2023/05/01(月) 22:24:16.53 ID:9dlAIEij

──

 混乱した。一回だけでは、とても飲み下せない内容だった。でも、私が実は私じゃない可能性があった、ということは分かった。そしてそれを、私はすぐには信じられないということも。

 だがそれ以上に、私はここでようやく理解し納得した。侑ちゃんは、侑ちゃんではないということに。

歩夢「ねぇ、侑ちゃん……うぅん、違うね。あなたに聞きたいことがあるの」

 自分でも驚くほど冷たい声が出た。

侑「なに?歩夢」

歩夢「あなたにはあなたの事情があるのかもしれない。でも、それを差し引いても聞くよ。■■島に行って、絶対に生きて帰ってくるって約束できる?」

侑「……」

 それが、私が送り出せる最低限の譲歩だった。侑ちゃんは私から視線を外し、苦虫を嚙み潰したような顔になる。

侑「約束は……できない」

 その言葉に、胸が焼けそうなくらいの感情が爆発した。

歩夢「……っ。なら、でていってよ。侑ちゃんの体から、でていってよっ!」

侑「できない。それだけは、歩夢からのお願いでもできない。私は……たとえ死んだとしても歩夢に会いに行く」

 吐き捨てるように言う侑ちゃんに、怒りを覚えた。私は感情の赴くままに叫ぶ。

歩夢「死ぬのはあなたじゃないっ!侑ちゃんでしょ!?勝手に侑ちゃんの命を秤に乗せないでよ!!」

 それはもはや、絶叫の域だった。でも、許せなかった。別の世界から来た侑ちゃんであったとしても、それはこの世界の侑ちゃんの体を好きにしていい理由にはならない。

 いつの間にか、私は肩で息をしていた。気炎を吐く私に対し、侑ちゃんはやや伺うような視線をのぞかせた。

 

99:(新日本) 2023/05/01(月) 22:25:18.32 ID:9dlAIEij

侑「……本当にいいの?私がこの体から出て行っても」

歩夢「……なに。他に何か言いたいことでもあるの?」

 私がそう言うと、侑ちゃんは口の端を歪めて笑った。人の神経を逆撫でするような、私が見たことの無い癇に障る顔だった。

侑「私が出て行ったら、果林さん死んじゃうよ?」

歩夢「──」

 その言葉に、私の感情は怒り一色に染まった。無意識の内に全身に力が入る。私は思い切り腕を振った。

 すると、パァンッと部室に叩く音が響いた。侑ちゃんの頬を叩いた手からは、じんじんと痛みを感じる。

 侑ちゃんはバツの悪い顔をしていた。そしてなぜか、私の瞼からは涙が流れていた。自分では止められない涙を無視して、その言葉を吐いた。

歩夢「あなたは、侑ちゃんじゃない……っ!」

 瞳と言葉にありったけの憎悪を込めて、その言葉を吐いた。

 こんなところにいられない。私は部室から出ようと出口へ向かった。

侑「……歩夢。せめて、この符だけは持っていて」

 背中に、そんな声を投げかけられた。恨みがましく睨みながら、侑ちゃんの方を向いた。

 すると、一枚の符を差し出されていた。

侑「これは、私と別の世界の私を交換する符。私の体に貼り付ければ、すぐに換わる。だからこれは歩夢に持っていて欲しい」

歩夢「……」

 その符を、私は乱暴に受け取った。そして、それを体に貼り付けることはしなかった。嫌なほど現実が見える自分への嫌悪がせりあがる。

 自分への八つ当たり気味に、去り際、言葉を残した。

歩夢「あなたに歩夢って言われたくない……っ!」

 

100:(新日本) 2023/05/01(月) 22:26:22.11 ID:9dlAIEij

──

侑「……歩夢は行っちゃったけど、最後に話すことがまだ残ってるんだ」

 何でも無かったように、侑は話を続けた。私はなぜ、歩夢に本当の気持ちを伝えないのか理解できなかった。

 今まで語った話が全て本当だとしても、真実はまた別にあるだろうに。

侑「■■島に行くのは三日後。座敷牢のお札を剥がしたから、今の花蘭の力は強まっている。果林さんがそんな中で五体満足に動けるのは三日が限界だと思う。それまで、私は言霊を言っても耐えられるだけの聖別を。そして引き続き符の作成をしたい」

 三日後。それまで、私は生きられるのだろうか。首の痣が少し疼いた。いえ、きっと大丈夫。侑は私の限界も、計算の内に入れている。

侑「それで、一つ聞きたいんだけど……私に付いて行きたい人って──」

 その言葉を言っている最中、同好会全員の手が上がった。

かすみ「当然、かすみんはついて行きますよ。さっきの話を聞いたのなら、なおさらです。大切な仲間が危険な場所に行くんです!部長として、見過ごせませんよ!」

しずく「私も同じ気持ちです。何もできないかもしれませんが、これでも車の運転はできるので!無免許ですが」

璃奈「別の私が後悔する選択をしたのかもしれない。でも、それは最大限自分にできることをやった後の後悔。私も、今自分にできることをやるだけ。璃奈ちゃんボード『むんっ』」

愛「愛さんもついて行くに決まってるじゃん。ゆうゆだけにカッコいい真似はさせらんないよ。それに、旅は道連れ、って言うっしょ?」

せつ菜「仲間が邪悪な者にやられようとしているんですっ!一丸となって、私たちを敵に回したことを後悔させてやりましょう!!」

彼方「彼方ちゃんは、正直行きたくない……けど、今ここで行かなかったら、絶対後悔すると思うんだ。遥ちゃんに胸を張れるお姉ちゃんでいる為にも、同好会のみんなの為にも、彼方ちゃんも行くよ!」

エマ「私も、もう一度あの場所に戻るのは怖いけど……私たちなら、絶対に乗り越えられるよね!侑ちゃんに守って貰った分、今度は私が守るよ!」

 それぞれ、かける思いは違えど、その本質は一緒だった。そしてそれは、私も同じだった。

果林「侑、見なさい。同好会はこういうおばかな娘ばかりよ。そしてそれは私も同じ。呪いの解呪を待っているだけなんて私らしくないわ。虎の穴に突っ込み、自分で呪いを解いてこそ朝香果林だもの」

 

101:(新日本) 2023/05/01(月) 22:27:24.36 ID:9dlAIEij

侑「みんな……。ふふ。やっぱり、世界は違っても、みんなは同じままだよ……ぐすっ。でも、みんなには付いてきて欲しくないなぁ……」

 私たちの一歩も引かない言葉に、侑は涙ぐんでいた。だが、侑的に気持ちは嬉しいだろうが本音の部分では困っているだろう。

 心霊・怪異のスペシャリストと、一切対処の術を知らない素人集団。現実的に考えれば、私たちは足手まといにしかならない。

 だから、妥協点を提案した。

果林「でも、梔子集落、ひいては花蘭の場所へ行くのは、私と侑だけよ。侑以外の人間が行ったとしても、怪異に対処できない人間は足手まといにしかならないわ」

エマ「えぇ!?私たちにだって、集落の人たちを押さえるくらいはできるよ?それに、それなら果林ちゃんだって同じはずでしょ?」

 そう、条件で言ってしまえば、私も心霊への対処なんて何も知らない素人だ。だが、私にはみんなとは決定的に異なる点がある。

 それは、同好会の誰よりも、花蘭の天敵たる侑よりも、私が花蘭から最も狙われているという点だ。

果林「私は花蘭を誘き出す餌としての役割があるわ。侑としても、餌があった方が色々と都合がいいんじゃないの?」

侑「……そうですね。狙われる対象が果林さんなら、私はその後ろでもっと効果的な動きができると思います」

果林「ね。私にとっても、二人で行くのが最善なのよ」

せつ菜「じゃあ、私たちにはお留守番してろ、って言うんですか……?大事な仲間が死ぬかもしれないんですよ!?指を咥えて待っているなんてできませんよ!」

 せつ菜の思いは尤もだ。でも、それはせつ菜側の都合であり、私たちにはマイナスに働く。だから、侑には一つ提案があった。

 

102:(新日本) 2023/05/01(月) 22:28:26.11 ID:9dlAIEij

果林「あなた達には、梔子集落ではなく私の実家に行って貰うわ」

侑「……?」

 侑は怪訝そうな顔つきだった。

 実は、私には梔子集落で話を聞いて、一つ引っかかる部分があったのだ。あの青年から聞いた話が本当であり、私の見た夢がその一部であるならば、とある箇所が不自然だった。

果林「ねぇ侑。あなたはどうしてあの青年から花蘭の辿った歴史を知ろうとしたの?別に、怪異の正体を知らなくてもお得意の符で祓えばいいだけの話じゃない」

侑「何が言いたいのか分かりませんが……。怪異を祓う時、その怪異の辿った歴史を知るのは重要なんです。怪異の人間性を暴くことで、怪異より人間の方へ天秤を傾けられます。そうすれば、怪異の側面は弱体化し、符や言霊が通りやすくなるんです」

 なるほど。あれにはそういう意味があったのか。

果林「なら益々、みんなには私の実家に行って貰う必要が出てきたわね」

侑「どういうことですか……?」

果林「私の見た夢の内容、覚えてるわね」

侑「え?えぇ……」

果林「とある女性が凄惨に〇される夢。泣いて喚いても、振るう拳と包丁は変わらない。〇しを楽しんでいるかのような夢。でも、これっておかしいのよ」

 そしてそれは恐らく、花蘭が〇された昔の出来事を、私は夢に見ていた。なぜなら、私は花蘭に連なる血筋らしいから。

 でもそれなら、一つおかしい点があった。

果林「〇されたのが花蘭なら、私の血筋が花蘭に由来しているのなら、なぜ私は〇しを楽しむ方の視点で夢を見ているのかしら」

侑「──」

 

103:(新日本) 2023/05/01(月) 22:29:27.66 ID:9dlAIEij

 そう、私は〇しを楽しむ視点で夢を見ていたのだ。もし青年の話が本当なら、私は加害を受けている視点で見なければおかしいのではないだろうか。

果林「考えすぎかもしれないわ。人を操れる怪異なのだから、別に視点が切り替わった夢を見るのはおかしくないのかもしれない。でも、怪異の情報が対処に直結するのなら、もう少し慎重になるべきじゃない?」

侑「……なるほど。その真実が、果林さんの生家にあるかもしれない、ってわけですね」

果林「えぇ。情報は得られないかもしれない。徒労かもしれない。でもそれなら、私たちとは別の人に行って貰えればいい。ただそれだけよ」

侑「……そうですね。果林さんの言う通りです。みんなには、果林さんの実家で他に情報が無いか探って欲しい」

 ……ふぅ。よかった。これで、他の娘たちも無理な手段には出ないだろう。もしここで無理にでも私と侑だけが行く、となれば、必ずこっそり付いてくる娘が出てくるだろう。そうなれば、無用な爆弾を抱えることになる。

せつ菜「役割分担、ということですね!分かりました!」

かすみ「ちなみになんですけど、今から果林さんのお母さんに電話をして、からん?って人の情報を聞くわけにはいかないんですか?」

 素朴な疑問だった。確かに、わざわざ危険な現地に出向かなくても良さそうだ。でもそうなると、私の提案が全て無駄に……。

侑「だめだよ。集落脱出の時、封印用のお札を剥がしたことで、花蘭の力は上昇してる。もしかしたら、果林さんの実家まで影響範囲は広がってるかもしれない。つまり……果林さんの両親にまで危険が及ぶかもしれない」

 私の両親に危険が及ぶ。背筋がぞくりとした。この問題は、既に私だけでは無い、もっと大きな事態となっているんだと今さらながら気付いた。

侑「それに、心霊・怪異って電気とか電話と深い関係にあるんだ。ポルターガイストでも電化製品に異常が出るでしょ?それに、もしかすれば盗聴される可能性すらある。だから、現地に直接出向いて話を聞くのが一番なんだ」

かすみ「ふむふむ……。つまり、だめってことですね!」

 かすみちゃんはあっけらかんとした晴れた表情で返事をした。本当に分かっているんだろうか。

 

104:(新日本) 2023/05/01(月) 22:29:48.49 ID:9dlAIEij

侑「ま、まぁ、うん……」

かすみ「あ、そう言えば、警察に連絡しないのはなんでなんですか?〇されそうになったって言えば、普通に協力してくれそうな気もしますが……」

侑「警察が介入すると、私が現場に介入できなくなっちゃうからね。それに、村ぐるみでの〇人事件なんて捜査にどれだけ時間がかかるか分からない。その最中に果林さんが死んじゃうよ」

果林「まあ、そういうことよ。ただの〇人未遂事件なら、良かったのだけれどね……」

 これで、みんなが抱いていた大体の疑問は解消できた。

 少し危うそうな展開はあったが、これからの指針はおおむね決まった。三日後、私たちは全員で■■島へ行く。私と侑は梔子集落にほど近い場所で待機。他のみんなは私の実家で集落にて起きた惨劇について情報収集。新情報があれば私たちに電話をし、無ければそのまま花蘭と対峙する。そのような運びになるだろう。

 

105:(新日本) 2023/05/01(月) 22:30:31.44 ID:9dlAIEij

──

 そうして、今日は解散となった。でも、私は侑と少しだけ話があった。

果林「侑、少しでいいわ。ちょっと残ってくれる?」

侑「え?はい。分かりました。みんなの前では言えないことですか?」

 侑は気の抜けた顔をしていた。今日はこれ以上山が無いと思っていたのだろう。だからそんな腑抜けた侑に、キツイ言葉を投げた。

果林「あなた、わざと歩夢に恨まれるような真似をしたわね」

侑「……そんなこと、無いですよ。全て、私の本心です」

 侑は唇を噛んで俯いた。やはり、何か思うところがあるらしい。

果林「全て本心、ね……。あなたの最優先事項って、歩無魂の歩夢に会うことなのよね?」

侑「はい。そうです。それ以外は正直言って……枝葉に過ぎません」

果林「枝葉。つまり、歩無魂の歩夢に会えれば、私の命なんて正直どうでもいいって思っているわけね」

侑「……っ。えぇ、そうですよ」

 侑は口の端を歪めた笑いを浮かべた。先ほど歩夢にも見せた嫌な顔だった。よくもまぁ、本人を目の前にして言えるものだと思う。それほど、嫌われてもいい覚悟でここにいるのだろうと思った。

 私は、侑の本心が聞きたかった。本当に、私たちの命を蔑ろにしてもいいと思っているのか、それとも別にあるのか。だから、その言葉を言った。

果林「──それなら、どうして私たちを助けたのかしら」

侑「……それは」

 

106:(新日本) 2023/05/01(月) 22:31:32.43 ID:9dlAIEij

果林「歩無魂の歩夢に会うのが一番なんでしょ?それなら、準備も万全じゃないあそこで、私たちを先導しながら帰るだなんてリスキーなこと、すべきでは無いでしょ?」

 そう、侑の本心が本当であるならば、集落から帰る時は一人で帰るべきだったのだ。侑一人なら、余計な足手まといがいないのだからもっと上手く逃げられたはずだ。

 でも、そうしなかったのは理由があるはずだ。

侑「……はぁ。全く、果林さんには色々と筒抜けですね」

 そう言って、侑は諦めたように笑った。

侑「私の最優先事項は、歩無魂の歩夢に会うこと。これは本当です。でも、それと同じくらい果林さんを、みんなを、死なせたくないんです」

 先ほど見せた嫌な笑みでは無い、真剣な顔付きだった。そこに嘘偽りはないと、言葉ではなく心の部分で理解した。

侑「だって、みんな変わらないんですよ。私のいた世界のみんなと、この世界のみんなが……。それを見捨てるなんて、できるわけないじゃないですか」

 苦笑いを浮かべながら侑はその言葉を口にした。世界をまたいだところで、侑はやっぱり侑なのね。そしてそれは、私たちも同じらしい。

 侑は侑。私たちは私たち。そして思わず、笑みがこぼれた。

果林「……ふふ。そう。あなたはやっぱり高咲侑よ。世界が変わろうとね」

侑「そ、そうですか?あはは。なんだか、ちょっと照れますね」

果林「でも……それならどうして、あんなヒールに回るようなことを言ったのよ」

 そう、そこを私は一番聞きたかった。侑は少しだけ間を開けてから口を開いた。

侑「……私は、私のエゴにみんなを巻き込んでいるんです。その結果、誰かの犠牲が出た時、恨む対象が必要ですよね。私はそうした時のスケープゴート役になればいいと思ったんです」

 恨まれ役。それを買って出る為に歩夢へそんなことを言ったらしい。この娘はまぁ……。

 

107:(新日本) 2023/05/01(月) 22:32:35.20 ID:9dlAIEij

果林「……全く、おばかね。恨むわけないじゃない。あなたがこの世界に来てくれなければ、私、エマ、彼方、しずくちゃんは生きていないのよ?そんな相手を、恨めるわけないじゃない」

 この娘は、この世界において孤独だ。こうして気の置けない関係であるように見えて、私と侑は初対面なのだ。それを侑は、よく分かってる。

 だからこんな、中途半端な境界の区切り方をしている。集落であれだけ頼りになった侑だけれど、本当は不安でいっぱいなのだろう。

 だから、侑をそっと抱きしめた。

侑「か、果林さ──」

果林「ありがとう、侑。あなたは私たちの命の恩人よ。それに、あなたは間違いなく、高咲侑よ。朝香果林が、あなたの存在を保障するわ」

 強く、強く抱きしめた。私の気持ちが少しでも胸の中に沁みるように。言葉では足りない分を、抱擁で示した。

侑「……う、うぅ」

 そうして、侑は声を押し〇して泣いた。大声を上げて泣かないのは、自分がヒール役を買って出ると覚悟した故だろう。

 でも、今だけは泣いてもいい。私はそのまま、胸を貸し続けた。

 それが私にできる、精一杯だった。

 

116:(新日本) 2023/05/02(火) 12:06:39.20 ID:Y6wUiZvc

──

歩夢「──同好会、一緒にやめよ?」

 私の言葉で、ハッと侑ちゃんは目が覚めてくれると思った。十年という歳月は、歩無魂が侑ちゃんを騙すには十分な時間だった。

 でも、侑ちゃんの手で歩無魂を消滅させれば、一番大切な歩夢は私だって気付いてくれると思った。

 これからは、その十年をゆっくりと埋めていけばいいと思った。何千枚もあるパズルのピースを一つずつ埋めていくように、じっくりと。

 でも、想定していた展開とは違うようだった。十年ぶりの感動の再会で私に泣きながら抱き着く侑ちゃん。それを優しく撫でて二人は再び結ばれる……。そんな予定だったのに。

 なんで侑ちゃんは……そんな今にも泣きそうな顔をしているの?

侑「……っ」

 何度も言葉を口にしようとして、それが口に出せていなかった。それを見て、私は閃きを感じた。

歩夢「あ、そっか。十年振りだもんね。言葉を口にしようとしても、溢れすぎて上手く出てこないんだね。うんうん。分かるよ侑ちゃんっ」

 それならしょうがない。私はステップを踏んで侑ちゃんを迎えに行った。足の下には私が壊した歩無魂の家具があった。踏みしめる度に、私の憎しみ一つ一つが解けていくような感覚だった。

歩夢「あぁ、やっぱり、自分の人格で見る侑ちゃんは格別だなぁ。こんなに大きく、可愛く成長したんだね……。でも、いつの間にか私の方が背丈は上になっちゃったね」

 侑ちゃんの頬に触れる。その後は肩、腕と降りていき、私よりも小さい手を握った。

 

117:(新日本) 2023/05/02(火) 12:07:41.92 ID:Y6wUiZvc

歩夢「身体測定でさ、私の方が大きくなった時とか、私ならどんな反応したんだろう。今じゃあもう取り返しのつかないことだけど……」

 手を引いて、胸の中に侑ちゃんを抱いた。懐かしく甘い香りが鼻を抜けていく。

 嗚呼、私はようやく、ここへ帰ってきたんだ……。

 思わず瞼に涙が浮かんだ。私が余韻に浸っていると、突然突き飛ばされた。

侑「……」

歩夢「いたっ」

 想定外の事態であり、私は尻餅をついてしまった。痛みを訴える臀部を押さえつつ、侑ちゃんを見た。すると、バツの悪い顔をしていた。

侑「ご、ごめんあゆ……。くっ……。ごめん、今日はちょっと、顔を合わせられそうにない」

歩夢「え?え?な、なんで……?」

 侑ちゃんは静かに私の部屋から出て行った。頭の上には幾つもの疑問符が浮かぶ。

 何も理解できなかった。なぜ侑ちゃんはあんな顔をするの?なぜ私を抱きしめ返してくれないの?

 十年振りなんだよ?ずっとずっと、我慢して、耐えて耐えて耐えて……もうすぐ消えちゃう恐怖にも負けずに頑張ってきたんだよ?

 なのに、どうして……?

 

118:(新日本) 2023/05/02(火) 12:08:06.97 ID:Y6wUiZvc

歩夢「あぁ、もう……っ!!」

 やりようのない感情は、歩無魂への憎悪へと変換されていく。下に転がる幾つもの歩無魂が残した残骸を投げ散らかした。

 その時、がしゃん、と一際大きく聞こえる破壊音が部屋に響いた。それは、私と侑ちゃんが二人で一緒に映っている唯一の思い出。『ぱ』のTシャツを着た侑ちゃんと、私が映っている大切な写真立てだった。

 それが、私が物に当たり散らしたことでひびが入っていた。自分のしでかしたことに深い後悔が襲う。私は震える手で写真立てを掴み、胸に抱いた。

歩夢「……これだけは、だめ。これだけが、私と侑ちゃんの……」

 思い出は、これから作っていけばいい。失った十年の時間を、ゆっくりと取り戻していけばいい。

 でも、十年振りに再会した侑ちゃんと私は、十年前とは同じ関係では無いらしい。

 

119:(新日本) 2023/05/02(火) 12:09:12.44 ID:Y6wUiZvc

──

 朝、家を訪ねても侑ちゃんは出てこなかった。体調不良を理由に休むらしい。最近は色々あったから気疲れが出たのかもしれない。

 心と体が回復すれば、六歳の頃のような日常に戻ることができる。そんな淡い希望を胸に、学園へと登校した。

 歩無魂越しに見ていたとはいえ、一人でバス乗るのも初めてだったため、なかなか苦労した。でも、何とか通い慣れた虹ヶ咲学園へと初登校することができた。

「おはよ~、歩夢ちゃん」

 時折、私を知っている人が挨拶してくる。誰だっけ。正直、侑ちゃん以外に興味は無いし、知らない人だらけだった。

 路傍の石が話しかけてきても反応なんてできないだろう。私は挨拶の一切を無視した。

 でもすれ違う路傍の石の中で、見たことのある顔があった。確か、二つの名前を持っている人で……。

 私が人格を取り戻す一番の切っ掛けになった人だ。殴り飛ばしちゃったけど、感謝しないといけないね。

歩夢「おはよう、せつ菜、ちゃん……だっけ?」

 軽く声を掛けると、ビクッと過剰な反応をされた。あれ、人違いだったかな?

 振り向かれると、そこには優等生っぽく三つ編みで眼鏡をかけた人がいた。あぁ、そう言えば、せつ菜という名前は隠してるんだっけ。まぁ、本名の苗字も下の名前も知らないからどうしようもないけど。

せつ菜「あ、歩夢さん……。お、おはようございます……」

歩夢「どうしてそんなにかしこまってるの?」

 不自然なくらい、びくびくとしていた。あ、そっか。殴っちゃったからもう一度殴られると思ってるんだ。

 

120:(新日本) 2023/05/02(火) 12:10:13.60 ID:Y6wUiZvc

歩夢「あはは。そんな脅えなくていいよ~」

せつ菜「ひっ」

 肩に手を置くと、分かりやすく悲鳴を上げた。私はこんなに優しく接してあげているのに。そんな態度は無いだろう。ちょっとだけムッとしてしまう。

 でも、今日の私は仏の歩夢だ。スクールアイドルという夢を与えたことで、歩無魂から離れる切っ掛けをくれたんだ。私は感謝を言わなければいけない。

歩夢「せつ菜ちゃんのおかげで、歩無魂は無事に消えてくれたよ!本当に、本当にありがとうね!」

 満面の笑みで言葉を口にした。すると、せつ菜ちゃんから表情が消えた。代わりに、ぼろぼろととめどなく大粒の涙が溢れだしていた。

せつ菜「私の、私の……私の、せい……。私が……もう一度歌ったせいで、スクールアイドルを続けてしまったせいで……」

 ぶつぶつと、せつ菜ちゃんはよく分からないことを呟いていた。よく分かんないけど、感激して泣いているらしい。

 私復活の立役者の一人だからかな。本人から労わられて嬉しいのかもしれない。

歩夢「ほんと、お疲れ様」

 だから、優しい言葉をあげた。その言葉を皮切れに、せつ菜ちゃんは声を上げて人目も憚らずに泣いていた。

「生徒会長が泣いてる!」
「ちょ、えぇ!?ど、どうしたんですか!?」
「あのあのっ。上原歩夢さんですよね?なにがあったって──」

 私を呼び止める声があったが、そんなのは無視した。

 あぁでも、あんまり人間関係に不和を生むのはよくないかも。嫌で面倒だとしても、多少は構ってあげなきゃいけないのかな。この世界で生きていくんだもん。不安の芽はできるだけ摘んでおくべきだよね。

歩夢「私はなにも知らないよ。後はよろしくね」

 だから最低限だけ、関わることにした。手をひらひらと振りながら、その場を後にした。

 

122:(新日本) 2023/05/02(火) 12:11:17.63 ID:Y6wUiZvc

──

 授業はあんまり分からなかった。歩無魂越しに授業を受けていたとはいえ、それは能動的とは言い難い。歩無魂が残した成績を保つのは厳しそうだった。

 そして、私はお母さんに作って貰ったお弁当を持って中庭に出ていた。そうそう、部屋が台風一過したみたいに滅茶苦茶になったところを見て、お母さんは呆然としてた。寝惚けちゃって、と舌を出したら『そんなわけないでしょう!』と怒られた。

 久々に叱られて、ちょっと嬉しかったなぁ……。

 そんなことを考えながら、どこで食べようか散策していると、これまた知っている顔に出会った。確か、一年生の……なんだっけ。かすみちゃんと、しずくちゃんだっけ。

 ベンチに腰掛けながらお通夜みたいな雰囲気を出していた。あ、もしかしてあれかな。私が歩無魂だって演じる為に、衣装をズタズタに引き裂いちゃったからかな。演出の一環だったけれど、ちょっとやり過ぎだったのかも。

 私は二人に声をかけることにした。

歩夢「こんにちは、かすみちゃん、しずくちゃん」

 すると、朝のせつ菜ちゃんの時みたいな反応をされた。

しずく「……歩夢さん、でいいんですよね」

歩夢「え?そうだよ。何言ってるの?私は上原歩夢だよ」

 う~ん。ちょっと変な子なのかなぁ。

 

123:(新日本) 2023/05/02(火) 12:12:20.21 ID:Y6wUiZvc

かすみ「違うよ、しず子……その人は、歩夢先輩じゃない。絶対、歩夢先輩じゃないっ!」

 俯いた顔を上げながら、敵意剥き出しで睨まれる。あぁ、やっぱり衣装を切り裂いちゃったことを根に持ってるんだろうなぁ。面倒くさいなぁ……。

 でも、ここで生きていかなきゃいけないんだし、後々にまで響くしこりは解消しないとね。

歩夢「ごめんね、かすみちゃん、しずくちゃん。衣装を切っちゃって」

 素直に、実直に、謝罪をすることにした。不可抗力だったからとはいえ、二人には思い入れのある代物だったのだろう。

 でも、私にだって事情はあった。

歩夢「怒っちゃうのも無理ないと思うよ。本当に、ごめんね」

しずく「……そんなことを、言って欲しいわけではありません」

歩夢「……?」

 しずくちゃんは爆発しそうな感情を必死で押さえつけているように見えた。でも、そんな言葉は一度飲み込み、冷静に口を開いた。

しずく「……歩夢さん。あなたは悲劇の真っただ中にいた、可哀想な人です。同情できることも多々あります。寧ろ、歩夢さんは一番の被害者なのだと思います」

歩夢「へぇ~……」

 感心した。しずくちゃんは実にフラットな視点で物事を見ていた。

しずく「けれど、私は、私たちはあなたではなく、歩無魂の歩夢さんしか知ら──」

 感情より理性の方が高く、頭のいいしずくちゃんだが、ちょっとだけ残念な部分があった。それは、単純なことを複雑に考えすぎてしまう点だった。

 だから、私はそんなに悩む必要は無いことを助言した。

歩夢「うんうん。しずくちゃん、そこまで分かってるならさ、後はもう単純だよ」

しずく「……え?なんですか、突然。それに、まだ私の話は──」

歩夢「まあまあ。私の話を聞いてよ。それに、かすみちゃんにも聞いて欲しいな。衣装を引き裂いちゃったのは確かに私の意思。でも、私こそ一番の被害者。ってことは、歩無魂が一番悪い人って分かるよね?」

 そう。物事を単純にしてしまえば、悩む必要も、私に気を遣って長々と話をしなくてもいいのだ。

 

124:(新日本) 2023/05/02(火) 12:13:21.33 ID:Y6wUiZvc

 一本化。二人の憎しみを一手に集中させてしまえば、やりきれない全ては解決する。

歩夢「──だから、歩無魂を憎めばいいんだよっ!」

かすみ「……は?」

歩夢「衣装が切れちゃったのも、せつ菜ちゃんを殴ったのも、いっぱいいっぱいい~っぱい迷惑を掛けちゃったのも、全部全部、歩無魂が悪いんだよっ!だから全部、歩無魂のせいにしちゃおうよ!アイツはもう死んだんだし、今さら何を言っても死人に口なしって奴だよね!」

しずく「あ、あなたは何を……」

 渾身の演説だった。みんなの憎しみは、既に死している歩無魂に集めればいい。もう死んでいるのだから、いくら石を投げたって蹴りを入れたってうんともすんとも言わない。

 格好のスケープゴートが、深き地獄の底にいるのだ。使わない手立てはない。

かすみ「……っ」

 でも、そんな私の演説に、拍手喝采は起きなかった。代わりに、かすみちゃんが私の胸倉を強く掴んできた。

かすみ「ふざけんなぁっ!私の大好きな歩夢先輩を!!悪く言うなぁ!!歩夢先輩の死を……都合のいい道具に使うなぁ!!」

しずく「かすみさん……」

歩夢「……?」

 眉を吊り上げ、涙を浮かべながら大声で叫ばれた。鼓膜に強く響いたようで、少しキーンとした。

 

125:(新日本) 2023/05/02(火) 12:14:23.35 ID:Y6wUiZvc

 わけがわからない。かすみちゃんは、ちょっと頭が悪いのかもしれない。確かに鋏で衣装を切り裂いたのは私。でも、原因は歩無魂じゃないか。なんでそれが分からないんだろう。

