しずく「私にすればいいのに」【SS】
「そろそろくる頃かな」
時計の長針は7と8のちょうど真ん中あたりを指していた。
念のために確認をと、ポケットに入れていたスマホを開きメッセージを確認する。
顔のよく似た妹と写っているツーショットのアイコンの横にポツンと打たれたメッセージ。
その淡白な文章に、「今回は結構保ったなー」なんて思いながら返信を返したのはつい昨日のこと。
こちらから言った時間通りならそろそろ来る頃合いだが。
ピンポーン
そう思っていると、リビング入り口の横のドアホンから軽快な音が鳴った。
今回もやっぱりか、なんて思いながら
「今開けますんで早く入ってください。風邪、ひいちゃいますよ。」
と一言かけてエントランスのオートロックを解除する。
彼女が入っていくのを確認してから、私は玄関に向かった。
一分ほど待つと再びインターホンの音が鳴る。
今回のは下からではなく今目の前のドアの向こうから鳴らしているものだろう。
すぐに開けるとドアの前で待ってたって思われるかな、なんてちょっと思ってみたりしたがさっき自分で言ったように風邪をひいたらとんでもない、すぐにドアを開けた。
そこには先ほどモニター越しに見た茶髪の女性が、仕事帰りであろう格好で立っていた。
それを見た私は彼女の後ろで玄関のドアを閉めた。
俯いているせいもあってかフワフワの前髪で目元の隠れた彼女は少しの間無言のまま立ち尽くした後、バッと顔をあげ目に涙を溜めながら私に抱きついてきた。
「うわあああん!!またフラれちゃったよしずくちゃーーーん!!」
「はいはい、またフラれちゃったんですね、彼方さん。」
左手で優しく背中を抱きながら、鼻の位置に来て少しだけくすぐったい彼女の頭を右手で優しく撫でる。
これももう慣れたなぁと思いながら、初めてこんな風に彼方さんに泣きながら抱きつかれた時のこと思い出した。
「・・・彼方さん・・・?」
「グスッ・・・しずくちゃん・・・。」
そこには綺麗な茶髪のフワフワした髪の毛が、この季節のせいなのか静電気でところどころはねた彼方さんがいた。
高校を卒業してからも同好会の皆さんとは交流はあるが、特に彼方さんとは同級生のかすみさんや璃奈さん、栞子さんを除くと社会人になってからは一番会っているかもしれない。
そんな彼方さんのこんな姿は初めて見た。
驚いた私はすぐにオートロックを解除し玄関に走って向かった。
ここは3階なのですぐにつくことはないのだが、何かあったんじゃないかと不安ですぐに出られるように準備を整える。
そんな私の不安とは真逆の呑気なインターホンの音が再び鳴った。
その音に反応してすぐにドアを開ける私。
「彼方さん!!一体どうしt
「あだっ!!」
それと同時にドアの向こうからはゴンッという鈍い音と共に少し低めのうめき声が聞こえた。
「ああああごめんなさい彼方さん!!!お怪我はありませんか!?」
ドアを開いた先にはおでこを抑えながら屈む彼方さん。
彼方さんに合わせて私も屈んで様子を確認する。
うぅ・・・と小さい声で唸るも顔を上げない彼方さん。
もしかして打ちどころが悪かった?なんて不安になっているとようやく顔を上げた彼方さんが目にいっぱいの涙を溜めて私に抱きついてきた。
「うわああああん!!じずぐじゃーーーーん!!!!」
「ど、どうしたんですか彼方さん!?泣くほど痛かったですか!?」
いきなり抱きつかれてそのまま尻餅をつく。
最近は会うことはあっても外で会うことがほとんどで、こんな感じで抱きつかれたりしたのは同好会の時以来だった。
『あ、昔とシャンプー変えたんだ』
髪の毛から香るほのかなシャンプーの匂いに少し気を取られながらも一向に話の見えない私は、ひとまず彼方さんを落ち着かせるために背中をさすった。
そのまま話を聞くべく今度は頭をできるだけ優しく撫でながら聞いた。
「彼方さん、一体何があったんですか?」
できるだけ優しく質問する私に対して、彼方さんは少しだけ私の方に顔を押し付けながらポツリと答えた。
「彼方ちゃん・・・フラれちゃった・・・。」
私が渡したマグカップを両手で包み込むように受け取る彼方さん。
ローソファーに体育座りのまま座ってカップの中身を見つめる。
中には最近ハマっている少し苦味が強めのコーヒーが入っている。
それを少しだけ啜ると落ち着いたのか、彼方さんはまたポツリと呟いた。
「ミルクって・・・ある?」
思いもしなかった言葉に少しだけキョトンとする私。
その姿にハッとしたのか慌ててフォローする彼方さん。
「あああごめんね!!そんなわざわざ入れてもらったのに図々しいよね!?」
「あぁいえ、ミルク自体はあるので大丈夫ですが・・・。」
そう言いながらキッチンに牛乳を取りに行く私。
私の記憶の中では彼方さんはコーヒーはブラックだったはず、記憶違いかな・・・?
