「令安かすみん物語」 cι˘σ ᴗ σ˘* 6~7
ぽつんと、かすみは立っていました。
通学路の途中でした。
かすみ「???」
なにか妙な感覚を伴っていました。なにか忘れているような気がします。
そもそも、かすみんはどうしてここに立っているのか。
かすみ「あ」
ずし、と肩にかかったスクールバッグの重みで思い出します。
そうでした。簡単なことでした。
かすみ「学校に行かないと」
今朝は良い天気でした。
学校についたところで、声をかけられました。果林先輩です。
かすみ「おはようございます、果林先輩」
果林「ふふ、おはよう」
かすみ「??」
果林先輩はなぜか、にこにこ笑顔でこちらに寄ってきます。そしてぴったりかすみんの横につきました。
果林「さ、行きましょう」
かすみ「え、ええ?」
困惑します。どういう風の吹き回しでしょう。
今日はまだイタズラしてないですよ?
果林「今日はエマが先に出たのよ、用事あるみたいで」
かすみ「?? なんの話です?」
果林「えーと。…せっかくだから、誰かと一緒に歩きたいって話よ」
かすみ「……もしかして、3年の教室まで行けなかったんですか?」
果林「試してないから、行けなかったわけじゃないわね」
かすみ「やればできるみたいに言わないでくださいよ!」
果林先輩の方向音痴。ゲームするときも発揮しちゃうくらいひどいですけど、これほどとは。
果林「あら? かすみちゃん、今日は一段と…………美人ね?」
かすみ「おだて方が適当です!」
いえ、大した仕事ではないのですけど。だからこそ虚しいというか。
だって学校内ですよ?
果林「ありがとう、かすみちゃん」
かすみ「ふふ~ん。これくらいどぉーってことないですよぉ♡」
せっかくなので、3年の皆さんにかすみんの可愛さをアピールです。にひひ、またファンが増えちゃいますね。
果林「あらかわいい。そうだ、かすみちゃん明日の放課後時間あるかしら?」
かすみ「明日ですか? たぶん、ありますけど」
果林「よかったら、一緒にお出かけしない?」
果林「お姉さんとデ・エ・ト♡ しましょう?」
ここぞとばかりに謎の色気を発揮しています。
かすみんにアピールされても、胸部へのフラストレーションが溜まるだけなのですけど。
果林「ちょっと行ってみたかったお店があるの。かすみちゃんへのお礼も兼ねて一緒に、ね」
果林「もちろん、お金は私持ちで」
かすみ「ぜひぜひっ!!」
しかも果林先輩のご馳走。
にひひ、たくさん頼んで、果林先輩がスクールアイドル活動にお金を回せなくしたり……。
あ、そしたらかすみんが太っちゃう? う~ん、お店にも悪いし、常識的な範囲で……。
——————
午前の授業はだいたいそのことばかり考えていて、すぐに過ぎちゃいました。
ふと。窓の外を眺めると、青い空。
静かだな、と思いました。
今年の更新も楽しみにしてるで
おつ
お昼休みです。
いつものようにスクールバッグからパンを取り出そうとしたのですけれど、しかし、どれだけ探しても出てきません。
忘れてしまったのでしょうか?
思い出そうにも、どうにも記憶が曖昧でした。
そういえば、朝ごはんは何だったか。昨日の晩ごはんも……。
こういうのって、認知症とかの判定に使うのでしたっけ。
むぅ、かすみんまだ若くてキュートなのに。
かすみ「あ、りな子」
食堂へ向かう途中、ばったりりな子と遭遇しました。ボードをパタパタと『にっこり』に変更しております。
こういう健気な様子は、間違いなくアイドル性といえるでしょう。本人には言いませんけど。……ライバルを褒めるみたいだから。
璃奈「食堂いくの? 璃奈ちゃんボード『にっこり』」
かすみ「うん。りな子も?」
璃奈「ううん、私は……」
愛「りなりーお待たー! ――おっ、かすかすじゃん!」
かすみ「愛先輩? ……って、かすって呼ばないでください!」
陽気なギャングもとい陽気なギャルが登場しました。
かすかすが定着したらまずこの先輩のせいですよ。
愛「あっはっは~。ごめんごめん、かすみんが可愛くてついつい」
かすみ「むぅ」
頭をなでなでとあやされます。可愛いと言われるのは悪い気はしませんけど、ちょっとしたルーチンのようで複雑な気持ちです。
璃奈「私たちは中庭でお弁当なの。璃奈ちゃんボード『にこにこ』」
なるほど。
そういえば、部活中もそんな話を聞くような気がします。
璃奈「果林さんもくるみたい。璃奈ちゃんボード『わくわく』」
かすみ「ええっ! だったらかすみんも行きますよ!」
同好会メンバーの半分が集合!
食堂で知り合いを探そうと思っていましたが、予定変更です。
中庭で集まるなんて、ちょっとしたピクニックみたいで素敵ですし。
愛「おいでおいで!」
璃奈「先に待ってるね」
かすみ「うんっ」
お昼どきですから、目的地に近づくほど、それはそれは混んでいました。
生徒の流れは牛歩のごとく、往くもの去るもの入り乱れ、押し合いへし合いなんのそのといった有様です。
かすみ「しず子?」
そんな中で、生徒が一人、混雑とは無縁の方向に歩いていく様子が見えました。
見えたのは後ろ姿ですけれど、一瞬映った赤いでかリボンは、しず子に間違いないように思えます。
どこへ行くのでしょう?