歩夢「ねぇ、ちょっと痛いよ。しずくちゃん、助けて」

しずく「あ、えっと……」

かすみ「しず子からも何とか言ってやってよっ!」

歩夢「はぁ……」

 イライラする。会話のできない分からず屋を相手にしていると本当にイライラする。

歩夢「全く、何をそんなかっかしてるの?あんなの、みじめに死んだ幽霊の搾りかすみたいなものでしょ?人に憑りついて人格を奪って、悪の中の悪じゃん」

 歩無魂なんて、そういう存在じゃないか。人の人生を台無しにし得る能力を持っているんだ。悪でないはずがない。

 だから歩無魂なんて──

歩夢「──生まれてこなければよかったのにね」

 その言葉を言った瞬間、高く乾いた音がした。それが、頬を叩かれた音と気付くのに、少し時間を要した。

しずく「……私は、あなたが嫌いです。どれほどの事情があろうと、私は悪の中の悪の味方です。……行こう、かすみさん」

かすみ「え、ちょっ、しず子っ!」

しずく「……」

 呆然としながら、私は去っていく二人を見送った。なんだ、なんなんだ。何も、誰も、分からない。

 

126:(新日本) 2023/05/02(火) 12:15:24.63 ID:Y6wUiZvc

 まあでも……きっと侑ちゃんみたいにまだ混乱しているだけなのだろう。

 そう言えば、聞いたことがある。悪人と長い間同じ時間を過ごすと、情が沸いてしまい、悪人の味方をするような言動をすると。確か、なんとかかんとか症候群、って奴だったはずだ。

歩夢「……ご飯、食べよっと」

 気持ちを切り替え、私はお弁当に手を付けた。すると、お弁当の包みの中には一枚の紙が入っていた。

歩夢「お母さんが入れたのかな……?」

 四つ折りになっている紙を開く。

『歩夢。何が起きたか分からないけど、とりあえず大好物の玉子焼きを食べて元気出しなさい!初めて作った料理が大好物だなんて、素敵よね!もしかしたら、歩夢より美味しくないかもしれないけど、味わって食べてね!』

歩夢「……」

 私は紙を雑に折りたたんだ後、お弁当に入っていた玉子焼きを口に入れた。作り終わってからずいぶん時間が経過していて冷めているからだろうか。

歩夢「……別に、大好物ってほどじゃないなぁ」

 温度差、それをひしひしと感じた。

 

127:(新日本) 2023/05/02(火) 12:16:27.16 ID:Y6wUiZvc

──

 放課後になり、帰り支度を整えた。なんだか今日は一日中、ボタンを一つ一つ掛け違えていたような、そんな一日だった。それに、なんだか物足りなさも感じていた。

 それはきっと、私の隣にいるべき人がいないから。でもそれは、侑ちゃんの体調が回復すれば、きっと解決するはずだ。そのはず、だ……。

 今日はなんだか気疲れが多かった。初めて一人でバスに乗ったり、高校の授業を初めてまともに受けたり、初対面だらけの興味の無い人と合わせて喋ったり……くたくただった。早く帰って今日は寝よう。

 そう思って学園の玄関に差し掛かると、何かが横切った。それを目で追うと、どうやら横切った正体は子猫のようだった。

 特段猫が好きなわけでは無いが何となく、追いたくなった。人同士で疲れたからだろうか。だから動物に行くのは、自分ながら安直だと思う。

 白い子猫の後を追うと、学園の中でも人気の無い場所へと辿り着いた。そしてそこには、知っている顔がいた。

璃奈「はんぺん。こんなところにいた……」

 それは、璃奈ちゃんだった。同好会のメンバーの中でも、一際覚えている。

 だって、璃奈ちゃんがいなかったら私は今ここにいないから。

 人格が入れ替わったことを歩無魂の仕業と当てたのも璃奈ちゃん、歩無魂の情報と祓う方法を調べ上げたのも璃奈ちゃん。つまるところ、璃奈ちゃんは私を復活させてくれた一番の立役者だ。

 せつ菜ちゃんは感激に涙を流してくれたんだ。璃奈ちゃんにも、感謝の言葉を言うべきだ。

 暗い顔で子猫を撫でているのが気になるけど、感謝を言えばそんな顔も吹っ飛ぶはずだ。

 

128:(新日本) 2023/05/02(火) 12:17:28.93 ID:Y6wUiZvc

歩夢「璃奈ちゃん、でいいんだよね」

 声を掛けると、やはり過剰に反応された。三者三様……いや、四者四様か。

璃奈「歩夢、さん……」

 私の名を呼ぶと、顔を真っ青に変えた。子猫は異常を嗅ぎ取ったのか、その場を素早く離れた。少しくらい、撫でたかったなぁ。

歩夢「あの子猫、璃奈ちゃんのなの?」

 まずは軽く、世間話から始めることにした。

璃奈「……うぅん。あの猫は、はんぺん。生徒会お散歩役員だから、強いて言えば学園の猫」

歩夢「生徒会お散歩役員?そう言えば、そんなこともあったような……」

 歩無魂越しに得た記憶を探る。ちょっと前に、そんな一幕があったような気がする。

璃奈「やっぱり、あなたは元々の人格の歩夢さんなんだね……」

歩夢「ん?うん。そうだよ。私が本当の上原歩夢」

璃奈「そ、っか……」

歩夢「ん~、なんだか、暗いね。まあいいや。璃奈ちゃんにはね、お礼を言いに来たんだよ」

璃奈「……え?」

 瞳を大きく開いていた。璃奈ちゃんって、表情のバリエーションが少ない娘だなぁ。なら、色んな表情を引き出してあげようと思った。

 私は丁寧に丁寧に、お礼を言うことに決めた。

 

129:(新日本) 2023/05/02(火) 12:18:29.84 ID:Y6wUiZvc

歩夢「歩無魂が憑りついてるって、気付いてくれてありがとね!」

璃奈「……っ」

 満面の笑みで言う。璃奈ちゃんは苦しそうな表情を浮かべる。

歩夢「それに、歩無魂の対処法を考えてくれて、本当にありがとうね!」

璃奈「う……」

 表情が歪み始める。先ほどまでの無表情が嘘のようだった。

歩夢「最後にっ、歩無魂を排除してくれて、本当にありがとう!」

璃奈「うぁ……」

 万感の思いを込めて感謝を述べると、璃奈ちゃんは顔を両手で覆い、地面に膝を突いてしまった。凄い効き目だ。せつ菜ちゃん同様、感激に肩を震わせていた。

 なんだか楽しくなってきた。

歩夢「璃奈ちゃんがいてくれて、本当によかった!歩無魂を祓った一番の功労者は、絶対に璃奈ちゃんだよ!」

 そうだ。せつ菜ちゃんでも無く、歩無魂を祓えたのは璃奈ちゃんの尽力あってのことだ。足を向けて寝られないかもしれない。

璃奈「あ……う、うぁぁあ……うっ、うぅ……」

 そんな璃奈ちゃんは、地面に頭を突けながら呻いていた。感激するって言っても、あまりにオーバーリアクション過ぎると思う。

璃奈「私が、気付かなければ……。歩無魂だって、気付かなければ……。タイムリミットが来て、人格が上書きできていたのに……」

歩夢「……?」

 呟くようにして言葉を口にする姿は、格好も相まって懺悔しているようだった。

 

130:(新日本) 2023/05/02(火) 12:19:31.15 ID:Y6wUiZvc

璃奈「私のせいだ。私が、変に頑張ったせいで。全部全部、裏目に出た……」

歩夢「裏目?そんなことないよ。全部いい方向に働いたんだよ?わる~い歩無魂はこの世から完全に消えて、正しい私の魂が残ったんだから」

 その言葉で、璃奈ちゃんから震えが止まった。上体を起こし、顔を覆っていた両手は重力に従い、力なく落ちた。

璃奈「この世、から……。そっか……。そうだったんだ……。歩夢さんを〇す引き金を引いたのは侑さんじゃない」

 何か納得したらしい璃奈ちゃんは、視線を私に向けた。

璃奈「私が、歩夢さんを……〇したんだ。あは、あはっ、あははははははははははっ!!」

 こんな顔で、璃奈ちゃんは笑うんだ。

 大声を上げながら笑っていたが、瞼からは大粒の涙が頬を伝って流れ落ちていた。なんだかその様は、心の壊れた人形のように見えた。

璃奈「侑さんから、大切な人を奪っちゃった……。私って、本当に救えない……あはははは……」

 その後は、うわごとのように意味があるのか無いのか分からない台詞を吐くだけとなってしまった。話しかけても、肩を揺すっても、反応が返ってこなかった。

 奇妙に思いながらも、そういう娘なんだと思ってその場を後にした。

 なんだか、同好会って変な娘が多いなぁ。人目を憚らずに感激して泣く娘に、話を理解できないおバカな娘、頭がいいように見えてよくわからない娘、泣きながら笑って意味の無い言葉を吐く娘。

 こんな異常な場所だって、歩無魂越しには分からなかったなぁ。あ、でもそっか。こんな場所にいたから、侑ちゃんもちょっとおかしくなっちゃったんだ。だから十年振りの再会なのに、素直に喜べなかったんだ。

 早いうちに、同好会の呪縛を解いてあげないとなぁ……。

 次なる目標ができた私は、ワルツでも踊るように家路を歩いた。

 けれど、全て私の勘違いだと理解に要する時間は、そう長くはかからなかった。

 

131:(新日本) 2023/05/02(火) 12:20:32.66 ID:Y6wUiZvc

──

 侑ちゃんはあれからずっと、学園には来ていない。でも、家にいるのかと言えばそうではないらしい。夜な夜な家を出て、どこかを歩いているらしい。

 でもその日は偶然、家を出た瞬間の侑ちゃんと鉢合わせすることができた。自宅でも、学園でも、私のことを分かってくれない人と接する日々は辛かった。この辛さを分かってくれるのは侑ちゃんだけだった。

 侑ちゃんだけが、私のよすがだった。

歩夢「侑ちゃん!なんで学園に来ないで夜のお散歩なんてしてるの?危ないよ!」

侑「……大丈夫だよ。私は、したいことをしてるだけだから」

 振り向く侑ちゃんの顔に、ぎょっとした。目は落ち窪み、頬がゲッソリとしていた。生気をあまり感じない風貌だった。

歩夢「ど、どうしたの侑ちゃんっ。最近全然寝てないんじゃないの!?それに、あんまり食べていないみたいだし……」

侑「え……。あぁ、そう言えば、最近あんまり寝ても食べてもなかったっけ……」

歩夢「なかったっけ……って。侑ちゃん、自己管理はちゃんとしないとだめだよ!」

侑「……はは。なんかそれ、歩夢っぽい」

歩夢「ぽい、じゃなくて、私が歩夢だよ。上原あ~ゆ~むっ!ちゃんと食べてないからそんな残念な言葉しかでてこないんだよ?」

侑「そう、かもね……」

 口の端だけを持ち上げるような、最小限の力で作った笑みだった。とりあえず、私は自分の部屋へと侑ちゃんを移動させた。こんな侑ちゃん、見ているだけで心配で胸が張り裂けそうになっちゃう。

 

132:(新日本) 2023/05/02(火) 12:21:34.29 ID:Y6wUiZvc

侑「あれ、歩夢の部屋……」

歩夢「あ、気付いた?歩無魂の荷物は一掃して、元の面影なんて一切感じないくらい模様替えしたんだよ?」

 その言葉に、侑ちゃんは目を見張った。限界まで目を開き、そのすぐ後悲しそうに目を伏せた。

侑「そっか……。もう、無くなっちゃったんだ……。私が一人で動いてる間に」

歩夢「う、うん……」

 落ち込む様子の侑ちゃんは、なんだか少し扱い難かった。話題に困った私は、少しでも明るいことを話そうと考えた。

 すると、そう言えばずっと侑ちゃんに話したかったことがあることに気付いた。

歩夢「ね、ねぇ侑ちゃん。聞いてよ。同好会のみんなのことなんだけどさ──」

 同好会。その言葉を口にすると、明らかに反応が変わった。落ち込んだ顔ではない、興味津々な顔になった。でも……怖いくらい真剣な顔付きだった。

 私はそれから、ここ最近の愚痴を話した。上手く会話が噛み合わないとか、避けられている人がいるとか、突然情緒不安定になる人がいるとか、そんな話を。

 侑ちゃんはその話を、真剣に耳にしていた。一言一句聞き漏らさないように、私から一切視線を外さずに聞いていた。

歩夢「──全く、おかしいよね。一番悪いのは歩無魂で、一番可哀想なのは私なんだしさ。どうしてあんなに肩を持つんだろうね」

 と言う風に、締め括った。その話を全て聞いた後、侑ちゃんは私のベッドの上に座った。

侑「なんで、か……。歩夢の言う通りだと思うよ。一番悪いのは、歩無魂。その犠牲者となったのは歩夢……。それは絶対だよ」

 そして、侑ちゃんが口にした言葉は私への全肯定だった。やっぱりそうだ。侑ちゃんだけは、私のことを分かってくれる。心が有頂天になって天にも昇りそうな心地になった。

 

133:(新日本) 2023/05/02(火) 12:22:35.42 ID:Y6wUiZvc

侑「でも……」

 そんな気分に水を差すように、侑ちゃんは続けた。膝の上で組んだ両手を、ぐっと力強く握った。

侑「みんな……歩無魂になってからの歩夢しか知らないんだよ。みんなにとっては、歩無魂が大好きな歩夢で、いなくなって悲しいのも歩無魂なんだよ……っ」

歩夢「……え?」

侑「悪いのは確かに歩無魂かもしれない。でも、歩無魂に悪意は無かった。そんな歩無魂と、少なくない時間を過ごしたみんなにとっては……消えて欲しくなかったのは、歩無魂なんだよ……」

歩夢「え……?え?それって……」

 混乱した。侑ちゃんの口から、そんな言葉を聞くなんて思わなかった。確かに、同好会のみんなが消えて欲しいと願ったのは、歩無魂だと思っていた私の人格なのだろう。

 でも、侑ちゃんだけは違うって思った。侑ちゃんにだけは、そんなみんなの気持ちを理解して欲しくなかった。

 消えて欲しかったのが私だなんて、そんな気持ち……理解して欲しくなかったっ!

歩夢「……ねぇ、侑ちゃんは違うよね?」

侑「え……?」

 心とは真逆に、震える言葉が発せられた。侑ちゃんは明らかに焦った顔をしていた。その意味を、考えたくもない頭が勝手に推測してしまう。でも、そんなの全て推測に過ぎない。侑ちゃん本人の口から聞かないと、それは事実じゃない。

 

134:(新日本) 2023/05/02(火) 12:23:37.35 ID:Y6wUiZvc

歩夢「侑ちゃんは……私、本当の歩夢が戻ってきて、嬉しかったよね?」

 なに、この声。不安げな声だ。自信なさげに発せられた声音だ。なんで?どうして?私は自信を補強するように、言葉を続けた。

歩夢「私は、嬉しかったよ。もう一度、侑ちゃんに会えたって。大好きで、大好きでたまらない侑ちゃんに、心から触れられるって……」

侑「……」

 それでも侑ちゃんは、何も言わなかった。逸る気持ちが言葉を急がせる。

歩夢「ほ、ほら!あの時撮った写真!写真立てを変えて新品で綺麗なのにしたんだよ!?」

 新調した写真立てを持ってくる。でも、侑ちゃんは黙ったままだった。だんだん、私の心には焦りではない、怒りが沸いてきた。

歩夢「ねぇ……侑ちゃんっ!見てよっ!私をっ!歩夢のことをちゃんと見てよ!侑ちゃんが戻ってきて欲しかったのは、歩無魂じゃない、本当の私なんでしょ!?」

 両手で強引に私の方を向かせた。そして、私は後悔した。真相を確かめようとしてはいけなかったんだ。

 侑ちゃんは泣きそうな顔と目で、その言葉を言った。

侑「……ごめん、歩夢」

 ただそれだけ言って、私から視線を外した。

歩夢「……嘘」

 

135:(新日本) 2023/05/02(火) 12:24:38.50 ID:Y6wUiZvc

 嘘だ。嘘嘘嘘。全て嘘だ。

 誰に嫌われたっていい。誰に罵詈雑言を吐かれたっていい。私には侑ちゃんがいるから。誰も私のことを知らない世界の中でも、侑ちゃんだけは元々の私を知ってくれているから。

 侑ちゃんさえいれば、私のことを知らない世界でも怖くなかった。

 閉じ込められて憎悪と激怒に身を焦がしていた時でさえ、あの甘く愛おしい日々を思えば気を保っていられた。

 でも、侑ちゃんでさえ、歩無魂に惹かれていたのなら。

 私は……誰に縋ればいい。

歩夢「……十年振りに、会えたのに」

 ふらふらと、足元がおぼつかなくなる。

歩夢「……絶対、喜んでくれるって思ってたのに」

 手から何かが落ちる。それは、新調した写真立てだった。

 そうだ。私は……この写真のように……。

歩夢「もう一度、一緒に笑い合いたかった、だけなのに……」

 世界は、みんなは、侑ちゃんでさえ、私を歓迎していなかった。

 

136:(新日本) 2023/05/02(火) 12:25:40.88 ID:Y6wUiZvc

侑「歩夢……」

歩夢「……帰って」

 ぼそり。恨み言のような言葉が口を衝いて出る

侑「え……」

歩夢「……やることがあるんでしょ」

侑「……ごめん。でも、絶対気持ちに整理は付けるから。だから──」

歩夢「──でていってよ!!早く!!」

 見たくない。こんな侑ちゃん、見たくない。

 叫ぶ私に対し、侑ちゃんは悔しそうに唇を噛んでいた。だが、どうにかその気持ちを抑え込んだようで、無感情な声音を発する。

侑「……またね、歩夢」

歩夢「あ……」

 ぱたり、扉は静かに閉じられた。

歩夢「あ、うっ、うぅぅうああ……」

 侑ちゃんの消えた扉に手を伸ばす。でも、もう遅かった。全て遅かった。

 

137:(新日本) 2023/05/02(火) 12:26:42.11 ID:Y6wUiZvc

 じゃあ、どこから遅かったの?どこから始めれば、私は手遅れじゃなかったの?

 ……歩無魂に、憑りつかれた日から?

 じゃあ、そんなの……。

 どうしようも、ないじゃん……。

 私は何のために戻ってきたの?

 侑ちゃんも喜んでくれないこの世界に、何のために戻ってきたの?

歩夢「……あはは。私、ばかみたい……」

 全身に力が入らなくなり、床に倒れた。やけに重力を感じ体が重い。

 悲哀に潰されそうになりながら、私は呪詛を吐く。

歩夢「──歩無魂が、生まれてこなければ……っ」

 でもその言葉は、もう一つの事実を私に思わせた。

歩夢「──私は……戻って来るべきじゃ、なかった……」

 ただそれだけが、私に見えている現実だった。

 

138:(新日本) 2023/05/02(火) 12:29:36.75 ID:Y6wUiZvc

物語的にはちょうど折り返しです。もう少しだけ、お付き合いください。
明日はちょっと更新できるか怪しいですが、更新できれば20時以降だと思います。

 

143:(茸) 2023/05/03(水) 13:05:15.97 ID:zVn80gM6

──
 
 二日後の夜。遂に準備は整った。様々な効果を有する符の作成や、水垢離等で体の穢れを落とし、言霊を振るっても体にあまり大きな負担がかからないような体作りを行った。私のやっていたことは、主にその二つだ。
 
 怪異に憑りつかれた人への対抗手段である符の作成は勿論だが、私が特に力を入れて作成したのは魔導符と呼ばれる符だった。これは、通常なら魔を寄せ付けない効果を持つお札の四隅を黒く塗り、特殊な加工をすることで逆の効果を齎す符となっている。つまり、魔を祓うはずのお札に、魔を寄せ付ける効果を付与するのだ。
 
 恐らく、梔子集落は以前よりも場の不安定さは増しているだろう。不安定さとは、現世と常世のことだ。花蘭が封印されている民家は特にその傾向が強く、そこで魔導符を行使する。すると、益々現世と常世の境界が曖昧になり、霊場としての側面が強くなる。
 
 そこに私の言霊を合わせれば……歩無魂を呼び寄せることも可能だろう。だが、それは自〇行為かもしれない。現世であればあるほど、怪異の特性は薄くなり、生者への干渉はしにくくなる。だが、私のしようとしていることは真逆であり、自分の首を絞める行為に他ならない。
 
 虎の尾を自ら踏み、虎穴に入るようなことだ。でも、そうでもしなければ手に入らない物がある。

 

144:(茸) 2023/05/03(水) 13:06:20.63 ID:zVn80gM6

 一応、そのための体作りでもあった。言霊とは、言葉に感情を強く乗せることで、言った内容をその場に具現化するような技だ。祓詞のような古来より伝わる言葉だけが言霊ではない。だが、それは怪異に一方向に働くわけではない。体が穢れていればいるほど、自分の放った言葉は自分に返ってくる。
 
 梔子集落脱出の際の私は、何も準備ができていない体だったから跳ね返りが凄かった。船の中ではしばらく血の味のする咳が出ていた。
 
 でも、今は多少なりとも清められた体だ。そう簡単に怪異に屈することも無く、たとえどれほど常世に近い場所であろうとも自分を保つことはできる。自分の輪郭を把握し、それを増強する効果のある符も作った。
 
 果林さんにもその符を持たせた。花蘭の力が増していることを考えると、血筋である果林さんが操られる可能性も考慮すべきだった。一応念のため、果林さんの実家に行く予定のみんなにも同様の符を持たせた。これでみんなも操られることは無いはずだ。
 
 間に合わないかと思ったが、どうにかなった。後は、花蘭を祓い、歩無魂に会い、元の世界に帰って歩夢に……。
 
 椅子の背もたれに体重を預けながら考えていると、インターフォンが鳴った。相手は歩夢だった。
 
 頬を叩かれてから、歩夢とは一言も言葉を交わしていない。でも、歩夢も■■島に行くらしい。心配なのだろう、私ではなく、元々の高咲侑のことが。
 
 私は歩夢を迎えに行った。

 

145:(茸) 2023/05/03(水) 13:07:24.29 ID:zVn80gM6

侑「こんばんは。どうしたの?」
 
 できるだけ、軽い口調で言葉を発した。
 
歩夢「……明日、だから。ちょっと話したくて」
 
侑「うん。分かった。お母さんもお父さんも今日は外に出て貰ってるからさ、入って入って」
 
 両親には外に泊まって貰っている。作曲コンペに提出する曲が全然完成してないから、集中する為に外泊して!と言っている。本音のところは、明日に向け精神を万全の状態に持っていきたいって気持ちが大きい。
 
 でも、歩夢をここへ呼んでいる時点で、本当の気持ちは別にあるのかもしれない。
 
歩夢「ねぇ、侑ちゃんは今どこにいるの?」
 
 私の部屋に入ってすぐ、立ったままそう言われた。
 
侑「こっちの世界の私は、まだここにいるよ。分かりやすく言えば、心の中ってことかな?今は主導権をこっちが握っているから出てこれないだけで、別に害は無いよ」
 
歩夢「そうなんだ……。てっきり、あっちの世界にいるんだって思ってた」
 
 あっちの世界。私のいた世界だ。そう思うのは普通のことだろう。
 
歩夢「そっか……。ねぇ、ちょっと胸を貸して貰ってもいいかな」
 
侑「え、うん……。別にいいけど」
 
 唐突に、胸を貸すことになった。私はソファの上に座り、歩夢はソファ横の床に膝を突いた。そしてそのまま、私の胸に耳を当てるような格好になった。

 

146:(茸) 2023/05/03(水) 13:08:27.75 ID:zVn80gM6

歩夢「侑ちゃん、聞こえる……?私だよ。歩夢だよ」
 
侑「……」
 
 心の中、そう言ったからか。私越しに、歩夢は会話を図っている。
 
歩夢「突然でビックリだよね。まるで、映画を見てるみたい……うぅん、ドッキリって言った方がいいかも」
 
 一方的であるにも関わらず、歩夢は口を綻ばせていた。たとえそこに意中の相手の体が無くとも、心があれば……ということなのだろうか。
 
歩夢「それでさ、酷いよね。侑ちゃん、死んじゃうかもしれないんだって」
 
侑「……っ」
 
 胸に突き刺さる。私のエゴが、私を〇そうとしている。
 
歩夢「わざわざ世界を渡って、私たちに迷惑をかけて、一人の我がままに侑ちゃんを巻き込もうとしてる。そんなの、許せないよね」
 
 楽し気な口調が一変、怒気のこもったものへと変貌した。
 
 ……そうだ。憎んでいいんだ。もし本当に、私が失敗して死んでしまえば、果林さんも死んでしまえば、憎しみの矛先を向ける場所が必要だ。
 
 私の場合、硬く握った拳を振り下ろす先が無く、酷く虚しい気持ちになった。だからせめて、その場所があれば……浮かばれることは無くとも、多少は発散できるのではないだろうか。
 
歩夢「でもね、私、こうも思っちゃったんだ」
 
 だが、また口調が変わる。楽し気でも、怒気がこもるわけでもない。これは……羨望?
 
歩夢「──それだけ想って貰えるなんて、羨ましいなぁ……って」
 
侑「……歩夢」

 

147:(茸) 2023/05/03(水) 13:09:30.91 ID:zVn80gM6

歩夢「大切な人が消えちゃったからって、もう一度本気で会いに行こうとするかな?うぅん、普通はしないよね」
 
侑「……」
 
歩夢「正直、おバカな行動だと思うよ。でもね、おバカ理想に明日……手が届くかもしれないんだって。だから、ね、侑ちゃん……」
 
 いつの間にか、歩夢は私の衣服を掴みながら静かに泣いていた。声を押し〇すようにして震える声からは、嗚咽が聞こえる。
 
歩夢「お願い……この人を……侑ちゃんを、行かせてあげて……っ」
 
 侑ちゃん……。私のことを、まだそう呼んでくれるんだ……。
 
 歩夢はそう言い終えた後、乱暴に腕で涙を拭った。その後、真っ赤に腫れた瞼を開きながら、私と目線を合わせた。
 
歩夢「今のは……私から、侑ちゃんにしたお願い。そしてあなたに、侑ちゃんに質問したいことがあります」
 
 先ほどのような震えた声音では無い。毅然として真っ直ぐな声音だった。
 
歩夢「生きている歩夢と、死んじゃった歩夢。どちらか片方を救える可能性があるなら、どっちを選ぶの?」
 
侑「……え?」
 
 生きている歩夢と、死んじゃった歩夢?なんだその質問……。
 
 そのまま、歩夢は言葉を続けた。
 
歩夢「侑ちゃんが、その歩無魂って人が大好きなのは分かるよ。でも……まだ、歩夢は生きてるんだよ?」
 
 歩夢は、生きている……。それは間違いない、厳然たる事実だ。でも、それでも私は歩無魂の歩夢に会って、せめて一言お別れを……。
 
 私が心の中で言い訳のような物を考えている間、もう一度繰り返した。
 
歩夢「──歩夢は、まだ生きてるんだよ?」
 
侑「……っ」

 

148:(茸) 2023/05/03(水) 13:10:34.46 ID:zVn80gM6

歩夢「生者と、死者。選択に迫られた時、侑ちゃんはどっちを選ぶの……?」
 
侑「私は……」
 
 思わず唇を噛んだ。今の私には、到底答えが出せそうもない質問だった。
 
歩夢「……いいよ。今は答えなくても」
 
 そんな私に対し、やや呆れたような声を出された。歩夢から見て、今の私は酷くなさけなく映っているのだろう。
 
歩夢「でもね、歩無魂じゃない、元々の歩夢と一緒に過ごした六年間も、大切にして欲しいな……」
 
侑「……」
 
歩夢「……もし侑ちゃんが、会ったばかりの私たちの記憶を忘れちゃったら……私はすごく悲しい」
 
 涙声交じりに、歩夢はそう言った。瞼にも僅かに涙が浮かんでいた。自分のことではないが、同じ境遇になる可能性もあったんだ。
 
歩夢「これだけ。私が話したかったのは、これだけだよ」
 
 そう言うと、歩夢は後ろへ振り返って私の部屋を出ようとしていた。
 
 恐らく、歩夢はこう言っているのだろう。死んだ後も想い続けられるのは羨ましいけれど、生きている人はどうなるの?と。
 
 私はその問いに、しっかりと答えを出さなければならない気がした。
 
歩夢「──あ、だめ。まだ、言えてない」

 

149:(茸) 2023/05/03(水) 13:11:37.65 ID:zVn80gM6

 帰る間際、歩夢は戻ってきた。勢いよく私に向かって走り、勢いそのまま私を押し倒した。
 
侑「あ、あゆ──」
 
歩夢「──大好きだよ、侑ちゃん……。世界で一番、大好き……。絶対また、生きて会おうね……」
 
 胸深く顔を埋め、歩夢はそう感情のこもった声で呟いた。
 
 その言葉はきっと、言霊となって想い人に届いたのだろう。
 
 私はその言葉を……伝えられなかった。でも、伝えるために私は今、ここにいる。
 
 窓越しに丸い月が見えた。月が沈めば、明日になる。
 
──明日。全てが決まる。

 

150:(茸) 2023/05/03(水) 13:12:41.23 ID:zVn80gM6

──
 
 翌日の金曜日、私たちは無断で学園を休んだ。同好会全員が規則的にズル休みをしたのだ。帰った後はどやされるだろう。無事に、帰れれば。
 
 行きの船の中ではできるだけ息を潜めていた。どこにどんな監視の目があるか分からない。あの日■■島に行ったメンバーは、帽子を目深に被る等、それぞれが気づかれにくい格好を選んだ。
 
 とはいえ、私の推測だと花蘭が差し向けた監視の目は無い。なぜなら、花蘭が狙っているのは果林さんただ一人であり、他の私たちは生きていても問題ないからだ。それは、ただ一人にだけお酒を飲ませ、マーキングした点からもよく分かる。
 
 果林さんは■■島に来なかったら早晩呪いで死ぬだろうから、解呪のためには戻るしか方法は無いのだ。花蘭としては、大口を開けて果林さんを待っていればいいだけの話だ。
 
 では、どの毒牙が私たちに向かってくるのか。それは偏に、梔子集落の住人からだろう。集落の住人とって私や果林さん達は、警察に捕まる可能性のある凶行を見られ、生き延びられた人間だ。死にたくない気持ちと同程度には、捕まりたくないという気持ちが働くだろう。
 
 だからもし監視の目があるとすれば、それは住人の独断専行……。とはいえ、今の集落から勝手に人を出すとは思えないのだが。だからこそ、港から梔子集落までの道程は、安全なのではないかと踏んでいる。
 
 そこを越えれば、待っているのは文字通り伏魔殿だろう。
 
 そして何の起伏も無く、私たちは■■島に到着した。

 