そこでは彼方さんが申し訳なさそうに待っていた。
「ごめんね。気、使わせちゃって」
「いえ、それは本当に大丈夫なんですけど。それはそうと彼方さんってミルク入れてましたっけ?」
「最近入れ始めたんだよねぇ、昔はコーヒーそのものをっていうよりは眠気覚ましとして飲んでたから」
机に牛乳を置く手が一瞬だけ止まった。
あ、そうか。
私のよく知っている彼方さんは同好会の時で止まっちゃってるんだ。
自分にはブラックコーヒーを買ってそれを反対の頬に当てて今度は自分用にとプルタブを開ける。
同好会が終わった後、一緒に自動販売機に飲み物を買いに行った時のことを思い出し少しだけ胸が苦しくなる。
まぁ時間が開けば知らないことの一つや二つぐらい出てくるだろうと思い直し、心の中の一抹の寂しさを払拭した。
それをまた少しだけ啜ると、今度はお口にあったのか頬を緩ませる。
「あったか〜い・・・。」
ふにゃふにゃになりながら目を細める彼方さん。
うん、さっきまでよりこっちの方がずっと私の知っている彼方さんっぽくなった。
少しだけ安心した私は、立ったままなのも居心地が悪いのでローソファーの空いている片側に腰をかけた。
「懐かしいね〜、同好会の頃はよくこうやってソファに並んでおしゃべりしたよね〜」
「ふふっ、そうですね。こうやって私が彼方さんの髪の毛をなおしてあげるのも」
そういって手櫛で優しく彼方さんの髪の毛を整える。
またほのかなシャンプーの香りが私の鼻腔をくすぐる。
この香りだけはあの頃のままじゃないんだ。
「そして〜このまましずくちゃんのお膝の上ですやぴ・・・」
コーヒーを机の上に置きあの頃と同じように自分の頭を私のふたももの上に乗っけてくる彼方さん。
緊張の糸が切れたのかそのまま眠りに入りそうになっていた。
「って彼方さん、まだ寝ないでください。お話、ちゃんと聞かせてください」
昔みたいに流されそうになるもまだ肝心なことを聞いていなった私は彼方さんの頭を撫でながら優しく聞いた。
今度は彼方さんも落ち着いているのかちょっとの間の後、静かに話し始めた。
「しずくちゃん、私、フラれちゃった・・・。」
「で、今度はなんて言われてフラれたんですか?」
「うん・・・彼方ちゃんのことは好きだけど、もう恋愛的に見れないって・・・。」
机の上に並ぶ二つのマグカップ。
片方には私が飲む用のブラックコーヒーが、もう片方にはお湯で溶かすスティックタイプのカフェオレが入っていた。
なんだか前もそんなこと聞いた気がするなぁと思いながら彼方さんの髪を撫でる。
「今回はどれくらい保ったんでしたっけ?」
「・・・四ヶ月ぐらい」
「結構保ちましたね、偉いですよ彼方さん」
「それ褒め言葉じゃないよね、しずくちゃん・・・」
膝の上で寝ていた彼方さんが私の方を向いて赤くなった目をこちらにむけてくる。
さっきまで泣いていたのもあって長いまつ毛についた涙が、照明に照らされて眩しく煌めく。
今度はそんな彼方さんの頬を撫でながら私は聞いた。
「うぅそれは・・・。」
「『遥ちゃんが甘えてくれなくなったから〜』、ですよね。分かってますよ」
「だって〜、今まで遥ちゃんを可愛がってた分のこのエネルギーをどうしていいかわからないんだよ〜・・・。」
ここ最近の鉄板の返しが飛んでくる。
どうやら今まで遥さんのことを構っていたことで彼方さんの中の母性的な何かの釣り合いが取れていたらしい。
しかし社会人になってからは「私も1人の大人として頑張るから」と今までよりめっきり甘えてくれなくなった。
そんな状態の彼方さんと一般的なダメ男の相性といったらもう。
「なんか今ものすごく不名誉なマッチングをされた気がするよ〜」
そんなことないですよーと適当に返しながらカップを持つ。
この人はどうにも他人に向いている矢印には人一倍敏感なくせに、それがいざ自分に向けられると途端に不器用になる。
そのせいで同好会の頃には姉妹喧嘩で同好会を辞めそうにもなった。