……なんて、思ったスキでした。
かすみ「あ」
いつの間にやら、かすみは購買へと向かう列を離れ、どんぶらこどんぶらこと逆方向へと流されていました。
かすみ「ま、まって」
えいやと流れを抜け出して、なんとか息をつきます。でも、購買からは遠くなってしまいました。
しず子も見失うし……。
パン屋さんがありました。
かすみ「え??」
幻ではありません。
廊下の角に、まるで文化祭の模擬店のように、パン屋さんが開かれています。
かすみ「???」
冗談のような光景で、少々困惑しますが、おそらくパン屋さんです。
だって『パン』というのぼりが立ってますし。
お客はついてませんが……そろそろと近づいてみると、なるほど、出店のように机いっぱいに様々なパンが陳列されています。
間違いなくパン屋さんでした。
学校内に出張パン屋……初耳です。
と、事態を飲み込んだところで、ようやく店員さんに気がつきました。
グルテン『いらっしゃいませ』
グルテン『おや、あなたは…』
かすみ「……?」
グルテン『……いえ、人違いですね』
誰かと見間違えたのでしょうか? かすみんの可愛さは唯一無二のはずですけれど。
なかなかご立派な体格をした店員さんでした。
グルテン『どうぞ、どのパンも小麦から育ててつくった自信作ですよ』
かすみ「小麦から!?」
この店員さんはT○KIOかなにかでしょうか?
グルテン『おひとつ、お味見いかがです?』
かすみ「は、はぁ」
無骨な彼の手からパンの切れ端をいただきます。
口に含むと……むむ、これは。
少々弾力が強めですが、これはこれで美味しいですね。
かすみ「?」
グルテン『学校のことです。昨日気づいて、今日がはじめての出店ですが』
グルテン『わたくしとしては、愛する小麦を多くの方に味わっていただく機会が増えて、喜ばしい限りですね』
かすみ「はぁ」
よくわかりませんが、仕事熱心な御仁のようです。
悪い人ではないのでしょう。
グルテン『あ、そうそう。ソバにはお気をつけくださいね。刺さりますから』
かすみ「刺さる!?」
グルテン『最近はルールも厳しくなって、どこでも発砲できなくなりましたが、それでも危険ですからねぇ』
かすみ「発砲!?」
ほんとにソバの話ですか!?
続きが気になる
陽当たりの良い広々とした野外。
すでに、皆さん集まっていました。
エマ「チャオ! かすみちゃん!」
かすみ「どうもエマ先輩。すみません遅くなっちゃって」
璃奈「大丈夫。私たちも果林さん探してたから」
愛「カリンが迷子でオーマイゴーってね☆」
果林「悪かったわよ、もう……」
果林先輩はバツの悪そうな顔をしています。
かすみんに気を使った冗談ではなく、どうやらマジなようです。
マジですかそうですか……。
エマ「教室で待ってて、って言ったのにー」
果林「だって……」
愛「まあまあ結局いい時間になったし、お昼にしよ~!」
璃奈「うん。璃奈ちゃんボード『はらぺこ』」
かすみ「もぐ。ええ、そうなんです。購買とは違うのですけど」
エマ「そうなんだ~」
キラキラと、エマ先輩は曇りない瞳でパンを見詰めています。
ふむふむ。
かすみ「ふふふ~。もぉ~エマ先輩ってば、かすみんがいくら可愛いからって、そんなに熱心に見詰められたら照れちゃいますよ~」
エマ「えっ、ち、ちがうの! かすみちゃんのことは見てないよ!」
んぐ。
エマ先輩を困らせようと思ったのですが、意図せぬカウンターをもらってしまいました。
悪意がないのは救いというべきか、より残酷というべきか。
とはいえ、エマ先輩を相手にするとどうにも浄化されてしまいます。
いやいつもは濁ってるとか、そういうわけでもないのですけど。
ぶちりと、パンをちぎりました。
かすみ「どうぞ、エマ先輩」
エマ「え!? い、いいの?」
かすみ「はい。その代わり、エマ先輩のと交換です!」
エマ「もちろんだよ~! はい、あ~ん」
かすみ「え!?」
まさかのあ~ん方式。恥ずかしがる暇もなく、頬張ることを余儀なくされます。あむむ。
エマ先輩のBLTサンド。しゃく、と野菜の歯ごたえが小気味よいです。
かすみ「……美味しい!」
エマ「ん~! このパンもすっごくボーノだよ~!」
愛「おっ! じゃあ明日はもんじゃパーティーだねい」
かすみ「? 明日なにかあるんですか?」
璃奈「エマさん、明日は愛さんのお家にお泊りなんだって。……私も行きたかったけど、予定合わなかった」
かすみ「なにそれ!」
お泊り会!
かすみんの預かり知らぬところで楽しそうなイベントが計画されています。
愛「明日は金曜だからね~。放課後一緒に家いって、土曜日はエマっちに下町案内するんだ」
エマ「お江戸でござるなんだよ~」
わいわいと、2人は盛り上がっていました。むむむ。
負けてられません!