151:(茸) 2023/05/03(水) 13:13:44.40 ID:zVn80gM6

──
 
果林「私の家は地図に記した通りよ。それに沿って行けば、一時間もすれば着くと思うわ」
 
璃奈「うん。任せて。連絡は、私が貸したスマホから出て」
 
果林「えぇ。任されたわ」
 
 着いて早々、梔子集落に向かう班と、果林さんの実家に向かう班に分かれた。
 
かすみ「侑せんぱ~い、果林せんぱ~いっ!ぜぇったい!生きて帰ってきてくださいよ~っ!!」
 
 そして背中に、かすみちゃんの元気な声が聞こえた。バレないようにいつもはしない格好をしているのに、大声で名前を言っちゃダメなのに……。
 
 まあでも、■■島は思ったよりも邪気に染まっていなかった。封印用のお札を剥がして花蘭の効力が爆発的に増したかと思ったけれど、意外とそうでも無かった。この調子なら、存外楽に事が運ぶかもしれない。
 
 そう思い、私は控えめに手を振った。その態度に、かすみちゃんは少々不満だったらしく、何やら身振り手振りで感情を訴えていた。それを、しずくちゃんと璃奈ちゃんで抑え込んでいた。
 
侑「……ふふ」
 
 思わず、笑みがこぼれる。それは果林さんも同様のようで、同じく温かな視線を向けていた。

 

152:(茸) 2023/05/03(水) 13:14:47.97 ID:zVn80gM6

果林「全く、あの娘たちったら……。気が抜けちゃうわね」
 
侑「そうですね。でも、なんだか逆にやる気が沸いてきましたよ」
 
果林「あら、奇遇ね。私も同じ気持ちよ」
 
 気が抜けたのに、逆に力が入る。変な話だが、あの光景こそ、私たちが帰る理由になるのだ。
 
果林「……それで、侑。今まで聞けなかったのだけれど」
 
 むんっ、と気合いを入れていると、おずおずと声を掛けられた。こんな果林さん、珍しいな。
 
果林「実際のところ、勝算はどれほどあるの?」
 
侑「あぁ……」
 
 勝算か。確かに、今日で一番重要なのはそこだ。自ら不利な環境に飛び込んで歩無魂の歩夢に会い、力が増した花蘭と対峙する。勝算について憂慮するのも無理はない。
 
 明らかに不安げな顔をする果林さんに対し、自信を持って言った。
 
侑「勝てますよ、絶対に」
 
果林「……根拠を聞いてもいい?」
 
侑「はい。今の■■島の状況ですよ。身を清め、精神修養に努めた私は悪い気……つまり邪気を敏感になっているんです。でも、今の■■島はそれほど邪気が濃いわけじゃないんです」
 
果林「邪気が濃いわけじゃない……。つまりどういうこと?」
 
侑「はい。民家でお札を幾つか拝借しましたよね?結果、花蘭の封印は緩みました。でも、緩んだ上でこの邪気の薄さです。それなら、多少力が増幅したところで私は祓えますよ」
 
果林「なるほど……。悪い気なんて一切感じられないけれど……。ま、侑を信じるわ。頼りにしてるわよ、私のナイト様」
 
侑「ナイト様、だなんて。あはは」

 

153:(茸) 2023/05/03(水) 13:15:53.19 ID:zVn80gM6

 私たち二人はそのまま、梔子集落に通じる歩道を進んでいった。すれ違う住人とはできるだけ顔と目を合わせないよう、不自然にならないくらい伏せながら。
 
 そうして小一時間ほど経つと、私たちの目的地である集落へ通じる道へと辿り着いた。そこは、以前は通らなかったしあることすら知らなかった道だ。
 
 馬鹿正直に、前に来た凸凹が激しい車道を通るのは自〇行為だろう。だから私たちは、別の道を探した。今は情報社会だ。現地へと行かなくとも■■島の梔子集落へと通じる道などいくらでも見つかる。
 
 今回私がチョイスしたのは、中でも見つかりにくく、尚且つすぐに隠れられるような林道を選んだ。
 
侑「よし、近くに身を隠せられそうな洞窟があるらしいので、そこまで行きましょう」
 
果林「えぇ。でもそれって、古い個人サイトに載ってた場所なのでしょう?今もあるのかしら」
 
侑「まあ、行ってみてのお楽しみですよ」
 
果林「ふふ。お昼寝中の熊にでも鉢合わせしたら最悪ね」
 
侑「やめてくださいよ、縁起でも無い……」
 
果林「冗談よ、冗談」
 
 周囲への警戒を怠らないよう注意しながら、私たちは林道へと入った。その林道は、正直に言えば酷く歩き辛い獣道みたいな感じだった。でもだからこそ、見つからずに集落へと侵入できると感じた。

 

154:(茸) 2023/05/03(水) 13:16:57.01 ID:zVn80gM6

 そして少し進むと、璃奈ちゃん達から連絡が来るまで待機予定の洞窟に辿り着いた。
 
果林「……虫の巣窟ね」
 
侑「はい……」
 
 中は細くうじうじした虫たちのパラダイスとなっていた。でも、これほど虫がわんさかいるのであれば、中に集落の住人が隠れているとかは無いだろう。
 
 確か、ここから十分、十五分ほどで梔子集落に到着する。待機場所としてはそれなりにいいと思う。
 
果林「ふ~……死ぬよりはマシ、ね。行くわよ、侑」
 
侑「は、はい。でもあまり奥へは行かないでください。身を隠せるほどでいいんですから」
 
果林「……えぇ。毒虫に噛まれて死んでもしたら、目も当てられないわ」
 
 死ぬこと以外は全部かすり傷精神で中へと進んだ。すると、少しだけ虫が私たちのスペースを開けてくれた。まあ、警戒してるだけなんだろうけど。
 
 さて、ここからは待機するだけだ。人の気配を探りつつ、警戒を怠らないよう待機だ。
 
侑「あ、そう言えば果林さん。スマホのアンテナってどうなってますか?」
 
果林「……大丈夫みたいね。璃奈ちゃんのスマホだし、何かしら改造して電波強度を上げているんじゃないかしら」
 
侑「あはは。まさか。それと、痣の具合はどうですか?」
 
果林「……えぇ。集落に近づけば近づくほど、熱を持ち始めているわね。でも、ぬるま湯程度だからそれほど心配しなくても良さそうよ」
 
侑「そうですか……」
 
 花蘭によって付けられた痣、呪いのリミットはまだ遠くらしい。この分なら、果林さんは強い霊場の中でも十分に動けるだろう。

 

155:(茸) 2023/05/03(水) 13:17:59.76 ID:zVn80gM6

 それにしても、本当に邪気をあまり感じないな。花蘭は人を操るほどの力を持つ強大な怪異だと思っていたけど、封印を緩めてこれなら、本当に大したことないかもしれない。
 
 私は今までで数回、怪異に立ち向かって祓った経験がある。だから、邪気の濃さで彼我の戦力さを大体把握できる。
 
 人を何人も操る大物なんて初めてだけど、この邪気の濃さなら……。もしかして、元々あの封印のために貼られていたお札はそもそも効力がほぼ消えていて、封印もほとんど全て緩んでいたんだろうか。
 
 その理屈なら納得がいく。
 
果林「──あ、見て侑」
 
 と、ここで果林さんに話しかけられた。警戒心を一気に高める。
 
果林「暗くてよく気が付かなかったけれど、あれって蝙蝠よね。暗闇を上手く使って隠れているのね」
 
 だが、ただの世間話だった。そちらを向いてよく目を凝らすと、確かに洞窟の奥の方に蝙蝠がいた。大声か石でも投げれば一気に飛び立って行くのだろう。そんなこと絶対しないけど。
 
 それにしても、体色の黒さが上手く保護色となり、見えづらくなっているのは夜を生きる彼ららしい。
 
 そこで、何か引っかかりを感じた。
 
侑「見えづらい……。それはきっと、蝙蝠自身が進化の過程で身に着けた、狩りを有利に進めるための策……」

 

156:(茸) 2023/05/03(水) 13:19:03.88 ID:zVn80gM6

 夜の闇は、蝙蝠である彼らを隠すのに適している。何も無いと油断していたら、そこをがぶりと噛みつかれる。
 
 もしかして、今の状況もそれに近いのではないだろうか。
 
 私は今、油断している。それは、経験から来る邪気の濃さによって。でももし、その邪気の濃淡を花蘭自身が──
 
 と、ここで、スマホのバイブレーションが鳴った。果林さんはスピーカーにして私にも聞こえるように操作した。これで恐らく、私たちの存在が完全に花蘭に察知されるだろう。
 
 幕が、上がった。
 
璃奈『──侑さんっ!果林さんっ!』
 
 電話口の璃奈ちゃんは、酷く焦った声音だった。
 
璃奈『果林さんの言う通りだった!あの座敷牢にいるのは花蘭じゃない!あそこにいるのは──』
 
 その電話の内容は、私を酷く震え上がらせた。
 
 まずい。花蘭でないとして、それが本当に真実であるならば。
 
 この邪気は、自ら抑え込んでいる可能性がある。敵の怪異は、恐ろしく周到で知性が高い。それは恐らく、私たちを油断させるために。
 
 誘蛾灯に群がる蛾のように、私たちは誘い込まれてしまった。
 
果林「……侑」
 
 果林さんが不安げに私の名を呼んだ瞬間、途轍も無い邪気が私たちを襲った。
 
侑「……くっ!!」
 
 なんてことだ。この邪気は……憎悪の濃さが別格だ。あのお札の封印は正しく、それでいてきち と機能していたんだ。

 

157:(茸) 2023/05/03(水) 13:20:38.12 ID:zVn80gM6

 これじゃあ、この怪異の力の及ぶ範囲は梔子集落だけじゃない……っ!
 
 ■■島全域……いや、日本丸々怪異の手の及ぶ範囲かもしれない。
 
 でも、私は怪異の真相を知った。だから、怪異の格がいくら高かろうと抗う術はあるはずだ。まだ、手遅れでは無い。十分に対処できる。十分に巻き返せる。
 
 だが、その前に果林さんを少しでも遠くに──
 
 その時、バツンッ、と接続が切れた。ゲーム機のコンセントを無理やり引き抜くような感覚だった。
 
侑「……嘘」
 
 数秒、視界が明滅した後、私の目の前には受け入れられない光景が待っていた。
 
侑「私の、部屋……」
 
 見慣れた家具の配置、見慣れた自宅の匂い、見慣れた、歩夢と二人で映っている写真立て。そして、別世界の私と接続するために貼られたお札の数々が目に飛び込んできた。
 
 ここは、私の部屋。それも、元の世界の私の部屋だった。

 

158:(茸) 2023/05/03(水) 13:21:41.87 ID:zVn80gM6

侑「力を見誤ってた……。強い怪異だって分かってたけど、まさか私との接続を切るほどの力があるなんて……っ!」
 
 だめだ。あっちの世界の私じゃあ怪異に太刀打ちなんてできっこない。果林さんも、あの邪気を受けて痣は急速に悪化するはずだ。
 
 早く、早く……あっちの世界に戻らなければ……!!
 
 私は栄養失調気味の体で立ち上がる。あっちの世界とこっちの世界の時間の流れは同じだ。数か月の時間軸のズレはあるが、流れる時のスピードは同様なのだ。私が向こうの世界の私に憑依している間は、魂が抜けることで栄養をあまり必要としない仮死状態になる。だがその揺り返しにより、戻った直後は上手く体を動かせなくなる。
 
 立ち眩みを感じながら、机の中に仕舞い込んでいた、より接続が強固になるようなお札をさらに貼り付けていく。でも、今の私が接続しようとしても、あっちの世界の怪異が邪魔してくる可能性は高い。
 
 だから、あっちの世界の歩夢に持たせた符を私の体に貼ってくれれば……。
 
侑「いや、だめだ。そんなことをしたら、歩夢が死にに行くようなものだ。でも……あぁ、もうっ!やるしかない!できなくてもやるしかないんだ!!」
 
 半ば自棄になりながら、私はもう一度あっちの世界に渡る準備をした。腰を落ち着け、瞼を閉じ、精神を一定に保つ。それをそのまま──
 
 と、ここで、床にあるスマホが震えた。一体こんな時に誰なんだ。集中を乱してはいけないため、メッセージの内容だけでも、とLINEを開いた。
 
 すると、同好会からのメッセージが二通。歩夢からのメッセージが三通来ていた。歩夢の方のメッセージを確認してみる。
 
『さよなら、侑ちゃん。私、戻ってこなければよかったね』

 

159:(茸) 2023/05/03(水) 13:22:46.34 ID:zVn80gM6

侑「……なに、これ」
 
 私はそのメッセージを、自〇の示唆と捉えた。その後に続く言葉は、もっと心に突き刺さった。
 
 なんで、なんで……。いや、理由は……分かる。歩夢が言っていた。同好会の人らと話が合わない、母親も自分のことを分かってくれない、と。
 
 そして私も、歩夢のことを分かってあげられない内の一人だった。歩夢の事情を一番把握しているのは私なのに、見ない振りをして歩無魂の幻影を追っていた。
 
 でも、まさかこうなるなんて……。
 
 どうしよう、どうする。どうすべきなんだ、私は。
 
 混乱で頭がどうにかなりそうだった。どちらの歩夢の下へ行くのが正解なんだ。
 
 私の、気持ちは。私の、本心は。どちらを……。
 
 そんな時、私は昨晩の出来事を思い出していた。
 
歩夢『生者と、死者。選択に迫られた時、侑ちゃんはどっちを選ぶの……?』

 

160:(茸) 2023/05/03(水) 13:23:50.09 ID:zVn80gM6

 生者、死者。
 
 六年間、十年間。
 
 私が助けたい方は。選びたい方は。
 
 二つの歩夢に揺れていると最後にもう一度、昨晩の歩夢が思い浮かんだ。
 
 
歩夢『──歩夢は、まだ生きてるんだよ?』
 
 
侑「……歩夢」
 
 カラカラの喉で、歩夢の名を呼んだ。腰を落ち着け、座禅を組んでいた足を崩した。
 
 思考が上手くまとまらない栄養失調気味の脳、力があまり入らない千鳥足、でも、それでも、私は立ち上がった。
 
 歩夢のその一言が、私を立ち上がらせた。
 
侑「行か、なきゃ……」
 
 壁に手を突きながら、私は蹌踉とした足取りで部屋を出た。
 
歩夢『でもね、歩無魂じゃない、元々の歩夢と一緒に過ごした六年間も、大切にして欲しいな……』
 
 あの六年間の続きを、始めるために。

 

168:(茸) 2023/05/04(木) 14:15:06.58 ID:kJlSH0Jz

──
 
 見慣れない坂を上っていく。できるだけ電化製品を使わないよう、地図を見ながら果林さんの実家を目指す。
 
せつ菜「それにしても、こうして歩いてみると普通の海沿いの街にしか見えませんね」
 
 周囲をやや警戒しながら、せつ菜さんがぽつりと漏らした。
 
璃奈「うん。侑さんが言っていたような、花蘭の力が増しているような感覚も無いし、正直拍子抜けしてる」
 
 空は晴天。気温も適温。視界も正常。すれ違う人に違和感も無い。警戒するのが馬鹿に思えるほど空気は呑気だった。
 
かすみ「でもさぁ、霊感なんて無いからそんなの気付きようがないよね……」
 
しずく「……私も霊感なんて無いと思ってたけど、あの部屋は……異常だったよ」
 
 かすみちゃんの一言に、しずくちゃんがやや影のある表情をした。
 
かすみ「あの部屋って?」
 
彼方「かすみちゃん。あんまり追求しないであげて」
 
かすみ「へぁ?え、あぁ、ごめん、しず子……」
 
しずく「うぅん、気にしないで。私もちょっと軽率だったよ」

 

169:(茸) 2023/05/04(木) 14:16:15.64 ID:kJlSH0Jz

 あの部屋。それは恐らく、果林さん達が経験したという、お札で封印を施されていた部屋なのだろう。その地下、座敷牢に今回の元凶であるという花蘭がいるらしい。
 
 座敷牢……。歴史の闇を感じる場所だ。
 
エマ「あ、もしかして、あそこじゃないかな?ほら、朝香って表札もあるし……」
 
 思考の沼にハマりかけた時、エマさんが果林さんの実家を見つけた。見た目はどこにでもあるような民家に見えた。そして確かに、表札には朝香と書かれていた。
 
愛「さぁて、早速探し物といきますか!」
 
璃奈「……外出してたりして」
 
 そんな私の杞憂を他所に、愛さんがインターフォンを押した。すると、すぐに返答があった。
 
『はい。どちらさま?』
 
 その声は、果林さんによく似ていた。声だけで色気を感じるため、魔性の声と言われても納得した。十中八九、果林さんの母親だろう。不在じゃなくて良かった。

 

170:(茸) 2023/05/04(木) 14:17:21.40 ID:kJlSH0Jz

愛「初めまして!果林の友人で同じ同好会の宮下愛です!」
 
『……え?果林の友人?それに、同じ同好会?そんな連絡、貰っていないのだけれど……』
 
愛「えぇと、果林に言われて、私たちだけで来たんです」
 
『それは……なぜかしら』
 
愛「えっと……果林の血筋に興味?いや、違うか。果林のご先祖さまに……?」
 
 愛さんは説得にしどろもどろになっていた。花蘭について、どう話を切り出せばいいか悩んでいるようだった。
 
 そもそも、私たちが果林さんの実家に行くのは保険のような意味合いが強い。ダメ押しの一手として、また、私たちに役割を与えるのが目的だ。だから、果林さんに死が迫っていること、侑さんがそれを解決しようとしていること等、迂闊に喋れば変な解釈をされてしまうかもしれないのだ。
 
 偏に、話す対象が果林さんの母親なのが問題だ。。娘の身に危険が迫っていると言われて心を乱さない母親がいるだろうか。
 
 ……一般的に考えれば、そうに違いない。
 
 だが、そんな私たちの気遣いを切り捨てる一言が聞こえた。
 
歩夢「──梔子集落について、知っていることを全て教えてください」
 
 声の主は歩夢さんだった。振り向くと、真剣な顔付きでインターフォンを見つめていた。恐らく、梔子集落に行っていない人の中でとりわけ強い思いを持ってここにいるのは歩夢さんだろう。

 

171:(茸) 2023/05/04(木) 14:18:33.78 ID:kJlSH0Jz

『……梔子集落。■■島の中でも森の奥深くにある集落よ。興味があるのなら──』
 
 だが、インターフォン向こうの声は解答になっていないことを言っていた。明らかに煙に巻こうとしている。それを悟ったのか、続けて歩夢さんは畳みかける。
 
歩夢「……果林さんは、呪われましたよ」
 
『──だからそんなに……え?今、なんて……』
 
歩夢「現在進行形で、果林さんは呪いに苦しんでいるんです。それを救えるのは、事情を知っている私たちだけです」
 
『そんな……もう……』
 
 冷静かつ淡々と、歩夢さんは言ってのけた。果林さんの母親と思しき人は、酷くショックを受けている様子だった。呪いという非科学的な概念を一蹴しないあたり、何らかの事情は知っていそうだった。
 
 私は、歩夢さんを援護することにした。
 
璃奈「お願い。教えて欲しい。果林さんは……解呪のために梔子集落に向かってるよ」
 
『……っ』
 
 その言葉が決定打となり、私たちは中へと入ることができた。

 

172:(茸) 2023/05/04(木) 14:19:37.73 ID:kJlSH0Jz

──
 
 玄関口、私たちはインターフォンの主と邂逅を果たした。
 
「初めまして。私は果林の母親です。娘と仲良くしてくれてありがとうね」
 
 果林さんのお母さんは、声以外はあまり似ていなかった。だが、時折見せる柔和で温かな笑顔が果林さんを彷彿とさせた。
 
「それで、果林は今どこに……」
 
エマ「大丈夫ですよっ。果林ちゃんは梔子集落に向かったけど、私たちの連絡があるまで待機してるだけですから!」
 
「そ、そうなのね……」
 
 エマさんが明るい口調で言うと、胸を撫でおろしていた。それから、ここまでの経緯をエマさんがかいつまんで説明した。
 
 その話を、お母さんは一切口を挟まず真剣に聞いていた。その雰囲気に、ややエマさんは話し辛そうにしていた。
 
「……そう。あそこは昔も今も、ずっと変わっていないのよね……」
 
 聞き終わるとぽつり、そう零した。やはり、何か事情を知っているらしい。私は単刀直入に聞くことにした。
 
璃奈「私たちが聞きたいのは、梔子集落で昔起きた事件の詳細、いや、真実。住人から〇されたのは、本当に花蘭なの?」
 
「……いいえ、違うわ。あの集落に巣食う怪異は花蘭じゃない。私たちは……『美醜』と呼んでいるわ」
 
 美醜。新たな単語が出た。そして、果林さんの推測は正に的を射ていたらしい。

 

173:(茸) 2023/05/04(木) 14:20:43.57 ID:kJlSH0Jz

「こっちにいらっしゃい。私の知っていることで良ければ、少しは話しましょう」
 
 私たちは茶の間に通された。お母さんも、詳細を話すには腰を据えた方がいいと判断したんだろう。
 
「それで、果林と一緒にあの集落に行ったって人は……」
 
彼方「彼方ちゃんと、エマちゃんと、しずくちゃん。そして、梔子集落に向かっている果林ちゃんと侑ちゃんです。あ、彼方ちゃんって言うのはわ、私のことです」
 
「そう……災難だったわね。いえ、まだ終わっていないのよね。そしてそのために、あなた達はここにいる……」
 
 お母さんは遠い目をしていた。形容するのが困難だが、来るべき日が来てしまった、みたいな表情をしている。その後、一度大きく深呼吸してから口を重々しく開いた。
 
「私たち朝香家にはね、生まれた子供に課する家訓が代々伝えられているの。一つ、生まれたのが女子であっても、短髪かつ活発に、男の子のように育てなさい。二つ、成人した時に朝香家の歴史を語りなさい、と」
 
 そう言えば、果林さんの昔の写真を見る機会があった。確かに、短髪で少年のような風貌をしていた気がする。
 
「一つ目は、女の子らしく育った結果、集落の人間に目を付けられる可能性があるからよ。美醜は輝かしい美貌を持つ人間に対し〇す動機を持つ。言ってしまえば、美醜への隠れ蓑に使ったわけね」
 
 果林さん達の話を聞くと、美醜は美人を主に狙っていたらしい。確かに、それへの対処と聞くと納得だ。でも……それならもっと根本的な解決法があるのに。私はちぐはぐさを感じていた。

 

174:(茸) 2023/05/04(木) 14:22:04.67 ID:kJlSH0Jz

しずく「少しいいですか?でもそれなら、■■島を出ればいいじゃないですか。そして遠くの土地で暮らせば、集落の人に見つかることもなく、女の子なのに男の子らしく振る舞うことも無いじゃないですか」
 
 私も、しずくちゃんと同意見だった。だが、そんな疑問は想定内だったのか、お母さんは自嘲気に笑った。
 
「えぇ。そう思うのも当然よね。でもね、■■島を出たせいで……花蘭は美醜に呪い〇されたのよ」
 
璃奈「なっ……。それは、どういうこと……?」
 
「私たち朝香家は、花蘭という美醜を生み出してしまった血筋でいる限り、この呪縛からは逃れられないのよ……。梔子集落の真実を知れば、すぐに分かるわ」
 
璃奈「……」
 
 ■■島から出られない。出れば、代々伝わる呪いで〇される。それはまるで、生まれながらに移動を制限されている家畜のようだった。
 
 そういえば、果林さんは梔子集落に行ったから呪いにかかったのかと思った。でも、実際は生まれた瞬間から呪われていたんだ。
 
愛「ん?でも待って。果林は東京に住んでるじゃん。島を離れてるけど死んでないじゃん」
 
 愛さんがそれに対し首を傾げた。確かに、果林さんは■■島を出てから既に二年以上経過している。なのに、死んでいない。それはなぜ……?
 
「……えぇ。だって、果林を東京に行かせたのは私だもの」
 
愛「……は?ちょ、どういうことですか?」
 
 言っていることが矛盾している。頭の中で幾つもの疑問符が浮かんだ。

 

175:(茸) 2023/05/04(木) 14:23:12.22 ID:kJlSH0Jz

エマ「……たぶん果林ちゃんは、綺麗に育ちすぎちゃったんじゃないですか?」
 
 そんな中、エマさんの暗い声音が部屋に響いた。綺麗に、育ちすぎた……?お母さんはその返答に対し驚愕していた。まさか当てられるとは思っていなかった、って顔だ。
 
「……えぇ。男の子らしく振舞おうとさせても、果林はどんどん綺麗に美しく育っていった。それに、果林自身もおしゃれに興味を持ち始め、都会へ憧れるようになっていったわ」
 
 お母さんは苦し気に、でも、娘の成長の語り口は酷く滑らかだった。
 
「女性として日々磨かれていく果林を見て……このままだと集落の住人に見つかるのは時間の問題だと思ったわ。それなら、美醜の悪意で〇されるのならいっそ……短く花を咲かせ、散るのが果林のためなのかも、と思ってしまったのよ……」
 
愛「短く花を咲かせ、って……。果林のことを、見〇しにしたってわけ……?」
 
「……そうね。東京なら、■■島とほど近いし、呪い〇されるとしても時間がかかると思ったわ。真綿で首を絞めるように、木製の鋸で首を落とすように……」
 
愛「……そんなのっ」
 
 愛さんが勢いよく立ち上がろうとした瞬間、エマさんが制止した。
 
愛「何すんのさ!母親なら、そんなの止めるべきじゃんよ!!」
 
エマ「愛ちゃん、少し静かにして」
 
 エマさんは凄みのある重低音だった。目元も見たことが無いほど鋭かった。愛さんも思わず唸った。

 

176:(茸) 2023/05/04(木) 14:24:21.52 ID:kJlSH0Jz

エマ「……果林ちゃんと、連絡を取ってますか?」
 
 そんなエマさんから発せられた言葉は、何気ない世間話に思えた。
 
「えぇ……。頻繁に取っているわ。スクールアイドルを始めてから、本当に幸せそうだわあの娘……」
 
エマ「そうですか。良かったですね」
 
愛「良かったですね、って……エマっち……」
 
 事務的な会話のように淡々としていた。だが、私はエマさんの言わんとすることが少しずつ見えてきた。その証拠のように、お母さんは暗い顔になっていた。
 
「……でも、でもね……あの娘が幸せそうな報告をすればするほど……その行く末が悲惨なことに気付いてしまって……。この■■島で細々と、でも長く生きていくのが正解だったのか、それとも、短くても堂々と生きていくのが正解だったのか、分からなくなるのよ……」
 
 いつの間にか、口の端から血が滴っていた。それほど、お母さんは辛い苦悩の中にいたらしい。
 
 ……もし、私なら。愛して止まない人が、もうすぐ呪い〇されると知っていれば。私は……。
 
 でもそんな中、エマさんはお母さんの肩に手を置いた。その拍子に、二人の視線が交差した。
 
エマ「お母さん、正解です。だって、私たちはそのためにここにいるんですよ!果林ちゃんを呪い〇させたりなんてしないっ!東京へ来たのは、呪いに立ち向かう仲間、私たちに会うためだったんですよ!」
 
「──」
 
 お母さんは目を見張っていた。そう、正解、不正解、それを決めるのは時期尚早だ。だって、そのために私たちはいるのだから。
 
エマ「だから、安心して話してください。私たちはスクールアイドル。怪異にすぐやられちゃうようなやわな鍛え方はしてませんっ!むんっ!」
 
 エマさんの可愛らしい力こぶが現れた。その姿を見て、お母さんは静かに口元を緩めた。
 

 

177:(茸) 2023/05/04(木) 14:24:44.52 ID:kJlSH0Jz

「……これが運命と、受け入れるつもりでいたけれど……あなたたちはまだ諦めていないのね」
 
エマ「はいっ!まだ、果林ちゃんとはしたいこと、やりたいことでいっぱいですから!」
 
「ふふ。あの娘、本当にいいお友達を持ったのね。本当は……真実なんて話す気は無かったけれど……いいわ。果林を救うため、朝香家の因縁にケリをつけるために、話すわ」
 
 そして今、パンドラの箱が開かんとしていた。

 

178:(茸) 2023/05/04(木) 14:25:48.62 ID:kJlSH0Jz

──
 
「この話は、朝香家の家訓において成人後に話す決まりとなっているわ。理由としては、この土地で死ぬまで根付かせる覚悟と諦めを行うため。その中には、先ほど言った他の土地へ行けば死ぬという内容も含んでいるわ」
 
 成人後。親元を離れるか否か、そういう重要な判断は確かにその時期なんだろう。私はまだ高校生だから詳しくは分からないけれど……。
 
「そして、本題の梔子集落で起きた真実……。〇された花蘭が美醜となった、というのが通説だけれど、本当は真逆よ。花蘭が〇した相手が、美醜となったの」
 
 花蘭が〇した相手が、美醜……。果林さんの見ていた夢では、自らが加害する立場だったそうだ。つまり、加害していたのが花蘭であり、狂気的に暴力を楽しんでいたのが彼女だったのだろう。
 
「では、花蘭が〇した相手は誰なのか。それは、梔子集落で忌み子として生まれた……花蘭の姉よ。今では名前を呼ぶことすら憚られてしまったから、美醜と呼ばれているわ」
 
彼方「忌み子……」
 
「梔子集落の成り立ちは知っている通りよ。口減らしとして捨てられた人たちが集まってできた集落。だから、日々の暮らしは貧窮していたわ。でもね、一つだけ鉄の掟が集落にはあったの。それは、どんなに飢え苦しんだとしても、絶対に口減らしを出さない、ということ」
 
 その掟には、住人のどんな思いが乗っているのだろう。想像はできる。でも実際は、常人には及ばない思いの上にできたんだろう。

 

179:(茸) 2023/05/04(木) 14:26:52.94 ID:kJlSH0Jz

「美醜は、生まれた時からこの世の穢れを全て引き受けたような醜い顔をしていたそうよ。子供を取り上げた産婆はその場で激しく嘔吐し、産んだ母親は妖魔を産んでしまったと気絶したそうね。でも、そんな忌み子であったとしても、両親は捨てなかった」
 
せつ菜「鉄の掟、だからですか……」
 
「えぇ。産婆と両親は結託し、流産と集落に説明したわ。忌み子を育てている家庭とあっては、世間体的によくなかったのね。でも、それよりずっと悪いのは、忌み子を〇したとバレること。美醜は家の地下……座敷牢にてひっそりと育てられるようになったわ」
 
 だから、座敷牢に美醜がいたんだ。美醜の育てられた場所であり、集落の人間から隠し通すための場所だったんだ。
 
「両親には二つの選択肢があった。次の子を産む、産まない。二人は決断した。次の子に賭けよう、と。結果は……黄金の卵が産まれたわ。花蘭という、花のように、蘭のように美しく、それさえも置き去りにしてしまうほどの美貌を持つ女性がね……。二人は理解したわ。あの忌み子は、花蘭という黄金を産むための反動なのだと」
 