そんな彼女の元から誰よりも大事にしていた妹が大人として自立したのだ。
そんな人だからこそ、これからは彼女のことを大切にしてくれる人と出会って欲しいと思ったものだが。
コーヒーを啜って一旦お口直しをする。
カップを置いて彼方さんのまつ毛についた涙をそっと指で掬いながら真っ直ぐに彼女を見て言った。
「私だったら彼方さんにこんな想いさせないのに」
「しずくちゃん・・・」
視線を逸らすことのできない彼方さん。
そのままゆっくりと私は自分の顔を近づける。
彼方さんの薄くルージュの塗られた艶のある唇。
後数センチでその唇に触れそうになる。
そして、
「しずくちゃんは手厳しいなぁ〜」
いつも通りの彼方さんの様子に安心しながらも複雑な気分になる。
確かに少しは演技をしましたが・・・もうちょっと戸惑ってくれてもいいのに。
「それで、今回はその方とはどこで出会ったんですか?」
前屈みになった状態から座り直し再び彼方さんの髪を優しく撫でた。
いつも通りの慰め方。
子供みたいな彼方さんに、一杯のカフェオレを淹れる。
少しだけ落ち着いた彼方さんの髪を手櫛で梳く。
涙で赤く腫れた目元を優しく拭い、そのまま彼女の頬を優しく撫でる。
それからゆっくりと彼女の話を聞いてあげる。
どこで出会ったのか、相手のどこが好きだったのか、何か一番楽しかったのか。
その時のことを思い出しながら、時々目を細める彼女。
私と彼女しかいないこの部屋でのゆっくりと流れる暖かい時間。
この時間が何よりも愛おしくて、大切で、そして。
何よりも苦しかった。
「それで今日、彼方ちゃんフラれちゃったんだ・・・。」
髪を撫でる私の指を捕まえて、指先でなぞったり摘んだりしながらいじる彼方さん。
話したいことを話し終わったのか、その指がとまった。
「ごめんねしずくちゃん、彼方ちゃんのお話に付き合わせちゃって」
私の指を捕まえる自分の指に向いてた視線がこちらに向いてきた。
溜まっていたものを吐き出したからなのかその目は先ほどまでより随分と晴れやかだった。
「いいんですよ、彼方さんの気持ちが軽くなったようで何よりです」
今回もそろそろ大丈夫そうかなと私は髪を撫でる手を止めて言葉を続けた。
「うぅ・・・なんで分かるの?」
「話を聞いてたらなんとなく分かりますよ、ほら早く机に出してください。」
そういうと体を起こし、近くにあった自分の鞄の中身を漁り始める彼方さん。
そこから取り出したのは、まだフィルムを剥がされていない未開封のタバコだった。
「やっぱり・・・。前にも言いましたが、彼方さんは甘すぎますよ」
「そうなんだけど・・・ついついね」
「自分で吸うわけじゃないのに。じゃあ今回もそれは置いていってください。こっちで処分するので」
「そんなぁ、毎回悪いよしずくちゃん。今回はちゃんと自分の家で捨てるから」
「そう言って持って帰ったタバコを見て思い出し泣きしたのは誰でした?」
「うぅ・・・それを言われると困ってしまいますなぁ」
そう言いながら持っていたタバコをおとなしく机の上に置く。
これもダメ男のテンプレなのかたまたまなのか、彼方さんの付き合う相手は毎回喫煙者だった。
「耳の痛いお話だぜ・・・。」
そう言いながら少しだけ落ち込んだように苦笑いを浮かべる彼方さん。
本当に分かっているのだろうか・・・。
「でも本当にしずくちゃんは優しいねぇ、同好会の頃からずっと」
飲みかけのカフェオレのカップを持って少し昔のことを思い出しながら目を細める。
そして微笑みながらこっちを向いていった。
「次に出会う人は、しずくちゃんみたいに優しい人がいいなぁ」
「だったら!!」
沸き起こった激情、喉元まで上がってきていたそれを寸前で止める。
急に語気の強くなった私に驚く彼方さん。
出せない、出してはいけない。
この思いだけは。
大丈夫、私は女優の桜坂しずく。
自分の気持ちぐらいコントロールできる。