果林「え、えぇ? どういうこと?」
かすみ「明日の放課後です。一緒にお店に行って、そのままかすみんのお家でお泊り会です!」
かすみ「た~っぷりかすみんの可愛さを堪能できますよ!」
果林「もう……なに対抗してるんだか」
果林「でも、面白そうね。わかった。お邪魔してもいいかしら?」
かすみ「ぜひぜひ!!」
果林先輩はやや呆れ顔でしたが、賛同してくれました。
ふふ、週末は楽しくなりそうです。
愛「おっ♪ いいねえ~!」
璃奈「どっちも楽しそう。璃奈ちゃんボード『キラキラ』」
エマ「璃奈ちゃんも今度、よかったら寮に遊びにきてね」
璃奈「うん」
エマ「うん! ポカポカするよ~」
愛「今度は同好会みんなで集まるのも楽しそうだよね~。中庭が好きな人もなかにはいたりして☆」
璃奈「彼方さんとか、気づけばいそう。璃奈ちゃんボード『すやぁ』」
かすみ「そうすると、せつ菜先輩が鬼門ですね。お昼に出てくるかどうか」
果林「そんな幽霊みたいな……」
むぅ、とみんなでうなります。
実際、正体不明のスクールアイドルですからねぇ、せつ菜先輩。
校内で見かけないわりに、いつも衣装でひょっこり部室に出現しますし。
菜々「中庭にいるみなさ~ん、そろそろお昼休みが終わりますよ~。教室に戻りましょう~」
かすみ「あ、生徒会長」
愛「じゃあ戻ろっか! みんなまた後でね!」
放課後。
風のようにというか、熱風のようにというか。
せつ菜先輩はいつものように颯爽と現れました。
せつ菜「練習です! はじめましょう!」
にこにこ笑顔です。正体不明ではあるものの、スクールアイドルが大好きだという熱量は非常にわかりやすいです。
だからこそ、ひときわ知名度もあるのでしょうね。
いやかすみんも負けてないですけど。
歩夢「ちょ、ちょっと待ってね。まだ着替えてないから……」
せつ菜「あ、そ、そうですよね。まだ放課後になったばかり」
果林「あら、せつ菜ったら、みんなの着替えをそんなに見たいのかしら?」
せつ菜「ち、違いますよっ」
愛「せっつーは意外にがっつりむっつりだねい☆」
せつ菜「ち、違いますってっ」
かすみ「もぅ~~かすみんの身体に見惚れちゃだめですよ~~」
せつ菜「え?」
その反応はおかしいですよ。
せつ菜「ゆっくりで大丈夫ですよ! 私にもやることがあるので!」
そう言って、せつ菜先輩は一冊のノートを取り出します。
タイトルは『歌詞ノート』。
彼方「ふむふむ。いい感じ~?」
せつ菜「彼方さん。いえ……正直あまり。みなさんから頂いた言葉をなんとか選別したいのですが」
彼方先輩がのそのそとノートを覗き込みます。ふとんに簀巻き状態で、よくもまあ器用に動けるものだと思います。
せつ菜先輩が取り組んでいるのは、同好会全員で歌う新しい歌の、歌詞作り。みんなでいろんな言葉を出し合って、あとは選りすぐって一つにするという作業なのですが……。
せつ菜「難しいです……! どれも素敵ですから」
この様子だと、もう少しかかるかも知れません。大好きを選別するなんて、せつ菜先輩からすれば身を切る思いなのかも。
けれど、そんなせつ菜先輩だからこそ、最後に出来上がる歌詞はとびきり素晴らしいものになると皆が信じ、そして本人も望み、託されました。
というのが―――
……あれ、いつの話だったっけ?
彼方「困ったら遠慮なくいうんだぞ~。彼方ちゃんにも、お布団を貸すくらいはできるからー」
せつ菜「はい! ふふ、ありがとうございます」
愛「とりあえず、カナちゃんもそろそろお着替えね~」
彼方「くぅ~ん」
くるくると布団を剥がれ、気持ち悲しそうな表情の彼方先輩でした。
かすみ「あれ?」
休憩中、お昼休みに見かけたことを何とはなしに話したのですけれど。
否定されてしまいました。
かすみ「う~んおかしいなあ。あんな大きな赤いリボンつけてるの、しず子くらいだと思ったんだけど」
しずく「そんなことないと思いたいけど……」
いやそんなことあると思いますけど。
しず子以外だとドラ○ちゃんくらいしか知りませんよ。
それかキ○ィちゃん。
まあ、見えたのも一瞬でしたから、たしかに見間違いかもしれません。
購買とは違う明後日の方向に歩いていく生徒。
しず子ではないというのなら、興味もなくなってしまって、その話は終わりました。
本日も一日が終わり。後は家に帰るだけ。
着々とスクールアイドルとしての成長を実感しています。この調子でせつ菜先輩も追い抜いて、世界一可愛いスクールアイドルになってみせます。
歩夢「また明日ね! かすみちゃん」
かすみ「は、はい」
ここにも強力なライバルが一人。
歩夢先輩の一滴も毒気のない笑顔。まさしくアイドル……なぜだか、かすみん苦手です。
歩夢「ふふっ、かすみちゃんの練習、とっても可愛くて参考になるから、つい目で追っちゃうんだよね」
かすみ「! ……ふーんっ、かすみんが可愛いのは当然です!」
歩夢先輩はそうだね、と素直に微笑んでいます。
ぬかに釘ならぬ、歩夢先輩に対抗心といいましょうか。かすみんのペースが崩されちゃいます。ライバルなのに……。
こういうとこですよね!