しずく「そんなの、あんまりです……。彼女だって、望んでそう生まれたわけじゃないのに……」
 
かすみ「しず子……」
 
 共感力の強いしずくちゃんは泣いていた。かすみちゃんがそんなしずくちゃんをあやすように髪を撫でていた。
 
「けれど、その美貌に合うだけの心を併せ持つとは限らない。花蘭は物心が付く前から、自らの美しさに気付いたわ。そして座敷牢に住む、太陽を知らない美醜を知るの。花蘭にとって美醜は正に、真逆の存在。下の者を見て悦に浸るように、花蘭は美醜を弄び始めるわ。外から取ってきた小石を持ち込み、美醜に全力で投げる。醜い顔に醜い声。鈴を転がすような花蘭の喜悦の声が座敷牢に響いたわ」
 
 聞いた話とも真逆だった。花蘭は身も心も美しい病弱な女性じゃなかったのか。いや、美醜という打擲できる存在がいたからこそ、その張りぼての美しさを保てたのかもしれない。もしかしたら……病弱というのも嘘かもしれない。全て、自分を飾り立てるための嘘……。

 

180:(茸) 2023/05/04(木) 14:27:55.79 ID:kJlSH0Jz

「そんな花蘭に、転機が訪れるの。旅人の男が現れこう言うの。『都でもこんな美しい人は見たことが無い。望めば殿様の妾か大名の妻になれるかもしれない』と。花蘭はその言葉に惹かれるわ。小さな島の、小さな集落の、小さな姫よりも、輝く都の中でも一際輝く姫に……なりたいと願ったのよ」
 
愛「じゃあ、美醜も花蘭から離れられるんじゃ……」
 
 愛さんの一言に、お母さんは首を振った。
 
「離れたがらなかったのは、花蘭の両親よ。二人は都という大きすぎる場所よりも、小さな小さな集落の頂点でいることを望んだわ。花蘭が自らの手を離れれば、他の住人から貢物がひっきりなしに来る今の贅沢な暮らしができなくなると考えたからよ。既得権益を手放したがらないのはいつの時代も同じね」
 
 もしかして、そのストレスが故に花蘭は美醜を手にかけたのだろうか。いや、違う。この先、村は二分されるんだ。
 
「出て行くと言えば〇さんばかりの様子の両親に、花蘭は悩んだわ。でも、花蘭には強い味方がいたの。それは、先ほど言った旅人。彼の正体は、都から流刑地の調査に来た下級役人だった。下級役人は自らの立身出世のために、花蘭を上の人に献上しようと考えるわ。花蘭と下級役人。二人の目的は合致したの」
 
 その言葉に、嫌な想像が脳を過る。喉がカラカラに渇くのを感じながら口を開く。

 

181:(茸) 2023/05/04(木) 14:28:59.06 ID:kJlSH0Jz

璃奈「まさか……村が二分したのって……」
 
「そういうことよ。下級役人は集落の住人の一人として過ごし始め、少しずつ、少しずつ火種を作っていったわ。それは住人が抱く花蘭への恋慕。それを妬み嫉みという形で火種を大きくしていき、結果的に村長派と花蘭派に二分されるまでになった」
 
 花蘭……。自分の幸せのためなら、人の生き死になどまるで関係無いのかもしれない。圧倒的な下の存在である美醜を見ていたからだろうか。その精神は神にまで達していたのかもしれない。
 
「集落にて起こった住人同士の〇し合い。そのさなか、花蘭は口封じと憂さ晴らしに両親を〇し、座敷牢に行くわ。そして最後の……美醜への暴力が始まったわ。恐らくここが、果林の見ていたという夢だと思うわ。呪いによる死が近づくにつれ、花蘭の血に残った記憶が見せたのかもしれないわね」
 
 だから、果林さんは加害をする立場だったんだ。今の話を聞いた後だと、夢の内容に強い現実味を帯びた。
 
彼方「……おぇっ。ご、ごめん。彼方ちゃんは、大丈夫だから……」
 
 それを想像してしまったのだろう。彼方さんが吐き気を催していた。愛さんが背中を擦っていた。
 
「念入りに顔を潰した後、花蘭は家の外へ出たわ。座敷牢で凄惨に〇された美醜を置いて。そして下級役人の手引きを経て、彼女は集落を脱出したわ。そして……顔以外の背丈は似ていた美醜が、花蘭の死体であると間違えられ、美醜が花蘭の死体となった……。これが、梔子集落で起きた真実よ」
 
 話が終わった後、部屋は暗い雰囲気に満ちた。でも、収穫はあった。これを侑さんに話せば、美醜を祓うのに役立てるかもしれない。あれ、でも一つだけまだ疑問が残った。
 
璃奈「その後、花蘭はどうなったの?」
 
 そう、その後の花蘭だ。確か、この後花蘭は……あぁ、美醜に──

 

182:(茸) 2023/05/04(木) 14:30:02.19 ID:kJlSH0Jz

「──都入りを果たし、花蘭は大名に嫁いだわ。けれどね、花蘭の周りで不審死が多発するの。それを彼女は美醜の呪いであると考えたわ。でも、花蘭はそれを受け入れられなかった。なぜなら、自分よりも遥か下だと思っていた人間によって〇されそうになっていたから。花蘭はそれから、常軌を逸した行動に出始めるわ。それは……自分の血筋を各地にバラまくこと。自分が死んだとしても、血族が生き残れば負けじゃない……なんて思ったのかしらね」
 
しずく「自分の血筋をバラまくって……」
 
「大名に嫁いだ立場を捨て、様々な場所で子を産んだらしいわ。でも、子はすぐに死んでしまい、花蘭もそれを追うようにして死んでしまうの。彼女の最期は……全身の穴という穴から血が噴出した、という想像を絶する死に方だったそうよ」
 
 思わず身震いした。そんな死に方、絶対にしたくない……。まさか、果林さんも今のままでは……?
 
 この母親は、そんな末路だとしても果林さんを東京に行かせたのだろうか。
 
「でも、花蘭には一人だけ子供が残っていた。それは、下級役人との間に作った子よ。彼は■■島へと戻り、森の奥深くで暮らし始めたわ。これからの生涯全てをかけて償いに生きる、と。その甲斐あってか、彼は生涯を全うし、その子供も港近くの漁村の人と子供を成したそうよ」
 
 そして、花蘭の血筋は消えずに今も残っていると……。恐らく、その下級役人が子供に呪いのことを伝えたのだろう。それが脈々と今も残っており、呪いもまた機能し続けている。
 
「そして……これは私の勝手な憶測よ。きっと、美醜の呪う相手はもういないわ」
 
 話の最後に、お母さんは奇妙なことを言った。
 
璃奈「……どういうこと?それじゃあなんで果林さんは呪われ続けているの?」
 
「人から怪異となった以上は、未練が消えたからと言って成仏できるわけではないのよ。それも、美醜のように花蘭や下級役人、集落に強い憎悪を抱いているのだから。けれど、花蘭が死んだことで呪いの効果は薄まり、■■島でなら生きられるようになった。でも、美貌に恵まれた人、外から来た男性とかには憎悪の幻影を感じるのね。だから〇意をバラまき、死体を作り続ける……」
 
 でも、確か侑さんが会いたがっている歩無魂は、未練を解消して成仏したはずだ。いや、歩無魂はそもそも特定の人物・場所に恨みを持っていない。だから対処が楽だったんだ。

 

183:(茸) 2023/05/04(木) 14:31:06.59 ID:kJlSH0Jz

璃奈「それじゃあ、もう本当に……力で祓うしか方法は無いの?」
 
 私の口からは、いつの間にかそんな声がでていた。力で祓う。これがお台場にいた頃考えていたことのはずで、美醜に対して同情の念なんて無かった。
 
 でも、真相を知ってしまえば……美醜が可哀想だ。虐げられ続けた人生の中、怪異となり人を憎むようになった後も、力で祓われるのは嫌だった。せめて最期は……と思うのは、私が甘いのだろうか。
 
「……いえ、もしかしすれば……他の未練。花蘭を〇す以外の、負の感情ではない、もっと温かな望みを叶えてあげられれば……。救われるのかもしれないわね」
 
璃奈「温かな望み……」
 
 そんな物、本当にあるのだろうか。生まれた瞬間から嫌悪され、その一生を座敷牢の中で過ごしたのだ。
 
 そんな中で、希望など抱けるのだろうか……。
 
しずく「……って、璃奈さん!時間っ!」
 
 その時、焦ったようにしずくちゃんに声を掛けられた。私は慌てて家の中にあった時計を見ると、思った以上に時間が経過していた。侑さんと果林さんを待たせ過ぎている。早く電話しないと……。
 
璃奈「うん。今すぐに電話をする。たぶん、これで美醜には勘付かれるけど、これがスタートの合図だよ」
 
 みんなの顔を確認する。侑さんは言っていた。心霊・怪異は電化製品に深い関係があると。だから恐らく、これで察知される。それと同時に、これが端緒となる。
 
 電話をかけると、1コールで出た。

 

184:(茸) 2023/05/04(木) 14:32:10.73 ID:kJlSH0Jz

 だがその一瞬で、私は嫌な想像をしてしまった。美醜は、思った以上の存在だった。怪異として抱く憎悪に説得力があり過ぎる。だからもしかして、想定より美醜は途轍もない怪異なのではないだろうか。
 
 そんな焦りがつい、声音に出た。
 
璃奈「侑さんっ!果林さんっ!果林さんの言う通りだった!あの座敷牢にいるのは花蘭じゃない!あそこにいるのは、花蘭の姉の美醜っていう怪異だった!」
 
 私はそこから、端的に、要所をかいつまんで説明をした。この電話は聞かれているという緊張感を持ちながらも、恐怖心に負けないように心を強く保った。
 
 頭が今までに無いほど回っていた。饒舌に語る舌は多くの情報量を端的に述べさせた。
 
 そして私の心が、美醜への対処に関係の無いことを発せさせた。
 
璃奈「──だから、だから……。美醜は、ずっとひとりぼっちで、楽しいことも、嬉しいこともない人生だったから……」
 
 口は、いつの間にか動いていた。私は何を話しているんだ。こんなの、今言ってもしょうがない。今必要なのは、美醜へと対抗する為の情報だ。
 
璃奈「その最期がみんなから疎まれながら祓われるだなんて……そんなの、悲し過ぎる……。だから、だから……っ」
 
 目一杯の空気を吸い込んだ。私はありったけの感情を込めて言葉を口にする。もう、止められなかった。
 
璃奈「お願いっ、私は美醜を救いたい……っ!!」
 
 お願い。私は結局、お願いをするしかない。怪異への対処法を知っているわけでもなく、気を引けるわけでもない。何の力も持たない癖に言葉だけは一丁前。
 
 自己嫌悪が上塗りされていくが、不思議と清々しい気分だった。私は二人の返答を待つ──予定だった。

 

185:(茸) 2023/05/04(木) 14:33:14.61 ID:kJlSH0Jz

 それは、一瞬だった。一瞬で世界は一転、一変した。突然身の回りが氷河に閉ざされたような感覚に陥る。凍えそうなほどの悪寒が全身を走り抜け、鳥肌が立った。
 
 私の世界は確実に、その時止まっていた。それと同時に気付く、電話がいつの間にか切れていることに。
 
 世界が色と時間を取り戻す契機となったのは、冷や汗が地面に落ちた音だった。
 
璃奈「これは……なに?」
 
 今も尚、皮膚の数ミリ先に嫌な感じがあった。明らかに、雰囲気が一秒前とは別格だった。自然と、恐怖で体が震えた。
 
エマ「──みんな、あれ、見て……」
 
 空気が弛緩する中、顔を蒼白に染めたエマさんの言葉が聞こえた。指を指す方向は外の景色が見られる窓。
 
 窓の外は……真っ赤に染まっていた。
 
璃奈「赤い、空……」
 
 夕方なんて雅な色合いでは無かった。もっと生々しく赤黒い、死体の血液で描いた空のようだった。
 
 私たちは世界が一変したことへの困惑、そして赤き空への恐怖に囚われていた。でもそんな中、歩夢さんだけは別だった。
 
歩夢「……きっと、侑ちゃんは困ってる」
 
 ぽつり、そう漏らす歩夢さんの表情は明らかに焦っていた。玄関へと走り出そうとする歩夢さんだったが、その腕を掴む手があった。それは……果林さんのお母さんだった。

 

186:(茸) 2023/05/04(木) 14:34:20.77 ID:kJlSH0Jz

「……」
 
歩夢「あの、ちょっと……離してください。い、痛いですっ!」
 
 お母さんは目を伏せながら掴む手を解かなかった。一言も、言葉を発さずに。その異様さに嫌な予感がした。
 
璃奈「手を、離して……っ」
 
 お母さんの腕を掴み、力ずくで離そうと試みた。でも、私の細腕ではビクともしなかった。おかしい、異常だ。ビクともしないなんて、脳のリミッターを外して火事場の馬鹿力でも出さなきゃ……。
 
 私と歩夢さんが苦闘していると、緩慢な動きでお母さんの顔が上がった。その顔を見た彼方さんとエマさんは瞠目した。
 
彼方「……っ!エマちゃん!この人の目!」
 
エマ「うん……。あの時の目だ」
 
 あの時の、目……?私が顔を確認するよりも先に、二人は強引にお母さんを制圧にかかった。体当たりをかまして強引に歩夢さんの手を離させ、お母さんを床に固定した。そして、その目を見た。
 
 黒目が一切無く、けれど眼球だけが忙しなく動き回っていた。
 
彼方「これは……美醜に憑りつかれた人特有の症状だよ。彼方ちゃん達は、侑ちゃんから貰った符があるから凌げているけど……」
 
 かさり、ポケットに入れておいた符が音を立てた気がした。彼方さんの言葉で、一つの事実が確定した。
 
璃奈「美醜の影響範囲が、■■島全域に広がったってこと……?」
 
かすみ「……え、りな子、それって……」
 
璃奈「……うん」
 
 先ほどの悪寒は、侑さんの言うところの邪気が発露された結果なのだろう。そして邪気がここまで届き、果林さんのお母さんが影響下にあるということは……。
 
璃奈「外は、既に地獄かもしれない……」
 
かすみ「嘘でしょ……」

 

187:(茸) 2023/05/04(木) 14:35:26.57 ID:kJlSH0Jz

 美醜の支配下に置かれたからお母さんは眼球がひっくり返ったのか、それとも色濃い邪気を生身で受けたから反応してしまっただけなのか。
 
 もし、■■島全域の住人を支配下に置き、尚且つそれを運用されるとなると……私たちの生存は危うい。
 
エマ「──ここを、出るしか無いよ」
 
 これからどうするか悩んでいると、力強くエマさんが言った。お母さんは近くにあった紐で強引に拘束されていた。
 
せつ菜「出るって言ったって……外は美醜に操られた人だらけかもしれないんですよね。ここに残っていた方がいいんじゃないですか?」
 
エマ「うぅん。だめ。窓を割れば中に入れるし、玄関のドアだって武器を使えば強引に入れるよ。その前に……私たちも梔子集落に行こう」
 
せつ菜「……えぇ!?それこそ自〇行為じゃないですか!」
 
璃奈「エマさん……そう思う根拠は何?」
 
 エマさんの覚悟が決まった顔を見る限り、やぶれかぶれの発言とは思えない。でも、合理的とも思えなかった。
 
エマ「たぶんだけど……侑ちゃんも予想してないことが起きてるんだよ。だから、きっと侑ちゃんと果林ちゃんは困ってる。だよね?歩夢ちゃん」
 
歩夢「……はいっ!」
 
 歩夢さんの溌剌とした受け答えに、エマさんは満足げに頷いた。
 
エマ「じゃあ、私たちもここにいちゃいけないよっ。だから、行くんだよっ!」
 
璃奈「だから、って……」
 
 滅茶苦茶だ。でも、やぶれかぶれ、自暴自棄の末の結論とは思えなかった。本当に、それが正しいと心の底から思っている顔だった。

 

188:(茸) 2023/05/04(木) 14:36:33.25 ID:kJlSH0Jz

しずく「私も、エマさんと同じ気持ちです。ですよね、彼方さん」
 
彼方「うん。彼方ちゃんも、集落に行って一旗揚げてやるぜい!」
 
 同調したのは、あの日集落に行った二人だった。私たちと、この三人……何が違うと言うのだろうか。
 
エマ「しずくちゃん、はい、これ」
 
しずく「これは……ふふ。腕が鳴りますね」
 
 エマさんは棚の上から何か取ってしずくちゃんに渡した。それは……この家の車のキーだった。しずくちゃんは車のキーを強く握り、一度大きく深呼吸した。
 
 その後瞼を閉じ、顔を伏せたしずくちゃんだったが、次に顔を上げた時は頼もしさを感じるほどの精悍さを纏っていた。
 
しずく「──璃奈さん、せつ菜さん、愛さん。行きますよ」
 
 そんなしずくちゃんから発せられた声は、胸を……いや、脳を震わせた。そこには、有無を言わせない大女優がいた。
 
 私たち三人は、いつの間にか深く頷いていた。
 
 その後、警戒心を最大にまで高めながら玄関のドアを開け、外に出た。ここへ来た時は確認していなかったけれど、朝香家にあった車は三列シートだった。軽だった場合を想定したけど、杞憂だったらしい。
 
しずく「皆さん、乗りましたね?」
 
 運転席からしずくちゃんの頼もし気な声が聞こえる。いつものお嬢様のような清楚さはなりを潜め、強気なカーレーサーのようだった。たぶん、いや間違いなく、そういう役を降ろしているんだろう。

 

189:(茸) 2023/05/04(木) 14:37:39.12 ID:kJlSH0Jz

エマ「うん!おっけーだよっ!人を轢かないように私も警戒するから、最短距離で集落に向かうよぉ!」
 
しずく「免許も持たない、謙虚も持たない、凄腕ドライバー桜坂しずく……どんな坂でも上って見せましょう!」
 
 しずくちゃんは慣れた操作で車の準備を終え、発進した。どうやら、頭のシフトレバーが変なところに入ってしまったらしい。
 
歩夢「あれ、少し遠くに人影が……」
 
 後部座席から少し身を乗り出し、歩夢さんが呟く。確かに、赤黒い空が映し出す景色の中、人影が見えた。
 
 果林さんの実家の周りに民家はあまり無かったが、美醜の差し金でここへ来たのだろうか。
 
しずく「仕方がありません。迂回しま──」
 
歩夢「……嘘」
 
 と、しずくちゃんが迂回しかけた時、歩夢さんが何かに気付いた。
 
歩夢「しずくちゃんっ!あの人に近づいて!!」
 
しずく「……え。近づくんですか?でも、近づけば轢いてしまう可能性が……」
 
歩夢「いいから!!」
 
しずく「……どうなっても、知りませんからね!」
 
愛「えぇ!?マジで言ってんの歩夢っ!いったいあの人がなんだって言うのさ!」
 
 歩夢さんの独断で、あの人影の正体を確かめることになった。あの焦りようを見る限り、何かはあるんだろうけど……。でも、シルエットすら怪しいくらいの距離にあの人影はある。

 

190:(茸) 2023/05/04(木) 14:38:44.63 ID:kJlSH0Jz

 それこそ、毎日見慣れている人でない限り、特定は不可能だと思うけど……。
 
 でも、そのシルエットの輪郭が明確になっていく内に、なぜ歩夢さんだけが先に気付いたのか分かった。
 
歩夢「やっぱり……私だ……」
 
 そう。遠くの方にいた人影は、歩夢さんだった。車に乗っている私服姿の歩夢さんではなく、制服を着ていた。
 
彼方「あ、歩夢ちゃんが二人ぃ……?こ、これも美醜の仕業ってこと……?」
 
 美醜がわざわざ歩夢さんの幻影を作り出す……?そこにどんなメリットがあるのだろう。
 
 そして、もう一人の歩夢さんもこちらに気付いた。すると、目を大きく見開き、満面の笑みでこちらに大きく手を振った。
 
かすみ「……なんか、めっちゃ歓迎してますけど……?」
 
 それは、十年振りに親友と会うような素振りだった。美醜のせいとは思いにくい反応だ。だが、歩夢さんはその素振りに何か気付いた様子だった。
 
歩夢「あの娘も、梔子集落に連れていこう」
 
せつ菜「……え。なに言ってるんですか歩夢さ……って!走ってる最中にドア開けないでくださいよ!」
 
 歩夢さんの剣幕により、しずくちゃんは強制的に車を停車させられた。そして、もう一人の歩夢さんが中へと入り込んできた。急な展開の連続で緊張すらも付いて行かなかった。
 
 もう一人の歩夢さんと、少し身構える私の目が合った。すると、あふれ出した感情そのまま、と言った風に抱き着かれた。

 

191:(茸) 2023/05/04(木) 14:39:50.77 ID:kJlSH0Jz

「──璃奈ちゃんっ!会いたかった……もう一度、会いたかったよっ!」
 
璃奈「……あ、え?」
 
 思わず目が白黒してしまう。脳がついて行かない。美醜が差し向けた手先かと思えば、抱き着かれ感激されてしまった。
 
「それに、しずくちゃん、エマさん、愛ちゃん、せつ菜ちゃん、彼方さん、かすみちゃん!もう一生会えないと思ってたけど……。あはは、一生なんて言ったらおかしいかな」
 
 抱擁されながら、みんなとの出会いに涙ぐんでいた。私は今発した言葉の一節が引っかかった。
 
 一生なんて言ったらおかしいかな……?
 
歩夢「……あの、あなたはもしかして」
 
 歩夢さんはおずおずと言った風に、言い難そうに口をもごもごさせた。
 
歩夢「歩無魂、さん……ですか?」
 
璃奈「……え」
 
 歩無魂?
 
 私の困惑を他所に、もう一人の歩夢さんが柔和な笑顔を浮かべた。
 
歩無魂「初めまして。向こうの侑ちゃんがお世話になってます。歩無魂です!」

 

199:(茸) 2023/05/05(金) 13:21:07.85 ID:/B2yVrm9

──
 
 私の居場所はどこにあるんだろう。私は何になればいいんだろう。私はどうすれば、みんなに認めて貰えるんだろう。
 
 そんな思考だけがぐるぐると頭を巡っていた。
 
 学園に行く。私に話しかけてくれるみんなと会話してみる。でもそれは、私へ振られた会話ではなく、歩無魂の人格だと思って振られる話題だった。私にできることは愛想笑いでその場を済ませることだけ。
 
 同好会の人たちを見かけた。でも、以前のように軽々と話しかけられなかった。拒絶されることは分かり切っていたから。私が何を言っても、謝罪しても、地面に頭を擦りつけても、それは拒絶されるって分かったから。
 
 私たちは血の通った人間だ。建前だけの心の無い謝罪なんてすぐに見透かされてしまう。でも、仕方がないじゃないか。私はみんなの気持ちを、みんなじゃないから分からない。だから、形だけでも謝罪しようとした。無駄だと分かり切っていても。
 
 でも、私の感情のこもっていない謝罪に意味と価値は無い。それに、私は私自身を悪いとは思っていない。全ての元凶は歩無魂であり、分からず屋のみんなが悪いと結論を下した。つまり、この話は平行線に終わってしまったのだ。

 

200:(茸) 2023/05/05(金) 13:22:10.49 ID:/B2yVrm9

 だからと言って、私の欲しかった居場所は戻るわけじゃない。侑ちゃんは忙しそうに方々を飛び回っている。スマホに折角付けたGPS機能だったけど、そもそもスマホを持たずに出歩いているらしい。
 
 侑ちゃんからも私の居場所は辿れるはずだけど……見てるわけないよね。
 
 自然と、私は孤独になった。話を合わそうとしても小さなすれ違いが重なり、私に話しかけてくれた人は離れていった。そんな日々を、数か月過ごした。
 
 その間、侑ちゃんとの会話はまるっきり無かったし、スクールアイドル同好会の活動の話は聞かなかった。私と歩無魂を中心に起こった出来事の渦中にいた人たちだけ、時間が静止しているようだった。
 
 誰とも関わらない日々は辛かった。歩無魂のせいで人格が閉じ込められていた時とは違うのに、誰かと触れ合えるのに、触れ合えない。そうした無力感が私を苛んだ。
 
 ふとした時、鏡に映る自分の顔を見た。まるで死んでいるような顔つきだった。誰かと触れ合わなければ、人は徐々に死んでいくのだと思った。お母さんはこんな私を酷く心配していたけれど、私は大丈夫と笑顔を作った。
 
 お母さんの思う歩夢ではないと知られれば、私は家の居場所すら失う。孤独に苦しむことさえ、許されなくなってしまう。
 
 怖かった。誰かと触れ合うのが。
 
 触れ合えば、絆が少しずつ削れて行くような気がして。
 
 でも、触れ合わずとも絆は目減りしていく。関わらなければ、人との関係は消えていくんだ。

 

201:(茸) 2023/05/05(金) 13:23:13.26 ID:/B2yVrm9

 八方塞がりだった。どう足掻いたとしても、私は独りだった。
 
 そんな私が、人以外の拠り所を探すのは当然だった。没入できて、尚且つ孤独を感じないようなコンテンツは、この現代社会において溢れていた。
 
 動画、配信、音楽。心にできた大きな虚ろを、どうでもいい、興味も無いコンテンツで埋めた。埋めた穴はすぐに開いたけれど、それを詰めるだけの材料だけは無限にあった。
 
 そうした生活を続けていく中で、私は思考を放棄していた。考えないで自分の頭を埋めてくれるコンテンツ群。私の中に私は、砂粒一つしか残っていないように思えた。
 
 でも、相変わらず学園には行ったし、食事だって摂った。そんな生活の中で、もうスクールアイドルはしないんですか?と、歩無魂のファンらしき人から話しかけられたこともあった。昔の私なら酷い言葉を吐くか、そもそも無視するかだけだった。でも、私はごめんね、と謝った。
 
 そのごめんねは、何に対してのごめんなのか。私には分からなかった。
 
 その日、すっかり習慣付いた学園からの帰り道を辿り、家へと戻った。ベッドに倒れ込み、慣れた操作でスマホをフリックしていく。興味が無い、そそられない、栄養もない、そんな情報を頭に詰め込んでいく。
 
 でもこの日だけは、一つの動画に目が留まった。
 
『優木せつ菜 LIVE@お台場』
 
 それは、あの日私が殴ったせつ菜ちゃんの動画だった。ファンの方がアップロードしたであろう動画が、いやに気になった。何気なく、その動画をタップした。

 

202:(茸) 2023/05/05(金) 13:24:20.47 ID:/B2yVrm9

歩夢「……すごい」
 
 そこには、色があった。今まで、私の目に映る世界は白と黒だけの無機質な世界だった。誰とも触れ合えない、誰にも見て貰えない、私を知らない世界。
 
 でも、せつ菜ちゃんが彩る世界には色があった。
 
 全力で歌うせつ菜ちゃんの姿に胸が躍った。知らない心臓の鼓動が早鐘を打っていた。つい、胸を押さえてしまう。
 
 この高鳴りは、この興奮は、なんだろう。
 
 汗が舞う。激しい振り付けにも関わらず、一切声がブレない。それに何より、笑顔が印象的だった。苦しいはずなのに、緊張しているはずなのに、そんなことを一切感じさせない偶像が、そこにはいた。
 
 そんなせつ菜ちゃんに、見惚れた。私はすっかり、彼女の歌う世界の虜になっていた。
 
『──なりたい自分を我慢しないでいいよ』
 
歩夢「……っ!」
 
 心臓を鷲掴まれた。
 
『──夢はいつか、ほら輝きだすんだっ!』
 
 全力のパフォーマンスの最後に、せつ菜ちゃんはウインクをした。それは、『届きましたか?』と問いかけられているようだった。
 
歩夢「……届いたよ」
 
 ぽつり、呟いた。
 
 せつ菜ちゃんのライブを見るのは初めてでは無い。歩無魂越しに数度見たことがある。でも、その時は心の一切が揺れ動かなかった。それは偏に、私が歩無魂への恨みしか持っていなかったから。

 

203:(茸) 2023/05/05(金) 13:25:23.79 ID:/B2yVrm9

 でも今は、私の中に歩無魂はいない。私の中には、私しかいない。そして私は、誰かになりたかった。誰かになって居場所が欲しかった。それが上原歩夢だったらよかったけれど、上原歩夢の席はもう残っていなかった。
 
 そして気付いた。侑ちゃんも、歩無魂も、だからせつ菜ちゃんに魅かれたんだ、って。
 
 全力で何かになろうと、何かを伝えようと必死になっている姿を見て、心が震えたんだ。
 
 私は……そんなせつ菜ちゃんを殴り、彼女の居場所を奪ってしまった。あまつさえ、その居場所を壊してしまった。
 
歩夢「あぁ……なんだ、みんなが私を認めないのなんて、当たり前だ……」
 
 優木せつ菜の、虹ヶ咲学園の、スクールアイドル同好会の価値を、今さらになって分かった。
 
 もし、私が歩無魂に人格を奪われなければ、私も同好会に入ったんだろうな……。
 
 今なら、今なら心の底から言えるのにな。ごめんなさい、って。でも、心があろうとなかろうと、そこに意味は無い。
 
 ポイントオブノーリターン。私はもう取り返しのつかないところまで来てしまっている。
 
歩夢「……苦しいなぁ。辛いなぁ」
 
 胸が締め付けられた。私が大好きになるはずだった、謳歌するはずだった青春を、私は自らの手で壊した。
 
歩夢「……せつ菜ちゃんの歌、聞かなければよかったなぁ」
 
 聞いたから自分の壊した物の価値に気付いてしまった。聞いてしまったから、自分の犯した罪に気付いてしまった。
 
 無機質な世界に色が付いてしまったから、痛みと苦しみを分かるようになってしまった。

 

204:(茸) 2023/05/05(金) 13:26:27.91 ID:/B2yVrm9

 これから先、私の人生には苦しみしか無いんだろう。取り戻そうとした時間などとうの昔に消えていたし、私が欲しい物は既に手に入らない。
 
 それなら。
 
 一生苦しみ続けるなら。
 
 世界が私を必要としていないのなら。
 
 今ここで終わらせてしまってもいいだろう。
 
歩夢「生きてちゃ、いけないんだね……」
 
 痛みは一瞬。いや、感じる暇すら無いかもしれない。天に近い場所から地面に激突すれば、苦しまなくて済むかもしれない。
 
 でも、一つだけ試してみたいことがあった。ベッドから起き上がり、暗い室内の中で口を開く。
 
歩夢「……いいよ。私の体、乗っ取っていいよ。私はもうでてこないから。奪って見せて。歩無魂」
 
 瞼を閉じて、両手を広げた。
 
歩夢「……」
 
 でも、いくら待ったところで、その時はこなかった。
 
 それなら、私がすべき選択は一つしかない。

 