「だったら、もっと男の人を見る目を磨いてください。彼方さんの悲しむ顔、見たくありませんから」
「う、うん。彼方ちゃん、頑張るぜ〜」
ちょっとだけ戸惑いながらも、いつもの眠そうな目にサムズアップで返してくる彼方さん。
そう、これでいい、これで。
「あ、彼方さん、もうこんな時間ですよ、終電なくなっちゃいます」
「わあ!?本当だ!!急がなくっちゃ!!」
飲みかけだったカフェオレを一気に飲み干し、空いたマグカップを机に置いて立ち上がる。
壁にかかっているコートを取りながら彼方さんが言った。
「お粗末さまです、スティックタイプのインスタントですけどね」
「しずくちゃんが淹れてくれるから美味しんだよ〜。これを毎日飲める人は幸せ者だな〜」
コートを羽織りながら何気ない言葉を投げてくる。
本当にこの人はどうして・・・。
色々と出そうになる言葉を噛み殺す。
「そうですね、私もそんな人を早く見つけなきゃですね。」
下まで送ります、と彼方さんのコートの横にかけていたダウンを私も羽織る。
玄関を出てエレベーターを使って一階に降りる。
エントランスの自動ドアを抜けた先で彼方さんが言ってきた。
白い息吐きながら嬉しそうに笑顔でこちらを見る彼方さん。
「いえいえ、また何かあったら話してください。」
彼女の笑顔を見るたびに、きゅっと胸が苦しくなる。
私だったら彼女に悲しい思いなんてさせないのに。
私だったらこうやって彼女を笑顔にすることができるのに。
私が一番、彼女のことをー
「下まで送ってくれてありがとね〜。それじゃあしずくちゃん、おやすみn
「彼方さん」
もう我慢できない、もう彼女のあんな顔を見たくない。
「私」
もうあんなに胸が苦しくなる思いをしたくない。
彼女に、私の思いを伝えたい。
「私!!」
でもそれで彼女は本当に幸せになれるの?
「うん、お互い頑張ろうね〜、それじゃあおやすみなさい、しずくちゃん」
「はい、おやすみなさい」
手袋をした手を振りながら、彼方さんは道を照らす街灯の光に消えていった。
私はその後ろ姿にただ手を振ることしかできなかった。
机の上に目をやると、二つのマグカップと未開封のタバコ。
そのタバコを手に取ると、ベッドの横に置いてあるサイドテーブルの引き出しを開ける。
中にはタバコが4個と安っぽい紫色の100円ライターがあった。
4つのタバコは銘柄もタール数も全て違っていた。
ただ一つ共通しているのは、どのタバコも一本だけ抜き取られていていることだ。
私は持っていたタバコの封を開け、中からタバコを一本取り出し残った箱をサイドテーブルの中に投げる。
窓を開け置いてあるサンダルに足を入れる。
室外機の上にはこれまた安っぽい灰皿が置かれていて、中には4本の吸い殻。
今宵は満月らしく、澄んだ冬の空によく映える。
しばらく手すりに肘をのせボーッと月を眺めた後、手に持っていたタバコを見る。
白い紙に包まれた方とは逆の、黄土色に包まれた方の先端。
今日見た彼女の唇に塗られたルージュの色を思い出した。
これを咥えた口で彼方さんとキスをしたのかな。
そんなことを考えながらタバコを咥えて火をつける。
「まっず」
そう言いながら再びタバコを咥える。
手に持っていたライターを月に透かす。
本体のプラスチックの容器の部分を通って届く月の光は綺麗だった。
それに向かってタバコの煙を吐く。
『次に出会う人は、しずくちゃんみたいに優しい人がいいなぁ』
今日の彼女の言葉を思い出す。
「だったらさぁ・・・」
再びタバコを咥える前に、あの時言えなかった言葉が枯れるような声で漏れ出した。
「私にすればいいのに」
タバコを吸う女性っていいよね。
切ないかなしず大好き
引用元:https://fate.5ch.net/test/read.cgi/lovelive/1684886310/
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