忘れ物があったので、かすみんは一人、教室へ戻りました。
かすみ「…………」
時間はすでに最終下校時刻。広い校舎ですが、人影はほとんどありません。
コツコツと、自分の足音が響くほど、とても静かです。
静かといえば、今日は、外もずっと静かだったように思えます。
まるで辺りは静止しているかのように。
「…………」
かすみ「ん?」
そんな中。
彼女は、廊下にいました。
見知らぬ生徒でした。おそらく、そうです。
面識はない、そのはずです。
「教師はいない、授業も購買も食堂も機能していないまま、形だけをなぞって」
「異常は目に映さず、ほとんどそのまま模倣し、再生している」
けれど、どこかで見かけたような容貌をしているような気もしますし、逆にまったく知らないような気も、やっぱりします。
「それは私たちの日常なのに。私たちの生活なのに」
「私たちの記憶なのに」
「私たちの、最後の一週間なのに」
彼女の言葉は、ひとり言のようで、そうではなく。
かすみに向けられていました。
「どうしてですか……」
そして――怨嗟のようで、そうではなく。
いっそ哀願のようでした。
投げかけた言葉は、直感に過ぎませんでした。
かすみ「しず子?」
見知らぬ彼女は、ぴくりと反応します。
その動きに含まれた意味は、しかし、読み取ることができません。
「……私はあなたの考えている人ではありません」
「あなたも私の求めている人ではありません」
「まったくの別人なんです」
まるで最も言いたいことがそれであるかのように、言葉に熱がこもっています。
けれど、かすみには何ひとつ理解できませんでした。
「今はまだ、その時ではないけれど」
そして彼女も、理解を求めているわけではありませんでした。
「さようなら」
彼女はすでに、どこかへ行ってしまいました。
はて。
いまの体験は一体なんだったのか。
七不思議とか、そういう類にしては生々しかったですけれど。
かすみ「うーん」
少々、整理を試みましたが。
考えてもわからないならば、考える必要はないでしょう。
かすみ「よしっ」
とりあえず、最終下校時刻なので、帰ります。
ええ、かすみん良い子なので。
それよりも、明日です。
かすみ「にへへっ」
明日。果林先輩と放課後デート。そしてそのままお泊り会!
いろいろ、準備しなければなりませんね。お布団とか、ご飯とか。
お父さんにも言わないと。あ、果林先輩にちゃんと外泊届? も申請してもらわないといけないですね。
楽しみです。
ふふ、とっても。
とりあえず、今日のうちに部屋を掃除して……などと考えていると。
かすみ「?」
とたとたと、中から足音が聞こえてきます。
お父さんがもう帰ってきているのでしょうか? いつもより早いような気がしますけど。
娘の帰宅を迎えるとは、殊勝な心がけを覚えたものです。
なんて、思いながらドアを開いた先にいたのは。
小柄で、キュートで、最高に可愛い女の子の……。
かすみ「え?」
玄関に立っていたのは、紛れもなくかすみ自身でした。
自分自身と、鏡のように向き合っていました。
かすみ「え? え?」
「はぁ、また来たんですね」
混乱しているこちらとは対照的に、向こうのかすみはあっさりと落ち着いています。
そして落ち着き払ったまま、こちらに何かを向けてきます。
けれど、目に入ったのはそれよりも。
もう一人のかすみの頭に生えている、歪な物体でした。
見た目だけで言うなら、それは……。
かすみ「きのこ🍄?」
その言葉を最後に。
ぼぉ、と勢いよく、視界いっぱいに火が迫ってきて。
為す術もないまま。
中須かすみは炎に包まれて死にました。
————-
—
かすみ「ふぅ」
四人目でした。
飛行船が飛ばなくなってからというもの、毎日ニセかすみんが帰宅してきて、今日で四人目です。
仕留めたのも四人目。
彼女たちは一様に、かつてのかすみんの帰宅時間ぴったりにやってきます。
まるでかすみ自身であるかのように。
これが再編? とかいうやつなのでしょうか。
映画で即席火炎放射器の作り方を学んでいなければ、危なかったかも知れません。
せっかくしず子の攻略がいいところだったのに、集中が切れちゃいました。困ったものです。
やれやれ、物騒な世の中ですねえ。
ほんとに。
その四つのかすかすどうしてんだよかすかす…こえぇーよ
しかし最後を読むまでは果林パイセンが泊まりに来た日に異変が起こったのかなと思ったけどそうじゃないらしい…次もまってるぞ!保守忘れてたけど!すまん!