205:(茸) 2023/05/05(金) 13:27:00.81 ID:/B2yVrm9

 高い場所へと移動するために部屋を出る。でもその前に、スマホを手に取る。
 
歩夢「侑ちゃん……」
 
 心残りがあった。大好きで大好きでたまらない侑ちゃん。もう一か月以上会えていないけど、瞼を閉じれば顔も声も鮮明に思い出せる、私の一番大切な人。
 
 せめて最期にもう一度、一目だけでも……。
 
歩夢「……でも、侑ちゃんは私になんて会いたくないよね」
 
 大好きな歩無魂を奪った張本人になんて。
 
 だから、その気持ちは胸の奥深くに閉まった。閉まうにはあまりに膨れ上がりすぎた思いだったけど、なんとか押し込めた。
 
 でも、何も言わずに別れるなんていけないよね。きっと、侑ちゃんは責任を感じる。だから、言葉を添えた。
 
『さよなら、侑ちゃん。私、戻ってこなければよかったね』
 
『でも、侑ちゃんは何も悪くないよ。責任を感じることなんて少しもない』
 
『悪いのは、全て私なんだから』
 
 その後、通知をオフにしてポケットに仕舞った。
 
 もうすぐ、全てが終わる。

 

206:(茸) 2023/05/05(金) 13:28:12.06 ID:/B2yVrm9

──
 
 彼方さんから同好会のグループLINEにメッセージが送られていた。
 
『これからの彼方ちゃん達について話し合おうよ』
 
『部室で、待ってるからね』
 
 たった二文のメッセージだった。余計な情報なんて一切無く、それが逆に彼方さんの覚悟を示しているようだった。
 
かすみ「これからって言ってもさ……。同好会に歩夢先輩はもういないのに……」
 
 学園の廊下を歩きながら、隣のかすみさんは呟いた。
 
しずく「……正直、続け辛いよね。私たちはソロアイドルだから、一人でもやっていけるはず。でも……誰かが欠けたら、きっと意味なんて無くなっちゃう」
 
かすみ「意味、かぁ……」
 
 かすみさんは空を仰ぐ。青々しく抜けるような空は無く、無機質な天井があるだけだ。視界は狭く、私の見識もまた狭かった。
 
かすみ「ねぇ、しず子。しず子はさ、同好会続けたいと思う?」
 
しずく「私は……」
 
 迷っていた。同好会を続けて、スクールアイドルを続ける道。同好会を正式に抜けて、演劇一本でやっていく道。
 
 いや……道はもっと無数にある。同好会を辞めて、たった一人でスクールアイドルを続ける道だってある。でもそれをしないのは、スクールアイドルが同好会を強く思い出してしまうからだ。
 
しずく「わかんないよ……。同好会は、いい思い出ばかりの場所じゃ無くなっちゃった。だから、続けた道の先は辛いだけかもしれないって思うと……」
 
かすみ「……そっか」
 
しずく「かすみさんはどうなの?」
 
 同じ質問を投げかける。すると、予定外に即答された。

 

207:(茸) 2023/05/05(金) 13:29:14.10 ID:/B2yVrm9

かすみ「私は続けたいよ」
 
しずく「え……」
 
 思わぬ返答に足が止まる。なぜ、そこまで吹っ切れた物言いができるんだろう。もしかして、歩無魂の一件にはケリがついたのだろうか。
 
かすみ「当たり前じゃん。続けたい、続けたくないか。その二つを迫られたら、続けたいって言うに決まってるじゃん」
 
 単純明快な答えだった。シンプルかつ、真理のように思える。
 
 でも、人の心は、うぅん、私の心はそう単純にはできていない。色々な感情が混線した結果、私は続けたいというシンプルな気持ちすら言えなくなっている。
 
かすみ「でも、しず子の言う通りだよ。同好会を続けても、歩夢先輩の面影を思い出して辛くなっちゃうだけかもしれない。だから、その気持ちがあっても足を踏み出せない……」
 
 廊下で足を止めながら、かすみさんは悔しそうに言った。
 
かすみ「私は……ソロアイドルだよ。でも、一人じゃ、一人の思いだけじゃ、ステージになんて立てない」
 
しずく「かすみさん……」
 
かすみ「スクールアイドルの中須かすみ。でも、それだけじゃない。私は、虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会の中須かすみなの」
 
 ぎゅっ、真正面に目を据えられながら、両手を握られた。その手は、少しだけ震えていた。

 

208:(茸) 2023/05/05(金) 13:29:36.76 ID:/B2yVrm9

かすみ「でもきっと、こうやって手を繋げば……私は新しい一歩を踏み出せる気がするんだ」
 
 私を見つめる双眸には、強い意志が見えた。きっと、この台詞を言うまで、かすみさんなりに色々考えたんだろうな。
 
 そして、一人じゃ太刀打ちできないって結論を出して、私の手を握ったんだ。だから私も、応えるように手を握り返した。
 
しずく「行こう、かすみさん。私たちの部室に」

 

209:(茸) 2023/05/05(金) 13:30:39.91 ID:/B2yVrm9

──
 
 みんな、来てくれるかな。グループLINEに送ったけれど、返信は無かった。それだけで胸が抉られたように辛かったけど、彼方ちゃんはそれでも部室にやってきた。みんなを待つために。同好会を終わらせないために。
 
彼方「こんなに、広かったかなぁ……」
 
 手持無沙汰だったので、部室をぐるりを見渡してみる。荒らされてもいない、備品がごっそり無くなったわけでもない、記憶の通りの部室だった。
 
 でも、何かが違うように思えた。色合いだろうか。ぐっと寒々しい色合いへと変化した気がする。
 
彼方「……きっと、みんなの姿も、部室の一つだったんだろうなぁ~……」
 
 だから、こんなにも寒々しいんだ。人が住まなくなった家は急激に老朽化するという。きっと、こういうことなんだって理解した。
 
 そんな風に思っていたら、控えめなノックが聞こえた。机に突っ伏していた顔を勢いよく上げる。誰か、誰か来たんだ……っ!
 
彼方「ど、どうぞ~……」
 
 どうぞ、ってなんだ。正常に頭が働かないのは緊張してるからだろうか。
 
 そしておずおずと入ってきたのは……かすみちゃんとしずくちゃんだった。
 
彼方「かすみちゃんっ、しずくちゃんっ!」
 
 学園内で顔を会わせているのにずいぶん久々な気がした。そしてもう一つ驚いた。その後ろに続いて、他の同好会のみんなが入ってきた。どうやら、入るタイミングを伺っていたらしい。

 

210:(茸) 2023/05/05(金) 13:31:42.50 ID:/B2yVrm9

彼方「えぇと……侑ちゃんは、いないんだね」
 
 中へと入室し、気持ち距離を開けながら、各々は席に座ったり壁に背を預けたりしていた。その中に、侑ちゃんの姿はなく、そしてもう一人。
 
彼方「あ、歩夢ちゃんも、来てないんだね」
 
 歩夢ちゃんの名前を出す。すると、矢庭に空気が凍ったようになる。私たちの中で、歩夢ちゃんという名前は暗黙の了解でタブー視されていたらしい。
 
璃奈「……来るわけない」
 
 私の一言に、璃奈ちゃんが反応する。ソファの上に、愛ちゃんと一緒に座っていた。そして入室からずっと、ボードで顔を隠していた。
 
璃奈「歩夢さんは……私が〇したんだから」
 
 沈痛な声音が響く。よく耳をすませれば、少しだけしわがれているようにも思えた。まさか、先ほどまで泣いていたんだろうか。
 
 そんな璃奈ちゃんに対し、せつ菜ちゃん……いや、今は菜々ちゃんが声をかけた。
 
菜々「違いますよ、璃奈さん……。歩夢さんの中から歩夢さんが消えたのは、私がスクールアイドルを続けてしまったからです。私に出会わなければ、優木せつ菜に出会わなければ、あんなことにはならなかったんです……」
 
璃奈「ち、違うっ。私が得意げに歩無魂の情報なんて収集してしまったから──」
 
菜々「何も違いませんっ!私が続けたせいです!あの日、あの時っ。侑さんと歩夢さんが優木せつ菜に出会わなければ、こんな悲劇は生まれなかったんです!」
 
 責任の擦り付け合いの真逆、責任の奪い合いが行われていた。

 

211:(茸) 2023/05/05(金) 13:32:48.52 ID:/B2yVrm9

エマ「やめてよ二人共っ!誰が悪いとか、誰が悪くないとか、そういう話をしにきたわけじゃないでしょ……?」
 
璃奈・菜々「……」
 
エマ「それに、そういう話になったら……お姉さんである私が一番しっかりしなきゃいけなかったのに……。なんにも疑わないで、自分で考えもしないで、璃奈ちゃんと侑ちゃんだけに縋ってた私が一番……」
 
果林「エマ、それを言うなら私が──」
 
 つい、俯いてしまう。みんな、自分が一番悪いと思っている。自分が〇した、自分は何もしていない、自分なら何とかできたかもしれない。そしてそれは、彼方ちゃんも同じだった。
 
 彼方ちゃんはあの日、歩無魂についての資料を集めるために目を皿にして情報を収集していた。その情報から推定できる除霊法や必要な道具を考え、それを璃奈ちゃんに持って行かせた。
 
 たとえ、除霊の邪魔になったとしても……彼方ちゃんもあの場所にいるべきじゃなかったのか。除霊に関しては一片も力になれないかもしれない。でも、失敗した時に支えて慰めてあげることくらいはできたかもしれない。
 
 そこまで考えが及ばなかった。家の中で手を組んで祈るくらいしかできなかった。協力すると決めたなら、ついて行くと決めたなら、最後の最期まで付き合うべきだったんだ。
 
 でも、そうはできなかった。だから、彼方ちゃん達は今こんなことになっている。
 
 自分が一番悪いと言いながら、胸ぐらを掴んでいる。叫び散らすその言葉には、自らへの呪詛がこもっている。
 
 瞼には涙が浮かんでいる。その涙は、一体何に対して、誰に対して。

 

212:(茸) 2023/05/05(金) 13:34:04.92 ID:/B2yVrm9

愛「りなりーはなんにも悪くないよ……。愛さんは、私は……なんにも力になれなかった。りなりーは賢いから、それについて行けばいいよね、って便乗しただけ……」
 
璃奈「……私がそう見えたのなら、そう見せた私が悪い」
 
愛「……っ。いい加減にしなよりなりーっ!ずっとボードで顔を隠してないで、愛さんの目を見て喋ってよ!!」
 
 愛ちゃんが強引にボードを引き剥がそうと掴んだ。璃奈ちゃんは激しく抵抗していたが、力の差は歴然だった。
 
璃奈「あ……。あは。あははは……。み、見られちゃった……」
 
愛「り、りなりー……それ……」
 
 愛ちゃんは目に見えて狼狽していた。いや、愛ちゃんだけじゃない。みんなが衝撃を受けていた。
 
 璃奈ちゃんは……笑っていた。柔和な笑みの真逆、形だけを整えたかのような、酷く歪んだ笑みだった。
 
璃奈「これ……ずっとなんだ。戻ってきた歩夢さんと会ってから、みじめな時とか、死にたくなる時とか、こうなっちゃうの……。おかしいよね。辛いのに。悲しいのに。笑っちゃうだなんて……」
 
愛「りなりー……っ」
 
 愛ちゃんは、そんな璃奈ちゃんを胸の中に隠すように強く抱擁した。

 

213:(茸) 2023/05/05(金) 13:35:13.68 ID:/B2yVrm9

愛「ごめん……。私、自分のことばっかり考えてた。自分が悪い、悪いって、ずっと自分しか見てなかった。りなりーやみんなのこと、何にも見えてなかった……」
 
 告解、懺悔をするような口調だった。
 
愛「辛いのは、みんなも一緒なのに……。傷のなめ合いだとしても、その痛みを分かってあげられるのは私たちだけなのに……。より深く傷つきたくなくて閉じこもってた……」
 
 愛ちゃんも、泣いていた。不甲斐なさ、自己嫌悪、罪悪感、それらが綯い交ぜとなっているように思えた。彼方ちゃんも、そうだったから。
 
愛「あの日選んだこと全部が間違いだなんて……そんなの悪い冗談じゃん……」
 
 もはやそれは、璃奈ちゃんへの言葉で無くなっていた。あの日を一言で言い表す言葉だった。
 
 でも……彼方ちゃんはそれを、間違いだなんて思いたくなかった。だから、ここにみんなを呼んだんだ。
 
 口を開こうとしたけど、接着されたみたいに上手く開かなかった。だから、頬を両手で叩いて無理やり喝を入れた。
 
彼方「……彼方ちゃん達がしたのは、間違いじゃないよ」
 
 ちょうど会話の合間が真空になっていたようで、呟いたはずの声は酷く響いた。でも、好都合だった。
 
彼方「今でも夢に見るんだ。それは、あの日を何度も何度も繰り返す夢。それで、他の選択肢を選んで別の未来を目指すの。そして全てが上手く行ったっ、って思った瞬間、目が覚めるんだ」
 
 それは、正に悪夢だった。

 

214:(茸) 2023/05/05(金) 13:36:47.96 ID:/B2yVrm9

彼方「お前が今さら何を選ぼうと、ここが現実だ、って思い知らされるんだ。そんなの、彼方ちゃん自身が一番分かってるのに。だからね、逆に考えてみたんだ。彼方ちゃんは夢の中で、あの日起こったことと全く同じ選択を何度も何度もしてみたの」
 
 悪夢の中で見る地獄だった。その時感じていた無力感、後悔。その全てが、リアルな感覚を持って夢の中にあった。
 
彼方「頭がどうにかなっちゃいそうだったよ。トラウマを自分で掘り返して、埋めて、また掘り返すんだもん。寝ている時間は長いのに、起きると寝不足みたいな感覚になるんだ。おかしいよね」
 
 寝ても覚めても、そこは地獄、いや現実だった。
 
彼方「でも、何度も何度も繰り返したおかげで分かったんだ。彼方ちゃん達が掴んだ未来は、その場その場で最善だと思って選び取った未来なんだって!」
 
 そう。後悔しようとしなかろうと、あの日自分たちにできる全力をぶつけたんだ。その思い、気持ちに一切の嘘偽りはなかった。
 
璃奈「……最善なんかじゃない。私は大きな思い違いをしていた。救うべき人が歩無魂だって気づけなかった」
 
 璃奈ちゃんが歪んだ笑顔を隠すように両手で顔を覆う。違う。違うんだよ、璃奈ちゃん。

 

215:(茸) 2023/05/05(金) 13:37:51.56 ID:/B2yVrm9

彼方「うぅん。最善だよ。だって、璃奈ちゃんは悪いのが歩無魂だって思ったんでしょ?せつ菜ちゃんを殴ったり、衣装を切り裂いたのが歩無魂だって思ったんでしょ?それなら、怪異の正体が歩無魂とか、除霊法を知ろうとしたのは最善に違いないんだよ!」
 
璃奈「え、え……。で、でも、それは結局間違っていて──」
 
彼方「……それを間違いにするかどうかは、これからの彼方ちゃん達次第だよ」
 
 璃奈ちゃんが俯いた顔を上げた。両手が離れた奥に見える顔に、歪んだ笑みは既に無かった。
 
彼方「歩夢ちゃんを救いたかった気持ちに嘘偽りなんて一つも無かった。でも、後悔する結果になっちゃった。それでも……それが悲劇だとしても……。彼方ちゃん達の物語は、今もずっと、続いてるんだよ……っ!!」
 
 そうだ。悲劇で終わらせることもできた。誰も浮かばれない、誰も救われない、勝者なんて一人もいない結末で終わらせることもできた。
 
 でも、それでも、彼方ちゃん達には先がある。未来がある。それなら、あの時した後悔を無駄にしてしまえば、それこそ悲劇で終わらせてしまうことになる。
 
 彼方ちゃんは、最善を選び続けた先の未来が間違いだったなんて、思いたくないんだ!
 
彼方「……ねぇ、せつ菜ちゃん」
 
 璃奈ちゃんから目を離し、せつ菜ちゃんへと語り掛ける。この一件で最も罪の意識を感じているのは、きっとこの二人だ。
 
彼方「スクールアイドル、続けてよかった?」
 
菜々「え……。そ、そんな。今、それを聞くんですか……?私と出会ったせいで、歩夢さんの中の歩夢さんが目覚める原因になってしまったのに……」
 
 歩無魂が目覚める切っ掛けになった。確かにそれは正解だ。侑ちゃんと歩夢ちゃんの関係に一定のケリがついた原因の一端は、間違いなくスクールアイドルに魅力を感じさせたせつ菜ちゃんに他ならない。

 

216:(茸) 2023/05/05(金) 13:38:56.44 ID:/B2yVrm9

 でも、私が聞いているのはそういうことじゃない。
 
彼方「屋上で聴いた、せつ菜ちゃんのDIVE!……胸に響いたなぁ……」
 
菜々「と、突然なんですか」
 
彼方「学園の中での合宿、楽しかったよね。せつ菜ちゃんがかすみちゃんに枕を思いっきりぶつけるとことか、笑っちゃったよねぇ」
 
菜々「……や、やめてください」
 
彼方「それからさ、侑ちゃんからスクールアイドルフェスティバルの話を聞いてさ、ワクワクが止まらなかったよね。うぅん、侑ちゃん風に言えばときめきかなぁ」
 
菜々「やめてくださいっ!そ、そんな楽しかった時の思い出──」
 
彼方「スクールアイドルフェスティバル……。楽しかった、なんて言葉じゃ足りないよね。きっと、何十年先、おばあちゃんになっても思い出すんだろうなぁ……」
 
菜々「……っ。だから私に、スクールアイドルを続けてよかったって、そんな残酷なことを言わせようとしているんですか!?」
 
 胸倉を思い切り掴まれる。こんな敵意剥き出しのせつ菜ちゃん、初めてだ。でも、一歩も引かないで向き合った。
 
彼方「……せつ菜ちゃん。スクールアイドルを続けなければよかった、なんて言葉はさ、あの日の歩夢ちゃんの笑顔も、否定することになるんだよ?」
 
菜々「──」
 
 目が思い切り見開かれる。そして、すぐに視線が右往左往していた。

 

217:(茸) 2023/05/05(金) 13:39:59.31 ID:/B2yVrm9

彼方「彼方ちゃん達なら、彼方ちゃん達だから分かるよね。歩夢ちゃんも、彼方ちゃんも、せつ菜ちゃんも、みんな……っ。同好会に入って本当に楽しい日々を送ってたって!」
 
菜々「……う、うぅ。わ、私は……私は……っ」
 
 胸倉を掴む手が緩んでいく。代わりに、弱々しく胸を拳で叩かれた。とん、とん……やるせない思いが込められていた。
 
菜々「続けてよかったに、決まってるじゃないですか……っ!!」
 
彼方「……うん。ごめんね、せつ菜ちゃん……。辛い言葉、言わせちゃったね……」
 
 せつ菜ちゃんを胸の中で抱きしめた。
 
 彼方ちゃん達が選び取った未来は、最善だったとしても強い後悔の残ることだった。でも、彼方ちゃん達だけは、その未来を、選択を、間違いだなんて思っちゃいけない。思ってしまえば、そこで終わってしまうから。
 
彼方「……みんな」
 
 みんなの顔を一人一人見ていく。せつ菜ちゃん、璃奈ちゃん、愛ちゃん、エマちゃん、果林ちゃん、かすみちゃん、しずくちゃん。
 
彼方「彼方ちゃん、前を向きたい……。でも、でもね……前を向くには勇気が必要でね、全然前に足が進んでいかないんだ」
 
 正直な気持ちを、情けない言葉を口にする。
 
彼方「同好会を続けたい。スクールアイドルを続けたい。でもそんなこと、何も叶えられなかった彼方ちゃんに許されるのかなぁ、って思ったんだ」
 
 足が震える。声が震える。だから、泣いているせつ菜ちゃんを少しだけ強く抱きしめた。

 

218:(茸) 2023/05/05(金) 13:41:02.17 ID:/B2yVrm9

彼方「それでも……みんなともう一度、スクールアイドルがやりたいんだよっ。歩夢ちゃんがいなくなっちゃってもっ。歩夢ちゃんがいた思い出は、その手が残してくれた温もりは、まだ彼方ちゃんの中から消えてないっ!」
 
 昨日のことのように、いや、数分前のことのように思い出せる。歩夢ちゃんと侑ちゃんと、みんながいた時の同好会が。消えてない。全然消えてくれない。眩しくて眩しくてたまらない。
 
 次の言葉を口にしようとした。でも、でてこなかった。
 
 ……彼方ちゃん一人じゃ、これが限界だった。一人じゃあ、ここまでしかいけないんだ。
 
 俯きながら、両手で顔を覆いたくなる。みんなをここに集めた張本人なのに、最後まで言葉を口に出せない。
 
 情けない。ここから、何も始められないじゃないか。
 
彼方「……え?」
 
 ふと、手に温かなものを感じた。顔を上げると、そこにはしずくちゃんがいた。この場には似つかわしくない、天使みたいな微笑みだった。
 
しずく「私の中にも、歩夢さんは残っています。でも、あの選択が間違いだって、悲劇で幕切れだって、そうしてしまえば……いずれ消えてしまうのでしょう」
 
 もう片方に手にも、温もりを感じる。そこにいたのはかすみちゃんだった。

 

219:(茸) 2023/05/05(金) 13:42:05.33 ID:/B2yVrm9

かすみ「私も、間違いだなんて思いたくありませんっ!」
 
 せつ菜ちゃんを抱きしめる手を緩められる。代わりに、せつ菜ちゃんの手をかすみちゃんが握った。
 
 繋がっていく。一人じゃない。彼方ちゃん達はもう一度、繋がっていく。
 
かすみ「でも、間違いじゃないと思っていても、一歩踏み出すのは怖いですよね。だからと言って、このままは嫌なんです……っ。だから、だからっ!一人じゃ怖くても、みんなと手を繋げば怖くないと思うんですっ!」
 
 にっ、と、久しく見ていないかすみちゃんの明るい笑顔が浮かぶ。なぜか、どうしようもなく泣いてしまいそうになった。
 
菜々「……ぐすっ。そうですね……。璃奈さん、私と手を繋いではくれませんか?」
 
璃奈「え……」
 
せつ菜「誰が悪いはもうやめましょう。きっと、自分から見れば自分が罪人なんです。でも、みんなから見ればみんな悪くないんです。だからほら、こうやって手を繋げば……」
 
 せつ菜ちゃんはやや強引に手を掴み、こちらへと引き込んだ。たたらを踏みながらも、璃奈ちゃんは彼方ちゃんたちへ一歩踏み出した。
 
せつ菜「たとえ自分が一番悪いと思っていても、私が璃奈さんを前へ進められますっ!だから、璃奈さんも私の手を引いてはくれませんか?」
 
璃奈「せつ菜さん……」
 
 せつ菜ちゃんの顔を数秒間見つめた後、握る手を確認していた。今はせつ菜ちゃんから握られているだけ。一方的な握手だった。
 
 でも、その握手はより強固なものへと変わる。
 
璃奈「分かった。私も、せつ菜さんの手を引いて見せる。うぅん。せつ菜さんだけじゃない。ここにいるみんなの手を!握って、引いて見せる!今度こそ、笑い合える未来に進んで見せる!」
 
 高らかに宣言した後、璃奈ちゃんは愛ちゃんの手を握る。それに呼応するように、しずくちゃんは果林ちゃんの手を。果林ちゃんはエマちゃんの手を。そして、エマちゃんと愛ちゃんの間に空白が生まれた。
 
エマ「……みんな。私ね、新しく手を繋ぎたい娘がいるんだ」
 
 エマちゃんの目は決意に固まった表情だった。何度も葛藤し、苦悩して、苦しんだように見える。

 

220:(茸) 2023/05/05(金) 13:43:08.82 ID:/B2yVrm9

エマ「その娘は私たちに酷いことをしちゃったかもしれない。でもそれは、侑ちゃんともう一度手を繋ぎたいっていう、一心の行動だったと思うの」
 
 その娘。その娘は、私たちに大きな禍根を残した。
 
エマ「でも、でもね。本当にそうだったのかなんて、私には分からないよ。私はあの娘の好きな食べ物、好きな音楽、好きなスクールアイドル……。なんにも知らない。だからっ。手を繋いで、知るべきだと思うの!」
 
 だが、禍根を残した理由はどうしてなのか、その詳細は知らない。なぜなら、その娘のことを何も知らず、その娘もまた、彼方ちゃんたちのことを何も知らないのだから。
 
エマ「──歩夢ちゃんを!同好会の輪に入れたいって思うの!それこそ私たちが、前へ進むためにすべき一つ目のことだって思うんだっ!」
 
 そう言い切った後、エマちゃんは肩で息をしていた。
 
 そんなエマちゃんに対する彼方ちゃん達の解答は一つだった。
 
 今度は重くない、滑るように動く口を開いた──

 

221:(茸) 2023/05/05(金) 13:44:17.41 ID:/B2yVrm9

──
 
 歩無魂として未練が残った私は、現世に留まった。現在の私は、侑ちゃん達同好会のみんなと未練の残る祓われ方をしたため、魂の残滓のようなものが現世に停滞してしまっていた。
 
 そこで私は、眠るときに見る夢のような感覚で侑ちゃんのことをずっと見ていた。これが俗に言う、一般的な憑りついた、ってことなんだと思う。
 
 だからこそ、侑ちゃんが如何にして私を現界させたのか方法を知っている。
 
 現界させた方法、その一番の要因となったのは魔導符だ。
 
 魔導符。それは、本来は魔を祓う特性を持つお札に逆の効果を齎すもの。つまり、魔を祓うはずのお札が、魔を呼び込む符になったということだ。
 
 侑ちゃんはさらに、そこに細かな条件を加えた。細かな条件とは、私、歩無魂という魔を限定して呼び込む条件だ。
 
 美醜が力を取り戻したことで、この島全域の霊場としての側面が強くなり、そこに魔導符で場を強化する。私はそうしてここへ現界できる条件が整ったということだ。
 
 そして、その魔導符を放ったのは、侑ちゃんであって侑ちゃんでは無いだろう。恐らく、心霊に関して素人な方の侑ちゃんが無我夢中で符を放ったのだと思う。
 
 だけど、だからこそ私はこうしてここに現界でき、別世界の他人であったとしてもみんなに会うことができた。
 
 しずくちゃんの運転する車内にて、私はみんなと共に行動している。

 

222:(茸) 2023/05/05(金) 13:45:19.42 ID:/B2yVrm9

エマ「侑ちゃんの事情を知ってね、思ったんだ。あぁ、この侑ちゃんは、歩無魂ちゃんだけがこっちへ来た理由じゃないんだなぁ、って」
 
 梔子集落へ続く車道を進みながら、こっちの世界のエマさんは言った。
 
歩無魂「ふふ。ちょっとだけ妬けちゃうけど……うん。そうに違いないよ」
 
 私はそれに対し肯定した。私はずっとずっと、歩無魂として祓われてから、侑ちゃんのことを見続けてきた。だから分かる。侑ちゃんがここへ来たのは別の目的もあり、それは達成されつつあると。
 
エマ「侑ちゃんはね、きっとこっちの侑ちゃんに、歩夢ちゃんに、みんなに、大切な人を失う経験をさせたくないんだって思うんだ。だから、お台場へ絶対帰すって約束を守ってくれたの」
 
 侑ちゃんがいなければ、恐らくこっちの果林さん達は命を落としている。私に会うのが目的とは言っても、霊視でそういう未来が見えてしまえば放っておけなかったのだろう。
 
エマ「きっと、集落での一件が一つの分岐点だったんだよ。果林ちゃん達を失って、同好会が壊れちゃう分岐は。そして今も、その分岐点が来てる。大切な人を失っちゃう、その分岐点が」
 
璃奈「……そっか。そこが私たち、集落へ行かなかった組と違うところなんだ」
 
 璃奈ちゃんが少し暗い顔をした。大切な人を失ってしまうかもしれない憂き目を経験したのとしていないのとでは、意識に大きく違いが出る。
 
 でも、そんなの些末な問題だった。
 
歩無魂「大丈夫だよ璃奈ちゃん」
 
璃奈「歩夢さん……」
 
歩無魂「だって、璃奈ちゃんはもうここにいるでしょ。ここにいるなら、それでいいんだよ」
 
璃奈「……うんっ!」
 
 顔を上げて前を向いた。暗い表情はどこにも見えない。吹っ切れたんだろう。璃奈ちゃんを一度だけ撫でた後、話に戻る。

 

223:(茸) 2023/05/05(金) 13:46:21.78 ID:/B2yVrm9

歩無魂「エマさん。確かに、エマさんの言うことは合ってます。ここが、最後の分岐点。美醜に全員〇されるか、逆に全員生き残るか。その分岐、分水嶺。でも、そのために必要なファクターが一つ不足しているんです」
 
エマ「ファクター……?それって、何なのかな?」
 
歩無魂「それはですね、侑ちゃんです」
 
エマ「侑ちゃん……?」
 
 車の中で疑問の声が上がった。
 
彼方「んん?でもさ、侑ちゃんはもう梔子集落の近くにいるんでしょ?どういうこと?」
 
 そう。侑ちゃんは既に梔子集落周辺にいる。私はそこまで見届けた。でも、最後に残っていた侑ちゃんは……。
 
歩無魂「彼方さん、あそこにいるのは、こっちに元々いた侑ちゃんです」
 
彼方「……え。えぇ!?な、なんでさ!」
 
歩無魂「美醜の力が強すぎたんです。こっちとあっちの世界の接続を、強制的に遮断されたんです」
 
彼方「そんな……」
 
かすみ「じゃ、じゃあどうするんですか!流石に侑先輩無しじゃ……決定打に欠けるというか……」
 
 かすみちゃんが悲鳴のような声を上げた。
 
歩無魂「歩夢ちゃん。侑ちゃんから渡された符はまだ持ってるよね」
 
歩夢「えぁ……。う、うん」
 
 同じ顔、同じ体を持つ私に声を掛けられビックリしていた。私としても新鮮な感覚だ。
 
歩無魂「私たちがするべきことは、歩夢ちゃんを侑ちゃんの元まで無事に送り届けること。歩夢ちゃんの持つ符を使えば、この世界に侑ちゃんをもう一度降ろすことができる」
 
かすみ「なるほど……」

 

224:(茸) 2023/05/05(金) 13:47:24.52 ID:/B2yVrm9

歩無魂「それともう一つ」
 
かすみ「も、もう一つですか……」
 
歩無魂「それは、侑ちゃんが無事にこっちまで来られるように、美醜に〇されないよう時間稼ぎをすることだよ」
 
 私たちには二つの目的ができた。一つ、歩夢ちゃんを無事に送り届けること。二つ、侑ちゃんが無事に来られるまで時間稼ぎをすること。
 
 私が最後に見た侑ちゃんは……ちょっと時間のかかるようなことをしようとしてたから。
 
かすみ「うぅ~……これは、なかなかに骨が折れますねぇ」
 
彼方「ふっふ~。今さらだよかすみちゃ~ん」
 
かすみ「ぶふぇっ。ちょ、脇腹突っつかないでください!」
 
彼方「最後の戦いの前に、ちょっと肩の力を抜こうよ~」
 
かすみ「それは、まぁ……。い、いや、他にもやり方あるじゃないですか!」
 
 ……ふふ。これだよね。この景色を、侑ちゃんは守りたいんだよね。この景色を、侑ちゃんにそのまま返してあげたいんだよね。
 
 私も……そのために全力を尽くすよ。

 

225:(茸) 2023/05/05(金) 13:48:26.86 ID:/B2yVrm9

歩無魂「あ、しずくちゃん。そこ右折」
 
しずく「あ、はい……」
 
愛「ねぇ歩夢。さっきからしずくに指示してるけど、それってどういう意味なの?」
 
歩無魂「あぁ、うん。私はこう見えて一応怪異だから。同じ怪異に憑りつかれている人の気配は分かるの。だから、数の少ない場所を狙って指示してるんだ」
 
愛「なるほどねぇ。頼りにしてるよ!あ~ゆ~むっ!」
 
 ばしんっ、背中を叩かれた。霊場としての側面が強いからか、感じないはずの痛みを少しだけ感じる。その痛みが、私を奮い立たせた。
 
 このメンバーなら、この士気の高さなら、きっとハッピーエンドにまで辿り着ける。だから……みんなには幸せになって欲しいな。私の分まで、ずっとずっと。
 
しずく「……見えてきました。集落へ通じる林道」
 
 しずくちゃんの一言で身が引き締まる。フロントガラスの向こうを見ると、鬱蒼と生い茂った森が近くに見えた。
 
 そしてその時、急に背筋へと悪寒が走り抜けた。
 
歩無魂「これは……」
 
 森の中にいるであろう怪異の気配が膨れ上がる。どこに隠れていたのか、というくらい色濃い気配を肌で感じた。

 

226:(茸) 2023/05/05(金) 13:49:38.17 ID:/B2yVrm9

 迂回、回り道、全てできない。森の中全域から怪異の気配を感じる。
 
歩無魂「もしかして……」
 
 こめかみから冷や汗が流れる。思っていた以上だった。侑ちゃんの接続を切る程度で終わるわけが無かった。
 
 おかしいとは思っていた。支配域を広範囲に広げたというのに、操られた住人からの襲撃が殆ど無かった。私が気配を感じ取って道案内をしていたから、ということもあるだろうけど、本質は別だった。
 
璃奈「歩夢さん……?」
 
 心配そうな目で璃奈ちゃんに見つめられる。私の中で焦りが加速する。
 
 美醜は想定外に頭が回る策士らしかった。怪異として殆ど理性は残っていないはずなのに、振りまく悪意に関しては天才的だった。
 
歩無魂「……みんな、聞いて」
 
 緊張の面持ちのまま口を開く。車内の空気が変わった気がする。
 
歩無魂「たぶん、ここまで襲撃が少なかったのは、歩無魂の策略の一つだった」
 
かすみ「……え?歩夢先輩が道案内してくれたからじゃないんですか?」
 
 その疑問に、私は首を振って応えた。
 
歩無魂「支配下に置いた■■島全域の住人を私たちに襲わせようとはしないで、森の中に集めたんだよ。私たち、侑ちゃんがそこに来る、いるって分かったから」
 
 そして、森の中に配置した後は一旦制御を手放したのだろう。だから強い怪異の気配を感じなかった。でも、私たちが美醜の縄張りに入った瞬間、もう一度支配の主導権を握ったんだ。
 
 だから膨れ上がった。だから、気付けなかった……。

 

227:(茸) 2023/05/05(金) 13:50:41.10 ID:/B2yVrm9

歩無魂「……今私たちには二つの選択肢があるの」
 
 そんな中、私は辿ることができる二つの未来を提示することにした。
 
歩無魂「一つ、この車で強引に突破する。一つ、車から降りてみんなが囮になって歩夢ちゃんを集落まで送り届ける」
 
 正直、どちらも確実性に関しては弱い。どちらかと言えば前者だろうけど、この選択は住人を轢〇する覚悟が無ければ実現できない。
 
 でも、私たちの安全は保障される……。どちらを、どちらを選ぶのが正解なんだろう。
 
かすみ「──そんなの、車から降りるに決まってるじゃないですか」
 
 私の葛藤を他所に、当たり前のようにかすみちゃんは言ってのけた。
 
かすみ「強引に突破ってつまり、操られた人を轢かなきゃいけないんですよね。そんなことしたら、助かったとしても笑えませんよ」
 
歩無魂「かすみちゃん……」
 
 綺麗事だ。確実性、安全性を考えるのなら、車で強引に突破した方がいい。でも、違うんだって思った。かすみちゃんは、私よりも少し遠くの未来を見ているらしい。
 
かすみ「本当のハッピーエンドは、私たち以外の人も笑顔で笑える未来ですっ!並行世界から侑先輩、歩夢先輩が来たとんでもない世界です!今さら操られた人が増えたくらいで驚きませんよ!」
 
 底抜けに明るい表情だった。急な展開の連続への場慣れだろうか。とうの昔に、かすみちゃん達の感覚は麻痺していたらしい。

 

228:(茸) 2023/05/05(金) 13:51:45.87 ID:/B2yVrm9

せつ菜「それに、私たちがスクールアイドルとしてどれほど研鑽を積んだと思っているんですか。島育ちの人と言えど、鍛え方が違いますよ!」
 
 ぐっ、せつ菜ちゃんが拳を前に突き出す。
 
璃奈「ここまで来られた。歩夢さんが符を貼れば私たちは勝てる。だから、諦めることなんてできないっ」
 
歩無魂「みんな……」
 
 どうやら、覚悟が決まっていなかったのは私だけらしい。
 
歩夢「本来なら、手も足も出ないはずだったんだもん。侑ちゃん、歩無魂さん、対処のスペシャリストが来てくれたから可能性は繋がったんだよ。だから、絶望するなんてあるわけない!」
 
 歩夢ちゃんに手を握られる。私を射貫く視線は強く頼もしいものだった。こんな顔、したことがあっただろうか。
 
 この歩夢ちゃんが、どの歩夢ちゃんよりも強い。そう思った。
 
 そして、この強さの根源が私、侑ちゃん由来だと言うのなら……っ。こんなところで終わらせてたまるか!
 
しずく「──さて、皆さん。お客様が黒山のようにおいでのようです」
 
 集落へ通じる道の少し前、車は止まった。入口近くには、生気をまるで感じない人の山が連なっていた。黒山とはよく言ったものだと思う。

 

229:(茸) 2023/05/05(金) 13:52:48.79 ID:/B2yVrm9

エマ「わぁ~……。ね、彼方ちゃんっ。あの日を思い出すね!」
 
彼方「あの日……?あ、なるほど」
 
 場が動く直前、エマさんと彼方さんの呑気な会話が聞こえる。
 
エマ・彼方「「スクールアイドルフェスティバル!」」
 
エマ「でもでも、あの時の方がもっと熱気があったよね!人もいっぱいいたよ!」
 
彼方「ふふふ……。つまり、スクールアイドルフェスティバルを乗り越えた彼方ちゃん達にとっては……?」
 
エマ「──朝飯前だよっ!」
 
 その声が、まるで合図のようだった。黒山となった人垣が一気に割れ、私たちの元へ不気味な動きで突撃してきた。
 
しずく「さぁ、獲るか獲られるか……究極のおにごっこの始まりですね」
 
かすみ「……ねぇ。まだカーレーサーの役抜けてないの?」
 
しずく「ふふ。かすみさん」
 
かすみ「なに?」
 
しずく「抜けたら、ちび ちゃうよ私」
 
かすみ「……よし、続行!」
 
璃奈「阿呆な会話は置いといて、歩夢さん達二人は、私たちにつられてできた隙間から集落を目指してっ!」

 

230:(茸) 2023/05/05(金) 13:54:08.30 ID:/B2yVrm9

 私と歩夢ちゃん以外、散開してバラバラの方角へと走っていく。みんなの顔は恐怖に染まっていない。それはなぜか。簡単だ。
 
歩夢「絶対、侑ちゃんに貼り付けるから!みんなぁ!生きてまた会おうね!!」
 
 喉が張り裂けんばかりに叫んでいた。
 
 みんな、信じているんだ。歩夢ちゃんが符を貼り付け、別の侑ちゃんを降ろし、美醜との因縁を解決してくれるって。だからみんな、清々しい顔で命を賭けられるんだ。
 
歩無魂「やっぱり……いいなぁ」
 
 こんな状況だと言うのに、私はなんだか和んでしまった。そうだ。私の好きな、大好きな同好会とは、こういうものだった。
 
 私はもうそこへ帰ることはできないけれど、最期にいい思い出を貰っちゃったな。
 
 自然と、全身に力がみなぎっていく。それは歩夢ちゃんも同様のようで、目配せだけで頷き合った。
 
歩無魂「……よし。私たちも行こう!」
 
歩夢「うんっ!」
 
 みんなのおかげでできた人の隙間を縫うように進んでいく。山道はほぼ一本道。でも、時には獣道も選択して駆けあがっていく。
 
 どれだけ歩き辛く、走り辛くても、私がいる限り迷うことは無い。
 
 なぜなら、どんな怪異の気配も凌駕するほどの禍々しさを肌で感じるからだ。どれほど道を外そうと、たとえ目を瞑っていたとしても、美醜の気配だけは、私には分かる。
 
 ここまで来た。ここまで来られた。
 
 もうすぐ、もうすぐ……。
 
歩無魂「会いたいよ、侑ちゃん……」
 
 その一心で、私たちは坂を駆け上がった──

 

231:(茸) 2023/05/05(金) 13:55:10.55 ID:/B2yVrm9

──
 
 走る。走る。ただひたすらに走る。
 
侑「はぁっ、はぁっ、はぁ……っ!」
 
 体が錆び付いてしまったかのように上手く動かない。家を出る前に水でも飲んでおけばよかった。でも、その間に間に合わなくなってしまったら……。
 
 唇を噛み、痛みで体の不調を誤魔化した。
 
 部屋着のまま、髪すら結んでいない状態で外を走る。すれ違う通行人は不思議そうにこちらを見るけど、誰も必要以上に関わろうとしてこない。
 
 いい。それでいい。歩夢を救えるのは、私だけだ。私だけが、あの六年間の全てを知っている。そして、その六年間を失う恐怖も……私は知った。
 
 想像した。小さな私たちが育んだ可愛らしい絆が、突如失われることを。怖かった。失いたくなかった。

 

232:(茸) 2023/05/05(金) 13:56:21.37 ID:/B2yVrm9

 そう、六年間も十年間も、関係なかったんだ。
 
 どちらも私の大好きな歩夢と一緒に過ごした、かけがえのない時間だったんだっ!
 
 時折、スマホのGPSを確認しながら歩夢の位置を確認する。歩夢は今、虹ヶ咲学園内にいる。でも、まだ歩夢を示す点は動き続けている。止まっていないということは、目的地の自〇場所には辿り着いていないはずだ。
 
 元々は私の監視用だったのに、まさかここで生きるとはね……。私にもツキが残っていた。
 
 必死で道を走り抜け、バスを使い、また走り、そして遂に、私は虹ヶ咲学園へと辿り着いた。
 
 肺が張り裂けそうなほど痛みを叫んでいる。乳酸が溜まり切った足は、止まればもう一生動かせそうにない。
 
 だから、走った。痛みが逆に私の意識を繋いでくれた。苦しみが逆に私の足を進ませた。
 
 痛みを感じている間は生きているんだ。痛い、苦しいと感じている内は、まだ生きているんだ!
 
 まだ、歩夢は生きてる!その苦しみの螺旋から助け出せるのは、私しかいない!
 
 そして、私は見た、見つけた。屋上の手すりをまたぎ、今正に落ちる寸前の歩夢を。

 

233:(茸) 2023/05/05(金) 13:57:37.40 ID:/B2yVrm9

 声を振り絞る。今叫べば、歩夢は絶対に止まってくれる。私しかいないんだ。私だけが、歩夢を救えるんだ。
 
侑「……ぁッ!」
 
 だが、掠れたような声しか喉から発せられなかった。私の体は、声を発する余力すら残っていなかった。
 
 頭が真っ白になる。流れる景色がスローモーションのように感じられる。
 
 歩夢が少しずつ、前に倒れていく。少しずつ、少しずつ。これから死ぬシーンをゆっくりと見せつけられる。
 
 叫ぶ。叫ぶ。叫ぶ。
 
 叫んだつもりだった。喉が壊れたっていい。もう二度と、使い物にならなくたっていい。その覚悟で叫んでいるのに、私の口からは血が出ただけだった。
 
 助けられない──
 
 そう、諦めかけたその時、歩夢を呼ぶ声が聞こえた──

 

239:(もも) 2023/05/06(土) 13:46:25.14 ID:N8rVMNzJ

──
 
 夕方、空は赤々と燃えるようだった。それなのに、どこか物寂しい。虹ヶ咲学園の屋上にて、手すりを撫でる。
 
歩夢「いい、景色だなぁ……」
 
 燃えるような赤。それは、せつ菜ちゃんの赤を想起させた。私の世界にも、もう一度色が付いたらしい。
 
 でも、これが最後であり、最期だ。少し時間が経てば、私の世界からまた色は消えるだろうし、無機質な日々に逆戻りになる。
 
 色彩豊かなこの世界を見られる内に、死ぬことができるんだ。私のその思いは、一つの気付きを与えた。
 
歩夢「そっかぁ……。生きていてよかった日って、死ぬにもちょうどいいんだね」
 
 手すりから下を見る。今日は休日であり、夕方だ。学園内に残っている生徒はごく僅かだろう。いつもは騒がしい学園も、今日は静かだ。
 
 第一発見者の人には悪いけど、飛ばせてもらおう。
 
 私は手すりをまたいだ。すると、思わず身震いしてしまった。手すりの前後で、まるで世界が違うように思えた。
 
 内側は、生者の世界。外側は、死者の世界。手すりそのものが、生と死の境界線を引いているように思えた。

 

240:(もも) 2023/05/06(土) 13:47:34.89 ID:N8rVMNzJ

 死が目の前に近づき、恐怖で体が凍えた。でも、下を見なければいいんだ。下じゃない、上を見ればいい。
 
 手すりから手を離し、少し上を向いた。すると、抜けるような赤い空が見えた。赤き空には雲がたなびき、カラスが浮かぶように飛んでいた。
 
 すると、少しだけ体の強張りが無くなった。今なら、行ける。今なら、逝ける。
 
 生唾を飲み込んだ後、瞼を閉じた。そして、深く深く、深呼吸を一度だけした。
 
歩夢「……よし」
 
 背中を預けていた手すりから離れる。そして同時に、手も離した。
 
 ひと思いに、やってしまおう。考えれば考えるだけ辛くなるだけだ。その辛さが、これから永遠に続いてしまうんだ。だから、死ぬんだ。
 
歩夢「……ばいばい。侑ちゃん」
 
 瞼から一筋、涙が流れ落ちる。私はゆっくりと体を前に傾ける。
 
 この涙と、私。どちらの方が速く落ちるんだろう──
 
 そんなことを思ったその時だった。
 
せつ菜「──歩夢さんっ!!死んじゃいけませんっ!!」
 
歩夢「──」
 
 驚いた。私はその時、三つのことに驚いた。
 
 一つ、屋上のドアが勢いよく開けられる音に。
 
 一つ、そこからせつ菜ちゃんが叫びながらでてきたことに。
 
 一つ、私の手が、無意識の内に手すりを掴んでいたことに。
 
歩夢「生きたかったんだ……私」

 

241:(もも) 2023/05/06(土) 13:48:47.33 ID:N8rVMNzJ

 誰も認めてくれない、誰も知らない世界なら、死んだ方がマシ。それは確かにそうだった。
 
 でも私は、死にたかったわけじゃない。当たり前だった。私は侑ちゃんにもう一度会いたくて、隣で一緒に笑い合いたくて、一緒に生きたくて……戻ってきたんだ。
 
 死にたくても、生きたかったんだ……。
 
せつ菜「だめです!死ぬなんて、そんなの絶対だめです!!」
 
 後方から走る音が聞こえた。だが、その音は一つだけじゃなかった。
 
 肩を強く掴まれる。後ろを振り向くと、そこにいたのはせつ菜ちゃん……だけじゃなかった。侑ちゃんを除く同好会の全員が、そこには揃っていた。
 
璃奈「無理やりでも、こっちに持っていく!」
 
 次に、璃奈ちゃんに掴まれた。あれほど、嫌味を言ったのに。あれほど、心を深く傷つけたのに。どうして……?
 
 その後、私はみんなに掴まれ、強引に手すりの内側へと引きずりだされた。
 
 手すりの内側で、私を囲むような半円ができていた。これから虐められるようにも見えるけれど、どちらかと言うと、絶対に逃がさない、と言われているようだった。
 
 ぺたりと屋上の床にへたり込みながら、震える唇を開いた。
 
歩夢「な、なんで私を……」
 
 混乱した。意味が分からない。私は、この世界に必要無かったんじゃないの?

 

242:(もも) 2023/05/06(土) 13:49:53.80 ID:N8rVMNzJ

歩夢「みんなみんな、私が憎くないの?同好会を壊して、みんなの居場所を奪ったんだよ?それなのに……なんで……」
 
 その問いに、まず口を開いたのはしずくちゃんだった。
 
しずく「……正直に言えば、まだ憎いです。全ての気持ちに整理がついているかと言われれば、そんなことはありません」
 
 悔しそうな、でもそれでいて、自分を責めているような気がした。
 
しずく「でも、私はまだ、何も知らないんです。どうしてあんなことをしたのか、推測することはできても、本当に知ることはできていないんです!」
 
歩夢「……しずくちゃん」
 
 それを言うなら、私もそうだ。みんなのこと、何も知らない。歩無魂越しに見ていたとはいえ、当時の私の目は濁り切っていた。みんなの好きなこと、そして嫌いなこと、その一切を知らない。
 
璃奈「歩夢さんにとって、私たちを好きになることは凄く難しいことだと思う。でも、それは私も同じこと。だから、まずは歩み寄りたい」
 
 璃奈ちゃんと目が合う。あの日見た、酷く歪んだ笑みではなく、真剣な顔付きで見つめていた。弱さなんて微塵も感じない、強い意志を感じさせる瞳だった。
 
璃奈「嫌いになることは簡単にできる。でも、それでも、私は今の歩夢さんのことを知りたい」
 
 手を差し出される。視線を外し、その手を見てみた。

 

243:(もも) 2023/05/06(土) 13:51:12.32 ID:N8rVMNzJ

 小さな手だった。身長に見合って、とてもとても……小さな手。なのになぜか、すごく大きなものに思えた。
 
 自然と、私の手はその手に伸びていた。掴む資格が私にあるんだろうか。みんなの居場所を壊し、大切な歩無魂を消し去った私に。
 
 触れ合おうとした瞬間、また、勢いよく屋上のドアが開いた。
 
侑「──っ!!」
 
 みんなの目がそちらに向かう。そこにいたのは、息を切らせて満身創痍な侑ちゃんだった。
 
 よろよろと、左右に体がふらつきながらも、私の元へと向かってきていた。口を開いて何か言っていたが、何も聞こえない。
 
 瞼からは大粒の涙、顔はぐしゃぐしゃに歪んでいた。
 
彼方「侑ちゃんっ!だ、大丈夫ぅ?ほら、お水だよ……」
 
 彼方さんが駆け寄り、ペットボトルのスポーツ飲料水を渡した。それを受け取り、口に含んでごくごくと飲んでいた。
 
侑「はぁ、はぁ……あ、ありがとう、ご、ございます……」
 
 ようやく、言葉が出たようだった。その後、エマさんと彼方さんの肩を借りながら、侑ちゃんは私の元へ来た。
 
 二人の肩から手を離すと、勢いよく抱きしめられた。あまりにも強すぎて、少しだけ呼吸が止まった。
 
 そして、侑ちゃんの体が酷くやせ細っていることに今さら気付く。こんな体のどこに、そんな力があるのだろう……。

 

244:(もも) 2023/05/06(土) 13:52:17.73 ID:N8rVMNzJ

 でもそれ以上に、こうしてもう一度……侑ちゃんと抱き合えたこと。それがたまらなく嬉しかった。
 
 六歳の頃とは体格も声も変わってしまったけれど、抱きしめられた時に感じる幸せは同じだった。
 
侑「……ごめん。歩夢」
 
 まず一言、侑ちゃんは謝った。
 
侑「ごめん。本当にごめんね……。十年振りに会えたのに、喜んでくれるって、そう思うに決まってるよね……。なのに私は……歩夢を見てなかった」
 
 ぽつり、ぽつりと。断続的な雨のような言葉だった。
 
侑「もう一人の歩夢のことで頭がいっぱいで、歩夢のことを見てあげられなかった……。歩夢の過去を、事情を、全て知ってるのは私だけなのに……っ」
 
 その言葉は、胸にひどく沁みた。浅ましいかもしれない。でも私は本当に……侑ちゃんだけが頼りだった。両親も、友人も、誰一人いない世界で、侑ちゃんだけが私を知っていた。侑ちゃんだけは、支えになって欲しかった……。
 
歩夢「ほん、とう……だよっ。私、辛かったよ、苦しかったよ……。十年間も、傍で侑ちゃんを見続けてきたのに、何も届かなかった……。助けてっ!って、何度も何度も叫んでるのに、全然……聞いてくれないんだもん……」
 
 堰を切ったように、思いが溢れる。

 

245:(もも) 2023/05/06(土) 13:53:23.00 ID:N8rVMNzJ

歩夢「会いたかったよぉ……もう一度、侑ちゃんに触れて欲しかったよぉ……。侑ちゃん、侑ちゃぁん……」
 
 でも、思いは上手く言葉にならなかった。私から出た言葉は、そんな単純で、シンプルなもの。
 
 そうだ。そうだった。歩無魂への憎しみなんかじゃない。私の一番の気持ちは、閉じ込められていた時でさえ、侑ちゃんへの思いが一番大きかった。
 
 会いたい。抱きしめられたい。抱きしめたい。笑いたい。笑い合いたい。
 
 そんな……幼稚園生みたいな単純なことこそ、私の一番の願いだった。
 
侑「歩夢ぅ……。ごめん、ごめんね……っ。でも、ありがとう……っ。戻ってきてくれて、本当に、本当にありがとう……っ」
 
歩夢「うぁっ、ぁあっ」
 
 ありがとう。その言葉こそ、私が戻ってきてから一番聞きたい言葉だった。
 
歩夢「あぁっ、ぁ、ぁああっぁ、ああああああああああっ!!」
 
 涙が止まらなかった。壊れそうなほど頼りないのに、温かくて居心地のいい侑ちゃんをもっと抱きしめた。
 
 戻ってきた。ありがとう、って言って貰えた。
 
 私は今、本当の意味で……戻ってこられたんだ……。
 
 涙は、いつまでも涸れることなく流れ出た。十年分。それを出し切るまで、止められる自信は無かった。
 
 でも、今はそれを受け止めてくれる人がいる。侑ちゃんがいる。
 
 やっと……報われた。

 

246:(もも) 2023/05/06(土) 13:54:28.85 ID:N8rVMNzJ

──
 
 涙が涸れ切った後、私は水を貰い、侑ちゃんは一緒に軽食を貰っていた。エネルギー効率のいい軽食を貪り食べ、時折咳き込みながらも全て食べきっていた。
 
歩夢「侑ちゃん。前に見た時よりずっと痩せちゃってるけど……どうしたの?」
 
かすみ「あ、それ、かすみんも気付きました」
 
歩夢「私が一番最初に気付いたけどね」
 
かすみ「え、はい……」
 
 侑ちゃんは唇を雑に拭った後、少しふらつきながら立ち上がった。
 
侑「私はこの数か月間ずっと……もう一人の歩夢に会うために行動してたんだ」
 
歩夢「……え」
 
 そこから、侑ちゃんは端的に今までのことを要約して話した。
 
 心霊・怪異について詳細に調べ上げたこと。怪異を数度祓ったこと。並行世界の自分に憑依して歩無魂に会いに行ったこと。
 
 そして今正に、別の世界の侑ちゃん達が危機的状況にある、ということ。その事実に、私は暗雲の中にいるような感覚に陥った。

 

247:(もも) 2023/05/06(土) 13:55:33.71 ID:N8rVMNzJ

歩夢「じゃ、じゃあ……侑ちゃんは私を助けるために……別のみんなを……」
 
 ふっ、と、足から力が抜けた。私が命を投げ捨てようとしたから、別の世界の侑ちゃんが死んでしまう。
 
 戻ってきたことを心の底から喜べたばかりなのに、また私は……。つい、床に手を突いて俯いてしまう。
 
侑「──大丈夫だよ、歩夢」
 
 でも、頼もしくも強い声が私の顔を上げさせた。
 
侑「私ね、歩夢を救えるのは自分だけだって思いあがってた。でも、本当に歩夢を救ったのは私じゃない。ここにいるみんながいたから、歩夢は助かったんだよ」
 
 その言葉に、私の名を叫ぶせつ菜ちゃんの光景を思い出す。侑ちゃんは私の肩に軽く手を置く。安心して、と言われているようだった。
 
侑「別の世界のみんなも、短い間しか一緒にいなかったけど同じだった。大丈夫。きっとみんなギリギリのところで踏みとどまってる。まだ、間に合うはずだよ」
 
 肩から手が離れる。侑ちゃんは未だふらつく足のまま、屋上を出て行こうとしていた。でも、璃奈ちゃんが侑ちゃんの手を握った。

 

248:(もも) 2023/05/06(土) 13:56:01.56 ID:N8rVMNzJ

璃奈「水臭いよ、侑さん。別の世界の私が困っているなら、私も行きたい」
 
愛「うんうん。ゆうゆが行けるんなら、愛さん達も行けるよね!」
 
 みんなの顔を見る。みんな、思いは一緒だったようだ。侑ちゃんは出口手前で立ち止まり、振り返った。
 
侑「……うん。みんなを救えるのは私だけなんて、さっき間違ってるって気付いたばかりなのに」
 
 一度咳払いをした後、侑ちゃんは私たちに居直った。揺るぎない決意を、その眼差しから感じる。
 
侑「みんな、最後にもう一度だけ、私に力を貸して!歩夢を、私を、みんなを!助けたいんだ!!」
 
 もう、足は震えていなかった。新たな決意が、侑ちゃんの四肢に力を与えているんだろう。だから、私も立ち上がった。
 
 これが、私の……上原歩夢再生の一歩目だ。

 

249:(もも) 2023/05/06(土) 13:57:09.61 ID:N8rVMNzJ

かすみ「ふっふ~ん。任せてくださいっ。別の世界であっても、可愛いが消えるのは宇宙の損失ですからね!」
 
しずく「そんなことを言わずとも、ついて行きますよ、侑先輩。あなたの続く道の先を、私にも見せてください」
 
璃奈「仲間を失うような思いを、別の私にも、みんなにもして欲しくない。あの日暗闇の底に落ちたのは、きっとこの日、立ち上がるためだった。璃奈ちゃんボード『むんっ』」
 
せつ菜「えぇ。全て、無駄じゃない、間違いじゃなかったんです!あの日が無ければ、別の私もみんなも救えなかったんです!邪悪な者を見事祓って、ハッピーエンドに辿り着きましょう!」
 
愛「怪異なんて、愛さん達は一度祓ったことがあるからね!一度目が成功したなら、二度目も絶対成功するっしょ!ね!歩夢!」
 
歩夢「え……。愛ちゃん、その台詞ってちょっと大丈夫……?あ、私ももちろん頑張るよ!」
 
エマ「えぇと……よしっ!難しいことは考えず、一直線に突っ走ろう!あ、だめだった!私もちゃんといっぱい考えて、頑張るよ~っ!」
 
彼方「うんうん。みんなの思いが一つになって、巨大な悪を打ち倒す!う~む、同好会復活の初仕事は、なかなかに骨が折れますな~」
 
 思い思いの台詞を言い、最後に果林さんが口を開いた。
 
果林「この世界は……美醜のいない、生まれなかった世界なのね。私がこうしてのほほんと暮らしているのは、本当に偶然に過ぎないのよね」
 
 歩無魂に憑依された世界、されなかった世界。美醜の生まれた世界、生まれなかった世界。そこに生まれ落ちるかどうかは、本当に偶然なのだろう。
 
果林「救ってみせようじゃない。同好会全員で当たっても手の余る相手なら、こっちも手数を増やすだけよっ!」
 
 高らかに、果林さんは宣言した。その士気の高さが、私たち全員に伝播していく。
 
侑「うん……うんっ!行こう!みんな!」
 
「「「「「「「「「おおおおおおおおおおっ!」」」」」」」」」
 
 私たちは、侑ちゃんの部屋へと、別の世界へと向かった──

 

250:(もも) 2023/05/06(土) 13:58:14.52 ID:N8rVMNzJ

──
 
侑「果林さんっ!!」
 
 私の叫びが深紅の空の下、虚しく響き渡る。場所は森の中を抜けて梔子集落。別の私越しに景色を見ていたら、唐突に人格が戻って驚倒した。
 
 人格が戻ってから、事態は急転した。果林さんは首の痣によって激しく苦しみだし、後ろからは怪異に操られた住人に追いかけられた。
 
 私は果林さんに肩を貸しながらなんとか、追手から逃れていた。
 
 森の中は茂みやたくさんの木が隠れ蓑として機能していた。でも、集落に出てしまえば遮蔽物はおのずと限られてくる。
 
 でも、それでも、私たちは向かわなければならなかった。美醜の待つ、あのおどろおどろしい民家へ。
 
 きっと、別の世界の高咲侑は帰ってくる。私が私なら、こんな中途半端な状況で投げ出したりなんかしない。だから、私は私を信じて美醜の待つ民家へと走るのだ。
 
 そのさなか、私はポケットに入っていた符を無作為にバラまき、突撃してきた住人を撃退した。どれがどのような効果を持つのかは分からない。でも、数撃てば当たる戦法だった。

 

251:(もも) 2023/05/06(土) 13:59:19.61 ID:N8rVMNzJ

 ただ、放った符のいくつかが、この深紅の世界をより深遠に導いていたような、そんな気がした。
 
果林「はぁっ、はぁっ、はぁ……」
 
 肩を貸す果林さんの様子は、目に見えて悪い。意識を保っていられるのが奇跡なくらい、顔色は真っ青だった。それでも地面を蹴り上げ、前へ進もうとするのは私同様に諦めていないからだろう。
 
侑「も、もうすぐですよ……果林さんっ!」
 
 もうすぐ、もうすぐあの民家へと辿り着こうとしていた。
 
 もうすぐ……本当にもうすぐなんだ。
 
 もうすぐ、もうすぐだから……早く。
 
 早く、早くっ!
 