かすみ「今日の視聴者数は――」
かすみ「…………」
自分がそれまで過ごしてきた環境の外に出て、いろんな出来事を体験する、というのは、物語の一つのパターンになっています。
あまりに鉄板なネタというか、むしろ考え方としては逆で、旅立つからこそ物語がうまれるというべきか……とにかく、とびきり数が多いのでとても網羅できるものではありません。
網羅する・しないは、単に映画オタとしてのマウント力にしか影響しませんけども。
また映画に限らず、文芸、美術等々あらゆる芸術において「旅」はモチーフの一つでありましょう。
彼、彼女たちは旅を通じてなにを得、そしてなにを失ったのか。
結末は様々で、とても一様には言えませんが。
共通しているのは、旅立つ必要があったということでした。
執事スティー○ンスは淡い期待を抱いて、ラ○スは一つの揺るぎない目的を持って。
彼らは長い、旅に出ます。
それぞれの理由が高尚であるとか、低俗であるとかはどうでもよく、彼らにはそれまでの日々を手放すほどの必要があったのでした。
……なんて、そんなことをここしばらく考えていて、けれどそろそろ、かすみも結論を出さなければなりません。
旅立ちの時でした。
歌いながら、必要なものをぽいぽいリュックに放り投げていきます。そういえば、パ○ーも偉大な旅立つ系主人公ですね。というかジ○リ全般そうですか。
ちなみにかすみんはアシ○カ派です。
次点でユ○様(帽子付き)。
だってモヒカンはちょっと……。
かすみ「ひとき~れの~パン~♪」
もちろんパンは一切れなんてことはなく、特別にこしらえたコッペパンを積んでいきます。
それでも結局、グルテンさんから購入した強力粉は使いきれませんでしたねぇ。あぁ残念。
残念です。
続き楽しみ
ナイフもランプも持っていませんが、スマホは忘れずに持っていきます。というか、パンとナイフとランプだけで出発なんてとてもできないですよ。
しかも、パズーはそれ以外も持ってたような?
かすみ「父さんが~残した~♪ ……えーと」
「熱い想い」でしたっけ「あのまなざし」でしたっけ。それとも「熱いまなざし」でしたっけ。
ちょっと迷いましたが、父親のまなざしなんておよそ必要ありませんね。気味悪いですし。
かすみ「熱い想い~♪」
うん。バッチリです。
かすみ「…………」
――あのまなざしも、忘れずに。
つい最近、もう一つ『あの日』ともいうべき日付が生まれてしまいました。
飛行船が最後に飛んだあの日。
機械的な声音で【再編フェイズ】とやらが宣言されたあの日です。
以来、かすみの偽物が帰宅してくるという冗談みたいな日々がはじまったことに、変化はとどまりません。
要するに、なり代わっていました。
グルテンさんのようなあからさまな人外が闊歩するだけでなく、まるで人類そのもののような見た目をした彼らが、人類そのもののように活動する。
かつての生活を再現するように。
彼らの擬態(とでも呼びましょうか)は完璧ではありません。まず、大人はいませんでした。かすみ達くらいの、高校生以下程度の個体しかいないようでした。
大人であるほど最初の『あの日』に即刻影響を受けていましたから、それが関係しているのかも知れません。
そしてまた、大人たちがいないにも関わらず、彼らはそれを気にせず、まるで大人たちがいるかのように振る舞っていました。
一方で、人外に対しては人間のように対応する。
再現とか擬態といった言葉を使うのはこのためです。彼らの行動に、心なるものが介在しているかは、ついぞ判断がつきませんでした。
心のような機構があったとして、それもただの模倣やも……とか考えると哲学的ゾンビ的な議題に発展しそうで眠くなっちゃいますが。
倫理だったか哲学だったか、選択授業で聞いたことがある程度のネタですが、ややこしいですよねえ。
いろいろ観察はしましたが、かすみは別に彼らに興味はありません。学者じゃないですから。
人類と彼らの趨勢に関しても興味がありません。ヒーローでもないですから。
重要なことは、すでに表の社会が彼らのものになっているということ。
かすみのような残存人類は、アングラ的存在であるということです。
哀れなニセかすみは4回も焼却されてしまいましたが、この生活を毎日続けるわけにもいきません。
理由は2つ。
1つ目は、すでにこの家は彼らの生活圏であり、いつまでも居座ることは不可能に思われることです。
そしてもう1つは。
みんなの家にも、彼らが『帰宅』しているはずだということです。
重ねますが、かすみはヒーローではありません。トム・ク○ーズやブラ○ド・ピットやジャ○キー・チェンのようにはなれません。
かすみんはただの特別に可愛い女の子で、彼らのように大切なものを守るだけの力は持ちません。
けれどそれが、何もしない理由にはなりません。
……とまあ、ちょっと格好いい風にいえばこんなところですが。
大好きなみんなに、会いたいから会いにいく。
旅立つのに、それ以上の理由はいらないでしょう?
この頃は映画鑑賞にも飽きてきましたし。スター・○ォーズの旧三部作がどちらを指すのかもわかりませんし。
配信の視聴者数も減ってしまいましたし。
もとより砂上の楼閣であって、いつまでもこの生活を続けられるという認識が誤りであると、そういうことなのでしょう。
なにせ、こんな時代なのですから。
もちろん、これからもスマホで配信は行います。
かすみんは、だってアイドルだから。一人もお客さんがいなくなっても、それは変わりません。
アイドルたるもの、いつの世も笑顔! です!
お父さんの車に荷物を積んでいきます。
そう、車。
ひきこもり生活で多彩な映画を嗜んだかすみは知っています。極限状態における車の重要性を。
車を手に入れるためだけに1シーンを使う映画の多々あることは、今さら言及するまでもなく。
その手の映画では、車の入手と引き換えになにかしらの尊い犠牲が発生することさえあるのです。
であれば、最初から車を使用できるというこの状況を、活かさないわけはありません。
運転方法? ふふ……もちろん、学びましたとも。
ワイ○ド・スピードで。
アイドルらしからぬ声が漏れた気もしますが、聞き間違いでしょう。
ただ、果林先輩を運ぶのがちょっぴり大変でした。
果林先輩の瞳は澄んでいます。雲上の湖のように碧く凪いでいて、なにも映していません。従前どおり。
それでもいいのです。
車を使う理由の半分は、果林先輩を連れていくためです。背負っていくほどかすみは頑強ではありません。自転車も厳しいです。
果林先輩を置いていくことはありえません。家とこれからの旅、どちらが安全であるかは、微妙なラインかもしれませんが……。
かすみは、一緒にいたいです。
かすみ「……ふぅ」
果林先輩の体重が重いなんてことはないのでしょうけど、部屋から車までおぶるのは、一仕事ではありました。やれやれ、きのこが汗ばみます。
背中に沈む果林先輩の重み――その重みが、どれほど嬉しいものだったか。
それは、かすみんの秘密です。
さて、絵面的にはまるで婦女誘拐のようですが、ともかく、旅立つ準備は整いました。
かすみ「あとは……」
淡く浮かび上がるかすみの部屋。
かすみ「……………」
ぽすんと、ベッドに腰掛けます。さらりとした、掛け布団の感触が手のひらに沈みました。
――――例えば、壁に掛かった上着とか。
机の上の化粧道具や、棚に仕舞われた小物の数々。
買ったものの、あまり履かなかった靴に、ゴミ箱の中のちり紙。
あまり意識することはなかったけれど、いつも目に入っていた家具の模様や擦れキズにも。
一つ一つが、かすみがここで生きた証でした。
これまでのすべてが夢であって。
こうしてベッドで座って夜が来ても、ニセかすみが帰ってくることなんてなくて。
ぐっすり眠って朝になれば、すっかり世界は元通りで。
もう無理しなくてよくて、この世はすべて事もなし……みたいな。
かすみ「……ふふ」
そんな幻想は心惹かれる清涼剤ですけれど――大丈夫。
甘い夢に溺れて、現を疎かにするかすみではありません。
あくまでも強かに。それがこの時代の歩き方だって、かすみは学んでいるから。
部屋の外にでて、扉を閉めます。きっと、ニセかすみも同じように、綺麗に使ってくれるでしょう。
だから大丈夫。部屋は、誰かに使われることが仕事なのですから。
かすみがいなくても、大丈夫です。
ばいばい。
偽かすみんの4体目と5体目の運命の差に乾杯
まあ、先輩を部屋に残しといて五人目偽?かすに見つかったらどうなるかな予想できないってのもあるんやろうけど
廊下を進んで、今度は別の部屋の前に立ちます。普段はほとんど入ることのない部屋。
お父さんの部屋です。
がちゃりと、扉を開いて、まずは開いたことに安心します。場合によっては動かないかも、という予想は外れてくれたようです、喜ばしいことに。
本来ならば、そこにはベッドやデスク、収納といった、まま一般的な部屋の風景が広がるのですが。
最初の異変以降、そういった普通はなりを潜めています。
そこにあるのは、ひとつの大樹。
根はベッドを突き抜け、幹は天井に迫り、窮屈そうにその枝を室内に伸ばしています。
幹だけを見れば生命力にあふれているようですが、葉っぱのつき具合を見ると、なんとも年相応といったところですね。
かすみ「お父さん」
ごつごつとした樹皮に触れ、声をかけます。反応はありません。
完全に樹化してしまったのですから、当然です。
お父さんがまだ生きている証、かもしれません。
手を触れて……なにか、話そうと思ったのですけれど。
言いたいことはたくさんあります。
これまでのこと――男手一つで育ててくれてありがとうとか。
わがままばかりでごめんなさいとか。
なんだかんだ愛していますとか。
……そんなセンチメンタルな気持ちに混じって、よくもかすみが録画してた番組勝手に消したわね! とか、あのときの嘘気づいてるんだから! とか。
あの安寧たる日々が脳裏に浮かんで、腹の底でぐるぐる溶け合って。
うまく、言葉になりません。
それに……喉もヒリヒリと震えていたので、どちらにせよ、長い言葉は発せそうにありませんでした。
だから、いろんな気持ちをこの一言に。
かすみ「――いってきます」
いやまぁ、初歩的操作くらいはネットで調べましたよ。さすがに映画だけだとかすみん死んじゃいますし。
マッドなマックスさんはごめんです。
車庫にあったお父さんの車の中から、この一台を選んだのは一番出しやすい場所にあったという理由が大きいですが、もう一つ。
車名を日本語に直すと『過去の遺産』になるようで。
なんとも、この時代を駆けるにふさわしいでしょう?
ガチャコンとレバーを操作します。たちまちピー・ピーという音が車庫に響きました。
……おや、この音はたしか、バックするときに聞いたことあるような。
かすみ「……『D』rive!! 『D』だった!」
今度こそそれっぽくなりました。ふぅ、いきなりバック走をするところです。『走るイメージのとこに入れる』という覚え方がまずかったのかもしれません。
あとは……シートベルトよし、サイドブレーキよし、ミラーもたぶんよし!
出発です!