侑「ここまで来たよ!だから早く!早く戻ってこいよ高咲侑!!」
 
 深紅の空、そのさらに奥へと響くように、私は声を張り上げた。
 
 その瞬間だった。美醜のいるはずの民家から、何かが貫いた。いや、違う。
 
 這い出ていた。黒き靄を身にまといながら、それは現れた。大きさは民家一つ分程度。人の上半身を黒塗りし、禍々しくぼかしたような見た目だった。

 

252:(もも) 2023/05/06(土) 14:00:24.72 ID:N8rVMNzJ

侑「──ひっ」
 
 その黒き怪物に、赤黒い目玉が二つ現れた。それが私の目を射貫き、思わず小さく悲鳴を漏らしてしまう。がくがくと恐怖で足が震え、歯ががちがちと鳴った。
 
 先ほどまで感じていた邪気とは別格だった。空気に毒が含まれているかのように息が詰まり、死の気配を皮膚の少し先に感じた。
 
 それは間違いなく、一つの事実を表していた。
 
 美醜の封印が、完全に解かれた。
 
 恐怖で瞼から涙が流れ落ちる。でも、負けるわけにはいかなかった。私の肩には今際の際であろう果林さんがいる。果林さんを置いてなど、逃げられるわけがない。
 
 それにあの日、■■島への出発前夜、歩夢に言われたんだ。絶対また、生きて会おうって。果林さんを置いて行ってしまえば、歩夢にも、みんなにも合わせる顔が無い。
 
果林「──逃げなさい、侑……」
 
 だが、果林さんはそう言った。首の痣がどんどん広がっているのに。両手両足は全て痣の紋様で埋まり、右頬にまでそれは迫っているというのに。
 
果林「あなた、だけなら……まだ……」
 
 頭がカッと熱くなる。
 
侑「──できませんっ!!」
 
 今日一番の絶叫だった。でもおかげで、体に活力が戻る。恐怖よりも、自己犠牲を選ぶ果林さんへの怒りが勝った。
 
侑「果林さんはっ!絶対に私と一緒に生きて帰るんです!そして、またライブを見せてください!セクシーで大人な魅力で私をメロメロにしてください!!」
 
 諦めない。負けられない。死が目の前に迫っていても、私は一歩も引かない!

 

253:(もも) 2023/05/06(土) 14:01:31.64 ID:N8rVMNzJ

果林「侑……。ふふ。先輩の言うことが聞けないなんて、いけない娘ね……」
 
 汗だくになって辛いはずなのに、果林さんは薄く笑った。
 
侑「そうですよ……っ!学園に帰ったら、何でも聞いてあげますから!」
 
 私も、口角を上げた。死にそうな時ほど、諦めたくなるような劣勢な時にこそ、笑え。笑えるなら、まだ戦えるはずだ。
 
 でも、ここからどうしようかな。チラリと後ろを振り返る。すると、美醜に操られた住人が大挙して押し寄せてきた。
 
 前を見ると、遅々とした歩みなれど、上半身だけの黒き靄を纏った美醜が近づいてきている。逃げ場はどこにもない。状況は絶望的だった。
 
 ……私は、よくやった。突然の入れ替わりだっていうのに、果林さんを支えて集落まで辿り着いた。
 
 私の役割は、きっとここまでだろう。だからほら。今だよ、私。今が、あなたの出番だよ。
 
 そう思ったその時、後ろがざわめき始めた。何かが、変わり始めていた。
 
 小さな揺らぎ程度のざわめきが、少しずつ大きくなっていく。そのざわめきの中に聞き慣れた声が聞こえた。
 
──ん
 
──ゆ──ちゃ
 
──侑──ん

 

254:(もも) 2023/05/06(土) 14:02:40.57 ID:N8rVMNzJ

 その声の主は。
 
歩無魂・歩夢「侑ちゃんっ!!」
 
侑「歩夢……!?」
 
 歩夢だった。なぜ、ここに。歩夢は果林さんの実家にいるはずじゃ……。あれ、でも待って。確か歩夢は、制服じゃなくて私服で来ていたはず……。
 
 それに、私の耳がおかしくなったのか、歩夢の声が二重に聞こえた気がする。
 
歩無魂「行ってっ!歩夢ちゃん!!侑ちゃんに符を!!」
 
歩夢「うんっ!ありがとう!ぽむだ……うぅん!ありがとう歩夢ちゃん!!」
 
歩無魂「……っ。任せて!」
 
 見間違いじゃなかった。歩夢は、二人いた。頭と目がおかしくなったわけじゃない。間違いなく、歩夢は二人いて、連携を取っている。
 
 片方の歩夢に住人の多くは吸い寄せられていく。上手い誘導だった。
 
 自然と、私も歩夢に向かって歩き出していた。
 
 歩夢が二人。それも、何か考えがあって近づいているように見える。それなら、私も迎えに行ってあげなきゃいけない。
 
 ここだ。ここで歩夢の手が届くか、住人に呑み込まれるか、それが一番の分水嶺なんだ。

 

255:(もも) 2023/05/06(土) 14:03:45.91 ID:N8rVMNzJ

 ふっ、と、果林さんを支える肩が軽くなる。一瞬倒れたのかと思ったが、果林さんは自らの足のみで歩き出していた。
 
 だが、声を出す余裕がないのか、口の動きだけで言葉を伝えた。
 
『いきなさい』
 
侑「……っ」
 
 足に力を込める。私は走り出す。歩夢に向かって一直線に。
 
歩夢「侑ちゃんっ!」
 
侑「歩夢っ!」
 
 歩夢から差し伸べられた手には、一枚の符が握られていた。そうか。あの符は、もう一人の私と強制的に入れ替えるものだ。
 
 あれが届けば……!
 
 だが、歩夢の背中の目と鼻の先に、住人が迫っていた。手には錆びた鉈を持っていた。錆びていようと、凶器は凶器。
 
 私に手が届いても、コンマ数秒後には凶器が届いてしまう。
 
 歩夢が死んじゃう……!
 
 千切れんばかりに手を伸ばす。
 
 凶器が振り下ろされる。
 
 歩夢の必死な顔が映る。
 
 そして、私と歩夢の手が握られ、符は接触した。
 
 私の人格が深く深く、奥深くに押し込められるような感覚が──こなかった。

 

256:(もも) 2023/05/06(土) 14:04:51.07 ID:N8rVMNzJ

 だがその代わりに、私は奇妙な光景を目にした。歩夢の後ろで凶器を振るおうとした住人の左頬に、拳がめり込んでいた。
 
 住人は横に吹っ飛ばされ、歩夢に凶器が届くことは無かった。いったい、誰が……。
 
 殴った本人へと視線を向ける。それは、今日何度目かの驚きだった。
 
歩夢「──ふぅ。私を〇そうとしたんだもん。殴られても文句言えないよね」
 
 ぱっぱ、と、拳についた汚れを払っていたのは、またしても歩夢だった。私服だが、私に符を貼った歩夢ではない。
 
 三人目の歩夢が、そこにはいた。
 
侑「──さて、年貢の納め時だよ、美醜」
 
 呆気に気を取られていると、後方から頼もしい声が聞こえた。
 
 そこにいたのは、私。
 
 けれど、今の私のように髪を結んでおらず、着ているのもラフな部屋着だった。加えて言えば、酷く痩せこけて……いや、やつれていた。でも、美醜を睨む双眸だけは、爛々と輝いていた。
 
果林「──よく頑張ったわね、果林」
 
 そして最後に、果林さんが果林さんに肩を貸していた。肩を貸す方の果林さんには、首の痣が無かった。
 
 もう、私の頭はパンク寸前だった。でも、一つだけ言えることがある。
 
 状況が、根底からひっくり返った。

 

263:(茸) 2023/05/07(日) 10:56:10.29 ID:zfjtkNfO

──
 
 私が向こうの世界の高咲侑に接続する前、一つの懸念があった。それは、美醜と戦って勝てる勝算が薄かったからだ。今のままでは、いいところ五分五分……いや、もっと低いだろう。
 
 相手に有利なフィールドかつ、本当の自分の体では無い器を使って対抗しようと言うのだ。無理があるのも自明だった。
 
 でも、みんなが私についていくと標榜してから、一つの閃きが生まれた。
 
 それは、みんなと一緒に魂だけを向こうの世界に顕現させる、ということだった。
 
 向こうの世界のみんなには、身を守る符を持たせている。私はそれと同一の効果のあるものを、今の世界でも持っている。その符同士を関連付けて、みんなを向こうの世界に連れていく予定だったのだが、そこで生まれた閃きだった。
 
 私は元々、常世と現世の境目を魔導符で曖昧にすることで、現実を霊場寄りに傾け、歩無魂を出現させるという方法を考えていた。そして恐らく、美醜の力が活性化したことで、霊場はより強くなっている。歩無魂出現の条件は揃ったということだ。
 
 それなら、霊体である歩無魂が出現できるほどの霊場なら、魂だけの私たちでも、一時的に顕現できるのではないか、と考えた。美醜が力を振るっているという前提、霊場が強まっているという前提。
 
 でもそれなら、私は美醜に対抗できる。なぜなら、向こうの世界の私では無く、怪異と渡り合ってきた経験豊富な魂を持っていけば、言霊の強さも段違いだからだ。
 
 それに、今の私は梔子集落で起きた真実を知っている。怪異にとって人間だった頃の過去は痛手になる。怪異になった原因そのものとは、ウィークポイント、つまり思い出したくない弱点そのものだからだ。
 
 そして私は、私たちは、向こうの世界の歩夢が符を貼ったことを察知し、魂だけで世界を渡ったのだ。

 

264:(茸) 2023/05/07(日) 10:57:12.31 ID:zfjtkNfO

──
 
侑「──【止まれ】」
 
 朗々と強い言霊を発する。磨き抜かれた魂だけの方が、言霊の走りもいい。
 
 だが、目の前にいる黒き靄を纏った怪物──美醜は少し動き辛そうにしただけだった。やはり、今のままでは少し分が悪いらしい。
 
 私は近くにいたもう一人の私に向かって声をかける。
 
侑「私が作った符、まだ持ってる?」
 
侑「えぁ。あ、うん。はい、これ……」
 
侑「よしよし……。うわ、魔導符殆ど無くなってるじゃん。まあ、だからこっちに来られたんだけど……」
 
 ■■島に来る前に作成した符はずいぶんと目減りしていた。私と人格が入れ替わっている間、無我夢中で投げたっぽい。
 
 だが、使える符は幾つも残っている。これなら、継戦可能だ。
 
侑「【止まれ】!!」
 
 まず、後方にいる操られた住人へ向かって符を投げ、言霊を放つ。すると、効力が上乗せされ、黒山のようにいた住人達は動きを止めた。
 
 よし。これで歩夢たちに被害が及ぶことはない。でも、今の美醜ならすぐに住人の主導権を握り返せるだろう。だから、チャンスは今しかない。
 
侑「──梔子集落で生まれた姉妹。その姉が、あなた。そして妹が、花蘭」
 
 淡々と、事実確認するように美醜の故事来歴を語る。すると、明らかに反応が変わった。苦しむような、悲鳴を上げるような、そんな反応だった。

 

265:(茸) 2023/05/07(日) 10:58:15.32 ID:zfjtkNfO

 赤黒い双眸は憎むように私を睨み、大きな黒き腕を振り下ろしてくる。
 
侑「【止まれ】」
 
 だが、符と言霊によって止まった。力が、明らかに通りやすくなっている。
 
侑「──花蘭に虐げられ続けたあなた。両親からも見捨てられたあなた。そして、花蘭と下級役人の陰謀により、謀〇されたあなた」
 
『ォオ、ォオオオオオ……ッ』
 
 言葉を続けると、先ほどは無かった呻き声が聞こえた。怪異としての側面よりも、人だった頃の側面が出始めている。つまり、怪異として弱体化しつつあるのだ。
 
 だが、美醜は美醜。怪異は怪異。未だ手は抜けない。
 
 黒き靄が少し薄くなりながらも、暴れるように腕を振り回す。
 
侑「【止まれ】・【祓え】」
 
 連続で符と言霊を放つ。美醜の動きは止まり、靄も弾かれるように飛んでいく。そして、苦しむように体を悶え始めた。
 
 とどめを刺す。そのために、美醜の怪異的側面を落とす。
 
侑「──あなたの正体は、ただの人間」
 
 びくっ、悶えるように苦しむ美醜の動きが止まる。この人間を暴いていく過程にも、言霊を使っている。だから、凍みるのだ。弱点に塩を塗りたくるようにして、彼女の人間性を暴いていく。
 
侑「──虐げられたから、虐げた人に恨みを持って復讐しようとした。実に、人間らしい人間だよ、あなたは」
 
『ウ、ォォオオ……ッ、ワ、ワタシ、ハ……ワタ……シハ……』
 
 呻くだけじゃない。美醜は、人間性を取り戻しつつあり、意味のある言葉すら喋るようになった。

 

266:(茸) 2023/05/07(日) 10:59:19.01 ID:zfjtkNfO

 もう一押し。あと一手。
 
 私は、言葉と手を振るう。
 
侑「【戻れ】」
 
 静かに、でも万感の思いを込めた言霊と、符の中でも最も効力のあるものを放った。符は真っ直ぐに飛んでいき、美醜の体へと貼りついた。
 
『ア、ァアアアッッッ、アァァアアアアアアアアアアッッッッ!!』
 
 耳が割れんばかりの絶叫だった。それは、断末魔。生きている人が、動物が、死ぬ間際に発する叫び。つまり美醜は、消えようとしていた。
 
 黒き靄は徐々に払われていき、美醜の体も小さくなっていく。小さな家ほどあったというのに、普通の成人女性くらいの体躯に戻った。
 
 私が放った言霊は、戻れ。怪異から人間への回帰だった。まだ、完全には祓われていない。
 
侑「【祓──」
 
 とどめの一撃を発しようとした時、腕を止められる。後ろを振り向くと、そこにいたのは果林さんだった。
 
果林「ま、待ちなさい……」
 
 先ほどまで全身に回っていた痣が、首に小さく残っていた。美醜の弱体化により、呪い自体も逓減したんだろう。
 
侑「果林さん……。あとは、これを振るうだけで勝てるんです。それとも、美醜に同情でもしてしまいましたか?」
 
 腕に力を込めるが、ちっともびくともしない。これが、先ほどまで死ぬ寸前の呪いを受けていた人の力だろうか。

 

267:(茸) 2023/05/07(日) 11:00:24.11 ID:zfjtkNfO

果林「忘れたの?璃奈ちゃんに……頼まれたじゃない。美醜を、救いたいって……」
 
侑「それは……」
 
 確かに、私との接続が切れる直前、電話口でそう叫ばれた。その意志を尊重したいとは思うけど、でも、美醜を救うことなんて……。
 
 いや、そうか。
 
 さっき、私は学んだばかりじゃないか。
 
侑「……私に救えなくても、みんななら……」
 
 自〇直前の歩夢を止めたように。誰かを救えるのが私じゃないなら、同好会のみんなでいい。だから私たちは、ここまで来られたんじゃないか。
 
 今にも意識を失いそうな、満身創痍の果林さんを真正面に見つめた。小指で小突くだけでも倒れそうなほど弱々しい。
 
 でも、私は果林さんに任せることにした。
 
侑「果林さん、お願いします」
 
果林「……ふふ。生意気な後輩ね、全く。そっちの侑とまるで変わらないじゃない」
 
侑「え、そうですか?私、あんな冷たい目で敵だろうと追い詰めませんよ」
 
 もう一人の私が心外みたいに口にした。あんなってなんだ。あんなとは。
 
果林「ま、二人の侑は大船に乗ったつもりでいなさい。ほら、果林。頑張って。璃奈ちゃんとの約束、守るんでしょ」
 
果林「えぇ……。見ていてちょうだい、もう一人の私」
 
 二人の果林さんが、私の力が無くても消えそうな美醜の前に立つ。未だ煤けたように黒いものの、髪や四肢ははっきりと分かる。もし、この煤のような靄が全て取れれば、肌に刻まれたであろう無数の傷痕が顔をのぞかせるのだろう。

 

268:(茸) 2023/05/07(日) 11:01:26.79 ID:zfjtkNfO

 肩を借りていた果林さんは、ゆっくりと膝を突いた。できるだけ美醜と目線を合わせようとしているらしい。
 
果林「全く、散々な目に遭ったわよ……。あなたのせいでね」
 
 一言目は、恨み言だった。
 
果林「ここへ来たのはね、旅行の予定だったの。なのにこんな仕打ちに遭うなんて、私もツイてないわね」
 
 ふっ、と、小さく嘆息の息を吐く。
 
果林「けれど、もう許すわ。同好会のみんなも、私も、一人も犠牲は出なかったのだから。だから一つだけ聞かせてちょうだい」
 
 そっ、と果林さんは、美醜の頬らしき部分に触れる。天秤が怪異より人間へ傾いたせいか、しっかりと実体を持って触れているらしい。
 
果林「美醜なんて酷い名前じゃないわ。あなたの、本当の名前を聞かせて」
 
 にこり。先ほどまで〇されかけたとは思えないくらい、慈愛に満ちた笑顔だった。
 
『ァ……ワ、タし、は……』
 
 果林さんからの問いかけに対し、美醜は敏感に反応していた。
 
『…ァ……れ、…ン……』
 
 ただの呻き声のような一言を発した後、美醜はくたりと力を失った。だが、果林さんはそんな美醜を支え、膝に乗せていた。
 
果林「そう……かれん。あなたの本当の名前は、華恋というのね……。素敵な名前じゃない」
 
 さらり、髪であろう部分を優しく撫で始める。昼寝をする幼子を起こさないような手つきだった。

 

269:(茸) 2023/05/07(日) 11:02:31.80 ID:zfjtkNfO

果林「華恋。あなたはこの世界に強い恨みを持っているかもしれない。小さな頃から虐げられ、その末路があれなんですもの。あなたには、恨みを持って復讐するだけの権利があるわ」
 
 それは、美醜……いや、華恋さんの肯定だった。その言葉に、もう一度華恋さんは震えるようにして反応していた。
 
 醜い顔で生まれたことを両親に否定され、目も眩むような美貌を持つ姉に否定され、そして、世界から否定された華恋さんにとって、初めての言葉だったのだろう。
 
果林「……けれど」
 
 肯定の言葉尻に、果林さんは否定を加えた。
 
果林「あなたがもう一度だけ、この世界に生まれてもいいと思えたのなら。将来生まれるであろう、私の子供に生まれなさい」
 
『……ぁ』
 
 華恋さんの赤黒い双眸から、一筋の涙が流れていた。彼女は……怪異ではなく人なんだ。
 
果林「愛してあげる。私の思いの全てを、あなたに注いであげるわ」
 
 最後に、果林さんは華恋さんを胸に抱いた。それはまるで、赤子を取り上げたような、新しい生まれを祝福するかのような、そんな光景だった。
 
果林「だから、安心しておゆきなさい……華恋」
 
『──』
 
 その言葉の直後、華恋さんの体は砂のような粒子に変化していく。サラサラとした粒子は風に舞い、高らかに空へと上がっていく。

 

270:(茸) 2023/05/07(日) 11:02:49.00 ID:zfjtkNfO

 その空は、深紅の空では無かった。どこまでも果てがないような、深き青を湛えた大空だった。
 
果林「華恋も……この集落から解放されたのね」
 
 ぽつり、果林さんは呟いた。

 

271:(茸) 2023/05/07(日) 11:03:52.92 ID:zfjtkNfO

──
 
そして、限界が来ていたようで、もう一人の果林さんに支えられていた。
 
果林「お疲れ様。あなた、なかなかいい女性に育ってるじゃない。ちょっと尊敬しちゃったわ」
 
果林「……ふふ。自分に口説かれるなんて、思ってもみなかったわね」
 
果林「私も、自分を口説くなんてこれっきりだと思うわ」
 
 二人の果林さんは、妙に息がぴったりだった。世界が違えど、やはり二人は同じなんだろう。
 
果林「だから、もう寝なさい。後は私たちに任せて」
 
果林「……そう、ね。正直、ずっとずっと、気を張りすぎて切れそう、に……」
 
 くたっ。果林さんは意識を失うように瞼を閉じた。そのすぐ後、気持ちよさそうな寝息が聞こえてきた。首にあった痣も綺麗さっぱり消えているし、体は大丈夫そうだ。
 
愛「──お~いっ!歩夢ぅ~!ゆうゆ~っ!かり~んっ!」
 
 そんな中、後方から声が掛かった。後ろを振り向くと、そこにはみんながいた。また、集落にいたであろう住人達はおしなべて気絶していた。
 
 美醜の強い邪気に当てられ、人格を意識の遥か底に沈められたのだろう。命に別状はないだろうけど、起きるのは少し後になりそうだ。

 

272:(茸) 2023/05/07(日) 11:04:57.00 ID:zfjtkNfO

侑「うぇえ!?愛ちゃんも二人!?ってか、みんなも二人いるじゃん!!お~いっ!みんな~!愛ちゃ~んっ!こっちだよぉ!!」
 
 もう一人の私がぴょんぴょんと飛び跳ねながら存在を主張していた。私って、あんなにあざとかっただろうか……。
 
愛「お、そこにいるんだね!」
 
愛「ってことは~?」
 
 二人の愛ちゃんが互いに顔を見合わせる。なんだか、少し嫌な予感がした。
 
愛「「あいあいさーっ!愛だけに!な~んつってっ!」」
 
 びくっ。私はもちろん、もう一人の私も硬直……の後に、体中から沸きあがる感情が爆発した。
 
侑「「あはっ、あはははははははははは!愛ちゃんっ!二人であいあいさーって……あはははははははははは!!」」
 
 私たちは二人して地面を転がり回った。愛ちゃん単体でも面白過ぎるのに、二人が協力したら無敵になっちゃうよ!
 
かすみ「……そっちの侑先輩も、変わらないんだね」
 
かすみ「まあ、うん……。それ以外はほんと、カッコよくて頼りになるんだけど……」
 
 転げまわっていると、二人のかすみちゃんが見えた。泥だらけになって服を汚しているが、特段際立った怪我はないように見える。

 

273:(茸) 2023/05/07(日) 11:06:00.88 ID:zfjtkNfO

彼方「いや~、まさか彼方ちゃんと同レベルの遥ちゃん談義ができるなんてね~」
 
彼方「むふふ。そちらの彼方ちゃんも、我が家の一員になってもいいんですぞ?」
 
彼方「おや……。彼方ちゃんが二人に遥ちゃんが一人……。こ、これはっ!遥ちゃん奪い合い戦争の開幕!?」
 
 命の奪い合いの直後だと言うのに、呑気な会話が聞こえてきた。銘々、もう一人の自分とは上手くやっているらしい。
 
しずく「えぇ!?車を運転したの!?無免許なのに!?」
 
しずく「ふふっ。見たら絶対ビックリすると思うよ。私の華麗なドライビング捌き……。あぁ、もしかしたら、アクション映画でハリウッドデビューなんてことも……」
 
しずく「ふむ……。アクションは無理だと思っていたけど、カーアクションなら……」
 
エマ「あなたが来てくれて、本当に助かったよ~。もう腹ペコで一歩も動けない!死んじゃう!って思ったら駆けつけてくれたんだもん!」
 
エマ「ふふ~ん。私にとってはあなたも、妹みたいなものだからね~」
 
エマ「えーっ!それは絶対違うよぉ!」
 
せつ菜「おや、あなたも数か月間スクールアイドル活動していないんですね」
 
せつ菜「えぇ。色々ありましたから。でも、ようやく全て終わったんです!ここからは加速していきますよぉ!」
 
せつ菜「私もです!いつか、二人でせつ菜スカーレット☆ストームができたらいいですね!」

 

274:(茸) 2023/05/07(日) 11:07:04.50 ID:zfjtkNfO

璃奈「あなたも言霊を使ってたけど、侑さんに教えて貰ったの?」
 
璃奈「違うよ。私も侑さんと同じ。もう後悔したくなかったから、そっちの勉強をした。披露できる場があって、少し救われた」
 
璃奈「そっか……。私も、あなたみたいに強くなれたらいいな」
 
璃奈「できるよ。だって、あなたは私なんだから」
 
歩夢「逃げるだけじゃだめだよ。侑ちゃんに近づく害虫がいたら、こうだよ。シュッシュッ!」
 
歩夢「え、えぇ?い、いまぁ?もう疲れちゃったよぉ」
 
歩夢「だめ!ほら、やってっ!誰かに侑ちゃんを奪われてもいいの!?シュッシュ!」
 
歩夢「しゅ、シュッシュ!!……あんな経験があると、私ってこうなっちゃうんだ」
 
 ……。なんだか、変な光景を目にしてしまった。だがまぁ、歩夢もずいぶん元気を取り戻してくれた。戦いを経れば、どんな他人でも戦友へと早変わり……と簡単にはいかないけれど、その一助にはなったんじゃないかな。
 
 和やかな雰囲気だったが、私の心はざわついていた。
 
 ここにあるはずの、もう一つのピースが欠けていた。
 
歩夢「侑ちゃん……?そんなきょろきょろしてどうしたの?」
 
侑「……いないんだ」
 
歩夢「いないって……誰が?」
 
 そんなの、一人に決まってる。
 
 私がここまで世界を渡って苦労してきた意味は、全てそこへ集約される。
 
 私が名前を言う直前、その声は耳朶に届いた。
 
歩無魂「──侑ちゃん」
 
侑「……っ!」

 

275:(茸) 2023/05/07(日) 11:08:10.18 ID:zfjtkNfO

 反射めいた動きで後ろを振り返る。そこには、片腕を押さえて足を引きずる歩夢が……歩無魂の歩夢がいた。
 
 ぎこちなさげに笑みを浮かべたその顔は、この十年間ずっと見続けていたものだった。
 
 錯綜。噴出。爆発。混乱。私の思いは、正にそんな感じだった。
 
侑「歩夢っ!!」
 
 会いたかった。歩夢に会うために、私はここまで来たんだ。もう一度、会うために。
 
 言えなかった言葉を伝えるために。
 
 少し離れた距離にいる歩夢へと全力で駆けた。体は既に疲労困憊だったが、思いが四肢に力をくれた。
 
歩無魂「ゆ、侑ちゃん……」
 
 歩夢は動き辛そうにしながらも、一歩一歩、確かに大地を踏みしめ近づいてくる。たった一人で……操られた住人を相手に大立回りしていたんだろう。
 
 私の瞼に、涙が浮かぶ。歩夢の瞼にも、涙が浮かんでいた。止められない。止まらない。
 
 思いが溢れて止まらない!
 
 そして、私たちは遂に出会い、抱き合った。強く抱きしめると、知っている香りがした。安心感と同時に、より涙が出てしまう。
 
歩無魂「侑ちゃん……会いたかったよ。本当に、会いたかったっ」
 
侑「歩夢……歩夢ぅ!」
 
 言葉の一つ一つが心に染み渡る。感情がぐちゃぐちゃになってどうにかなりそうだった。

 

276:(茸) 2023/05/07(日) 11:09:13.78 ID:zfjtkNfO

 言いたいことはたくさんあるはずなのに、この土壇場で、私は言葉を選べずにいた。
 
歩無魂「……私をまだ、歩夢って呼んでくれるんだね」
 
 囁かれるように呟かれた声に、胸が痛んだ。
 
歩無魂「歩夢ちゃんの十年間を奪った私が、侑ちゃんに会ってもいいのかなって思ったけど……止められなかった」
 
 その言葉は、懺悔だった。深き深き、罪悪感がそこにはあった。
 
歩無魂「そんな私のことを……侑ちゃんは──」
 
 だからまず、歩夢にはこの言葉を贈らなきゃいけない。声が震えないよう、一言一句伝わるように、喉を震わせる。
 
侑「歩夢。私にとって歩夢は、歩夢以外の何者でもないよ。私の大好きな……一番大好きな、歩夢なんだよ」
 
 その言葉を言われた歩夢は、明らかに取り乱していた。私を抱きしめる力が緩み、歩夢の顔が見える。
 
歩無魂「……そ、そんなこと……私が言われても、い、いいのかなぁ?」
 
侑「いいんだよ。歩夢は、歩夢のままでいいんだ」
 
 言葉は、選ぶものじゃなかった。心の隙間からあふれ出た思いが、自然と結晶になってでていった。
 
侑「歩み無き魂なんかじゃない。しっかりと、歩夢の魂が歩んだ道が有るんだよ」
 
歩無魂「……っ」
 
歩夢「……わ、私……歩夢でいいんだ……っ」
 
歩夢「侑ちゃんの……歩夢でいいんだね……っ」
 
 歩夢は込み上げる感情に押し潰されそうになりながらも、泣きながら笑っていた。今まで見た笑顔の中で、一番の微笑みのように思えた。

 

277:(茸) 2023/05/07(日) 11:10:19.42 ID:zfjtkNfO

 それだけに、切なさが胸を締め付けた。歩夢の一番の笑顔を見たというのに、私は今から……。
 
 だから、伝えられなかった思いの丈全てを、今ここに吐き出す。
 
 空は大海原のような雲一つない快晴。すでに霊場としての意味は失いかけており、怪異や魂だけの存在である私たちはもうすぐ消えてしまうだろう。
 
 そうすれば、華恋さんのような怪異のいない今、言葉を伝えられるのは今しかない。
 
侑「私、さ……歩夢に会えなかったら、もっとつまんない人生を歩んでたって思う。何かに手を出しては引っ込めるみたいな……中途半端な人生だったと思うんだ」
 
 でも、そうはならなかった。歩夢の隣を歩いていく内に、私たちにはかけがえのない夢が生まれた。
 
侑「でも、歩夢が自分の夢に誘ってくれた。だから、私も安心して夢を見ることができたんだ。私の夢は、歩夢から始まったんだよ……?」
 
 あの日、歩夢と共に夢を見なければ、歩夢に出会わなければ、今の私はここにはいない。
 
歩夢「私も同じだよ、侑ちゃん……」
 
 それに対する歩夢は、未だ涙を流しながらも、明るく笑っていた。

 

278:(茸) 2023/05/07(日) 11:11:22.90 ID:zfjtkNfO

歩夢「本当なら、あり得なかったもう一度の人生。その中で、私は侑ちゃんに出会えた。侑ちゃんと一緒に……夢を見ることができた。たくさんの未練を残しちゃうくらいに……」
 
侑「……ありがとう歩夢。私に出会ってくれて」
 
歩夢「こちらこそ。私が今幸せなのは……侑ちゃんに出会えたからだよ」
 
 私たちは、二人で笑い合った。もう一生無いと思っていた。でも、こうして叶った。
 
 今までの全てが報われた。そんな実感を覚えていた。
 
 だが、時間は残酷なまでに平等に進む。歩夢の体が少しずつ、薄まり始めていた。いや、それは私も同様だった。もうすぐ、この世界ともお別れらしい。
 
歩夢「──侑ちゃん、私にもお話させて欲しいな」
 
 背中に声がかかる。そこにいたのは、十年間人格を奪われ続けた歩夢だった。
 
 歩無魂の歩夢と、元々の歩夢。水と油のような彼女達が、こうして出会ってしまった。
 
侑「……うん」
 
 その要望に対し、私は黙って頷くしか無かった。一番心おだやかではないのは、間違いなく元々の歩夢だろう。
 
歩夢「……こうして会うのは初めてだね。歩無魂」
 
歩夢「うん……。あの、私、本当に……ごめんなさい……」
 
 元々の歩夢に対し、頭を下げようとした。だが、その動きは手で制止された。
 
歩夢「そんなことじゃないよ。私が望んでるのは」
 
 突き放すような声だった。そして、元々の歩夢は腕を振り上げた。

 