とろりとろりと、自分の操作で前へ進んでいくのはちょっとした感動でした。動かしてみれば、案外かんたんですね。
昼前だからか、往来には誰もいませんでした。再編された人々も今は学校に通っているのでしょう。
人外とは今後遭遇する頻度が高まるでしょうが、いざとなれば轢いてやります。ブォンブォン。
かすみ「………」
ゆっくり、ゆっくりアクセルの踏み込みを強くします。それでも20キロちょっとしか怖くてだせませんけど。
我が家はぐんぐん、離れていきました。
助手席の果林先輩をちらと見て、それで少し、安心します。
果林先輩にとって、異変直前にかすみの部屋に泊まったことが良かったのか、悪かったのか、わからないけれど……かすみにとっては、間違いなくありがたいことでした。
ひとりじゃない。ただそれだけで。
そういえば、かすみんの初ドライブの助手席という、ファンなら垂涎のチケットを果林先輩はゲットしたことになりますね。
にひ、せつ菜先輩に言ったら、ショックを受けてくれるかもしれません。
『私も私も!』なんて言われちゃったら、どうしましょう。ふふ、かすみん困っちゃいます。
あんまり調子にのると事故っちゃいそうですけど。
オーディオの扱いはよくわからないですし、ラジオ系は洗脳が怖いのでつけたくない……となると、歌うのが一番でした。
かすみ「僕~にできる~こと~はま~だあ~るかい~♪」
この旅が行きて帰りし物語なのか、それともただの逃避行なのか。
いまはまだわからないけれど、行く先に同好会のみんながいるなら、それでいい気もします。
かすみ「君~がくれた勇気だ~から~♪」
かすみ「君~のために使~いたいんだ~♪」
りな子の『マップ』に表示されていたのは「かすみ」、「果林先輩」、「愛先輩」、「エマ先輩」、それから「せつ菜先輩」。
かすみと果林先輩、愛先輩とエマ先輩はそれぞれ同じ位置です。お泊り会組ですね。
ピコンと、アプリが道順を教えてくれました。
さて、行きましょう。
まずは、せつ菜先輩の元へ。
はてさてどうなることやら…
どう繋がるんだろ
(ナメクジ速度ですみません…)
(今回は番外編です)
エマ「あ、うん」
愛「どしたの? キョロキョロして」
エマ「えっとね、ここから愛ちゃんが毎日登校してるんだな~って、想像してたんだ」
エマ「ここが愛ちゃんの地元なんだ~って!」
エマ「ふふ、楽しみだなぁ」
愛「しかも今なら愛さんのダジャレ講座付き!」
エマ「え!?」
愛「さらにおばーちゃんのぬか漬けも付いてくる!」
エマ「ええ!?」
愛「なんと今から30分以内の申し込みで送料無料だよ!」
エマ「い、急がなきゃ~!」
愛「なんちゃって☆」
╰*(..˘ •ヮ•..)*╯ 「?!」
愛「ほんとに寄り道しなくてよかった?」
エマ「うん! だって、今日は愛ちゃんのお家にお泊りするのも目的だから」
エマ「もんじゃパーティーで元気を蓄えて、明日に備えるんだよ~」
愛「もんじゃで元気にか~! これはもんじゃ焼き屋の腕がなるね!」
愛「どんなもんじゃ! って言いたくなるな~!」
エマ「あはは、愛ちゃんらしいね」
エマ「ここが愛ちゃんの部屋……」キョロキョロ
愛「おぉっと、あんまり見られると愛さん照れちゃうよ。……変なの置いてなかったよね」
エマ「あぁ!」
愛「え!?」
エマ「璃奈ちゃんとのツーショットだ! かわいいな~」
愛「あっはは。それね、はじめてりなりーとお出かけしたときの写真なんだ」
愛「りなりーと仲良くなれたのは嬉しかったなぁ」
エマ「愛ちゃん、いろんな人と仲良くなるの上手だもんね。ここも写真いっぱい……すごいなぁ」
愛「すごくないって。愛さんが心掛けてるのは、どんなときも楽しく! それだけ!」
愛「子どもみたいっしょ?」ニシシ
愛「さ、荷物置いたらもんじゃ焼きね! 愛さんスペシャル、美味しいぞぉ~」
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愛「お?」
エマ「おいしかった……!!」
愛「おお!」
エマ「おいしかったよぉ~~!!」
エマ「とろっとしてて、ちょっぴりお焦げがパリっとしてて」
エマ「それだけでも美味しいのに、チーズと混ぜたらもっと美味しくて!」
エマ「スペシャルブラボーだったよぉ~♡」
愛「えっへへ~」テレテレ
愛「まさかあんなに食べるなんて」
エマ「トッピングもまだまだ種類あったし、また食べたいなぁ~」
エマ「……えへへ、ハマっちゃった♡」
愛「よかったよかった~」
愛「おばーちゃんたちもエマっちの食いっぷりに喜んでたよ~!」
エマ「そ、そうなの? ちょっと恥ずかしいかも」
エマ「食べ過ぎちゃったかなぁ」
愛「アタシは美味しそうに食べるエマっちが見れて幸せだったよ!」
エマ「ならいい、のかな?」
愛「うん! 今度はお餅トッピングもいいかもね。今日は入れなかったけど定番だよ~」
エマ「お餅ともんじゃ! おいしそう~」
愛「モチ美味しいよ! 餅だけに!」ニコニコ
愛「さてと」ホカホカ
エマ「うん」ホカホカ
愛「明日のことだけど、とりあえず浅草のほう行こうかな~って」
エマ「そうだね、大まかな流れは愛ちゃんにおまかせしちゃっていいかな」
愛「任せて! 愛さんツーリズムがエスコートするよ!」
エマ「エモみ増し増し尊み深めマジ卍草でおねがいしますっ」キリッ
愛「え?」
エマ「あ、すこすこ追加で」キリッ
愛「えっと、愛さんツーリズムは二郎系じゃないんだけど……」アハハ
愛(誰の影響かなぁ)
エマ「あれぇ?」
いったい何処から仕入れてくるんだろうか
エマ「人力車!」
愛「おっいいねぇ! 愛さんも新鮮かも」
エマ「そうなの?」
愛「うん、観光用だしね」
愛「えーおほん。人力車が交通手段に使われていたのは主に明治時代でございます~。ちなみにそれ以前は駕籠が交通手段でありました~。以上、愛さんツーリズムからのお知らせでした~。なんちゃって!」
エマ「わぁ、ガイドさんみたい!」
愛「えっへへ」テレテレ
エマ「あれ、明治時代ってことは……人力車でお江戸気分になるのって、もしかして間違い?」
エマ「ど、どうしよう、果林ちゃんと別れるとき『江戸にいってきます』って言っちゃった!」
愛「あっはっはなにそれ! エマっち面白い!」
エマ「つい楽しみで変なこと言っちゃったんだよ~」アワアワ
愛「うん、江戸から東京に改称されて、それからすぐ明治に改元だねぇ」
愛「人力車が走るようになったのも明治になってから……だから」
エマ「人力車はお江戸じゃなかったんだね……」
愛「まあ名前は東京でも空気は江戸っぽいし! そうだ、エマっち明日は着物にしようよ」
エマ「へ? 着物?」
愛「うん! 着物で人力車に乗って下町巡り! 情緒あるっしょ?」
エマ「……すっごく良い! そんなことできるの?」
愛「もち! うちも着物持ってるから、それ着てこ☆」
愛「おばーちゃんに着付けてもらって、着崩れには気ぃつけて……なんちゃって!」
エマ「わぁ~エモエモだよ~♪」トウトイ!
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エマ「お布団お邪魔しま~す」
愛「あはは、いらっしゃ~い」
愛「狭くない? 別の布団用意してたのに」
エマ「ううん、せっかくのお泊り会なんだもん♪ 一緒がいいな」
エマ「それに、こうしてるとスイスの弟妹たちを思い出すんだ~」
愛「愛さんまさかの子供扱い!?」
エマ「ふふ、愛ちゃんあったかい♡」ギュ~
愛「あぅ~エマっち苦しいよ~」アハハ
エマ「なぁに?」
愛「アタシ、たぶんいつもどおり6時に起きると思うんだけど、エマっちはどうする?」
愛「朝はぬか漬けの手入れを手伝ってるんだよね、おばーちゃんと」
エマ「ぬか漬けっ」
愛「うん、ぬか漬けに手は抜かぬ、ってね! 起こさないようには気をつけるけど」
エマ「わたしも見てみたい! いいかな?」
愛「おおっ、エマっちまさかのぬか漬けに興味津々かー! 嬉しいな~」
愛「かき回す」
エマ「かきまわす??」
愛「うん、基本はそれだけ!」
愛「ぬか床っていろんな菌が集まってるからね。基本は乳酸菌なんだけど」
エマ「ふんふん」
愛「混ぜないでおくと表面に空気が好きな酵母菌も増えて、真っ白になっちゃうんだよねぇ」
愛「ある程度は風味と旨味になるからいいんだけど、手入れを怠ってそんな菌のバランスが崩れちゃうと……」
エマ「菌のバランスが崩れちゃうと……?」
愛「……臭くなる」
エマ「……ぷふっ」
愛「あー笑い話じゃないんだぞー! 愛さん、床分けした自分のぬか床それでだめにしちゃったんだから」
エマ「だって、なんだか難しい話だな~と思ったら、いきなり『……臭くなる』だもん」クスクス
愛「ほんと臭いんだって!」
愛「エマっちのスイスだとどんなの? 発酵でいうとやっぱりチーズとか!」
エマ「うん。それ以外だとピッツォッケリが有名かな~」
愛「ぴっつぉ、ぴっつ、……おけり?」
エマ「ピッツォッケリ。ふふ、簡単に言えばパスタの一種だね」
愛「へ~! どんなの?」
エマ「そば粉のパスタなんだ~」
愛「そば粉! おもしろ~い」
エマ「美味しいよ! もんじゃ焼きのお礼に、今度どうかな? 日本でも材料があれば作れるから」
愛「え、食べたい! いいの?」
エマ「うん。一緒に食べよ♪」
愛「やった~! そば粉のパスタをエマっちのそばで食べる……ふふふ、楽しみ♪」
愛「そろそろ寝よっか?」
エマ「うん。二人で布団にこうしてると、暖かくてすぐ眠くなっちゃた」
愛「あはは、実は愛さんも」
愛「……それじゃ、電気消すね」
エマ「……うん」
電灯ピッ…
愛「おやすみ、エマっち」
エマ「おやすみなさい、愛ちゃん」
愛・エマ((……………))
愛・エマ((――ふふ))
愛・エマ((明日、楽しみだなぁ))
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――――この夜を今でも忘れない。
明くる日、地上は人類のものではなくなることになる。
(次回から本編に戻ります)
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