279:(茸) 2023/05/07(日) 11:12:29.98 ID:zfjtkNfO

歩夢「……っ!」
 
 歩無魂の歩夢は思わず目を瞑る。次の瞬間来る痛みに備えた。
 
 だが、思っていた未来はいつまで経ってもこなかった。
 
歩夢「……早く手をだして」
 
歩夢「えぁ。は、はい……?」
 
 歩無魂の歩夢は頭に疑問符を浮かべながら、軽く手を上げた。その瞬間、パンッ、と渇いた音が鳴った。
 
歩夢「……よし。確かに受け取ったよ。歩無魂……うぅん、歩夢ちゃんからのバトンタッチ」
 
 元々の歩夢はそう言いながら、悪戯っぽく微笑んだ。最期の意趣返しという奴かもしれない。
 
 だが、歩無魂の歩夢は困惑しているようだった。自分の胸を掴みながら、必死そうに言葉を口にする。
 
歩夢「に、憎んでないの……?十年間も、あなたを閉じ込めたのに……。侑ちゃんとの時間を、奪ったのは私なのに……」
 
歩夢「……いいの、もう」
 
 だが、元々の歩夢の返答は軽いものだった。
 
歩夢「この十年間はもう取り戻せない。でも、でもね……私が私として過ごしたあの六年間を、侑ちゃんも大切に思ってくれている。だから、いいんだ、もう」
 
 あっけらかんと笑う、向日葵のような笑顔だった。

 

280:(茸) 2023/05/07(日) 11:12:56.92 ID:zfjtkNfO

歩夢「……そっか。うん……。じゃあ、歩夢ちゃん」
 
歩夢「なに?」
 
歩夢「侑ちゃんを、みんなを、お父さんとお母さんを……お願いね」
 
 今度こそ、歩無魂の歩夢は深く頭を下げた。
 
歩夢「うん。任せてっ。もう一人の私!」
 
歩夢「……っ」
 
 六歳の頃から始まっていた二人の因縁が、ここで解かれた。
 
 その後、歩無魂の歩夢は少し遠くを見た。そこには、みんながいた。歩夢が虹ヶ咲学園で共に過ごしたみんなが。
 
歩夢「みんな……っ!本当にありがとう!私、幸せだったよ!!」
 
 叫ぶ。歩夢の結んだ絆は、何も私だけでは無い。より多く、よりたくさんの絆を結んでいった。
 
歩夢「スクールアイドルになれて、みんなと一緒にライブができて、みんなと笑い合えたこと!ぜんぶぜんぶ、私の宝物だから!!」
 
 その言葉には、万感の思いが込められていた。言われたみんなも、口々に歩夢への思いを叫んでいた。

 

281:(茸) 2023/05/07(日) 11:14:04.18 ID:zfjtkNfO

かすみ「歩夢先輩っ!大好きです!ずっとずっと!大好きです!かすみんのこと、忘れないでくださいよ!!かすみんも歩夢先輩こと、ぜぇったい忘れたりしませんから!!」
 
しずく「わ、私も歩夢さんに会えたこと……宝物ですから!大好きを詰め込んだ、私と歩夢さんだけの……宝物ですっ。だから、私のことも……忘れちゃいやですよ……?」
 
璃奈「歩夢さんに貰ったあったかいことの全て、ぜったいに忘れないよ。だから、今までのことは絶対間違いじゃない……っ!歩夢さん!大好きだよ!!」
 
せつ菜「歩夢さんっ。私はもう絶対に、大好きを我慢したりしません!だから、好きです!大好きです歩夢さん!空の上から、スクールアイドル優木せつ菜を見ていてください!空を貫いて聞こえるほど、歌い上げて見せます!!」
 
愛「何も心配いらないからね、歩夢。愛さんたち、歩夢がいなくなったって、絶対……。だって、こうやって、最期に別れを……言えるんだもん……っ。ばいばいっ、歩夢っ!大好きだよ!!」
 
エマ「歩夢ちゃんに私のぽかぽか、いっぱい届いてるよね……?私も歩夢ちゃんから貰ったぽかぽか……絶対に忘れないから!だ、だから歩夢ちゃんも、ね……?わ、私たちのこと……絶対に忘れないでねっ!!」
 
彼方「歩夢ちゃん……。後はお姉さんたちに任せなさいな。大丈夫だよ、みんな強い娘だから。歩夢ちゃん、君も強くて優しくて、仲間想いの娘だって、彼方ちゃんいっぱいいっぱい知ってるから。だから……ばいばい、歩夢ちゃん……。大好きだよ……」
 
果林「歩夢。どれだけ離れていたって、私たちは同好会の仲間よ。だから、安心していいわ。私たちはあなたの傍にいる。あなたも、私たちの傍にずっと……ずっと居続けるわ。大好きよ、歩夢……」
 
 私たちに残された時間は僅か。でも、あの時はその僅かさえなかった。
 
 別れを惜しむことも、別れを悲しむことも、そんな暇さえなかったんだ。

 

282:(茸) 2023/05/07(日) 11:15:07.11 ID:zfjtkNfO

 ふと、自らの手の平を見る。薄く透けており、その奥の地面が見えた。私も、歩夢も、みんなも、この世界に元々いる人以外は消えかかっていた。
 
侑「……行っちゃうんだね」
 
 最後の瞬間、この世界の私が話しかけてきた。振り向くと、眉を下げながら困ったように笑っていた。
 
侑「うん。ここへ来た最大の目的はほぼ達成できた。だから、もう帰るよ」
 
 横を見ると、みんなももう一人の自分に話しかけられていた。たった少しの時間しか過ごしていないのに、やけに打ち解けていた。
 
侑「そっか……。もう、一生会えないのかな?まだ、助けてくれてありがとうも言えてないのに……」
 
侑「あはは。いいよ、そんなこと。私の接続が強引に切られた時、奮闘してくれたじゃん。それでお互い様だよ」
 
 振り返ってみれば、私たちは互いに助け合っていたように思える。私がいなければこの世界の高咲侑は死んでいただろうし、こっちの私がいなければ歩夢と再会することも叶わなかった。
 
 二つの世界をまたいだ同好会の総力戦……。そんな感じだったのだろう。
 
侑「質問に答えると、会えるのはこれが最後だよ。私がこっちの世界の目印にしていたのはあなただけじゃなく、美醜……華恋さんもだったから。華恋さんという目印亡き今、もう一度は来られない。それに、私の知る限りこれ以上強い霊場に心当たりはないしね」
 
侑「そうなんだ……」
 
 もう一人の私は軽く俯きながら自嘲気に笑った。だがすぐに顔を上げ、手を差し出した。
 
侑「──ありがとう。あなたがいなきゃ、私は、みんなは、こうやって笑い合うこともできなかった」
 
 少しだけ視線を外し、みんなの様子を見た。抱き合って泣いているかすみちゃん。肩をぽんぽん叩きながらサムズアップする彼方さん。みんな、銘々の別れ方をしていた。

 

283:(茸) 2023/05/07(日) 11:16:29.40 ID:zfjtkNfO

 視線を戻し、私は差し出された手を握る。それは、初めて握る手の感触だった。私って、こんな感触なんだなぁ。
 
侑「こちらこそ。私の我がままであなたの体を勝手に借りちゃってごめんね。本当に、助かったよ」
 
 そうして、固く握手を交換し合った。もう一人の私は快活に笑う。だから、私も笑った。
 
歩夢「じゃあ歩夢ちゃん、そっちの侑ちゃんのこと、頼んだからね。困ったときは、シュッシュだよ!」
 
歩夢「えぇ……。そんな頭悪いことできないよ」
 
歩夢「あはは……。そんな悩まなくても大丈夫だよ。あなたなら、きっとこれからも上手くやれるよ」
 
 隣を見ると、三人の歩夢が喋っていた。なんというか、頭がバグる。三人寄れば文殊の知恵とは言うけれど、三人寄った歩夢は何ができるんだろう。
 
 その時、私たちの体が淡く光り出した。目を凝らさないと見えないが、光の粒子が体から迸っているらしい。
 
 そうか。本当に、これで……。
 
 私は歩夢の方を向いた。これが、本当に最期なのかと思うと目頭が熱くなった。もうずいぶん涙を流したはずなのに、ちっとも止まってくれやしない。
 
 呼応して、歩夢も私の方を見た。視線が合う。その瞬間、身の回りから音の一切が消えた気がした。私と歩夢だけ、別の空間へ隔離されたような感覚に陥る。

 

284:(茸) 2023/05/07(日) 11:17:36.08 ID:zfjtkNfO

歩夢「……私たちは、また会えるよね。きっと……」
 
 呟くような声でさえ、全て聞こえた。でも、私は一歩前に出る。聞き逃して欲しくない、聞き逃したくないから。
 
侑「会えるよ。絶対……」
 
 根拠の無い言葉だった。でも、確信を持って言える。私と歩夢は、きっとそういう運命で結ばれている。
 
侑「だからさ、歩夢。今だけは……」
 
 この世界へ来た一番の目的。それがようやく、達成されようとしていた。
 
歩夢「うん……ばいばい……」
 
 それは、別れの言葉。あの日の私たちが言えなかった言葉。ありがとうと大好きは言い尽くした。
 
 最後に残る言葉は、別れだろう。目を伝って頬にいくつもの涙が滴り落ちる。それに従うように、言葉は出た。
 
侑「……【さよなら──」
 
 そこには、自然と言霊が宿っていた。想いが強すぎた故だろう。
 
 でも、最後の想いが込められた言葉がさよならだなんて、少し悲しかった。ありがとうも、大好きも、さよならも言い終わったのなら。
 
 私が伝えられる最後の気持ちは──

 

285:(茸) 2023/05/07(日) 11:18:53.14 ID:zfjtkNfO

侑「──愛してるよ、歩夢】」
 
 最後には、愛だけが残った。
 
 歩夢は酷く驚いた顔をしていた。そうそう、こうやってころころ表情が変わるところが、歩夢の愛しいところなんだよね。
 
 でも、その顔もすぐに変わる。
 
 歩夢の顔は、清々しいほどの笑顔だった。そんな歩夢につられ、私も笑った。
 
 その顔が最後だった。私の視界は徐々に狭まっていく。白き靄が輪郭を埋め尽くし、次第に意識も曖昧になっていく。
 
 意識が強制遮断されない時は、こんなおだやかな終わり方なんだ。
 
 そうして私と歩夢は最後まで、互いの顔を見ていた。
 
 私と歩夢と同好会、もう一つの世界の同好会を巻き込んだ騒動は、ようやくこれで終わった。

 

286:(茸) 2023/05/07(日) 11:20:00.02 ID:zfjtkNfO

──
 
侑「……おぉ。本当に消えた。って、当たり前か。消えなかったらどうするんだーっ!って感じだもんね」
 
 目の前から侑ちゃん、歩夢ちゃん、みんなが消えた。でも私たちの周りには、こっちの世界の──私たちが元々付き合っていた同好会のみんながいる。
 
 他の世界との繋がりは、完全に断たれたんだろう。
 
しずく「──さて、それでは、私たちもお家に帰りましょう。もうくたくたです」
 
 余韻に浸っていると、しずくちゃんから声が掛かった。
 
彼方「いやぁ、ずっと走りっぱなしだったからさぁ、もう帰ることさえ辛いよぉ~……」
 
璃奈「同意。しずくちゃん。帰りの運転は任せた。璃奈ちゃんボード『ぐっ』」
 
しずく「えぇ!?あれは緊急だったからできたの!そもそも私は無免許だし犯罪なんだよ!」
 
愛「そのわりには、ノリノリだったよね~っ!」
 
せつ菜「確かに。『免許も持たない、謙虚も持たない、凄腕ドライバー桜坂しずく……どんな坂でも上って見せましょう!』とか言ってましたもんね」
 
しずく「ちょっ!なんで覚えてるんですかぁ!!」
 
エマ「みんな……果林ちゃんがヘロヘロだから早く帰ろうよ……」
 
かすみ「ひえっ。突然の低音エマ先輩は心臓に悪いです!」
 
果林「……うぅん。もう食べられないわエマ……」
 
彼方「……ま。果林ちゃんもこう言ってることだし、お家に帰ろっか」

 

288:(茸) 2023/05/07(日) 11:21:04.68 ID:zfjtkNfO

 そうして、疲労で鉛のように重い体に鞭を打ち、梔子集落を後にした。帰り道のあちこちで倒れている住人を見かけたけど、みんな当分起きそうになかった。
 
 意識を取り戻したら色々と厄介なので都合がいい。お台場に無事に帰ったら、今度こそ警察に通報しよう。華恋さんによる恐怖に縛られていたことは、酌量の余地があるだろうけど、人を〇して安寧を得ていたのは事実なんだ。
 
 そんな罪を、清算しないまま次の世代へ継承してもいいんだろうか。いや、だめだろう。一度ちゃんと裁かれた後、真っ新な状態で梔子集落をやり直す。それが集落のためになることだと思う。
 
 後の判断は、司法と警察に任せることにした。
 
侑「……よっ」
 
 そんなことを考えながら歩いていると、侑ちゃんが突然手を握ってきた。
 
歩夢「どうしたの急に。手なんか握って」
 
侑「いやぁ……なんでだろうね。急に握りたくなっちゃって……」
 
歩夢「なにそれ。変な侑ちゃん」
 
 あはは、と握っていない方の手で頬を掻いていた。別に、握られること自体は嬉しいからいいんだけどね。
 
侑「……こうやって握っていられるのも今の内だけ、って思っちゃったのかな」
 
 ぽつり、侑ちゃんはそう零した。
 
歩夢「……そう、かもね」
 
 今の内だけ。私と侑ちゃんは、いずれ道を違える。その時、私たちは互いに遠い場所にいるだろう。
 
 いや、そのもっと先の話かもしれない。この世に生まれた以上、私たちは別れる運命も同時に有しているんだ。

 

289:(茸) 2023/05/07(日) 11:22:12.42 ID:zfjtkNfO

歩夢「なら、今だけは……うん。侑ちゃんの手を、私も握っていたいな」
 
 応えるように、握る力を少しだけ強くした。この温度を忘れないように、忘れられないように。そんな思いを込めながら。
 
 だが、真剣な私の言葉を他所に、侑ちゃんは悪戯っぽい笑みを浮かべていた。
 
侑「あはは。歩夢も繋ぎたいんじゃん」
 
歩夢「……もうっ。そんなこと言うと離しちゃうよ!」
 
侑「ああああっ!ごめんごめん!嘘だから!嘘!!」
 
 焦った顔で捲し立てた。なんだかその様子を見て、無性に泣きたくなってしまった。ようやく、日常に戻れたからだろうか……。
 
侑「──歩夢~。どうしたの?押し黙っちゃって……」
 
歩夢「……うぅん。なんでもないよ」
 
侑「そう?それならいいけど……。あっ!そういえば■■島への出発前夜!」
 
 涙をこらえていると、侑ちゃんは何かを思い出したらしい。出発前夜……。その単語に、私は顔から火が出そうな出来事を思い出した。
 
歩夢『──大好きだよ、侑ちゃん……。世界で一番、大好き……。絶対また、生きて会おうね……』
 
 ま、まさか……。ぎこちなく視線を向ける。すると、そこには頬をやや朱に染めた侑ちゃんがいた。

 

290:(茸) 2023/05/07(日) 11:23:16.59 ID:zfjtkNfO

侑「……あの言葉、全部届いてたよ」
 
 頬を染めつつ、真剣な顔で言われた。どうしようもなくむずがゆい気分になってしまう。
 
侑「今日は色んな歩夢に会ったけどさ、やっぱり私にとっての歩夢は、ここにいる歩夢だけだよ」
 
歩夢「……恥ずかしいよぉ」
 
 たぶん、私の顔は今真っ赤だろう。でも、嫌じゃなかった。感じているのは羞恥だけじゃなかった。想いが正確に届いていて、それは受け入れられていた。
 
侑「ね、歩夢はどうなのさ」
 
歩夢「……え」
 
侑「歩夢も今日、もう一人の私に会ったでしょ?歩夢にとっての私は……高咲侑は、ここにいる私……?」
 
 その表情は、なんだか少し不安げだった。どうしてそんな心配そうな顔をするのだろう。不思議に思った。
 
 ……あれ。もしかして。
 
歩夢「……ねぇ、もう一人の侑ちゃんに取られちゃうかも、って思ってる?」
 
侑「うぐっ!」
 
 分かりやすく侑ちゃんは反応した。確かに、もう一人の侑ちゃんの働きは凄いものだった。果林さん達を集落から脱出させ、怪異だった華恋さんを圧倒していた。自分と比較して不安になるのも無理ないかもしれない。

 

291:(茸) 2023/05/07(日) 11:24:20.68 ID:zfjtkNfO

歩夢「ふふっ」
 
侑「あ、歩夢~……。鼻で笑うこと無いんじゃないの~?」
 
歩夢「えへへ。ごめんね。嫉妬する侑ちゃんって珍しくて」
 
侑「むむ。私だって、少しくらい嫉妬するよ。その相手が同じ私なら、なおさらだよっ!」
 
 珍しく、侑ちゃんはぷんぷんと頬を膨らませていた。この顔……撮影したいなぁ。でも、私の頭にだけ取っておこう。
 
 もう少し見ていたい気持ちを心に仕舞い、口を開いた。
 
歩夢「私にとっての侑ちゃんは、あなただけだよ」
 
侑「そ、そっかぁ……えへっ、えへへ……そうなんだぁ~……」
 
 私の答えに、侑ちゃんは満足そうに体をくねらせた。存外、独占欲が強いんだなぁ、と今さらながらに気付いた。
 
歩夢「……ね、侑ちゃん」
 
侑「えへへ……。な、なに歩夢」
 
 緩み切った顔を軽く叩き、ちょっと真面目な顔に戻る。
 
歩夢「あっちの世界の私たちにも負けないくらい、幸せになろうね」
 
 言ってから気付いた。それはなんだか、プロポーズっぽいなって。でも、それもいいかなって思えた。旅の恥は搔き捨て、って言うし。
 
侑「あはは。負けられないね!絶対歩夢のこと、幸せにしてみせるよ!!」
 
歩夢「侑ちゃん……っ!」
 
 嬉しい。体に翼が生えて飛んでいけそうな気分になる。

 

292:(茸) 2023/05/07(日) 11:25:23.44 ID:zfjtkNfO

かすみ「……かすみんもぉ、幸せにしてくださいねっ?」
 
 だが、脇から後輩が生えてきた。もしかして、ここだろうか。あちらの世界の私から学んだシュッシュを披露するのは。
 
侑「うんっ!かすみちゃんももちろん、私が幸せにしてみせるよ!」
 
歩夢「えぇっ!侑ちゃんっ!それはどういうことなの!!」
 
彼方「じゃあ、彼方ちゃんも立候補しちゃおうかな~」
 
歩夢「彼方さんっ!悪ノリが過ぎますよぉ!!」
 
 帰り道は、そんな感じで賑やかだった。少し前まで命のやり取りをしていたとはとても思えないほど、平和で呑気だった。
 
 どこまでも続くように思える空の下、私は思った。
 
 きっと、この空のもっと遠くに、あっちの世界の私たちがいるんだろう。
 
 その私たちも、今の私と同じくらい幸せだったら……素敵だな。
 
 侑ちゃんの手から伝わる温かさを感じながら、そんなことを思った。

 

293:(茸) 2023/05/07(日) 11:26:28.33 ID:zfjtkNfO

──
 
 あれから、ちょうど一年が経った。私が歩無魂の歩夢に会い、別れを告げ、華恋さんという怪異になった存在を祓った日から。
 
 別に、指折りその日を数えていたわけじゃない。
 
 あの日からの私たちは、ひどく忙しい日々を過ごした。一からスクールアイドルの基礎をみんなから叩き込まれる歩夢。時折私を巡って過剰に反応する歩夢。それに対しての扱いも徐々に上手くなっていくみんな。
 
 同好会に加わった新たな歯車は、紆余曲折ありつつも何とか馴染んでいった。スクールアイドルに関しては特に、せつ菜ちゃんに色々聞いているようだった。私が十年間過ごした歩夢と別の人格であっても、やはり歩夢は歩夢なんだろうって思った。
 
 私はというと、数か月間音楽から離れていた代償は大きかったようで、元の感覚を取り戻すのに一か月弱かかった。とはいえ、濃密な出来事をたくさん経験したからだろうか、私の音楽観も大幅に変容したようで、作曲の幅も広がった気がする。
 
 みんなとの絆がより深まった結果、生まれる曲の完成度も高く、ライブで披露した時も評価は高かった。
 
 そんな中、果林さん、エマさん、彼方さんは先に卒業してしまった。出会って一年も経過していないのに、片割れを失ったかのように涙を流した。でも、学園は違えど住んでいる世界は同じだ。丹精に思いを込めた符を作らずとも、簡単に会える。
 
 と思っていても、三人の抜けた穴から感じる寂しさは、簡単には拭えなかった。でも、私たちは歩みを止めなかった。スクールアイドル同好会は躍進していった。
 
 そんな日々を、今まで過ごしてきた。

 

294:(茸) 2023/05/07(日) 11:27:31.67 ID:zfjtkNfO

 ではなぜ、あの日から一年経ったと私は分かったのか。それは、夢の中に歩夢がでてきたからだ。
 
 あの日の回想のような夢だった。歩夢に別れと愛の言葉を言った最後。それを、一年越しに追体験した。
 
 そして今、私は三人の抜けた穴と同じような寂しさを感じていた。いや、その寂しさとは少し違う。
 
 エマさん達には会おうとすれば会える。でも、あの歩夢にはもう一生……死にでもしない限りは会うことはできない。
 
 だからだろうか。会えるわけがないと分かっているからこそ、より寂しさが増すんだろうか。
 
 私はそんなことを、自宅のベランダの手すりに頬杖を突きながら考えていた。別に、辛いわけじゃない。寂しいだけだった。
 
 これも、エマさん達同様に、時間が経過すれば少しずつ寂しさを忘れていくんだろうか……。
 
侑「それは、なんだか嫌かな……」
 
 そう呟くと、隣のベランダから引き戸を開ける音が聞こえた。
 
歩夢「あ、侑ちゃん。奇遇だね」
 
侑「……ほんと?」
 
歩夢「本当だよ!そんなストーカーみたいな目でみないでよ!全くもぉ……」
 
 出てきて早々、歩夢は肩をいからせていた。そんな歩夢から視線を外し、遠くの空を見上げた。今日は例年よりも温かい、非常に温暖な気候だった。

 

295:(茸) 2023/05/07(日) 11:28:34.87 ID:zfjtkNfO

侑「ま。こんなにぽかぽかなら、ベランダにでて空気も吸いたくなるよね」
 
歩夢「そうだよ。全くもう……」
 
 そして私たちはしばらく、同じように空を眺めた。快晴、というわけではなかったけれど、ゆっくりと進んでいく雲を眺めるのは、なぜか心が落ち着いた。
 
歩夢「ねぇ、今日があの日からちょうど一年って……知ってた?」
 
 そんな途中、歩夢が唐突に話題を振った。
 
侑「……うん。知ってるよ」
 
歩夢「そっか……。私ね、今日あの日の夢を見たの」
 
侑「……え」
 
 なんて偶然だろう。いや、無意識の内に私たちはあの日からのカウントを始めていたのかもしれない。
 
 そう言えばあの日も、歩夢を追って虹ヶ咲学園の屋上に向かった日も、こんないい天気の日だっけ……。
 
歩夢「あの日の私にね、今の私がどうなってるか言ったら、信じてくれると思う?」
 
侑「う~ん……それは、難しいだろうねぇ……」
 
歩夢「だよね。だから思うんだ。未来がどうなってるかなんて、誰も知らないんだって」
 
侑「歩夢……」
 
 歩夢の方を向く。視線の先は、遠くの遠く、地平線よりも遠くを見ているように思える。

 

296:(茸) 2023/05/07(日) 11:29:41.83 ID:zfjtkNfO

歩夢「でも、未来の前には必ず過去がある。未来がどうなるかなんて誰も分からないけど、絶対に過去が関わってくる。それは間違いないよね」
 
侑「……なんだか、ちょっとふわふわした話だね」
 
歩夢「あの日、せつ菜ちゃんが私を呼び止めてくれなければ、別の私を救いにいかなければ、スクールアイドル同好会に温かく迎え入れてくれなければ、今の私はここにいない」
 
 そうした過去が、今の歩夢を形作っている。なるほど。少し理解してきた。
 
歩夢「だからね、もっと前に進むためにも、侑ちゃんにお願いがあるんだ」
 
侑「え……。お願い?」
 
 唐突だった。私はきょとんとしてしまう。
 
歩夢「お願いはね、侑ちゃんの過去を……うぅん、歩夢ちゃんとの思い出を教えて欲しいんだ」
 
侑「歩夢との、思い出……?」
 
 それってつまり、今の歩夢じゃなく、歩無魂の歩夢のことだろうか……。
 
歩夢「歩夢ちゃんの人格越しに、何が起きていたのかは知ってるよ。でも、侑ちゃんから見た歩夢ちゃんについて、私は全然知らない。だから、教えて欲しいの」
 
侑「それは……いいの?本当に」
 
 歩夢は気にしていない素振りを見せてはいるものの、十年間人格を奪われたのは事実なんだ。暗い感情を一切抜きにして聞くなんてできないだろう。
 
歩夢「私にとってあの十年間は地獄だったかもしれない。でも、侑ちゃんやみんなにとっては、幸せな時間だったんだよね」
 
侑「それは……そうだけど」
 
歩夢「それなら、知りたいよ。あの十年間を、恨み続けるなんて嫌なの。大好きな侑ちゃんが幸せに暮らした十年間を……私にも教えて」
 
侑「……」
 
 その視線は、私を正確に打ち抜いた。そうか……。歩夢はあの十年間を、無かったことにはしなかったんだ。真正面から受け止めて、自分の中で咀嚼する準備がようやく……この一年間でできたんだ。

 

297:(茸) 2023/05/07(日) 11:30:47.06 ID:zfjtkNfO

歩夢「もっともっと、前を向きたいの。うぅん。私は前を向かなきゃいけない。だから、お願い侑ちゃん……っ」
 
 ……なら。私の解答は一つしか無いだろう。
 
侑「……分かったよ。歩夢がそう言うなら、話すよ。私の大好きな、十年間を一緒に過ごした歩夢のことを」
 
 私は昔の思い出を、歩夢との十年間を回顧し始めた。なんだかそれは、ひどく久々のように思えた。
 
 今の歩夢との日々を大切にしようとするあまり、もう一人の歩夢を思い出すことに、忌避感を覚えていたのかもしれない。
 
侑「少し、いや、かなり長くなると思うけど、大丈夫?」
 
歩夢「うん。平気だよ。今日はこんなにあったかいし、それに、雲もゆっくりだから。侑ちゃんのペースで喋って」
 
侑「分かった。じゃあ、まずはそうだね。あの幼稚園の──」
 
 私は語り始めた。歩夢との十年間を詳らかに。
 
 一つの思い出を語ろうとすると、別の思い出が紐づいた。そんなやり取りが続くと、話すことが思った以上に膨大であることに気付いた。
 
 十年間。言葉にするのは簡単だけど、こうして振り返ってみると本当に長い時間だ。
 
 私はそんなにも長期間、歩夢と同じ時を過ごしたんだ。
 
 
歩夢『侑ちゃん』
 
 
 そう気付いた瞬間、どこからともなく声が聞こえた。
 
 どこから。それは、私の内から響いた声だった。

 

298:(茸) 2023/05/07(日) 11:31:53.48 ID:zfjtkNfO

侑「あぁ……そっか……そうだよね……」
 
歩夢「侑ちゃん……?どうしたの?」
 
 歩夢が心配そうに私を覗き込む。平気だって伝えるために、笑顔を作った。そう、私は嬉しいんだ。
 
 簡単なことだった。歩夢に会う方法なんて、なんてことはない。思い出を振り返ればいいだけの話だった。
 
 頭の中にあるアルバムを広げれば、十年間のどの歩夢に会うこともできる。
 
 この十年間は、本当にあったことなんだ。
 
 そのことに気が付かせてくれた歩夢に、感謝を述べる。
 
侑「……歩夢、ありがとね。もう一人の歩夢の話を聞いてくれて」
 
歩夢「……え?どういたしまして?」
 
 きょとんとした顔を浮かべていた。何が何やら理解できていないらしい。
 
 でも、いいんだ。
 
 歩夢の話をしてもいいんだ。歩夢の話をすれば、もう一度歩夢に会うことができる。
 
 その度に、私は勇気を貰える。未来への一歩を踏み出すための勇気を、歩夢から貰う事ができるんだ。
 
侑「私も……、前を向けてなかったみたい」
 
歩夢「そっか……。なら、似た者同士だね、私たち」
 
 歩夢は微笑んだ。今まで見た中で一番柔らかく、それでいて優しい笑顔に見えた。

 

299:(茸) 2023/05/07(日) 11:33:09.07 ID:zfjtkNfO

 その後、場所を私の部屋に移し、歩夢と語り合っていた。私から語られる歩夢に対し、時に嫉妬し、時に驚き、時に笑みを見せ、時に複雑な顔をしていた。
 
 本当は、知らない方が幸せなのかもしれない。それでも、歩夢は勇気をだした。私はそんな歩夢に応えなければならない。
 
 どれだけ寂しくても、戻らない日々に涙しても、歩夢の勇気に応えたいんだ。
 
 これは、破壊と再生の物語。
 
 一度は絶望という名の暗晦に落ちた私たちだった。でも、それで終わりにはしなかった。
 
 悲劇の先、そのずっと先にも、私たちの人生は続いていく。
 
 これからもっと高い壁が、私たちの前に立ちはだかるかもしれない。でも、その度にみんなで悩み、苦しみ、少しずつ乗り越えていけばいい話だ。
 
 そうすれば、私たちは……。
 
 歩夢に目を合わせる。前と比べ、ずいぶん柔和になった気がする。
 
 見慣れた顔だと思っていた。でも、スクールアイドルとしてライブを行う歩夢は、私の見たことの無い魅力的な顔を幾つも見せてくれる。
 
侑「歩夢」
 
 名前を呼ぶ。私の大好きな、愛する人の名前だった。
 
侑「生まれてきてくれて、私と会ってくれて、本当にありがとう」
 
 藻掻き、足掻き、苦しんだその先にはきっと……。
 
 こんな笑顔が、待っているに違いない。
 
 
 

おしまい

 

300:(茸) 2023/05/07(日) 11:36:56.46 ID:zfjtkNfO

これにて完結です
続編を書く予定はそもそも無く、バッドエンドで終わるはずでした
ですが、蛇足かもしれないと思いながらも、胸に燻る思いがあったので書きました
お読みいただきありがとうございました

 

313:(かぶらずし) 2023/05/08(月) 02:58:13.61 ID:BasY3JVn

面白かった~

 

314:(たこやき) 2023/05/08(月) 04:43:24.93 ID:Na5v/Pau

泣きました。
久々に長編ss読みましたが、ほんと読み応えあって面白かったです。

 

引用元: https://nozomi.2ch.sc/test/read.cgi/lovelive/1682771660/

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